最高裁判所第三小法廷 昭和60年(行ツ)176号 1986年10月07日
上告人
岡崎はつえ
右訴訟代理人弁護士
友光健七
山中善夫
小門立
安田寿朗
山本高行
土田庄一
黒岩容子
田中由美子
中野麻美
森和雄
小口克巳
長谷川史美
山本英司
被上告人
苫小牧労働基準監督署長川浪隆治
右当事者間の札幌高等裁判所昭和五七年(行コ)第二号遺族補償年金等不支給処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六〇年六月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人友光健七の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島敦)
上告代理人の上告理由
本件について、原一審判決は、訴外被災者亡岡崎義雄(以下、亡義雄という。)の肺がん死に対し、亡義雄が業務上のじん肺に罹患していたこと、ならびに、右じん肺と右肺がんとの因果関係について事実上その因果関係が推定され特段の反証のない限り訴訟上相当因果関係があること、を認定し、原処分を取消す旨判決した。
ところが原二審判決は、原一審判決の認定した、亡義雄が業務上のじん肺に罹患していたことを否定し、その一点で他の諸点を判断することなく、原一審判決を取消し、被控訴人(一審原告)の請求を棄却した。しかしながら、右原二審判決は、以下に詳述するとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな証拠の評価、採否を誤まり採証法則・経験則に違背しているばかりか、主要な争点について十分な審理を行なわずその判断を逸しており審理不尽、判断遺脱を犯しており、あわせて、その背景には、本件の如き労災保険給付上の業務上外に関する法的因果関係の解釈について、最高裁判例を誤解し、法令の適用を誤まった違法があり、取消しは免れない。
第一、亡義雄のじん肺症について
――採証法則・経験則違背――
一 原一審判決の認定
1 原一審判決は、まず第一に、亡義雄の粉じん職歴を検討し、「いずれも粉じんを飛散する場所における業務と推認しうるから、結局、亡義雄は、かかる業務に通算約一九年間従事していた」と認定し、前提として、特段の事情がない限り、じん肺罹患の蓋然性が十二分にあることを認定している。
2 その前提に立って、原一審判決は、「 成立に争いのない甲第二、第一二号証、乙第三号証の一及び二、第五ないし第七号証、前記甲第一一号証及び乙第一号証並びに証人佐野辰雄及び同宮川明の各証言によれば、亡義雄のじん肺に関する診断結果及び解剖検査の結果は、次のとおりであったと認められる。
(一) 亡義雄は、前記作業に従事している間に行われた健康診断ではじん肺との診断を受けたことはなかったが、金田一建設に勤務中に体の不調を訴えたため、昭和四八年五月二四日札幌市内の天使病院で診察を受けたところ、肺がんと同時にけい肺症の疑いがあるとされ、岩見沢労災病院での受診を指示された。
(二) 岩見沢労災病院では、同月二八日、亡義雄に対してじん肺に関する諸検査が行われた。その結果、エックス線写真の像は第一型(じん肺法四条一項参照)又は疑所見と、心肺機能検査の結果は正常とそれぞれ診断され、なお経過観察のうえで確診するということになった。
(三) 亡義雄は、同年六月四日札幌市内の国立札幌病院で診察を受けて同院呼吸器科に入院し、結局同年一一月五日死亡したものであるが、同院呼吸器科医師は、エックス線写真の像は第二型で粒状影のタイプはP(直径一・五ミリメートルまでのもの)であり、肺結核の所見はない旨診断していた。
(四) 亡義雄の遺体は、死後国立札幌病院において解剖に付されたが、同人の剖検記録及び組織標本を検討した同院研究検査科科長宮川明は、亡義雄の左右両肺各葉の肺胞壁、中小血管周囲及び小気管支周囲には炭粉沈着像が散在的に認められるものの、とくに結節性変化ないし肉芽性変化、あるいは、著明な肺気腫像は認めることができず、この炭粉沈着症の程度は軽度ないし中等度で、一般の都市生活者にもしばしば見られる程度のものである旨判定している。
