最高裁判所第三小法廷 平成9年(行ツ)226号 判決 1998年4月14日
川崎市宮前区土橋六丁目二番地三
上告人
柴原健三
右訴訟代理人弁護士
辰口公治
小川征也
川崎市高津区久本二丁目四番三号
被上告人
川崎北税務署長 山下二三夫
右指定代理人
深井剛良
右当事者間の東京高等裁判所平成八年(行コ)第一五七号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が平成九年七月九日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人辰口公治、同小川征也の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、原審の認定に沿わない事実を交え独自の見解に立って原判決の不当をいうか、又は原判決の結論に影響しない説示部分を論難するものであって、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)
(平成九年(行ツ)第二二六号 上告人 柴原健三)
上告代理人辰口公治、同小川征也の上告理由
原判決の判断には、以下に述べるとおり判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の解釈、適用の誤りがある。
なお、原判決は、あらたに若干の理由を付加するほかは、その理由の大部分につき第一審判決を引用しているので、まず第一審判決について述べ、終りに原判決について述べる。
一、財産分与と税法
1.財産分与
離婚に伴う財産分与とは一般的に次の三つの要素のいずれか又はこれらを併有するものを指すといわれている。
(一) 婚姻中に夫婦の協力によって取得された財産の精算
(二) 離婚後の弱者に対する扶養
(三) 離婚による慰謝料
最高裁判例(昭和四六年七月二三日)は、財産分与の制度は実質上共同財産の精算分配と離婚後の扶養をはかることを目的とするものであるが、財産分与として損害賠償の要素も含めて給付がなされた場合は、重ねて慰謝料の請求をすることはできないとしている。
ところで、実際に用いられる「財産分与」なる文言はもっと広い内容を含むことがしばしばあり、たとえば、離婚に頑なに応じない相手の気持ちを和らげるためや、不当な引き延しを避けるためや、相手に引き取られる子供に対する愛情から財産を譲渡すること等がそれである。このような財産分与は法的には前記(一)乃至(三)のそれとは異質なものであり、後述するとおり課税上区別する必要がある。
2.税法
所得税法は個人間の資産譲渡については有償譲渡と無償譲渡とを区別し、有償譲渡にのみ譲渡所得税を課税することとしている。しかし所得税法は離婚に伴う財産分与については、有償譲渡とも無償譲渡とも規定していない。これは財産分与という文言による資産譲渡が前述のとおり多義的であり、一義的に有償譲渡であると解することができないからである。第一審判決は、一応この点は認め、「諸般の事情から明らかに過大な資産譲渡がされたりしたような場合は、分与義務の消滅を伴うものではないから、有償譲渡とみることはできず、譲渡所得税の対象とはならない」と判示している。右のとおり右判決の論旨からしても、譲渡所得税の課税対象となるのは、分与義務の履行として譲渡された部分であり、その余の部分が課税対象とならないことは明らかである。この点につき、山田二郎教授は、「もっとも昭和四八年法律第八号による所得税法の改正で、個人に対する資産の無償譲渡の場合は、譲渡所得税の対象から外すことに改められたので、財産分与の場合も有償譲渡の場合だけが譲渡所得課税の対象となる」ことを明言されている(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕第三七〇号三四頁)。また、最高裁判例(昭和五八年一二月一九日)が詐害行為取消事件について、分与した財産のうち民法七六八条三項の趣旨に照らして相当な部分は取り消すことができないと判示したのも、財産分与名目の資産譲渡のうち分与義務の履行としてなされた部分とそうでない部分とを区別すべきことを明らかにしたものである。
