最高裁判所第三小法廷 昭和27年(オ)303号 判決
所論の要旨とするところは、上告人が本件訴において請求の趣旨に掲げる主文の判決を求める理由は、昭和二三年六月一九日衆議院及び参議院が教育勅語等の失効確認に関する決議をしたのは、これによつて教育勅語等が憲法九八条一項にいわゆる憲法の条規に違反する詔勅に該当するものとし、憲法施行と同時にその効力を失つたことを確認する趣旨と認められるが、このような決議は、教育勅語等の性質からいつて、決議自体憲法に違反するものであり、上告人はこれがため基本的人権を侵害されその生命にも拘わるべき著しき有形無形の損害を受けたという趣旨に帰するものと解せられる。しかしながらわが国現行の裁判制度は、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができる趣旨であることは当裁判所大法廷のすでに判示するところである(昭和二七年(マ)第二三号同年一〇月八日大法廷判決、民集六巻九号七八三項参照)。すなわちわが国の裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判する権限を有するものであるが(裁判所法三条)、その法律上の争訟とは、当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、且つそれが法律の適用によつて終局的に解決し得べきものであることを要するのである。しかるに上告人が本件において訴権の存在を主張する具体的利益というのは、論旨に従えば結局上告人の主観的意見又は感情に基く精神的不満であつて、これらをもつて裁判所に訴を提起するための要件たる上告人の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争の存在を認めることはできない。のみならず上告人が本件訴において請求の趣旨として掲げるところは、衆参両院が専ら道義的又は政治的の見地から自ら決すべき問題であつて、裁判所が法律の適用によつて終局的に解決し得べき事項ではなく、これまた裁判所の権限に属するものと認めることはできない。以上説明のとおり本件訴がすでに不適法であるから、上告理由が原判決の違憲を主張する趣旨としても、これを判断するまでもなく、原判決は正当であつて論旨は理由はない。
その他の論旨は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」一号ないし三号のいずれにも当らず、また法令の解釈に関する重要な主張を含むものと認められない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 井上登 島保 河村又介 小林俊三 本村善太郎)
上告人の上告理由
其一、本件に対する第一、二審の裁判は其判決言渡其他審理上の手続規定に於ては或は適法なるやも計れざるも、其実質に到りては全然新憲法下の裁判としての温情も正義に対する熱情も之を発見するを得ず、只々上告人(原告控訴人)の本件提訴を如何にして却下するかに専念せられ、之れが却下、棄却を条文を示して判決せられたるに不過さる裁判と申すの他無く、係裁判官諸公の職責は一応果された形ではありますが、原告も被告も何等関心の無き裁判所単独の裁判と申すの他なく、上告人の極言を許されますならば之れは裁判所自ら裁判権を抛棄せられたるものであつて、民主政治の下に於ける洵に悲しむべき第一、二審裁判所の態度であると申すの他ありませぬ。即ち第一審裁判所は書面上の審理とは言へ原告の訴状審訊に注視せられ、判決文に於て提訴の趣旨を採り揚げられたる労を多と致しますけれ共、政治の問題、倫理、道徳の問題、具体的利益、即ち損害の補償等を伴はない訴として之を斥けられたるのみならず、憲法上の解釈に言及を避けられ、尚且つ国家最高権威機関たる国会に遠慮畏縮せられおることは其原告一方のみの審訊書面審理のみに局限せられある丈にても之を観取することが出来るのであります。
