最高裁判所第三小法廷 昭和31年(オ)364号 判決 1961年1月24日
判決
大阪市南区難波新地六番町一二番地
上告人
南海電気鉄道株式会社
右代表者代表取締役
小原英一
右訴訟代理人弁護士
中筋義一
同
中江源
和歌山御坊市名屋六六番地
上告人
中央貨物運輸株式会社
右代表者代表取締役
中村安一
右訴訟代理人弁護士
中塚正信
大阪市福島区下福島三丁目大阪中央卸売市場内梅の棟三〇号
被上告人
株式会社日海荷受
右代表者代表取締役
鈴木英一
大阪市天王寺区大道五丁目五三番地
被上告人
新多忠雄
同所
被上告人
新多八重子
右両名法定代理人親権者
新多澄子
同所
被上告人
新多澄子
右当事者間の損害賠償請求事件について、大阪高等裁判所が昭和三〇年一一月一二日言い渡した判決に対し、上告人らから上告人ら敗訴の部分の破棄を求めと旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件各上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
南海電気鉄道株式会社上告代理人中筋義一の上告理由第一点(イ)、(ロ)、及び同会社上告代理人中江源の上告理由第一点一、二について。
所論は、原審が、源泉徴収票の記載及び遺族補償の金額から、市蔵の給与は日額二五〇円として計算されていたものであることを認めながら、右は税務署に対する関係における金額であるとし、他の証拠によつて右金額を上廻る給与の額を認定したのは採証法上の違背または理由不備の違法があるのみならず、右認定は経験則に違背するものであつて、いわゆる闇の給与を公認することとなり、脱税その他の社会悪を助長し、雇傭関係における給与体系を混迷せしめ、ひいては労働法令上の法秩序を破壊せしめる結果となるおそれがあるから、所得税法ないし労働者災害補償法の解釈適用を誤つた違法があるというにあるが、源泉徴収票の記載及び遺族補償の金額から逆算された所得者の給与の額は、給与額を認定する上の一資料たるに過ぎず、証拠によつてこれと異る金額を認定することは何ら違法ではなく、この様に認定したからといつて何ら所論の様に社会悪を助長するものではない。むしろ、所得税の対象となした帳簿上の給与が、真実の給与と一致しない場合、源泉徴収票等から逆算された額をこえる給与の支払が違法なのではなく、所得税の過小徴収の方が違法なのであるから、その過小徴収額にもとづいて給与を認定することこそ避けなければならないのである。しかして原審挙示の証拠から所論指摘の原判示部分を認めるに十分であるから、原判決に採証上の違背、乃至は経験法則の違背ありということはできず、その他所論の如き法令の解釈を誤つた廉はない。また裁判所は、証拠を排斥するにつき逐一その理由を示す必要はないから、原判決に理由不備の違法ありということもできず、所論は理由がない。
上告代理人中筋義一の上告理由第二点について。
死者の活動年令期の認定は経験則にもとづく認定であり、乙第三号証ノ二の生命表記載の有限平均余命の数値は、その性質上一般平均人としての有限的活動年令期を示したものであること所論のとおりであるが、右数値は死者の活動年令期の確定が一般的には困難であるとの事実に鑑み、活動年令期を六〇才までと仮定してこれを算出したものであるから、具体的な個々の場合において、特段の事情をも排斥して右数値が確定的なものとなるという積極的な意味を有するものではなく、裁判所は、右生命表の数値如来にかかわらず、死者の経歴、年令、職業、健康状態その他諸般の事情を考慮して、自由な心証によつてその活動年令期を認定し得るものと解すべきであるところ、原判決表示の事実から、市蔵の活動年令期を六三才迄と認定し、これに応じた可動年数の期待値を算出することも首肯できないから、原判決に経験違背の違法ありということはできず、所論は理由がない。
上告代理人中筋義一の上告理由第三点及び上告代理人中江源の上告理由第三点について。
所論は、市蔵の本件貨物自動車乗車の行為は、昭和二二年内務省令第四〇号道路交道取締令の規定に違反するものであるから、本件事故発生につき市蔵にも過失があるものといわなければならないのに、市蔵に過失がないとしたのは、右道路交通取締令及び民法七二二条の解釈適用を誤つたものであるのみならず、過失相殺の主張の判断に際し、事故発生後の損害拡大の防止についての過失につき、その判断を遺脱した違法があるというのであるが、事故発生についての被害者の過失もまた損害の発生を予見するか、または予見し得べかりしことを必要とするものと解すべきところ、本件においては市蔵の乗車に際して、衝突事故の発生という事実は一般的に予見し得べかりしところではなく、かつ又市蔵の乗車が、前記道路交通取締令三六条二項、三八条の二に違反する行為であつたとしても、右法条は、これに違反する行為が、ただちに自動車の衝突事故を惹起するおそれのあることを想定して設けられたものとはいえないから、右法条違反の行為の故をもつれ、ただちに本件衝突事故発生につき市蔵に過失があつたものということはできない。しかして市蔵が、本件事故発生と同時に即死したものであることは当事者間に争いがないから、損害が拡大したことに対する市蔵の過失を考える余地はない。よつて原判決には所論の如き法令解釈の誤り及び判断の遺脱はなく、所論は理由がない。