しかして、財産分与のうち分与義務の履行としてなされるのは何かを検討すると、扶養料(子に対する養育費を含む)と慰謝料の支払はそれぞれ扶養義務、損害賠償義務の履行であり、これらの目的でする資産譲渡が有償譲渡であることはいうまでもない。
次に夫婦が離婚中に取得した資産の分配であるが、この場合分与義務が生じるのは、被分与者が当該資産の取得及び維持につき寄与し協力したことによるものであり、またその寄与・協力の度合により当該資産に対する取得割合がきまるべきものである。たとえば、夫婦が対等の協力によって取得した夫名義の不動産につき、その二分の一を妻に財産分与する場合を考えると、本来夫は妻の寄与・協力分(不動産の価値の二分の一)を妻に対して支払わねばならないのを、その支払いに代えて二分の一の持分を譲渡するのであると考えられる。要するに、被分与者が資産形成において貢献した経済的価値が評価され、その価値評価によって資産の精算が行われるが故に有償性が認められるのである(もっとも、実質的な共有財産の分割と解すれば、有償譲渡とみることもできないとする有力説がある)。したがって、婚姻中に取得した資産だからといって夫婦の一方がその形成・維持に全く関与していないような場合には、当該資産の分与義務は生じない。この場合、分与義務を生じるとするには、夫婦が婚姻中に取得した財産は、協力関係を問わずすべて共有であるという法制をとらねばならないが、わが法制は夫婦別産制をとっているのである。
以上のとおり離婚に伴う財産給付のうち譲渡所得税の課税対象となる有償譲渡部分は、前掲最高裁判例のいう民法七六八条三項に照らし具体化される相当な部分、すなわち分与義務の履行としてなされる部分である。
相続税基本通達九-八但書は「その分与に係る財産の額が婚姻中の協力によって得た財産の額その他一切の事情を考慮してもなお過当であると認められる場合における当該過当である部分・・・は贈与によって取得した財産となるのであるから留意する」と規定し、課税上、有償・無償を判断する基準が民法七六八条三項と同一の基準であることを、注意喚起のために示したのである。
ところで、第一審判決は「原告の主張は、財産分与に、本来的な財産分与の部分とそうでない部分があることを前提とするものであるが、このような概念を持ち出すことは、本来財産分与が当事者間の協議により自由に定めうるものであることと矛盾する」と判示している。むろん離婚当事者間において、資産譲渡をどう呼ぼうと自由である。しかし当事者は課税の対象範囲(有償である部分と無償である部分)を自由に定めることができないのである。故に、右判決が課税の当否を判断するのに「財産分与が当事者の協議により自由に定めうる」という命題を持ち出したことは理論的に誤っている。
また、第一審判決は、右のような区別を認めることができないと判示していながら「諸般の事情に照らし、明らかに過大な財産分与の部分」が通達のいう過当部分であり譲渡所得税の課税の対象にならないとしている。しかし、右判決は「諸般の事情に照らし」というだけで、区別の基準を示しておらず、あまりに漫然としているが、仮りに右判決のいう「諸般の事情」が民法七六八条三項の基準を意味するのであれば、右判決のいう明らかに過大な部分と前記通達の過当部分(分与義務の履行ではない部分)とは一致する筈である。
しかしながら、後に後述するが、上告人が父祖より取得した固有財産の一七億円を超える資産譲渡について、過当部分を認定しなかった第一審判決のありようは、婚姻に伴う財産分与について、一定の基準によって課税上の区別をする気など毛頭ないのであって、「諸般の事情に照らし、明らかに過大な財産分与の部分」なる概念は、前記基本通達と字面上辻褄を合わせるためにのみ作出された床の間の飾り物に過ぎない。
二、本件財産分与の調停の経過
1.財産分与の協議
仮りに本件財産分与の調停が上告人の財産形成の経緯、婚姻生活の実体等を検討したうえ民法七六八条三項の趣旨に照らし分与義務の内容を定めたものであれば、本件財産分与を有償譲渡と解する根拠となりうるであろう。しかしそのような協議がなされた事実は存在しない。