第二審裁判所は国会に対し、口頭弁論期日を指定し制規の呼出状を送達せられ、口頭弁論開始の態勢を整へ、司法権の威信を示して下さいましたがなれ共、相手方国会の不出頭に逢ふや其初回口頭弁論期日に於て逸速く終審を宣せられ、爾来満二ケ年間裁判所の机上に堆積せられ、満二ケ年目突如として第一審支持の裁判を宣告せられたる次第であつてみますれば、本件が如何に第一、二審裁判所に於て厄介視されつゝあつたかは其の記録と述上の事実に徴して明白なるところであります。如斯き第一、二審裁判に於て本件が原告、控訴人の必死の提訴なることを認容せられんことを願ふもそは到底不可能の事でありまして、終審、且つ違憲法令審査権を有せらるゝ最高裁判所に於かせらましては上告人の本件提訴に就き、十二分の御理解と温情とを垂れ給ひますやう切願するの他ありませぬ。
曾つて最高裁判所は一女性の刑事責任に就き大なる法の慈悲を示され、天下の民心耳目を聳動せしめられ国会の法務委員との間には論議すら交されたことを記憶するものでありますが、本件上告人の置かれたる立場は全く狂へる迷える一匹の羊の如き存在であり、時代に取残されたる廃人とも評さるゝか、秋の水田の水を落した窪みにあへぐ一尾の鯉魚の如き命危ふき風前の燈火的存在でありまして、本上告審の判定如何は上告人の生死を制する重大問題であることを御観取賜り度いのであります。
其二、本件が日本国憲法第九十八条の規定に拠り排除に相当する勅語なりや否やは全く憲法成文即ち法律上の解釈に属するのでありまして、索いては政治原理憲法前文に示されたる宣言、今上天皇陛下の憲法発布の際に於ける勅語、日本国憲法公布記念式典に下し給ひし勅語を経て明治憲法並に歴代天皇御統治の大法皇祖皇宗の御治蹟より神代天照大神の神勅に遡及すべき大きな問題であり、新憲法の制定により国体の変革を唱導する法学者、水は流れても川は流れざる如く、日本国体に変革なしと主張する憲法学者既に日本国亡びたりと叫ぶ主義者の一群、日本永遠に亡ぶることなしと信ずる神勅信奉者等々学説、主義、主張は各自の研究、学説に委ねると致しまするも委ねることの出来ないのは裁判権でありまして、この憲法上の解釈は最高裁判所の違憲法令審査権の発動に基く判断に心服するの他は民主国に於ける最高、最終、最極解決の途は他にないのでありまするが故に本提訴に及んで居るのでありまして、之れが無効宣言を決議し、之に賛成した国会議員は牴触すると解し上告人並に上告人と惟を一にする同志は牴触しないと解しまするが故に新憲法上牴触しない勅語を牴触するとして無効宣言決議する。その決議それ自体が憲法違反の決議であると主張するのでありまして決議の形式が憲法条規に照して違背云々議院規則によりて云々では勿論ないのでありまして、憲法条文に基き正しい存在の勅語を正しくない即ち失効して居ると決議して其決議によりて行政府でその如く処分行為を完了し、国民又国家の最高機関が無効宣言を決議したものは既に失効したものと誤認し又誤認せしめんとし、又する虞ある決議内容それ自体が憲法に違背した決議であるから、憲法の番人である最高裁判所では之れが違憲を判定し侵されざりし状態に復帰せしめらるべきであると信じ、それの如き判決を求めて居るのでありまして、復帰した以後の勅語が従前の如く学校講堂に於て捧読せらるゝや、せられざるやは一に文部行政に属することにして、私共はこれに容啄すべき権限をもちませぬ故、論及も致しませぬがこれ等は一に之を奉戴する教育者の自主的判断によりて決するであらふ。其後の処遇方法如何の問題でありますが、教育即国民教育、皇室教育君民一体の教育惟神大道教育に関する勅語に示させ給ふ教訓は全日本永遠より永遠に亘る教育全人類永遠東西と貫通する大教典でありますること如説の如くであります。以上無効宣言決議の取消を宣せられたる最高裁判所の判決の効果はこの大光明的教典にかけられたる一点の、一塊の、一抹の暗黒妖雲を払拭して元々の明朗なる大光明を仰ぐことゝなるのでありまして、日本民族並びに世界人類の一大歓喜を招来し、誤れる日本人の為めに加へられたる国民的侮辱を自らの力によりて取除くことゝなるのであります。