上告代理人中筋義一の上告理由第四点について。
所論は要するに、本件衝突事故当時の被害者市蔵の立場、乗車位置等からすれば、当然電車の進行を発見し、その事実を運転者に告げ危険防止の措置をとることができた筈であるのに、これらの措置をとらなかつたこと、しかしてそれが同人の飲酒による結果であることを理由として本件事故発生につき市蔵にも過失があつたと主張し、市蔵に過失を認めなかつた原判決を非難する。成程原審は、所論指摘のような事実を認定してはいるが、それだからといつてただちに当時市蔵が酒に酔つていなかつたならば、本件事故を未然に防ぎ得たということはできないし、そもそも所論の如き場合、市蔵については過失の前提となるべき注意義務の存在を認めることができないから、原判決に所論の違法があるとはいえない。所論は理由がない。
同第五点について。
しかしながら原審は、証拠によつて、上告人中央貨物運輸株式会社は和歌山蒲鉾工業組合箕島支部から委託を受けて、かまぼこを箕島から大阪まで運送することとなつたものであり、被上告会社は右貨物の荷受機関にすぎず、右貨物自動車を同組合の専用使用に供したのものでもないとの事実を認定した上、市蔵の上告人中央貨物運輸株式会社の運送に対する指揮監督の地位を否定したものであつて、右判示は首肯するに足りる。所論はひつきよう原判示に沿わない事実を前提として原判決を攻撃するもので採用できない。
上告代理人中江源の上告理由第二点について。
労働基準法は、同法七九条に基き、使用者が遺族補償を行つた場合において、補償の原因となつた事故が第三者の不法行為によつて発生したものであるとき、使用者はその第三者に対し、補償を受けたものが、第三者に対して有する損害賠償の請求権を取得するか否かについて何ら規定してはいないが、右のような場合においては、民法四二二条を類推して使用者に第三者に対する求償を認めるべきであると解するのが相当であるから、これと同趣旨に出た原判決は誠に正当であつて、所論の違法ありとはいえない。
中央貨物運輸株式会社上告代理人中塚正信の上告理由第一点ないし第三点について。
所論はいろいろと云うが、結局、上告会社中央貨物運輸株式会社は貨物運送が専門かつ唯一の事業であつて、人は乗車させないのが事業の執行態様であるところ、市蔵は運転者からその乗車を拒絶されたにもかかわらず、ことさらに乗車したものであり、また仮に当時の運転者松広が右乗車行為を許したとしても、それは運転者が地位権利を濫用して市蔵の個人的利益を図つた行為であつて上告会社の事業執行そのものでもなく、これと関聯して一体をなし不可分の関係にたつものでもなく、従つて市蔵の死亡は右上告会社に民法七一五条の適用を認めたのは違法であるというに帰着する。しかしながら、被用者が使用者の業務を執行中、第三者と意を通じてこれを事業執行の為の行為圏内に入らしめ、そのために後に被用者の故意過失に因り第三者に損害を生じた場合であつても、その第三者の圏内立入りが、被用者との個人的な関係に基づくものでなく、被用者による使用者の業務の執行の一部あるいはその延長もしくはそれとの密接な関係に基づくものと認められるときは、使用者は民法七一五条の責任を負うと解するのを相当とするところ、本件事故発生当時貨物自動車の運転者松広及び岩田の両名がかまぼこを運送していたのが右上告会社の事業の執行であつたこと、右両名が右上告会社の被用者であつたこと、市蔵は当時積荷の荷受機関である被上告会社の集荷課長であつたこと、従つて市蔵は―運送についての指揮監督の地位にこそなけれ―貨物自動車に便乗していないと荷物の受渡しに不都合であるとの理由で運転者松広の承諾を得てその傍の座席に乗車することになつたものであること、以上の確定事実によれば、市蔵が本件貨物自動車に便乗するに至つたのは運転者との個人的関係に基づくものではなく、むしろ運転者による上告会社の業務の執行との密接な関係に基づくものであつたと見るべきである。従つて右上告会社は、本件事故による市蔵の死亡につき、損害を賠償すべき義務がある。この点で原判決が、「本件事故は、右上告会社の自動車運転手の事業執行中に発生したものであるから、市蔵の乗車行為が事業の執行に関係なくなされたものかどうかを問う必要はない」旨判示したのを非難する第二点論旨は相当であるが、いずれにしても右上告会社が民法七一五条による損害賠償の責を負うとする結論に変りはなく、原審の法令解釈の誤りは、判決主文に影響を及ぼすものではないから、結局右論旨は採用することができない。なお第三点所論指摘の原判決の判示部分は、事故発生当時の運転者が岩田であることを判示したもので、市蔵の乗車当時の運転者が岩田であることを判示したものでないこと明らかであつて、右は原判決の誤解に基づくものである。また、所論各引用の判決はすべて本件に適切でない。よつて所論はいずれもその理由がない。
