最高裁判所第三小法廷 昭和60年(オ)604号 判決 1987年1月20日
上告人
ダイハツ工業株式会社
右代表者代表取締役
江口友鉱
右訴訟代理人弁護士
山田忠史
山田長伸
平田薫
被上告人
田尻長次
右訴訟代理人弁護士
南野雄二
細見茂
斎藤浩
橋本二三夫
右当事者間の大阪高等裁判所昭和五六年(ネ)第二五三七号、同五七年(ネ)第二一一五号解雇無効確認等請求控訴、同附帯控訴事件について、同裁判所が昭和六〇年二月二七日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人山田忠史、同山田長伸、同平田薫の上告理由第一点及び第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の認定しない事項を前提として原判決を論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第三点ないし第五点について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人に対する上告人の本件解雇が解雇権あるいは懲戒権の濫用に当たり無効であるとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島敦)
上告代理人の上告理由
第一点 ダンボール箱在中書類の機密性の認識
原判決は、被上告人が「本件ダンボール箱内に控訴人(上告人)の業務上重要な機密に関する書類が存在すると認識することさえ通常ありえないところである。」(原判決一三枚目裏から一四枚目表)と判示したのであるが、この判断は本件諭旨解雇を以って、懲戒権の濫用であるとした判断の重要な前提となっている。
しかしながら、右に引用した判示そのものが証拠に基づかない事実や証拠と矛盾する事実あるいは誤った推測の上に立って判断せられたものであり、かかる意味において原判決は理由不備にひとしく、理由齟齬あるいは採証方則違反などの法令違背を犯しているものであり、この違背が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄せられるべきものである。
一、原判決は理由二、4の「5、(三)乃至(1)(4)」(原判決一二枚目裏八行目乃至一三枚目裏四行目まで)で認定した事実から、本件ダンボール箱の「保管ないし焼却方法は通常では考えられない程のずさんさであったものと云うほかはない。」(原判決一三枚目裏)と判示し、「被控訴人(被上告人)のような一般従業員(組合員)としては、組合の文書中に控訴人の業務上の重要な機密が存在することを知らないのが通常と考えられる。」(原判決一二枚目表から裏)との判断を併せて「被控訴人が右のような組合所有の本件ダンボール箱内に控訴人の業務上重要な機密に関する書類などが存在すると認識することさえ通常ありえないところである。」と判示したのである。
しかしながら、本件ダンボール箱の保管ないし焼却方法に関する右判示は何ら証拠に基づかない事実を前提とし、却って原判決が引用している証拠とは矛盾する事実の認定のうえに立ったものであって、若し、原判決が証拠に基づいて事実を認定し、かつ事実を正しく評価したならば、右判示は結論を異にしたと考えられるのである。
原判決の誤りを指摘する前に、原判決が配慮を欠いたと思われる昭和五一年末と昭和五二年初めの上告人の伊丹工場の状況について若干触れておく。
伊丹工場は、昭和五一年一二月二六日を以って一切の業務を停止し、この日限りで閉鎖され、翌五二年一月六日の初出の日から残務整理が始まり、残務整理要員のみが、伊丹工場の整理に当たった。昭和五一年から五二年に暦が改まるとともに工場の業容は一変したのである。そして残務整理に当たった者は乙第七〇号証記載のとおり一九名であって、そのうち作田登美雄外六名が清水主担当員の配下で伊丹工場全般のあとかたづけに従事することとなった。乙第七〇号証記載の事実は審理に当たって何ら争いがあったものではなく、残務整理の人員と分担について訴状(第三、一)及び被上告人(被控訴人)の原審での供述(五九・四・二四、被控訴人本人調書三枚目)では、作田が全体を統轄し、物品の収集・清掃作業を松浦、村田、小川及び被上告人が行い、焼却炉での焼却作業を岩瀬が、電気関係作業を高垣がそれぞれ行っていたことを述べている。
このように、昭和五一年から五二年に年が改まることによって、伊丹工場における作業員の人数、作業内容と構内への立入りの状況が一変していることを充分留意されるべきである。
