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最高裁判所第三小法廷 昭和51年(行ツ)76号 判決 1978年8月29日

上告人 渡久地政司

右訴訟代理人 尾関闘士雄 外二名

被上告人 佐藤保

右訴訟代理人 鈴木匡 外三名

右補助参加人 豊田市給与所得者連合会

右代表者 矢頭辰巳

右訴訟代理人 鶴見恒夫 外一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人尾関闘士雄、同山田敏、同佐藤典子の上告理由第一及び第二について

政治的団体に対する地方公共団体の補助金の支出を規整する根拠規定としては地方自治法二三二条の二以外には存しないとし、被上告人補助参加人に対する本件補助金の支出が同条にいう「公益上の必要」に基づくものであるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及び説示に照らして是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、採用することができない。

同第三について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江里口清雄 裁判官 天野武一 裁判官 高辻正己 裁判官 服部高顯 裁判官 環昌一)

上告代理人尾関闘士雄、同山田敏、同佐藤典子の上告理由

第一憲法違背

本件は、豊田市長の職にあつた被上告人が、政治団体である豊田給与所得者連合会(旧名、給与者連盟、以下単に、給連と略称)に補助金を支出した行為の違法性を問題とした、所謂、住民訴訟であるところ、原判決は、政治団体に対する公金の支出を憲法は禁じて居らないと判断した。

右は憲法の解釈を誤つたものである。

一 財政立憲主義と公金の私物化の禁止

我国の憲法は、国の財政に関し、財政立憲主義(財政議会主義)をその基本原則としていることは言うまでもない。(憲法八三条-九一条)

近代立憲国家と議会制民主々義発達の歴史を見れば、国王の課税と国費の支出権限に対し、議会が制約を加えようとしたところから始まつている。(権利の章典など)

又アメリカの独立戦争もその発端は関税問題であつた。

すなわち、国の財政作用は、国政全般の経済的基礎をなし、国民経済のあり方を決定付けるという意味で、最も、国民各階層の利害に関わるところであり、しかも、その負担は税として国民が担わなければならない。従つて、一般行政よりも特に強い国会の監督、統制下におくことが必要とされているのである。

そして、この憲法の趣旨は国の授権に基き統治作用の一部を委譲されている地方公共団体の財政にも、条理上当然に及ぶものと解せられている。

そして、かかる意味における財政立憲主義は、もとより国会、若しくは地方議会の議を経ることを単に「手続」として要請しているだけと解すべきではなく、その趣旨は、あくまで、権力による公金の私物化を防ぎ、財政の公正を維持するにあることをその趣旨とするものである。

公金が特定の政党若しくは政治団体に対して支給される事が許されるとしたら、与党勢力による公金の私物化を許し、その弊害は、はかりしれないこととなるだろう。

特定の政治団体に対して、補助金名儀で公金を支出することは、公金の私物化であり、財政の公正を害するものであつて、我憲法の財政立憲主義に違反するものである。(別紙鑑定書)

二 議会制民主々義と公金の支出

(一) 議会制民主々義は、政党を始めとする諸々の政治団体の存在と活動を当然に予定している。すなわち、複数の政党が、その掲げる政策と政治活動を以つて互に競い合い、多数の支持を得たものが政権を獲得し、その支持を失えば政権を手離す。この国民の批判による政権交替の可能性こそが、議会制民主々義の健全な機能を保障するかなめである。

財政の公正は、議会制民主々義が健全に機能する為の必須の要件である。

政権を握つている政党ないしグループが、公金を自己の支援団体ないし支持勢力の為に支出することは、公金による権力の自己培養を許すことになる。又自己の反対党派又は中間的党派に支出することは、常に他党派の懐柔・買収の危険性をはらんでいる。すなわち、政党ないし政治団体に対する公金の支出を許すことは、結局は権力が自己の利益の為に公金を用いることに外ならない。

権力が支出した公金は、やがては様々な形で再び権力に還流してくるからである。その形は、場合によつては政治献金としてであり、場合によつては選挙の際の票としてであり、あるいは先に述べた如く反対党派の懐柔である。