(五) 財団法人労働科学研究所医師佐野辰雄は、亡義雄の肺顕微鏡標本を検索した結果、同標本中に見られる粉じんは一ないし二ミクロンの黒色じんが中心であるが、大型の黒色じん及び透明じんも認められるとし、線維化の程度の弱い小粉じん結節の多発が見られるところから、右は非典型けい肺(低濃度けい酸けい肺)に属するものである旨の病理組織学的所見を明らかにしている。そして、前記(四)の宮川医師の判定に対しては、長年じん肺の研究に従事し、多数の症例を検討してきた者としての立場から、亡義雄の標本中には炭粉のみでは起こりえない程度の粉じん巣の線維化が見られ、右線維化の程度と形態からすると、粉じんのけい酸含有率は一五パーセント以上(都市部の粉じんは七、八パーセントどまり)と推定されるから、炭粉沈着症とは異なるものである旨反論を加えている。また、佐野医師は、前記(二)の岩見沢労災病院で撮影されたエックス線写真像を検討したところから、右写真像に見られる粒状影は一二階尺度による一の〇(1/0)の区分に、不整形陰影は同じく二の一(2/1)の区分に該当するもので、右粒状影のタイプはPであって、これは前記の病理組織学的所見に対応するとしている。
以上の亡義雄の職歴と同人に対する診断結果等を総合すると、同人は軽度のけい肺(非典型けい肺)に罹患していたものであり、右けい肺は同人の前記業務に起因するものであると判断される。」と認定している。
3 この原一審判決の特徴は、前記のとおり、亡義雄がじん肺に罹患していたとの事実認定の基礎に、あえて、それを否定するかの如き宮川明医師の解剖検査の結果及びそれに基づく同医師の証言を引用し、その証言の限度と信用性を総合的に正しく判断した点にある。
これに対し、原二審判決は、宮川医師の判断を、ことさら、佐野医師等の判断に形式的に対比させ、佐野医師等の判断を否定するためのみに援用しており、その判断内容の理解に重大かつ致命的な誤りがある。
二 宮川鑑定とその証言について
1 なるほど、宮川鑑定とその証言は、原二審判決が、「亡義雄の左右両肺各葉の肺胞壁、中小血管周囲及び小気管支周囲には軽度ないし中等度の炭粉沈着像がほぼ同程度に散在していていわゆる炭粉沈着症状を呈していたと認められるものの、とくに結節性変化ないし肉芽性変化や著明な肺気腫像を認めることができず、肉眼的及び一般の光学顕微鏡では喫煙、一般都市粉じん等によるそれとの明瞭な区別はなし得ないとし、また、検索し得た範囲では気管支上皮の基底細胞増殖像、扁平上皮化生、異型増殖及び末梢気管支上皮の過形成並びに腺腫様増殖像等の異常増生像は認められないとしていること。」
と要約しているように、佐野医師等の意見と真向うから対立しているようにみえる。
2 しかしながら、その証言をていねいに分析してみると、宮川医師と佐野医師との事実認識は、亡義雄の症状そのものについては、一致している点も少なくない。
(1) 亡義雄の肺内の粉じんについて
<1> この点については、宮川医師も、亡義雄の肺について、「肺は中等度迄に黒色を呈していた。」「左肺は、表面黒色を呈し、割面でも同様黒色を呈し」、「又、炭粉沈着像は、肺胞壁、中小血管周囲及び小気管支周囲に散在性に軽度及至中等度に左右両肺各葉共ほぼ同程度に認められた。」(乙第六号証)としており、肺内全体に黒色の炭粉が中等度位まで沈着していたことは疑いない。
<2> なお、この炭粉がいかなる種類のものであるかの確定はなしえず、「鉱山粉塵、喫煙、及び一般都市粉塵等によるものとの明瞭な区別はなし得なかった」(同)との鑑定はあるものの、右の趣旨は、その文章をよく読めば明らかなように、あくまでも、この炭粉が、「通常行なわれている病理組織学的検索では」(同)その種類が厳密に確定しえなかったというに過ぎない。むしろ、宮川医師自身、右結語において「3.本症例の炭粉沈着症は職歴が最も重要な要因の一つとしてあげ得る」(同)としていることからみても、本件炭粉の種類については、確定はできないものの、その粉じん作業により吸引、沈着されたものと推定していることは明らかである。
