大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和62年(あ)1369号 決定 1988年9月09日

本籍

大阪府八尾市山本町北三丁目六一番地

住居

同吹田市藤白台四丁目二三番一号

会社役員

吉村武雄

大正一四年三月三〇日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和六二年九月二五日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人小嶌信勝、同田村彌太郎、同渡邊俶治、同早川晴雄、同江口英彦の上告趣意は、憲法一四条違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当で主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫)

昭和六二年(あ)第一三六九号

○上告趣意書

被告人 吉村武雄

右被告人に対する法人税法違反被告事件につき、昭和六三年九月二五日大阪高等裁判所が言渡した判決に対し上告を申立てた理由は、左記のとおりである。

昭和六三年三月三〇日

右被告人弁護人

弁護士 小嶌信勝

同 田村彌太郎

同 渡邊俶治

同 早川晴雄

同 江口英彦

最高裁判所

第三小法廷 御中

第一 憲法違反(刑訴法第四〇五条一号)

原判決には「法の下の平等」を定める憲法第一四条に違反した瑕疵がある。

すなわち、国税当局は、長年にわたり、部落解放同盟系団体による税務申告代行制度を容認し、その申告代行にかかる税務申告については、原則として申告どおり是認して実質的税務調査権を放棄してきたものであるところ、本件脱税を誘発した部落解放同盟系の大阪府中小企業連合会(以下中企連という。)の担当幹部は、被告人に対して中企連を通じて税務申告するように勧めてその税務申告を代行する等本件脱税について極めて重要な役割を担当してきた共犯者であり、また、中企連は、全国組織としてこの種税務申告の代行業務を組織的に行ってきているのに、その担当者の訴追はもとより、取調べ・捜索等一切の捜査を行わずに不問に付して、いまだに、中企連による税務代行業務を否認して微税面での聖域としていわゆる逆差別行政を行っているのに、中企連の幹部に勧められて中企連に税務申告を依頼した被告人のみが、実刑に処せられるというのは、社会勢力等によるいわゆる逆差別・不平等行政に基づく著しく不公平な捜査処理・裁判であり、憲法一四条に違反する。

一 国税当局によるいわゆる逆差別行政について

大阪国税局は、昭和四三年三月三一日、部落解放同盟との間で、いわゆる七項目の確認事項を約束し、之を今日まで実施してきているが、その確認事項の中で注目されるのは、

「企業連が指導し、企業連を窓口として提出される白、青色を問わず、自主申告については全面的に認める。ただし、内容調査の必要ある場合には、企業連を通じて企業連と協力して調査に当たる。」

との項目が存在することである。(第一審弁証一二号、一三号)。

そのために、中企連等の同和団体が税務申告を代行した申告書は、原則として申告どおり是認されて調査が行われず、税務調査の必要がある場合でも、企業連と税務当局が話合で修正申告させるだけで、通常、法人及び個人事業者に対して行われる税務調査が約二〇年の長きにわたり実施されず、申告納税において、脱税を抑止するのにも最も効果がある定期的税務調査の権限を実質的に放棄した状態で今日に至っている。

このように、中企連等の同和団体の税務申告代行の自主申告分は、微税面、査察調査面、脱税捜査面では聖域とされ、治外法権化されているという驚くべき現実が存在するのである。

昭和五七年四月八日開催の衆議院地方行政委員会で、部落解放同盟大阪府企業連合会(以下大企連という。)が、土地譲渡所得税等の減免に介入していると共産党議員から指摘・追及されたことが、新聞報道されていたが、その後も依然として、この聖域は改善されなかった。

このような聖域が存在しているために、同和関係団体による税務申告の代行が脱税の温床となり、その害悪があまりにもひどくなってきたために、大阪国税局では、昭和五九年に、京都地方検察庁と協議して、まず自民党系の同和団体である全日本同和会京都府・市連合会が税務申告を代行して相続税等を脱税していた事件について、納税義務者はもとより、同和会の幹部をも検挙し、次いで、大阪・神戸地方検察庁管内でも、保守系の同和団体の幹部を検挙して聖域にメスを入れ始め、更に、中企連関係では、第一号として、本件被告人が検挙された。

ところが、同和関係団体の中で、保守系の団体の事件は、その担当幹部をも検挙しているのに、部落解放同盟系(社会党系)の中企連及び大阪府企業連合会(以下大企連という。)関係の事件では、納税義務者のみを検挙して、中企連及び大企連については、捜索はもとより、申告を継続的に代行していた担当の幹部についての国税局による調査はもとより、検察庁においても、一切捜査されておらず、参考人としての事情聴取すら行われた形跡が全くない。

これは、保守系の同和団体は、組織力が弱いためにその社会的勢力も比較的弱いが、部落解放同盟系の団体は、組織力が強大であり、その社会的勢力が絶大であるためと推測される。

昭和四三年三月三一日に協議された前期七項目の協定が成立した経緯から考えて、同和団体の企業連が税務申告を代行している事件は、大なり小なり、脱税していることは明白であり、これらの申告書は、通常の申告手続とは異なり、総て申告書の表紙に申告を代行する同和団体名が明記され、その受理手続も通常の申告書とは完全に区別して、各税務署とも通常の受理手続の窓口では取り扱わずに、総て総務課長及び署長に提出されて特別に取り扱われてきた。

国税当局では、このようにして特別に受理した税務申告は、大なり小なり脱税していることを十分認識しながら、長年にわたり放置してきたのである。

二〇年近くも、税務当局が、前記同和関係団体との七項目協議協定事項を遵守してきたために、この聖域が脱税の温床となってきたものであり、部落解放同盟では、大阪府連合会の大会に、この七項目協議事項をパンフレットに印刷して、大会参加者に配付し、半ば公然と、脱税方法を宣伝してきたが、国税当局では、中企連関係のこの税務代行について何らの行政指導もなく突然本件被疑者を検挙したものの、中企連に対しては、全く逆差別で、一切の調査・捜査を行わないという、常識では考えられない逆差別行政が行われているのである。

この点について、第一審から被告人が詳細に主張・立証(第一審弁証一二号一三号、第一審弁論要旨四一頁ないし四五頁、五七頁ないし六六頁)してきたが、検察官は一、二審とも一切反論せず、沈黙を守っており、判決も一、二審とも、この点は不問に付している。このような、税務・捜査当局の逆差別行政そのものが、憲法一四条に違反するものである。

二 被告人及び被告人経営の株式会社大阪環境処理センター(以下大阪環境という。)は、業務の特殊事情で、中企連に加盟し、中企連の勧めで、税務申告を代行してもらっていたもので、単に、脱税のために、中企連を利用していたものではない。

原判決は、この点について、「被告人が中企連など同和関係の政治団体に加入した理由は、ひとり税務対策にのみあるのではなく、所論が指摘するような事情によるものであることも否定できないところである」と判示している。右所論が指摘する事情とは、次のとおりである。

昭和四六年に、廃棄物の処理及び清掃に関する法律(以下廃掃法という。)が施行されてから、行政指導により産業廃棄物処理業者が急増してきたが、その業者の資質問題、実務上の問題等の指導において行政当局の機能的対応に限度があることから、その指導の窓口を単一化することのために、また、業界発展のために組織化が要望され、昭和五一年、業界の大同団結による任意組合として、産業廃棄物処理許可業者一〇八社、役員二〇名をもって、「大阪産業廃棄物処理組合」を設立し、行政当局の指導を受けながら、その資質の向上と業界の発展のためにスタートを切った。

この組合が発足して以来、業界の持っている課題は多く存在するのみならず、行政指導にも曖昧なところが多く、廃掃法上一番弱い立場にある産業廃棄物処理業者としてどのように対応するかの問題と、一般廃棄物、産業廃棄物ともに、その廃棄物処理業者には、同和出身者の人達が多いところから、前記組合の顧問を組合員全員一致で、社会党衆議院議員上田卓三氏にお願いし、上田氏が組織している中企連に前記組合が団体加入した。この組合は、昭和五六年、大阪府の認可を受け、「大阪産業廃棄物処理事業協同組合」という法人になった(第一審弁証一号被告人の供述書五〇頁五一頁)。

