最高裁判所第三小法廷 昭和58年(オ)1561号 判決 1987年1月20日
上告人 伊波美代子
被上告人 比嘉寛一
参加人 沖縄国税事務所長
代理人 東清
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人知花孝弘、同宮里啓和の上告理由について
不動産の所有者が、その不知の間に不実の所有権移転登記の経由されたことを知りながら、その存続を明示又は黙示に承認していた場合には、民法九四条二項が類推適用されると解すべきであり、この場合に第三者が、同項の保護を受けるためには、自己が善意であつたことを主張立証するをもつて足り、その善意について無過失であることを主張立証するを要しないと解するのが相当である(最高裁昭和四二年(オ)第一二〇九号、第一二一〇号昭和四五年四月一六日第一小法廷判決・民集二四巻四号二六六頁、同昭和四三年(オ)第九一号昭和四五年九月二二日第三小法廷判決・民集二四巻一〇号一四二四頁、同昭和四一年(オ)第二三一号昭和四二年一月一九日第一小法廷判決・裁判集八六号七五頁参照)。そして、右にいう第三者とは、虚偽表示の当事者又はその一般承継人以外の者であつて、その表示の目的につき法律上利害関係を有するに至つた者をいい、不実の登記に係る名義人に対する滞納処分として右登記に係る不動産について差押をした行政庁及び当該公売に係る買受人は右にいう第三者に当たると解するのが相当である(最高裁昭和四〇年(オ)第二〇四号昭和四五年七月二四日第二小法廷判決・民集二四巻七号一一一六頁、同昭和二九年(オ)第七九号昭和三一年四月二四日第三小法廷判決・民集一〇巻四号四一七頁、同昭和四二年(オ)第六九四号昭和四四年一一月一四日第二小法廷判決・民集二三巻一一号二〇二三頁参照)。
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係のもとにおいて、上告人が本件土地建物の所有権につき訴外小橋川太郎に移転していないことをもつて被上告人参加人及び被上告人に対抗することができないとした原審の判断は、右説示に徴し、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。論旨は、右と異なる見解に立つて原判決を論難するか、又は原判決の結論に影響しない点をとらえてその違法をいうものにすぎず、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 伊藤正己 安滿満彦 長島敦 坂上壽夫)
上告理由
原判決には判決に影響を及ぼすべき明らかな法令の違背がある。
一、原判決は、参加人の国税滞納処分による不動産差押の如き公法上の関係につき民法第九四条二項のような私法上の法規・法理についても、一般の私法上の債権と同様に適用又は準用すべきものとしている。
二、そして、その要件において、上告人は、参加人が本件差押に当り右のような事情を知らなかつたことにつき過失がある旨主張するが、「民法第九四条二項が類推適用された場合においては、虚偽の外観が全面的に真実の権利者の意思に基づいて作出されるものであつて、たとえ過失があつてもこの外観を信頼した第三者の利益は保護されるべきであり、同項の善意については無過失を要しない」としている。
三、右一は農地買収処分に関する昭和二七年(オ)第二三四号、昭和二九年二月二日最高裁判所第三小法廷判決(最判民集八巻二号三五〇頁)の民法第九四条二項は私法上の取引の安全を保護する趣旨に出たる規定であり、権力支配作用である農地買収処分には適用がないとする最高裁判所の判例に相反するものである。
右二は民法第九四条二項の第三者は善意・無過失でなければならないとする判例には相反する。
(1) 最一小判昭四三・一〇・一七集二二巻一〇号二一八八頁は、「不動産について売買予約がされていないのにかかわらず、相通じて、その予約を仮装して所有権移転請求権保全の仮登記手続をした場合において、外観上の仮登記権利者がほしいままに右仮登記に基づき所有権移転の本登記手続をしたときは、外観上の仮登記義務者は、右本登記の無効をもつて善意無過失の第三者に対抗することができないと解すべきである。」(要旨)とし(類似の事案において同旨の判断を示したものに、最一小判四四・一〇・一六判例時報五九二号二〇頁もある。)
(2) 最三小判昭四五・六・二集二四巻六号四六五頁は、「甲が、融資を受けるため、乙と通謀して、甲所有の不動産について売買を仮装して甲から乙に所有権移転登記手続をした場合において、乙がさらに丙に対し右融資のあつせん方を依頼して右不動産の登記手続に必要な登記済証、委任状、印鑑証明書等を預け、丙がこれらの書類により乙から丙への所有権移転登記を経由したときは、甲は、丙の所有権取得の無効をもつて善意無過失の第三者に対抗できないと解すべきである。」(要旨)とした。
これらの事案では、第三者の信頼の対象となつた権利の外観が所有者の承諾した範囲を超えており、第三者を保護することは、所有者にその承諾した外観以上の損失を負わせることになる点にある。この差異にかんがみ、九四条二項の類推適用の枠内の問題として処理せず、それぞれの事案のような場合には、所有者が権利の外観を信頼した「善意無過失の第三者に対して責に任ずべきことは、民法九四条二項、同法一一〇条の法意に照らし、外観尊重および取引保護の要請というべきだからである。」