<3> なるほど、宮川医師は、その証言のなかで、右義雄の炭粉沈着の程度について、都市部に生活している者の肺にみられる程度である旨証言しているが、現に亡義雄が札幌のような都市部での生活がない以上、やはり、亡義雄の炭粉沈着は、その粉じん作業によるものとの前記の推定を覆えしうるほどの反証とはなりえないといわなければならない。
<4> 以上から明らかなとおり、宮川鑑定及び証言によっても、亡義雄の肺内全体には、その粉じん作業により吸引したものと推定される炭粉様の粉塵が中等度とも評価できる程度まで沈着していたことが認定される。
(2) 亡義雄の肺細胞の異常増殖像について
<1> 確かに、この点について、宮川医師は、前記のとおり、「検索し得た範囲では、気管支の基底細胞増殖像、扁平上皮化生、異型増殖及び末梢気管支上皮の過形成及び腺腫様増殖像等の異常増生像は認められなかった。」(乙第六号証)と鑑定し、佐野医師は、「大・中気管支の繊毛円柱上皮及び粘液上皮は減少し、方形上皮の異常増殖部位が著明に増加していること、粘膜下組織では著明な滑平筋増殖していることが見られる」(甲第二号証)と鑑定し、一見すると、文字どおり、その鑑定結果は真向うから対立、相反しているようにみえる。
<2> ところが、よく原審における宮川証言を熟読してみると、実は、右の文字どおり相反する如き鑑定が、二人の医師の「異常増殖」あるいは「異型増殖」という概念の相異により主としており、亡義雄の肺細胞の変化そのものについては大きな認識の差異がないことが明らかになる。
すなわち、宮川医師は、この「異型増殖」との概念について、明白に「異型ないしは異常増殖ということばは、かなり範囲の広いとりかたをする学者と極めて狭く限定して使う用法と両方ございます。この鑑定書の中では後者の狭い意味にとりまして、前ガン状態の意味を持たせた異型増殖という意味で記載してございます。」と証言しているとおり、狭義の概念として使用しており、亡義雄の肺細胞には、狭義の「前ガン状態と認めるべき異常な増殖像は認められなかった」と鑑定しているに過ぎない。宮川医師が、乙第七号証で力説しているのも、まさに、この「異常増殖、異型増殖の定義」についての佐野医師の概念への批判であって、亡義雄の肺細胞の実態そのものではない。
<3> 他方、宮川医師も、広義の異常増殖については、右証言のなかで、一般論として、「あるいは腫瘍ではなくても、例えば慢性気管支炎あるいは肺炎といったようなものでもいわゆる軽度の広義の異型増殖というものはしばしば認められております。」として、その存在を認め、さらに、亡義雄の肺細胞についても、「ですから、前ガン状態でない異常増殖あるいは異型増殖というのは佐野先生と一緒にごらんになったときにもそのように佐野先生もおっしゃって一緒に見た標本です。」と証言し、広義の前ガン状態でない異常増殖の存在を認めている。
そして、佐野医師は、自己の病理学的評価の上に立って、宮川医師のいう狭義の異型増殖をガンそのものと評価し、広義の異常増殖を前ガン状態と評価し、証言しているに過ぎない。
まさに、佐野医師が鑑定上、指摘した異常増殖というのは、宮川医師が区別する二種類の概念のうち、広義の前ガン状態ではない異常増殖、通常の炎症にともなう異常増殖(佐野医師は、これを前ガン状態と評価しているが)をさすのであってこのように概念をきちんと整理すれば、宮川医師の鑑定と佐野医師の鑑定とは、ほとんど矛盾しないことが明らかである。
<4> 以上から明らかなとおり、亡義雄の肺細胞の異常増殖については、宮川医師が鑑定するとおり「前ガン状態に至った狭義の異型増殖」は認められなかったものの、佐野医師が鑑定した「通常の気管支炎等の持続にともなう広義の異常増殖」は存在していたものと考えるべきである。原二審判決は、この「異常増殖」との文言にとらわれ、いかにも、宮川鑑定と佐野鑑定とが全く相反するかの如く認定しているが、宮川証言等を熟読しえないため発生した皮相な判断といわざるをえない。
(3) 亡義雄の結節性変化等について
