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最高裁判所第三小法廷 昭和62年(あ)1285号 判決 1988年9月27日

主文

本件上告を棄却する。

当審における未決勾留日数中二二〇日を本刑に算入する。

理由

一被告人本人の上告趣意について

所論のうち、憲法二九条一項、三七条三項違反をいう点は、刑訴法一八一条一項が憲法の右各条項に違反するものでないこと、刑事訴訟費用等に関する法律二条三号の規定が憲法三七条三項に違反するものでないこと、並びに、原判決が第一審及び原審における訴訟費用の全部を被告人に負担させたことが憲法の右各条項に違反するものでないことは、当裁判所の判例(昭和二四年新(れ)第二五〇号同二五年六月七日大法廷判決・刑集四巻六号九六六頁)の趣旨に徴し明らかであるから、いずれも理由がなく、最高裁昭和二九年(あ)第二〇七二号同年一一月四日第一小法廷決定・刑集八巻一一号一六六五頁及び昭和二八年(あ)第三〇一三号同三〇年一一月三〇日第二小法廷決定・刑集九巻一二号二五六二頁を引用して判例違反をいう点は、差戻後の第一審裁判所がした所論取調留保の措置はいわゆる破棄判決の拘束力に抵触するものではないから、所論は前提を欠き、最高裁昭和二五年(あ)第三〇九五号同三〇年八月二六日第二小法廷判決・刑集九巻九号二〇四九頁、東京高裁昭和二九年(う)第二〇四九号同三〇年九月一日判決・東高時報六巻九号三〇〇頁、名古屋高裁昭和三九年(う)第一六六号同年八月一九日判決・高刑集一七巻五号五三四頁及び東京高裁昭和四七年(う)第三〇四六号同四八年三月二八日判決・高刑集二六巻一号一〇〇頁を引用して判例違反をいう点は、差戻後の第一審裁判所は証拠能力のない証拠を取調べたものではないから、所論は前提を欠き、最高裁昭和三七年(あ)第二三五四号同三九年一一月二四日第三小法廷決定・刑集一八巻九号六三九頁を引用して判例違反をいう点は、原判決が所論のいうような法律判断を示したものでないことは判文上明らかであるから、所論は前提を欠き、判例違反をいうその余の点は、所論引用の各判例はすべて事案を異にし本件に適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

二弁護人山崎正美の上告趣意について

所論のうち、憲法二九条一項、三七条三項違反をいう点の理由のないこと、並びに、最高裁昭和二五年(あ)第三〇九五号同三〇年八月二六日第二小法廷判決・刑集九巻九号二〇四九頁、東京高裁昭和二九年(う)第二〇四九号同三〇年九月一日判決・東高時報六巻九号三〇〇頁、名古屋高裁昭和三九年(う)第一六六号同年八月一九日判決・高刑集一七巻五号五三四頁及び東京高裁昭和四七年(う)第三〇四六号同四八年三月二八日判決・高刑集二六巻一号一〇〇頁を引用して判例違反をいう点がその前提を欠くことは、いずれも前叙のとおりであり、判例違反をいうその余の点は、所論引用の各判例はすべて事案を異にし本件に適切でなく、その余は、違憲をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反、量刑不当、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四〇八条、刑法二一条により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。

被告人本人、弁護人山崎正美の各上告趣意のうちに憲法二九条一項、三七条三項違反をいう主張があるが、それが理由のないことは法廷意見の示すとおりである。しかし、本件では、刑事事件における訴訟費用の負担について考慮すべき問題が提起されており、憲法にかかわる点を含めて、刑訴法一八一条一項、刑事訴訟費用等に関する法律(以下「刑事訴訟費用法」という。)二条三号の各規定の解釈適用に関して考えてみるべきところがあると思われるので、以下の二点について私の見解を述べておくこととしたい。