1 「5、(三)(1)」について
原判決は「5、(三)(1)」で、右に述べた配慮を欠き「昭和五一年一二月一〇日ころにも焼却すべき組合保管書類をダンボール箱二個につめ、本件ダンボール箱と同様に組合事務所“前”に出して清水主担当員に焼却を依頼した」との事実を認定したが、原判決が挙示する全証拠を精査しても「組合事務所“前”」に出したという事実は表れていない。昭和五一年一二月一〇日ごろは未だ伊丹工場でも多数の従業員が生産に携っており、従業員が自由に厚生棟に出入できる状況であった。かかる状況下において組合事務所前の廊下に焼却用の書類箱を置いていたことは、若しそこに重要な機密書類が在中していたのであれば、保管の杜撰さを指摘されても止むを得ないところであるが、そういった事実は全くない。原判決の「組合事務所“前”」へ出したとするのは証拠に基づかない憶測に過ぎないのである。
2 「5、(三)(2)について」
右に述べたように、昭和五二年一月六日以降の伊丹工場厚生棟を取り巻く環境は前年と一変している。残務整理要員(警士を含む)を除いて伊丹工場から作業員は退去しており、厚生棟は警士の監視下にあって、全体が施錠されており、少数のしかも限定された残務整理要員以外は自由に出入できる状態ではなく、残務整理員すら警士より所用の都度鍵を預って作業に従事していた程であったから、厚生棟全体を一箇の施錠されたロッカーと見立てることさえできたのである。従って、組合事務所前へ出した時期が原判決の認定どおり一月一〇日ごろであったとしても、そのことを以ってとくに保管が杜撰との譏りをうける程のものではない。また、原判決はダンボール箱の容態について(四つ組にしたままで梱包もせず)焼却を依頼したというが、ダンボール箱の蓋が開被されていた訳ではなく、簡易な方法といえども四つ組に梱包されていたのである。
組合事務所前に出された日について、原判決が認定した「一月一〇日ごろ」とは被上告人の供述または供述書にあるだけである。成程、甲第三九号証に作田の発言として「……あんた判別していろいろ書いてくれたわなあ、その時があれ陳列したりいろいろやっとったんが一〇日頃からの事だろう」(同号証六頁)との記載があるけれども、発言の前後を読み通すと、この発言でも一〇日頃組合事務所前に出したとまで断言しているものとは到底受けとり難く、むしろ同号証で作田は連休前の一四日に出したという趣旨の発言をしているのであり、作田より聞き取ったとの被上告人の供述においても「一四日の日にわし(作田)が出したんやとか、そういうことも云われてたような気がするんですけれども」(第一審、五六・六・二九原告供述調書一一枚目)とあり、少くとも組合事務所前に持出した本人である作田自身が長時間置いたままの状態ではなかったことを意味する発言をしているのであって、保管は決して杜撰なものではなかったのである。
3 「5、(三)(3)」について
原判決は「ダンボール箱の焼却時期、方法等については、一般の作業員である被控訴人(被上告人)らに委ねられており、被控訴人らは他の焼却物と一緒に随時貨物自動車に積み込み池田市営焼却場へ運搬して焼却することになっていた。」と認定した。
しかしながら、右認定も証拠に基づかず根拠のない推測に基づくものでしかない。
先ず、焼却を委ねられていたのは「一般の作業員」ではない。前述したように、焼却作業に当たっていたのは特定の六名である(原審、五九・四・二四被控訴人供述調書三枚目)。物品の収集、清掃、焼却場への運搬をペアで四名(松浦、村田、小川及び被上告人)、焼却炉を担当するものが一名(岩瀬)、これらを統轄する者一名(作田)である。このように限定された整理要員が作業に従事していたのであり、統轄者の指揮の下に行なわれ、作業者の作業内容と責任区分が特定されていた。勝手気儘に働いていたのではない。
また、「池田市営焼却場へ運搬して焼却することとなっていた。」というのも全く根拠の無い推測である。原審裁判所は焼却炉行の自動車が食堂通用門脇の構外の道路へ駐められていたので、そう誤解したのかも知れないが、残務整理に際して焼却物を池田市営焼却場へ運んだ事実は一月一七日の時点まで全くないし、その証拠もない。焼却担当の岩瀬がつきっきりであった焼却炉は伊丹工場内に設けられている焼却炉である。このことは審理を通じて当事者間に何の争いも、不審もない事実であった(第一審五六・四・一六原告供述調書五五~五六枚目。乙第一九号証五二・五・一八、清水証言一五九~一六二問答)。因みに、一月一九日池田市営焼却場ヘトラック二台分焼却書類を運んでいるが(乙第五五号証)、これは伊丹工場としては始めてのことで、しかも池田工場庶務課に依頼して同課員立ち会いのもとに運び、焼却したものである(第一審五五・一・一六清水証言調書一九枚目表から二〇枚目表)。
