大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和36年(あ)2486号 判決 1963年12月24日

被告人 野田五郎(仮名)

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人米野操の上告趣意第一点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、同第二点は、事実誤認の主張であって、いずれも適法な上告理由にあたらない。

しかしながら、職権をもって調査するに、原審の認定した事実によれば、被告人は昭和一五年九月一日小玉辰男とその妻ヒサコとの間に出生した七男として戸籍に登載せられ、昭和二九年五月四日同人等夫婦の代諾により本件被害者野田時男及びその妻昌子と養子縁組をした旨届出がなされているが、他方において、被告人は真実は小玉辰男とその妻ヒサコとの間に生れた実子ではなく、同人等の長女小玉キミコ大正七年三月三〇日生の私生子として出生したものであるところ、辰男夫婦が世間態を憚って被告人をその間に出生した七男として虚偽の届出をしたものであるというのである。従って、小玉辰男、同ヒサコは被告人の親権者でないことは明らかで、同人等が代諾した、被告人と野田時男、同昌子との間の養子縁組は、戸籍上に真正の代諾権者による代諾が表示されていない点において、その効力を生ずるに由ないものといわなければならない(なお、右無効は、人事訴訟手続による確定または戸籍の訂正をまたず、民事にかかる別訴あるいは本件のような刑事訴訟における前提問題として、別個、独立に主張、判断しうるものと解すべきである。)。

もっとも、一五才未満の子の養子縁組に関する法定代理人の代諾は法定代理に基づくもので、その代理権の欠缺は一種の無権代理と解するのを相当とし、満一五才に達した養子は、法定代理人でない者が自己のため代諾した養子縁組を有効に追認することができ、しかもこの追認は黙示で足り、その意思表示は満一五才に達した養子から生存養親に対してなすべく、適法に追認がなされたときは縁組はこれによって当初から有効となるものと解するのが相当であり(昭和二四年(オ)第二二九号、同二七年一〇月三日第二小法廷判決、民集六巻九号七五三頁参照)、このことは、刑法上、直系尊属としての養親にあたるかどうかの解釈についても、少くとも犯罪行為以前における本人の追認に関する限りは、あてはまると考えられる。

ところで、本件記録に徴するに、被告人が本件犯行前に被告人のため本件養子縁組を代諾した小玉辰男、同ヒサコ夫婦が被告人の親権者でないこと、換言すれば、前示のような養子縁組無効原因の存在することを認識しながら右養子縁組を追認したとするに足りる資料は認められない。のみならず、原判示のような、被告人と養親との生活事実ないし被告人の養親に対する孝養の事実自体をもって、黙示的追認があったとする等、前示無効な養子縁組を遡及的に有効ならしめる事由と認めることも、もとより失当であるといわなければならない。されば、原判決には、右の点において事実の誤認があり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかで、原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められるので、刑訴四一一条三号、四一三条本文により主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官石坂修一の後記少数意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官石坂修一の少数意見は、左の通りである。

本件記録中の証拠書類によれば、未成年であった被告人と被害者野田時男との養子縁組には、被告人の代諾権者であるその実母が事実上これを承諾し、これとその代諾の委任とに基づき右実母の父母が代諾したことを推知し得ないではない。

そればかりでなく、養子縁組は、当事者間の意思の契りがあったとの事実における関係のみによって成立するものではなく、その契りが、民法及び戸籍法に従った書面に現わされ、その届出があって始めて適法に成立する法律上の関係であり、しかも当事者の意思に添いながら、これと別個に存在するものである。かかる性質を持つ養子縁組は、当事者の意思の合致による届出によるか或は判決によつてのみ解消し或は無効とせられるのである。

しかも、本件において、前記の如き解消の届出又は無効或は解消を宣言する判決がなかったのであり、また、記録に現はれた証拠によれば、本件犯行当時、被告人みずから、右野田時男の子であり同人が父であると信じて居ったことに、少しも疑を容れる余地がない。被害者時男は、本件犯行当時、刑法上被告人の直系尊属に当って居つたといはねばならない。

以上の見解に立って、わたくしは、被告人が野田時男を殺害したことによって、尊属殺人が成立するものとなすべき理由があると思料する。

検察官 中村哲夫公判出席

(裁判長裁判官 河村又介 裁判官 石坂修一 裁判官 横田正俊 裁判官 垂水克己は退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官 河村又介)