従つて、公金の政党・政治団体への支出を認めることは、我憲法の議会制民主々義の理念とは絶対に相容れぬところである。このことは、国政レベルに限定されるものではなく、地方公共団体においても全く同様でありかつ政党とその他の政治団体との間にも何らの相異はない。

(二) 下位法規の定め方

改正前の政治資金規制法は、第一条(目的)において、

「この法律は、政党・協会その他の団体等の政治活動の公明をはかり、選挙の公正を確保し、以て民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする」とし、

先年の改正では、同条を、

「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性にかんがみその政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政党その他の政治団体の届出、政治資金の収支の公開及び授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発展に寄与することを目的とする」と改めた。

この改正は、法の趣旨を変更したものではなく、より明確にしたものと考えてよいが、結局、議会制民主々義の健全な発達を「政治資金」の面から図つていこうとするものである。そして、改正前の同法二二条一項は、改正前の公職選挙法一九九条二項が、国又は地方公共団体から補助金等を受けた団体による選挙資金の寄附を禁じていて、公金が間接的な形にせよ選挙資金として用いられることのないように定めているのを受けて、

政治団体は、このような寄附を受けてはならないとして、寄附を受ける側から規制をしている。

このような政治資金規制法並びに公職選挙法の規定は、憲法の趣旨をより具体化したものと解せられるから、憲法解釈のうえで憲法の規定を補完するものとして参考にしうるものであるがこれらによれば、我憲法は、公金が政治資金として用いられることを原則として否定する趣旨であると解せられる。

原判決は、前記改正前の政治資金規正法二二条一項並びに公職選挙法一九九条二項の規定はいずれも選挙に関する場合に限つての禁止であつて、政治資金一般に公金が用いられることを禁止しているものではないとしているが、改正前の政治資金規制法の明文が選挙に限定しているのは、公職選挙法をそのまま受けるという規定の仕方をした為であり、改正後の同法二二条の三は、この点を改め、政治活動に関する寄附一般を禁止して、その趣旨を明確にしている。政党若しくは政治団体の政策を宣伝する様々な宣伝活動等も、結局は選挙の結果に影響を及ぼすものであることも又明らかである。とすれば公金の流入は、選挙資金に限つて否定され、他の政治活動資金としては是認される合理的理由はない。(もちろん、罰則の定めのある公職選挙法、政治資金規制法の解釈としては明文の定めを超えることが出来ないのは言うまでもない。)

(三) このように、政党若しくは政治団体への間接的な公金の流入すら否定されているのに、公金が直接政党等に支給されることを明文を以つて禁じた規定が無いのは、その違法性が余りにも当然と考えられたからに外ならない。(別紙鑑定書)明文がないからということで、このようなことが原則的に肯定されるとすれば議会制民主々義は、その実質を失うこと必至である。被上告人ですらも豊田市の補助対象団体の範囲・基準として、政治活動を行うものは除外すると主張しているのである。

三 政治活動の自由と公金の支出

憲法二一条は、政治活動の自由ひいては選挙活動の自由を保障している。

政党若しくは政治団体への公金支出は、与党勢力によるこれらの団体への支配介入をもたらし、又は、特定の団体を強化することによる反対勢力への妨害的機能を発揮するなど、国民の政治活動の自由を侵すものである。

四 憲法八九条と公金支出の原則

憲法八九条前段は、宗教団体に対する公金の支出を禁止している。

これは、憲法二〇条後段が『いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない』として政教分離の原則を述べているのを、財政面から明らかにしたものである。

これは、かつての天皇制国家と神道との関係を念頭に置いて、その反省から特に明記されたものであつて、信教や良心の自由に対する国家的コントロールを防止しようというのがねらいである。

又同じく八九条後段は、慈善、教育、博愛の事業に対しても、これらの事業が公の支配に服さない自主的なものである限り、公金を支配してはならないとする。これらの事業は内容的には本来公共的性格を持つのであるにも拘らず、国家などの奨励が許されない理由について、原判決は、公金の濫費を防止する趣旨だとして片づけてしまつているが、この三つを列挙したのには意味がある筈である。つまり、この種の事業は、それを行う者の思想、信条に基く自主的発意にのみ依拠して行われるべきであるとするのである。

