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最高裁判所第三小法廷 昭和52年(行ツ)122号 判決 1982年4月13日

上告人

東京都地方労働委員会

右代表者会長

古山宏

右訴訟代理人

馬場正夫

右指定代理人

田中庸夫

右参加人

全日本ホテル労働組合連合会

右代表者中央執行委員長

志村光祥

右参加人

ホテルオークラ労働組合

右代表者委員会

松本毅

外五名

被上告人

大成観光株式会社

右代表者

後藤達郎

右訴訟代理人

橋本武人

岩井國立

田多井啓州

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人馬場正夫、同田中庸夫、同西道隆の上告理由について

本件リボン闘争について原審の認定した事実の要旨は、参加人組合は、昭和四五年一〇月六日午前九時から同月八日午前七時までの間及び同月二八日午前七時から同月三〇日午後一二時までの間の二回にわたり、被上告会社の経営するホテルオークラ内において、就業時間中に組合員たる従業員が各自「要求貫徹」又はこれに添えて「ホテル労連」と記入した本件リボンを着用するというリボン闘争を実施し、各回とも当日就業した従業員の一部の者(九五〇ないし九八九名二二八ないし二七六名)がこれに参加して本件リボンを着用したが、右の本件リボン闘争は、主として、結成後三か月の参加人組合の内部における組合員間の連帯感ないし仲間意識の昂揚、団結強化への士気の鼓舞という効果を重視し、同組合自身の体造りをすることを目的として実施されたものであるというのである。

そうすると、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、本件リボン闘争は就業時間中に行われた組合活動であつて参加人組合の正当な行為にあたらないとした原審の判断は、結論において正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

上告理由第一点の所論は、要するに、本件リボン闘争は参加人組合の正当な争議行為にあたるものであるし、更に、それが争議行為にあたらないとしても、労働組合の正当な組合活動の範囲内に属するものであつて、いずれにしても、被上告人がそれを理由に就業規則に基づいて本件各懲戒処分をしたことは不当労働行為にあたる、と主張するものである。これに対して、法廷意見は、本件リボン闘争は就業時間中の組合活動であつて、参加人組合の正当な行為にあたらないと判示している。私もまたそれに同調するが、この判断は、労働組合の団体行動の正当性について重要な論点を提起するものであるから、いささか私見を補足しておきたい。

一 労働組合の争議行為とは何かを明確に定義づけることは困難であり、恐らくは、労働組合の団体行動が争議行為にあたるとすることによつてどのような法的効果を生ずるかに応じて多少とも異なる意味をもつものとして理解されるべきものと思われるが、一般的にいえば、労働組合が、その主張の示威又は貫徹のためにその団体の意思によつて労務を停止すること(怠業や残業拒否のように不完全な停止を含む)が争議行為に該当すると解される。この立場にたつても、たとえば労働組合法による民事免責等に関して、このような争議行為に随伴してされる行為(ピケ行為等)も争議行為のうちに含ましめることはありうるが、このような随伴的行為はそれ自体として争議行為とはならない。そう考えると、業務の性質によつては、リボン闘争自体が労務の停止に等しいと考えられる場合がありえないものではないから、一切のリボン闘争が争議行為にあたらないとすることはできないとしても、一般的には、リボン闘争は、類型として争議行為にあたらないというべきである。原審の適法に確定した事実によれば、本件リボン闘争は、法廷意見の示すような態様で行われたのであるから、これを争議行為としてとらえることは相当ではない。したがつて、争議行為に就業規則が適用されるかどうか、また具体的な本件リボン闘争が争議行為として正当性をもつかどうかを判断する必要はないと考えられる。

二 それでは、本件リボン闘争を労働組合の組合活動としてとらえるときに、その正当性を認めることができるか。いわゆるリボン闘争は、労務を停止することなく、就業時間中に労働組合員である労働者が組合の決定に基づき一定のリボンを着用する形態をとるものであるから、ここでは、就業時間中にこのような組合活動が許されるかどうかが問題となる。