なお、「随時」焼却していたという事実認定も、一方では統轄責任者の作田の指揮に従っていたという被上告人の主張や供述(前出の訴状第三、一。原審五九・四・二四被控訴人供述調書三枚目)があるのに、これと矛盾するところの被上告人の供述を恣意的に採用したものに過ぎない。
4 「5、(三)(4)」について
原判決は「一月一七日に被控訴人(被上告人)が持ち出した本件ダンボール箱が発見されて控訴人(上告人)が引き取った後は、同月末ころまで伊丹工場警士詰所内にふたが一部破損したままの状態で保管されていた。」と認定し、保管が杜撰であることの判断の前提としているが、これは原判決の警士詰所についての偏見によるものであり、いわれなく保管方法についての評価を貶しめたものといわざるを得ないものである。
確かに、原判決が右に認定した事実はあった。しかし、保管状況は決して杜撰と批難されるようなものではなかったのである。
先ず、警士詰所での保管時期は一月一七日から一月二五日までである。原審での宮崎証人の証言でも一月二六日の調査委員会へダンボール箱が顕出されるのに先立って、その前日本社へ取り寄せ確認したことを明らかにしているので、小河原証人が第一審で「月末ころ」と述べていたのは二五日のことであり、ダンボール箱は約一週間警士詰所で保管されていたことになる。
ところで、伊丹工場は昭和五一年一二月二六日を以って閉鎖されているから、翌年一月には一般の従業員、出入業者の構内への出入は無く、前述した限定された残務整理員のみが整理作業に携っていた。従って、伊丹工場構内で従業員が常駐しているのは警士詰所だけであった。しかも、厚生棟一階の警士詰所には、常時、警士のうち少くとも一名が駐在することになっており、当時の伊丹工場構内では最も人目の行き届くところであったのである。
警士は当時四名が配属されていた。辻本茂、大坪稔、三浪一郎及び岡口末春の四名である(乙第七〇号証)。辻本は警士長の代行者である警士班長を勤め、昭和二三年職員採用となり、警士勤務についた。大坪は昭和三六年本工採用となり昭和四七年に警士に任用された。三浪は昭和四一年職員採用とともに警士勤務についた。岡口は昭和三三年本工採用となり昭和四七年警士任用となった。何れも入社以来十数年をこえる長い勤務歴のある者たちである。警士服務規定(乙第一二号証)によると、警士の職務は、構内物品の点検、盗難等異常事態の予防、対応措置等であるから(同規定、6職務、7不法行為者の取扱、15巡回点検基準、16異常時発見の処置、24備品の整備等参照)、本件ダンボール箱の保管、監視を行なうのになじみ易い職務内容となっている。警士の勤務場所は警士詰所であり(同規定19、二直(二人組)の二四時間勤務であった。ダンボール箱はかかる警戒厳重な警士詰所で一週間保管されていたのであり、一つのダンボール箱のふた四片のうち一つがはずれていたとしても、中味がのぞける状態ではなかったのであるから(検乙第四号証)、この間の保管状況が杜撰であったとする原判決の判断は警士詰所についてのいわれなき偏見に基づく不当なものといわざるを得ないのである。
以上のとおり、原判決の理由三、4の「5、三(1)乃至(4)」で認定した事実のうち重要な部分は証拠に基づくものでなく、むしろその一部には証拠と矛盾するものさえあるのである。
二、原判決は「協議会や委員会等において示された控訴人(上告人)の機密は、これに出席した組合側委員のみが知るに止まることからして、被控訴人(被上告人)のような一般従業員(組合員)としては組合の文書中に控訴人の業務上の重要な機密が存在することを知らないのが通常と考えられる。」と判示した(原判決一二枚目表から裏)。
しかしながら、組合側委員のみが機密を知るに止まるから、組合員が組合の文書中に会社の業務上の重要な機密が存在することを知らないのが通常であるという推論は甚だしく非論理的であり、かつ審理に顕われた証拠を一切無視するものである。組合委員が機密に接すること自体を組合員が知らないのであれば、当該委員が業務上機密に関する書類を保持することなど組合員が予想だにしないといえるかも知れないが、機密に接する者が機密書類を保持するのは極めて蓋然性が高いとするのが通常の推理というものである。原判決の推理は甚だ論理性を欠くものといわざるを得ないのである。
