最高裁判所第三小法廷 昭和61年(オ)315号 判決 1993年3月30日
上告人
茂木町
右代表者町長
阿部武史
右訴訟代理人弁護士
中村光彦
被上告人
生井恒雄
同
生井久美子
右両名訴訟代理人弁護士
八島淳一郎
手島道夫
松島忍
主文
原判決中、上告人敗訴の部分を破棄し、右部分につき第一審判決を取り消す。
前項の部分につき被上告人らの請求を棄却する。
訴訟の総費用は被上告人らの負担とする。
理由
上告代理人中村光彦の上告理由について
一 原判決(その引用に係る第一審判決を含む)の確定した事実関係は、概要、次のとおりである。
1 被上告人生井恒雄は、昭和五六年八月一四日午後四時すぎころ、弟の生井博、甥の五味淵郁章とともに、長男の生井圭吾(昭和五〇年一〇月一〇日生)を連れて上告人の設置する中川中学校に赴き、博、郁章の二人と校庭内のテニスコートでテニスに興じていた。圭吾はその間、球拾いをしたり、校庭を走り回るなどして遊んでいたが、同日午後四時三〇分ころ、被上告人恒雄らがテニスをしていたコートのネットの横、サイドラインの約一メートル外側に置かれてあった本件審判台に昇り、その座席部分の背当てを構成している左右の鉄パイプを両手で握って審判台の後部から降りようとしたため、本件審判台が後方に倒れ、圭吾はそのまま仰向けに倒れて審判台の下敷きとなった。その際、圭吾は、後頭部を地面に強打し、被上告人恒雄らが直ちに病院に運んで手当を受けさせたが、同日午後六時一〇分ころ脳挫傷により死亡した。
2 本件審判台は、地上から座席までの高さが約1.4メートル、背当ての最上部までの高さが約1.8メートル、重量が約二四キログラムで、鉄パイプとL字型鋼によって骨格が作られ、座席部分に木製の板を渡したもので、その前面には昇降用の階段を配して傾斜がつけられているが、後部の支柱はほぼ垂直の形状をしていた。
3 しかし、審判台の前部階段を普通に昇り降りするという本来の用法に耐えられないほど本件審判台の重心の位置が後部に偏っていたわけではなく、本件審判台が設置されてから本件事故が発生するまでの二〇年余の間、人身事故が発生したことは一度もなく、その間、本件審判台が倒れたことは一度あったが、それは生徒がふざけて後方に引っ張ったためで、本件審判台は、本来の用法に従って利用する限り、転倒の危険を有する構造のものではなかった。
4 また、中川中学校の校庭は、土の地面で、本件審判台が置かれていた付近には多少の凹凸が存したが、土の校庭に通常存し得る程度のものにすぎず、本件審判台を所定の場所に置いた場合に、後方に向かって幾分低く傾斜していたことがうかがわれないでもないが、本来の用法に従って利用する限り、本件審判台の転倒を誘発するようなものではなかった。
5 中川中学校の校庭と外部とは、一部が柵などによって仕切られているのみで、一般人の出入りを妨げる門扉などは設けられておらず、また、かつて小学校が併設されていた関係上、昭和五六年ころまでは、校庭内に滑り台、ブランコ、遊動円木、雲梯などが設置されていたことから、近所の子供らや家族連れなどの遊び場として利用されていたもので、その状態は、本件事故当時も続いていた。
二 原審は、右の事実関係の下において、次のとおりの判断を示し、本件事故が上告人の本件審判台の設置及び管理の瑕疵に起因することは否定できないから、上告人は、公の営造物の設置管理者としての責任を免れないとして、被上告人らの国家賠償法二条一項に基づく損害賠償請求を一部認容した第一審判決を正当とし、上告人の控訴及び被上告人らの附帯控訴をいずれも棄却した。
1 本件審判台は、本件事故前、転倒による死傷事故が起きたことはなかったのであるから、本来の用法に従う限り危険はなかったと考えられる。
2 しかし、本件審判台の構造及びその安定性、本件校庭の利用状況にかんがみると、学齢児前後の幼児が保護者に伴われることなく、又は保護者同伴で本件校庭内に至り、保護者の気づかないうちに本件審判台に昇り、本件事故時のような方法で座席後部の背当て部分の鉄パイプをあたかもジャングルジムのように用いるなどの行動に出、その結果、審判台が後方に倒れるおそれがあり、これが倒れた場合、その素材や重量のため死傷事故を惹起する可能性があることは、本件審判台の設置管理者には通常予測し得るところであった。
3 したがって、本件審判台の設置管理者としては、本件審判台が後方に転倒することがないように、これを地面に固定させるか、不使用時は片付けておくか、より安定性のある審判台と交換するなどして、事故の発生を未然に防止すべきであったというべきである。
三 しかしながら、上告人に国家賠償法二条一項の責任を認めた原審の判断は、是認することができない。その理由は次のとおりである。