一刑を言い渡した被告人に国選弁護人に要した費用の負担を命ずること、また、右負担を命ずる根拠である刑訴法一八一条一項及び刑事訴訟費用法二条三号の各規定が、憲法三七条三項の保障する弁護人依頼権とくに同項後段によって国選弁護人を附してもらう権利を侵すものではないか。この点については、当裁判所はすでに、憲法三七条三項は、すべての被告人に弁護人を依頼する権利のあること、自ら依頼できないときは国が弁護人を附することを規定したものであって、弁護人の報酬等の費用を国が負担することまでも保障しているものではない旨を判示しており(最高裁昭和二四年新(れ)二五〇号同二五年六月七日大法廷判決・刑集四巻六号九六六頁)、いかに被告人にとって弁護人の援助を受ける権利が重要な人権の一つであるとしても、国選弁護人の費用を被告人に負担させることが憲法に反するとは解しえないから、右の判例は正当として是認することができる。ただ、この判例が、弁護人の報酬等の費用を何びとに負担せしめるかは憲法の関知するところでなく、法律をもって適当に規定しうるものと解すべきであるとしている点には、疑問がないわけではない。憲法の保障する弁護人の援助を受ける権利を実質上著しく損うような場合には、違憲とされることがありうるのであり、貧困な被告人が報酬等の費用の負担を命じられることを慮って国選弁護人の附されることを避けることは考えられなくはないから、もし立法がこのような配慮をすることなしに右の費用の全部を被告人に負担せしめるとすれば弁護人依頼権の保障を実質的に害するとされることがあろう。しかし、刑訴法一八一条一項は刑の言渡しを受けた被告人につねに費用の全部を負担させるものとしておらず、また右の判例ののちに付加された同項但書は貧困者に対しては費用を負担させないものとしており、さらに同法五〇〇条が負担を命じられた者にその裁判の執行免除の申立を許しているから、右にあげた違憲の問題は解消しているものとみてよく、刑訴法一八一条一項及び刑事訴訟費用法二条三号の各規定、並びに、原判決が本件の国選弁護人の費用の負担を被告人に命じたことが憲法三七条三項に反するものということはできない。

二右のとおり、違憲の主張は容れることができないが、それでは、訴訟費用の負担の裁判はすべて裁判所の裁量に委ねられており、その決するところに当不当の問題はあるとしても、違法かどうかの問題は存しないといえるか。私は、刑訴法一八一条一項但書に当たる場合のほかにも、刑を言い渡した被告人に対し、同条項本文により訴訟費用を負担させることが違法となる場合がないとはいえないと考える(東京高裁昭和二六年(う)第五五〇二号同二七年二月七日判決・高刑集五巻三号三二八頁参照)。問題は、どのような場合に違法となるか、その判断基準をどこに求めるかである。刑を言い渡した被告人に対し、訴訟費用は被告人の不法な行為に基因するとして安易にその全部を負担せしめることは適当ではない。いかに被告人に不法性があるとしても審理に全く不要と認められる費用までも負担させるべきではあるまい。他方、訴訟費用が犯罪の結果として生じたものであって、被告人の責に帰すべき事由によるものと推定されるから、負担の可否を被告人の責の有無に絡めて厳密に検討することを裁判所に要求することはできないし、それは実務上も適切とはいえないであろう。私見によれば、抽象的な基準としては、当該の事件の審理上必要と認められる処分のために要した費用であって、審理の経過とその結果からみて被告人に負担させるのが相当と考えられる費用は、被告人に負担させるというのが刑訴法一八一条一項の趣旨にかなうものと考えられる。そして、この基準に該当するかどうかの判断は、審判に当たった裁判所が最も適切になしうるものであるから、その決定は、当該裁判所の広い裁量権に委ねられているものというべきであり、総合的に判断してこの裁量権を逸脱したと認められる場合に負担を命じたときに、それが違法となると考えられる。

