最高裁判所第三小法廷 昭和46年(あ)1437号 判決 1973年4月10日
主文
原判決のうち、第一審判決の判示第一および第二の各事実に関する部分を破棄する。
本件のうち、右破棄部分を広島高等裁判所に差し戻す。
その余の本件上告を棄却する。
理由
弁護人山枡博の上告趣意第一は、違憲(三一条違反)をいうが、所論は、原審で主張、判断を経ていない事項に関する主張であり、同第二は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。
しかし、所論にかんがみ、職権で調査すると、原判決が是認した第一審判決は、判示第二の道路交通法違反(いわゆる酒酔い運転)の点については、被告人が、右判示の日時、場所において、自動車を発進進行させたものとは、証拠上認めることができないとしながらも、被告人が、右日時、場所において、呼気一リットルにつき1.5ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができないおそれのある状態で、帰宅するため、路上に駐車してあつた軽四輪貨物自動車に乗車し、エンジンの始動を開始し、エンジンを暖めるためアクセルを踏むなど発進のための準備として自動車の装置を操作したとの事実を認定したうえ、右所為は、道路交通法(昭和四五年法律第八六号による改正前のもの。以下、単に「改正前の道路交通法」という。)一一七条の二第一号に該当するとして、有罪の判断をし、また、原判決は、第一審判決の認定した被告人の右所為は「運転」にあたらないからこれに対し同条を適用した第一審判決には法令の解釈適用の誤りがある旨の弁護人の控訴趣意に対し、「道路において走行する目的で自動車のエンジンを作動させている場合には、発進前または停止中であつても、道路交通法二条一七号にいう自動車を『その本来の用い方に従つて用いる』場合にあたると解するのが相当であるところ、証拠によれば、被告人は、第一審判決判示第二の日時、場所において、自宅に帰るため、道路上に駐車させてあつた軽四輪貨物自動車に乗車し、エンジンを始動させ、発進しようとしていたことが認められるので、被告人の右所為は自動車の運転にあたる」旨の理由で、これを排斥し、第一審判決を維持しているのである。
しかしながら、道路交通法二条一七号によると、改正前の道路交通法一一七条の二第一号にいう「運転した」とは、「道路において車両等をその本来の用い方に従つて用いた」との意味であるところ、自動車の本来的機能および道路交通法の立法趣旨に徴すると、駐車中の自動車を新たに発進させようとする場合において、右にいう自動車を「本来の用い方に従つて用いた」とは、単にエンジンを始動させただけでは足りず、いわゆる発進操作を完了することを要し、かつ、それをもつて足りるものと解するのが相当である。本件において、第一審判決および原判決の認定した被告人の前記所為は、自動車の発進操作を完了するまでには至つていないものと認められるから、被告人の右所為は、自動車を運転したことにはならないものというべきである。そうとすると、右所為が自動車を運転したことにあたるとして、これに改正前の道路交通法一一七条の二第一号を適用して有罪とした第一審判決を是認した原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の解釈適用の誤りがあり、これを破棄しなければ著るしく正義に反するものといわなければならない。
ところで、第一審判決の主文は、被告人に対し、禁錮四月、罰金三、〇〇〇円(五〇〇円を労役場留置一日に換算)および一、〇〇〇円紙幣一枚没収の各刑を科したものであるが、その法令の適用に徴すると、判示第一(一)の各業務上過失傷害ならびに同(二)および判示第二の各道路交通法違反の各罪については禁錮刑を、判示第三の贈賄申込罪については罰金刑および没収刑を科していることが明らかである。したがつて、第一審判決中、判示第一および第二の各事実に関する部分と、判示第三の事実に関する部分とは、可分であり、また、右第一審判決の全部に対する控訴を棄却した原判決も、右同様可分である。しかし、原判決中、第一審判決判示第一の各事実に関する部分と同第二の事実に関する部分とは、第一審判決が右各事実につき一個の禁錮刑を科しているのであるから、不可分の関係にある。しかも、前記のとおり、破棄理由にあたる原判決の法令違反は、第一審判決判示第二の事実に関してのものであるから、右法令違反を理由に破棄すべき原判決の範囲は、第一審判決判示第一および第二の各事実に関する部分であることを要し、かつ、それをもつて足りる。
