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最高裁判所第三小法廷 昭和25年(れ)1291号 判決 1950年12月19日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人林頼三郎の上告趣意は添付別紙記載のとおりである。

第一点に対する判断

公判請求書の記載によると「……昭和二三年二月一九日、二〇日の両日前後七回に亘り一般公衆六千余名の面前である甲府市春日町映画館甲宝劇場舞台上に於て「肉体の宿」と称する演芸出演に際し全面を暗黒とした上劣情を催す如き全裸体となり其の局部辺に照明を集中して露出せる局部を観覧に供し以て公然猥褻の行為を為し……」と近接して行われた同一場所における同一内容の公然猥褻という七個の起訴事実について、日時、場所、方法を明らかにして犯罪事実を特定して示しているのである、なるほど右記載には所論のように犯行の時間、回次までは摘示していない、そして又本件記録によってみると所論のように八回の上演があったことはわかるが、所論八回の中第二日目の第三回目一回は局部を露出しなかったので局部を露出したのは他の七回だというのである、しかして局部を露出した事実が起訴状の公訴事実中に記載してあるから右局部を露出した七回が起訴されたので露出しなかった一回が起訴されなかったものであること明らかである、されば本件公訴請求書の記載として前記の程度を以て足るものということが出来る、しかも記録によれば右起訴された七個の事実の時間の点についても検事が原審公判において公訴事実を右時間の点を明示した一審判決摘示事実に基いて述べて指摘し、更に所論釈明をも加えている、しかして右陳述乃至釈明は本件公訴事実の同一性を害さない範囲内でその趣意を明らかにしたものというべきである、従って所論は理由がない。

第二に対する判断

被告事件の陳述は必ずしも公判請求書に基かなければならないということはない、同一性を害しない限り第一審判決摘示事実に基いてこれを為しても差支えない、そして本件において右両者の間に同一性を欠くことはないから論旨は理由がない。

第三点に対する判断

(一)原審挙示の証拠殊に長田実年及佐藤喜久子に対する検事の聴取書の記載によれば右喜久子が全裸となった時照明が其身体を照して居たことがわかる、然る以上証拠中に特に「集中」という文句がないからといって罪となるべき事実の認定に影響はない(二)犯罪の日時はそれが特に要件となって居る場合の外犯行の同一性を特定するに足る程度に判示すれば足りるのである、犯罪の日時は罪となるべき事実ではないから証拠によってこれを説明する必要はない、それ故論旨は理由がない。

第四点に対する判断

所論判例は単一犯罪を認めたのであって所論の様な連続犯の理論を認めたのではない、本件の場合一回の出演中に数度裸体となったというならば或は右判例の場合に当るかも知れないけれどもそうではなくして前後七回各異る多数の観客の前に別個独立の演劇行為をしたのであるから七個の独立の犯罪があったものというに差支えない、刑法第五五条がなくなった今日所謂意思継続があったからといってそれだけで一罪として処断しなければならないということはない、論旨は採用し難い。

よって旧刑訴四四六条に従って主文の如く判決する。

この判決は裁判官全員一致の意見である。

(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上登 裁判官 島 保)

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