所論は、控訴審が第一審判決に瑕疵があると認めてこれを破棄し、刑の言渡しをしたときは、控訴審の訴訟費用が生じたことにつき被告人に責められるべき事由がなかったのであるから、その費用を被告人に負担させることは許されないと解すべきであるのに、原判決は第一審判決を破棄しながら控訴審の国選弁護人に要した費用を被告人に負担させているのであって、原判決には誤りがあると主張している。しかし、本件において、原判決は、第一審判決が算入した未決拘留日数が過少であるとの被告人側の控訴趣意を容れて量刑不当により第一審判決を破棄し、あらためて被告人に対し刑の言渡しをしたものであって、そのために要した原審の訴訟費用は通常の訴訟に伴い生じたものというべきであり、しかも、原審において被告人側は控訴理由として右の点の他に事実誤認、法令適用の誤り及び本刑についての量刑不当を主張して審理を受けており、右の訴訟費用は被告人にとって必要なものであったということができるので、前述した基準に照らし、原判決が右の費用を被告人に負担させたことが裁量権を逸脱したものでないことは明らかであるから、違法とはいえない。

(裁判長裁判官安岡滿彦 裁判官伊藤正己 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己)

被告人の上告趣意(昭和六三年一月二五日付)

第一点、第二点<省略>

第三点

原判決は差戻後第一審判決を破棄し、刑訴法第四〇〇条但書に基づき新たに判決を言渡したものである。そこでなされた新たな判断は、差戻後第一審がした刑法第二一条に基づく未決勾留日数の本刑算入五〇日の判断を、過少であるとして、改めて同法条によって一五〇日の本刑算入を裁定したものである。そして更に、原審において生じた訴訟費用につきその全部を、刑訴法第一八一条第一項本文に基づき被告人の負担とする裁判をなしたものである。

右の原判決の新たになされた判断に対しては、原審においてその当否を主張することは物理的に不可能であるところ、上告審において初めてその違憲違法を主張しうるものであり「破棄自判の原判決に対して、上告審において初めてその適用法令の違憲を主張できる」(最高裁昭和二八年三月一八日判決、昭和二六年(あ)第四六二九号、刑集七巻三号五七七頁)とされているところからも、原判決の右判断についての違憲ないしは判例違反の主張は、適法な上告理由たり得るものと思料されるところ、よって左に原判決の新たな判断の当否についての主張を述べる。

一、原判決は刑訴法第一八一条第一項に基づき、原審において生じた訴訟費用につきその全部を被告人に負担させる旨の裁判をなしたが、右は憲法第二九条第一項、同法第三七条第三項にそれぞれ抵触するので破棄たるを免れない。

(一) 原審における訴訟費用について

原審において生じた訴訟費用とは、刑事訴訟費用等に関する法律第二条第一項第三号に規定される刑訴法第三八条第二項の請求により生じた国選弁護人に対する報酬等を指すものである。その内訳は、被告人の請求により昭和六二年四月二一日に国選弁護人が選任されたのであるが、この後、被告人が新たに私選弁護人を選任したので同年六月四日に右国選弁護人が解任されたものであり、その間に要した右国選弁護人に給付されるべき報酬等が原審において生じた訴訟費用である。

(二) 訴訟費用負担の基準

訴訟費用の範囲については刑事訴訟費用等に関する法律第二条に規定されるところであるが、刑訴法は、国庫が訴訟費用をすべて支給し、被告人又は第三者は特定の場合にこれを負担する原則を採用している。訴訟費用の負担を命じる裁判は、被告人に刑罰を科すものではないから、訴訟費用に係る裁判の執行は、検察官の命令により執行されるが(刑訴法第四九〇条)、他面、裁判に由来する国の債権となるものであって、被告人にとってはその負担を命じられた場合、訴訟過程で要した費用のうち、刑事訴訟費用等に関する法律に定められる特定の部分につき、既に国が被告人に代わって出捐したものについて、被告人が償還すべき債務が生じるものと解せられる。訴訟費用は、それを生じせしめた有責者に対し負担させることを建前とし、その基準は、まず訴訟費用の不法性、すなわち被告人が刑の言渡しを受けた事件の審理に必要であった訴訟費用は犯罪の結果として発生したものであるから、被告人が不法に生じた費用に外ならない。よってこれを負担させるべきであり、反対に、審理上必要でなかった費用は、刑の言渡しがあっても不法に生じたものではないから被告人に負担させるのは妥当でないことになる。次に、訴訟費用の有責性、不法に生じた費用でなくとも、被告人または第三者が個人の責に帰すべき事由により生じた費用は、自らが負担すべきである、という二点が被告人等に訴訟費用を負担させる基準であろうかと解せられる(被告人等の負担能力の個別的差異も右基準についての一機能たるものであろう)。