同第四点について。
本件記録中には、所論指摘の各供述及び書証の記載の存することは所論のとおりであるが、本件の如く自動車運転者を雇入れて貨物運送の事業を営む者は、被用者の選任監督につき高度の注意義務が要求されるべきところ、本件においては、所論の事実があるからといつてそれだけでは右会社が運転者岩田の選任監督につき相当の注意をなしたものとは認められないし、その他記録上上相当の注意をなしたことを認めるに足る証拠は存しない。また、所論は本件は、相当の注意をなすも損害が生ずべかりしときに該当すると主張するが、相当の注意をなすも損害が生ずべかりしときは、使用者が注意をなさなかつたことと、損害の発生との間に因果関係のない場合を意味するものであるところ、本件事故発生については、使用者たる前記上告会社の注意の欠缺との間に因果関係がないとはいえないから、右主張は理由がない。よつて所論は採用することができない。
同第五点について。
不法行為における被害者の過失を斟酌すると否とは裁判所の自由裁量に属することである(最高裁昭和三四年一一月二六日第一小法廷判決判例集一三巻一二号一五六三頁参照)のみならず、本件において原審は被害者市蔵に過失のあつたことを認定していないし、その認定は、上告代理人中筋義一の上告理由第三、四点についてのべた如く首肯し得るものであるから、原審が賠償額算定について所論の事実を斟酌しなかつたからといつて所論の違法があるとはいえない。
同第六点について。
しかしながら原審認定のような諸事情のもとにおいては、市蔵が満六三才に適するまで一ヶ月一万二千円の収入が継続するものと認定するのは首肯し得ないことではないから、右認定が実験則に違背しているものということはできず、所論は理由がない。
同第七点について。
しかしながら所論の指摘する原判示部分は、直接被上告会社が代位によつて取得すべき債権額の認定に使用されたわけではなく、市蔵の賃金額を認定判示するに当つてのあらずもがなの措辞に過ぎず、その点につき所論のような瑕疵があつたとしても原判決に影響を及ぼすものでないこと明らかである。所論は採用できない。
よつて民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 河 村 又 介
裁判官 島 保
裁判官 高 橋 潔
裁判官 石 坂 修 一
〔上告理由〕
○昭和三一年(オ)第三六四号
上告人 南海電気鉄道株式会社
被上告人 株式会社 日海荷受
外三名
上告代理人中筋義一の上告理由
第一点 原判決は、被上告会社が労働基準法第七九条に基き、遺族に対し二十五万円の補償をした事実及び受給者市蔵の昭和二十四年度源泉徴収票の記載の事実から右市蔵の死亡当時の収入日額が二百五十円に過ぎなかつた事実を認定している。ところが「被控訴会社は遺族補償や、税務署に対する関係では、市蔵の給与を日額二百五十円として扱つて来たことが認められるけれども、この事実だけでは、市蔵が被控訴会社から毎月一万二千円以上の給与を実際受けていたとの認定をくつがえすことはできない」と判示している。しかし
(イ) 原審はこの訴訟の帰趨に直接且つ重大な利害の関係ある被上告人自身(澄子)及被上告会社代表者の供述を鵜呑にし、たやすくこれに措信し、これ等の証言供述に対する有力な反証を、まことに漠たる「遺族補償や税務署に対する関係で」という理由を付して排斥している採証法上の違背ないし理由不備の違法がある。
(ロ) 税法其他の法令に基く給与に関する文書に記載されまたはそれ等の法令に基く支給の基礎となつた給与額と、雇傭による実際の給与額との間に差等のあることを判示のように公認すること自体が条理上甚しい矛盾があるばかりでなく、仮りにこの間に何等かの差等のある事実が、動かすことのできない証拠によつて明らかになつたとしても、後者の給与は、いわゆる「闇の給料」であり「裏の給与」であり、違法または不法の支給額である。いやしくも損害額請求の適否を公正且つ合理的に判断する権限ある事実承審官は、いわゆる「闇給料」を基準として、損害額の認定をしてはならないことは勿論のことである。もし原審のような採証方法が許されるのであれば、さらでだに、脱税その他の社会悪を助長し雇傭関係における給与体系を混迷せしめ、延いて労働法令上の法秩序を破壊せしめる結果となる惧がある。この点からいつて、原判決には、結局所得税法ないし労働者災害補償法の解釈適用を誤つた違法がある。
第二点 原判決は「……そして右生命表にいわゆる有限平均余命は、活動年令期を六十才までと仮定した場合の可動年数の期待値にすぎないものであつて、他に勤務年限に停年を設けているところがあつたとしても、市蔵のように魚類の集貨配給業務について専問的な知識経験を有し、、且つ健康体である者は、特別の事情の認られない限り、少くとも被控訴人主張の満六十三才に達するまで……程度の収入を得ることができるものと認むべきであつて……云々」と判示する。