実なる哉、新憲法制定当時よりの教育勅語に対する国会論議より教育基本法制定に到るまでの政府当路の国務大臣、文部行政長官等歴代政治責任者が異口同音新憲法制定公布施行せらるゝも教育基本法制定実施せらるゝも教育勅語の効力に何等の変化なしと答弁せられ、我等又其の如く信奉して参つたのでありましたが、三派聯立の芦田内閣に於て森戸文部大臣、赤色国会議員の一聯の非日活動分子によりて遂に有史以来この教典に対する一大汚辱、国辱を表白することゝなつたのは占領下の日本上下混乱の日本、過去十有余年の実戦に疲労困憊したる国民精神の馳緩に乗じて反逆的、兇惨分子の為めにする暴戻であつたことは占領解除後の今日の日本より顧り視ますとき判然と首肯せらるゝのであります。即ち信頼と和解に基く日本、阿米利加講和条約の締結これに伴ふ日米行政協定に現はれたる一聯の政治足蹟はこの事実を有弁に立証するものでありまして、仮りに二十有余万の追放処分に該当せる忠良なりし諸士が今日殆ど解除せられ、国際軍事裁判所の判決被執行者之亦遠からず解放せらるゝであらふこと必定なる今日、赤魔分子によりて追放的形の裡に余儀なき取扱ひを受けつゝある日本の基君民一致の礎日本国民の造次にも顛沛にも忘るゝことの出来ない日夜拳々服膺尚之れ足らざるをうらむことあるべき教育に関する勅語に示されたる日本国国教典の追放解除を平和条約発効第一の一大盛事として我民主憲法護法の神たる最高裁判所田中長官初め十四名の裁判官諸公の旧日本帝国憲法下大審院の中外に示して永遠不朽の栄冠を伝承せられたる護法の栄冠を今こそ誇示賜ふて赤魔の遠謀を根底より粉砕し、金権の前に戦く日本八千万同胞にこの護国の精神を取戻させ給ふやう熱願するものでありまして、要するところは前者の解釈は実に昭和二十三年六月十九日の教育勅語等の失効確認に関する決議てふ、決議文に示されたる通りでありまして立法府のこの宣言により文部行政の処分行為は完了し全国各地の学校又は公共団体に交附ありたる教育勅語の謄本は文部省に回収せられ、或は焼却せらるゝに到つたのであります。
嗚呼、我等の魂の故郷、懐しの学校教壇より荘重にして威信に満ちたあの大地をうつ槌はよしやはづるゝともこの聖訓のはづるゝことあらじ、と教へ導かれたる教育勅語はこの日以後一応追放処分に逢つたのであります。赤色文部大臣赤色国会議員の暴戻これより大なるは無く、又之れを今日まで取消し得ざる国会議員のこの教典に対する熱愛なくその認識の不足、其無能亦驚き入りたる次第と申すの他なく、この道皇祖皇宗の遺訓吾等祖先の遺蹟、国体精華の大道追放せられて五年、終戦以来の教育国民精神の馳緩、喪失、虚脱、困迷、彷徨は、占領解除、日米平和条約発効を楔機とでもしたと申しまするか一時に激発して参りまして、今日我が政治機関挙げての治安対策となつて現はれて参りました。上告人は断言致します。六十有余年の古、人皇百二十二代盛徳鴻業三千年、国史に冠たる英聖文武なる明治神霊の御聖慮より日本三千年の国史の成蹟を審かにし、当時文明開化に酔ひ泰西文明に幻惑して居た私共の先輩を誡め、我々子孫永遠の福祉を念じ給ひ、日本国民永遠の大道として徳目を細分し「咸一其徳」の大御心より神霊並に子孫と我等並に我等の子孫と倶に共に拳々服膺を垂訓賜りましたる人類共通の大聖典、全人類の至宝であるこの大御勅語を一政治情勢の要求にすぎざる教育基本法と対照して無効宣言、失効宣言等と、いとも叮重なる議決而も国権の最高権威機関の名を冠して誇大に公告致せし如きは今日治安の対策に腐心ある朝野人士の教育勅語の取扱方に対する何よりも覚醒せらるべき一大失政、重大過誤であつたことに気付かれることであらふと思ひます。
この生々しき眼前の大教訓を前にしても尚且つこの大教典に帰順帰参するの赤誠湧起せざる思潮の趨くところは明々白々日本国民精神は分裂し、ソ聯を祖国視する者、米国に心を売る者の陣営に走り、遂には今上聖帝の御盛徳を以てするも十五個師の兵力に相当する稜威を保有し給ふとの米将軍の讃仰も両陣営より浸入する怒濤、激浪には一時緩衝地帯に御僻陰を願ふ他無き事態に立ち到らんも計り知るべからず、私共の想像するだに怖るべき事態に突入する危険あるやを虞るゝのであります。この世界の関ケ原陣後に於て日本国果して独立の光栄を有する主権国たり得ませうや、予言者ならざる私共は予言は出来ませぬけれ共、天運は必ず実現して居るでありませう。日本国家亡ぶとも日本国民は存在する等と申して国家主義者を誹謗する社会主義的超国家的イデオロギーの持主には断じて組し得ないところでありまして、日本国亡びては日本人も日本文化も美しき日本の山河も明媚なる風光も、もはやないのであります。