よつて、原判決中第一審判決判示第一および第二の各事実に関する部分については、刑訴法四一一条一号により、これを破棄し、同法四一三条本文により、本件のうち、右破棄部分を原裁判所である広島高等裁判所に差し戻し、原判決中第一審判決判示第三の事実に関する部分についての被告人の上告は、上告趣意としてなんらの主張がなく、したがつて、その理由がないことに帰するので、同法四一四条、三九六条により、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
この判決は、破棄・差戻の部分につき、裁判官天野武一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官天野武一の反対意見は次のとおりである。
私は、原判決が、第一審判決判示第二の道路交通法違反の点を是認し、被告人の所為をもつて自動車を運転したものであると認定してこれに改正前の道路交通法一一七条の二第一号を適用して有罪としたことに誤りはない、と考える。したがつて、原判決のうち第一審判決判示第一および第二の各事実に関する部分について破棄したうえ、その破棄部分を原審裁判所に差し戻すべきものとする多数意見には賛成できない。その理由を次に述べる。
(一) まず、多数意見は、同条同号にいう「運転した」とは「道路において車両等をその本来の用い方に従つて用いた」との意味であるところ、駐車中の自動車を新たに発進させようとする場合において、右にいう自動車を「本来の用い方に従つて用いた」とは、「単にエンジンを始動させただけでは足りず、いわゆる発進操作を完了することを要し、かつ、それをもつて足りるもの」と解すべきであるとするのである。したがつて自動車が発進進行すること自体を「運転した」ことの要件としない点において原審と見解を同じくするが、発進操作の完了を要求する点において彼此の見解を異にするということになる。しかし、ここにいう発進操作の完了とは何か(発進操作の完了を示すものとして具体的に認識さるべき行為ないし動作は何であるかについて、多数意見による明示はない。)につき通常の場合をもつて察するに、一般に発進操作の完了は直ちに発進の開始を意味することになるとみてよいであろうから、不測の故障その他偶然の事由により発進しなかつたようなとき(鎌倉簡裁昭和三五年八月一八日判決・下級裁判所刑事裁判例集二巻七・八号一一二二頁参照。このときには、自動車の発進進行がなければ運転とはいえないとする見解をとつても、運転と同一に評価することになろう。)でない限り、結局は外見的な発進の有無によつて運転の有無を判断することになるものと思われる。それだけに、多数意見の意味するところは慎重である。しかし、そのゆえにまた、発進進行をもつて運転の要件とする見解との間に事実のうえの相違を見出しがたく、多数意見による結論は、必ずしもそのいうごとくに自動車の本来的機能および道路交通法の立法趣旨に合致するとは限らないのである。
(二) 本件の具体例においては、昭和四三年一二月五日の夜九時二五分頃被告人が酒に酔い正常な運転ができないおそれのある状態にあつたことは争いのない事実であるところ、その状態で帰宅しようとした被告人が、第一審判決の判示によれば「路上に駐車してあつた自動車に乗車し、エンジンの始動を開始し、エンジンを暖めるためアクセルを踏むなどの発進のための準備として自動車の装置を操作したものであること」が認められ、また、原審判決の判示によれば「道路上に駐車させてあつた軽四輪貨物自動車に乗車し、エンジンを始動させ、発進しようとしていたこと」が認められるのであるが、いずれの判決においても、当時道路端より道路中央の辺まで被告人が自動車を進行させたかどうかにつき、附近警らの際これを眼前に現認して停止を命じた旨を証言する警察官の供述に対し、被告人の否認を容れて、発進の事実を認定せず、また、被告人の発進操作の内容がエンジンの始動程度以上に及んでいるかどうかについて具体的な判示を欠くところろから、多数意見は、被告人の所為を目して改正前の道路交通法一一七条の二第一号にいう「運転した」の域に達しないものと解し、この点に関し原判決に法令適用の誤りがあるとするに至つたのである。しかし、右に触れたごとく、この多数意見の立場は、その内包する若干の消極性のゆえに、道路交通取締法規の現実の要請に対する適応性に乏しく、私のよく賛成しうるところではない。