<1> この点については、確かに、宮川医師の判断と佐野医師の判断とは、明白に相反している。すなわち、宮川医師が、「特に結節性変化、乃至肉芽性変化、著明な肺気腫像は認められなかった。」(乙第六号証)とするのに対し、佐野医師は、「弱線維化、小粉塵結節の多発、病理学的局所気腫及び粉塵性肺胞壁肥厚」としており、明らかにくい違いがみうけられる。
<2> しかしながら、佐野医師も指摘しているように、亡義雄の肺組織変化は、珪酸分が少ないためか、その程度が弱く、右にみられるとおり、「弱線維化」とか、「小結節」とか、「局所気腫」とか、に過ぎず、じん肺の特別な病変に精通していない場合には、その変化を軽視することも十分予想されるところである。
実際、宮川医師の作成した乙第六号証の基礎資料ともいうべき乙第五号証においては、現実の解剖執刀者である藤田医師は、もっぱら亡義雄の直接死因たる脳軟化、脳腫瘍、肺がん等の分析、検討にその注意を集中させており、前記の如き肺組織の変化については、「左肺下葉に数ケの米粒大の結節」「右肺下葉に数ケの米粒大の結節」との記載があるのみで、それ以上の記述はなされていない。
宮川医師は、したがって、組織標本だけに従って前記の鑑定を下したものと考えられるが、そうであるならば、じん肺の専門医でないことをも勘案すると、佐野医師の指摘するわずかな組織変化を見逃す蓋然性もありうると考えられる。
<3> 宮川医師は、この点について証言でも全く触れていないため、確定的なことは断定できないが、佐野医師の鑑定(甲第二号証)及び証言が、かなり具体的かつ詳細であることから考えるとその信用性を否定しえないのであり、結局、亡義雄の肺組織は、弱い程度ではあるが、線維化、結節化、気腫化、等一定のじん肺の病変が存在していたと考えられる。
(4) 亡義雄のじん肺症について。
以上、詳述してきたとおり、亡義雄は、
<1> その肺内全体に、粉じん作業の過程で吸引した炭粉と考えられる粉じんを沈着させ、
<2> 少なくとも、その肺細胞は、前ガン状態とまで評価しうるか否かは別にして、気管支を中心として、炎症の持続にともなう異常増殖が見うけられ、
<3> また、その肺組織も、弱い程度ではあるが、線維化、結節化、気腫化があらわれはじめており、
いまだ軽症ではあるが、じん肺(非典型けい肺)に罹患していたことは明らかであり、原一審の判決は、極めて妥当なものといわなければならない。
三 千代谷鑑定とその証言について
以上のとおり、原第一審が認定したように、宮川医師の鑑定及び証言を考慮してもなお、亡義雄は、軽症のじん肺に罹患していたものと認定されるべきであるが、原二審において、被上告人は千代谷慶三医師の意見書(乙第一〇号なお、以下、単に千代谷意見書という)及びその証言により、原一審の判断を否定せんとし、不当にもその旨実現した。そこで、この千代谷意見の証拠価値が、果して原一審の認定を覆えすに足りるものか否か検討されなければならない。
1 じん肺の有無とエックス線写真について
(1) 千代谷医師は、その意見書の冒頭で、「じん肺が『ある』か『ない』かの診断は、わが国においても、諸外国においても、エックス線写真によってじん肺所見を読影できるか否かによって行なわれている。」と述べ、エックス線写真の絶対性を断定的に強調する。この冒頭の意見は、極めて明確ではあるが、同時に、千代谷意見書の本質的な問題点をも同時に浮びあがらせている。
(2) 佐野医師も証言しているとおり、千代谷医師が断定するほどエックス線写真は絶対的ではない。素人でも自明なとおり、エックス線写真は、肺へエックス線を透過したのちの陰影像であって、絶対的に肺内の変化を忠実に反映するとはいいがたい。
たとえば、小さな結節(透過性が悪いので白く写る。)と小さな肺気腫(透過性が良いので黒く写る)とが接近して存在している場合には、双方が打ち消しあい正常な陰影に写し出されるし、その大きさが小さい場合にも、判読は著しく困難になる。したがって、じん肺においても、結節性変化の強いけい肺は、エックス線上大きな結節があらわれやすいため実際の肺内変化以上のエックス線像があらわれやすく、反対に、比較的炎症性の弱い炭肺等非典型けい肺では、結節性変化より、気管支の変化、小肺気腫の多発等のため、実際の肺内変化がエックス線像にあらわれにくい。このことは、じん肺におけるエックス線解読のイロハともいうべき原則である。