昭和五六年三月ころ、「大阪環境」では、第一審弁証一号、被告人の供述書(五一頁ないし五八頁)及び第一審弁論(弁論要旨五〇頁ないし五七頁)で詳述したとおり、「大阪環境」が取り扱う廃棄物が、一般廃棄物か産業廃棄物かの問題と、その最終処理場の問題について、何人も解決ができなかったのに、中企連の北川修二氏が右難問を解決してくれ、同人の勧めによって、既に前記組合が団体加入していた中企連に、「大阪環境」も加入するとともに、同人の勧めにより税務申告の代行を依頼するに至ったのである。

今日のように、一応の基盤ができた「大阪環境」としては、中企連を脱退しても、何とか業務を処理していくことができるが、当時としては、中企連に頼らなければ、業務が遂行できなかったものであり、この点、一般廃棄物と産業廃棄物との法解釈の問題、産業廃棄物処理業界と同和団体との関係等の実体をよく見ていただければ、被告人の採った税務代行の依頼が無理からぬことであったことがご理解願えるものと信ずる。

原判決は、「被告人が中企連など同和関係団体に加入した理由は、ひとり税務対策にのみあるのではなく、所論が指摘するような事情によるものであることが否定できないところではある」と認定しながら、「被告人が中企連に加入した意図等に照らし、所論の指摘する前記検察官の批判的見解も見当違いの意見であるとはいい難いところである。」として、「右所論の指摘する点は、むしろ被告人に不利な事情」と判断している。

被告人の経営する産業廃棄物処理業が同和関係団体の支援が極めて必要であり、その力なしでは、到底今日の「大阪環境」の存在もあり得なかった事情を、余りにも無視した判断と言わざるを得ない。

三 以上のべてきたとおり脱税の根源をなしている中企連について、その捜査はもとより、本件の共犯者である担当者について全く取調べも行わずに不問に付しているのに、酌量さるべき情状が多々ある被告人のみを実刑に処し、実質的に税務当局の逆差別行政を容認した原判決は、憲法一四条に違反するもので到底廃棄を免がれない。

昭和四三年三月三一日に大阪国税局と部落解放同盟との間に、前記七項目の協議・確認がなされ、この確認事項が実行されたからは、前記のとおり、同和関係団体の税務申告及び税務申告代行の申告書は、通常の受付を経ずに、各税務署の総務課長、税務署長に直接提出され、七項目確認事項どおり、原則として、申告どおり是認され、税務調査がなく、あっても全く形式的調査だけで、実質的調査を行わなかった。

そのために、社会党系の大企連、中企連を始め、保守党系の各種同和会の団体は、この七項目確認事項の恩典にあずかろうとして、不正申告の代行業務を益々拡大させていった。そこで、大阪国税局としては、この聖域にメスを入れようということになり、前記のとおり、昭和五九年に、まず、京都において、京都地方検察庁と共同して、自民党系の全日本同和会京都府・市連合会の幹部を相続税法違反等で検挙し、同年暮れに中企連関係の第一号事件として、本件被告人が大阪国税局の捜索を受け、査察調査を受けるに至った。

ここで、非常に不思議なことは、同じ同和関係団体でも、自民党系の団体は、捜索はもとより、幹部が逮捕・勾留の上基礎されているのに、部落解放同盟系(社会党系)の大企連、中企連が代行した事件では、国税局検察庁とも、大企連、中企連の捜索はもとより、関係者の取調べを参考人としても一切行っていないことである。通常の常識では考えられないようなことが現実に行われているのである。

同和関係団体と税務当局の間に、同和対策問題の一施策として、税務申告問題について協議され、前記のような確認事項ができたことは、大阪国税局管内の同和問題の対策としてそれなりに理由があったものと考える。しかしながら、税務当局が、永年にわたり、この種の関係でいわば公然と脱税を見逃してきたことは、厳然たる事実であり、この種の関係の脱税事件は、実質上刑罰権を放棄していたも同然と言わなければならない。

検察官が公判請求して起訴した事件であっても、その審理が中絶して、長年中断していた場合、刑罰権の放棄とみなして、公訴提起を無効にする免訴の判決が出された高田事件の最高裁判決(最高裁刑集二六券一〇号六三一頁)は、まだ、法曹人ならば、記憶に明記されているところである。

このように、国家機関が、長年にわたり、税務調査権も刑罰権も実質上放棄していた事案について刑罰権を行使するには、まず、国税当局が脱税を黙認してきた納税者に対して、警告を発して修正申告させ、その警告に従わないものについてのみ検挙して処罰するのが国民本位の国家権力の正常な発動の仕方というべきである。

しかるに、本件では、何らの行政指導がなく、突然、中企連に勧められて税務申告の代行を依頼した納税義務者である被告人のみを検挙・処罰し、しかも実刑という厳罰に処し、その脱税の根源である中企連及びその関係者が全く捜査の対象外とされていることは、何としても不平等な調査・捜査処理であり、不平等な裁判であるといわざるを得ない。

このような中企連に申告を代行してもらった事案について、納税義務者が起訴されて処罰を受けるのはやむを得ないとしても、納税義務者のみ実刑に処せられ、その根源である中企連が捜索もされず、その税務代行の担当者が参考人として取調べを受けないというのは、万人が納得できない不平等であり、極端ないわゆる逆差別捜査であり、納税義務者のみを実刑という重い罪に処することは、憲法一四条の法の下における平等の規定に違反するものであり、これを是認することは、法的正義に著しく反するというべきである。

四 憲法一四条違反についての学説・判例について

憲法一四条所定の平等の原則は、刑事手続にも当然適用される。犯罪の捜査から公訴の提起、審理、判決、刑の執行に至るまでの全過程において、国民はすべて平等に取り扱われなければならない。(現代憲法大系3「平等の権利」阿部照哉・野中俊彦著、二八九頁参照)。

刑事手続関係の法令そのものには、今日平等原則の観点から見て、それほど問題となるものはない。しかし、警察菅、検察官、裁判官がそれぞれの法令の枠内で、具体的な諸事情に対応して行う判断や行為について、それぞれの具体的事情ごとに平等原則違反の問題が生じる余地があり、同じ犯罪行為の共犯者のうち一部の者だけを起訴する場合、平等の原則に反しないかの問題が生じる。それは個別的場合ごとに取扱いの合理性の有無を判断して決めるしかない問題であるとされている(前記現代憲法大系3「平等の権利」二九一頁参照)。

憲法一四条違反の問題は、従来、主に「公訴権の濫用」に当たるかどうかとの観点から論争されてきた。中でも、いわゆる「川本事件」と「赤碕町長選挙違反事件」は、いずれも、憲法一四条に違反することを理由に、控訴審において公訴棄却となった事件で、著名である。

「川本事件」は、準看護士の川本氏が、自らも水俣病患者の一人であるが、一九七二年、水俣病被害の補償を求めて自主交渉をするため、他の患者・支援者とともにチッソ株式会社東京本社に入ろうとした際、これを阻止しようとした同社従業員四名に対し暴行を加え傷害を負わせたとして起訴された事案である。

第一審においては、罰金五万円執行猶予一年という比較的軽い刑が言い渡されたが(東京地判昭和五〇・一・一三高刑集三〇巻三号三七三頁)、第二審においては、公訴権の濫用にあたるとして公訴棄却の判決が言い渡された(東京高判昭和五二・六・一四高刑集三〇巻三号三四一頁)。

