最高裁判所第三小法廷 昭和56年(行ツ)99号 判決 1984年10月23日
上告人
ユニオンクレジット株式会社
右代表者
島川聖明
右訴訟代理人弁理士
猪股清
同弁護士
藤本博光
吉武賢次
加藤静富
被上告人
特許庁長官
志賀学
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人猪股清、同藤本博光、同吉武賢次、同加藤静富の上告理由について
一原審の適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、昭和四四年一一月七日、原判決添付目録記載の「the Union」なる商標(以下「本件商標」という。)について指定商品を「印刷物、書画、彫刻、写真、これらの附属品」として商標登録出願(以下「本件出願」という。)をした、(2) 上告人は、昭和四六年三月三日、指定商品を「印刷物(ただし、教育用印刷物及び学習用印刷物を除く)、書画、彫刻、写真、これらの附属品」とする旨の手続の補正をした、(3) 上告人は、昭和四六年五月一〇日に本件出願について拒絶査定を受け、同年七月一〇日に拒絶査定不服の審判請求をしたが、昭和五三年九月二八日に審判請求は成り立たない旨の審決(以下「本件審決」という。)を受けた、(4) 本件審決は、その理由として、本件商標は、その商標登録出願の日前の出願に係る他人の登録商標である「THE」「UNION」「READERS」の欧文字を三段に記載した商標(以下「引用商標」という。)に類似するものであつて、その商標登録に係る指定商品である「英語読本」に類似する商品について使用をするものであるから、商標法四条一項一一号の規定により商標登録を受けることができないものである、と判示した、(5) 上告人は、昭和五三年一二月二八日、本件商標の使用をする指定商品のうち「通信信用販売用カタログ雑誌以外の商業雑誌、宣伝広告用印刷物、書画、彫刻、写真、これらの附属品」を放棄する旨記載した「指定商品の一部放棄書」と題する書面を特許庁に提出した(以下「本件指定商品の一部放棄」という。)、というのである。
上告人は、以上の事実関係に基づき、本訴において、本件指定商品の一部放棄により本件出願は放棄した商品を指定商品とした部分については初めからなかつたものとみなされるので、本件出願は本件審決時において指定商品を「通信信用販売用カタログ雑誌」とする商標登録出願であつたことになるところ、右指定商品は引用商標の指定商品である「英語読本」に類似するものではないから、本件商標の使用をする指定商品は引用商標の使用をする指定商品に類似するとした本件審決には事実誤認の違法があると主張して、本件審決の取消を請求している。
二ところで、上告人の主張する指定商品の一部放棄は、指定商品の一部を除外して残余の商品に指定商品を減縮し、その効果を商標登録出願の時点に遡及させ、減縮した商品を指定商品とする商標登録出願にすることを目的とするものであるところ、右目的を達成する手続としては、商標法は同法七七条二項(昭和四五年法律第九一号による改正前のもの)によつて準用される特許法一七条一項(右改正法律による改正前のもの)所定の手続の補正の制度を設けているにとどまるから、商標登録出願人が右目的を達成するためには手続の補正をする必要があるものといわなければならない。しかし、手続の補正には、これによつて商標登録出願人が受ける利益、第三者が受ける不利益及び手続の円滑な進行などが比較考量されて、事件が審査、審判又は再審に係属している場合に限りすることができる旨の時期的制限が設けられているから(右商標法七七条二項によつて準用される特許法一七条一項本文)、審決がされて事件が審判の係属を離れ手続の補正をすることができない時期に至つて指定商品の一部放棄をしても、商標登録出願人はもはや前記目的を達成することはできないものというべきである。
所論は、上告人のした本件指定商品の一部放棄に遡及効がないとした原判決には商標法八条三項の解釈適用を誤つた違法がある旨主張する。ところで、同法八条一項及び二項は、先後願又は同日出願の関係にある二以上の商標登録出願があつたときは、最先の商標登録出願人又は商標登録出願人の協議によつて定めた一の商標登録出願人のみがその商標について商標登録を受けることができる旨定めている。そして、同条三項は、右各規定の適用については、商標登録出願の放棄等によつてその出願は初めからなかつたものとみなす旨定めるところ、その趣旨は、放棄等がされた商標登録出願について、そのほかの競合している商標登録出願との関係において先願又は同日出願としての地位を失わせるためには、放棄等によつてその出願を初めからなかつたものとみなす必要があることによるものと解される。