それ等はすべて他国のものと化し、世界史に「サヨナラ」して居る浮浪の動物である丈けであらふと思ひます。
戦後忠良なる国家、皇室、国民を想ふ日本の中心勢力人物並に之と惟を一にする大多数の国民を追放し、冷遇し、困窮せしめて共産主義者、誤れる自由主義者、第三国非日活動分子、闇成金、火事泥式名士の擡頭は今日の社会を国家を形成し右往左往帰一するところなき日本の現状勢中にあるのでありますが、之を既往自主日本に還元する者は象徴天皇を中心と仰ぎ、教育勅語に示させ給ふ日本国民精神、国民思想の振起、昂揚の他、他の何物でもないと云ふことを確信以て断言する者であります。
かゝる信念、信仰より此決議は教育基本法に対照せられ、憲法第九十八条に所謂詔勅に触れ、更に日本国憲法前文に所謂人類普遍の原理により制定可決せられたと云ふ新憲法の基本原理に溯つて解決せらるべき憲法上の一大解釈を必要とする詔勅でありまして、一片の失効宣言決議を以てし或は其時々この政治情勢に余儀なくせられて立法せらるゝ多数党の政治勢力によりて成立する法律命令の如く軽々に取扱はるべき性質のものでないと思考致します。旧憲法施行治下に於ける副署なき詔勅なるに於ておやであります。
其三、本訴が利益なければ訴権なしの民訴の原則に悖るものにあらざること。
第一、二審共原告、控訴人の具体的利益の伴はない唯単に憲法の解釈を求めて居るにすぎないとの判示でありますが、これはとんでもない誤審であります。上告人の如くこの聖訓を以て日本国国教典と仰ぎ、全世界人類普遍の道徳、倫理、宗教、芸術即天地の公道人倫の常径を説かせ給ふ大教典として信奉し、而も之れが世界的伝導を行はんことを期して居ります者にとりましては如此無効宣言決議は死刑宣告にも相当する決議であり人権の侵害、国民精神の侮辱これより大なるは無しと申すの他ありませぬ。
湯川博士に対する国会の感謝決議は同博士の名誉の国民的裏書なるのみならず、全国民一人一人が蒙るべき名誉の決議でありますやうに、この失効宣言決議は国民一人一人を自ら侮辱する汚辱的決議であり、而も之を他国他民族共通の聖典なる確認の下に世界的伝導を発念し勇奮し敗戦後尚且この志願を抛擲し得ざる上告人にとりましては全く致命的決議であることは何人も疑ふ余地なきところであらふと思ひます。この侮辱この前途の障害を如何にして排除するか、何よりも先づ第一に国会のこの不当決議の取消を求むるの他に法的途はないのみならず、天皇、国会に対する請願により回復取消等の政治手段は第二次手段たるを感得するのでありまして、私共は司法権に対し先づ国会のこの決議の不当を指摘し、これを排除せらるべく法の救助を求めつゝあるのであります。
第一、二審裁判所は精神生活に及ぼす人権の侵害を慮外せられ、具体的損害は金銭、物件、財宝の得喪変更等に狭き解釈を採らるゝ結果判示の如き裁判となつて現はるゝのであつて其裁判に対する上訴書にも指摘致しましたる如く、文化人の法益は金銭、財宝、物件の得喪変更等の損害に留まらず名誉、自由、身体等は更なり無形の損害、精神上の痛苦、国民的侮辱、栄誉等々拡大強化されつゝあると云ふことが出来るのでありまして、本教育勅語の無効宣言を国会の決議に詳知した上告人はその秋以来全く生きた心地とては無き其日、其日を送つて居るのでありまして、万一終局裁判に於てもこれが不敬と汚辱を拭掃し得られず、今上聖帝へ対し奉る請願、国会に対する請願、各権力機関への建白等々の政治対策の途亦摂り得ざる境遇に立到らんか、自分の生涯は遂に自滅するの他なきを想像致しますとき、私自身に摂りましては生死に拘はる重大問題であります。天賦人権を享有する一個の自然人が人権の保護厚き日本国憲法治下の一民主国民が如此悶への裡に苦悩し、この解決を其解決機関に訴へて救済を求めんとすることは法治国民の採るべき途である本件訴如斯顕著なる訴の利益は他にないであらふと思考するものであります。