その判旨は次のとおりである。

「検察官の起訴、不起訴の処分は、(中略)その権限の行使にあたっては相当広範囲の裁量が予定されている。他方、(中略)そこにはおのずから一定の制約があることも否定できない。そして、裁量による権限の行使である以上、その濫用はあり得るし、場合により権限の濫用が甚だしく、とくに不当な起訴処分によって被告人の法の下の平等の権利をはじめ基本的人権を侵害し、これを是正しなければ著しく正義に反するとき、右の侵害が刑事事件として係属することによって現実化している以上、裁判所としてもこの状態を黙過することは許されず、当該裁判手続内において司法による救済を図るのが妥当である。」

「本件で特有なことは、所論の骨子をなす差別の問題が、同種他事件あるいは同一事件内の被疑者相互の比較というのではなく、公害を契機に対立する当事者すなわち公害のいわば加害者側と被害者側との間の取扱い上の差別ということであり、そこには、今日の社会における宿命的矛盾ともいうべき公害の問題が介在している点に二重の特徴を有している。なお、公訴権濫用の問題は、(中略)やはり、検察官の故意又は重大な過失という主観的要素が必要とされることは、いわゆる権利濫用の一般的原則から考えて、やむを得ないことであろう。しかし、(中略)かかる主観的要素は、背景となる客観的事実の集積から、これを推認する以外にはなく、かかる客観的外部的事実に照らし、公訴提起の偏頗性が合理的裁量基準を超え、しかもその程度が、憲法上の平等の原則に牴触する程度に達していると判断される場合には、事実上の推定に基づき、検察官の故意又は重大な過失の存在が証明されたといって妨げない。」

「チッソ幹部に対する業務上過失致死傷罪による起訴は、昭和三三年七月ころから昭和三五年八月ころまで工場廃液を排出した行為が過失の内容となっているのであるから、当時速やかにこのような起訴がなされ、あるいはこれを前提とした捜査がなされていたなら、その後の一〇年近い排出とこれにともなう水銀汚染が防げていたであろうことを考えると、時期を失した検察権の発動が惜しまれるのである。これにひきかえ、排出の中止を求めて抗議行動に立ち上がった漁民達に対する刑事訴追と処罰が迅速、悛烈であったことは先に指摘したとおりである。」

「被告人に対する訴追の当否を論ずるにあたった無視できないことは、自主交渉の過程で生じた事件についても水俣病における訴追と類似した不平等が生じていることである。すなわち、自主交渉の過程におけるトラブルは、チッソ側のみならず被告人ら患者および支援者にも多数の負傷者が出た。(中略)そして、この事件については、不起訴処分がなされた。結局、これらを通して訴追されたのは患者側だったわけである。」

「どちらの側にも理由のある行為によって生じた事件で双方に負傷者が出ていること、そして片方は全然訴追されていないという事実は、もう一方の訴追にあたって当然考慮されるべき事情であると考えるのである。」

「このように本事件をみてくると、被告人に対する訴追はいかにも偏頗、不公平であり、これを是認することは法的正義に著しく反するというべきである。」

この上告審において、最高裁は、

「検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合にかぎられるものというべきである。」

として、原審が認定した公訴権の濫用を成立しないと判断した(最高判昭和五五・一二・一七刑集三四巻七号六七二頁)。

しかしながら、次のような理由で、原審判決の結論を結局支持した。

「しかしながら、本件については、(中略)記録に現われた事件のきわめて特異な背景事情に加え、犯行から今日までに長期間が経過し、その間、被告人を含む患者らとチッソ株式会社との間に水俣病被害の補償について全面的に協定が成立して双方の間に紛争は終了し、事件の容疑者らにおいても今なお処罰を求める意思を有しているとは思われないこと、また、被告人が右公害によって父親を失い自らも健康を損なう結果を被っていることなどをかれこれ考え合わせると、原判決を破棄して第一審判決の執行猶予付きの罰金刑を復活させなければ著しく正義に反することになるとは考えられず、いまだ刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。」

このように、最高裁は、公訴権濫用を認容して「公訴提起を無効」にすることについては、極めて慎重であり、本件を含め、公訴権の濫用を認めたことは全くないが、本件の経過や、最高裁の判旨を総合すると、結論において執行猶予付き罰金刑すらも科さなかった右最高裁の判断は、実質的に、公訴権の濫用、憲法一四条違反を認容したものと言ってもよいと考える。

次に、「赤碕町長選挙違反事件」は、被告人が、町長選挙に立候補した現職町長の選挙運動員であったが、供応・事前運動等の選挙違反をしたとして自首してきた。ところが警察官は、被告人の取調べによって現職町長や現職助役にも選挙違反の嫌疑が認められたにもかかわらず、これについては不問に付し、検察官も被告人のみについて公訴を提起した。そこで被告人が公訴権の濫用を理由に、自己に対する公訴の棄却を求めた事件である。

第一審は、「検察官および警察官において、ある特定人のみを対象とし、不当な差別的意図で捜査および起訴をしたという前提事実が全く認められない」として、被告人の主張を斥けた(八橋簡判昭和五三・七・一一判例時報九六三号一二頁)。

しかし、その第二審においては、

「平等に法を執行すべき捜査機関が一方に対しては厳格に法を執行しながら、社会的身分の高い他方に対してはことさらに著しく寛容な態度に出るようなことは、右の平等原則に違反するものとして許されないことは明らかである。」

「警察署においては、右の限度を越え、何ら合理的理由がないのに、社会的身分の高い町長を被告人に比して有利に取り扱う意図のもとに差別捜査を行ったものであって、このような捜査が前期の平等原則に反することは明白である。本件において、町長に対する捜査が適正に行われたとしても、被告人が起訴されることを免れなかったことは明らかであるけれども、憲法一四条の前記の趣旨に照らせば、被告人が他者よりも不利益に差別された場合と、本件のように被告人よりも他の者が利益に扱われた場合とでは、被告人が差別された点において選ぶところがなく、右両場合とも差別されたこと自体をもって被告人が不利益を蒙ったものと言わなければならない。」

「本件において有利に取り扱われた町長に対する容疑事実は、民主主義社会を運営するための基盤をなす選挙の公正を害することの著しい供与・饗応者としての行為であるのに対し、本件公訴提起にかかる被告人の行為は、同じく選挙の公正を害するもので必ずしも軽微であるとは言えないけれども、これに対応する町長の右事実に比すれば、その違法性は軽度であるということができる。そうすると、町長という社会的身分のあるものを被告人よりも有利に差別した本件捜査の違法性は極めて著しいものというべく、本件犯罪の重大さとの比較においても、捜査手続の違法性はより重大であるとみるべきである。そして、このような差別的取扱いを放置することは、憲法一四条、三一条の規定を空文化するものであって、憲法の精神に照らして容認し難く、しかも、これに対する救済方法として行政上、民事上の救済手段によるだけでは十分でないし、また、これが証拠の収集と直接結びつかない点における違法であるため、違法収集証拠を排除するという手段に依ることもできない。被告人が罪を犯したのに、その刑責を免れてよいのかという素朴な疑問は、本件のばあい、不合理な差別を禁止し、適正手続を保障した憲法の精神に道を譲って然るべきである。従って、右のような差別的取扱いから被告人を救済するには、本件公訴を棄却するのが相当である。」

との理由で憲法一四条違反を認容し、公訴棄却の判決をした(広島高松江支部判昭和五五・二・四判例時報九六三号三頁)。

もっとも、最高裁は、右二審の判断を否定して同判決を破棄し結局において第一審の有罪判決を確定させ(最高判昭和五六・六・二六刑集三五巻四号四二六頁)てはいるが、それは

「被告人が、その思想、信条、社会的身分又は門地などを理由に、一般の場合に比べ捜査上不当に不利益に取り扱われたものでないときは、かりに、原判決認定のように、当該被疑事実につき被告人と対向的な共犯関係に立つ疑いのある者の一部が、警察段階の捜査において不当な取扱いを受け、事実上刑事訴追を免れるという事実があったとしても、(中略)そのために、被告人自身に対する捜査手続が憲法一四条に違反することになるものでないことは、当裁判所の判例(中略)の趣旨に徴して明らかである。」

