最高裁判所第三小法廷 昭和62年(オ)253号 判決 1994年2月08日
上告人
国民金融公庫
右代表者総裁
平澤貞昭
右訴訟代理人弁護士
桑原収
小山晴樹
渡辺実
堀内幸夫
被上告人
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右指定代理人
増井和男
外九名
主文
原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
被上告人の請求を棄却する。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理由
上告代理人桑原収、同小山晴樹、同渡辺実、同堀内幸夫の上告理由第四について
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 被上告人は、上告人に対し、昭和四一年一月から昭和四六年七月にかけて、国民金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律(以下「恩給担保法」という。)三条一項に基づき、恩給受給者である渡邊成正が上告人に対して上告人からの借入金の担保に供した同人名義の普通恩給及び増加恩給のうち、第一審判決末尾添付の「担保に供した恩給一覧表」記載のとおり合計五五万八七九二円を払い渡した(以下「本件払渡し」という。)。
2 総理府恩給局長は、昭和五三年九月六日付け取消第三五七号をもって、渡邊に対する恩給裁定を取り消した(以下「本件裁定取消し」という。)。
二 被上告人の本訴請求は、右事実を前提に、上告人が恩給担保法の規定に基づく恩給担保の設定によって取得した恩給給与金の受領権限は、恩給受給者の恩給受給権にその基礎を置くものであるから、本件裁定取消しによって渡邊が恩給受給権を遡って喪失したことによって、上告人も渡邊が担保に供した恩給の給与金に対する受領権限を遡って喪失したものであり、上告人が被上告人から払渡しを受けた恩給給与金は、これを受領する法律上の原因がなく、上告人の不当利得となると主張して、本件払渡しに係る前記五五万八七九二円の返還を求めるものであるが、上告人は、不当利得の成立を争うほか、(一) 本件では恩給裁定から裁定取消しまで二〇年近く経過しており、その間被上告人においては渡邊の恩給受給権の存否について審査する機会が十分にあったこと、(二) 上告人は被上告人の恩給裁定を信頼して恩給を担保とする貸付けを行っているものであること、(三) 上告人が被上告人からの払渡しを受けたことにより渡邊に対する貸付金の弁済が終わったものとして処理してからも長期間を経過したため、渡邊に対する貸付関係の書類等が現存しておらず、貸付年月日、金額、連帯保証人の住所氏名等の究明が困難になっており、渡邊やその連帯保証人からの回収が不可能になっていることなどの事情があり、このような事情の下では、被上告人が本件裁定取消しの効果を上告人に対して主張することは、恩給担保貸付けやその処理を行う上告人の利益を害するものであり、信義則に反し、権利の濫用になると主張した。
原審は、上告人の右主張に対し、上告人は、政府の全額出資による資本金により、あるいは無利息ないし低率の利息による政府からの借入金によって、大蔵大臣の認可、監督、計画、指示の下に、一般の金融機関から資金の融通を受けることが困難な国民大衆に事業資金等の供給を行うことを目的とし、政府の行政目的の一端を担う公法人であるから、私益を目的とする私法人とは立場を異にし、かつ、これまでも上告人に担保に供されている恩給の受給権が消滅したこと等のために過誤払金が生じたときは、一貫して被上告人は上告人に過誤払金の返還請求をしてきたことが認められるのであるから、被上告人の本訴請求が信義則に反し、あるいは権利の濫用に当たるとはいえないと判示して、上告人の右主張を排斥し、被上告人の請求を認容すべきものとした。
三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