そこで、原審、第一審に顕出された証拠から、一般従業員(組合員)が組合役員しかも小河原程度の支部長、副支部長クラスの組合役員が会社の業務上の機密書類を保持していることを当然知っているとみられるものと判示する。
1 中央労使協議会の出席メンバーは公表されている(乙第九一号証)から中央労使協議会での資料を誰が保有しているかを組合員は皆知っている。
2 労働協約(乙第九〇号証の一)は昭和三四年以来書面化されており、労使協議会規定(乙第九〇号証の二)も公表されている。労使協議会が非公開とされていること、出席者に守秘義務が課せられ、付議事項が経営、生産等会社の業務全般に亘っているところから、機密資料が配布されていることは、一般に予想されるところである。
3 労使協議会の付議事項である経営、生産に関するものとして、新車の開発、排気ガス規制問題等がとりあげられたことが明らかにされている(甲第二〇号証、原審土師、宮崎証人の証言)。すなわち、昭和四九年五月三一日付第一四回中央委員会議案書(甲第二〇号証)に「当社の将来構想」として新車の開発や排気ガス規制がとりあげられたことが明記されている。
右中央委員会では組合の労使協議会の報告がなされている旨の記載があり、新車の開発や排気ガス規制問題だけでなく、伊丹工場の移転理由となった環境問題や竜王移転計画の概要等が報告されているのであるが、被上告人らはこの後者の問題について非常な関心を払い、会社の機密資料や限定配布資料等の収集活動をしていたのであり、このことから、組合の報告以上の資料が存在していることを被上告人自身は充分予測していたとみられるのである。
右に述べたように「一般従業員(組合員)としては、組合の文書中に控訴人の業務上の機密が存在することを知らないのが通常と考えられる。」との原判決の推断は何ら合理的な根拠に基づくものでなく、寧ろ、原審が採証の基礎として挙げている乙第九〇号証一及び二、乙第九一号証と原審証人土師、同宮崎の証言並びに被上告人提出の甲第二〇号証から、原判決の推測とは逆に、一般従業員(組合員)は組合文書中に上告人の業務上の重要機密が存在することを通常予想していることが推認されるのである。
三 右一、二で述べたように、「ダンボール箱の保管ないし焼却方法が通常では考えられない程ずさんであった」とか、「一般従業員(組合員)としては、組合の文書中に控訴人の業務上の重要な機密が存在することを知らないのが通常と考えられる。」という推断が、何れも証拠に基づくもので無く、却って証拠と矛盾し、あるいは合理的根拠を欠く推測に過ぎないものであることを論証してきた。従って右二点を考え合わせて「他に特段の事情の認められない本件において被控訴人(被上告人)が右のような組合所有の本件ダンボール箱内に控訴人(上告人)の業務上重要な機密に関する書類などが存在すると認識することさえ通常あり得ないところである。」とする原判決の推測は全く根拠のないものであって、むしろ、さらに審理を尽くし、証拠を正しく評価するならば原判決は容易に逆の結論を得たと考えられるのである。
第二点 動機について
原判決がダンボール持出しの「動機」についてなした判断は審理不尽の譏りを免れないものである。そして、若し審理を尽せば原判決のような結論を得なかった筈である。
原判決は「本件ダンボール箱持出し動機についての控訴人(上告人)の前記主張は、これを認めるに足る証拠がないのみならず、右説示の如く、本件ダンボール箱内に控訴人の業務上重要な機密が存在すると認識しえなかったのであることからして、採用に由ないところである。」(原判決一四枚目表)と判示した。
右後段の説示が根拠の無い推断にすぎ無いことは、第一点で明らかにしたとおりである。
本項では、原判決が上告人の右主張に沿う証拠がないとした点について述べるものである。
上告人が原審において被上告人の諜報意図について直接証拠を挙示し得なかったことは原判決のいうとおりである。しかし諜報意図のように行為者の内心の意慾に及ぶことについて、通常の事案で直接事実を証する証拠の提出は極めて困難である。まして、本件のように被上告人が特別な諜報意図を包みかくして否認する事案では、直接事実を直接的な証拠を提出して立証することは不可能である。そこで原審では、仮処分審及び第一審以来被上告人が本件ダンボールを持出すについて弁明した動機の真否が当事者間の論争点となったのである。