1 国家賠償法二条一項にいう「公の営造物の設置又は管理に瑕疵」があるとは、公の営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、右の安全性を欠くか否かの判断は、当該営造物の構造、本来の用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきである(最高裁昭和四二年(オ)第九二一号同四五年八月二〇日第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八頁、最高裁昭和五三年(オ)第七六号同年七月四日第三小法廷判決・民集三二巻五号八〇九頁参照)。
本件において、その設置又は管理に瑕疵があったと主張されている当該営造物とは、具体的には、上告人(栃木県芳賀郡茂木町)町立の中川中学校の校庭に設置されたテニスの審判台であるが、一般に、テニスの審判台は、審判者がコート面より高い位置から競技を見守るための設備であり、座席への昇り降りには、そのために設けられた階段によるべきことはいうまでもなく、審判台の通常有すべき安全性の有無は、この本来の用法に従った使用を前提とした上で、何らかの危険発生の可能性があるか否かによって決せられるべきものといわなければならない。
本件審判台が本来の用法に従ってこれを使用する限り転倒の危険を有する構造のものではなかったことは、原審の適法に確定するところであり、中川中学校の校庭において生徒らがこれを使用し、二〇年余の間全く事故がなかったことは、原審の右判断を裏付けて余りあるものというべきであろう。
そして、本件審判台が右のように安全性に欠けるものでない以上、他種の審判台と比較して安全性が劣っているとか、これを地面に固定すべきであるとか、競技や練習終了後にはその都度片付けて置くべきであるとかいうのは、実情にはそぐわない非難というほかはない。
2 本件事故の発生した中川中学校の校庭が幼児を含む一般市民に事実上解放されていたことは、前述のとおりであるが、このように、公立学校の校庭が開放されて一般の利用に供されている場合、幼児を含む一般市民の校庭内における安全につき、校庭内の設備等の設置管理者に全面的に責任があるとするのは当を得ないことであり、幼児がいかなる行動に出ても不測の結果が生じないようにせよというのは、設置管理者に不能を強いるものといわなければならず、これを余りに強調するとすれば、かえって校庭は一般市民に対して全く閉ざされ、都会地においては幼児は危険な路上で遊ぶことを余儀なくされる結果ともなろう。
公の営造物の設置管理者は、本件の例についていえば、審判台が本来の用法に従って安全であるべきことについて責任を負うのは当然として、その責任は原則としてこれをもって限度とすべく、本来の用法に従えば安全である営造物について、これを設置管理者の通常予測し得ない異常な方法で使用しないという注意義務は、利用者である一般市民の側が負うのが当然であり、幼児について、異常な行動に出ることがないようにさせる注意義務は、もとより、第一次的にその保護者にあるといわなければならない。
3 以上説示するところによって本件をみるのに、本件事故時の圭吾の行動は、本件審判台に前部階段から昇った後、その座席部分の背当てを構成している左右の鉄パイプを両手で握って審判台の後部から降りるという極めて異常なもので、本件審判台の本来の用法と異なることはもちろん、設置管理者の通常予測し得ないものであったといわなければならない。そして、このような使用をすれば、本来その安全性に欠けるところのない設備であっても、何らかの危険を生ずることは避け難いところである。幼児が異常な行動に出ることのないようにしつけるのは、保護者の側の義務であり、このような通常予測し得ない異常な行動の結果生じた事故につき、保護者から設置管理者に対して責任を問うというのは、もとより相当でない。まして本件に現れた付随的事情からすれば、圭吾は、保護者である被上告人恒雄らに同伴されていたのであるから、同被上告人らは、テニスの競技中にも圭吾の動静に留意して危険な行動に出ることがないように看守し、万一その危険が察知されたときは直ちに制止するのが当然であり、また容易にこれを制止し得たことも明らかである。
4 これを要するに、本件事故は、被上告人らの主張と異なり、本件審判台の安全性の欠如に起因するものではなく、かえって、前記に見るような圭吾の異常な行動に原因があったものといわなければならず、このような場合にまで、上告人が被上告人らに対して国家賠償法二条一項所定の責任を負ういわれはないというべきである。