というにとどまるのであって、これを裏返して云えば、被告人が、その思想、信条、社会的身分又は門地などを理由に、一般の場合に比べ捜査上不当に扱われたものであるときには、被告人自身に対する捜査手続が憲法一四条に違反することになると理解することができるであろう。

したがって、本件は、前記のとおり、国の行政当局が、強大な社会的勢力を有する部落解放同盟に対する行政施策上、中企連等に対し、微税の面でいわゆる逆差別制度を設けて、永年にわたり脱税を容認してきたのに、その強大な脱税組織に対しては、意識的に一切の調査・捜査を行わず、この組織の幹部に勧められて脱税した被告人のみを立件し、検察庁もこれに従って被告人のみを処罰したものであり、その捜査、処理は、極めて不公平なものであるから、本件につき、被告人のみに懲役刑の実刑という厳罰を科することは、余りにも極端な不平等・不公平であるといわざるを得ず、これを是認することは、著しく正義に反し、憲法一四条に違反すると思料する。

第二 仮りに前記憲法違反の主張が容れられない場合には、刑事訴訟法第四一一条二号により、職権で原判決及び第一審判決を破棄し、同法第四一三条但書により、被告事件について更に御寛大なる判決を賜りたい。以下は上告理由の申立としてではなく、職権の発動を促したい意味で、その理由を上申する。

一 被告人の生い立ち、経歴と社会に対する貢献度及び事業継続上被告人の必要不可欠性について被告人は、幼くして父母に死別し、極めて貧困の恵まれない環境の中で成長した故もあって、戦後軍隊から復員した当時は、帰るに家もなく、裸一貫、僅かに下着二枚だけの身体で再出発したが、敗戦混乱期の影響を受けて、無職無頼の徒に身を投じ、窃盗、強盗の前科四犯を重ねる有様であった。

ところが、昭和三五年五月、最終前科の刑を仮出所したとき、被告人は既に年令も三五才に達していた自己の姿に飜然として目覚め、いま、このときにこそ、更生しなければ一生を駄目にすると考えて一念発起し、真に更生して立ち直るためには、人の嫌がる仕事を進んでやることが大切だと考え、実弟の養家先から与えられた更生資金をもってダンプカー一台を購入し、これを唯一の資本に、他の輸送業者が汚いので嫌がっていた建設廃材の収集、運搬、処理を進んで引き受ける廃棄物処理業を個人営業で始めるに至ったのである。

以来、過去に忌まわしい前科があることは、取引関係者にはもちろん、家族の者にさえも懸命に秘匿しながら(被告人の家族は今日なお被告人に前科のあることを知らないでいる)、事業に専念して、昼夜を問わず、油泥とホコリにまみれながら、人の二倍も三倍も働く苦労を重ねて、取引先の信用を築きながら次第に業績を拡大し、昭和四九年三月株式会社大阪環境処理センターを設立して、同年一一月には、遂に今日の大阪市鶴見区に敷地面積九、〇〇〇平方米、地下二階地上二階の工場建物床面積約二、一四二平方米(別添資料一)、従業員数約一〇六名(現在一三〇名)の産業廃棄物処理工場を完成し、今や、原審証人鈴木勇吉(財団法人、全国産業廃棄物連合会専務理事)も証言したように、全国産業廃棄物連合会(財団法人)の加盟業社が約四、〇〇〇社ある中で、規模において日本一といわれ、かつ一日の最大処理能力二五〇屯という他の業者の追従をゆるさないほどの焼却炉施設を完備するにいたり、更に同六二年二月には、排煙による大気汚染が許容基準の一〇分の一という公害防止に最も理想的であり、またコンピューターシステムを導入した我が国最初の電気集塵機を設置、稼働させ、全国の業界、業者からの信望を一身に集めているので、厚生省、地方自治体を初め、大手建設企業や同業各種団体等の施設見学も絶えないほどまでに成功したのである。

この間、約二五年間にわたり、あらゆる試練に耐え抜いてきた被告人の努力と辛苦は筆舌にも尽し難く、誠に涙ぐましいものさえあり、それに加えて、長年一筋の経験の積み重ねによって会得した被告人の知識、技能、決断力、行動力は、同業の何人よりも卓越し、余人をもって替えることができないまでに貴重な存在となっているのである。弁護人等一同も、被告人の人格、人柄に接し、終戦当時の一不良青年がここまで更生の実を果したことに深い感動を禁じ得ない。

一方、被告人の家庭状況についていえば、被告人は、昭和四〇年に取引先の紹介で見合結婚して、二女(現在共に大学在学中)をもうけたが、妻と性格的に折合わず、同四七年、遂に妻から追い出された形で家を出て、工場内で単身生活するうちに、被告人の身の廻りを献身的に世話をしていた会社の女子経理事務員の情に惹かれ、同五二年、実質的には再婚で世帯を持ち、長男(当一四才、中学生)とともに親子三人の生活を送っているが、本妻の許に残して前記二人の娘が嫁いで独立できるまでは妻との離婚を差し控えており、本妻側の妻子三人と内妻側の親子三人の生計を併せて全部被告人の負担で維持している。したがって、被告人としては、実に地味で質素倹約を旨とする生活態度を堅持しており、ただ一途に本妻、内妻双方の三人の実子が共に幸せに成長して独立できるまで親としての責任を果すべく、真摯な愛情を注いで見守っているのである。

このように、外にあっては、廃棄物処理という社会の底辺にある事業にわき目もふらず専念し、内にあっては二つの家庭の幸せを念願しながら、被告人自身は、時たま休日にゴルフに興ずることと、毎日の泥とホコリにまみれた仕事から、必ずしも幸せとはいえない家庭に帰ったとき、心の安まる思いを古今東西の名画を求めて、私財を蓄積した中から高価の美術品を購入し鑑賞することを趣味としていた以外に、決して華美や奢侈な生活に驕っていたわけではないのである。

しかして、被告人が天職と心得、全身全能をもって打ち込んでいる産業廃棄物処理事業の地域社会における貢献度についても深い御理解を賜りたい。

およそ、この種事業は、それ自体社会の底辺にあって国民生活に直結し、社会の公益、公共性と密接な関連を有するものであるが、医療業務のような華々しさはなく、しかも通常、人の嫌がる仕事でありながら、環境保全と公衆衛生の向上に資する公益、公共性の極めて高い性格のものであることは多言を要しないと考える。

例を家庭にとっていえば、日常、家庭から排出されるゴミや廃棄物の収集、処理が適切に行われるべきことは、健康的な市民生活の支えとして極めて重要なことであり、住宅が増え、市民生活が豊かになればなる程、その排出は飛躍的に増大する。今日、地方自治体が、そのために莫大な予算を投じて種々の施策を講じても、なお十分な処理ができないので、市民の不平、不満が続出していることは、もはや公知の事実である。

産業廃棄物および法律上の一般廃棄物の処理についても、現状は全く同じである。しかもその規模においては、家庭のゴミや廃棄物の比ではない。廃棄物の処理能力が、各種産業の進展や活発な企業活動に追いつかず、野山や海中への不法投棄が横行し大きな社会問題となっていることも、また公知の事実である。

しかるに、我が国の現状は、この種処理業者の大半が、その収集、運搬のみに従事する零細な個人業者であって、その処理は、野積み、山捨て等の不法投棄で済ませるものが多く、前記全国産業廃棄物連合会に加盟する全国四、〇〇〇業者の中でさえも、収集、運搬に加えて、中間若しくは最終処理までなし得る業者は、僅かに一パーセントに過ぎないのであって、被告人のように一日二五〇トンという大量の処理施設を備え、更に将来にわたって事業の拡張計画を着々と進めている業者は、被告人をおいて他には存しない。