一般に、就業時間中の組合活動は、使用者の明示文は黙示の承諾があるか又は労使の慣行上許されている場合のほかは認められないとされているが、これは、労働者の負う職務専念義務、すなわち労働契約により労働者は就業時間中その活動力をもつぱら職務の遂行に集中すべき義務を負うことに基づくものとされている。もしこの義務を厳格に解し、およそ就業時間内においては、職務の遂行に直接関連のない活動が許されないとすれば、当然に、組合活動をすることは認められず、リボン闘争は違法と判断されることとなる。当裁判所は、政治的内容をもつ文言を記載したプレートの着用行為につき、すべての注意力を職務遂行のために用い職務にのみ従事すべき義務に違反し、職務に専念すべき職場の規律秩序を乱すものであると判断している(昭和四七年(オ)第七七七号同五二年一二月一三日第三小法廷判決・民集三一巻七号九七四頁)。この判旨は、職務専念義務について、就業時間中には一切の肉体的精神的な活動力を職務にのみ用いるべきであるという厳格な立場をとつたものとみられるが、このプレート着用が組合の活動でなかつたこと、プレートに記載された文言が政治的な内容のものであつて、その着用が政治活動にあたること、それが法律によつて職務専念義務の規定されている公共部門の職場における活動であつたことにおいて、本件とは事案を異にするといつてよい。

労働者の職務専念義務を厳しく考えて、労働者は、肉体的であると精神的であるとを問わず、すべての活動力を職務に集中し、就業時間中職務以外のことに一切注意力を向けてはならないとすれば、労働者は、少なくとも就業時間中は使用者にいわば全人格的に従属することとなる。私は、職務専念義務といわれるものも、労働者が労働契約に基づきその職務を誠実に履行しなければならないという義務であつて、この義務と何ら支障なく両立し、使用者の業務を具体的に阻害することのない行動は、必ずしも職務専念義務に違背するものではないと解する。そして、職務専念義務に違背する行動にあたるかどうかは、使用者の業務や労働者の職務の性質・内容、当該行動の態様など諸般の事情を勘案して判断されることになる。このように解するとしても、就業時間中において組合活動の許される場合はきわめて制限されるけれども、およそ組合活動であるならば、すべて違法の行動であるとまではいえないであろう。

そこで、所論のように本件懲戒処分が不当労働行為となるためには、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、右のような見解に照らして本件リボン闘争が正当として許されるものでなければならない。この点に関しては、原審が本件リボン闘争の特別違法性として説示するところは是認することができ、したがつて、本件リボン闘争は、参加人組合の組合員たる労働者の職務を誠実に履行する義務と両立しないものであり、被上告人の経営するホテルの業務に具体的に支障を来たすものと認められるから、それは就業時間中の組合活動としてみて正当性を有するものとはいえない。

三 なお、服装規定の違反に関する所論についても、一般にリボン闘争が使用者の定める服装規定に違反して正当性を欠くものであるかどうかはともかく、原審の適法に確定した事実関係のもとでは、本件リボン闘争が被上告人経営のホテルにおいて服装規定に違反するものであるから正当な行為たりえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。

以上の理由により、私は、原審の判断は結論において正当と認めるのであり、論旨は採用することができないと考える。

(環昌一 横井大三 伊藤正己 寺田治郎)

上告代理人馬場正夫、同田中庸夫、同西道隆の上告理由

第一点 原判決には、憲法第二八条、労働組合法第一条第一項、第七条および第八条の解釈・適用を誤つた違法がある。

一 一般的違法性について

(一) 原判決(原判決の引用する第一審判決を含む。以下同じ)は、「いわゆるリボン闘争は労働者の使用者に対する要求ないし主張を貫徹する目的をもつて、労働者がリボン着用しておこなう団結示威の表現活動を行為内容とする団体行動である」(第一審判決二六枚目裏九行目〜一一行目)と述べ、ついでリボン闘争による団結示威の機能からみれば、リボン闘争は、一面使用者に対する関係では争議行為となり、他面労働者間においては、いわゆる組合活動となるとし、いずれの面においても労働組合の正当な行為ではありえないとして、いわゆるリボン闘争を「一般に違法」としているのである。

(二) しかし、労働法における争議行為の正当性の問題は、争議行為として展開されている行為が「一般的」に正当であるかどうかというような価値評価の問題としていきなり捉えられるべきものでなくして、「対使用者との関係」として、使用者に当該の争議行為の結果を甘受せしむべきであるか否かの観点から取上げられるべきものであつて(石井照久・新版労働法九一頁〜九二頁参照)、このことは団体行動一般についてもいいうるから、当該団体行動が労働者間においてどのような機能を果たすかなどという実質的評価の問題は、団体行動の正当性判断に際し、何ら法の関知すべきことがらではない。

ところで原判決のいわゆる組合活動たる作用は、使用者に対する要求貫徹という目的活動たるリボンによる団結示威の表現活動の結果、付随的に発生する使用にすぎず、いわゆるリボン闘争の本体的作用ではない。