第一審判決は、「・・・離婚を前提に、双方の代理人弁護士を含めた中で、原告が絹子に財産分与としてどの程度の資産を譲渡するかの検討が行われた。右検討の過程で、離婚原因に原告の女性問題が含まれていることから、絹子の精神的苦痛が大きいことや、原告が資産家であったことから、離婚に伴う慰謝料も相当高額でしかるべきであるということで、分与財産の決定に当たっては、右の離婚に伴う慰謝料、絹子が今後扶養する子供二人が成人し婚姻するまでの養育費、絹子の婚姻期間中の家事労働等による貢献などが総合的に考慮され、その結果・・・本件調停が成立した」と判示する。
右の事実認定は、上告人はもとよりのこと、絹子もこれを読めば、事実とあまりにも違うことに驚愕するであろう。
第一に、右判決は、恰かも両当事者が民法七六八条三項の基準に照らし一切の事情を考慮して財産分与としてどの位が相当かを協議したかの如く認定しているが、全く事実に反する。事実は、調停の申立より一年近く経っても、上告人は離婚を主張し、絹子は上告人が翻意して家庭に戻るよう主張し一歩も譲らぬ状況であったため、上告人は金銭的に大幅に譲渡するしかないと考え、所有する不動産のほぼ二分の一を目録にして示し、全財産の半分を絹子に渡すので離婚に応じてほしいと申し入れ(ここまでの経過は、右判決も同様の認定をしている)、間もなく絹子は右申入を受け容れて調停が成立したのである。すなわち、上告人が離婚を主張し絹子がこれに反対している状況において離婚を前提とする財産分与の協議が行われるわけがないから、調停申立から一年近くを経てなされた右申入は最初の財産上の提案であったことは明らかである。そして、それから間もなく調停は成立し(調整の申立は昭和六二年八月、調整の成立は昭和六三年九月である)、調停により譲渡された財産は最初の申入と殆ど同じ内容であった。
右のような調停の経過であるから、その間、財産分与としてどの位譲渡するのが相当かを協議した事実は存在しないし、絹子の方としては申入を受け容れるのであるから、それ以上の協議の必要もなかった。また、絹子側としては、自分の方から上告人の申入が財産分与として相当か否かの問題を提起する筈がなかった。何故ならば、少しでも法律常識がある者であれば、上告人の申入が財産分与としてはあまりに過大であるから、本来的な財産分与の協議をすれば上告人の提案を大幅に減額しなければならないことは明白だったからである。したがって、絹子代理人の藤平弁護士が「本件の離婚原因は柴原健三氏の女性問題だったことから、柴原絹子氏の精神的苦痛も大きく、また、柴原健三氏は資産家でしたから離婚に伴う慰謝料も相当高額でしかるべきであるということで、分与財産の決定に当たっては、<1>右の離婚に伴う慰謝料<2>柴原絹子氏が今後扶養する子供二人が成人し婚姻するまでの養育費<3>柴原絹子氏が約二〇年間の婚姻期間中に財産維持に貢献したことを総合的に判断するということで調停は進行しました」(乙三〇号証三項)と述べていることは、全部嘘である。前述のとおり、調停の経過よりして、諸事情を総合的に考慮して財産分与の協議を進行したという事実は全く存在しないし、絹子側にとってそのようなオーソドックスな協議をすれば著しく不利な結果になることは明白であった。実際、上告人の申入の後の二回の調停は、提案された財産の確認作業のほかは、もっぱら代理人間で税金はどちらにかかるかを議論していたのである(乙第二九号証の七枚目以下)。
以上のとおり、調停において実質上の財産分与の協議がなされていないことは歴然としているのに、第一審判決が敢えて反対の事実を認定し、あまつさえ信憑性がゼロである前記藤平弁護士の陳述を、殆んどそのまま判決に引用しているのは、不見識も甚だしいというべきである。
2.絹子側に贈与の認識がなかったとする判示について