上告人は、政府がその資金の全額を出資する公法人であり、大蔵大臣の認可、監督、計画、指示の下に、一般の金融機関から資金の融通を受けることを困難とする国民大衆に対して、必要な事業資金等の供給を目的とするものであって、政府の行政目的の一端を担うものであることは原判決指摘のとおりであり、それゆえ、上告人が被上告人に対し経済的な利益を主張するにも一般の私人とは立場を異にする面があることは否定できない。しかしながら、反面、上告人は、政府から独立した法人として、自立的に経済活動を営むものである上、恩給担保貸付けを行うことができる者を上告人及び別に法律をもって定める金融機関(現在は沖縄振興開発金融公庫のみがこれに当たる。)に限定した恩給法の趣旨にかんがみると、上告人は、恩給受給者に対しては一定の要件の下に恩給担保貸付けをすることが義務付けられているというべきであるから、上告人が前記のような公法人であるというだけで、被上告人に対し、自らの経済的利益を前提とする前記のような主張をすることが許されなくなるものではない。このことは、被上告人が上告人に対してこれまで一貫して過誤払金の返還請求をしてきたとしても同様である。
そして、上告人は、右にみたように恩給受給者に対しては恩給を担保に貸付けをすることが法によって義務付けられているものであるところ、恩給裁定の有効性については上告人自らは審査することができず、これを有効なものと信頼して扱わざるを得ないものであるから、被上告人が渡邊に対して不当利得の返還を請求することは当然として、本件裁定取消しの効果を右のような利害関係に立つに至った上告人に及ぼすことは、被上告人のした恩給裁定の有効性を信頼して義務的に恩給担保貸付けを実行し、かつ、弁済された旨の処理をしている上告人に対して著しい不利益を与えるものであり、被上告人が本件裁定取消しの効果を上告人との関係で実現できないことによる不都合も上告人に右のような不利益を甘受させなければならないほどに重大であるとはいえない上、本件で恩給裁定が取り消されたのは、前記一にみるとおり、上告人への最初の払渡しが行われてから一二年八か月後、最終の払渡しが行われてからでも七年二か月後であって、被上告人からの払渡しをもって恩給担保貸付金が弁済された旨の処理をする上告人の立場からすると、上告人においては、もはや弁済の効果が覆されることはないと考えても無理からぬ期間が経過した後であるといわなければならない(記録によれば、上告人の貸付関係の書類の保管期間は完済後五年間であり、そのため、上告人は、本件払渡しをもって渡邊に対する貸付けは完済されたものとして関係書類を廃棄しており、現在では貸付けの内容及び連帯保証人等が不明となっていることがうかがわれる。)。したがって、このような事情の下において、被上告人が上告人に対して、本件裁定取消しの効果を主張し、本件払渡しに係る金員の返還を求めることは、許されないものと解するのが相当である。この趣旨をいう上告人の前記主張は理由がある。
四 右と異なる判断の下に、上告人の前記主張を排斥し、被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、前記説示に徴すれば、被上告人の上告人に対する請求は結局理由がないことに帰するから、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、被上告人の請求を棄却することとする。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤庄市郎 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官千種秀夫)
(昭和六二年(オ)第二五三号 上告人 国民金融公庫)
上告代理人桑原収、同小山晴樹、同渡辺実、同堀内幸夫の上告理由
原判決には次のとおり理由の不備および判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある。
第一1.不当利得制度は公平の原理に基づき不当な財産的価値の移動の調節を図る制度であるから、同制度においては形式的な財産的価値の移動に基づいて利得の有無を判断してはならないのであって、実質的に利得の有無を判断することが必要である。特に本件のように三当事者が絡み合った関係においては、公平の観点から三当事者関係のうちどこの関係に不当性が存在するかを見極め、その不当性の存する―即ち無効原因の存在する当事者間において、不当利得の受益者と損失者が定められるべきものである。