これに対し、同法四条一項一一号は、商標登録出願に係る商標が、その出願の日前の出願に係る他人の登録商標に類似する商標であつて、その商標登録に係る指定商品に類似する商品について使用をするものは、商標登録を受けることができない旨規定するところ、右規定の適用の有無が問題となる場合においては、当該商標登録出願は、右登録商標との関係では、必然的に後願であつて先願又は同日出願の地位にはないのであるから、右商標登録出願について、先願又は同日出願としての地位を失わせるために設けられた同法八条三項の規定を適用ないし類推適用する余地はないものといわなければならない。したがつて、同法四条一項一一号の規定によつて商標登録を受けることができないものとされた商標登録出願についてする指定商品の一部放棄が、同法八条三項所定の商標登録出願の放棄にあたるものと解することはできない。
以上によれば、審決がされて手続の補正をすることができない時期に至つて二以上の商品を指定商品とする商標登録出願について指定商品の一部放棄をしても、指定商品の一部を除外して残余の商品に指定商品を減縮し、その効果を商標登録出願の時点に遡及させ、減縮した商品を指定商品とする商標登録出願にする効果は生じないものと解するのが相当である。
三これを本件についてみるに、右説示によれば、上告人のした本件指定商品の一部放棄によつては上告人の主張するような効果は生じないものというべきであり、したがつて本件審決には上告人の主張する取消事由はなく、本訴請求は理由がないことに帰するから、これを失当とした原審の判断は、結論において正当である。論旨は、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(木戸口久治 伊藤正己 安岡滿彦 長島敦)
上告代理人猪股清、同藤本博光、同吉武賢次、同加藤静富の上告理由
原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背(法令解釈の誤り)がある。即ち、
一、原判決は商標法第八条第三項について
「商標法第八条第三項の規定は、商標登録出願の放棄、取下等があつたときは、右出願は、同条第一、二項すなわち先後願の関係の適用については、初めからなかつたものとみなすことを特に規定しているものであつて、出願の放棄等をもつて全ての関係において出願が初めからなかつたものとみなす規定ではない。そもそも、ある行為がなされたことによる法的効果は、特別の規定のない限り、行為により始めて発生するものである(例えば、民事訴訟法第二三七条第一項は、訴取下の遡及効を規定しているが、訴取下に遡及効があるのは、この定めがあるからであつて、この規定なくして訴取下には論理必然的に遡及効があるものとすることはできない。)。商標登録出願の放棄、取下等があつた場合は、前記商標法第八条第三項の規定により、右放棄、取下等は先後願の関係において商標登録出願が初めからなかつたものとみなされるにすぎないのであつて、商標登録出願の放棄、取下等は、放棄、取下という性質上当然に遡及効をもつとすることはできない。」のだから本件の指定商品の一部放棄も出願の時に遡らない旨言う。
二、原判決の右論旨は、商標登録手続における指定商品の一部放棄制度の意味を何ら検討することなく一般に放棄、取下げには遡及効がないからという形式論で商標法第八条第三項は例外規定であると断じた法令解釈の誤りを犯したものである。指定商品の一部放棄に遡及効があるか否かは商標登録制度から離れた一般論によつて決めるべきではなく、あくまでも商標登録制度の目的機能に副つて考察されなければならないものである。
三、そこでこの点につき一言するに、特許、実用新案、意匠の出願の場合は登録を請求する権利はその独創的な発明考案等について保護を受けるという実体的な私法上の権利(所謂発明権等)に基いている。これに対し商標出願の場合、登録を請求する権利は出願をしたことによりはじめて発生する公法上の権利であると考えられているから、所謂発明権等に対応するものとしては当該商標を採択してこれを出願したという地位乃至事実が考えられるにすぎない。出願の放棄という場合前者においては、その実体的私法上の権利を将来に向つて放棄し、それに伴つて出願も亦将来に向つて消滅するものであるのに対し、後者においては、出願を放棄するということはとりもなおさず出願人たる地位を放棄することにほかならない。この場合、こうした地位を将来に向つてのみ消滅させることがそもそも論理的に可能であるのか疑わしいけれども、仮にそれができるとしてもその場合に放棄後に残るところの「出願をしたという事実」を保護する必要性は商標出願にあつては何ら無いのである。即ち、特許等の出願において出願を放棄した場合、同一発明について再度出願があれば放棄された先願でこれを拒絶する効果をもたせることに意味があるのに対し、単なる標章の採択にすぎない商標出願においては同一商標について再度出願があつた場合に、放棄された先願によつてこれを拒絶することには何の意味もないのみならずむしろ制度趣旨に反することになる。
