最高裁判所第三小法廷 昭和22年(オ)18号 判決 1948年4月13日
主文
原判決を破毀し本件を東京高等裁判所に差戻す。
理由
上告代理人増田弘の上告理由は、添附の後記書面の通りである。
按ずるに、原判決は、本件硬山は、一旦鉱業権者によつて掘採された未精錬の石炭がその鉱業権者により所有権を抛棄放置されて土地と一体を為し、未掘採の石炭と同視すべき状態に至つたものと認められる、而してこの様な廃炭は、鉱業法第三条に所謂廃鉱に該当するものと解さなければならない、尤も成立に争のない甲第八号証の六には、証人荒木利恭の供述として本件硬山は被控訴会社が一応捨てたものであり、一応捨てたという意味は必要な時再び利用するという意味である旨の記載があるけれども、上記の各資料に照らすと、右記載によつては鉱業権者たる被控訴会社が本件硬山の所有権を抛棄したものでないということの疏明とするに足りないと説示して、上告人の主張を排斥したのである、しかし所有権の抛棄せられた廃炭に付ては(土地と一体を為すに至らない間は)何人も先占によつて自由に其所有権を取得することを得べく、他人が所有権を取得してしまえば、後に必要な時再び利用するということは到底できないことになるから、被上告会社が本件廃炭を利用する意思を有していた以上、其所有権を抛棄して他人の先占にまかせる様なことをするはづがない、殊に本件廃炭の所在する場所は、被上告会社の所有地であるから、ただそこに置いておけばよいわけで、殊更所有権の抛棄などする必要はないはづである、なお原審の採用した甲第八号証の八によれば、被上告会社は、本件硬山を被上告人佐藤一男に譲渡す以前訴外石沢広に譲渡した事実がわかる、かかる再三の譲渡行為は、被上告会社自身所有権の抛棄などした覚えがなく、依然自己の所有物と思つていたればこそできたのであろう、(若しそうでなく所有権を抛棄してしまつて自分のものでないならば、之れを人に売つて代金を取るというが如きは一種の詐欺的行為といわなければならない、被上告会社は自身鉱業権を取得して鉱業を営んで居る会社だから、鉱業法第三条の規定ぐらいは熟知して居るはづである、)要するに、利用する意思がありながら何等特別の理由もないのに殊更所有権を抛棄するが如きは、通常考え得ないところであるし、又自己の所有物でもないものを、人に売つて代金を取るなどということも通常人のしないことだから、格段の理由なき限り甲第八号証の六及八は、原判文前段挙示の資料にかかわらず、所有権抛棄の事実のなかつたことを充分疏明するに足るものである、故にこれ等書証の存在に拘わらず、所有権抛棄に関する被上告会社の主張を是認するには右格段の理由に付き何等か首肯するに足る説明がなければならない、然るに原審が之れに付き何等説明するところなく、単に前記の如く判示して上告人の主張を排斥したのは、実験法則違反若しくは理由不備の違法あるものといわなければならない、尚原審は、証人神永幸三の証言及甲第八号証の四乃至八を総合すれば、本件硬山所在地附近の炭坑地方では屡硬山が鉱業権とはなれて取引の目的とされることがあり、又その採取は特別の設備装置をせず鶴嘴スコップ等を使用して小規模に行い、その選別にも簡単なスクリーンの様な器具を使用しているにすぎないことを認め得るけれども、これ等の事実は、本件硬山が鉱業法第三条に所謂廃鉱に該当するものと解する妨となるものでない旨を判示して居る、しかし、法律が廃鉱、鉱滓を未採掘の鉱物と同様に取扱うこととしたのは、これが未採掘の鉱物と同様の状態となりこれが採掘には未採掘の鉱物の場合と同様の採掘行為を必要とするに至つた場合には、其採掘に対し鉱業法の規定を適用し、其相当の制限、監督及び保護の下にこれを為さしむるを適当と認めたからである、故に原審が本件硬山が鉱業法第三条の廃鉱に該当するものとなすには、該硬山が右説示の如く鉱業法の適用を必要とする程度の状態のものであるか否かに付て、充分の審理判断をしなければならない、しかるに此点に関する原審の判示は頗る不充分である、殊に前記原判示の如く其採掘は鶴嘴スコップ等を使用して小規模に行い、其選別も簡単なスクリーンの様な器具を使用して居るに過ぎない様なものならば、鉱業法の適用など不必要なのではないかと思わせるふしも相当あるから原審は此点に付て充分の審理をしなければならない、原判決は審理不尽若しくは理由不備の違法あるものというの外なく、論旨は理由がある、よつて民事訴訟法第四〇七条により主文の如く判決する。
以上は裁判官全員一致の意見である。
(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上 登 裁判官 庄野理一 裁判官 島 保 裁判官 河村又介)