本件資産譲渡につき、上告人の代理であった串田弁護士は譲渡所得税は課税されず、贈与税が課税されると主張し、同弁護士は、上告人にもそのように説明していたもので(第一審判決も同様の認定をしている)、上告人側が、本件資産譲渡は贈与であると認識していたことは明らかである。
一方、絹子の側であるが、この点につき第一審判決は、「絹子及びその代理人弁護士は、本件調停成立時、原告から絹子への財産譲渡は、離婚に伴う財産分与であるという認識でおり、これが贈与であるという認識は全くなかった」と断定している。たしかに絹子は「調停で買った財産は、離婚に伴う財産分与によるものであり贈与されたものとは思っていない」と供述している(乙二九号証の一一枚目)。しかしながら、絹子は国税審判所に対し、財産分与という言葉の意味については裁判所から説明もなかったし、その言葉の意味を理解していなかったと答述している(甲一号証の一五頁)。右の乙二九号証は、本訴提起後被上告人側より聴取されたものであり、他方国税審判所は公平な立場にあること、また供述の時期も右審判所の方が早いこと等よりして、右審判所に対する答述に信憑性があることは明らかである。右のとおり絹子は財産分与の意味を理解していなかったのであるから、本件資産譲渡が財産分与であることを肯定することも否定することもできないわけであるし、理論上贈与であることを肯定することも否定することもできないのである。したがって絹子に贈与であるという認識が全くなかったとの原判決の認定は誤りである。
かえって絹子は、国税審判所に対し、「分与された財産は、二人で築き挙げた財産ではなく、また、金額的にも多いと思う」と答述している(甲一号証の一五頁)。すなわち絹子自身、これ位の財産は貰えて当然だとは認識しておらず、過分であると思っていたのである。それは、二人で築き上げた財産でもないし、二人の関係が破綻したことについて自分に非があると自覚していた絹子の感想としては当然のことであったろう。このように過分なものを貰うという心理、つまり貰う権利のあるもの以上のものを貰うという心理こそ受贈者の心理の中核をなすものであり、第一審判決が絹子について贈与の認識がないと判断したのは誤りである。
それでは藤平弁護士はどうかというと、わが国の弁護士であれば、財産形成の実体、上告人夫婦に関する諸事情を総合し、民法七六八条三項の趣旨に照らし、どれ位が財産分与として相当かを検討すれば、上告人の申入の大部分は財産分与として相当の範囲を超えることになると考えるのが普通であろう。したがって藤平弁護士が、例外的に、上告人の申入の全部が財産分与として相当であると判断したとはとうてい考えられないのである。ただ、同弁護士としては、文献や判例で譲渡所得税一本槍の課税実務を確認し、財産分与の文言で譲渡しておけば譲渡所得税で押し切れると判断したのである。
三、民法七六八条三項にかかる事情
1.上告人の財産形成に対する絹子の貢献
上告人が絹子と婚姻している間、所有した不動産のうち、土地は祖父彦七よりの贈与か父幸三からの相続で取得したものが全部であり、建物のうち、相続ではなく原告が新築したものも、その一部は右土地の売買代金により、残金は借入金により支払っており、借入金は建物の賃料で分割返済していくのであるから、父祖の財産が果実を生じたのと同じであり、結局絹子に譲渡された資産は、上告人が父祖より取得したかその果実かであるに過ぎない。この点は第一審判決も認めるところである。
また、このように父祖より承継した資産の運用はもっぱら上告人が行っており、しかもその主たる業務の不動産賃貸業は、賃料は振込みであり契約関係は業者に委任しているから、上告人の仕事といっても簡単なものである。したがって専業主婦である絹子が上告人の財産の形成・維持に協力・貢献した事実は全く存在しない。
ところが第一審判決は「調停における合意には、絹子の家事労働等、目に見えない形での資産維持のための貢献も考慮されている」と判示している。これは完全な作文である。
実際の調停経過は、前述のとおり調停申立後一年近くは双方が反対の主張をし合って対立していたものであり、局面打開のため上告人が財産の約半分を譲渡する提案をして急遽合意の方に急展開し、あとは税金の議論をしていたというのが実状であり、絹子の家事労働等の貢献を話し合い、考慮したことなど一切ない。