被告人の事業範囲は、現在では大手の土木建設事業を初めとする各種企業を取引相手とするだけでなく、大阪府、市、堺市、東大阪市、兵庫県、尼崎市、神戸市、京都府、奈良県、滋賀県、三重県の広域にわたって手広く産業廃棄物処理業の許可を受けており、その取扱量は年間で、四トンダンプカーに約九三、六〇〇台分の厖大なものである。更に産業廃棄物のみにとどまらず、現在、大阪市、松原市、大東市、守口市、泉大津市等の地方自治体からも委託を受け、本来当該自治体が自ら処理すべき責任のある一般廃棄物の処理までも引受けており、地方自治体では、予算上、経費上、あるいは地域住民の反対にあって処理できずに困窮している大量の廃棄物処理までも、被告人の会社において、これを代行しているのであって(原審証人滝本昇の証言)被告人が多年にわたって、地域住民の不平不満もなく、公害もない適正処理を巾広く行ってきたことによる社会貢献度は高く評価されるべきものと信じる。

若し、仮りに被告人の会社業務が停滞するようなことがあれば、たちまちにして、多くの企業や地方自治体で収容し難い混乱が生じ、深刻な社会不安が懸念されるといっても、決して過言ではない。

しかも、被告人の会社事業は、前記のごとく専ら被告人の辛苦と才覚によって築き上げられたものであるだけに、被告人は、会社のオーナー経営者として、今後もその維持存続に必要不可欠の存在となっている。

それは、単に被告人の過去二五年間にわたる経験、知識、決断力、行動力が重要不可欠であるからだけにとどまらず、被告人の会社は、原審当時においても三和銀行守口支店及び福井相互銀行大阪支店から合計二二億一、四九九万円余の借入金を抱えているが、これらは、すべて被告人の個人保証によって借入れできたものであり(原審弁証五九号、六〇号)、また今後も事業拡張のために銀行借入を導入するに当たっては、被告人の個人保証なくしては貸付が受けられない程に、被告人の個人の信用が絶大な要素を占めているのである。

更に、被告人は、産業廃棄物処理事業の現状と将来を展望して、現状では、とうてい産業界の需要に応じきれるものではなく、そのことから生ずる社会生活への影響を深く憂慮し、原審当時、堺市築港新町三丁三一番地に一〇億三千万円を投じて購入した広さ約一二、六〇〇平方メートルの敷地上に(原審弁証二、三号)、新たに既存の鶴見工場の処理能力と匹敵する廃棄物処理施設を完成すべく、昭和六二年一二月二九日石川県播磨重工業株式会社との間で、建設工事請負契約(請負代金合計金二四億円)を締結し同六四年三月三一日完成予定で着々と施策を推進している最中であって、このため銀行借入金も合計二九億一〇〇〇万円にふくれあがっている段階にあるので(別添資料二)若し、被告人がたとえ一年間にせよ懲役刑に服役することになれば、立ちどころにして、右新規事業が砂上の樓閣の如く挫折するのみならず、前記巨額の銀行借入金の返済及び将来における前記堺処理施設建設工事のための約一七億円を含む多額の借入金の確保は絶望となり、会社に、被告人以外に経営能力のある指揮者が一人もいない(経理担当責任者である専務取締役の高橋誠といえども、被告人のダンプカー運転者時代の運転者仲間にすぎない)現状では、会社の倒産を招くことさえ深く憂慮されるのである。若し、仮りにそのような事態にいたれば、ひとり会社従業員全員が路頭に迷うのみならず、社会の環境衛生保全面における公益、公共に及ぼす影響も図り知れないものがあるといわなければならない。また、それ故にこそ、会社従業員も一〇六名全員が被告人に対する刑執行猶予の寛大判決を切望し、嘆願してやまないのである(原審弁証一八号)。

二 本件脱税の動機、態様について

本件脱税の動機は、原判決も認容しているとおり、決して被告人自身の私利私欲の追及から出たものではなく、その主たる動機は、被告人がオーナー社長として経営する株式会社大阪環境処理センターの産業廃棄物処理業務を充実、整備し、更にこれを改良、拡張して、優良な産業廃棄物処理業者となり、急速な各種産業、経済の進展に対応して、その需要を充すにたる能力を備えるための、設備投資資金を蓄積する必要に迫られていたためであり、また、加えて現行関係法令の不備による不測の事態にそなえての事業資金蓄積の必要性も痛感していたからである。

そして、この被告人の意図ないし抱負は、多年にわたる経験と実績から、被告人のみがよくなし得る事業であり、世のため、人のためになることであるとの強い確信の下に、信念ともいえる強烈な事業欲をもって、逐次実行に移されつつあった矢先、本件脱税の摘発を受けたわけであるが、検挙の時点では、脱漏所得の殆どは国債や優良株券に代えて会社に蓄積、保管していたのであって(それ故にこそ、本件検挙後直ちに合計約二二億円に上る対象年度分の修正本税を初め、重加算税、延滞税、地方税等納税すべき全てを一挙に支払うことができた)、通常の脱税事件にみられるような私利私欲に走り、私服を肥した事案とは、全く性格を異にするものである。

もっとも、本件公訴事実中、旅館業を営む株式会社サンワについては、右と事情を異にする。しかしながら、サンワ関係事件は、元来、比較的小規模の脱税事件であって、大阪環境処理センター事件と併せて訴追されたものの、サンワ関係のみの単独事件としては、査察の対象基準にも達しない事件である。その上、同事件についても、被告人が株式会社サンワを福井市に設立したこと自体は、被告人自身の営利目的から出発したのではなく、被告人の実弟の養家先が、前項で述べたごとく、二〇数年前に被告人の自立更生を願って、ダンプカー一台の購入資金を援助してくれたことに対し、被告人は、その恩義に報いるために、実弟等の生活の安定手段として旅館業を営ませることを思い立ち、被告人がその会社代表者になったものの、その営業の全ては、現地に居住する実弟等に委ねていたもので、被告人自身がその脱税による利得を得たことは一度もなく、また、大阪環境処理センターとの資金的関連性も全く存しなかったものである。

既に詳述したとおり、被告人が今日の大阪環境処理センターを築き上げた背景には被告人自身の血のにじむような辛苦と努力の積み重ねがあったことはいうまでもないが、被告人は一念発起してから会社設立までの一〇数年間の個人営業時代に、営々として蓄えてきた約四億五、七〇〇万円の個人資金さえも全部会社の設立、設備に投資し、更に、被告人個人の信用によって一〇数億円の銀行借入を行いながら、逐次工場施設を充実、整備してきたものの、この種事業につきものの関係法令による規制、地方自治体行政との関係、広大な用地確保方策、公害、衛生問題、付近住民感情への対応等様々な障害、難問を、自らいちいち解決していかなければならず、そのためには、常時、会社経理に計上できない裏金も含めて巨額の資金を蓄積しておく必要に迫られていた事情が存するのである。この種事業に巨額の資金を要することは、被告人の会社とほぼ同規模にあって、しかも隣接する守口市営の焼却炉が、その全面改造のために三八億四、九四〇万円という莫大な予算を計上している事実からも容易に首肯できるであろう(原審弁証一号)。

更に、巨額の裏金の必要性を具体的にいえば、個々の事実について弁護人側が原審で立証したごとく、

1 被告人が多年の宿願とする最終処理施設の用地として、既に昭和五〇年から三年がかりで堺市内に約五、〇〇〇坪の用地を確保したが、その投資に約五億円の資金を要し、うち約二億七、〇〇〇万円は会社に蓄積した裏金から支払わなければならなかったこと。