2.本件において被上告人から給与金の払い渡しがなされるに至った理由は、もともと上告人と被上告人間の関係に端を発したものではない。被上告人と渡辺間には被上告人の渡辺に対する恩給支給裁定に基づく恩給給与金の支給、受給の関係が、上告人と渡辺間には金員の貸付と返済債権の関係が、それぞれ存在し、被上告人の渡辺に対する右払い渡しと渡辺の上告人に対する弁済とが別個に行われるべきところ、上告人と渡辺間の担保設定契約の結果、被上告人から上告人に給与金を交付し、上告人において右金員を渡辺に対する貸金の弁済に充当することとなったもので、もともと被上告人からの恩給給与金の払い渡しは、被上告人と渡辺との関係に基づくもので上告人との間の関係に基づくものではないのである。三当事者間における不当利得を考えるに当たっては先に述べた通り三当事者関係のどの部分が無効とされたものであるかによって決せられるべきところ、本件において無効とされたものは被上告人と渡辺間の恩給支給裁定なのであるから、不当利得も被上告人と渡辺間において考えられるべきものである。しかるに被上告人に対する上告人の不当利得返還請求を認めた原判決には法令の解釈、適用を誤った違法がある。
3.なお右の考えに対しては渡辺には利得が存しないから上告人、被上告人間において不当利得の問題を処理すべきであるとの異論が考えられるが、それは一旦消滅した貸金債権が復活すると考える誤った前提に立脚した誤った議論である。被上告人の主張および原判決の解釈は恩給の払い渡しとしての被上告人の上告人への支払いと上告人の受領した金員の貸金債権への充当とは各別の行為であることを前提としており、右前提に立脚すれば恩給の払い渡しにつきその原因が失われたからといっても上告人と訴外渡辺間の法的関係に瑕疵があったのではないから―被上告人の主張になぞらえて表現するならば、恩給支給裁定の取消のあった場合に一旦有効に消滅した貸金債権が復活する旨の規定はなく、また被上告人が「貸付金の弁済」をおこなっているのではなく、被上告人から支払いを受けた恩給給与金の「金銭」を上告人自身が「貸付金の弁済」に充当していることは明らかであって、恩給給与金の交付と貸付金の弁済への充当とは別個の二つの事柄だから―一旦有効となされた貸金債権への充当まで遡って無効にすべき理由はない。貸金債権が復活しないとすれば不当利得者は渡辺であって、上告人には何らの利得の存しないこと、少なくとも現存利得の存しないことは明らかである。
第二1.第一審判決は「被告による給与金の受領は、新規の利得というよりも予定どおりの出損の回復といった趣があることは否定できない」としながら、恩給受給者の死亡などの上告人が恩給給与金以外からの回収を余儀なくされる例外的な場合のあることをもって「被告の貸付による金銭の出損と原告の給与金払渡しによる金銭の交付とは、各別の財貨の移動であり、財産状態の変動である」とし、原判決もこれを是認した。なるほど恩給受給者である債務者が死亡したような場合には上告人が恩給の給与金から貸付金を回収することは不能となるのではあるが、右のようなケースは例外的なものであって、かかる例外的なケースをもって上告人の貸付による金銭の出損と給与金による回収の関係を解釈することは、角を矯めて牛を殺すに等しい解釈である。上告人による給与金の受領が新規の利得というよりも予定どおりの出損の回復であって不当利得に該当しないものであるか否かは、恩給担保貸付制度および恩給担保権の本来的な姿に即して判断されるべきである。
2.上告人が給与金の交付を受けたのは、貸付に際し渡辺との間で締結された恩給担保権設定契約に基づくものであるが、同人との金銭消費貸借契約と恩給担保権設定契約の関係は一般に行われている金銭消費貸借契約と担保権設定契約とのそれと大きく異なるものである。まず第一に後者においては金銭消費貸借契約と共に担保権設定契約がなされることは必要的ではなく任意的であるのに対し、前者は常に恩給担保権設定契約を要するものである。恩給担保権の設定がなされなければ貸付は行われないし、貸付を行う以上同時に若しくは貸付に先立って右担保権の設定がなされなければならないのである。第二に後者は担保権からの回収は二次的、例外的であるのに対し前者にあっては担保権からの回収が一次的である。恩給給与金の払い渡しがなされている限り担保権からの回収が義務付けられているのであって、恩給担保権からの回収は単に一次的という以上に本質的、本来的なものである。従ってこれらの帰結として第三に貸付額、貸付期間は、後者にあっては個別に当事者が自由に定めるのに対し、前者では予め恩給の給与額をもって相当期間内に返還しうる金額に限られているのである。