被上告人は配属先が決まらないので“不安”となって人事関係の書類を持出したと動機について弁明し、これに対し上告人においては、一月一七日の持出した時点では配属先は被上告人に告知されていたから、被上告人の弁明する不安に基づくとの動機は虚偽であり、そうだとすれば、動機は被上告人があくまでも秘匿しようとするもの、すなわち機密文書収集という諜報意図を持って行なったものであると主張したのである。そして、それを裏付ける間接事実として、上告人会社の機密書類が被上告人らの属する団体によって収集され、ビラに所載されたり、仮処分審に証拠として提出されていることを挙げ、乙第七一号証(分譲価格についてのコンピューター資料)、乙第五九号証(「弊社伊丹工場の環境保全対策計画について」)、乙第六〇号証(「弊社伊丹工場の環境保全対策についてお願い」)を被上告人らが収集したものの例証として示したのである(被控訴人最終準備書面その二、一三~一四頁)。しかも、これらは何れも被上告人が所属していた伊丹工場関係の非公開資料である。従って、被上告人が仮処分審以来主張している動機の真否を廻る主張と証拠評価は当事者間の訴訟活動で最も精力が費やされてきたものである。しかるに、第一審判決では動機については全く触れることなく、原判決においても、被上告人の不安の動機についての弁明の真否については何ら判断を示していないのである。しかし、前述したように、上告人にとって直接事実を立証する手段を欠く本件にあって、被上告人主張の不安の動機についての弁明の真否についての判断は間接事実による立証の緒口ともいうべきものであるから、これを審理において欠く以上、上告人の主張は原判決のいうように「推測の域を出ないもの」とならざるを得ないのである。若し、原審において、諜報意図解明のため、被上告人の弁明する動機の真否について証拠評価をするなど審理を尽すならば、必ずや真実解明の緒口をつかみ、原判決の前記判示の結論を変えることになるのは必定である。原判決にはこの点に関し審理不尽の違法があり、これが原判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないものである。
なお、動機の解明が行為の情状について重要な判断資料となることはいうまでもない。かかる意味からも原判決は、被上告人の弁明する動機の真否の審理を尽さなかった違法がある。
第三点 機密漏洩と情状
原判決は本件懲戒解雇について、「就業規則七三条一項一一号の『業務上重大な秘密を社外に漏らし、又は漏らそうとした』ことに該当するとして解雇するが如きは著しく不当であり解雇権(懲戒権)の濫用として許されないものというべきである。」と判示し、上告人の原審での主張を排斥したが、これは法律上の解釈を誤ったものであり、これが判決に重大な影響を与えることは明らかであるから、原判決は破棄されるべきである。
原判決が本件懲戒処分を懲戒権の濫用とした理由に、本件ダンボール箱の保管方法の杜撰さを挙げるが(原判決一六枚目表)、これが不当な判断であることは前述した。
また、原判決は本件ダンボール箱の内容物は組合の所有であって上告人の所有でないことを挙げるが(前同)、この意味は全く理解できない。ダンボール箱の内容物の所有権の帰属よりも機密の帰属が何れにあるかが問題であって、機密は上告人会社に帰属するものである。
原判決は、被上告人がダンボール箱に経営、生産に関する機密書類が在中していたことは知らなかったとしても、「ダンボール箱内の人事に関する文書中には、単に被上告人に関するものに止まらず、他の者に関する人事事項も含まれていることは当然に予期しうるところである」(原判決一五枚目表、裏)と説示し、「本件ダンボール内には、労使協議会、生産委員会資料、労使懇談会議事録、R議事録、R住宅委員会、組合員調査票と各表題が付され、秘の記載のあるファイル綴等が入っており、その中には右機密文書に指定された文書も含まれていた。」(原判決一一枚目裏ないし一二枚目表)と認定した。凡そ、企業の人事に関する事項は機密とされているものであり、生産計画など重要な経営、生産等の業務上の機密と等しく機密性の高いものとされている。原判決が右に認定したものだけをみても、個々の従業員の公開されてはならない身上調査に関する書類や竜王移転に伴う人事異動に関する書類が含まれていることは明らかである。これらの人事事項に関する書類は、民事訴訟法第二八一条第一項第三号の職業の秘密(企業機密)として証言拒否権により、機密の保護が与えられているとみるべきものである。例えば、下級審の判例では、希望退職募集において応募した希望者のうち使用者側の慰留で翻意し応募を撤回したものの氏名につき人事に関する機密として証言拒否を認めた裁判例がある(東京地裁八王子支部昭和五一・七・二八決定、判例時報八四七号)。このように人事に関する機密は一旦拡散すれば労使の信頼関係が損なわれ企業秩序の維持が困難となる意味で、一般に、厳格な企業機密とされているのであって、経営、生産に関する重要な機密事項と比肩しうる程のものである。被上告人が機密漏洩を企てた行為はかかる企業機密に対する攻撃であって、極めて背信性の高いものである。