弁護人米野操の上告趣意

第一点 原審が被害者野田時男を被告人の養父と認定したのは、法令違反・重大な事実の誤認であり、少くとも審理不尽の違法があって、破棄を免れないものと思料します。

原審は、昭和二七年一〇月三日最高裁判所第二小法廷の判決(同民事判例集七五三頁)の趣旨を援用して、被告人と被害者野田時男およびその妻昌子との養子縁組は、戸籍に被告人の父母として登載されているのみでその実親権を有しない小玉辰男夫婦(弁護人註・同人らは被告人の祖父母である)の代諾によってなされたものであるから、本来その効力は生じないのであるが、「被告人が満一五才に達して以来六年以上(弁護人註・被告人の生年月日は昭和一五年九月一日で、満一五才に達したのは昭和三〇年九月一日であるから、本件犯行の発生した昭和三五年一二月九日までの期間は、五年三カ月八日である)の間被害者夫婦を真の養親(弁護人註・有効に縁組が成立している養親という意味であろう)と仰ぎ、只管孝養を尽してきた養子としての自覚と態度に徴すれば、無権代理人小玉辰男夫婦がなした代諾による養子縁組を満一五才に達した後、野田時男・同昌子に対し自ら暗黙に追認したものと断ずるのが相当であり、右養子縁組は届出当時に遡ってその効力を生じたもの」となる旨を判旨して、第一審が被害者野田時男を被告人の養父と認定した判決を容認した。

しかし、

一、親権者でない戸籍上の父母が代諾した養子縁組について、大審院当時つねにこれを無効とする態度をとっていたのに、前掲最高裁判決がその見解を改め、養子が満一五才に達して後に明示または黙示の方法で縁組を追認することによって、はじめから有効になるものと解したのは、従来このような縁組の無効を主張するのはもっぱら養親側であって養子の方から無効を主張した例がなく、しかも縁組を無効とすることはいつも不当に養子の利益を犠牲にして、養親側のわが儘勝手な経済的利慾を満足させる結果となっていたし、当該事案も戸籍上・実際上ともに三〇年の長い間養親子関係を継続していた養子と養父を相手に養父の後妻の子から縁組の無効を主張した事件であって、縁組を無効とすることが極めて不当と考えられた(我妻栄著判例漫策五頁参照)ためで、その内容は本件と全然相違しているから、これを本件に援用するのは適当ではない。

二、また、無効の縁組について有効な追認がなされたものと認めるには、その前提として、養子において縁組の無効であることすなわち自己の縁組が無権代理人の代諾によってなされたものであることを認識していることが要件であり、その認識があってこそ無効の縁組をはじめから有効なものとさせるか否かの意思決定をなし得るわけであるが、被告人は中学二年頃(弁護人註・本件縁組の届出は昭和二九年五月で、その後間のない頃である)自分が時男夫婦の実子でなく、養子であることおよび縁組届出のなされていることを知った(被告人の検察官調書三項参照)のであるが、

被告人の実母が小玉辰男夫婦の長女キミコであること

縁組を代諾した辰男夫婦が被告人の親権者でないことは、被告人が本件犯行時はもとより第一審判決当時にも承知せず、第二審係属中当弁護人から告げるまで何人からも知らされていなかったのである(本件記録中に、被告人が縁組の代諾者辰男夫婦が親権者でなく、従って縁組の無効であることを満一五才に達して後本件犯行時までに認識していたという証拠が皆無である)から、原審が被告人において縁組の無効なことを知っていたか否かにつき何ら審理をなすことなしに、ただ「被告人が満一五歳に達した後六年(弁護人註・五年三月の誤であることは前記のとおり)の間被害者夫婦に対し実子同様の孝養を尽した」事実のみを捉らえて、無権代理人のした無効の代諾縁組を「追認したものと断じた」のは、追認の意義を誤解し、よって重大な事実誤認をおかしたか少くとも審理不尽の違法があり。

三、さらに、追認の有無について、原審が被告人において被害者夫婦に孝養を尽した一事をもって暗黙の追認をしたものと断定したことは、まことに被告人の心情を無視したもので、被告人としては幼時から被害者夫婦の一人子として養育され同人らの実子と信じていたのに、中学二年のとき他から貰われてきた養子であり、実の親が他にあることを知ったときの驚愕・動揺は察するに余りあり、当然出生の実情殊に実親(弁護人註・当時は辰男夫婦を真実の親と考えていた)に対する複雑な思慕・愛憎の念に悩んだものの、何分にもまだ少年であり実親の顔も知らねば文信もないため如何ともなしがたく、また被害者夫婦がつとめてそのことに触れないようにしていたので、長年の惰性によって従前どおり実子と同様に仕え、殊にその頃から被害者時男が職を失い賭事飲酒にふけって生活が乱れてその妻昌子が被告人を生涯のたよりに考えていたから、その慈愛に報いるべく孝養を尽していたものであって、右は人間としての道を履践したまでのことに過ぎず、それが本来無効の養子縁組について追認という法律上の効果を付与するものと考えていたわけでないから、原審が孝養の事実をもって追認ありと断じたことは、法令の解釈を誤ったものと考える。

第二点 原審が、被告人に殺意があったと認定したことは、重大な事実の誤認であると思料します。

本件記録を検討すると、被告人の警察における自首調書には確定的殺意、同検察官調書には未必的殺意の各供述記載があり、第一審検察官は前者すなわち確定的殺意を主張し、被告人は公判で殺意を否認し、その理由として右両調書記載の供述をしたことがない旨訴えたが、第一審は未必的殺意を認定し、原審またこれを認容した。