2 現在、三重県上野市で約二五、〇〇〇坪の用地、及び兵庫県明石市で約二〇、〇〇〇坪ないし二五、〇〇〇坪の用地を獲得すべく、数年来交渉中であるが、その資金として合計約一四億五、〇〇〇万円が見込まれるうえ、その中多額の裏金による土地代を要求され、交渉が難航中であること。

3 兵庫県社町所在の山林約一四万八、九〇〇平方米を獲得すべく交渉中であるが、これにも四億円の裏金支払を契約書によって要求されており(原審弁証四、五号)、本件脱税を検挙された現在においては、その合法的支払に苦慮して交渉妥結に至らないでいること。

以上、主要な具体例を挙げただけでも、被告人は、会社事業のために設備投資に要する巨額の資金を蓄積する必要に迫られており、その中には真実裏金処理しなければならなかったものも相当含まれていたことが明らかに認められるのであって、この事実が、正に本件脱税の動機と直接連結しているのである。

次に本件脱税の手口についても、原審判決が認定しているように、その手段、方法は、極めて単純幼稚なものであり、それは、被告人の会社自体、従業員約一〇六人のうち、殆んどの者が廃棄物の処理という現場の肉体労働に従事する者で、複雑な経理組織も必要とせず、被告人に次ぐ専務取締役の高橋さえ、複式簿記の何たるかを知らずして経理担当責任者であったという実体に由来する。

したがって、本件脱税の主な方法は、架空の支払捨場料の計上と現金収入の売上除外であって、その他には若干の修繕費、外注費の架空計上があるものの、いずれもその操作が単純幼稚で、経理の専門家が反面調査さえすれば、直ちに架空であることが発覚するものばかりであった。しかも、裏資金に関する別途帳簿は、すべて正確に記帳され、保管されており、通常の大型脱税事件で往々にしてみられるような複雑な操作、証憑書類の偽造、関係取引先との通謀等の偽装工作等も一切存しなかったので、本件査察は極めて短期間の間にその全容を捕捉されたほど、単純明白なものであった。

これらの点に関する被告人の悪性は稀薄であったといえよう。

三 被告人の改悛の情および贖罪について

被告人は、本件脱税事件の摘発を受けた当時、被告人の述懐によれば、全身から一挙に血が引く思いでわなわなと震え、責任の重大さを悟るとともに、以来今日まで、毎日毎日が針の筵に坐っている思いで悔悟の念にかられているものであるが、検挙当時直ちに中企連を脱退、絶縁し、当時薄外資産として残していたものはすべて公表帳簿に登載記帳して会社経理を明朗化したほか、従来の会社の税務、会計方式を一新して、裏金は一切作らないこと、顧問税理士を二名増やして、税申告は複数の税理士に点検させ、絶対に誤りのない申告をすること、裏給与は一切廃止し、全て表帳簿に記帳することを基本に経理を改善し、堅実な経理運用を実行に移して再犯なきを期している。

これによって、検挙後の六一年一月期および六二年一月期の決算に基づく申告は、何れも正しく申告され、両年度で合計約六億一、五〇〇万円余の納税義務を履行している(原審弁証五五号乃至五七号)。

そして、今後、会社の業務は、被告人がその経営を主宰することさえできれば、前記新設の堺処理施設における当面の赤字を考慮にいれても、毎期五億円以上の経常利益を挙げられる見込みであり、毎年、国税・地方税を併わせて約三億円の税金を納付することになるが(別添資料三、六三年一月期決算書)、被告人はこれを誠実に履行することを誓約している。

また、株式会社サンワについては、元来、同会社の営業は福井市に居住する実弟森塚順一に委ねていたものであるが、同人に今後の正しい経理運営を厳に申し付けると同時に、被告人自身は、今後廃棄物処理業務一筋に生き抜く決意の下に、同会社の役員を退任して、会社経営から完全に身を引いたのである。

しかして、本件脱税による修正本税、重加算税、修正地方税等は、既に本件が起訴される以前に、また関係二会社に対する罰金刑は、いずれも第一審判決を確定させたのち直ちに、これらの合計約二二億円に上る負担を全額納付ずみである。このような即時一括納税が実行できたことも、前項脱税の動機について主張したごとく、本件脱税が被告人の私利私欲から発したものでなく、脱漏した所得の大半を会社事業拡張の資金として裏金に蓄積していたからに外ならず、通常一般の大型脱税事件とは根本的に性格を異にする極めて異例かつ特異な事件であったということができる。

更に、被告人は、第一審判決以来、裁判所に奢侈な生活と判断された美術工芸品合計一〇点(その購入価格は合計約七、八〇〇万円相当)を、これらは、後記のごとく、もともと被告人の個人資産で購入したものであるにせよ、裁判所、検察官から奢侈として非難を受けた以上、これを自己の手許に留めおくことを快しとせず、原審において全部大丸百貨店に売却処分し(原審弁証二二号)、同店が値踏みした代金合計三、五四三万円を全額公共福祉団体に寄付して改悛の情を披瀝した。

その他、被告人は、長年の間に蓄財した個人資産についても、原審において、贖罪のために、保有する有価証券等を全て売却処分し、前美術工芸品の売却代金も含めて、合計一億三、〇四三万円を、大阪府・市等の公共福祉関係団体に寄付したのであって(原審弁証二三号)、被告人は全財産を投げ出して、過去に得た利益を社会福祉に還元することを実行し、文字どおり裸一貫の昔に戻って再出発を期している。のみならず、被告人は裸一貫となった自己の身体さえも、眼球、側頭骨(耳)、肝臓及び腎臓を、それぞれの関係先バンクに登録、寄付し、死してもなお世の為に役立とうとする壮烈な誠意を示して悔悟の念を徹底させているのであって、贖罪の行為としては、およそ人の為しうる全てを尽しているのである(原審弁証五八号)。

四 量刑上重要な情状に関する原判決の判断の誤りと脱漏について

原判決は、被告人の刑責を重大、悪質とみた情状の一つに、「逋脱による金の一部は、被告人の私財である絵画など高価な美術工芸品の購入に投入されている」と摘示し、第一審判決と同じ見解を維持したうえ、その認定理由として、「美術工芸品の購入資金として本件逋脱にかかる金員を当てたものであることは、被告人が検察官の取調に対し、その対象品目を特定するなどして具体的、詳細に説明して供述するところであり、関係証拠と対比しても、右供述に疑念を差しはさむべき点は見出し難い。」と判示している。そして、その根底には、被告人が本件脱税によって私利私欲を図り、奢侈な生活に驕っていたものとみる本件の捉え方が存在するので、この点に関する原審判断の誤りが、本件実刑判決の量刑理由の中で重要な意味をもつものであることは、疑いの余地もないところである。

真実は、本件美術工芸品の購入資金は、被告人が二〇数年前の個人営業時代から営々として蓄えてきた個人資産を、優良株や国債等の有価証券売買によって巧みに財テク運用しながら増やしていたものの一部であり(その大半は既述のとおり会社設立の際の設備資金に投資しているが)、長年の間にわたって、一つ一つを買い求めていたものであって、既に述べたとおり、被告人が人の二倍も三倍も働き、毎日の泥と油にまみれた仕事から、家に帰って疲れを休め、安息を求めた際、古今東西の名画等美しいものを鑑賞しておれば、心が洗われる思いに耽ることができるという。被告人の人間らしい幸福を追求する唯一の趣味として購入したものである。

原判決が、検察官の取調に対する被告人供述が具体的かつ詳細であるとする調書とは、昭和六〇年一〇月三〇日付被告人の検察官に対する供述調書第一四項を指すものと思われるが(その他全供述調書をみても美術工芸品の購入に関する供述部分はない)、その詳細、具体的という点は、「写真により目ぼしい品物について簡単に説明しておきます」という書き出しの下に、写真ナンバーに基づき小磯良平等特定作家の特定作品等九点について、個々にその購入価格のおおよそを列挙して記述してあるに止まり、これらが会社の裏金から支出されたものか否かについては、ただ単に、「これらの絵画などはいずれも裏金から購入しましたが、百万や二百万円のものを含めると全部で一億円以上になると思います。」という誠に莫然とした、かつ抽象的記述がなされているに過ぎない。何を以て具体的といい、何を以て詳細というのか甚しく理解に苦しむところである。