さらに、原判決は上告人の「業務上の秘密が漏れた事実を認めうる資料はない」(前回)ことを情状軽減の理由として挙げる。しかし現実に機密が漏れたという実害の発生は懲戒の要件ではなく、機密漏洩という事案の性質上実害の有無が懲戒権を左右する程重要な情状とみるのは妥当ではない。むしろ、被上告人には次に述べるような事情から諭旨に価いする悪質な情状がある。すなわち、機密の拡散の障害となったのは、三谷氏の通報、苦情の申立てという被上告人の予期せぬ障害からである。被上告人の改悛の情その他の倫理的行為によるものではない。既にダンボール箱は公道まで運び去られていて、機密の帰属する会社や、機密を保持する組合から奪取され、被上告人の支配域に入っていたのである。会社の支配域に戻ったのは前記のような障害からである。
懲戒の目的と本質が企業秩序の維持にあることは判例の積み重ねで明らかとなっている。思うに、労使の信頼関係は企業秩序を維持するうえで最も大切な絆である。使用者と個々の労働者の労働契約を支える原理はいうまでもなく信義則であり、個別の労働関係でいえば相互信頼がその基礎となっている。企業組織をみても信頼関係は企業組織維持の基盤である。信頼関係のない労使関係のもとでは企業組織は崩壊することは必至である。本件で特徴的なことは、整理任務にあたった者がその任務に背き、却って任務にあることを悪用して情報収集の挙に出た背信性にある。情状として甚だ悪質なものといわざるを得ないのである。
以上述べたとおり、被上告人の機密漏洩についての所為は不誠実であり、諭旨解雇処分を以って正当とするものである。しかるに、これを権利濫用とした原判決は法律上の解釈を誤るものであり、判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背といわなければならない。
第四点 会社の物品の持出し
一、原判決は本件ダンボール箱が組合の所有のものであること及び間もなく焼却されるものであったことの二点を理由として、本件ダンボール箱は就業規則七三条一項九号に定める「会社の物品」といえるかどうか、甚だ疑わしいという(原判決引用の第一審判決三〇枚目裏)。
しかしながら、原判決は「会社の物品の持出し」についての法律上の解釈を誤ったものであり、これが判決に影響を及ぼすべきことが明らかであるから破棄されるべきである。
1 第三点で引用したように、原判決は本件ダンボール箱内には機密文書に指定された文書も含まれていたと認定し、さらに「人事に関する事項は通常秘密とされることが多く、かつ本件ダンボール箱内の人事に関する文書中には、単に被控訴人に関するものに止まらず、他の者に関する人事事項も含まれていることは当然に予期しうるところである。……右人事に関する事項は控訴人の従業員に対する人事の秘密事項である場合もないとはいえない」(原判決一六枚目表、裏)と説示する。
原判決は、本件ダンボール箱内に上告人の業務上の秘密の文書が在中していたことを積極的に肯定しているのである。
2 先ず、本件ダンボール箱在中の書類が焼却されるものであったことと「会社の物品」との関係から検討する。
原判決が引用する第一審判決は、会社の物品とは「本来、被告会社(上告人)の所有の物品とか、被告会社が第三者から預かっている物品であっても将来その返還が予定されているとか、これを転売ないし利用して、社会経済的な利益ないし効果を挙げる等、一般社会通念上、社会経済的に価値のあるものをいうと解すべき」であると判示する(第一審判決三〇枚目表、裏)。要するに、本件ダンボール箱は、返還されるものでもないし、転売ないし利用されるものでもなく、価値がないから「会社の物品」には該当しないとするのである。
