最高裁判所第三小法廷 昭和26年(オ)94号 判決 1953年7月22日
東京都荒川区南千住町三丁目六五番地
上告人
田中晴之助
右訴訟代理人弁護士
林利男
佐々木秀雄
同都同区同町三丁目一〇七番地
被上告人
岩井鴻一
右当事者間の土地明渡請求事件について、東京高等裁判所が昭和二五年一二月二六日言渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
論旨は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号乃至三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。(論旨第五点の違憲の主張は、原審で主張されなかつた事実を前提とするものであるから採用できない。)
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井上登 裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)
昭和二六年(オ)第九四号
上告人 田中晴之助
被上告人 岩井鴻一
上告代理人弁護士林利男、同佐々木秀雄の上告理由
第一点
原判決は争点を遺脱して判断を遺脱した違法がある。
即ち上告人(原審控訴人以下同じ)は原審に於いて「原審判決事実摘示の通り第一審における口頭弁論の結果を陳述した(昭和二十五年四月二十二日口頭弁論調書御参照)のであり第一判決の事実摘旨によれば上告人(第一審被告)は抗弁として「原告は昭和二十年三月九日より同年十一月迄の間に訴外石川に対し本件土地の借地権を抛棄したものであると述べた。」旨の記載がある(第一審判決御参照)。
即ち上告人は原審に於いて被上告人が本件土地の借地横を抛棄したこと、及び借地権を合意解除したことを主張したことが明かである。
然るに原判決はその理由に於いて、「然らば岩井ぬいは本件土地の返地賃貸借の合意解除の申出につき被控訴人から代理権を与へられた事実もなく又控訴人主張の様な返地賃貸借の合意解除の申出をなした事実もないこと前段認定によつて明かであるから控訴人の抗弁は理由はない。」として単に上告人の本件土地の賃貸借の合意解除の抗弁についてのみ判断して、借地権抛棄の点について何等の判断をしていない。
そして事実摘示の点についても原判決は右借地権抛棄の抗弁を記載していないのである。
右の次第であるから、原判決は争点を遺脱し、判断を遺脱した違法がある。
第二点 更に原判決は判断を遺脱したか、釈明権を行使しないか、又は審理を尽さなかつた違法がある。
即ち上告人は、その控訴状に於いて、控訴申立の理由として
一、本件繋争土地に対しては、昭和二十年十一月以前に被控訴人の留守中被控訴人の財産を管理していた其の母岩井ねいは、被控訴人に代り借地権を抛棄したものである。
証人の証言が右抛棄の日時について、多少相違する点があるとしても、控訴人は真実借地人たる被控訴人が借地権を抛棄した事実を確かめた上、前地主石川充通から昭和二十二年七月四日本件土地を含む二百八十八坪四合一勺を買取つたものであり、而して罹災都市借地借家臨時処理法の理念は元来戦災前の住居者を保護せんとするにあり、本件の如く被控訴人は他に住居を有し、本件地上にあつた建物は貸倉庫であつて、併かも戦災後は土地使用の意思なき旨を表示し置き乍ら、今日に至つて借地権の価値を生じて来た関係から現に第三者東京城北林産組合が使用中の本件土地の引渡を求めることは、民法第一条の趣旨に反するものである。」
と記載している。
これは上告人の抗弁として必ずしも明白であるとは言へないが、その第一項は被上告人が借地権抛棄の意思表示をしたこと、仮りに明示の借地権の抛棄がなかつたとしても暗黙の間に借地権の抛棄をしたこと、仮りに借地権の抛棄をしないで被上告人が形の上で借地権を有しているとしても、そのことを以つて直ちに本件土地の引渡を求めることは正しく借地権の濫用であつて法律上許さるべきものでないと言ふ主張を含んでいることは、客易に看取できることである。
然るに原審判決は、軽卒にもこの点を看過して合意解除したと言う点についてだけ判断して、借地権抛棄の抗弁や、権利濫用の抗弁については何等の判断もしていない。
若し右控訴申立の理由だけでは、はつきりとそのような抗弁であると言へないと言うならば、原審はよろしくこの点について釈明権を行使して判断しなければならないものと信ずる。
従つて原判決は判断を遺脱したか釈明権不行使があり又は審理を尽さない違法があると言はねばならない。
第三点 原判決は事実を誤認したか法令の解釈を誤つた違法がある。