しかして、被告人は、原審において右検察官調書の供述記載について、検察官が本件捜査にあたり、被告人の最も恐れていた過去の前科を関係者に秘匿するよう配慮をしてくれたことに深く恩義を感じ、その温情に報いる気持で、検察官から問われることに敢えて反論もせず、裏金から購入したことを認める供述調書が出来上ったと供述しているのであって、正に、検察官供述調書中、「裏金から」という僅か四文字を根拠にして裏金支出に疑念を差しはさむ余地もないとする原判決は、明らかに事実誤認を冒したものといわざるを得ない。現に、本件査察官の調査段階においては、本件美術工芸品等は、被告人が私財によって購入した個人財産として認容されているのであり、他に、これを会社資金で購入したと認むべき証拠は、何ら存しないのである。

次に、原判決は、その情状判断に当たって、原審において被告人が私財を売却処分して得た多額の金員を贖罪のために公共福祉六団体に寄付して改悛の情を披瀝した点は斟酌考慮したものの、何故か、被告人が前記贖罪のために自己の一身までも社会公共のために寄付したことについては何等の評価もしていない。

およそ、人間が、地球よりも重く、金銭には代え難い自己の生ある身体を、死後もなお社会に寄付して、世のため、人のために役立てようとする行為は、現在の日本人の宗教感、道徳感からいって、安易になし得ることではない。それを被告人は、本件の贖罪のために自ら発意して敢えて行ったのである。その崇高な犠牲的行為は、ある意味では一年間の懲役刑に服役することよりも苦痛に耐えなければならない辛さと悲しさがある。この点に思いを至すならば、被告人の犠牲は、本件脱税事件の量刑の上で、高く評価され、斟酌考慮されなければならないと考える。しかるに、この点に関する情状判断を脱漏した原判決は、所詮、情状に関する事実誤認があったものといわざるを得ない。

これらの誤認は、原判決の量刑が甚だ不当に重く、苛酷に失することになった縁由として考慮されるべきである。

五 他事件との比較考量について

1 同種脱税事件との量刑比較

過去において、本件とほぼきぼを同じくする大型脱税事件であっても、行為者に対する懲役刑が刑執行猶予に付された事例は少なからず存在するが、特に、本件とほぼ時期を同じくする最近の裁判例の中に、昭和五七年九月一八日奈良地方裁判所言渡の草竹コンクリート工業株式会社社長草竹杉晃に対する法人税法違反被告事件の判決(第一審弁証第一八号)と、昭和六一年七月三一日大阪高等裁判所言渡の医療法人錦秀会理事長籔本秀雄に対する法人税法違反、背任、業務横領等被告事件の判決(原審弁証二四号)がある。前者は本件第一審判決以前のものであり、後者は本件の控訴審公判係属中になされた高等判決である。

固より、刑の量定は、個々の事件について固有の情状があり、一律一概に論ずるわけにいかないことはいうまでもないが、他方、同種類似事件との比較において、量刑の社会的公平、公正が保たれていなければ、国民の裁判に対する信頼も崩壊するに至るであろう。その意味で、前記同規模の二事件の刑執行猶予判決と本件を比較検討することも重要なことであると考える。

そこで、右草竹コンクリート工業株式会社事件については、判決に格別の情状も摘示していないので、判決自体からは刑執行猶予の理由を知る由もないが、右医療法人錦秀会事件については、その犯情が詳細に摘示されているので、その脱税額、犯行の動機、態様、被告人の改悛の情、贖罪、社会貢献度、事業における被告人の存在の不可欠性、その他の情状に分析して、これを本件と錦密に比較検討することができる。

先ず、脱税額については、ほぼ本件と同じ規模の事犯である。しかし、右籔本秀雄に対する控訴審判決に摘示され、判断されている点だけをそのまま取り上げてみても、同人の犯行は、その動機が、これと併合審理された他の刑法犯(背任、業務横領、私文書偽造、同行使)にも共通するが、全て私利私欲から発して巨大な私財の蓄積を図ったものであり、控訴審判決をして、「自ら医療法人錦秀会の理事長となって、妻子などを理事に就任させ、自己と情交関係をもった女性などを経理の要職につけ、関連子会社を作っては一族でえ固めて運営経理を自由に操り」「錦秀会の法人性を無視してこれを私物化していた公私混同の極まったもの」「およそ医療業務を行う者としてあるまじき卑劣な行為」であるとまで言わしめ、動機において犯情酌むべきものが全くないと断定せしめていること、脱税手段については、約七億八、〇〇〇万円余に上るリベート収入の除外、関連子会社等からの架空仕入、架空医療機器や建物の過大資産評価による原価償却、架空の交際、接待費の計上等、経理のあらゆる分野で手の込んだ裏金捻出を行ったうえ、関係取引先から虚偽の証憑書類を徴し、会計帳簿を偽造し、関係者と口裏を合わせるなどして、脱税事実を隠匿するなど、同判決をして、「脱税の対象となった収入の獲得方法が強引で、到底、医療法人のすることとは考えられないほどのもの」と言わしめていること、また三事業年度合計一六億円を超える脱漏所得金の使途については、豪勢な自宅の新築、文化財の指定を受けた美術工芸品の名刀三振の購入、常に女性関係が激しく、情交関係を結んだ女性への多額の贈与金と高価な贈り物等、女性を手馴づけるための個人用途に費消したほか、妻に東京で架空名義の有価証券を購入させて秘匿するなどし、その個人費消が表裏の関係で、五年間にわたる合計一三一回、被害総額二億八、〇〇〇万円を超える業務横領、背任(ただし自宅新築の関係は、法人経理からの捻出は認めながら、背任の犯意が認められないとして一部無罪)の罪により、併せて訴追されていることが明白である。さらに、右籔本の私文書偽造、同行使、診療放射線技師法及び診療エックス線技師法違反の事実についても、帰するところ、錦秀会の収益を挙げるための違法手段であったことは明白で、公益、公共性の高い医療業務であるにもかかわらず、業務の執行には、常に犯罪の暗い影がつきまとっている運営であった。

かくのごとく悪性の極めて顕著な脱税事件であっても、脱税について、ほ脱率が約二五パーセントと低いこと、修正本税その他納付すべき税金は全て納付し、さらに刑法犯についても全額被害弁償したこと、被告人は既に社会的非難と制裁を受けており、反省悔悟の念が顕著であること、従前の女性関係を全て精算して信仰の道に入ったこと、一億円を公共に寄付したこと、病院経営を健全化するとともに、その存続のため被告人の存在が必要であること等の情状が有利に斟酌され、「いま被告人を実刑に処し、錦秀会との関係を絶つことは、余りも社会的影響が大である」ことを理由に、刑の執行猶予が言い渡されたのである。

これを、本件被告人の脱税事件と比較対照してみれば、既に本件情状について詳述したごとく、犯行の動機、態様、ほ脱所得の使途等において、前記籔本に指摘されたような社会的非難度の高い悪質行為は何ら存在せず、事業における社会的貢献度と被告人の存在の必要不可欠性については、右籔本に優るとも劣らない程の実績が認められ、改悛の情および贖罪の行為についても右籔本を遙かに上廻る有利な情状が評価されて然るべきであり、その他あらゆる面で被告人の方が遙かに情状有利に酌量されるべき多くの理由が存することは歴然として明白である。

ただ、右錦秀会事件においては、本件と比較して、ほ脱率が約二五パーセントで低かったことが挙げられるが、これとても、右籔本は、右錦秀会理事長としての給与を月二、〇〇〇万円とり、更に妻名義で月七〇〇万円の報酬を受け取っていたことなどを考慮に容れるならば、ほ脱率の低いことが、それ程有利に酌量される筋合のものではない。

