最高裁判所第三小法廷 昭和53年(オ)547号 判決 1979年7月10日
上告人
揖斐川鉄興株式会社
右代表者
小塩多加
右訴訟代理人
東浦菊夫
古田友三
被上告人
静岡信用金庫
右代表者
天野四郎
右訴訟代理人
御宿和男
廣瀬清久
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人東浦菊夫の上告理由について
原審は、(1) 上告人は、訴外平田工業株式会社(以下「訴外会社」という。)の被上告人に対する預金債権について、上告人の訴外会社に対する債権に基づく強制執行として、差押・転付命令を得たところ、右命令は、昭和五一年五月二四日第三債務者である被上告人に、同年六月九日債務者である訴外会社に、それぞれ送達されたこと、(2) 上告人は、右転付命令によつて取得した預金債権を自働債権とし、本件手形金を含む五通の被上告人の上告人に対する手形金債権を受働債権として、同年六月一四日の第一審口頭弁論期日において相殺の意思表示をしたこと、(3) これに対して、被上告人は、上告人に対し、同年六月二一日到達の書面により、被上告人の訴外会社に対する貸付金債権を自働債権、右預金債権を受働債権として、相殺の意思表示をしたこと、(4) 上告人の主張にかかる両債権が相殺適状となつたのは昭和五一年三月二六日以降であるところ、被上告人の主張にかかる両債権が相殺適状となつたのは昭和五〇年一二月二日であること、を確定したうえ、上告人の相殺の意思表示は被上告人の相殺の意思表示よりも先にされたのであるが、被上告人の主張にかかる両債権の相殺適状が上告人の主張にかかる両債権の相殺適状より先に生じたのであるから、上告人はその主張の相殺をもつて被上告人に対抗することができない、と判断している。
ところで、相殺適状は、原則として、相殺の意思表示がされたときに現存することを要するのであるから、いつたん相殺適状が生じていたとしても、相殺の意思表示がされる前に一方の債権が弁済、代物弁済、更改、相殺等の事由によつて消滅していた場合には相殺は許されない(民法五〇八条はその例外規定である。)、と解するのが相当である。また、債権が差し押さえられた場合において第三債務者が債務者に対して反対債権を有していたときは、その債権が差押後に取得されたものでない限り、右債権及び被差押債権の弁済期の前後を問わず、両者が相殺適状になりさえすれば、第三債務者は、差押後においても右反対債権を自働債権とし被差押債権を受働債権として相殺することができるわけであるけれども、そのことによつて、第三債務者が右の相殺の意思表示をするまでは、転付債権者が転付命令によつて委付された債権を自働債権とし、第三債務者に対して負担する債務を受働債権として相殺する権能が妨げられるべきいわれはない。
したがつて、本件において、上告人の相殺の意思表示が被上告人のそれより先にされたものではあつても、上告人の主張にかかる両債権が相殺適状となつた時期が被上告人の主張にかかる両債権が相殺適状となつた時期より後のことであるから上告人主張の相殺の自働債権はさかのぼつて消滅したこととなるとして、結局、上告人の相殺の抗弁を排斥した原判決は、民法五〇五条、五〇七条の解釈適用を誤つたものというべきであり、右法令の解釈適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。
よつて、原判決を破棄し、相殺の充当関係につき更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すこととし、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(高辻正己 江里口清雄 環昌一 横井大三)
上告代理人東浦菊夫の上告理由
一、原判決は、理由三の2の(2)によつてつぎのとおり認定している。
即ち
「被控訴人のした相殺の意表思示は、控訴人がしたそれよりも前になされたものである。しかし、控訴人主張の両債権(自働債権たる貸付債権と受働債権たる本件預金債権)の相殺適状が被控訴人主張の両債権(自働債権たる本件預金債権と受働債権たる本件手形債権)の相殺適状より先に生じた場合には、被控訴人はその主張の相殺をもつて控訴人に対抗しえないものと解するのが相当である。」
二、右の如き、原判決は相殺の意思表示の前後でなく、相殺適状の前後において、適状が先であれば相殺の意思表示が後であつても、その効力を前に相殺の意思表示をしたものに対抗出来ると解しているが、これは民法の相殺の法解釈を誤つたものである。
三、上告人の相殺の意思表示前において、上告人のなした自働・受働両債権は相殺適状になつていたものであり、上告人の相殺の意思表示によつてすでに相殺適状になつていた両債権はその時点で適状時遡つて消滅したものであり、その後でなされた被上告人の相殺においてはすでに上告人の相殺によつて消滅し、存在しない受働債権たる預金債権との相殺であつて、無意味のものである。
四、原判決は如何なる法令上の根拠に基づき、相殺適状の前後によつてその効力を別にするのか不明であり、その解釈・適用は独断である。
五、相殺は相殺適状後ならば何時でも、どちらでも相殺し得るものであり、どちらか一方から相殺の意思表示がなされたならばその意思表示の到達した時点において相殺適状に遡つて両債権は消滅し、その後、相殺してもすでに消滅している債権を自働又は受働債権として相殺の意思表示をするもそれはすでにない債権を対象としてなすものであつて、法的に無意味である。
六、原判決はすでに述べたとおり民法第五〇五条、同第五〇六条の解釈・適用を誤つておるものであり、原判決の如き解釈をとれば金融機関の取引先(債務者)の倒産による同取引先の債権者(上告人)の預金債権の取得は何時如何なるときでも金融機関に取引先の債権がある限り許されず、あまりにも金融機関の立場を優位におき、債権者の地位の保護を全くかえり見ていない。かかる法解釈が許されてはいけない。
本件預金は上告人の相殺の意思表示によつてその時点で相殺適状時に遡つて消滅し、被上告人が受働債権とした本件預金は同人の相殺時には存在しなかつたものである。
七、思うに、原審は、上告人が転付命令により、本件預金債権を得たことにより、初めて本件手形債権との相殺適状が生じ、右転付前に於ては本件手形債権の債務者である訴外平田工業株式会社から本件預金債権を受働債権とし、本件手形債権を自働債権としてなす相殺が許されないと解するかのごとくである。
しかしながら、右転付前に於ても、右訴外会社は、受働債権たる貸付債権については期限の利益を喪失もしくは放棄し、自働債権たる預金債権については、期払式にあつては期限到来後、自動継続元加式にあつても満期時に継続を拒否することによりその後はいつでも相殺しえたのである。
金融機関との取引にあつても、債務者側から相殺をなし得ることは今般甲一八号証のひな型である銀行取引約定書が改正されるにあたり、債務者側からする逆相殺についての規定が付加されたいきさつ(従前解釈上当然認められていたものを明文化して、約定書記載の上でも金融機関の債務者との対等化をめざす)からも明らかである。(乙第九号証)
八、したがつて、本件預金債権はその当初の満期が到来後はいつでも被上告人からも、訴外会社からも相殺され得る性格の債権であり、その際の反対債権を貸付債権とするか、手形債権とするかは相殺の意思表示をなすものの選択に任されていたものである。
九、よつて、前記転付後、上告人が本件手形債権を自働債権として預金債権と相殺しても何ら被上告人の権利乃至地位を奪つたことにはならない。
一〇、原判決は、大判大四・四・一民録二一、四一八に違反している。