四、民法九四条については、その適用について制度趣旨による限定があり、本案は外形行為への信頼を保護することによつて私的取引の安全をはかるとともに、私的自治の原則をつらぬく趣旨の規定であるから権力支配作用に関する限り適用がないとされている。同条の類推適用は、我国の登記制度に公信力がなく必ずしも真実に合致しないという情況下で私的取引の安全という要請から適用を拡大している傾向にあるが、私法上の有償の取引関係に関して、その外形を信頼して新たな取引関係に入つたこと、外形の作出について与因者たる地位にあることを条件にしているのであつて、その適用を私法上の取引以外に拡大適用すべき特段の理由は全くない。原判決は、「租税債権者と……私法上の差押債権者の地位とは本質的には異なるものではなく……」としているが「債権」という点が同一であるからといつて、何を保護するのかという観点を無視するのは妥当でない。典型的権力支配作用の性質を有する国の課税権に基づいて賦課される租税債権の徴収手続について同条の類推適用を認めることは、国の権力支配作用を個人の犠牲において達成することであり対等な私法上の利害の調節とは全く異なるものを一面ととらえて同一に扱うものである。
五、原判決は、上告人の承諾を得ることなく、本件土地建物を小橋川が上告人から一、七〇〇万円で購入した旨の契約書を原告から預っていた印鑑を勝手に用いて昭和五〇年一二月五日付で作成し(丙第二五号証)、これを添付して翌六日前記沖縄銀行諸見支店に対し、住宅ローンとして一、〇〇〇万円の借入を申込み、右申込書(丙第七号証)の保証人欄にも同じく上告人の承諾を得ることなく、上告人から預つていた印鑑を用いて上告人名義の署名押印をしたこと、その後右申込については銀行の担当者から保証人不適格と判断されたため、保証人が上告人らから保証保険会社へ変更されたが、結局は同月一三日小橋川と同銀行間で、一、〇〇〇万円の金銭消費貸借契約が締結され、本件土地建物につき、小橋川が昭和五〇年一二月五日売買を原因として本件土地建物につき那覇地方法務局沖縄支局昭和五一年四月一三日受付第三六七二号をもつて上告人からの所有権移転登記手続をした昭和五一年四月一六日、債務者小橋川、抵当権者を前記銀行、債務額一、〇〇〇万円、原因昭和五〇年一二月一三日金銭消費貸借の右日設定契約とする抵当権設定登記手続が行なわれた旨認定しているのであるから外観作出については、上告人は何ら関与していないことは明らかである。
六、参加人の差押手続は昭和五二年二月一七日付であり、右の所有権移転登記の日昭和五一年四月一三日から約一〇ヶ月後のことであり、その間に右の不実登記を放置したことが昭和四五年九月二二日最高裁第三小法廷判決(昭和四三年(オ)第九一号事件)の
「不実の所有権移転登記の経由が所有者の不知の間に他人の専断によつてされた場合でも、所有者が右不実の登記されていることを知りながら、これを存続せしめることを明示または黙示に承認していたとき」に該当するかである。
原審の認定の理由は、上告人が「昭和五〇年一二月五日頃、契約仮装の時点」「昭和五一年四月一三日頃、所有権移転登記の時点」に小橋川が銀行から融資をうけるため、本件物件を仮装売買して住宅ローンの融資をうける方法について積極的に同意を与えたということにつきるものである。ところが、右以外の事後の事情等でもつて
「以上認定の事実によれば、控訴人は、小橋川が銀行から融資を受けるため、昭和五〇年一二月五日控訴人から本件土地建物を購入した旨の契約を仮装し、その旨の所有権移転登記手続をとつたことを、本件土地建物の参加人による差押え(昭和五二年二月一七日)以前である、(1)昭和五〇年一二月五日頃の契約仮装の時点、(2)昭和五一年四月一三日頃の本件土地建物所有権移転登記(本件(一)登記)の時点、にそれぞれ右事情を知悉しておりながら、右不実の登記がそのまま存在することをあえて異としなかつたばかりか、更に昭和五二年四月一二日頃税務署の担当官から譲渡所得の申告をするように指導された以降もこれを放置し、小橋川が金融を得るために本件土地建物を控訴人から購入したとする不実登記の表示する権利関係を前提とした法律関係の形成に積極的に同意を与え、不実登記の存続を明示又は黙示に承認していたものといわざるをえないのであるから、民法九四条二項の類推適用により、控訴人としては、小橋川名義の本件(一)登記を前提としてその後に本件土地建物につき法律上の利害関係を有するに至つた善意の第三者に対しては、右登記名義人が右不動産の所有権を取得していないことをもつて対抗することができないものというべきである。」
としていることは理由不備である。
七、原判決は「参加人は、小橋川に対し滞納国税の納付を促す一方、公簿等によつて同人所有の差押対象物件の調査を行つた結果、昭和五二年二月、同人名義に所有権移転登記のされている本件土地建物の存在をはじめて知り、参加人の職員は、登記簿等の閲覧によつて右登記名義の存在のほか、小橋川を債務者とする抵当権設定登記がされていること、同人の住所及び氏名が住民票のそれと符合することを確認するなどして、本件土地建物が小橋川の所有であると判断し、同月一二日その差押書を作成し(これは同月一八日小橋川に送達された。)、同月一七日差押登記が経由されて差押の効力が生じたものであつて、本件差押前に参加人の職員が小橋川等から本件土地建物の所有権の帰属につきなんらかの説明を受けたような事実もないこと」
でもつて善意であり、善意であることについて過失有無を問わないとしている。しかし本件のごとき上告人に外観作出につき帰責原因の認められない場合、第三者は無過失であることを要するとすべきである。
前記参加人の差押手続は過失があるとすべきである。
参加人の立場を説明し、小橋川又は上告人に真の所有権の帰属を確認することは、実質課税の趣旨からも当然であり、参加人の徴収手続の事務上の簡便さのために、上告人と小橋川の租税債務を負担させることは公平の観念に反するものである。
以上