最高裁判所第三小法廷 昭和58年(行ツ)109号 判決 1984年10月23日
東京都文京区小日向三丁目一〇番一〇号
上告人
塩見寛道
同所番号
上告人
塩見まつ子
右両名訴訟代理人弁護士
石橋護
東京都文京区春日一丁目四番五号
被上告人
小石川税務署長 藤井
右指定代理人
崇嶋良忠
右当事者間の東京高等裁判所昭和五七年(行コ)第二三一号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五八年五月三一日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人石橋護の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は失当である。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長島敦 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 安岡満彦)
(昭和五八年(行ツ)第一〇九号 上告人 塩見寛道 外一名)
上告代理人石橋護の上告理由
第一点 控訴裁判所は、判例(最高裁昭和四五年一〇月三〇日、昭和四五年(オ)第二八二事件判決)に違反して審理不尽の結果、所得税法(以下法という。)第六四条一項に違反する判決をしている。即ち
一 まず、本件配当金請求権放棄時期についての審理不尽がこれに当る。即ち、
1 原判決は、法第六四条一項を右放棄に適用できるか否かについて、「本件配当請求権について(省略)本件処分前に右回収不能の事実が発生していたとすれば、それは本件処分を違法ならしめるものといえる(原判決理由四、1、2、一五枚目裏から一六枚目表三行まで)」が、放棄時期が本件処分の前か後かについて、放棄は四九年九月一五日ではなくて、「昭和五〇年に入ってからだ」と認定され、その理由として(一)から(五)までの事実を挙げ(理由四、3(一)ないし五、一八枚目から一九枚目表まで)、結局上告人らが「本件処分前に放棄をしていない以上、適用の余地がない」旨判断された。
右(一)ないし(五)の理由の内、(三)(四)は乙第八号証の関根伸夫調書を根拠としていることが明らかである。しかし、同号証は、反対尋問にさらされていない証拠であり、関根に予告なく、かつ、記憶を喚起すべき書証等が全く手元にない状態で、作成者の誘導で作成された疑がある書証であって信用できないものである。
2 そこで、上告人らは控訴審昭和五八年一月二五日口頭弁論期日において、本件配当請求権の放棄時期について事実誤認であること、その証拠として関根伸夫の証人尋問を、口頭で求めたのにかかわらず、弁論を終結されたので、同年三月二五日弁論再開申立をし、これに同月二四日付準備書面(二)並びに三ツ石二郎、関根伸夫の供述に援用の書証を添付し、再開申立理由を明示して、更に審理を続けられるよう求めたのであった。
3 関根伸夫並びに前掲関係書類を審理すれば、右放棄時期が明白になるのである。
しかるに控訴審は弁論を再開せず、右反証の機会を与えなかった。
これは「重要な書証について、その提出の経緯及びその他の証拠との対比から、その真否を疑うべき事情が存するにもかかわらず、反証提出の機会を与えず、たやすく成立を認定した原判決は、審理不尽の違法がある」旨の前掲判例に抵触するものと信ずる。
二 次に日新コーポラスの債務超過の状態が相当期間継続したかどうか。また日新の資産状況、支払能力等からみて、本件配当金の回収ができなかったかどうか、の点についても、審理不尽である。
1 控訴裁判所は、前述放棄時期の点に次いで、かりにも本件処分前に放棄があった場合、法第六四条一項適用の有無(同条の適用がある所得税基本通達(以下通達という。)五一の二(4)、通達五一~一二の適用の有無)を検討されている。
しかし、やはり前述放棄の場合と同様、理由(一)ないし(五)の事実を挙げ、その(三)日新は営業を継続している。(四)昭和四九年三月期、同五〇年三月期は欠損だが、五一年三月期以降、経常利益を計上している。(五)固定資産を簿価によっているから欠損は疑問である。現に、四八年一二月末、処理すれば、正味資産四億円が残る試算もある、とされ、通達五一-一二適用の前提条件を充す状況はなく、いずれも適用の余地がない(原判決理由四、4、二一枚目から二三枚目表まで、控訴判決)とされる。
2 しかし、理由(三)の営業継続の点は、寛道一人弧軍奮斗、債権者顧客に迷惑をかけないため、敢然逃げずに、死守してきたものであって、生やさしいものではない。
理由(四)について、累積赤字は、四九年三月期八三二二万円、五〇年三月期一億五九一二万円計二億四二三四万円で、五一年三月期五三九二万円利益があっても、なお差引一億八九〇五万円の債務超過であり、かつ、昭和五五年三月期には一六二七万余円の欠損で、累積赤字は約一億五六〇〇万円であって、四九年以来三丁法人税は課税されない窮状が続いている(五五年以降、現在に至るも、そのまま債務超過状態が継続している。)。
理由(五)正味資産四億を残す、との点は、乙第一九号証の末尾記載の「正味資産四億六四八万円」を指したものであるが、昭和五七年三月一六付、原告ら準備書面(九)二で、証拠を付して詳述したとおり、これは主要資産処分の社内メモで希望的観測を数字化したもので、正式の評価ではなく、現に処分した結果は、簿価同程度か、それ以下のもので、乙第一九号証では約六億の案が現実には二億三千余万円でしかない。なお、同号証中のホテル、ファミリー五千万円案は、昭和五八年五月一三日、一九〇〇万円で競落され(静岡地裁下田支部昭和五六年(ケ)第七八号不動産競売事件)、これ亦、希望的評価の半価以下でしかなかったのである。
そこでこの点についても、前述放棄時期と同様に、弁論再開の申立をし、審理を乞うたのであった。