若し国や地方公共団体が、これらの事業に対して公金を支出して援助したとすれば、当然国民や住民に対する責任上、公金が有効、適切に用いられたか否かを監視し干渉しなければならない。従つて、このような公の支配を受ける事業と、自主的に行われる事業とを峻別し、自主的事業は国などの援助を求めてはならず、又国や地方公共団体は援助を与えてその自主性を侵してはならないとするのである。

結局、憲法八九条は、前段において、政教分離と信教の自由を宗教団体への公金支出を禁止することで実質的に保障せんとしているのであつて、この趣旨は、政治活動の自由、政治的信条の自由の保障との関係では、政治団体への公金支出に関しても、同様に扱われるべきであつて、当然に禁止されていると解される。

又、八九条後段は、団体の自主性と公金との関係について規制することを第一義とし、加えて公金の濫費を防ぐ趣旨の規定と解されるが、如何なる団体にもまして、自主性をその本質とすべき政治団体に対する公金支出が、何らの制約なく認められていると解するのは、不合理であり、前記一、二において詳述した財政立憲主義、議会制民主々義の理念に照らしても憲法八九条は、政治団体に対する補助金支出を当然禁止したものと解される。(別紙鑑定書)

五 原判決は「民主々義の政治理念の下では、すべての個人又は団体が政治活動をなし、政治目的を併せ保つことは(他の弊害の発生しない限り)本来は推奨さるべきこととされている」とし、従つて「政治団体への公金支出を全面的に禁止するときにはそれによる弊害もありうる」と述べる。しかしながら、団体には親ぼく、趣味、研究等さまざまな目的を持つたものがあつて、政治団体でない限り、成員の政治意識もさまざまであり、決して全ての団体が統一した政治目的を持ちうるものではなく、一致して政治活動を為しうるものでもない。仮に他の目的と共に特定の政治目的をも併せ持つようになつた団体があつたとしても、公金の支出は当該政治目的に反対する国民の負担にも帰するものであるからその団体は政治活動を行なうか補助金の受給を請求するかの選択をしなければならない。

政治活動は、その性質上利害や思想信条による党派性を有するものであるから、公金の支給を受けて行うべきものではなく、支給を受ければ重大な弊害が必然的に生ずることは前述した通りである。そして一たんその団体に入つた収入は、団体が他に公益的活動を行つていたとしても、公益活動面にのみ用いられ、政治活動の面では決して用いられないという保障はない。

その団体の一般会計に入つてしまつた補助金は、当然その団体に利益をもたらし、その結果は当然に政治活動の面にも反映する。

現在、政党や政治団体の大衆の支持を得ようとすれば、本来の活動の外に或る程度の公益的活動、ないしはそのポーズをとらなければならなくなつているが、その場合に公益活動の為として補助金を支給すれば、それはまさに政治のレベルで効果を発揮することになる。従つて、例えば、或る団体が政治活動をも行い、かつ特定の公益活動も行おうとすれば、これは別個の組織を行つて、夫々会計を独立させるべきである。更に、政治資金規制法に基く届出を行うということは、自ら政治団体としての名乗りを上げるということである。対外的に、今後継続して選挙活動を含めた政治活動を行う旨の意思表示である。このような団体は、他に公益活動を行つているかの如きポーズあるいは多少の実績が仮に存したとしても、とうてい公金を支給される資格を持たないとすべきである。

六 結論

給連は、原判決も認定した如く、政治資金規制法第六条に基き、同法第三条二項の政治団体としての届出を為していた団体であつて、かつ、かつて豊田市を二分して争われた重大な政治問題である市名変更問題においてその一方の側にあつて中心的役割を果たし、(この事実を否定した原判決の事実認定の過程に訴訟手続の法令違反が存することは後に述べる)トヨタ自動車工業労働組合と手を組んで、原判決も認定している如く昭和三四年以来被上告人を市長選挙で推せんした事実を含め数々の地方選挙で候補者(その殆ど全てがトヨタ自工出身者である)の推せん、候補者への寄付等を初めとする選挙活動(推せんを除くものにつき否定した原判決には法令違背であることは後述する)実質的にも政治資金規制法第三条二項の政治団体としての内容を備えた活動を行い、トヨタ自動車工業株式会社の利益と深く結びついた市政の実現に協力してきたものである。かかる団体に対し、給連の推せんを受けて県会議員になり、更に市長となつたトヨタ自工出身の被上告人が年額金二四〇万円という多額の補助金を支給するということは、まさに公金の私物化の最たるものであつて、憲法の財政立憲主義、議会制民主々義の原則並びに政治活動の自由を保障した憲法二一条、公金支出の原則を定めた八九条前段、後段に違反するものである。