判示の趣旨明確を欠く点があるが、結局原判決は、市蔵のいわゆる有限平均余命、即ち同人の活動年令期を六十三才までと仮定し、その可動年数の期待値を「十九」年であると認定し且つ何等の裏付なく、判示のような期待値を創設したものであると解せられる。
およそ、死亡者の喪失利益を算定するに当つて、その基礎となるその者の死後の年数の認定は、すべて経験則に基く認定であり、その合理的で且つ最も妥当性のある認定は、現在のところ原審判示の厚生省官房統計調査部第八回生命表(乙第三号証)に掲げられている数値に準拠すべきであり、右数値を超えまたはその数値以下の数値をもつて右算定の基礎となすことができないと考える。蓋し右死亡者が、どういう知識、どういう専問的経験的経験を有していたものであろうと、健康体であつたとなかろうと、またはどんな特別な事情があろうと、原審ばかりでなく、何人と雖も、確実、正確に、間違いなく市蔵が判示の年令まで、判示の収入を得られたと断定することは、絶対に不可能であるからである。そうだとすれば、われ等の経験の、正しい確実な集績であり、且つ最も合理的且つ妥当性ありと認められる前記生命表の数字に信憑し、この数値の線に一線を引く以外何等の認定または判断の裏付となる資料がないのである。この生命表記載の数値とても、判示のいわゆる「可動年数の期待値」にすぎないのであるが、それと同様に、判示のそれも亦同じく単なる期待値にすぎない。唯前者はわれ等の信用できる正確な多年の統計の集積という裏付があり、後者の判示の期待値には現在のところこの裏付がない。この点からいつて、原判決には経験則違背の違法があるといえる。
第三点 およそ他人の過失による不法行為を原因として、自己の蒙むつた損害を加害者側に請求する者は、その他人の不法行為自体に直接加工しなくとも、その他人の不法行為による損害の発生した時間的ないし空間的関係において被害者自体が不当、不法にまたはその恣意によつて、右損害発生の危険に自ら身を晒し損害発生に素地を作り、またはその機会を与えたというような事情のある場合は、その被害者自身の行為に対し理論的に何等かの批判が加えられるべきである。特に原審の確定した事実によると「……で市蔵は、その本件貨物自動車を運転していた松広清定に対し大阪中央市場までの便乗方を依頼したところ、松広は一旦これを拒んだのであるが、市蔵は右自動車に積載されていた蒲ぼこの荷受機関である被控訴会社の集荷課長であつてこれに便乗していないとその受渡に不都合だということで、運転者の傍の座席に乗車すること」となつた。これは右市蔵が明らかに昭和二十二年内務省令第四〇号道路交通取締令の規定に反する不当、不法の行為をなしたものであるとともに、右法令は、貨物自動車運転中に生ずることあるべき諸般の危険を予想し、乗車に関し禁止または作為の規正をなし、以て、運転中における不測の損害の発生を防止し、且つ損害の増大を阻止しようとする趣旨であることが明白である。だから市蔵の前記行為は、右自動車運転中における諸船の危険を予見しまたは予見することができたにかかわらず、敢て意に介せず、自ら求めて火中に栗を拾う態度とも云える行動に出で、右事故の犠牲となつたと見る外がない。しかるに原判決は「本件事故のようなことは、市蔵が本件貨物自動車に乗車する際には、何人も予想できないことであるから、かりに右控訴人主張のとおりとしても、これを以て……市蔵も本件事故の発生について、過失があるものということができない……」と判示しているのは、明らかに前記法令の解釈適用を誤つたものであり、なお上告人等の過失相殺の抗弁を排斥しているのは、民法第七二二条第二項の「被害者の過失」の解釈適用を誤つたものである。
第四点 原判決は「岩田運転手さえ衝突直前まで、電車の進行し来ることに気づかなかつたものであるから、仮に市蔵が酒に酔つていなかつたとしても危験を避け或はこれを軽減することができない」と判示している。しかし原審は「一方岩田運転手は右踏切手前の道路に凸凹があつたため時速十キロ位に減速したのであるが、左右を注視すれば、当然右踏切の手前約七、八十メートルの道路上の地点で右電車が進行して来るのを発見することができたのに拘らず、遮断機が閉されていなかつたため、電車の進行して来ないものと軽信し、左右を注視して安全かどうか確認するため一時停車することをしないで、同踏切を横断しようとした」ことが損害発生の原因であること及び市蔵が、被上告会社の集貨課長として右岩田運転者の側の座席に乗車していた事実を認定している。右市蔵のような立場、特に事故発生当時の原判決認定のような位置にあつた者は、当然右踏切手前七、八十米の地点で、右電車の進行し来ることが発見できた筈であり、また発見しなければならぬ。そして右電車の進行して来たことを右運転者に告げ、危険防止の措置をとる等のことはまことに一挙手一投足の労にすぎないのであるから、右の認定にかかわらず判示のような理由で市蔵に過失がないと判示しているのは、理由に喰違いがあるか、または審理不尽の違法がある。