この事は全く私情であり、上告人天賦の無能力にも基因するのでありまして、本勅語の運命には何等直接の係りはないのでありますが、齢十歳にして此の聖訓に触れ、二十歳にして学に志し三十歳にしてこの大教典の全世界的拡宣を志念致しましたる上告人は、満洲事変以来の国家の変動は悉皆身を以て体験し、昭和二十年五月二十日のB二十九、五百機の帝都来襲には十余年住み馴れた陋屋も灰燼と帰し、それまで精神国防、国土防衛に精進致して銃後の任務に忠実なりし自分の活動の本拠を失ひては其術なく、現住に移転しこの罹災により第一線勇士への申訳相立ちたるもの自分は四十五歳を一期として死亡したものと諦観し、孤立無援、爾来食糧難より一大インフレの経済界、聯合軍占領下の国辱裡に独慎を以て今上天皇終戦の詔を奉して敢闘しつゝあります所以のものは、この教典に示させ給ふ一旦緩急護国義勇奉公の精神に勇奮するが故であります。一旦緩急義勇奉公の聖訓が戦時のみに限定せらるゝものに非ずとの解釈を採ります上告人は、三千年の国史に未だ曾て無き他国軍隊に拠る占領下等と云ふ事態はこれこそ一旦緩急の場合であると覚信するのでありまして、護国の神々が国家危急の場合に於て戦時たると平時たるとを不問、殉国の赤誠を表白して居りますことは皇国々体の精華と明治神霊は教へ賜つて居るのでありまして、この国体の精華を汚し傷けんとするものあるとき、我等は敢然起つて之を撃滅するに非ざれば何を以てか明治神霊の聖訓を奉戴する日本臣民の子孫なり等と申すことが出来ませうや、浅学菲才、薄福、小徳なる自分乍ら明治神霊の御聖訓に忠ならんと致します以上この天関は打開しなければ申訳相立たぬのであります。
今日、在日朝鮮青年も日本共産主義徒党も破壊活動を為し乍ら夫婦歓合の喜びを歓び、幾人かの子女を撫養し乍ら其生を楽み、国恩、皇恩、祖恩を思はざる非日活動を続けつゝありまするが如き、皇国日本看板の塗替へられた民主々義国日本は実に世界の楽園であり、エデンの園もかくやと想はしむるユートピア、パラダイスであるのでありまするが、実に不思議な国、不可商量の国、解釈のつかぬ国と申せば申されませうか、かゝる環境の裡に極端ならざる国家主義者を以て自ら任ずる上告人は、齢五十歳の今日、この聖訓を奉行し奉らんとする赤き直き誠の心の外何物をも無き境涯で御座います。自分一個は五十年無能の所産と致して天下万民の冷笑に附せらるゝも之を甘受すべきでありますが、曩きに戦後八年目漸く形式丈けの国家主催の慰霊の祭壇に立たれたる百七十万の靖国の祭神、七十万の戦災亡霊、否北清、日清、日露は更なり、七百年前の元寇の役等々国家事変に斃れたる有史以来の護国の英霊、克ク忠ニ克ク孝ニ国体の精華を発揚せる我等の同志、先輩、祖先即ち教育勅語に説示し給ふ国体精華を発揚し「斯ノ道」に殉したる過去幾百千万幾億の八百万の神々はこの日本精神、国民精神、神徳にも及ぶ重大なる侮辱を如何感得せらるゝや、推測するだに涙なきを得ないのであります。
これ皆今回の敗戦の齎らす国民精神の馳緩、其間隙に乗じたる赤魔の所業でありまして、赤化の怖るべきは最早論議の余地なきところでありまして、日本は戦に敗くることあるも日本精神、国民精神を喪失してはなりませぬ。戦には幾度敗くるとも日本精神を失ひさへしなければ国亡ぶること無きを覚信確言致しますが、国会の決議に現はれたるこの日本の大教典の無効宣言決議をそのまゝ看過する暁には遂に亡国に陥るであらふことを虞れますが故に黙止することが出来ないのであります。
上告人に述上に優る上告理由をもちあわせませぬが、最後に本件を御審理賜はる裁判官諸公に御願ひ致します。
諸公は本件を御審判賜る御役目の他、公務員として此の憲法を護持せらるべき義務を御負担になつて居ります。今や日本国憲法は或政党よりも其鼎の軽重を問はれんとし、本憲法に対する風当りは可成強くなつて参りました。本憲法施行より今日まで憲法違反の問題も相当具体化し、其等個々の問題に対する最高裁判所の判定も判例となつておるのであらふことを察するに難くはありませぬが、而しこの問題は決して他人事、他所事ではありませぬ。裁判官お一人お一人の心の問題日本国憲法対日本国民思想の問題であります。