(三) 刑訴法第一八一条第一項の沿革とその趣旨

刑訴法第一八一条第一項は、被告人に対する訴訟費用の負担関係についての規定であるが、被告人に刑の言渡しをした場合、その審理に要した訴訟費用は、その犯罪の結果によって不法に生じたものであるから原則的にそれを被告人の負担とすることを規定する。本条第一項但書は、刑訴法の一部を改正する法律(昭和二八年法一七二)により、「但し、被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは、この限りでない」が追加改正され、昭和二八年一一月五日施行された。そして貧困のため訴訟費用の納付が不可能であることが明らかな被告人に対しては、判決の際その全部又は一部を負担させないことができるように改められたものである。

本条第一項に謂う刑の言渡をしたとは、所謂実刑のほか、刑の執行猶予、刑の執行の免除を言渡した場合を含み、第一審での言渡か上訴審での言渡かを問わないし、上訴審が、刑を言渡した判決に対してなされた上訴を棄却する場合も上訴審の訴訟費用の負担につき本条第一項の適用がある(昭和二四年四月二二日東京高裁判決、昭和二四年(を新)第六号、高裁刑特報一号一頁)。また本件の如く上訴審が破棄自判して原判決より軽い刑を言渡しても、刑を言渡したことに外ならないから、上訴審にて生じた訴訟費用を被告人に負担させるものとされている。

(四) 刑訴法第一八一条第一項は憲法第二九条第一項に抵触する

原判決は差戻後第一審が言渡した判決は、刑の量定が不当であることを理由として、右判決を破棄したものである。

上訴制度とは、未確定の裁判に対して上級裁判所の審判による救済を求める不服申立の制度である。その目的とするところは、原裁判の事実認定、法令の解釈適用、刑の量定判断についての誤りを正すところにあり、具体的事件において、一旦裁判機関の公権的意思表示としての判断が下されたにも拘わらず、これを容易に取消、変更することは、裁判制度の要請である法定安定性や国民的信頼を動揺させ、一旦下された裁判によって得られた当事者の利益を徒らに害し、紛争の可及的解決を阻害するという種々の弊害がある。しかし、他面、裁判も一定の制度的、手続的制約のもとになされるから、事実認定の誤りや法令解釈適用の誤りもまた避けられぬものであり、これを正すことにより、当事者の具体的救済を図ることが要求され、また、同一法令につき裁判所によって解釈適用が個々に異なることこそが却って法的安定性や国民的信頼を動揺させるものであるから、権威のある上級裁判所がその誤りを正すことによって法令解釈の統一を図る必要性があるというにその目的があるものと解される。

原判決は、差戻後第一審のした刑の量定についての判断が不当であるとしてこれを破棄したが、刑の量定は、法定刑または処断刑の枠内で事実審裁判所の自由裁量に属するところであり、もとよりそれは具体的事案ごとに個別的な諸事情を商量した周到な検討が要求されるものであり、もしそれが裁量権の行使として相当でないと認められるときは、具体的正義の実現として是正がなされるわけであろう。本件は、右のような趣旨のもとに、差戻後第一審のした裁量権の濫用たる未決勾留日数の刑法第二一条に基づく本刑算入の恣意的過少算入が、原判決において是正され改善されたものである。一般に量刑不当に該当するか否かについての判断は、刑の量定が事実審裁判所の自由裁量に属するものであって、相当とされ得る量刑にもある程度一定の幅をもつものと解せられるから、事後審たる控訴審は原判決の不当性が立証されて確信がもてる場合に限り、それを破棄すべきものであろうから、本件の如く控訴裁判所において何ら事実審理に入らず第一審において顕われた資料のみを基準として、量刑不当の判断を下したものであることに思いを至せば、差戻後第一審の刑の量定が不相当であることが一目瞭然たるべきものであったことが窺われる。