(3) 事実、労働省の行なう管理区分の決定自身、エックス線写真の診断とともに、独立して心肺機能検査を行なうことによってなされており、エックス線写真の程度が軽症でも、心肺機能検査が驚くほど悪いケースもかなり存在している。あくまで、エックス線写真は、じん肺所見の重要な一つの要素であるが、全てではなく、千代谷意見はこの点でまず、重要な誤りを犯している。
2 亡義雄のエックス線所見について
(1) この点について、千代谷医師は、札幌国立病院撮影のフイルム二六葉について、何らの具体的根拠も、フイルムの像についての言及もなしで、「じん肺による陰影を読影し得なかった。」と断定する。
さらに、千代谷医師は、こともあろうか、自己のじん肺所見があまりに根拠が薄弱なことを危惧して、このことは、放射線医学を専攻し、かつじん肺のエックス線診断に深い経験を有する岩見沢労災病院若林勝医師が、昭和四十八年五月二十八日に、同労災病院小玉道郎医師が昭和四十九年一二月九日に、共に「一型又は疑いと読影して確診を留保していること」と若林勝医師の「一型又は疑い」との読影すら、自己の「陰影を読影しえなかった。」どの鑑定の根拠にしている。(なお、甲第一一号証に明らかなとおり、亡義雄のエックス線写真は、昭和四八年五月二八日付若林医師解読によるものが一枚だけであり、同四九年一二月九日付小玉道郎医師の意見は、右若林医師の診断を転記したものに過ぎず、この点でも、千代谷意見書は極めて巧妙である。)
(2) しかしながら、千代谷医師のエックス線所見に対する断定的意見は
<1> まず、「放射線医学を専攻し、かつ、じん肺のエックス線診断に深い経験を有する」岩見沢労災病院若林勝医師の、前記の所見、「一型、又は疑い」との読影と矛盾すると考えるのが、通常の経験則であること
<2> また、千代谷医師は全く触れていないが、国立札幌病院呼吸器科折津愈医師は、千代谷医師が読影したものと同じフイルムとも考えられるエックス線フイルムに基づいて「胸部X―P上、じん肺の程度は、PR2pTbo」(乙第三号証の2)と所見していること。
等の事実から明らかなように、亡義雄が死亡するまでにそのエックス線所見を下した医者が全て、何らかのじん肺所見を指摘していることに鑑みると、あまりに断定的であり、逆に信用できない。
(3) むしろ、原二審が不当にも排斥した佐野医師の所見のほうが、はるかに具体的であり、しかも、不整形陰影PR2、粒状影PR1Pというものであって、ほぼ前記折津医師の所見と一致しており、その信用性が高い。
3 亡義雄の病理組織所見等について
(1) 千代谷医師は、さらに、自己の読影を根拠づけるため宮川医師の病理組織所見まで引用するがその宮川医師の鑑定については前記二、のとおりであり、必ずしも肺内のじん肺所見を否定したものではない。
(2) なお、この点について、千代谷医師は、その証言で「この人は解剖した結果、肺の病理組織標本というものができているんですが、それはご覧になりましたか
拝見しました。
その結果はどうでしたか
私はじん肺所見とはとても診断できませんでした。」
と当初極めて断定的に証言しながら、関連した質問を受けるや、突然、証言をかえ
「ただ私は病理を専門に勉強してきたものでございませんので私にわかる程度のものは、なかったとこういうふうに申し上げておきたいと思います。」と全くあいまいな証言に後退している。
(3) 実際、千代谷医師は、その経歴からも明らかなとおり、東北大医学部卒業後、じん肺加害企業として著名な日本鉱業(株)の嘱託医を勤めたのち、その業績を評価され、国、労働省が管理運営する珪肺労災病院内科部長に就任したものであり、労使及び行政の対立が激しいこの種職業病の分野において、常に企業と行政のよき理解者として今日に至っている。
千代谷意見書及び証言は、たしかに行政上あるいは訴訟上の主張としては極めて巧妙かつ明確に構成されているが、余りに巧妙すぎて医師としての事実指摘や判断の巾が全くみうけられない。
4 千代谷意見の本質について