そのうえ主婦としての絹子は、後述のとおり昭和四七年に上告人の実家に居住して以来一七年間、上告人の足をひっぱりこそすれ、内助の功を発揮したことはさらになく、このことは絹子自身大いに反省しているのであるから、貢献度について点数をつけるなら大きなマイナス点をつけるより仕方がないのである。
2.離婚理由
(一) 破綻原因
第一審判決は、「原告と加瀬美代子との男女関係が生じた時期は、必ずしも判然としないが、原告と絹子との婚姻関係が破綻した後であるといえるかは問題のあるところで、もし調停離婚が成立せず、訴訟に持ち込まれた場合、勝訴するかどうか微妙な情勢にあって、かなりの出損を覚悟しても、絹子には是非とも離婚に応じてもらいたいという事情があったといえる」と判示する。
右の論旨からすると、上告人と絹子との婚姻関係が破綻した後に上告人と加瀬美代子との男女関係が生じたのであれば、調停離婚が成立しない場合の上告人の勝訴の可能性は大きく、出損する金額も少なくてすむことになる。況んや、破綻について絹子の方により多い非があるとすればなおさらである。
さて、上告人と絹子との夫婦仲であるが、第一審判決も認定しているとおり、当初円満に推移したが、一家が実家に移り住んで、父幸三、兄良吉と同居するようになって波風が立つようになった。二人が婚姻したのが昭和四四年一一月で、一家が実家に移り住んだのが昭和四七年一月であるから、二〇年近い結婚生活のうち円満に推移したのは最初の二年少しということになる。
破綻の要因が、幸三らとの同居であることは、上告人のみならず絹子も明確に認めている。別訴における絹子の以下の供述(甲一九号証の三の二三頁以下)を読めば一目瞭然である。
「あなた同居が不満だと---幸三さんとか良吉さんとの同居が不満だったわけですね」
「はい」
「で、そういうことを健三さんに言いましたか」
「もちろんです」
「そしたら健三さんは何と答えました」
「もしこういうふうになっちゃったんだからしょうがないな、みたいな、要するに我慢しろみたいなことです」
「あなたは我慢しろと言われて、それで、どういうふうに思ってましたか」
「我慢しろといっても、母親が亡くなったというアクシデントはあったにしても、なんかちょっとすごい、話が違うな、というのと、同居するということは実際に要するに面倒をみるようになるわけですね、要するに幸三氏と良吉氏の。そういう意味でなんか、すごい。・・・不満というか、不満が爆発したというか」
「不満が爆発したんですか。たまっていたんじゃないですか」
「うん、まあ、そうですね。『不満、不満、不満』でしたね」
「先程、気持ちが擦れ違ってきたみたいだというようなことをおっしゃっていましたけど、それは、はた目から見てはっきりとそれとわかるような何か出来事はありましたか」
「結局、家庭内別居になったんですね」
昭和四七年一月に幸三らと同居することにより絹子の不満が生じ、その不満はうっ積してゆくばかりであった。上告人としては、父や兄となんとかうまくやっていってほしいという願望があり、絹子にしてみれば、同じ家の中で幸三らとは事実上の別居はしているものの、自分の生活圏内から幸三らを完全に排除したいと願っていたのであるから、二人の関係が悪化するのは当然の成り行きであった。そして昭和五八年二月幸三が死亡してから、幸三の遺産分割についてことある毎に容喙する貪欲な絹子の態度に接し上告人の気持ちは決定的に絹子から離れ(第一審判決も、幸三の死亡以降、二人の軋轢が一層激しくなったことを認めている)、昭和六〇年には、家庭内別居という状態に陥った。すなわち二人の性格の不一致と結婚に対する考え方の違いが幸三らとの同居を契機とし現実生活面に浮上し、以後一四年にわたってその軋轢は拡大してゆき、ついに家庭内別居に至ったのである。右のとおり破綻の原因は明らかであり、この点については上告人と絹子の供述は一致しているのに、第一審判決が恰かも上告人の女性関係が破綻の原因でもあるかの如く判示しているのは不可解である。