従つて原判決が、「労働者が労務の給付ないし労働に服しながらリボン闘争による組合活動に従事することは、誠意に労務に服すべき労働者の義務に違背する」(第一審判決三〇枚目表四行目〜六行目)から、いわゆるリボン闘争は組合活動として違法であるとしているのは付随的作用をもつて本体を判断しているものであり、しかも右判断は、いわゆるリボン闘争が「一般的」に正当であるかどうかというような価値評価の類のものであつて、いわゆるリボン闘争の団体行動としての正当性の判断と全く関係のないことであるから、原判決は二重の誤りを犯しているのである。

(三) つぎに原判決は、いわゆるリボン闘争は、「使用者と労働者間の命令服従の上下関係をその根底において風化させる虞があり」、「使用者の業務指揮権の確立を脅かすに至る」(第一審判決三一枚目表八行目〜裏一行目)から、争議行為として違法であるという。

しかし、争議行為は、労働者が一時労働組合の指揮のもとに、その労務の提供のあり方につき統制をうけ、その限りでは使用者の指揮命令を排除する現象で、そのことが法的に認められたものであるから、原判決は、争議行為の本質を誤解し、問に答えるに問をもつてしているにすぎない。もつともいわゆるリボン闘争においては、同盟罷業とは異なり、争議参加者は同時に就労しているために、業務指揮権の排除は、部分的になされているにすぎないのである。その際いわゆるリボン闘争の正当性の限界については、本件救済命令において、上告人委員会が本件リボン闘争について示した判断が一般的にも妥当するというべきである。即ち「本件『リボン闘争』においては、争議参加者は、同時に就労しているわけでもあるので、たとえ争議行為であろうとも、その就労の状態が、著しく職場の秩序を害し、あるいは、労務提供が平常の状態に比べて、その内容において著しく量的、質的低下を来たすのであつてはならないのは当然であり、またその限度をこえない限りでは、使用者においても、たとえ職場秩序の紛糾や勤務内容の低下が発生しようとも、これを忍容しなければならないことももちろんである。」(命令書七頁一四行目〜二一行目)

右のごとく、リボン闘争の正当性については、使用者の業務の正常な運営に対する阻害の度合により具体的に考察し、判断すべきであり、原判決のごとく、「一般違法性」というかたちで違法性を強調しすぎることは、ときとして全く具体的妥当性を欠き、社会の通念からもかけ離れすぎるおそれがあるといわなければならない。即ちリボン闘争が採用されはじめた初期のころは別として、この戦術が一般化するにつれて、一般第三者の意識面においてもこの戦術を特に違法、不当とすることなく、単に当該労使関係に労働争議が存しているという認識をもつ程度のものに変化し、時代の推移とともに、リボン着用に対して一般第三者がもつ違和感は、極めて微弱なものになつてきているのである。

そしてリボン着用についての若干の有力な論評をみても、たとえば、「その就労の状態が客に接することのない工場の内部での作業の場合はもちろん、客に接するサーヴィスであつても、それが団体交渉の季節であり、リボンに書かれた文句が『団結』とか『要求貫徹』といつた程度の穏和なものであれば、業務に差し支えることはほとんどないであろう。」(有泉亨・労働組合の争議戦術二五八頁)とするものとか、また灘郵便局事件に関連して、「具体的に見ると一審判決のいうように業務阻害はないと判定することになるし、この判定に抵抗を感じるものは二審判決のいうように観念的抽象的に違法論をとることになる。前掲ホテルオークラ事件の判示もこの類といえる。労働事件においては具体的に見てゆくのが労働常識に適応するから抽象論をふり廻すのは慎重でありたいものである。」という見解も存する(西川美数「リボン闘争の正当性」判例時報八一六号所収・判例評論二一〇号一五七頁下段(2))ことを注目すべきである。

(四)1 原判決は、リボン闘争の故をもつていわゆる賃金カットをすることは容易でなく、またリボン闘争に対抗してロックアウトを実施することも不可能であり、従つて「労働者のリボン闘争に対抗しうる争議手段を使用者は持ち合わせない」から、いわゆるリボン闘争は争議行為として違法であるという(第一審判決三一枚目裏七行目以下)。