刑事被告人は須く自らが犯した罪責に相応した非難を甘受すべきものであり、刑罰を科せられるべきであることは言うを俟たぬところであり、憲法第三一条以下が適法手続主義を標傍するのも、けだしその所以に外なるまい。してみれば、差戻後第一審判決が原審において量刑不当を理由として破棄されたことは、罪責に見合った適正な刑罰が科せられなかったことを基因とするという外なく、まして差戻後第一審判決後に顕出された資料が参酌されたわけでもない本件の場合には、原判決において漸くにして罪責に見合う刑罰が量定され具体的正義が実現されたというにしくはなかろう。結局ここにおいて、被告人が差戻後第一審判決に対して、原審に、その誤りを是正してもらうべく救済を求めたことは、まさに正当な理由に基づくものであることが実証されたわけであるから、被告人は故なくして差戻後第一審の判決の不当性を論難したというには当たらず、被告人が上訴したことによって国家刑罰権の適正な行使としての正義が具現されたものともいえよう。そうした前提に立てば、被告人の極めて正当な上訴権の行使によって控訴審での審理が必要とされ、そしてそれが控訴審に容れられ原判決の不当性が明らかにされた場合には、そのことで生じた訴訟費用については、被告人の不法によって生じたものであるとはいい得ないのではなかろうか。却って被告人は第一審において自己が犯した罪責よりも過重な刑を量定されたことは、取りも直さず国家刑罰権の恣意的な不当行使たる譏を免れず、それは国家の個人に対するある種の不当行為とさえいえよう。

債権は法律上の原因によって生ずるものであり、故なくして発生するものではあるまい。訴訟費用の負担を命ずる裁判とは刑罰を科すものに非ずして、裁判に由来する国の債権たる本質をもつから、訴訟費用の負担を命ずる裁判がその法原とするは、被告人の不法行為を原由として発生した訴訟費用はこれを被告人が負担することが理に適うものであるというところに立脚したものであろう。それを敷衍させれば、審理上必要でなかった費用については被告人に負担させるべき正当な根拠をもたぬことにならざるを得まい。刑訴法規は刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを要締とする。当事者が法廷に顕出した資料に基づいて、可及的に国家刑罰権の実現を負託される裁判所が、この負託に敢えて背馳し、罪責に見合った適正な刑罰を量定することをなさぬがために、被告人がその不当性を訴えて上級裁判所に救済を求めねばならなかったことで該事件の可及的解決が遷延され、更なる審理を必要としたものであることを思えば、そのことに被告人が非難を受くべき帰責事由があろうとは到底思われず、その原因とするはひとえに、敢えて破棄されるべき不相当な刑を量定した下級審にこそあり、非難されるべきは下級審ではなかろうかと思料される。下級審が最初から適正な量刑を言渡していたならば被告人は上級審に救済を求める必要もなかったであろうし、従って上級審の審理も必要なかったことになろう。

