最高裁判所第三小法廷 昭和52年(オ)330号 判決 1977年12月06日
上告人
破産者株式会社秋田科学破産管財人
金野繁
被上告人
株式会社秋田銀行
右代表者
前田実
右訴訟代理人
伊藤彦造
主文
上告人の本訴請求中被上告人に対し三八万〇七八一円及びこれに対する昭和四九年八月一三日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員の支払を求める部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
被上告人は上告人に対し三八万〇七八一円及びこれに対する昭和四九年八月一三日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
上告人のその余の上告を棄却する。
訴訟の総費用はこれを二分し、その一を上告人の、その余を被上告人の、各負担とする。
理由
上告人の上告理由について
所論は、被上告人の昭和四七年六月一七日付訴外株式会社秋田科学(以下「秋田科学」という。)に対する相殺の意思表示を有効した原判決の違法をいうにある。
原審の確定したところによれば、(一) 秋田科学は、昭和四七年二月一五日支払を停止し、同年七月四日破産宣告を受け、同日上告人が破産管財人に選任された、(二) 被上告人は、右支払停止の日にその事実を知り、その以前から取引していた科田科学との当座勘定取引契約を解約したうえ、同会社のため別段預金を開設した、(三) 同年六月一七日の時点で、被上告人は秋田科学に対し手形貸付金債権三八万〇七八一円を有し、他方、科田科学は被上告人に対し別段預金債権四三万二六三六円を有しており、それは、同年二月一九日から同年三月二五日までの間に秋田科学の取引先から秋田科学に対する支払として振込まれたものであつた。(四) 被上告人は、同年六月一七日、秋田科学に対し右手形貸付金債権三八万〇七八一円を自働債権とし同会社の右別段預金債権を受働債権として対当額で相殺する旨の意思表示をした(以下「本件相殺」という。)、(五) その後、上告人から被上告人に対し本件相殺に供された被上告人の自働債権を被担保債権とする根抵当権の抹消登記を申し入れ、右当事者間に、被上告人においてその抹消登記手続をするとともに、他方、上告人は本件相殺を有効なものと認めて破産法上の相殺禁止を理由に右別段預金の払戻請求をしない旨の合意が成立した、というのである。
ところで、破産債権者が支払の停止を知つたのちに破産者に対して負担した債務を受働債権としてする相殺は、破産法上原則として禁止されており(同法一〇四条二号)、かつ、この相殺禁止の定めは債権者間の実質的平等を図ることを目的とする強行規定と解すべきであるから、その効力を排除するような当事者の合意は、たとえそれが破産管財人と破産債権者との間でされたとしても、特段の事情のない限り無効であると解するのが、相当である。
これを本件についてみると、本件相殺に供された秋田科学の別段預金は、その取引先から秋田科学に対する支払として被上告人銀行に振込まれたものであつて、被上告人がこれを受け入れた時点において被上告人は秋田科学に対し同預金返還債務を負担するに至つたものと解すべきであるところ、右振込みは被上告人が秋田科学の支払停止を知つた後に行われたというのであるから、被上告人の反対債権が秋田科学の破産宣告前に発生したものであつても、本件相殺が破産法一〇四条二号本文による相殺禁止の場合にあたることが明らかである。したがつて、たとえ、被上告人と秋田科学の破産管財人たる上告人との間で、前記のとおり被上告人において根抵当権の抹消登記手続をするとともに上告人からは右相殺禁止を理由に前記別段預金の払戻請求をしない旨の合意をしたとしても、他に特段の事情が認定されていない本件においては、本件相殺は無効であるといわざるをえない。
なお、被上告人が上告人からの根抵当権の抹消登記の申入れに応じたことにより右当事者間に担保物の受戻契約が成立したものとする点については、原審においてなんら主張立証されていないから、これにより前記結論になんらの消長をきたすものではない。
してみると、上告人と被上告人との間に所論の合意が存在することを理由に本件相殺を有効とした原審及び第一審の判断には、破産法一〇四条の解釈適用を誤つた違法があり、論旨は理由があるので、原判決及び第一審判決中、上告人の被上告人に対する三八万〇七八一円とこれに対する昭和四九年八月一三日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員の請求を棄却した部分は、破棄又は取消を免れない。そして、本訴請求中右部分は正当として認容し、その余の上告は理由がないものとして棄却すべきである。
よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、八九条、九二条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(江里口清雄 天野武一 高辻正己 服部高顕 環昌一)
上告人の上告理由
原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があり、又、理由齟齬がある。
一、原判決は、被上告人が昭和四七年六月一七日相殺に供した自働債権を担保する抵当権につき、上告人が抹消請求をなし、その必要書類を受領したことをもつて、上告人において被上告人のした相殺を有効なものと認めて、後に破産法上規定する相殺禁止を理由に受働債権を請求しない旨の合意があつたものと認めた。
しかし、破産管財人である上告人から被担保債権を受働債権として相殺し、後にその担保権の抹消を請求したならばいざしらず、法律上当然に無効である相殺があることを知つてなした抹消請求であるという証拠がない本件において、著しく経験則に反するところの事実認定の飛躍があるばかりでなく、破産管財人の地位は国家の一種の公の機関で(明治三九年三月二九日大審院第一部判決大判民録同年度同六七頁)、権利の放棄、別除権の受戻には破産法第一九七条一二号、一四号により、監査委員の同意(又は同意に代わる裁判所の許可、同法一九八条)を必要とするところ、受働債権を請求しない旨の合意は、受働債権(本件では金四三万二、六三六円の別段預金債権)を放棄し、若しくは放棄する旨の合意と同じであり、又、同額の任意弁済でもつて別除権を受戻したものと認めたと同一であり、右の如き解釈と適用は結局破産管財人の地位を、破産者の代理人の如く解し、破産法一九七条一二号、一四号に違反したものであり、若しこれがなければ、受働債権の請求が認容された筈であるから、判決に影響を及ぼすことが明らかである。
二、そもそも相殺が法律上禁止(破産法一〇四条)されているゆえんは、平等弁済の趣旨からであり、破産管財人の意思表示と無関係であるのに、原判決が結果として破産管財人の「被上告人のした相殺を有効なものと認めて」と認定したことは、破産管財人の法律違反行為を公然と認め、又相殺禁止の脱法行為をこれ又公認したものに外ならない。
相殺禁止の法律違反は、もともと被上告人がなしたものであり、原判決の論理からすれば、上告人の担保抹消請求に何んらの留保もなしに被上告人が応じたことは、別除権を放棄するか、又は後に受働債権を行使されてもよいという合意があつたと逆に認定しても構わない筈である。何故に被上告人側の利益のみを尊重するのか理解に苦しむが、若しこのような主張が成り立たないとすれば、同一の論理で「相殺を有効なものと認め受働債権を行使しない旨の合意」が成立する余地がないものである。
よつて、原判決の認定は筋がとうらず、従つて理由齟齬の違法がある。