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最高裁判所第三小法廷 昭和39年(オ)368号 判決 1967年5月30日

上告人

南部文二

上告人

南部利子

右両名訴訟代理人

安藤一二夫

岡田豊松

被上告人

東光自動車交通株式会社

右代表者

菊地堅護

被上告人

菊地堅護

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人安藤一二夫の上告理由第一点について。

本件事故発生の主たる原因は、自動車運転者栗林勇の運転上の過失にあるが、上告人南部文二が、判示のように、すぐ近くにある横断歩道によらないで、危険な状況のもとに道路の横断を企て、しかも、道路中央附近に佇立したまま、接近して来る自動車に対する適切な避譲行為をとらなかつた点において、同上告人にも過失のあることは否定できないとし、その過失を、本件損害賠償額の決定にあたり、判示の程度斟酌した原審の判断は、原審の確定した事実関係のもとにおいては、相当と認められ、その間に、所論のような違法は存しない。それゆえ、論旨は採用することができない。

同第二点について。

民法七一五条二項にいう「使用者ニ代ハリテ事業ヲ監督スル者」とは、客観的に見て、使用者に代り現実に事業を監督する地位にある者を指称するものと解すべきであり(昭和三二年(オ)第九二二号、同三五年四月一四日第一小法廷判決、民集一四巻五号八六三頁)、使用者が法人である場合において、その代表者が現実に被用者の選任、監督を担当しているときは、右代表者は同条項にいう代理監督者に該当し、当該被用者が事業の執行につきなした行為について、代理監督者として責任を負わなければならないが、代表者が、単に法人の代表機関として一般的業務執行権限を有することから、ただちに、同条項を適用してその個人責任を問うことはできないものと解するを相当とする。

したがつて、被上告人菊地堅護をもつて同条項にいう代理監督者であるとするためには、同被上告人が前記栗林の使用者たる被上告会社の代表取締役であつたというだけでは足りず、同被上告人が現実に右被用者の選任または監督をなす地位にあつた事実を、その責任を問う上告人らにおいて主張立証しなければならない。ところが、かかる具体的事実については、原審において上告人らから何らの主張もなされていないのみでなく、原判示によれば、右栗林の所属する被上告会社中野営業所の営業については、被上告人菊地がこれを具体的に監督する関係にあつたとは認めがたいというのであつて、この認定は、挙示の証拠関係に徴し肯認しうるところであるから、右栗林の行為につき同被上告人に対して代理監督者としての責めを問うことはできないとした原審の判断は正当というべく、右判断ないしその前提たる事実認定に関し、原判決に、所論のような、法の解釈や立証責任の分配を誤つた違法があるものとは認められない。それゆえ、論旨は採用することができない。

同第三点について。

原審が、その認定した上告人南部文二の負傷および後遺症の程度その他諸般の事情に鑑みると、本件事故により被害者の妻である上告人南部利子の被つた精神的苦痛は、いまだ同上告人自身の権利として慰藉料請求権を認めなければならない程重大なものとはいえないとして同上告人の請求を排斥した判断は、正当として首肯できる。原判決に所論の法令解釈の違背があるものとはなしえず、論旨も採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(横田正俊 柏原語六 田中二郎 下村三郎 松本正雄)

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