四 以上と異なる原審の判断には、国家賠償法二条一項の解釈適用を誤った違法があり、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、原判決中、上告人敗訴の部分は破棄を免れず、右部分につき第一審判決を取り消し、被上告人らの請求を棄却すべきである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎)
上告代理人中村光彦の上告理由
原判決は国家賠償法第二条第一項の解釈適用を誤り、同法に違背するもので、この違背が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
一 原判決は、「設置管理者としては、右審判台が後方に転倒することがないように、これを地面等に固定させるか、不使用時は片付けておくか、より安定性のある審判台と交換するなどして、事故の発生を未然に防止すべきであったというべきである」と判示する(九丁表)。
右判示の前提として原判決は「学齢児前後の幼児が保護者に伴われることなく、又は保護者同伴で本件校庭内に至り、保護者の気づかないうちに本件審判台に上り、本件事故時のような方法で本件審判台の後部審判席の背当て部分の鉄パイプをあたかもジャングルジムのように用いるなどの行動に出、……ことは、……その審判台の設置管理者には通常予測しうるところであった……」という(八丁裏、九丁表)。
それでは、本件のように審判台が倒れることなく幼児が単に審判台から転落受傷した場合はどうなるのであろうか、幼児の本件のごとき行動によって審判台が倒れた場合、死傷事故を惹起する可能性のあることは、通常予測しうるというのであれば、審判席から転落する事故も審判台の設置管理者には通常予測しうるところというべきことになる。
従って、原判決がいうように、設置管理者において、審判台を地面等に固定させても、他の審判台と交換しても、転落事故が発生した場合設置管理者は国家賠償法二条一項の責任を免れないことになる。
即ち、原判決はテニス審判台の設置管理者に対し、審判台不使用時に審判台を片付けておく義務を課したことに帰するのである。
しかしテニス審判台は、常にテニスコートにおける所定の場所に設置され、不使用時に片付けたりはしないのが通常の取扱いである。この点は中学校のテニスコートにおいても同様である。原判決は通常行われていない審判台の管理を中学校の管理者に要求するものといわざるをえない。
幼児が校庭に来て遊ぶから危険だとして、中学校の校庭内から幼児に対する危険を全て除去しなければならないとしたら際限がない。極端なことをいえば、立木から転落する危険もある。
次の判決理由が正当である。「危険防止のために、いかなる設備等をなすべきかは、およそ想像しうるあらゆる危険の発生を防止しうべきことを基準として抽象的、画一的に決すべきではなく、……具体的に通常予想されうる危険の発生を防止するに足ると認められる程度のものを必要とし、かつこれをもって足るものと云うべきであ」る(東京高判昭和四〇年三月二四日判例時報四〇八号一一頁)。
テニス審判台などが設置されている中学校校庭を管理する者について、校庭の諸施設をいかに管理すべきかは、切実な問題である。学校管理者に不可能事を強いることのないように、いかなる管理が必要かを慎重に決すべきである。
原判決は通常予測しうるかどうかを抽象的、画一的に決していて、妥当ではない。幼児の出入り自体が本件校庭について全く予測できないわけではないが、本件のごとき危険及び本件における幼児の行動を具体的に予測することは通常はできないのである。
二 原判決は最高裁判所昭和五三年七月四日判決(民集三二巻五号八〇九頁)(以下最判という)に違反するものである。
(一) 最判は本件と同様幼児による営造物の通常の用法に即しない行動の結果生じた事故に関するものである。かかる事故が設置管理者において通常予測することのできない幼児の行動に起因するものである場合について、最判は設置管理者の責任を否定している。
最判は、幼児によって、営造物が通常の用法と異なる仕方で使用された場合における、通常予測することのできない幼児の行動とは、いかなる行動をいうのかを示したケースである。
(二) いかなる行動が通常予測しうるもので、どのような行動が通常予測しえないものとなるのであろうか。
最判は「本件道路付近は、住宅地で昼間車両の通行量が少なく、付近に適当な遊び場所がないため、本件道路が子どもらの遊び場所となっており、親は転落の危険をおそれて子どもに本件防護柵で遊ばないよう注意を与えていた」との認定を是認しつつ、幼児が「防護柵の上段手摺に後ろ向きに腰かけて遊ぶうち誤って転落した」行動を設置管理者において通常予測することのできない行動と判断している。