ところで、争議権は、労働条件の対等決定という目的達成のために、特に労働者にのみ認められたものであるから、使用者の対抗手段の有無などは、そもそも争議行為の正当性の判断と何ら本質的な関係はないのである。即ち労働者の争議行為が、使用者の甘受の限界を越えれば、当該争議行為に対する法的保護が与えられないし、その程度に達しなくても、「労働者側の争議行為によりかえつて労使間の勢力の均衡が破れ、使用者側が著しく不利な圧力を受けるようになるような場合には衡平の原則に照らし、使用者側においてこのような圧力を阻止し、労使間の勢力の均衡を回復するための対抗防衛手段として相当性を認められるかぎりにおいては、使用者の争議行為も正当なものとして是認される」(最高裁昭和五〇年四月二五日第三小法廷判決、民集二九巻四号四八一頁)から、使用者の権利は十分法的に保護されており、従つて争議権の保障が労使間の勢力の均衡を破り、使用者側が著しく不利な圧力を受けることはありえないのであつて、使用者の対抗手段などは通常は問題とする必要性はなく、対抗手段の存在を労働者の争議行為の正当性判断の基準とする考え方は、右争議権保障の法意を理解しないものというべきである。

従つて、労働者側の争議行為に対し、使用者の対抗防衛手段として、いわゆるロックアウトが認められない程度のものに対しては、使用者は、これを甘受することを要請されていると解すべきである。

2 原判決は、「リボン闘争の故をもつていわゆる賃金カットすることは、その技術的困難さもあつてしかく容易ではない」としている(第一審判決三二枚目表一行目〜三行目)。

しかし、賃金カットが技術的に困難であることは、使用者における問題であつて、争議行為の正当性判断とは関係のないことであり、また賃金カットで対抗する必要性の有無を一般的に論ずることには飛躍がある。

3 原判決は、使用者の対抗手段としてロックアウトと賃金カットしか検討していないが、実際には警告、告示等の言論によるもの、担務変更、編成替等の労務指揮権を利用したもの、その他、使用者の対抗手段はほかにも十分考えられるのであつて、対抗手段がないという原判決の結論は早計というべきである。

二 特別違法性について

(一) 原判決は、「いわゆるリボン闘争の実施は、ホテル業の場合においては、それ自体ホテルの施設機構のなかで労使が争議状態に入つて互いに緊張していることを端的に誇示し、……徒らに違和、緊張、警戒の情感を掻き立ててホテルサービス業の総合的演出効果を著しく減殺する」(第一審判決三五枚目表五行目〜一一行目)から、違法性が顕著であるという。

(二) ホテル業におけるいわゆるリボン闘争は、その業種の特殊性からして、使用者の甘受の限界は狭いと解され、またホテルの性格によつて使用者の甘受の限界にも広狭があると解されるから、その正当性も、ホテルの性格、いわゆるリボン闘争の態様に応じ、使用者の業務の正常な運営に対する阻害の度合いを具体的に検討して、判断しなければならない。

さらに今日では、ホテル業におけるいわゆるリボン闘争が、争議戦術として採用されることはそれほど珍らしいことではなく、顧客も憲法上労働三権が保障されている社会に生活している以上、正当な争議行為ないし団体行動による不便ないし不快は止むをえないものとして甘受すべきものであるとの規範意識がかなり浸透していると考えられるから、リボン闘争に接しても「違和、緊張、警戒の情感を掻きたて」られるとは考えられず、今日では顧客においても、むしろ当該労使関係に争議が存することを認識する程度のものになつていることも留意すべきであり、現に各一流ホテルにおいて、リボン、腕章着用などが争議戦術として頻繁に行なわれている(第一審乙第一号証の一三)にもかかわらず、とくに懲戒処分がとられていないことも勘案されなければならないであろう(清水証言・第一審第七回口頭弁論期日における証人尋問調書第五五項)。

右は原判決が顧客の意思を恣意的に忖度したものにすぎず、何ら具体的かつ現実的な業務阻害の存在を前提とするものではない。

(三) 本件リボン闘争は、参加人組合と被上告人会社との間の賃金引上げのための団体交渉が進捗しないため、それに圧力をかけて参加人組合の要求を貫徹するためになしたものであつて(第一審判決二三枚目裏五行目以下)、「このリボンは、通常パーティ等で使用されるものと同様の形状であつて(直径約六センチメートルの紅白の花形に、長さ六センチメートル、副約二センチメートルの白布がついているか、または直径約五センチメートルのピンクと白の花形に、長さ約六センチメートル、副約二センチメートルの白布がついている。)、下部の白布に『要求貫徹』『ホテル労連』等の文字が印刷され、組合員は、これを通常、上衣のネーム・プレートの下に着用していた。」(命令書四頁八行目〜一四行目)