右のような一般の貸付と恩給担保貸付の本質的な差異に着目するとき、本件における貸付の実行と恩給担保権設定とは実質的に一体をなす行為であることは明らかであり、貸付による上告人からの金銭の出損と恩給給与金からの上告人の回収とは出損とその回収という表裏の関係にある。かかる関係においては上告人における給与金の受領は何ら不当利得を構成しないものと解すべきにもかかわらず、原判決は法令の定める不当利得の解釈を誤り、被上告人の不当利得返還請求を認容した違法がある。
第三1.不当利得返還請求において受益者は、「その利益の存する限度」即ち現存利益の範囲内において利得の返還義務を負う。受益者は「その利得がなかったとした場合より貧しくなってはならない」から、右現存利益とは「現実に存する財産の総額と不当利得となる事実がなかったとした場合に推測される財産の総額との差額」となるべきものと解されている。従って本件のような給付利得の場合において、その利得が終局的に自己に帰すると信じたことに基因する財産の減少のあったときはその減少分は受けた給付から控除されるべきものである。
本件においては現存利益が存するか否か即ち控除されるべき上告人財産の減少があったか否かが、一つの論点となっており、右の点について上告人は被上告人から上告人に対する給付金の払い渡しが有効であると信じたことに基因する財産の減少について次の三点の主張をなしている。
(1) 訴外渡辺に対する貸金債権が時効消滅したこと。
(2) 借用証書などの貸付に関する書類一切が失われたために貸金債権について請求の趣旨原因を特定しえず、法的手段に訴えて回収することが不可能となったこと。
(3) 訴外渡辺は無資力であって同人からの回収は不能であるところ、連帯保証人が何処に住んでいる何人であるかが不明となったため、事実上貸金債権の回収は不可能となったこと。
2.先に述べた通り、不当利得制度は公平に反する財産的価値の移動が行われた場合に受益者からその利得を取り戻して損失者との間の財産状態の調整を図ることを目的とする制度であるから、現存利益の存否の判断に当たっては実質的な価値、財産的な価値を無視すべきではない。
前項の(2)(3)の場合は抽象的には上告人は訴外渡辺およびその連帯保証人に対する貸金債権を有しているかもしれないが、右のような障害により現実にはこれを回収することは不可能である以上、実質的、経済的には右貸金債権は無価値であるといって過言ではない。そして右障害が上告人において被上告人の払い渡しを有効と信じたことに基因することは明らかであるから、右による財産的損失を利得より控除すべきものである。
3.しかるに原判決は右三点のうち時効の点については判断しているもののその余の点については全く判断しないまま被上告人の上告人に対する不当利得返還請求を認容した。右の点においては原判決には明らかな理由不備がある。
(仮に原判決が上告人の返還義務の範囲が現存利益に限られず、給付を受けた利得全部に及んでいるものと判断していたとすれば、当然上告人が悪意であった旨の認定が必要であるが、原判決中にはかかる説示は全くなく、やはり理由不備は免れない。)
第四1.上告人は被上告人の本件請求が信義則ないし権利の濫用として許されない旨主張し、それを根拠付ける事実として次のような事実を主張した。
(1) 恩給担保貸付制度は、恩給受給者の生活保障に関する国の施策の一環として特別立法(恩給担保法)により創設せられた制度であって、これを維持していくことは公益上重要であるところ、恩給支給裁定取消によって、被上告人の本件請求のように善意の第三者である上告人に対する不当利得返還請求が許されることとなると、上告人は、恩給担保貸付に消極的にならざるを得ず、借主に対する物的担保の徴求、恩給の給与金以外からの弁済の請求、貸付審査の厳格化とこれに伴う貸付拒否の増加若しくは貸付審査の長期化等が必然的に生じることとなり、却って公共の利益が著しく損われることとなること。