即ち原判決は
「原審並に当審証人関根虎之助、酒井順次、田中美津江、原審証人岩井ぬい、当審証人石川充通、森田富子、当審に於ける被控訴人の各供述(但し各保述中後記の認定に牴触する部分を除く)を綜合すれば次の事実が真相であると認められる。即ち被控訴人先代喜一郎は本件土地上の建物に於いて燃料業を営み喜一郎死亡後はこれが家督相続をした被控人は右営業を承継したところ昭和十九年十月応召となり昭和二十二年四月復員した事実、被控訴人が応召した当時は月収四、五千円位で生計費二、三百円を賄うに充分であり留守中の財産の管理は母ぬいに委託しぬいに被控訴人に代つて財産を管理し家賃の取立地代(本件の分も含む)の支払い等もしていた事実被控訴人の家族は被控訴人の応召後富山県射水郡小杉村へ疎開し昭和二十一年四月上京した事実、控訴人は本件土地上の建物が昭和二十年三月九日空襲に依つて焼失しその後被控訴人家に於て之が使用を開始する模様も見へないので長女田中美津江をして地主石井充通の土地管理人関根虎之助に対し賃借の交渉をさせたところ関根に於いては若し被控訴人が返地を承諾し本件土地の合意解除をすることを申出でるにおいてはこれに応じ控訴人に賃貸する内意を表明したので田中美津江は被控訴人に交渉の上返地の承諾を求めんとしたが当時被控訴人家は前記の通り疎開していてその住所も判明せず知人の酒井順次にこれが住所の調査並びに右交渉を依頼し酒井順次は被控訴人の同業者から漸く被控訴人の家族の疎開先を確め昭和二十年十月頃再度に亘り書面で本件土地を賃借するの意思があるか否かを問合せたところ何等の応答なかつた事実
昭和二十一年五月酒井順次が偶然株式会社富士銀行三ノ輪支店で岩井ぬいに面会したとき返地の交渉をしところ、ぬいは当時被控訴人が未だ帰還しなかつたのでその真意を測り難い理由ではつきりした返事をせず引続き本件土地を使用するとも言明せず曖昧な態度であつた事実
酒井順次は以上の経過から被控訴人に於ては強いて返地を拒むものではないと有利に速断し田中美津江に対して被控訴人に於いて返地に異議がないと報告したため本件土地の使用を切望していた控訴人は充分の調査もなさず以上の報告を信じ地主石川充通の管理人関根も同様これを信じて石川から控訴人に売渡された事実被控訴人が応召する際家族の生計費はその財産の収益で支弁して尚余りある状態であつたので留守中ぬいに対しては単に財産の保存管理を託したに留り財産処分の代理権を与へたものでない事実が認められる
原審並に当審証人関根虎之助、酒井順次、田中美津江の各供述中以上の認定に反する部分は採用しない
その他控訴人の立証に依るも以上の認定を覆して控訴人の主張事実を認めしめるに足りない
然らば岩井ぬいが本件土地の返地賃貸借の合意解除の申出につき被控訴人から代理権を与へられた事実もなく又控訴人主張のような返地賃貸借の合意解除の申出をなした事実もないこと前段認定によつて明かであるから控訴人の抗弁は理由がない
そして罹災都市借地借家臨時処理法第十条に依れば被控訴人はその借地権を控訴人に対抗できるから被控訴人の本訴請求は理由がある。」
として被上告人の請求を認客したのである。
然し原審は左の重要な点で事実を誤認している。
1、第一審並に原審証人酒井順次の証言中に昭和二十年十月頃同人が岩井ぬいに対し本件土地の返地の件で書面で交渉したときぬいは返事を与えなかつたことは原判決認定の通りであるが、酒井順次が昭和二十一年五月頃前記銀行支店でぬいに面会して本件土地のことを交渉したところ「ぬいは自分の方ではないから別に返事を出さなかつた旨答へた」と証言している。(第一審に於ける証人酒井順次訊問調書中第四項原審に於ける同証人訊問調書中第四項御参照)当時は東京に於ては戦災の余燼未だ去らず、戦災によつて打ちのめされ地方に疎開している者は自分の住宅の建設など思いもよらず預貯金を有する者は封鎖されて月々引出せる金銭では生計を賄うに足りない状態であつたから貸家を持つていた者がその跡へ貸家を建築することなど夢にも考えなかつた当時であり、被上告人は本件地上に倉庫一棟と物置一棟を建設して(甲第四号証記録第八丁御参照)いて住所は現在の住所にあつたからぬいが本件土地を使はないと言つたことは当時の社会状勢上から容易に判断できるのである。原審はこの証言を採用しないといつて排斥しているがこれは一般公知の事実に眼を覆うものであり、且つ酒井順次が若しもいゝ加減に返地しないのを返地したと言つて田中美津江に報告したものでないこともでその前二回に亘つて書面で問合はせて返事がなかつた為めに更にぬいに面会した際に確かめたことによつても明かで、酒井が原判決記載のように「被控訴人に於いては強いて返地を拒むものではないと有利に速断した」と断ずることが速断であると信ずる。