赤色議員が如何これに対したか最高行政長官は如何思考しつゝあるか、最高裁判所長官の考如何の如く、本件を御取扱ひ賜る裁判官個々の心的態度如何に拘はる問題であります。裁判官諸公に於かせられましても、おそらく此の教育勅語の教育の淵源として今日の教育基本法的存在の時に於て小学教育より中、高、専門、大学より社会、公民、国際等々各般の教育に触れられ激動日本の推移を御覧になり、新憲法下の現顕職に御就任の御事と御推察致しまするが、此の問題は実に日本国民一人一人の良心に愬へ解決せらるべき事柄であり、殊に明治神霊の御神徳を如実に体験あらせらるゝ優位なる環境に於て、高等、専門、大学の業を了へられ旧憲法治下の日本より新憲法運営の現栄職に任ぜさせ給ふ裁判官諸公にはこの聖訓は何よりも、誰よりも関心の深いものであり、又無くてはならぬものと思考致します。上告人の如く浅学菲才、苦学力行漸く如此見解に達して居る者とは段楷の相違を有せらるゝのであります。
何卒裁判官諸公の叡智、博識を傾け愛国的熱情、父祖伝来の日本精神に則つて御審理賜りますやう切願致します。
因つて本上告審に於きましては第一、二審の裁判を破棄し上告審自ら第一審提出の訴状より第二審の控訴理由書本上告理由書に一貫希求致して居ります判決を賜りますやう、左記提出並に申請の物的人的又は御職権調査審訊に基く証拠により慎重御審判賜りますや此旨上告致します。
証拠方法
A書証
甲第一号証 教育勅語の原本並に英、独、仏語による飜訳書取寄せ。
立証要旨、上告人は小学入門の頃より明治天皇の御盛徳を拝聞し、十歳にしてこの聖訓を奉戴致しました。かなれ共絵画以外は天顔を奉拝したことは御座いませぬ。況んや皇祖皇宗の御尊姿おやであります。本年は時恰かも明治聖帝御降誕壱百年に相当し、本秋明治神宮にては盛大なる記念行事が執り行はるゝやう拝聞して居りまするが、之等は凡て此の如く信ずるの他何物でもありませぬ。
教育勅語も亦明治神霊我等臣民に対する直々の御呼掛けの大慈大悲の聖訓と恐信し、御聖旨に副ふ拳々服膺の誠を致さんとして、遺訓伝道団同志の叫合により世界伝道を目論見、今日国会の否定てふ悲運に際会して狂乱かく絶叫の現況にあるのでありますが此の御遺訓の原本、並に英、独、仏文に依り飜訳せられたるものを備へあると聞き及んで居ります現行日本国憲法はこの聖訓のまにまに日本国民の総意に因り誕生したと主張して居ります上告人にとりましては、此の聖書は日本国憲法成文の生みの親たる文書であります。尚三ケ国語の飜訳はこの教典が中外に施して悖らざることを立証する当時の為政者の用意と推察致します。右は日本国憲法違背是正請求の訴を提起して居ります。上告人の救ひの親神であります。其親文の尊容を拝することは上告人の本訴を弁護を希求する全日本全世界の全部の弁護士の弁論以上の弁護を願ふことゝなるのであります。上告審ではこの元本並に英、独、仏三ケ国語よりなる各訳書と共に御職権により文部省より御取寄せ賜るやう申請致します。此の聖書を前に新憲法の前文に云ふ詔勅第九十八条の所謂これに反する一切の詔勅云々の条項国会宣言の当否、教育基本法との関聯等々凡ては解明氷解せらるゝことを信じて疑ひませぬ。
私共は如此国会の決議が日本国憲法の上に於て正解有効なりと致しました暁には、それこそこれを奉戴奉行しない文部省等に保管せらるべきものではなくて、速かに明治天皇の御分身であらせ給ふ。而もこの御遺訓を拳々服膺あらせ給ふ今上聖帝に御奉還申上ぐるか或は又明治神宮に永久御奉納申上ぐるか、明治記念館に御保存申上ぐるか致さなければ学校教育御軫念の結果、特に文部省に其原本を御下賜賜つた明治天皇に対し奉り恐懼の他無きを痛感せしめられて居ることを申添へて置き度いのであります。
甲第二号証 遺訓伝導団創設趣意、宣言、綱領等を掲げたパンフレツト。