そして、上告人委員会は、「リボンの形状および着用方法は前記認定のとおりであつて、争議行為としてみるならば一般的にはもちろん、ホテルとしての業種の特殊性、および特に『みだしなみ』について厳格であつた本件被申立人の場合を考慮しても、特に不体裁あるいは不当と断ずるほどのものではなく、会社の忍容の限度を逸脱するものとは認められない。」(命令書七頁二三行目〜八頁四行目)と判断し、さらにその余の争議行為の当、不当を判断するに当つて、衡量せられるべきあらゆる事情を考慮に入れても、本件リボン闘争をもつて特に不当と断ずる事実は発見できないことを詳細に述べているのである(命令書八頁五行目〜一九行目)。

さらにより詳細にリボン着用の具体的状況についてみると、いわゆる客面に出ることを常態とする職種で着用したものは、フロント部客室課、ケータリング部レセプション課、経理部収納課等に限られ、その人数も、本件リボン闘争が行なわれた十月六日は二五名(着用者二二八名、出勤者九七八名)、十月七日は五九名(着用者二七六名、出勤者九六二名)、十月二八日は五〇名(着用者二五六名、出勤者九五〇名)、十月二九日は四九名(着用者二四三名、出勤者九七三名)、十月三〇日は四〇名(着用者二三三名、出勤者九八九名)であり(命令書四頁一五行目〜一七行目、同六頁三行目〜七行目、第一審甲五五号証)、リボン着用者の大部分は調理部門等のいわゆる「裏方」であつて、ほとんど客の目に触れない所にいたものである。したがつて、客としては時々目にとまるといつた程度に過ぎないものである。このようなリボン着用の具体的状況を考慮することなく、本件リボン闘争には「業務の正常な運営を阻害する意味合いに深甚なものがある」との原判決の判断は余りにも観念的抽象的に過ぎ、具体的妥当性に欠けるというべきである。

また、参加人組合が年一回の賃金引上げの要求に際し、リボンを着用したのもあながち法外なものとはいえず、被上告人会社においてのみ特にリボン闘争を禁止し、その違反に対して懲戒処分をなし得るとの合理的理由は見出し難いというべきである。

(四) 原判決は、本件リボン闘争が、運輸省令〔国際観光ホテル整備法施行規則(昭和二五年七月四日運輸省令第四九号)〕および就業規則の服装規定に違反するから違法であるという。

しかしながら、同施行規則第五条の六が〔登録業者は、客に接する従業員に、制服を着用させ、又はその他の方法によりその者が従業員であることを表示させなければ、その者をその職務に従事させてはならない。」と規定するのは、ホテルの利用者に対し、容易に従業員であるか否かを識別することを可能ならしめ、警備上の便宜やサービスの迅速な利用を達成せしめようとしたものであつて、このような規定があるからといつて、リボン着用を禁止する趣旨であると解することは到底できない。

また、就業規則中の服装に関する規定が、本件におけるような争議行為として行なわれたリボン着用について当然に適用できるかどうか問題であり、またかりに適用できるとしても適正な運用が必要なのであつて、警告、注意というような比較的軽い措置にとどまる場合はともかく、減給、譴責というような重い制裁を課することは、特別の服務義務を課せられている公務員の場合を含めて、他に例をみないものである。ホテル業においては、同施行規則第五条の五により厳格な研修が行なわれていることは、原判決の述べるとおりであるが、就業規則の規定を、争議行為あるいは組合活動という集団的活動として一体性をもち、また社会的にみて相当な範囲内で行なわれたものに当然に適用できるかどうかは別個の問題であり、また適用するにしても、減給、譴責という重い制裁を加えることは、今日の社会常識からかけ離れたものとなるから、労働運動に対する対抗措置としては過重なものであると判断せざるをえない。

(五) ところで労働組合法第七条第一号の不利益取扱いにおける「労働組合の正当な行為」の判断については、組合活動としての争議行為の正当性が一般的な判断基準となるといえるが、必ずしもそれと完全に一致するわけではなく、正当でない行為として使用者から主張されている行為と、それに対する使用者の制裁的措置が均衡を保つていない場合(即ち制裁的措置が過重である場合)には、使用者の行為はその限りで一応理由を欠き、正当な組合活動に対する嫌悪の結果と判断されうるのである。従つて、本件リボン闘争に対する制裁的措置ないし対抗的措置としては、警告、注意というような比較的軽い措置にとどまる場合はともかく、減給、譴責というような重い制裁を課することは、特別の服務義務を課せられている公務員の場合を含めて、他に例をみないものであるから、社会常識として労働運動に対する対抗措置としては過重なもので、均衡を欠くと判断せざるを得ず、よつて不利益取扱いと評価するのほかなく、さらに上告人委員会は、労使関係について有する専門的知識、経験に基づき、本件懲戒処分が、結成されたばかりの参加人組合をいたずらに萎縮させ、正常な労使関係秩序の形成を阻害するものとして、これを救済する必要があると判断し、本件救済命令を発したものである。