第五点 原審は「右自動車に市蔵や吉田昇が乗車していたけれど、同人等が右自動車による控訴人中央貨物の運送を指揮監督する地位にあつたものでない事実を認めることができる」と判示している。
ところが、他面原審は、市蔵の右自動車の乗車関係につき「右市蔵は右自動車に積載されていた蒲ぼこの荷受機関である被控訴会社の集荷課長であつてこれに便乗していないとその受渡に不都合だということで運転者の傍の座席に乗車すること」になつた事実を認定している。右貨物運送の委託者並に運送者が、受荷主である被上告会社の被傭者である集貨課長市蔵を、右自動車に便乗せしめたことは、判示のいわゆる受渡の正確即ち運送途上における運送品の滅失、毀損を防止する等運送の安全を含め、受渡場所の指定、路線の選定其他につき便乗者たる市蔵から適宜の指示を受けることを期待して便乗を許した趣旨であると見ることは当然の自理である。だから市蔵が右自動車の運行につき、右の限度において、被上告会社の被傭者としてこれを指揮することのできる地位にあつたことも自明の理である。
原判決は、処々で、この事件の請求は不法行為を原因とするものであるから、右市蔵の右自動車乗車の契約法上の関係等は、何等審理判断する必要がない趣旨の判示をしている。しかし右市蔵が、どうして本件不法行為により損害を受けたか、如何なる範囲で賠償を請求できるか等の判断は、どういう関係で右市蔵が右自動車に乗車していたかの点が審理判断されなければならぬと考える。これ等の点から言つても、原判決には、判決主文に影響を及ぼすことの明らかな理由の喰違い、誤断ないし審理不尽の違法がある。 以上
○昭和三一年(オ)第三六四号
上告人 南海電気鉄道株式会社
被上告人 株式会社 日海荷受
外三名
上告代理人中江源の上告理由
第一点 原判決には法令違背若くは民事訴訟法第三九五条第一項第六号に該当する違法がある。
一、原判決は訴外亡市蔵の死亡前の給料の額を認定するに際し「もつとも被控訴会社が労働基準法第七九条の規定に基き市蔵の遺族に対し二十五万円の遺族補償をしたことは当事者間に争がなく、これは平均賃金の千日分に相当するから市蔵の給与は日額二百五十円、月額七千五百円として計算せられていることが明かであり成立に争のない甲第十一号証によると受給者市蔵の昭和二十四年源泉徴収票の支払金額欄に二万二千五百円と記載してあるがこれは……市蔵の日額二百五十円の割合による給与の総額と相当することが計算上明かであり」と判示し、遺族補償の額及び源泉徴収票の記載内容から市蔵の給与が月額二百五十円であることを認定しながら忽然として「被控訴会社は遺族補償や税務署に対する関係では市蔵の給与は日額二百五十円として扱つて来たことが認められるけれども、この事実だけでは市蔵が被控訴会社から毎月一万二千円以上の給与を実際に受けていたとの前段認定をくつがえすことができない」と結論づけている。
二、原判決の前記認定は給料に、遺族補償や税務署に対する関係における給料と現実に支給される給料との二とおりの意味内容を持つていることを当然の前提とするものであるが、これは上告人の到底承服し得ないところであり明かに経験法則に違背するものと考える。
ところで、証拠の取捨選択は自由心証主義の下では事実審裁判官の専権に属するものであるとは云え、所謂自由心証主義が裁判官の恣意専断を許すものでない以上そこには自ら一定の制限がなければならないことは理の当然であるところ、前記のとおり原判決証拠判断は明かに経験法則違背をおかしているものであるから到底破毀を免れないものと信ずる。仮りに経験法則違背が認められないとしても、原判決は証拠の取捨についての理由が不充分、不明瞭でありその結果判決主文に影響を及ぼすことが明かであるから、結局は判決に理由を付さないことと同一に帰し、到底破毀を免れないものと考える。
第二点 原判決は民法第四二二条の規定の解釈を誤り、これを不当に類推した違法がある。
被上告会社は労働基準法第七九条所定の義務の履行として遺族補償を支払つたものにすぎないからこの出捐による損害を上告人南海電鉄に求償できるのは労働者災害補償保険法第二〇条又は商法第六六二条のような明文がある場合に限られるものと解すべきところ、原判決は「労働者の死亡について第三者が不法行為に基く損害賠償責任を負担するような場合には、補償義務を履行した使用者は損害賠償の代位に関する民法第四二二条の規定を類推し、その履行した時期及び限度で遺族に代位して第三者に対し損害賠償請求権を取得するものと解するを相等とし」判示している。
右は民法第四二二条の解釈を誤り、同法を類推すべからざる場合にこれを類推した違法があると謂うべきである。
第三点 原判決に判決に影響を及ぼすべき重要なる事項につき判断を遺脱した違法がある。
