最高裁判所第三小法廷 昭和48年(行ツ)90号 判決 1975年2月07日
岡山県倉敷市南町六番一号
上告人
斉藤竹郎
右訴訟代理人弁護士
甲元恒也
同倉敷市幸町
被上告人
倉敷税務署長旭幸治郎
右指定代理人
枝松宏
右当事者間の広島高等裁判所岡山支部昭和四五年(行コ)第四号課税処分取消請求事件について、同裁判所が昭和四八年七月二〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人甲元恒也の上告理由について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するか、あるいは原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 天野武一 裁判官 関根小郷 裁判官 坂本吉勝 裁判官 江里口清雄 裁判官 高辻正已)
(昭和四八年(行ツ)第九〇号 上告人 斉藤竹郎)
上告代理人甲元恒也の上告理由
原判決には次のとおり理由の阻悟があるか、若しくは立証責任の分配を誤ったもので採証方則に反し原判決の破毀は免れない。
一、原判決がその理由冒頭で援用する、第一審判決の理由中、(第一審判決十一枚目裏側中段附近)に、本件一連の譲渡の発端につき、これを社会的に把握して次のとおり認定した。
「他方、原告ならびに訴外池と知り合いであった訴外塩尻は訴外池に対してその頃から貸金等の債権を有しており、その他にも訴外池に債権を有していた者があったので……(中略)……これが売却代金から債権の回収を図り、かつ訴外池としてもその負っている他の債務を支払うことが出来るので、……(中略)……原告がこれを他に転売したならばその売却代金をもって、右訴外池の訴外塩尻等に対する債務を支払い、……面倒をみて貰らうことで(売買)契約を結んだ。」
以上の認定は正当である。
要するに訴外池の負債整理が、本件譲渡の動機として大きなウェイトを占めていた。
二、ところが後半(前同十三枚目裏中段)に至って、「原告は……被告主張の取得価格を越えて、これに算入すべき支出のあったことを主張するのであるが、」とにわかにその認定を変え、その際前述の動機に従い負債整理が行われたのであるならば、当然他の債権者に対する支払、弁済が如何になされたかが当然の論理として認定されざるを得ないのに、敢てこれを黙殺するかの論調を取って、「弁論の全趣旨に徴し明らかなように、原告は本件更正処分の効力を争いながら、税務署の調査、審査請求後は協議官の調査、そして本件訴提起後は事件の審理の過程を通じ、終始一貫して、その主張を裏付けるべき書証等の確認たり得べきものを提出することなく、……(中略)……追及をまぬがれようとした形跡のうかがわれる点を彼此勘案すれば、被告主張の取得額を越える原告主張のそれは存しないと認めざるを得ない。」と判示している。要するに債務整理の動機の認定は、その各弁済のあった事実を踏まえたものである筈なのに、上告人においてその主張する支払に符合する、領収証等の確認の提出がないから、その証拠のない以上、その部分の帰属がはっきりしないものとして、上告人の所得とみなすの外がない、と謂うのであって、結局この間の論理は、弁済の事実を踏まえずして、その負債整理の動機の認定をしたことに帰し、阻悟、喰い違いを看取するのである。
三、つまり問題は二つあって、その一は負債整理の目的で始った不動産処分が、ともかく処分後に、誰一人として訴外池の債権者で、その遺族に文句を言う者が無くなって終ったのであるから、当初の目的は達成せられた。つまり相応の債権者に対して、各相当額の弁済がなされ、整理の目的を達したものと認めざるを得ない筈であるのに、その債権者の住所、氏名の不明確な一事をもって、上告人が負債整理を中途で良い加減に放置して、その結果数額の計算上余剰となる原資部分を、一人占めでもって取り込んだとする、その論理が納得できない。