如上の前提に立てば、上級審において下級審判決が破棄され軽い刑が言渡された場合、上級審での審理によって生じた訴訟費用は、被告人が不法に生じたものとは到底いえなかろう。そうしてみれば故なくして国の債権が発生する所以もまたなく、被告人にその訴訟費用を負担させるのは、正当な根拠に基づかぬものということに帰着せざるを得まいかと思料する。なるほど刑訴法第一八一条第一項但書は貧困者に対し救済を図っており、また刑訴法第五〇〇条第一項は訴訟費用負担の裁判の執行免除の申立を認め、実質的に貧困者救済のみちを広く定めて配慮していることも事実である。しかしそれとこれとは問題は別であり、貧困者を救済するからといって、故なくして債権が発生したものとする不当性が正当化されることにはなり得まい。貧困者に対して負担を免除するということは単に債権を放棄しただけであって、債権の発生原因の当否という問題とは別異の前提に立つものである。刑訴法第一八一条第一項が「刑の言渡をしたときは」という文言を用いていることから、その文理解釈上当然に、上級審が原判決を破棄して軽い刑を言渡したときをも包含することだろうし、本件はまさしくそうした場合であるのに同法条第一項本文が適用されているのだから、これが含まれることは紛れもあるまい。ここで、刑訴法第一八一条各項と同法第四九五条各項を対照させたとき、その不整合さは一見して明らかである。未決勾留日数の法定通算に関する規定と訴訟費用の負担を命ずる裁判に関する規定を同位に論ずるのは失当であるかもしれないが、多分に両者は類似点を有するものである。すなわちいずれもその適用に際し有責性を顧慮しているものであり、被告人の帰責事由なくして未決勾留日数が延伸した場合には明文規定を設けてその全部を刑の執行に換えるという刑訴法第四九五条各項の趣旨は、同法第一八一条各項の趣旨と軌を一にしているといえよう。そうした前提から刑訴法第四九五条第二項第二号が「検察官以外の者が上訴を申立てた場合においてその上訴審において原判決が破棄されたとき」として、上訴申立後の未決勾留日数の全部を法定通算していることと、刑訴法第一八一条第一項が「刑の言渡をしたときは」として、上訴審において被告人の上訴が容れられて原判決が破棄され軽い刑を言渡された場合をもその当然の対象としていることを、両者対照した場合の不整合性は一目瞭然と言わざるを得まい。すなわち刑訴法第一八一条第二、三項が、それぞれ有責性を問題として、その基準対象としていることに注目したとき、被告人に帰責事由がない場合の救済措置を講じておらぬが故に、検察官の略式命令請求が不適法なため通常の起訴事件として審判がなされ有罪となった事件において、正式裁判手続に付された結果生じた費用は結局検察官の過失により生じたものであるとして、本条第二、三項を類推して被告人に負担させるべきではないとした判例(昭和四六年六月二八日近江八幡簡裁判決事件番号不明、タイムズ二六六号二三七頁)からしても、本条第一項が「刑の言渡をしたときは」として例外を認めていない(有責性という意味において)ことから、被告人以外に基因する有責性の問題について配慮が全然なされていないことで、右の事例のような事情があるときは拠るべき法条がないことはまさしく立法の不手際を露呈するものと言わざるを得ない。そして被告人以外に帰責原因があった場合の救済措置に代替させるべく本条第一項但書によって対処しようとするは、明らかに訴訟費用負担を命ずる裁判に内在する法律的基準性を恩恵的措置或は実務的便宜にすり替えて、問題を混同するものである。従って本件の如く、全く第一審終結時点の事情に基づき上級審において被告人の上訴が認められ原判決が破棄されて、より軽い刑が改めて言渡された場合には、被告人が非難を受けるには当たらず、逆に適正な刑を量定しなかった第一審裁判所こそが非難されるべき筋合であり、そのような場合をも一律被告人に訴訟費用を負担させることを定めた刑訴法第一八一条第一項は、故なくして被告人の財産権を侵奪するものと言わざるを得ず、よって憲法第二九条第一項に抵触することに帰着するから、この点で原判決は破棄を免れない。

(五) 刑事訴訟費用等に関する法律第二条第一項第三号及び刑訴法第一八一条第一項は憲法第三七条第三項に抵触する。

原判決は、刑事訴訟費用等に関する法律第二条第一項第三号に基づき原審において国選弁護人に給付された報酬等の訴訟費用を、刑訴法第一八一条第一項により被告人に負担を命ずる裁判をなしたものである。