これに対し、事故前において本件のごとき事故の発生を誰も予見しなかった本件審判台に関し、原判決は「本件審判台の後部審判席の背当て部分の鉄パイプをあたかも、ジャングルジムのように用いるなどの行動」は設置管理者に通常予測しうるところであった旨判示する。
最判における幼児の行動と、本件における幼児の行動とを比較した場合、本件行動の方が予測困難であることは明白である。最判の場合、親は危険を認識していたのである。
(三) 本件第一審判決が「本件審判台がその本来の用法に従って使用される限り転倒の危険を有するものとは到底考えられない」と認定した。これと関連して、原判決は「本件審判台は他種の審判台に比し後方に倒れ易い構造になっており、地面に固定する措置もとられていなかったのであるから、通常の使用方法による場合であっても後方に転倒する危険は他種のものより大きかったといわなければならない」と述べる。右一審判決の認定どおり本来の用法に従って使用される限り転倒の危険を有するものとは到底考えられないのであるが、原判決のいう様に「本件審判台は他種の審判台に比し後方に倒れ易い構造になってお」るという点があるとしても、その構造は、本件事故後に分ったことで、事故前誰れもかかる構造に気付いていなかった。右に対し、最判の例では「親が転落の危険をおそれて子どもに本件防護柵で遊ばないよう注意を与えていた」というのである。親は防護柵が構造上危険であることに気付いていたのである。
右最判の例に比較し、危険な構造に誰れも気付いていなかった本件の方が、結果の予測が困難であったことは明らかである。
(四) 原判決は「周辺住民の感覚において、特に「過疎地」では、一般人の私宅に対すると異り、公園に近いものとして受け取られていることが経験則上認められる」と判示するが、右経験則の存在は疑わしい。田舎は、一般に人心が穏やかで、伸びやかなのであって、強い管理になじまないのが普通である。それ故に本件中学校では門扉、塀を巡らしていないのである。又都会と違って、「過疎地」であるから、中学校に出入りする住民の数は少く、出入する幼児の数も当然少ない。過疎地における校庭管理は都会における校庭管理よりも簡略となるのが当然であり、そのことは是認されなければならない。
これに対し、最判の事故は神戸市内で発生しており、しかも「本件道路が子どもらの遊び場所となってお」ったというのであるから、過疎地で幼児が出入りすることの少い校庭における本件行動の方が設置管理者にとって予測が困難であったことは疑いない。
本件事案と最判事案とを比較検討すると幼児の危険及び幼児の行動の予測は、本件の方が困難であることが分る。従って、最判と同様の法理により、本件は、通常予測することのできない幼児の行動に起因するものと判断されるべきものであった。
(五) 最判は、「住宅地で昼間車両の通行量が少なく、付近に適当な遊び場所がないため、本件道路が子どもらの遊び場所となっており、親は転落の危険をおそれて子どもに本件防護柵で遊ばないよう注意を与えていた」「上告人は、本件防護柵の上段手摺に後ろ向きに腰かけて遊ぶうち誤って転落したものと推認される」という原審の認定を是認しているにもかかわらず、「通常予測することのできない行動に起因するものであった」と判示しているのである。
その理由は「幼児が」防護柵「を遊び道具とするのに好適なものではなかった」、「防護柵設置の後に子どもの転落事故が発生したとか、住民が被上告人に対し事故防止措置をとるよう陳情したとかいう事実はいずれも認められない」との原審認定を是認している点にある。
要するに最判は、通常の用法に即しない行動の結果生じた事故について国家賠償法二条一項の営造物責任を認めるには、右行動の高度な具体的予測が通常存在することが必要であるとしているものと解せられるのである。
(六) 本件についてみると、審判台は防護柵同様、遊び道具とするのに好適なものではなかったし、本件前に審判台による幼児の事故が発生したことはなく、住民からの事故防止措置を認める陳情もなかった。
右最判のケースと同様、本件においても国家賠償法二条一項の営造物責任は否定されるべきものであったといわなければならない。
(七) 通常の用法に即しない行動の結果生じた事故について、国家賠償法二条一項の営造物責任を認めるには、通常予測することのできる行動に起因するもので、以前に同様事故の発生があったとか、危険防止措置の申入れがなされていた等具体的で明白な予測の存在することが必要であると解される。
三 よって、原判決は、公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったと認定した点で、前記最高裁判決に違反し、国家賠償法第二条第一項の解釈適用を誤ったものである。
以上