第二地方自治法二三二条の二解釈並びに適用の誤り

一 地方公共団体が行う補助金の支出の根拠規定は地方自治法二三二条の二であるが右規定の解釈に当つては上位規範である憲法の趣旨にのつとつて為されなければならず先に述べたような憲法の趣旨からすれば、政治団体に対する補助金の支出が、「公益上の必要」ある場合に該当すると解する余地はない。即ち、地方自治法二三二条の二は宗教団体などと共に政治団体への補助金の支出を除外していると解すべきである。

被上告人も、豊田市の補助対象団体の基準として、公益活動を目的としている団体であつても、政治活動を行う団体は除外することになつていると主張しているが、これは、まさに前記規定を正しく理解したものである。従つて被上告人自らの主張している支給基準にすら反して本件給連への補助金支出を以て、公益上の必要にもとづかぬ違法な支出とは判定し難い、とした原判決は、地方自治法二三二条の二の解釈を誤つたものである。

二 仮に原審の如く地方自治法二三二条の二の所定の「公益上の必要」の有無の判断のみが補助金の支出を規制する唯一の根拠だとする見解をとつたとしても、本件補助金の支出は違法である。すなわち、

(一) 本件補助金が公益活動に用いられたという事実の立証責任は被上告人にあるが、これを示す証拠は全くなく(補助参加人からも一片の領収証すらない)むしろ、補助金の流れを明らかにする証拠としては「毎年記念品を買つて会員に配つて来た、乙三号証添付の収支決算表の記載は架空のものであつて行事はやつていない、」という東部支部に関する、証人岡本朝光の証言や、「会費の徴収が困難なので、本部への上納金は、補助金を支部へ配付する際相殺していた」という、証人岡本朝光、同杉浦正美、同斉藤保夫、同柴田竹男、同矢頭辰己の各証言(会費を出したことがあると述べた証人は皆無である)

従つて「補助金が打ち切られた昭和四六年以降本部の活動はなくなつてしまつた、」という証人矢頭(給連会長)の証言が存する事実。これらの証拠から明らかになるのは、給連は会費の徴収すら行われていない団体であつて、全経費若しくは少なくとも本部経費はその全てを補助金に依存して運営されていたという事実である。

(二) 補助金が政治活動に使われない保障は全くないこと、むしろ、個々の金額は大きくないにせよ候補者への寄付をしていることから見れば、政治活動にも使われていた蓋然性がきわめて高いこと、少なくとも給連の成員には、本件補助金を政治活動に用いてはならないという意識は存しなかつたと推測される、という事実等がある。

(三) 支部の活動につき、原判決は支部によりまちまちであつたと認定しているが、不活発な支部を示す証拠は多々あるものの、活発な活動があつたという支部についての具体的立証は全くない。

(四) このような諸事実を総合した上で、本件補助金の支出が「公益上必要」とされる余地はなく、明らかに被上告人には裁量権の範囲を超えた違法が存するにも拘らず、本件補助金支出を地方自治法二三二条の二に適合すると判断した原判決には、法令の適用の誤りが存するものである。(北野弘久教授の別紙鑑定書参照)

第三訴訟手続の法令違反

給連がどの程度政治活動を行つて来たかは、本件補助金の適否を判断するうえで、最も重大な影響を及ぼすものであるが、

一 市名変更問題の認定過程における違法

(一) 原判決は、昭和三三年の市名変更をめぐる抗争において、給連は組織として賛成運動に携わることはなかつたと認定した。

その認定の理由は、

<1> 上告人提出の甲第二九ないし、第三六号証によつてもその事実を認め難い、

<2> 証人中沢志摩治の証言の一部によると賛成運動において給連の名は使われていなかつたことが認められる、

<3> 他に事実を認むべき証拠はないというものである。

(二) ところで、右甲第二九ないし第三六号証は、いずれも市販されている日刊新聞の記事であるが、ここにはいずれも端的に給連(当時の名称で給与者連盟)の名が市名変更賛成派の中心メンバーとして掲げられて居り、右各書証の記載からは、給連が市名変更運動を行つた旨の上告人の主張が当然是認される。