しかしながら、この解釈は、物の交換、使用という積極的な価値にのみ目を向けて、物の占有が侵害されることによって被る不利益という所謂消極的な価値を看過している。機密文書は、焼却されることによって所有者、管理者の利益が守られ、不正に持出しされれば、機密が拡散し、その利益が損なわれるという性質を有する。刑法の財産に対する罪(窃盗その他)における犯罪の客体たる財物とは、所有者、所持者としてこれを交換、使用するという積極的な価値はなくても、他人の手に渡って悪用されるおそれのある物は消極的な価値があるものというべく、財物に該当すると解釈されるのが通説となっている。(団藤重光・平川宗信、刑法各論(新版)・法律学全集四一、三六六~三六七頁。団藤重光、注釈刑法(六)財産罪一般の前注一五頁。宮本英脩、刑法大綱三二二頁)。勿論、就業規則と刑法とでは立法目的を異にし直ちに同一に論じ得るものではないが、個々の企業の就業規則の懲戒規定は一般に被害法益の個別化において刑法程厳格であることは要請されないであろうし、企業一般に通用する観念の外に、個々の企業の慣行や考え方も尊重されるべきものである。上告人会社内で通用する「会社の物品」の概念を刑法の「財物」より狭く解釈しなければならない理由はない。右第一審判決は、就業規則にいう「会社の物品」は積極的な価値を有するものであり、消極的な価値では足りないという独自の見解に立脚するもので、本件ダンボール箱在中の書類には機密文書が含まれているから他人の手にわたって悪用されるおそれがあり、消極的価値を有することを看過したものである。
因みに、刑法の窃盗罪に関する判例をみると、情報の化体物としての文書窃盗が認められている(最高裁二五・八・二九判、刑集四巻一五八五頁)。
この点原判決は就業規則の解釈を誤る法令違背があるというべきである。
3 次に、本件ダンボール箱在中の書類が組合所有であった(会社所有ではなかった)事実と「会社の物品持出し」との関係を検討する。
原判決は、第一審判決ともども会社所有の物品と会社が第三者から預かった物品とを区別し、後者の物品の持出しについて単に所持するという事実だけではなく、占有による利益享受があるとき、始めて「会社の物品持出し」に該当するものとしているもののようである。
ところで、刑法の窃盗の手段は占有の奪取であるが、被害法益は、物の所有権のほかに物の占有の基礎となっている本権及び物の占有の裏付けとなっている法律的、経済的見地からする財産的利益があることを要するとし、単純な事実上の占有そのものは独立の法護法益ではないとする学説(団藤重光・平川宗信前掲書三七五~三七六頁)がある。原判決は、あるいはこの学説を念頭に、この考え方を類推して、単に会社が保管しているという事実だけでは「会社の物品持出し」に該らず、占有によりうける利益の有無により物品か否かを判別しようとしたものかとも思われるのである。
しかし、他方、判例は「物の所持という事実上の状態」を独立の保護法益と解しており(最高裁三四・八・二八判、刑集一三巻二九〇頁)、本件に即していえば、物の所有権の帰属を問うことなく現実に物品の占有状態が侵害されたことを以って必要かつ十分とするのである。
加えて、本件ダンボール箱には上告人の業務上の機密書類が在中していることを前提にするとき、上告人は本件ダンボール箱在中の占有を侵害されることによって実質上不利益を受けることは明らかであって(前述の消極的な価値を有することが明らかである)、占有を維持することに法律上の利益があがるものといわねばならない。
二、原判決は、被上告人の行為が形式的に就業規則七三条一項九号に該当するとしても、本件ダンボール箱はもともと組合の所有のものであったこと、かつ焼却されるものであったこと、さらに現実に組合や上告人の業務に影響が生じる程の実害が無かったことを挙げて、被上告人の物品持出しを以って諭旨解雇の処分にするのは不当であり、本件は解雇権(懲戒権)の濫用であるとする(原判決引用の第一審判決三一枚目表から三二枚目表)。
しかしながら、原判決の右の判示は法律上の解釈を誤るものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背である。原判決が権利濫用として挙げる三つの理由のうち、前の二つは既に右一、で詳細に論じたとおり原判決の法解釈の誤りによるものである。
ここでは、実害が無いが故に懲戒権の濫用であるとの判旨について述べる。