今日、被告人の営む産業廃棄物処理事業は、社会、経済の進展と共にその需要が増大しているだけに、高令化社会における病院経営と同様、経常的に相当の収益を挙げてはいるものの、各種産業や人の生活を環境衛生保全の面から支えている点において、医療業務に劣らず公益、公共性が高い。更に、被告人の人間性についていえば、被告人には、学歴こそないが、人間として直面するあらゆる辛苦を乗り超えてきた尊い人生経験に由来する人格、識見と行動力を備えており、右籔本とは比べものにならない人間味が感じられるのであって、弁護人らは、若し、被告人がこのまま実刑に服することになるのであれば、あまりにも量刑における不公平、不公正感を拭いきれないのである。

2 最高裁判所判決にみる先例について

刑事訴訟法第四一一条は、原判決に、同法第四〇五条各号に定める上告事由が認められない場合でも、上告裁判所が原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めた場合、職権でこれを破棄することができる事由を定めており、その第二号に刑の量定が著しく不当である場合を挙げている。

その破棄判例の中で、原判決の刑を軽減したものとして、最高裁判所判例集に登載されたものには、

(一)「強盗殺人犯の動機に諒察すべき点がなく、かつ殺害の方法が残虐な場合でも、被告人は犯行数日前より神経衰弱気味に陥り、兇行当日は多少、通常の平静心を失っていたと認められ、殊に殺害そのものは計画的なものではなく、被告人の制止にもかかわらず、被害者が大声で救いを求めたため、周章狼狽し、その叫び声を止め、発見逮捕を免れようとして発作的にしたものと認められ、その他被告人に前科なく競輪の点を除けば平素の勤務振りも精励であり、犯行後の改悛の情況家庭の情態等酌むべき情状があるときは、これにたいし死刑を科することは刑訴第四一一条第二号に該当する」とし、原判決を破棄自判して無期懲役刑を言渡した事例(最判、昭二八・六・四、刑集七巻六号一、二五一頁)。

(二)「前科なく、若年で勤務に忠実な進駐軍通訳の被告人が憫諒すべき動機のもとに、『法令に定められた自動車運転者の資格を有せずして占領軍第一騎兵師団憲兵隊所属の自動車ジープを運転したものである』との事実につき、法定刑の最高限たる懲役刑の実刑に処したとき、右は刑訴法第四一一条第二号に該当する」として原判決を破棄し、刑の執行猶予を言渡した事例(最刑、昭二七・一二・二、刑集六巻一一号一、二八一頁)

の二例がみられる。

更に、判例として登載されてはいないが、昭和五三年二月二八日、最高裁判所第三小法廷が原判決破棄自判の判決を言渡した吉川一弥に対する公職選挙法違反被告事件(昭和五一年(あ)第一一三四号)では、昭和五〇年四月一一日施行の栃木県議会議員選挙に際し、候補者の立候補届出前に、被告人が選挙運動者に対し現金二〇万円を供与して買収し、かつ立候補届出前の選挙運動をした旨の公訴事実について、第一審判決は被告人を懲役八月に処する実刑を言渡し、第二審判決も、これを維持して被告人側・控訴を棄却したが、右上告審裁判所においては、被告人が一転して犯行を否認し身代り犯人を主張した憲法違反の上告趣旨を悉く理由なしとして排斥したうえ、「しかし、職権によって本件量刑について考察すると、―(中略)―犯行の動機に酌量すべき情状のありことがうかがわれ、更にそのほか、記録上認められる被告人の立場など及びこの種事犯に対する量刑の一般的実情並びに第一審相被告人らに対する量刑などを考えあわせると、本件は刑の執行を猶予すべき案件と認められ、被告人を懲役八月の実刑に処した第一審判決及びこれを維持した原判決の量刑は甚しく重きに過ぎ、これを破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならない」として、刑事訴訟法第四一三条但書により被告事件について更に判決することとし、被告人に対する懲役刑に刑執行猶予を付する言渡をした(別添資料四)。

又、最近の判例としては、航空自衛隊訓練機と全日空旅客機の衝突により全日空機搭乗の乗客一六二名全員が死亡した雫石全日空機・自衛隊機空中衝突事故事件において、被告人に対し禁錮四年を言渡した第一審判決及びこれを維持した原判決に対し、最高裁判所第一小法廷は、被告人の見張り義務を怠った過失及び、飛行訓練を回避すべき義務違背を認めながら、それが航空自衛隊当局の実施計画に基づくものである事情を酌むときは被告人のみにその責任を負わせることは相当とはいえないとし、「禁錮四年の実刑を科することは、本件事故が極めて重大なものであることを考慮にいれても、なお酷にすぎるというべきであって、第一審判決及びこれを維持した原判決の量刑は甚だ重きに過ぎこれを破棄しなければ著しく正義に反するといわなければならない」として、原判決及び第一審判決を破棄し被告人に禁錮三年、三年間執行猶予の言渡しをした事例(最判、昭五八・九・二二、判例時報一〇八九号一七頁)がある。

このような先例の存するところに基いて、本件の量刑を考察してみるならば、本件脱税事件は、その脱税額が巨額であって、ほ脱率も高率であった点において、被告人の刑責が極めて重大であり、また一般予防の見地からも刑事罰の面で厳しい量刑態度が要請されることはやむをえないものとしても、被告人に対して懲役刑の実刑を科するのが相当であるか否かの裁断を下すに当っては、犯行の動機、態様、被告人の社会貢献度と当該事業における今後の必要不可欠性、さらには改悛の情、贖罪の程度、再犯の虞れの有無等、広範にわたる諸般の情状を慎重の上にも慎重を重ねて斟酌考量すべきであり、同種事件の量刑と比較しても世間一般の納得できる社会的公正ないしは公平が確保されたものでなければならない。

しかして、本件は、すでに縷々述べてきたとおり、本件脱税の主たる動機が被告人自身の私利私欲の追及にあったのではなく、社会に役立つ廃棄物処理事業を更に充実、発展させたい念願から、それに要する巨額な資金の調達を企図したものであって、現に着々と事業拡張のための用地獲得などの計画を推進していた矢先であったこと、過去二五年間にわたり、極めて公益、公共性の高い廃棄物処理業務を自らの天職と心得、非常な熱意をもって取り組んできた業績は、誠に顕著な功労であると評価されるべきこと、被告人の経営する大阪環境処理センターが現在も地域の環境保全のために果している役割は極めて大きく、その存続、発展のためには、被告人の存在が欠くべからざるものであるから、若し、被告人が実刑に服するとなれば、会社経営はもとより、地域の廃棄物処理にも思わぬ混乱が生じ、その社会的影響に看過し難いものがあること、更には、被告人は既往の脱税事業年度分の納税、会社に対する罰金の完納を履行ずみであるほか、私財と自己の一身を投じて福祉公共のために寄付し、最早可能な限りのすべてを投げ出して贖罪と悔悟、反省の念を披瀝していること、本件後健全な会社経営が実行に移されていて、現状でも年々三億円程度の納税が見込まれ、再犯の虞れもないこと、その他酌量すべき多くの情状があることを斟酌すれば、年齢も既に六三才を迎えた被告人に対しては、本件脱税の故をもって社会から隔離し獄窓に繋いで懲らしめとするよりも、むしろ刑の執行を猶予して、被告人を社会内で自立、更生させ、自己の生命とも考え、通常は人の嫌がる廃棄物の処理事業に専念せしめて、引き続き社会の公益、公共のために貢献尽力させることこそ、遙かに刑政の目的に合致し、かつ国益にも資する所以であると確信してやまない。

何とぞ、職権をもって、今一度本件量刑の当否を御考察賜りたく懇願申し上げる次第である。

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