立証要旨、上告人は昭和五年以来、教育勅語の民主的解釈、民主化運動を提唱して居りまして戦前、戦中、戦後を通じ、教育勅語に対する確固不動の信念信仰を堅持致しまして終始一貫この大御勅語を奉戴して居ること並に印刷中、この聖訓を奉ずる者は世界の平和を希念し、各国元首の健康を祝、国交の親善を福し、世界十七億人類兄弟姉妹の健康幸福を祈願すべしとありますやうに、否定論者の我国家、我民族を中心とする教育の誤りてふ文句を完全に破砕し、この聖訓を奉するものは世界的人物たらんことを期する所謂教育基本法が希求する人物が生れるのでありまして、彼等の浅見、吾等の同志の心条により明々白々なるを証したいのみならず、この聖勅の大本は時勢の変化により変動すべきものにあらざることの立証。
甲第三号証 教育勅語講話 森清人著
立証要旨、本書は従来日本に伝はる教育勅語に関する六十三種の多きに上る著書を渉猟し、著者詔勅研究の立場より研究多年該博なる蘊蓄より懇切叮寧に謹解を試みられたる著作でありまして、明治天皇本勅語御下賜の大御心を史実に照して解明せらるゝ等上告人の最も信頼する著書であります。
此書により教育勅語が単なる教育基本法的法文単なる理想を掲げたるに留まり、具体的徳目をも伴はず、実践的原動力もなく国民思想分裂の結果を招来する如き虞ある作文とこと異なり、日本精神の凝結、惟神大道の一枚起請文も云ひつべく、これが実践窮行を誓はせ給ふ神霊の大御心こもる大慈大悲の聖書でありまして、一片の教育行政法規を以て本勅語を改廃せらるゝが如き又するが如き浮薄、浅白のものにあらざることを立証致します。
甲第四号証 金子堅太郎伯講演速記録
立証要旨、右は昭和十一年十月二十日、大阪市なる明治天皇記念館に於ける金子堅太郎伯爵の「教育勅語の由来と海外に於ける感化」と題する大阪市の需に応じて為されたる講演速記でありますが、金子伯は小、中、大学を米国に於て了へ帰朝、明治政府に仕へられたる功臣であられることは周知の事実、本教育勅語起草を拝命せられたる忠臣方より之を中外に施して悖らずとある項目について外国の学問、学校を了へたる金子伯の意見を徴されたる際、米国教育に於ても教育勅語の御聖旨と何等異なるところ無き旨答申せられたことが本喚発に役立つて居るとの追憶より全文に亘りて世界人類の信奉すべき大教典なることをこの勅語に触れた外人より親しく直聞せられたる演説内容でありますが、この速記を通読して戴くことにより本勅語無効宣言決議加担議員諸士の所謂、「日本国家並に日本民族を中心とする教育の誤りを徹底的に拭掃し」とあります。日本に偏したる日本世界観的、独善的のものに非ずして実に聖訓は全世界人類共通の聖典なることを立証せんとするものであります。
其他の文献と致しましては、国民精神文化研究所渡辺幾治郎博士研究、教育勅語喚発の由来なる研究等々枚挙に遑ありませぬが、凡ては明治天皇様の御聖慮より編綴せられたるものであり、政治情勢の変化に左右せらるゝことなきやう補弼大臣の政治責任無きやう日本国の続く限り、日本天皇を戴く限り万代揺ぎなき大教典であり、陛下と国民との直接交流紐帯であると云ふことに異議のないところでありまして、新憲法に依りて排除せらるゝことも教育基本法の制定に依り無効なることも無き、永遠不磨の金言玉章でありまして「天地は失せん。されど我が言葉は失せじと」西哲の書に御座いますが、教育勅語は正に右聖語之を保証するでありませう。
さればこの聖訓が教育行政上必要なる場合は軍事教育に導引せらるゝこともありませう。又過般の占領下の如く日章旗すら掲揚を憚る如き過去七、八ケ年の日本の国状の下に於ては其取扱ひの疎遠、遠慮も之れ亦已むを得ない悲劇として涙するの他、神霊にお詑びの仕様も無く、只々恐懼の外無きを痛感せしめらるゝのでありますが、此の神代ながらの国民精神が日本及日本人より締出され、無効とされたらその後に入る思想一体何の思想が主体となるでありませうや、想ひみるだに怖へ上るを禁じ得ないのであります。結局赤色文部大臣、赤色国会議員が本勅語の真髄に触るゝこと無く、国民精神、国民感情に及ぼす感応、影響彼等の為めに有利なれと策謀せるに当時の浮薄議員が占領下のドサクサにうつかり追従してこの大聖典に汚点を印したのでありまして、此等の証書文献により解明せらるゝものと信じます。
B人証
一、吉田現内閣総理大臣の証言。
立証要旨、吉田総理大臣は日本国憲法発布当時の内閣総理大臣であらせました。此の憲法制定公布施行に際し、明治天皇御垂訓教育に関する勅語は日本国憲法の上に如何なる地位を占むるや、憲法上の取扱ひは如何あるべきや等につき思考せられたる日本国行政最高長官としての見解。