従つて本件リボン闘争は、「参加人組合の正当な行為ではありえない」との原判決の判断は、労働組合法第七条第一号にいう「労働組合の正当な行為」の意味を理解せず、ひいて不当労働行為における救済の意味を理解しないものといわざるをえないのである。

(六) かりに一歩を譲つて、本件リボン闘争が争議行為であるか否かに疑問があるとしても、リボンの形状および着用方法が常識的な範囲を著しく逸脱しているとは認め難いこと、ならびにその着用が紛争時において行なわれたものであること、リボン着用者は出勤した労働者のおよそ四分の一であり、客面にあらわれたのはその五分の一程度の少数であつたことを考慮すれば、就業時間中の組合活動としてのリボン着用に関する名古屋高等裁判所中部日本放送事件判決(四四、一、三一労民集二〇巻一号一〇九頁〜一一〇頁)が参考とされるべきものである。

すなわち右判決は、「労務提供に支障なき限り、組合員たる従業員は、就業時間中自由に団結権の示威行為(注・リボン等の着用)をなし得るか」については、「組合員のもつ団結権の尊重のみならず、使用者のもつ法益をも考慮し、これを比較衡量し、具体的に決しなければならない。一般的には、当該リボン等の大小、色彩、表現内容、着用目的のほか、使用者の業種、着用者の職種、勤務場所などを考慮し、その着用が労務提供に支障がなくとも、使用者の業務の正常な運営を妨げるおそれのあるときは、就業時間中のリボン等の着用は許されないものであり、然らざるときは許容されるものというべきである。」、「被控訴人(注・組合員)が着用したリボンは、幅二センチ、長さ一〇センチの黄色の布製のもので『一方的配転反対、要求貫徹』の文字が印刷されてあるが、第三者が注意してみなければ、その着用を見落してしまうような程度のものであり、被控訴人はこれを左胸に着用して挨拶廻りに出掛けたものである。控訴人会社の業務の特殊性を参酌し、たまたま労働運動を嫌悪する顧客に不快感を与え非難された事実のあつたことを考慮に入れても、右の程度のリボン着用行為は控訴人会社の業務の客観的に正常な運営を妨げるものといい難く、正当な組合活動としてこれを受忍すべきであると解するのが相当である。」と判断しているのである。

従つて右判示からして、本件リボン闘争は、なお団体行動権の行使として労働組合の正当な行為の範囲内にあると解すべきである。けだし本件において業務の正常な運営が阻害された事実が具体的に存するか否かは疑わしく、減給、譴責の処分に値するものではなく、これらの処分は組合の正当な活動をきらつてなされたものというべきである。

(七) 従来の裁判例、命令においては、一般に私企業における就業時間中のリボン等の着用について、使用者の業務の正常な運営に対する阻害の度合いにより、その正当性が判断されているのであつて、ただ公共部門においては、公務の特殊性、即ち職務専念の義務および従順の義務を根拠として、別異の評価を受けているに過ぎない。(たとえば国鉄青函局事件 札幌高判昭和四八年五月二九日 労民集第二四巻第三号二五七頁、灘郵便局事件 大阪高判昭和五一年一月三〇日 労民集第二七巻第一号一八頁、神田郵便局事件 東京高判昭和五一年二月二五日 労働経済判例速報第九〇九号三頁――このうち前二者は、訓告処分に対する慰藉料請求についての判決であり、また最後の判決は腕章着用についての判断であつて、いずれも本件のごとき不当労働行為救済申立事件とは性格を異にすることも注目すべきである。)

従つて右裁判例は、右のごとき公務員に特有の服務義務の混入する余地のない対等当事者間の債権契約にすぎない雇用契約によつて就労している一般私企業の労働者の行なう本件のごときリボン闘争とは、事例の同一性を全く有さないというべきである。

三 結論

以上のとおり、本件リボン闘争は、参加人組合の争議行為としてなされたもので、着用されたリボンは、平素一般に着用されているものと同様の常識的なもので不体裁というほどのものではなく、ホテルサービスの内容を具体的に低下させたものでもなく、またリボン闘争に対する一般第三者のもつ違和感は極めて微弱なものとなつており、さらに使用者に対抗手段がないわけでもないにかかわらず、被上告人会社はこれに対し殊更に懲戒処分をもつて対処したもので、右懲戒処分は労働運動に対する対抗措置としては過重なもので、特別の服務義務を課せられている公務員の場合でも、このように重い制裁を課している例を見ないのであるから、結局、参加人組合の行為に対して行なわれた不利益取扱いたるに帰し、本件リボン闘争を違法として、本件救済命令を取消した原判決は、憲法の保障する労働三権の擁護、不当労働行為の本旨および争議行為の正当性に対する理解をおき、冒頭掲記の法令の解釈・適用を誤つた違法がある。