絹子は、被上告人側の調書にも、こう答えている(乙二九号証の三枚目)。
問七 そうすると、昭和六二年頃から夫婦関係が気まずくなったのですか。
答 いいえ、幸三さんと良吉さんと同居するようになってから気まずくなりました。
問八 その原因はなんですか。
答 私は、夫婦だけの生活を望んでいたのですが、健三さんのお母さんが急死して、女手がなくなりましたので、幸三さんと良吉さんと同居することになりました。
絹子は、右の供述のとおり、夫婦と子供だけの生活を望んでいたのであるが、二人は見合結婚であり、双方の家庭の事情は縁談の時点で説明されており、絹子は幸三の子のうち長男良吉は知恵遅れであること、四男の実は叔父の養子となる人間であること(二男は早世した)、したがって幸三家に女手が無くなれば良吉の面倒は三男の健三の妻が見なければならないことを認識していたのである。また、幸三家は農家であり、幸三が死亡すれば仮りに農業を継がないにしてもその広い地所は誰かが管理しなければならないし、管理する者としては健三以外いないこと、そして健三が跡取りの立場に立てば、旧来の近所付き合いをしなければならないこともわかっていたはずである。このような柴原家の事情を知って結婚した以上、幸三の妻キヌが死亡した時点で、実家に入り幸三と良吉の面倒をみることはやむを得ないことであった。まして昭和五三年国鉄を退職し父祖より取得した土地の収入で生活するようになったのであるから、なおさらである。
ところが絹子は、幸三らの食事を作ったのは初めの頃だけで、以後はお米と味噌汁を余分に作っておくだけであった(甲九号証の一の五枚目表)、また、幸三の衣類を洗濯したり幸三らの部屋を掃除したり、幸三が病気になったときの看護等も一切しなかった。幸三は亡くなる前数カ月間自宅で病臥し最後に病院に入院したが、その体には大きな褥瘡ができていて、看護婦をして「おたくには女の人はいないんですか」と嘆かせたほどである。これらの事実は色々と口実はもうけているものの、絹子も概ね認めるところである(甲一九号証の一の二一乃至二六)。
絹子は、同居の当初から幸三らに許否的態度をとっていて、少しでも幸三らに融けこもうと努めたことはなかった。このように自分の立場をわきまえず、我が儘を通し、また夫や夫の肉親に対する優しい思いやりに欠けていたことが破綻の最大原因である。
(二) 上告人の女性関係
右に述べたように上告人らの夫婦関係は二人が家庭内別居をする昭和六〇年の相当前から破綻していた。
仮りに第一審判決がほのめかすように上告人の女性関係が破綻の原因であるとすれば、当然昭和六〇年以前にそのことをめぐって二人の間に紛争が生じていた筈である。また実際に上告人に女性関係があったとすれば、絹子に覚られないで済むことではない。上告人が住居としてだけでなく仕事も人の付き合いも実家を本拠としているという事情の下では女性関係を長い年月隠しとおせるものではない。ところが絹子が上告人の情勢関係を知ったのは昭和六二年であると、同人自身が述べている(甲一九号証の三の二五頁)。すなわち、昭和六二年までは二人の間に女性問題をめぐってトラブルはなかったのである。また女性関係をめぐってトラブルがあれば離婚話が出るのが普通であるが、調停が始まるまでは、二人の間で離婚話が出たことはなかった(乙第二九号証の四枚目)。
さらに、調停において絹子が一年近く結婚の継続を主張したのは、破綻の原因を女性関係とは考えておらず(もし女性関係を深刻なものと考えていたのであれば、夫婦関係の修復はとうてい無理であると判断したであろう)、実家における自分の無思慮な我が儘な行動が破綻を招いた原因と考え、反省するから考え直してほしいというのがその真情であった。この気持ちは甲二〇号証の手紙によく表されている。
以上のとおり、夫婦関係の破綻に上告人の女性関係は全く関係がなく、上告人と加瀬美代子が親しい関係になったのは、夫婦関係が完全に破綻して三、四年後のことである。しかも、破綻したことについては、右に述べたとおり絹子の方により重い責任がある。
なお、上告人と加瀬美代子は平成二年四月二七日婚姻し、右美代子は良吉の面倒をよくみている。