原判決は上告人南海電気鉄道株式会社の過失相殺の抗弁に対し「本件事故のようなことは、市蔵が本件貨物自動車に乗車する際には何人も予想できないことであるから、仮りに右控訴人主張のとおりとしてもこれをもつて……また市蔵も本件事故の発生について過失があるものということはできないから」と判示して上告人の右抗弁を却けている。
そもそも道路交通取締令なるものは、危険発生及び危険増大の可能性ある行為を取締の対象としているものであり、右取締令に違反する行為をなした本人が事故のため死亡するに至つた本件において「右事故が何人も予想できないことであるから」というような原判決判示のような理由だけでもつて右市蔵に過失なしと認定するわけにはいかないものと考える。仮りに原判決が認定するとおり本件事故発生につき、市蔵に過失がなかつたとしても、民法第七二二条第二項に所謂過失とは、事故発生についての過失だけでなく事故発生後の危険増大防止について過失のある場合をも含むものであるから、上告人主張の過失相殺の抗弁につき、この点の判断を遺脱した原判決は、判決に影響を及ぼすべき重要なる事項につき判断を遺脱した違法あるものと解する。 以上
○昭和三一年(オ)第三六四号
上告人 中央貨物運輸株式会社
被上告人 株式会社 日海荷受
外三名
上告代理人中塚正信の上告理由
第一点 原判決は民法第七一五条の解釈を誤り不当に適用したる違法がある。
民法第七一五条は被用者が其事業の執行に付第三者に損害を加えたるときは、其加えたる損害に付使用者に責任を負わしめる規定であるが、其適用は無制限でないと信ずる。即ち執行自体若くは事業の執行と相関連して之と一体を成し不可分関係にあるものであることが責任の限界である、其限界を超えて被用者が自己又は他人の利益を目的とし其地位を濫用して擅に行いたる行為に因り第三者に損害を加えたるときの如きは仮令其行為が外形上使用者の事業の執行と異る所なく相似の行為であつても之を以て事業の執行に付損害を加えたるものとして使用者をして賠償の責に任ぜしむべきでないということは曩に大審院の判例とされる所である。(大正五年(れ)第九二六号同年七月廿九日判決同大正六年(オ)第一〇二号同年六月一一日判決民録二三輯一〇六一頁判決引用)
然るに本件は被害者新多市蔵が乗るべきものに非ざる貨物専用の自動車に自ら進んで乗車を強要し運転手松広清定が拒みたるに拘わらず深夜の危険なる運行に故らに乗車したること並に新多市蔵が乗車することは上告会社の運送行為の事業には関係なく事業の執行々為を超えた無関係な事柄である。即ち(事業の執行とは関係なき上告会社の為ではなく)市蔵自身が自己の為めに(松広運転手は同人に強いられたが拒絶したるに拘らず)不正乗車して事故の結果が生じた、但しこれは同人等の私行為であつて事業執行には無関係であり、上告人の運送行為其れ自体ではない、又事業の執行と相関連して一体を為し不可分の関係にあるものでもない。
この事は次の事実に依り明白である。
(一) 上告会社は商号に示せる如く中央貨物運輸株式会社であつて貨物専用且唯一の運送行為である人は乗車させないのが事業の執行目的である。
(二) 原審が引用している松広清定の証人調書(昭和二六年九月八日)に依ると「私は汽車に乗つて帰つても間に合うから汽車で帰つてくれと言つたが新多は無理に運転台へ乗込んで来ました其時は私が運転をしておりました」と明白に言つている原審は岩田治が運転していた如く誤解している後記の事実もある。
上告人は原審に於て責任のないことを強張している。(原判決九枚目裏事実摘示(三)及同十枚目表(五)の主張に依り明白)然るに原審が民法第七一五条の解釈を誤り上告人の主張を斥けて同条を適用し上告人に損害賠償の責任ありと判決したるは不当に法律を適用したるものであつて破毀を免れないものである。
第二点 原審は審理不尽か重大なる事項の判断の遺脱を為している違法がある。
原判決十五枚目表十一行目以下を検討するに
「控訴人中央貨物は同控訴人の自動車運転手が市蔵に乗車を許したのは同控訴人の事業執行に関係なくしたものであると主張するけれども被控訴人の本訴請求は旅客運述契約の不履行を原因とするものでないから同控訴人の自動車運転手が市蔵に乗車を許したのは同控訴人の事業執行に関係なくなされたものかどうかを問う必要はない前段に認定するように右衝突は同控訴人の自動車運転手の事業執行中に発生したものであるから同控訴人は市蔵の死亡による損害を賠償すべき義務があることは明白である」と
この判決は極めて不明確である(一)第一誰も旅客運送契約の不履行を言つて居るものはない(二)事業の執行中と漫然と時間の空間を指称して有無を決定している極めて使用者に苛酷な判決である理由不徹底な判決である。