二、現国会図書館長金森徳次郎博士の証言。
立証要旨、金森博士は所謂憲法大臣として現行日本憲法生みの親或は産婆役にもたとへらるべき人であります。この憲法制定当時よりの国会の論議並に公布施行後の教育勅語の運命に対する博士の見解。
三、現最高裁判所長官田中耕太郎博士の証言。
立証要旨、田中博士亦現行憲法制定公布の際の文部行政の長官であらせられました。当時教育勅語に対する博士の見解並に失効宣言決議に対する博士の見解。
四、現法政大学総長大内兵衛博士の証言。
立証要旨、大内博士は国際軍事裁判所法廷に於て教育勅語と軍事教育について証言せられています。本勅語否定論者は明治帝国憲法の裏付け、軍国主義の温床として排除宣言をして居るのでありまして、教育勅語は軍国主義の温床にあらざる証言の本法廷に於ける証言。
五、現広島大学々長森戸辰男教授の証言。
立証要旨、現広島大学森戸学長は教育勅語無効宣言決議の国会に於て為されたる際、社会党所属衆議院議員としてこの否定宣言に賛成し文部大臣として文部行政の長官として行政上の措置執行の衝に当られたる責任大臣でありました。其際の文部大臣としての同勅語に対する見解。
六、教育家田原博愛先生の証言。
立証要旨、田原先生は東京文理科大学大学院の業を了へられ、戦前より戦中戦後を通して小、中、高等の学校に於て親しく教鞭を採られ、教育勅語奉行の熱心なる教育家であらせられ、令夫人亦幕末日本第一の経済学者山田方谷先生の高弟戸部広運師の息女として教壇にも立たれたる父祖伝来の神道に透徹せられて夫妻共に熱烈なる教育家であり、上告人郷土の豪家として郷土の尊信を一族に集めて居らるゝ方でありまして、本証拠物書証第二号証は昭和十一年大阪市教育界に奉職中、上告人と其席を同ふして金子伯の講演を聴聞した記憶を辿り本訴立証の必要に迫られ、この講演筆記必ず田原邸に存在すへきを確信し、三百里の道程を突破してこの速記録の存在を訊しましたるところ、時価幾百千万円にも上る莫大なる蔵書格納の書庫に招入せられて発見、貸与せられたのがこの「中外ニ施シテ悖ラズ」との聖訓の海外に於ける感化の実際、真実唯一の挙証であります。夫妻共々父祖幾十代日本神道家として熱烈なる教育家としての田原教授の戦前、戦中、戦後の教育勅語に対する信念、教育精神、教育基本法施行後即ち教育勅語追放後の学校教育と聖訓との関聯について実際教育家たりし実感見解の証言。
七、前厚生大臣吉田茂先生の証言。
立証要旨、吉田先生は明治神宮御造営当時の神社局長官として神宮御造営に参劃せられ、今日現在明治神宮氏子総代として現鷹司宮司殿の顧問役であらせられますが、在官中、欧米に使して彼地の宗教教育、成人教育、公民教育、思想動行を親しく研究になつて居る碩学且つ国師的大政治家であらせられますが、同先生により明治神霊の大御心と教育勅語の現国政下に於ける処遇に就いての御見解。
この決議の儘放置して顧みざる場合、烽起することあるべき日本国難、今後に就いての感慨。
八、現天野文部大臣の証言。
立証要旨、天野文部大臣は吉田総理大臣の信任に答へ、現文部行政の長官の顕職にあられます。
曾つて吉田総理大臣の諮問機関、文政審議会の内閣内に設けらるゝや、その諮問委員として総理の近親となられ、教育勅語に替るべきものとしての吉田総理大臣直々の発案たる国民道徳の大綱、倫理、修身、要項、編綴を委嘱せられたことを聞き及んで居りまするが、この総理の発願の未だ発表せられざる経緯、更に世俗に所謂天野勅語なる国民実践綱領既に公表せられんとしてその寸前之を撤回せられたる御心境、この実践網要と教育勅語との相異点。
教育勅語無効宣言決議の実施せられし以後の少青年、成人、学校教育、国民教育等全教育行政と教育勅語に関聯する文相の御見解。
以上の外、審理の進行に伴ひ書証人証により上告人の主張を立証致しますが、裁判所に於かせられましては違憲法令審査権を発動ありて前掲教育勅語原本を文部省より取寄せ賜る外、職権調査に因り此の日本国の中心思想、国民思想擁護、日本憲法護持の本提訴に対し、万腔の御同情と御理解とを請願致します。 以上