以上から明らかなとおり、千代谷意見は、その主張が極めて明確かつ断定的なだけに、医師としての正確な鑑定というより、被上告人である行政の訴訟上の主張を「医学的」装いを整えてなされたものとの性格が強い。
事実、千代谷医師自身、亡義雄の具体的な病像について鑑定したのは、エックス線フイルムだけであり、しかもその鑑定結果は極めて概括的に所見なしと断定したに過ぎず、提出済みのエックス線について具体的に箇所を指摘して分析したわけでもないのであって、医学的鑑定としての証拠価値は著しく低いものといわなければならない。
四 採証法則違背、経験則違背
以上のとおり原二審判決は
1 原一審判決が表現上は相反するかの如くみえる宮川鑑定と佐野鑑定との一致点と相違点とを正確に理解し、両者を基礎にして亡義雄の症状を認定したのに対し、全く正反対に、この両者の文字面、概念規定を形式的に相反させ、亡義雄の病像を誤って理解し
2 千代谷意見のなかに占める、医学的知見と法律上の主張との区別を明確にせず、極めて容易にその「医学的装いをもった主張」に依拠し、佐野医師を含む他の医師の所見を不当に軽視または無視し
その結果、亡義雄はじん肺でないとの誤った結論に至ったものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな採証法則の違背がある。
第二、亡義雄の病像の確定について
――審理不尽、判断遺脱――
一 審理不尽について
1 以上詳述したことから明らかなとおり、亡義雄の病像自身について、各医師の鑑定意見、事実認識に重大な差異があり、本件の判断のためにはその正確な解明が不可欠であるにも拘らず、原一、二審では、じん肺と肺がんとの因果関係の存否に注意が集められたためか、この点について審理が尽されたとはいいがたい。
2 たとえば、少なくとも
(1) 亡義雄の解剖を直接執刀した藤田医師に対して、<1>炭粉等粉じんの沈着状況、その部位及び量、<2>肺細胞の異常増殖の有無及びその内容、<3>結節、肉芽、肺気腫等の組織変化の有無及び状況、<4>解剖后の宮川医師との協議検討内容、等々を尋問すること。
(2) 亡義雄のエックス線フイルムを読影した若林医師、折津医師に対して、フイルムをみながら、各所見の根拠について、尋問すること。
(3) 亡義雄の病理組織標本及びエックス線フイルム一式について、裁判所が選定する専門家に鑑定を求めること。
等の審理が実施されるならば、亡義雄の病像は極めて明確になることが十分に期待される。
3 原二審判決が、亡義雄のじん肺罹患そのものを否定するのであれば、以上の各点の十分な審理と解明が不可欠であり、それを尽さずなされた判決は、明らかに審理不尽といわなければならない。
二 判断遺脱について
1 原二審判決は、以上に加えて、本件におけるいくつかの争点について、十分な審理をせず、したがって、判断を放棄している。
2 その第一は、上告人が吸引した排気ガス(タールを含む)と肺がんとの関係である。この点について、原二審判決は、「当事者双方の事実上の主張は原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。」として原一審判決の原告の主張を援用しながら、その点については、全く判断を示していない。
3 その第二は、上告人の炭粉沈着症と肺がんとの因果関係の存否である。原二審判決は、この点について、かろうじて
「亡義雄の死因である肺がんと前記炭粉沈着症との間の因果関係の存否については、甲第二号証、同第四六号証及び当審における証人海老原勇の証言は、いずれもこれを肯定するかの如くであるが、右各証拠もその可能性を否定できないというにすぎないものであって、全証拠によってもその間に相当因果関係があるものと認めることはできない。」
と判断するが、実質上、判断の前提たる審理を尽さず、その可能性を指摘する証拠を援用しながら、それを否定する根拠を何も示さないまま、その主張を排斥しており、やはり、判断を回避している。
三 以上のとおり、原二審判決は、本件の主要な争点について審理不尽、判断遺脱を繰り返しており破棄は免れない。
以上