殊に控訴裁判所は、折角本件処分の当否を判断されようとしたのか、通達五一-一二についても適用の有無を検討すべきことを明示されたけれども、その資産状況について固定資産の評価を誤り、支払能力について支払手段の有無を検討していないのである。(日新は現金支払手段が長期に亘り、欠けていた。)
これは、前述放棄時期における場合同様の審理不尽の違法がある。
三 控訴裁判所は本件処分前の放棄として検討したかに見えるが、以上のとおり、判例に違反する審理不尽の結果、誤った事実を認定し、放棄時期の誤認と併せて、これに対する法律判断をし、結局法第六四条一項を適用しなかった違法がある。
第二点 控訴裁判所は、憲法第一四条、第二九条違反の判決をしている。
一 上告人らは、本件配当金を現実に受領しなかった以上本件処分は、上告人らに現実に収入がないのに課税したことになり、租税法律主義にも、租税公平負担の原則にも違反するものであり、ひいては憲法第一四条第二九条にも違反する、と主張したのに対し、控訴判決は、所得税法が現金収入主義ではなく、権利確定主義(法第三六条一項)を採用し、確定発生后の回収不能に対し、所得のないところに課税した結果となる不都合を避けるため、調整措置(法第六四条第一五二条)を設けているのであって、いずれも不合理なものではなく、立法政策の問題に過ぎない、として違法違憲ではない、とされている。
つまり、本件配当金を現実に受領しなかったとしても、右調整措置要件に該当する事実がなければ、課税される、ということになる。
二 しかし、かりに控訴裁判所のいわれる、調整措置要件該当事実が認められないとしても、上告人ららが放棄して、本件配当金を受領しなかったのは任意処分によるのではない。
上告人らも任意に放棄したのであれば、課税相当と思うから、何ら不服を申立てるものではない。任意ではなく、非任意になされたものだから納得できないのである。
実に、上告人らは昭和四四年から四八年分までの所得税を、寛道三七〇〇万円余(四四年一〇八万円、四五年二五四万円、四六年一、二六五万円、四七年一、六四七万円、四八年四二六万円)、まつ子(同じく一〇万円、二七万円、一五八万円、二四八万円、七二万円)五一七万円と、それぞれ支払い、誠実に納税義務を果している者であるが、四九年分以后、税金を支払えない状態に在る。このように上告人らは善良誠実な国民の一人なのであるが、権利確定主義とか調整措置とか言われても、一般国民にも上告人らにも理解困難である。
しかし、常識では「自己の権利である金をもらわない」という意思表示は尋常ではない、異状であり、どうして、その異例なことを「しなければならなかったか」を考えてやるべきではないか、何も理由なく、金を捨てる、或いは他人にやる者はいないだろう。
本件の場合、一体その理由は何か。
(1) 昭和四八年七月オイルショック以后の不況のため、別荘地を開発販売する不動産業者日新は、同年一二月末時、債務超過となり、会社債権者に弁済できない状態に陥り、爾後債務超過が増大し、益々債務の支払は困難な状況に進み、本件配当金放棄時には、更に将来共不況が深まることが予測され、債務超過がふえるおそれが多い状況であった。
このように、何をおいても、まず弁済しなければならない会社債権者に対してさえも満足に支払えない状態では、到底、経営者である上告人らの本件配当金の回収はできなかったし、回収を断念するに至るの至極当然である。
(2) この時期に、税務調査が入ったので、上告人らの役員賞与と本件配当金を受領しない場合の方法と、その会計処理を担当係官に相談したのも必然である。
(3) また受領しない場合、少くとも個人には税金がかからないように処理しようと考えるのも無理からぬ願望である。
(4) そして、係官の意見に従って、本件放棄を決断し、実行したのも、誠に経過事情から自然の成り行きである。
このように常識で、素直に本件放棄の経緯事情を観れば、誠に上告人らの主張どおりの経過事情、事実である。裁判所は、何故国民の納得できない結論に持って行こうとするのか、不可解である。
国は上告人らの言い分を聞き分けたからといって、威信を失墜しない。国民は税務署の形式主義を非難しても、裁判所の権威に改めて敬意を表し、心服するであろう。
なお、控訴判決は、会社債権者に何らの債務免除を求めることなく、現に債権を支払っている、などと述べて、本件配当金の回収不能状況があったとはいえない、とされてもいる。しかし、寛道一人弧軍奮斗、安易に破産整理手続によらず、懸命必死になって債務を支払い続けているのであって(前述のとおり本日現在)、これ亦、誠実な経営者として至極当然ながら、むしろ立派な態度であるとさえいえよう。
要するに、本件放棄は、強制的経緯事情によりやむを得ず、なされた処分だったのである。
三 それで、かりに本件放棄が調整措置要件に該当しないから、本件処分が違法ではないとしても、上告人らは前述のとおり、強制されて本件配当金の回収を断念させられ、結果、現実の収入がなかったのであるから、本件において裁判所は、権利確定主義の不都合を、あらゆる調整措置を考慮し、かつ、その類推適用によって、違法でないとしても不当と思われる処分と良識との間隙をも調整すべきであったのに、適用しなかった違法があることになる。
四 次に、このように強制されて配当金を受領しなかった以上上告人らには現実の収入がなかったことになる。従って本件処分は上告人らに現実の収入がないのに課税したことになるから、本件処分を認めた控訴判決は、租税公平負担にも租税公平負担の原則にも違反し、ひいては憲法一四条、二九条にも違反する。
更に、収入がないのに課税する本件処分の結果、国は上告人らに対し、所得がないのに、本件賦課徴収することになり、本件処分が形式的には適法であるとしても、実質上理由なく上告人らの税金支払(損失)により、不当に、国庫に、本件処分によって不当利得(民法第七〇三条)をしたことになる。それで、本件処分が取消されず、強行される場合、上告人らは国に対し、右不当利得返還請求をせざるを得なくなる。
以上