それからその二はともかく負債整理の目的で始った不動産処分である以上、上告人は本訴で負担する立証責任の限度で、負債整理のため相応の金員が相当の債権者あてに支払われたであろうことの、一応の立証を果せば足りる立場にあり、各支払先について判事の謂う確証の提出義務を負うものではない。(因みに本件の多数の債権者の個々については、訴外塩尻の熟知していたことであっても、住所、氏名等は上告人の関与すらしておらない領域の事務であったこと、その支払の事務一切は訴外塩尻が行ったので、上告人はその配当金の預け入れ等、詳細を知る由もなかったこと、従って当時これらの関係証拠を把握する余地もなかったという、立証者として特異な環境、立場にあったこと。然もその主張する債権者の各氏名が、本訴のように通例韓国出身者の通称や、帰化後の氏名として多用されている符牒であり、訴外池も同様に韓国出身であったこと等から、その間に金融取引があったであろうことは、吾人の常識から必ずしも想定に難くない事実であり、上告人としては可能な限度の立証活動を果したと考えている。)これを宛かも上告人において尚一層確信の得られる迄にその挙証せよと謂うのはもともと無理であり、その証明不十分であることの不利益を、上告人において負担すべきであるとすること、つまり証明不十分の範囲の金員は、帰属不明である以上は、その全部を上告人の所得と見做すという論法は余りにも飛躍し過ぎるものではなかろうか。
四、本件譲渡のあった昭和三五年頃は、当該土地を含む水島地区は、いわゆる土地ブームを呼んだ時代であり、日毎月毎に地価の値上りが続き、不動産取引により望外な利益を争う、異常な経済過熱を続けていた時である。つまり活溌な不動産の流通と、需要増に基く地価上昇の間は、早い話が、不動産を買い求めて手付金だけを支払い、残代金の支払期の未到来の時にあっても、既に他え有利に転売の可能な取引実情にあった。従って当該買主は転売代金の入手により、当初の売主あて買受代金の弁済も容易に都合がつき、且相応の利益も得られた時代である。この間契約書も作らねば、もちろん登記も省略していた。結局、素人であっても、又相応の資力がなくとも、転売に次ぐ転売という、その回転の早さの故に容易にその契約の履行と、利益の採算とが達成し得た。
今から考えれば、想像も出来ない特異な取引実態が随所で反復されていた。
本件の取引についても、これに類した色彩があり、上告人が本訴で主張する訴外小田、同高田両名の介在は端的な実例であって、同人両名は上告人らから本件土地を、坪当り金一八、〇〇〇円で買い求め、手付金五〇〇万円を支払い、残代金未精算の間に、訴外小林に対して坪当り金二二、〇〇〇円で転売した。これは明白な事実であり、関係者の間では衆知のことであった。(偶々訴外小林が契約ならびに代金支払等の一切は、登記名義人だけを相手として行う旨の強い要請があったので、上告人はこの決済の日に限り、あたかも前記小田、高田らの代理人として、訴外小林から残代金を受取っただけであった。)
そうして小田、高田ら両名は、当時その頃、本件の取引だけを一回だけ経験したと言うのではなく、当時の水島地区の土地ブームに便乗し、本件に類した態様、形式でもって、数多の土地取引に関与しているのであるから、結局反復累行された同種、同質の数多の行為の中から、特定の本件一件限りを抽出し、その一件についての特定と内実にわたり、詳細な説明を期待することがもともと困難なことであった。
原判決はかゝる特異な経済下における、異常な地域の取引の実情を踏まえないで、たゞ小田、高田両名の証言を表面的にのみ観察し、今日の落着いた時代に、冷静な協議、契約書交換等の行われる曲型的な姿の不動産取引の枠に、到底適合していないことの故をもって、その証言を措信しなかった疑がある。確かに小田、高田両名の証言を、今遂一仔細に吟味検討すると、若干その記憶のあいまいさ、事実存否の断定の歯切れの悪さがあるけれども、それは前叙の特異な経験に根差しているものであり、寧ろ高所から達観して、全事実の全貌の把握に力ある手段、発想を採るならば、到底原判決のような決論は出なかった筈のものであった。
要するに当時の土地ブームを知る一般市民の常識、感覚では納得のできない、採証方則の明らかな違背があると言うべきである。
以上