以上、上告人が絹子に対し慰謝料を支払う法的義務はない。
四、本件における分与義務
本件の場合分与義務の履行としてどの位の財産分与が相当かを検討すると、第一に夫婦が築いた財産の精算分はゼロである。原判決も認定しているように本件の譲渡対象になった財産を含む上告人の一切の財産は父祖より贈与又は相続で承継した財産かその果実であり、また絹子は婚姻以来一貫して専業主婦で、形の上ではある時期から原告の確定申告上、事業専従者となっていたが、実際には原告の不動産賃貸業を手伝うことはなかった。さらに前述のとおり資産維持に目に見えない形で貢献したことも全くないからである。
次に扶養料(養育費を含む)であるが、一か月にそれぞれ一〇万円支払えば十分であると思料する。これは標準生計費(甲一四、一五号証)や裁判例(甲二四号証)と比較しても多額であるし、上告人が一家の生活費として絹子に一か月三〇万円を渡していた事実(甲九号証の一の二枚目表、乙二九号証の三枚目)に照らしても妥当な金額であると考える。
ところで、第一審裁判官がいくら気前がよくても、三人の扶養料として五〇〇〇万円とか一億円とかを念頭に置いたとは考えられない。それは裁判例・審判例や社会常識から著しく遊離した金額となるからである。
しかしそうすると、残りは慰謝料ということにならざるをえないが、前述のとおり、本件は夫から妻に慰謝料支払い義務が生じない場合であるし、裁判例をみても最高額は五〇〇万円である(甲一六、二三号証)。ところが扶養料の残りは一七億円以上になり、これが慰謝料とすると、これはもはや常識を逸脱したというような問題ではなく、異なる星の出来事とでもいうほかに形容のしようがない。しかし、それでは、この一七億円余りを慰謝料ではなく離婚をスムーズにするために譲渡したものであるとすれば、有償譲渡と解することはできない(平成八年八月五日原告準備書面六枚目表)。
以上、本件において分与義務の履行としての財産分与は、不動産以外の資産譲渡で十分であると思料する。
五、原判決(控訴審判決)について
1.原判決が「原判決挙示の証拠によれば、控訴人からの財産の譲渡が離婚に伴う財産の給付であり、不本意な離婚の代償であると認識していたことは明らかであり、その実質は財産分与にほかならず」と判示している点(理由第一、一項の前段)。
(一) 絹子は本件財産分与を離婚の代償と認識していたか。
絹子は、前述したとおり、国税審判所に対し「分与された財産は、二人で築き上げた財産ではなく、また、金額的にも多いと思う」と答述している(甲一号証の一五頁)。絹子自身過分な譲渡と認識していたのである。したがって原判決の「不本意な離婚の代償であると認識していたことは明らかである」との判示は明らかな事実誤認である。
(二) 不本意な離婚の代償とは何か。
「不本意」なる言語は「望むところでないこと」と定義される。要するに人間の主観的心理的事実を表示する言語である。一方、離婚の代償とは、財産形成の経緯、婚姻生活の実体、破綻理由等の諸事情を基礎に、民法七六八条三甲に照らし判断される規範的評価の問題である。すなわち、本人がいくら離婚に不同意であっても、その心理的事実自体から対価が生じるわけではない。たとえば自ら婚姻の破綻原因を作っておきながら離婚に応じない場合、その不本意な気持ちに対して代償を支払うことは不相当である。仮りに離婚を促すために金銭を支払ったとしても、それは代償ではないから、課税上は有償の評価を受けないのである。要するに、離婚を望まないという心理的事実は、慰謝料算定の一要素とはなるかもしれないが、慰謝料算定について重要な要素となるのは、破綻の責任がいずれにあるかという点であり、離婚に不本意な点は付加的要素に過ぎない。
本件の婚姻生活が破綻したことについては、前述したとおり絹子の方により重い責任があり、上告人から絹子に対し慰謝料を支払う義務はないのであるが、仮りに絹子の不本意な点を斟酌するとしても、その慰謝料額は微々たるものであろう。したがって、原判決が不本意な離婚の代償として一七億円以上もの金額を認めたことは、全く不合理といわざるをえない。