憲法第三七条第三項は、前段で刑事被告人が、「いかなる場合にも」資格を有する弁護人を依頼することができることを保障し、後段で被告人の請求を要件とすることなくまた何らの例外や裁判所の裁量権を留保することなく「被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する」として、全体として刑事被告人にはいかなる場合にも弁護人が不可欠であることを認め、最終的には国の責任においてこれを保障している。弁護人の保障が適正な刑事手続の要諦をなしており、弁護人を欠く場合には被告人の不利益を必要最小限度に食い止めることも、公正な裁判を確保することも、当事者主義を実質的に確保することも不可能であり、本条項を支える適正手続主義の要請に背反することにならざるを得まい。ここに謂う「いかなる場合にも」とは、公訴提起後のいかなる段階、いかなる事情の下においても、ということを意味し、たとえば、原判決後、上訴申立のために弁護人を選任することも含むことはいうまでもなかろう。そして、後段の「自らこれを依頼することができないとき」とは、貧困のため弁護人を依頼する資力のない場合を主とするが、貧困者に限定する文言を用いていないことからも、それにとらわれず、被告人が自ら弁護人を積極的に依頼しえない一切の場合をも意味しよう。また、「国でこれを附する」とは、国選弁護人の保障を内容とするものであるから、その趣旨は、弁護人の重要性を認めて前段の弁護人依頼権の保障をさらに確実なものとしようとすることにあり、本条項前段と一体となって、すべての刑事事件について弁護人の存在が不可欠であることを確認するものと解される。

そして刑訴法第二八九条第一項は、必要的弁護人制度を設け、そこで被告人の意思に拘わらず、一定の事件を類型して、同条第二項で被告人が依頼しない場合は、弁護人を国で選任することとし、且つ、一定の訴訟手続に弁護人の立会などの関与を必要と定めている。ここでは被告人が弁護人を自らの意思で積極的に請求するしないに拘わらず、弁護人がない限り公判を開廷することができないことが定められている。そうしてみると必要的弁護事件においては「請求法理」は前提とされていないことは明らかであろう。被告人が自ら弁護人を選任しないばかりか裁判所が選任した国選弁護人をも必要ないとして、その弁護を拒否した場合には公判を開廷することができないから、そこでは被告人の意思如何に拘わらず国選弁護人を附さなければ審理が進捗しないことになる。よって必要的弁護事件のもとでは、被告人の請求があるなしに拘わらず、被告人が自ら弁護人を附さない場合は、国がこれを附すべきことが前提となっている。刑訴法第一八一条第一項は、国選弁護人の費用も含めて訴訟費用を刑の言渡を受けた被告人に負担させるべきものとし「但し、被告人が貧困のため訴訟費用を納付することのできないことが明らかであるときは、この限りでない」としている。これを正当とする論拠は「貧困以外の事由によって弁護人を依頼することができないときは、その費用まで国で負担しなければならない道理はない」(法学協会編、註解日本国憲法上巻六五三頁)とされているが、憲法第三七条第三項が費用負担を被告人に命ずることを明示せず無条件で「国でこれを附する」としていること、或は、有罪の場合に被告人負担とされるのであれば、必要的弁護事件の場合には「請求法理」が妥当しないのに、すなわち被告人が積極的に国選弁護人を忌避し必要ないと意思表示したところでこれなしでは公判が開廷されないから裁判所は国選弁護人を附すであろうし、被告人が将来の過大な費用負担を躊躇して国選弁護人を附することを忌避したのに、その意思に拘わらず裁判所がこれを附し、結局、有罪とされた場合には刑訴法第一八一条第一項但書に該当せぬ限りはその負担から免れないことになるが、こうしてみれば、憲法第三七条第三項が被告人の弁護権を保障して自らがこれを依頼することができないときは、国でこれを附すとしたのとは裏腹に、刑訴法第一八一条第一項但書の要件は余りに限定的に過ぎ、両者は自己矛盾に陥った感さえある。自らが依頼できないときとは貧困の場合のみを限定しているものではなく、被告人が弁護人を依頼することを妨げる事情の一切を謂うのであるのに、貧困者のみに限定して、実質的な救済措置を講じることで、右憲法の趣旨に対処しようとするのは、余りに皮相的であり、結局、憲法第三七条第三項が刑事被告人の一切に対して、その弁護権を保障したことの本旨を没却するものであり、刑事訴訟費用等に関する法律第二条第一項第三号が国選弁護人に関する費用を訴訟費用に定めたことと、刑訴法第一八一条第一項が貧困の場合以外は有罪を言渡されたとき一切を、右費用を被告人に負担させる旨定めたことは、憲法第三七条第三項の被告人に対する弁護権の保障に抵触するものというの外はない。

<以下、省略>

弁護人山崎正美の上告趣意(昭和六三年一月二八日付)<省略>

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