最高裁判所第三小法廷 昭和55年(オ)232号 判決 1980年6月10日
上告人
一ノ渡敏男
外二名
右法定代理人
一ノ渡敏男
右三名訴訟代理人
下坂浩介
被上告人
東京海上火災保険株式会社
右代表者
石川實
右訴訟代理人
田中登
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人下坂浩介の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、所論違憲の主張も含めて、ひつきよう、原審の専権に属する事実認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決の法令違背を主張するものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(環昌一 横井大三 伊藤正己 寺田治郎)
上告代理人下坂浩介の上告理由
一、控訴審が認定した左記事実は真実に反している。
(一) 事故発生時、石岡幸雄が本件自動車を運転していたが、その運転するに至つた経緯について石岡幸雄は、法廷で、一ノ渡英之が、眠いから運転を交替してくれ、と申しれた。
旨証言しているが、右は真実でない。何故なら、
1 石岡幸雄は、死人に口なしを幸い、身替り犯人として一ノ渡英之に罪をなすりつけ平然としていること。
2 本件刑事事件が罰金で済むや否や、手の掌を返した如く示談を破棄し、補償をしないこと。
3 本件事故三ケ月前にも人身事故を発生させながらその被害者に対しても誠意を示していないこと。
等々から、裁判所がそれでも、石岡幸雄の証言を信用していることは、裁判官は上品過ぎて、悪人の嘘を見破ることが出来ないのかと、我々庶民、下々の者は情けないのである。
二、自賠法は、事故発生の瞬間を問題にすべきであり、それ迄の運転経緯は関係なく考慮すべきではない。
訴外英之の本件自動車に対する運行支配は、終始「直接的」「顕在的」「具体的」である、と認めることが出来……とあるが、「直接的」「顕在的」「具体的」なる概念は過去の解釈にとらわれたもので、意味のない虚空の概念である。
事故発生の瞬間、誰れが運転していたかだけを問題にすれば良い。
右の如き判例の解釈は一〇年もすれば古い感覚として「笑い草」となるであろう。
三、被害者を救済するということが、大目的、中心であり、将棋でいえば「王様」であり、「飛車」「角」はあくまでも「王将」に仕えるものである。
同じ様に「判例」「学説」も「飛車」「角」に過ぎず、被害者たる「人間」が「王将」なのである。
判例を作る裁判官、及び学説を作る学者は、それを錯覚している。
上流社会に属し、生活の悲惨さを知らない裁判官、学者は、判例、学説の方が大切で、被害者の救済は二の次であろう。
右の如き、裁判官の感覚による本件判断は、憲法第一三条に違反する。
その他の上告理由は、控訴の理由と同様である。