(三) 「その実質は財産分与にほかならず」との判示について
原判決は、本件資産譲渡は「控訴人からの財産の譲渡が離婚に伴う財産の給付であり」「不本意な離婚の代償であると認識していたことは明らかであり」、それ故、その実質は財産分与にほかならない、と結論づけている。右の二つの根拠のうち前者は、本件資産譲渡が離婚に伴う財産給付であったという、ただそれだけのことを明らかにしたに過ぎず、それが有償譲渡であることの何らの根拠にもなっていない。また、後者については(二)に述べたとおりである。
原判決が本件資産譲渡の実質が財産分与であるという以上、まず第一に分与義務の価格を算定し、そして分与された財産の価格が分与義務の価格に相当することを検証していなければならない。これらの作業をしないで、本件訴訟の結論を下すことは、論理上、絶対に不可能である。しかるに一審判決も原判決もこれらの作業をしないで結論を下しているのである。
2.原判決が『しかも絹子と控訴人及び双方代理人が出席した家事調停において成立した調停調書には、これら財産の譲渡が「離婚に伴う慰謝料、扶養費を含む財産分与として」行うことが明記されているのであるから、これら財産の譲渡が財産分与に当たることは明らかである』と判示している点(理由第一、一項の後段)。
この判事は、要するに、「財産分与」の文言によってなされた財産の譲渡であれば、すべからく有償譲渡であるところの財産分与である、といっているのである。ここでは、個人間の資産譲渡を有償・無償で区別する所得税法の趣旨も相続税基本通達九-八も全く無視されている。
3.原判決が「本件財産分与の総額は、控訴人の総資産からすれば、半分以下にとどまるものであり(配偶者の相続分が二分の一以下であることを想起すべきである)と判示している点(理由第一、二項)。
離婚に伴う財産の譲渡が有償か無償かの判断に、それが譲渡人の総資産の半分か三分の一かなどという問題は、関係のないことである。繰り返し述べたように有償譲渡とは分与義務の履行としてなされる譲渡であり、分与義務の内容は、扶養料の額、慰謝料の額及び夫婦が協力して取得した財産の協力の度合いによって決まるのであり、それが結果的に譲渡人の総資産の半分なり三分の一なりになるだけのことである。すなわち、分与義務の内容から結果的に総資産に対する割合が出てくるのであり、初めに総資産に対する割合ありきではないのである。原判決は本末転倒もはなはだしい。
あまつさえ、原判決は「配偶者の相続分が二分の一以上であることを想起すべきである」とまで揚言する。いったい、離婚に伴う財産分与について、相続分の規定を考慮すべきであるとの法的根拠あるいは理論上の根拠がどこにあるのか。離婚はさまざまの理由、さまざまな事情が絡み合って生じるのであり、財産形成に対する協力度合いにしても、破綻に対する責任割合にしても千差万別であり、それ故民法七六八条三項の定めが必要となるのである。したがって事情如何によって分与財産が譲渡人の総資産の十分の一であることも、十分の十であることもあるのである。一方相続は、死ぬまで婚姻生活を全うした者に対し、一定の権利を法が保障した制度である。このように一方は途中で破綻し、他方は完結した人間の営みに対する法的評価は異なるのが当然であるし、実際に右のとおり法制上のちがいとしてあらわれているのである。にも拘らず原判決は、これらを同一次元で結びつけているのであり、牽強附会というより暴論というべきである。
ちなみに、参考に述べれば、上告人に認定どおりの譲渡所得があったとして所得税及び住民税を支払うとすると、この納税のためにさらに上告人所有不動産を売却しなければならず、これに伴う譲渡所得税・住民税及び売却の諸経費等の出損により上告人の財産は、絹子が取得した財産を遙かに下まわることになる。
六、結論
以上のとおり、原判決は婚姻生活の実体、破綻の原因、財産分与協議の経緯等重要な事実につき著しく経験則に反する認定をし、かつ民法、所得税法、相続税基本通達等の法令の解釈、適用を誤ったもので、破綻を免れない。
以上