懲戒処分の目的と機能が企業秩序の維持、回復にあることは前述したとおりである。企業秩序を維持するため、一つの側面として生産手段を安全にかつ効率的に運用するという面からの規制があり、他の側面として良質な労働力を維持し、これを職場に配列して生産性を高めるための規律がある。この規律の基底にあるものは、従業員のモラール(志気)、誠実さ、協調性、風紀あるいは会社の信用、ならびに相互信頼というような計量し難い当為である。会社の損害をいうとき、それは金銭的損失だけに留まるものではない。また、生産手段運用の阻害というものに限られるのでもない。右に述べた当為が喪失し、ひいては良質な労働力の維持が困難となることは、金銭的損失、生産手段運用の阻害と並んで企業の命運を左右する重大な損失である。懲戒事案を扱った裁判例で、金銭的に見積ることができない損失や生産手段の阻害による損失以外の企業秩序違反を扱ったものも相当数みられる。(判例として、関西電力事件最高裁昭和五八・九・八判、判例時報一〇九四号。ダイハツ工業事件最高裁昭和五八・九・一六判、労働判例四一五号参照)
右に述べた懲戒処分の目的と機能にてらし、処分選択に当たっては、金銭的実害の有無だけでなく侵害行為によって危険に曝された企業秩序の質に着眼することが肝要なのである。原判決が実害にのみ拘泥するのは不当という外ない。
今一つの視点として、最高裁が全税関事件で示した判決要旨(昭和五二・一二・二〇判、民集三一巻七号)に留意せられたい。判旨は次のようなものであった。すなわち「裁判所が懲戒権者の裁量権の行使としてされた公務員に対する懲戒処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と右処分とを比較してその軽量を論ずべきものではなく、それが社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法と判断すべきものである。」
右判旨は相当数の従業員を擁し、公正な規範意識のもとに企業秩序を樹立しているとみられるような企業でも適用せられるべきであると考える。
そこで本件懲戒処分をみると、上告人は懲戒に当たって「物品持出し」の背信性を問責したのであることを原審において上告人の人事担当者である宮崎証人が供述している(原審七回、宮崎証言調書一九枚目裏)。乙第一五号証、乙第九六号証は上告人会社の過去の懲戒事例であるが、これらの例をみても、物品が単品としては財産上の値段が張りそうでもないものが持出された例で懲戒解雇処分がとられている。諭旨解雇という重い処分となった理由を宮崎証人は「会社におきまして、こういった許可なしの物品持出しということを、非常に重い懲戒処分をもって臨んでいるということは、その持ち出されたものの財産価値ということよりも、むしろその持ち出しをするというその反秩序性というようなものに、非常に重きを置いた考え方をしている」(同調書七回、二一枚目表、裏)というのである。
原判決は、実害を重視する考え方をとっているが、財産を保護法益とする刑法と違って、懲戒は企業秩序を整序あらしめようとして機能するものである。この観点から言えば、宮崎証言のいう上告人会社の考え方は、ひろく企業の考え方を代表しているものというべきである。とりわけ、上告人では宮崎証言や懲戒事例の示すとおり定着した規範意識に支えられている。
本件では、機密を維持する義務ある従業員が機密拡散の意図で(少くとも拡散の危険性を犯して)会社の機密が化体した機密書類を持出したのである。さらに、被上告人は機密拡散を防ぐため書類の焼却を命じられていた従業員であった。このように幾重にも背信を重ねた物品持出しは、上告人会社の過去の事例にてらすと、反秩序性の極めて高い事案であって、重い諭旨解雇を選択しても何ら不合理とはいえないのである。
以上のとおり原判決は「会社の物品持出し」とその情状について法律解釈の誤りがあり、判決に影響を及ぼす法令違背があるので破棄せられるべきものである。
第五点 刑法上の罪に該当する行為、その他
原判決が引用する第一審判決は、本件事案の就業規則七三条一項一四号への適用について、被上告人がダンボール箱を持出したことは一応形式的には刑法上の窃盗罪を構成する(但し可罰性について疑問を呈している。第一審判決三七枚目)が、そうだとしても、諭旨解雇とすることは解雇権の濫用であると述べ、また就業規則七三条一項一七号への適用について、本件事案は同号の「準ずる行為について」には該当しない。仮りに該当するとしても諭旨解雇とすることは解雇権の濫用として許されない旨判示している。
しかし、上告理由の第一点から第四点までで上告人が詳述したところが容れられるならば、原判決は本件事案につき右就業規則の各規定を適用するについて法律の解釈を誤ったものといわざるを得ず、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背であるから原判決は破棄されるべきである。
以上