即ち即ち運転手が事業執行中に発生した事項は発生原因を区別せず全部上告会社の責任なりと判断したるは民法第七一五条の適用に当り理由不備であり判断の遺脱である広範囲に過ぎるものである、仮りに運転手が市蔵の乗車を許したるものとするも貨物の運送行為それ自体ではない上告会社に何等意思の連絡もなく且人を乗車せしめることを禁ぜられているに拘らず、其禁を破つて市蔵の要求を容れたものである、地位権利を濫用して市蔵の個人的利益を図りたるものであつて仮令執行中に生じたる事柄であつても時間的観念に依つてのみ判断せず行為の内容即ち運送と不可分の関係にあるものか否かを検討しなければならない。然るに旅客運送に無関係であるから判断の要なしというが如き誤りを冒せることは著しき審理の不尽又は理由不備若くは民法第七一五条の適用を誤りたるものと謂わなければならない。
第三点 相当因果関係は存在しないのに損害の賠償を命じたのは不法行為の法則に反する。
不法行為は原因と結果との間に相当因果関係が存在し責任の帰趨が明確なるときに損害の賠償を為さしめる法則である。
上告会社は和歌山県箕島から大阪市内まで貨物の自動車運送を為すことを請負い自動車運転手は之を為すことが唯一の業務執行である貨物に非ざる被害者新田市蔵が途中で自己の要請にて乗車したることは上告会社は予想しないことであつて運転手の業務執行とは無関係であり運送に不可分の関係にあるものではない、新多市蔵は事故発生当時の運転手岩田治に直接の関係なく箕島に於て乗車する当時の運転手松広清定との間に乗車を拒まれたると不拘乗車したるものであつて死亡なる結果に対する原因は市蔵の意思と行為であり運転手松広清定及び岩田治は業務執行外の関係である死亡なる結果に対し逆つて上告会社に原因を課せしめる因果関係は毛頭ないのである、然るに原判決は事実の認定に齟齬を来たし損害賠償の基本的事実の構成に錯誤を生じ岩田治が市蔵を乗車せしめたる如く解し(原判決十五枚目表一行目以下)次の通り判決している。
「控訴人中央貨物自動車による貨物運輸業を営む会社であつて岩田治が自動車運転手として同控訴人に使用せられていたことは当事者間に争なく右に認定するとおり右事故は控訴人中央貨物が和歌山県蒲鉾工業組合箕島支部の委託により箕島から大阪まで貨物を運送するについて岩田運転手が同控訴人の貨物自動車運転中に生じたものであるから控訴人中央貨物は岩田運転手の使用者としていずれも土橋、岩田の共同不法行為により生じたる損害を連帯して賠償すべき義務があるものといわなければならない」と
被害者市蔵が乗つた時は松広清定が運転していた時であることを遺脱し漫然と「岩田運転手が同控訴人の貨物自動車運転中」と定め最大の原因である松広と市蔵との両名の意思及事実関係を遺脱し会社との関係に於て因果関係の存在せざる事実を判断より遺脱し不当に民法第七一五条を適用した事は判断の遺脱であり判例違反にも相当する。(大審院昭和二年(オ)第一一三七号評論一七巻民法六四三頁)
第四点 原判決は民法第七一五条但書の解釈を誤り不当に適用せざる違法がある。
民法第七一五条但書は「使用者が被用者の選任及び其事業の監督に付き相当の注意を為したるとき又は相当の注意を為すも損害を生すべかりしときは此限に在らず」と規定し明かに使用者保護の規定を為している原判決はこの点に付き(十五枚目裏七行目以下)
「控訴人中央貨物は被用者である岩田運転手の選任及びその事業の監督について相当の注意をした又その選任監督について相当の注意をしてもなお本件事故の発生を避けることができなかつたと主張するけれどもこれを認めるに足りる証拠はない」
と一蹴して居られるけれども原審が引用している上告会社代表者中村安一の供述に依るも(昭和二十六年十月十三日調書)
「会社としては運転手と荷物を取扱う人夫を乗せ其他の人は荷主でも乗せてはいかんと言つてあります。会社としては前述の様な出荷主もトラツクへは乗せないのであります本件事故の時は運転手として岩田と松広がトラツクは乗つて居りました両名共古くから勤めて居る経験者であります」
一番最後に被告中央貨物代理人の問に対し
「松広、岩田は中央貨物が出来て以来ずつと勤めて居り始終大阪ヘトラツクを運転して行つておりますが本件以外に斯様な事故を起した事はありません」
と証明している。
昭和二六年七月五日証人岩田治の調書に依ると同人は昭和二十年十一月から上告会社に勤めて居り十九歳の暮に運転免許状を取り其れまでは自動車の助手として勤めて居たことを証明している、同調書中に
「会社(中央貨物)から途中で勝手に便乗させてはいかんと言われて居りました」
旨を証明している。
丙第二号証岩田治が和歌山地方検察庁田崎検事に陳述した供述書に依るも
「事故の起る前約四年間大体同じ時刻に前日と云う程でもないが数知れん程通過して居ります通過する時刻も大体同じ時刻であります」
丙第一号証宮地警察員に対する岩田治の陳述に依るも
「私は前科はありません又交通事故を起して警察で御取調べを受けるのは始めであります」
と無事故を証明している。
原審は「これを認めるに足りる証拠はない」と云つているけれども以上は皆十分な証明であるこれ以上に証明の方法はない原審は証拠を遺脱し且判断を為さず誤判を為したものである。