思うに、本件のような事情のもとで路上の自動車を発進させる場合に、最も基本をなす本体的な積極操作は、いうまでもなく動力を作動させることであつて、発進の意図は一般にエンジン始動の段階をもつてすでに明らかに実現し、道路交通法上「運転」と評価するに足る客観性を具有するものと解するのが相当である。これに伴いクラッチ・ペダルを踏みギヤーを入れるなどの操作は、瞬時に発進に直結する必然の過程としてほとんど一挙に採りうる手順であり、その余の装置の操作ないし動作は、発進抑制措置からの速やかな解放かまたは一種の情報伝達の連けい処理であつて、多数意見のいう自動車の本来的機能および道路交通法の立法趣旨に徴し合目的的に運転の意義を解釈するならば、本件における被告人の所為に発進意図の明確な実現をみて「運転した」ものと評価した第一、二審の判決の法令解釈は相当であり、右の一一七条の二が、とくに第一号をかかげて違反者自身にも及びうる危難を含む道路交通上の危険を防止するため、これを規制の対象とした趣旨によく合致するものといわなければならないのである。
(三) 念のために付言するが、論者あるいは改正前の道路交通法六七条二項(現行道路交通法六七条三項)を引用し、本件のような酒気帯び等の違反運転が行なわれるおそれがあるときは、警察官は、当該違反者に対し正常な運転ができる状態になるまで運転をしてはならない旨を指示するなど道路における交通の危険を防止するために必要な応急の措置をとることができるのであるから、本件の場合も右の一一七条の二第一号の対象とするまでもなく、順序として右六七条によつて事を処すべきであつたとの説をなすこともあろう。しかし同条の規定は、まず第一項(現行道路交通法においても同じ。)において、警察官が酒気帯び等の違反運転を現認したときに当該自動車を停止させる権限と免許証の提示を求めうる権限があることを定め、ついで第二項において、右の場合に当該運転者がさらにひきつづき酒気帯び等の違反運転をするおそれがあるときは、上述のような指示をするなど危険防止のために必要な応急措置をとりうる権限を定めたものであつて、酒気帯び等の違反運転をするおそれがある時点ですでに、酒気帯び等の違反「運転をしている」ことを警察官に現認され「停止」させられるという事態があつてはじめて右の応急措置をとりうるとする規定であることは、その文言上明らかなところである。したがつて、これを発進前の自動車内における本件被告人の所為に即していえば、その程度をもつてしてはいまだ「運転した」とは評価できないとする多数意見の見解にしたがう限り、警察官はこれに同条を適用して発進を停止することはもとよりこれにつづく危険防止のための所要の措置を講ずることもできず、ためにあるいは、いわゆる「自動車の発進操作の完了」するのを待つか、または発進の開始を見届けるかした後でなければその権限を行使できないという非実効的な姿勢をとらざるをえない結論となるのである。しかるに、本件記録によれば、被告人は自己の軽四輪貨物自動車を路上に置き、附近の飲食店街に赴いてすくなからず飲酒した後再び運転者席に立ちもどり、エンジンを始動させアクセルを踏んで発進させようとしたというのであつて、右六七条の適用上まさに「運転している」ものとして同条による適宜の措置を是認できる場合であると解すべく、また他面、同様の解釈により本件の被告人に対し前記一一七条の二第一号を適用処断した原審の判断に、法令適用の誤りがあるとすることはできないのである(酒気帯び運転取締のため改正前の規制にさらに一歩を加えた現行道路交通法六七条二項参照)。
よつて、私は、本件は、原審裁判所に破棄差戻すべきものではなくして、上告を棄却すべき事案であると考える。本件上告趣意のうち、第一の違憲(三一条違反)をいう所論は原審で主張・判断を経ていない事項に関し、同第二は単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらないからである。
(関根小郷 天野武一 坂本吉勝 江里口清雄)
<上告趣意省略>