(2) 本件恩給裁定取消は被上告人の恩給裁定に際しての誤判断に原因すること、および被上告人の渡辺に対する最初の恩給裁定から取消まで二〇年近い期間が経過しており、その間、再三審査請求がなされていたのであるから、被上告人においては、渡辺の恩給受給権の存否についてチェックを行う機会が十分存在したこと。
(3) これに対し、上告人においては被上告人のなした恩給裁定を適正なものと信頼して本件恩給担保貸付を実行し、本件恩給の給与金の受領をもって右貸付金の弁済を了したものとして処理したのであるが、右処理後長期間を経過したため、本件恩給裁定取消時には右貸付及び担保設定等に関する書類は現存せず、貸付年月日、金額、連帯保証人の住所氏名等を究明することは困難となり、かつ、渡辺は現在無資力の状態であるから、渡辺及びその保証人から貸付金の回収を行うことは著しく困難となっていること。
(4) 上告人はその収支相償うべきとされ自主的に経営すべきことが求められており、被上告人からの借入金については日本銀行が一般金融機関に適用する金利である公定歩合や市中の預金金利を上回る金利を支払う一方、貸付先からは利息を取り立て、被上告人とは別に独立して経済活動を行っていること。従って本件のように貸付金の返済処理後一〇数年たっても国から一方的に不当利得請求を受け返還に応じざるをえないとすれば、上告人を法人となし、自立的経営を求める被上告人の施策に相反する結果となり、また恩給支給裁定の過誤による不当な支出を上告人からの回収によって繕い、かえって行政の責任の所在を曖昧にする弊害があること。
2.これらの主張に対し、原判決は、本件のごとき不当利得返還請求が容認されるとしても、上告人主張のような恩給担保貸付拒否の増加等が必然的に生じ、公共の利益が著しく損われる結果となるものと軽々に断ずることはできないのみならず、そもそも、政府の全額出資による資本金により、あるいは無利息ないし低率の利息による政府からの借入金によって、大蔵大臣の認可・監督・計画・指示のもとに、一般の金融機関からの資金の融通を受けることが困難な国民大衆に事業資金等の供給を行うことを目的とする公法人である国民金融公庫は、私益を目的とする一般の私法人とは立場を異にし、国の行政目的の一端をになうものであるところ、上告人は恩給担保法施行前から上告人に担保に供されている恩給の受給権が消滅したこと等のため過誤払金が生じたときは、支給郵便局が上告人の支所又は支店から過誤払金を徴収する旨の取扱いにしたがい、一貫して上告人に過誤払金の返還請求をしてきたことが認められ、被上告人の本訴請求が信義則に反し、あるいは権利の濫用にあたるものと認められない旨の判示をしているが、上告人の前(1)ないし(4)の主張に対してはこれらの事実が存在するか否か、存在した場合本訴請求が許されるか否かにつき直接判断を下していない。特に(2)、(3)については何ら触れられていない。
3.しかし、近年不当利得の有無、範囲の認定にあたっては両当事者の過責を衡量し、より具体的妥当性を求める考え方が有力である。右考え方は不当利得制度がもともと公平の原理に基づくものである以上当然のことと言わなければならない。前記上告人主張事実のうち(2)、(3)の事実は本件不当利得問題発生のうえで上告人、被上告人のいずれに責任があるか否か、或いはいずれにおいてかかる結果を回避する行為を取りえたか否か、そして発生した損失をいずれが負担することが公平の原理にかなうか否かに関する事実主張である。上告人主張の(2)、(3)の事実によれば、本件不当利得問題の発生につき被上告人は責められるべき立場にある、少なくとも損失の発生を予防しうる立場にあったことが認められるのに対し、上告人には何らの落度もないこと、しかも不当利得返還請求の認められるときは、損失は全面的に上告人の負担とされることが認められる。もし被上告人の上告人に対する不当利得返還請求が認められるとすれば何人も容認しえない極めて不公平な結果を生ずることとなる。
右のような事情につき何らの判断をすることなく信義則、権利の濫用の主張を排斥した原判決には審理不尽若しくは信義則、権利濫用についての法令の解釈適用を誤った違法がある。