上告会社は選任及事業の執行の監督に付て前述の通り十分な注意を為している運送の途中に於て運送に関係なく被害者が構成せしめたる事故は上告会社と雖も関係はない上告会社が「相当の注意を為すも損害を生ずべかりしとき」に該当する原因なるが故に民法第七一五条但書の適用に依り上告会社に責任のない場合に該当するに拘らず証拠を遺脱し判断を誤解し民法第七一五条但書の適用を拒否したるは明かに同条を適用せざる違反がある。
第五点 原審は審理不尽且社会の実験則に反し民法第七二二条第二項(過失相殺)を適用せざる違法がある。
民法第七二二条第二項には「被害者に過失ありたるときは裁判所は損害賠償の額を定むるに付き之を斟酌することを得」と規定し相手方より過失相殺の抗弁ありたるときは裁判所は被害者に其原因の有無を判断せなければならない職責がある。
上告人は被害者市蔵にも過失がある損害賠償の額を定めるについてはこれを参酌されなければならないと抗弁した(原判決十枚目裏九行目及び昭和二八年六月二五日附準備書面第五項引用)
昭和二四年一〇月一一日午前五時廿分頃事故が発生し被害者市蔵が死亡したることは結果である、其原因を究明せなければ責任の所在を明確にすることはできない。
然ると原判決は(十三枚裏十行目)本件事故のようなことは市蔵が本件貨物自動車に乗車する際には何人も予想できないことであるから……市蔵も本件事故の発生に付て過失があるものということはできない」と。これは上告人こそ予想することが出来ないことである且市蔵は乗るべからざる車に強いて乗り自ら其原因の一端を作り故意又は過失を犯しているのである。
原審は当然に乗車する権利かあるが如く誤解し不正乗車であることを看過している全然之を考慮に入れていない尠くとも過失の有無を判定するには(一)市蔵はトラツクに乗る権利がない者、(二)松広清重運転手より乗車を拒まれている汽車に乗つて帰つても間に合うから汽車で帰つてくれと言われている新多は無理に運転台に乗込んだ不正乗車者である(昭和二六、九、八日松広清定証人調書)(三)乗車の時刻は午前二時深夜山間道路を貨物を急送するということは危険が伴い易いこと、(四)市蔵は運転手より制止されたるに泥酔して居たこと、(五)岩田及松広は被害がなかつたにも拘らず市蔵は泥酔の為め意識の明瞭を欠き身体の自由なる運動を失つていた自ら危険を脱する注意が必要である、(六)市蔵に過失がないとは如何なる証拠と理由によるか泥酔して自ら其危険を冒して居ることを如何せん。
原審は旅客自動車が客を乗車せしめた場合と同一視したる衡平の観念社会の実験法則に反したる違法がある。
過失相殺の抗弁を根拠なく排斥し民法第七二二条を適用せざるは独断であり審理不尽且実験法則に反するものと謂わざるを得ない。
第六点 原判決は損害金額に付誤算がある且実験法則に反する。
原判決の認定する所に依れば新田市蔵は株式会社日海の社員として死亡当時(昭和二十四年十月十一日)給料として毎月一万二千円也の支給を受け内四千円也を市蔵の小遣に費消し八千円也を妻澄子に渡して居た、明治三十八年五月十八日生の者で死亡した年令は四十四年四月余で残生命は二十三年余あり可動年齢は六十歳と仮定し其間十四年余がある此間の収入をホフマン式計算法に依り前渡するときは主文の通りの金額になるというのであるが原審は余命年限十四年余を同一収入あるものと仮定しその仮定の下に得べかりし利益の喪失を計上せられたものである、然るに株式会社日海は昭和二十五年九月休業したことは当事者間に争がないと(判決十六枚目裏二行目)判決せられている。然らば其時既に失職し給料の受給は消滅に帰した、原審は特別の事情が認められない限り一ヶ月一万二千円也の収入が継続されるものと想定するという(判決十七枚目表)乍併自営は資金を必要とし損益は場所と設備及人に依り一定しない時間と事蹟の経過に俟たなければ数額の算定の基礎は生じない原審は給料生活と自営営業とを同一視し損害の基礎を通算している点に根拠を欠き実験法則に惇るものと謂わざるを得ない。(昭和三〇、六、二三日附第三準備書面引用)
第七点 原判決は事実の認定に錯誤があり上告人が明白に争つて居る事実を争いなしと断定し争点を脱漏し判断を遺脱せる違法がある。
原判決十七枚目裏二行目に「もつとも被控訴会社が労働基準法第七九条の規定に基き市蔵の遺族に対し二十五万円の遺族補償をしたことは当事者間に争がなく」と断定して居られるが上告会社は第一審以来争つているのである。株式会社日海が支払つたという事実は認めていない、上告会社が第一審の判決摘示六枚目裏三行目以下第十行目に「原告等主張のその余の事実は総て之を争う」と主張し原審(第二審)判決十枚目裏十一行目に「いずれも原判決事実記載と同一であるから之を引用する」と第一審判決摘示通り反覆主張を為し日海が支払つた事実は飽くまで争つている上告人の昭和二九年五月二六日附第二準備書面第五項に於ても其主張を反覆し「被控訴会社日海が控訴会社に対し損害賠償請求権を有する法律上の根拠は毛頭ない」と明白にして居るのである原審は争点を脱漏し判断を遺脱したる違法がある。 以上