このことから、商標出願にあつては、仮に出願の放棄ということがあつたとしても、これを遡及効があるものとして取り扱わざるを得ないこと明らかである。言い換えれば、商標出願においては出願の取り下げのほかに出願の放棄という制度を認める実益が無いものと言わなければならない。
また、事実、実務においても商標法第八条第三項にもかかわらず出願を放棄するということは行われていないのである。
四、以上の論理は指定商品の一部放棄の場合についてもそのままあてはまる。この場合も放棄された指定商品について「出願したという事実」だけを残しておいても無意味だからである。
それにもかかわらず、指定商品の一部放棄という名目の実務が行われているのは、出願の取下げが出願毎に行なわれるものであるところから、さしあたり、指定商品の一部について出願を取下げるという概念が無いことに因ると思われる。換言すれば、出願全部を取下げる場合を取下げと呼び、一部を取下げる場合を放棄と呼ぶがその実体はいずれも取下げである。
このように、指定商品を一部放棄するというその実質は指定商品の一部について出願を出願当初に遡つて取下げることにほかならない。少なくともそのように取扱わざるを得ない。
こうしたことは商標登録出願制度の性格から導かれることであつて、商標法第八条第三項はこの当然のことを先後願の関係において確認しているにすぎないのである。因に、右条文の存在意義は特許法第三九条第五項との関係で、なかんずく、商標出願の場合は放棄についても遡及効のあること――遡及効をもたざるを得ないこと――を確認している点で意義のある規定であると考えられる。
以上述べたところから、商標登録の出願にあたつては指定商品の一部取下げに遡及効を附与せざるを得ないこと明らかである。
因つて、原判決は商標法第八条第三項の解釈を誤つた結果審決時における指定商品の範囲の認定を誤つたもので、これが判決に影響を与えるべき法令違背であることは明らかである。
五、ところで、本判決の、指定商品の一部放棄就中審決後の指定商品の一部放棄に審決取消訴訟との関係で遡及効を認めない考えは東京高等裁判所第六民事部が一貫してとつてきた考えである。これに対して、同じく工業所有権事件を扱う東京高等裁判所第一三民事部においては、逆に一貫して商品の一部放棄について審決取消訴訟との関連でも出願時まで遡及効を認める解釈をとつてきている。
例えば、東京高等昭和五四年(行ケ)第五一号(昭和五四年一二月二四日判決)判決では
「本願商標の指定商品は、右指定商品の一部放棄により、出願の当初に遡つて、放棄商品以外の残余の商品に減縮されたものと解するのが相当である。何故ならば、商標登録出願は、商標の使用をする一又は二以上の商品を指定して商標ごとにされるもので(商標法第六条第一項)、商標登録出願の分割(同法第一〇条)のない限り一個の出願と観念されるものではあるが、ここに指定商品の一部放棄とは、出願当初の指定商品が二以上ある場合に、その一部を除外して、残余の商品に指定商品を減縮する行為と認められるところ、商標登録出願は一定の指定商品について商標の登録を求める出願人によつてされるものであり、指定商品を二以上とするか否かは出願人の選択に任せられていて二以上の指定商品は可分のものであるから、一個の出願においても、その出願についての査定又は審決が確定するまでの間は、いわゆる指定商品の一部放棄として、出願人が二以上の指定商品をその一部に減縮することは可能であり、この場合、一個の出願についてされる指定商品の減縮は、除外される商品については、他に法律的関係の存在を主張する意図は全く認められないので(商標登録出願の放棄についてさえ、他の出願との法律的関係が問題とされる最も典型的な場合である先後願の関係において、商標法第八条第三項は、その出願が初めからなかつたものとみなす旨その遡及的消滅を規定しているほどである。)、当初の指定商品の一部を出願の時点に遡つて撤回する意思表示であるとするのが相当であり、出願の当初に遡つて減縮の効果を生ずるからである。」
と判示している。
このように、商品の一部放棄の遡及効という実務上重大な影響をもつ争点につき高裁判決が担当部によつて分れること自体、実務家には耐え難い法的不安定というべきであるが、このことはさて措き、いずれにしても、本原審判決には前述の如き判決に影響を及ぼすことの明かな法令解釈の誤りによる法令違背があるのであるから取り消されるべきである。