2、上告人が応召する際留守中ぬいに対して単に財産管理を託したに止まり財産を処分する代理権を与へたものでない事実、本件土地の返地賃貸借の合意解除の申出につき代理権を与へられた事実がなかつた」と認定しているが。被上告人は応召によつて民法第二十五条所定の不在者となつた者で、ぬいは被上告人の財産管理人となつたものであることは言を俟たない。ぬいは被上告人から賃借権の処分に関して委任を受けたと言うことが明かでないから、その処分をなすについては民法第二十八条の規定に基いて裁判所の許可を得なければならないが、第三者である上告人並に前地主石川充通はぬいが代理権を有すると信ずべき正当の理由を有していたのであるから被上告人としてはぬいの表見代理行為についてその責に任じて賃借権消滅の効果を甘受しなければならない。
然るに原判決はぬいに代理権が与えられていなかつたと言ふ理由で上告人の主張を排斥したのは失当である。
第四点 仮りに以上が理由がないとしても原判決は法律の適用を誤つた遠法がある。
即ち原判決が認定したように昭和二十一年五月頃酒井順次がぬいに前記銀行支店で面会したときにぬいに対して返地の交渉をした際ぬいがはつきりした答をせず、引続き使用するとも又返地するとも言明せず曖昧な態度であつたとしても、酒井順次の返地の交渉は罹災都市借地借家臨時処理法施行後は同法第十二条所定の催告の効果を生じたと言はなければならない。そしてぬいは被上告人の代理人としてその催告を受領する権限があると言はねばならない。従つて若し被上告人に於いて引続き本件土地の借地権を存続させる意思があればその旨を地主に申出でなければならなかつたがぬいも被上告人も同法施行後一年有余放任して地代も支払はなかつたのであるから少くとも昭和二十一年中には被上告人の借地権は消滅したものと言はねばならない。
若し右返地の交渉を受ける権限をぬいが有しなかつたとしても、被上告人は昭和二十二年四月復員して(原審に於ける被控訴人本人訊問調書第七項)来て、本件土地の返地の話を受けたことをぬいから聞いている(同調書第十六項)から、この時から、一ケ月以上経過した同年六月中に借地権を存続させたい旨の申出をしないばかりでなく地代も支払つていなかつたから昭和二十二年六月中少くとも同年中には本件土地の借地権は消滅したと言はなければならない。
上告人は原審においてこの点詳細に主張していないが、要するに被上告人が本件土地の借地権を有しないと言ふ主張をしているのであるから、原審はよろしくこの点についても審理判断すべきものであつたにもかゝわらず、事茲に出でずして被上告人の請求を認客したのは法律の解釈適用を誤つた違法がある。
第五点 仮りに百尺 頭百歩譲つて罹災都市借地借家臨処時理法第十二条の催告は同法施行後に一ケ月以上の期間を定めてその期間内に、借地権を存続させる意思があるか否かを催告しなければならないと言う趣旨であるとすれば、同条は借地権者を不当に保護し土地所有者の利益を不当に圧迫するものであつて憲法第十二条及び第二十九条に違反するものである。
即ち民法第一は右憲法の規定を更に詳細に規定して、私権は公共の福祉に遵い権利の行使及び義務の履行は信義に従ひ誠実に之を為すことを要すとしている。
罹災地借地借家臨時処理法は新憲法施行前に施行されたもので罹災都市の急速な復興と借地借家関係の調整を目途としたものであるにもかゝわらず、同法第十二条は著しく借地人の保護に厚過ぎる。これは借地権を存続させる意思ある借地人は誠実に支払うべき地代を支払い、その意思のあることを申出でたときは借地権を存続させることができると言うように規定すべきであつた。そうしないと土地地代も支払はず、住所も知らせない借地人が第三者又は土地所有者がその土地上に家屋を建築してから偶同法第十一条第十二条の規定があることを苛貨として真実その借地を使用する意思がないのに借地権を有すると称して建物収去土地明渡の請求をして土地使用者を困却させている実状であることは裁判上に表はれた最も顕著なことで、真面目な借地人誠実な借地人は仮令同法第十二条所定の期間内であつても右のような請求をしないことは通例である。
罹災当時は勿論罹災地を使用する意思がなく殆んど借地権を暗黙の間に抛棄する意思であつたものが同法が施行されてからそして借地権が騰貴してから土地明渡請求訴訟が激増したため罹災地の復興を著しく阻害していて識者の間に同法が悪法であると批難されていることを以ても右法律は憲法違反のものであることが容易に首肯できる。
従つて同法を適用して被上告人に勝訴の言渡をした原判決である。
右の次第につき右判決を破棄さるべきものと信する。
以上