最高裁判所第三小法廷 昭和39年(行ツ)69号 判決 1965年2月09日
上告人
森下次雄
外二一名
右訴訟代理人
本村善太郎
同
森静雄
被上告人
熊本県選挙管理委員会
右代表者委員長
本田義男
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人本村善太郎、同森静雄の上告理由について。
論旨は、要するに原判決が本件選挙における投票中漢字、平仮名、片仮名またはこれらを混用して「さかたみちた」と読まれる投票二四五票及びこれと同様の記載と認められる九票(以下併せて坂田道太票と称する)を、候補者坂田道男の得票と認めず、これを同候補者の長男坂田道太に宛てられた無効投票と解したのに対し、右道太が本件選挙に立候補したと考えた選挙人はほとんどありえない実情にあつたのにかかわらずかかる判断をしたのは、証拠を無視し、かつ経験則に反して事実を確定し、ひいて公職選挙法の趣旨に反して投票の効力を判断したものというにある。
本件においては、前記候補者の坂田家は八代地方における名家であり、道男及び道太は上告人ら主張の経歴ないし地位にあつて、いずれも同地方の著名人であることについては、当事者間に争はないのであるが、原判決は、かかる事実及び本件にあらわれた全証拠によつても、上告人らの主張するように、地方民一般に、市長といえば父の坂田(道男)を意味し、代議士といえば子の坂田(道太)を意味するという程度に、人物の区別が十分認識されていた事実、したがつてまた選挙人は、市長選挙に立候補といえば直ちに父の坂田を想起し、子の坂田がこれに立候補したと考えるはずのありえなかつた事実まではなお認めがたい旨を判示しているのである。そしてこの判断は、本件各証拠に徴しても、また氏名の近似する者についてはその人物に誤認混同の生ずる虞れの考えられることからいつても、必ずしも所論のように証拠を無視し経験則に反したものということはできない。論旨は、坂田道男の名が道太と誤記されやすかつた事情を詳論するが、坂田道太票のすべてが坂田道男の名の誤記によるものと推認するに足りない。したがつて、たとえ坂田道太票のうちに道男の名を誤記した投票の存在が推測されるにしても、どれだけがそのような投票であり、どれだけがその表示どおり道太に宛てられた投票であるかを判別できるだけの根拠の認めがたい本件においては、結局、坂田道太票は、道太を選挙する意思をもつて投ぜられた疑のある投票と解するほかなく、坂田道太票のすべてを直ちに坂田道男の得票に算入することが許されないことは、投票効力の判断としてやむをえないところである。してみれば、仮に原判決が坂田道太票のすべてにつき候補者でない道太を表示したものと推認する強い事情のあるものと判断したのは妥当でないとしても、なお本件選挙において道太に投票する意思の選挙人のありえなかつた事情が肯認しがたいかぎり、坂田道太票を無効と断じた原判決の結論は動かしがたく、論旨は採用しがたいものといわなければならない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官柏原語六 裁判官石坂修一 五鬼上堅磐 横田正俊 田中二郎)
<上告理由省略>