第二点 原判決には雇用契約の法理(民法第六二三条以下)に反し、ひいて憲法第一九条に反する違法がある。

一 心理の二重構造について

(一) 原判決は「いわゆるリボン闘争において、団結の示威が行なわれる場面では、団体交渉、同盟罷業等の団体行動と同じように、労使対等の原則が支配するが、他方勤務時間中である場面では、使用者の業務上の指揮命令とこれに従つて労働者が労務の給付ないし労働に服しなければならない上下関係が支配する。したがつて、リボン闘争の展開は、いきおい右の上下関係と対等関係とが重畳的に競合する場面を呈する。」とし、これを心理構造のうえからみると、労働者にとつては、服従と誠実の心理構造と拮抗と闘争の心理構造という心理上相反撥する関係にある心理構造が二重構造的に機能し、また使用者にとつては、指図と要求の必理構造と逡巡と沮喪の心理構造が二重構造的に機能すると述べている。(第一審判決三〇枚目表一〇行目〜三一枚目表四行目)

しかし、右のごとき労使の心理構造の分析は、近代産業社会における労使関係に対する歴史的かつ現実的理解としては問題がある。即ち職務遂行のための関係と異なる対立の関係が競合的に存在するのが近代的労使関係の基本的性格であり、その故に組合員たる企業の構成員に、企業忠誠と組合忠誠という二重忠誠が存することも、労使関係の分析において一般に指摘されているところである。従つて広義の労働争護の状態ともなれば、組合員として使用者側に対し対立の意識が強まり、職場においても使用者側対労働組合側という対立関係が顕在化し、その具体的表現形態が、いわゆるリボン闘争その他の争議行為となるのであつて、原判決の認識は原因と結果を逆転させたものである。

さらに使用者と従業員の関係は機能的関係であつて、身分関係ではなく、また服従は行動規範ではなくて、行動形態であるから、右関係を命令服従の上下関係と断定してしまうことには問題がある。原判決のように上下関係の秩序にこだわりすぎると、労使の対立と対等の関係を基礎として形成されている労使関係そのものを、企業の運営を妨げる障害物として位置づけなければならなくなる危険性がある。

そして原判決は、リボン闘争による団結示威が行なわれている場面での使用者の心理構造を「逡巡と沮喪」という、信頼ないし期待を裏切られてとまどつているような表現をしていることに端的にみられるように、労使関係を現代社会の基本的関係として正当に位置づける視点を欠くものといわざるを得ない。

(二) 原判決は、右の心理上の二重構造的機能から醸し出される違和感のために、「リボン闘争の戦術効果の相乗累積は、やがて使用者と労働者間の命令服従の上下関係をその根底において風化させる虞があるし、……使用者の業務指揮権の確立を脅かすに至る」(第一審判決三一枚目表七行目〜同裏一行目)という。

しかし、いわゆるリボン闘争が年中繰返されるような場合は格別、年にほんの数回の闘争時にのみ行なわれるリボン闘争が、平常時の使用者の正当な業務指揮権の確立を脅かすに至るなどというのは、近代労使関係の基本的性格を理解しない原判決の全く主観的な危惧にすぎず、労務に服する労働者の人間的側面を軽視しているものといわざるをえない。

(三) 原判決は、また「労働者に対する関係においても、一面従順他面反噬といつた心理上の二重機能的メカニズムは倫理的存在たる人間の精神作用を分裂させて、二重人格の形成を馴致する虞れなしとしないのであるから、労働人格の尊厳のため、リボン闘争は採らざる戦術というべきである。」(第一審判決三一枚目裏一行目〜六行目)という。

しかし、葛藤の中に生きながら、それを制御してゆく統合された存在こそが論理的存在たる人間なのであり、心理上の二重構造があることをもつて、人間にとつて好ましくない状態とする原判決は、近代的労使関係の基本的性格を理解しないのみならず、人間性理解においても甚だ浅薄なものといわざるをえない。(以上(一)、(二)、(三)につき、前田勇・リボン闘争と労働者の人格、季刊労働法九七号四五頁以下参照)