原審が未必的殺意を認容したのは、前記検察官調書中

父を殺してやろうとまでは考えていなかった。しかしお示しの出刃庖丁で胴体を二、三度突いたのだから、重傷を負うて死ぬかもしれんとは考えた。結果はどうなってもいいと夢中で刺した。……殺してやった方がいいとは思っていなかった。どうにでもなれという気持でした。

旨の供述記載を措信したことによるのであるが、この記載は被告人の自発的任意の供述ではなく、検察官が警察の自首調書に基づいて誘導的質問をした上、さらにその答弁をも押付けて調書を作成した疑が濃厚で、信用性がないものと考える。

この場合

出刃庖丁で胴体を二、三度突けば、重傷を負うて死ぬかもしれんと考えた。

旨の記載であれば未必的殺意の記載ということができる。しかし本件調書の如く

出刃庖丁で胴体を二、三度突いたのだから、重傷を負うて死ぬかもしれんとは考えた。

旨の記載では、犯行時の意思を表現したのではなく、取調時の考えを記載しているに過ぎないから、右は未必的殺意の供述記載であると理解することが不可能であるし、また、その次の

殺してやった方がいいとは思っていなかった。どうにでもなれという気持であった。

旨の記載は、被告人が殺意を否認したとき、取調官が確定的殺意の否定を認めてやるかわりに、未必的殺意の自白を押し付けるときにしばしば用いる記載例であり、本件被告人としては被害者から棒切れでなぐられたとき相手は柔道五段整骨士の免許をもつ猛者であって到底相手になれないからその場を逃げ去るのが精一杯であって、そのとき直ちに自宅から庖丁を持ち来って相手を殺害しようと決意したと考えられず、また、自宅から庖丁を持出し表道路に出たとき、直ちに相手を突刺したのではなく、相手が棒でなぐりかかるのを避けて逃げようとしたが、追いつかれたため、やむなく夢中で刺したもので未必的殺意すら生ずる余裕がなかったのである。この記載によって、被告人が検察官に対し自首調書記載の確定的殺意を否認したことが明瞭であるばかりか、未必的殺意をも否定したのだが、おそらく検察官が

お前は殺意がなかったというが、胴体を出刃庖丁で二、三度突いたのだから、重傷を負うて死ぬかもしれんと考えただろう。

と詰問し、肯定的答えを強要した結果かような調書を作成されたものと推測されるのであって、信用性が疑われる。

大体犯罪の搜査は事件の大小その他によって取調の態度や方法並びに調書の内容など自ら差異があり、重大事件については軽微な事件に比して被告人を取調べる態度も慎重となり、取調べる事項も詳細に亘り、また被告人の弁解も十分聴取して事件の真相を明確にすべく努力するのが常道であり、尊属殺はその法定刑が一般殺人罪よりも一層重く死刑と無期懲役に限られているのであるから、格別慎重な取調を要する事案であるにもかかわらず、警察の自首調書は僅か二、三〇分間の取調で作成されていたというであり(第一審証人生島甚六の証言六項参照)、また、第一、二審が殺意認定の唯一の資料である前記検察官調書を比較すると、後者は全く前者の焼直しに過ぎないことが明らかである。右自首調書中殺意および犯行に関する部分すなわち

父から棒でなぐられて、ようし殺してやろうという気になり、走って家に引返し、台所にあった出刃庖丁を取り出して父の方へ引返した。そのとき父は捧切を持って洗心寮の前附近の道路を歩いていたが、私の姿を見かけて又棒を振り上げ殴りかかってきたので、殴られる前に右手に持っていた庖丁を力まかせに正面から突刺した。夢中で刺したのでどの附近を刺したのか覚えない。

旨の記載を検討すれば、

1 被告人はこれまで長い間被害者から再三目にあまる暴行をうけても、いつも隠忍自重して絶対反抗したことがなく、また反抗するような性格でもないのに、そのときに限って何故反撃を決意したのか、殊に殺害という重大な決心をするにいたったのは何故なのか、

2 家に走り帰ったのは、出刃庖丁を取りに行くためだけだったのか、父の許から逃げるためではなかったのか、

3 庖丁を持って家を出たのは、被害者の許へ引返して突刺すためだったのか、被害者から逃れるため他処例えばいつも避難していた小西邦枝方などへ身をかくす考えではなかったのか、

4 表道路で被害者と出会ったとき、直ちに被告人の方から積極的行動に出たかどうか、

5 被害者に出会った場所と庖丁で突刺した場所とは同一なのか、もし場所が異るときはその理由、

6 被害者を殺害した後に自分はどうする考えであったのか、

などの疑点が生ずる筈であるから、検察官として被告人を取調べる際にはこのような諸点について被告人に質しその結果は調書に記載されるのが当然であるが、本件検察官調書は自首調書の内容をそのまま書き移しただけで、前記疑点を解明しようとした形跡すら見当らないから、被告人に対し十分弁解を尽させ事件の真相を究明されたものと考えることができず、ただ自首調書をそのまま押付け、被告人の弁解に耳をかさなかった疑が深く、その供述記載に信用性がないから、これを唯一の証拠として未必的殺意を認容した原審の判断は重大な事実誤認であると考える。

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