最高裁判所第三小法廷 昭和24年(れ)1235号 判決 1949年11月22日
主文
原判決を破毀する。
本件を名古屋高等裁判所に差戻す。
理由
弁護人鍜冶利一同新家猛の上告趣意は、末尾に添えた書面記載の通りである。
記録を調べてみると、被告人の原審弁護人山田丈夫は、昭和二三年一二月二日の原審公判において医師後藤厳の証人訊問を請求したところ、原審は、昭和二四年一月一八日公判において、留保にかゝる右証人訊問の請求を却下する決定を言渡しながら、原判決において被害者明野準一郎に対する傷害の部位程度を認定するにつき医師後藤厳の診断書を証拠として引用していること明らかである。医師が過去において診察した被害者の傷害の部位程度を記載した診断書は、刑訴應急措置法第一二條第一項に規定する証人その他の者の供述を録取し、書類に代わるべき書類に当ることはいうまでもないところである。そして、同條にいう「被告人の請求」には弁護人の請求をも含むことは、すでに当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第八四号同二三年四月二一日大法廷判決)によって明らかである。しかるに、原審は、前記診断書の作成者である医師後藤厳に対し公判期日において訊問する機会を被告人に与えないで、右診断書を証拠としたのであるから、原判決は同條第一項本文にまさしく違反するものと言わなければならない。もっとも、医師の作成した診断書のごとき書面は、新刑事訴訟法の下においては同法第三二三條第二号若しくは第三号に当る書面として、その作成者を公判期日において訊問しないでも、これを証拠とすることができるのではないかとの問題を生ずるが、本件は、刑訴施行法第二條により旧刑訴法及び刑訴応急措置法の適用があるいわゆる旧事件であるから、新刑訴法の規定によるわけにはいかない。記録によると、医師後藤厳は、高山市に開業していることが明らかであるから、同人を原審の所在地名古屋市に喚問することは、医師の業務に相当の影響を及ぼすことはもちろんであるが、それだからといって、刑訴応急措置法第一二條第一項但書にいう作成者を公判期日において訊問する機会を被告人に「与えることができず、又は著しく困難な場合」に当ると認めることもできない。それゆえ、本件は、右但書に規定する場合にも当らないのである。されば原審が前記診断書を証拠としたことは、刑訴応急措置法第一二條第一項の規定に違反したものであって、論旨は理由があり、原判決はこの点において破毀を免かれない。
よって、その他の点に関する論旨については判断を省略し、旧刑訴第四四八條ノ二に從い、主文の通り判決する。
以上は、当小法廷裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)