(四) 現実の産業社会における労働人格は、疎外感とか不満足感とか、二重忠誠とかに悩み、またこれらが産業心理学、労働経済学や経営学上の重要な課題ともなつているのである。ところが原判決は、これら一切を道徳的態度をもつて意識的に無視し、全精神力を仕事に傾注してやまない。使用者にとつて都合のよい労働人格を想定し、これを現実の労働人格に要求しているのであるから、そもそも平均人を法規範の対象として想定している法的判断の枠組を全く逸脱したものといわざるをえない。

二 雇用契約と内心の自由について

(一) 労働契約は、労働者が使用者に対し、賃金、給料などの対価をえて労務に服することを約する契約であり、労働者は、労働契約により使用者の労務指揮権のもとに、一定の期間契約所定の労務を提供する関係にたつものである。そして、労働契約は、労働者と使用者との間の債権債務の関係として、近代法における原則の下では、労使双方の法的平等を前提とする対等な人格間の現象であり、そこに使用者の労働者に対する権力関係ないし権威を肯定せしめるものではない。従つて、使用者の指揮命令の関係は、当然のことながら、労働契約の範囲内のものであり、具体的には企業という職場限りにおいてのものである。原判決が、労使関係を命令服従の上下関係と表現しているのは、その間の分析、理解を欠いたものといわざるをえない。

(二) 労働契約によつて、いわば売り渡された労働力は、その限りで使用者の自由使用に委ねられるものであるが、使用者としても、「労働者の心のあり方」までも支配しうるものではない。すなわち人間労働の性質上、労働者としては、労働契約義務違反とならない限りにおいて、最大の能率発揮から、最大の能率低下にいたるまで、その提供する労働力の質に若干の相違をもたらしうるのである。このような実質的な労働内容には段階があるのであつて、これは使用者もついには支配しえない「労働者の意思」にかかる問題である。(石井照久・新版労働法一四頁〜一五頁参照)

ところで原判決は、いわゆるリボン闘争により、労働契約によつて使用者に提供されるべく義務づけられた労働力が、労働契約義務違反となるか否かを何ら検討していない。しかも原判決は、リボン闘争における「一面従順、他面反噬といつた心理上の二重機能的メカニズムが倫理的存在たる人間の精神作用を分裂させて、二重人格の形成を馴致する虞れなしとしないのであるから、労働人格の尊厳のため、リボン闘争は採らざる戦術というべきである」として、リボン闘争は違法であると判示し、「労働者の心のあり方」を問題としているものであつて、労働力の取引たる雇用契約の本質に反する判断というべきである。

(三) 原判決は、「労働者の心のあり方」を理由に、リボン闘争を違法とするもので、労働者に対し、就労に当つては、使用者に対する全面的従順という心的態度を強要するものである。従つて、憲法第一九条に保障された思想および良心の自由を侵害し、同条に反する。ここに「思想及び良心」とは、外部に現れぬ内心の作用又は状態をいい、同条は外的権威に拘束されない内心の自由を保障することにより、民主主義の精神的基盤をなす国民の精神的自由を確保することを目的とするものである。(法学協会・註解日本国憲法上巻三九七頁)

ところで前述のごとく、近代的労使関係の基本的性格からして、労働者は、使用者に対し、常に協力と対立の心理構造をもつて就労しているのであるから、使用者が労働者の権利に対して理解を示さず、とかく労務指揮権を濫用しがちな場合には、労働者も、使用者に対し一般的に対立的かつ警戒的となりがちである。このように労働者が対立の心理構造を強くもつて就労したとしても、それは「労働者の心のあり方」の問題であつて、使用者は勿論、公権力もまた、これに介入してはならない。労働契約義務違反とならない限り、使用者も公権力も、労働者がどのような心理構造で就労しようと、「内心の自由」の問題として、これに介入できないのである。従つて、前述のごとく、原判決の述べるところは、法的判断として「労働者の心のあり方」に介入するものであるから、労働者の「内心の自由」を侵害するものといわざるをえないのである。

三 結論

以上のとおり、原判決は、近代産業社会における労使関係に対する歴史的かつ現実的理解を誤り、原判決特有の倫理観に基づいて、本件リボン闘争を違法であると判断したもので、「労働者の心のあり方」にまで踏み込み、独自の倫理観を労働者に押しつけるものであつて、そもそも法的判断の枠組を越えるものというべきであり、債権債務の関係たる雇用契約の法理に反し、ひいて労働者の「内心の自由」を侵害するものであるから、冒頭掲記の各法条に反する違法がある。

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