次に証人中沢志摩治の証言は、次の様なものである。

市名変更の時には賛成派だつたわけですか。

そうです。

どういう具体的な活動をしておるでしようか。

賛成派の中に入つてビラを出すとか……もちろん給連の名前は使いません。

給連そのものは賛成派に入つておるわけです。

この証言の趣旨は、「給連は賛成派の一員としてビラを出したりした。ビラには給連の名前を使つてはいないが、給連は賛成派の中に入つていた。」ということである。

(三) 原判決が、前記甲第二九ないし三六号証の明白な客観的記載に反する判示を行い、かつ前記証人中沢の証言の趣旨を誤解して前記認定に至つたのは、採証の法則に違法が存し、これは判決に影響を及ぼすこと前述の通りである。

二 判断遺脱

更に、市名変更問題に関しては、上告人は原審において前記各証拠の外、甲第四五号証を提出して居り、この中に市名変更賛成派としてリコール妨害活動を行つたものとして、給連が名指しで挙げられている。ところが原判決は右甲第四五号証に全く言及せず、判断の資料から欠落させた。これは、証拠に対する判断を遺脱した違法が存し、かつ判決に影響を及ぼすものである。

三 選挙運動認定過程における違法

(一) 原判決は、給連の選挙活動としては、候補者の推せんと、寄付のみを認定し他の活動は認定できぬとしている。

しかしながら、証人杉浦正美の証言によれば、給連支部は部落会とも協議のうえ支部の連絡会議で推せん候補者を決め、それを本部に報告をし、承認を得、連絡員を招集して右決定を伝えると、連絡員が各会員のところへ連絡をする(戸別訪問以外の何ものでもない)という形で下へ流す。当選後、二月に一回地元で市政報告会を行うことが条件づけられているし、又本部機関紙に議会の報告記事を書くことも約束されているというのである。この証言によれば、如何に給連組織が選挙の際に有効な働きをするかがうなづけるのである。

(二) 又、甲第四四号証と証人矢頭の証言並びに上告人の原審における供述によれば、昭和四六年の市議選における矢頭後援会の地域関係の分会の分会長若しくは副分会長として、同じ地域の給連の支部長全員が就任して選挙運動を行つていたことが明らかになつた。これは給連組織が実際の選挙運動を担つたことを意味している。

(三) 以上の事実が前記各証拠より明らかとなつているにも拘らず、これらの証拠について全く言及せず、看過したうえで「候補者の推せんの程度にとどまり、それ以上の積極的な選挙運動の行われた形跡はこれを見出すことが困難である」とした原判決は証拠に対する判断を遺脱し、かつ審理不尽の違法がある。

(四) 甲第四八、四九、五〇号証の一、二、五一号証、五二、五四号証の一、二によれば、給連はトヨタ自工労組と結んで、幾多の選挙活動を経験し、時には労組の代りとなつて給連が選挙運動を推進して来たことが認められるが、原判決がおおむね右事実を認めながらこれを「トヨタ労組のフラクション活動であり、給連の活動と解しえない」と判示した。しかしながら、右「フラクション活動」とは一般には「分派活動」などの意味で用いられる左翼用語と思われるが、一般には余りなじみがなく、原判決が如何なる意味で用いているのか意味不明である。仮に、トヨタ労組側が一方的に給連を利用しただけだという意味だとすれば、このトヨタ労組と給連の関係はトヨタ労組が給連をかくれみのとして選挙運動を行うことが、その本質であり、給連の役割はそこにあるのであつて、決して給連の預り知らぬところではない。(甲第五四号証の一、二は端的にこれを示す)いずれにせよ原判決は主旨不明であり、原判決のこの部分でなされている判断には理由不備(民事訴訟法第三九五条一項六号)の違法が存するものである。

<添付書面省略>

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