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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)1314号 判決 1989年2月21日

上告人

布施宇一

右訴訟代理人弁護士

清井礼司

菅野泰

鈴木俊美

被上告人

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

杉浦喬也

右当事者間の東京高等裁判所昭和六二年(ネ)第八六五号雇用関係存在確認等請求事件について、同裁判所が昭和六三年六月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人清井礼司の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係のもとにおいては、被上告人が日本国有鉄道法三一条に基づく懲戒処分としてした上告人に対する免職が無効でないとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡滿彦 裁判官 伊藤正己 裁判官 坂上壽夫)

上告理由

一 はじめに

1 本件四・一五事件は、動労千葉に対し、社会的な迷惑など一切考慮することなく暴力的に敵対してきた当時の動労本部(現・鉄道労連)から八〇春闘を防衛しようとした動労千葉組合員らが、津田沼電車区構内を移動するにつき、組合のデモ指揮の仕方が悪く、当局の制止線に接触し、ほんの僅かそれを突き破ってしまった、というものに過ぎない。又、上告人の右事件への関与は、動労千葉執行委員として現地の最高責任者であった吉岡正明の補助的な役割を負っていたが、実際には右吉岡の決めた組合員らの構内移動の方針に賛意を示し、右吉岡の補助としてデモ隊列に付き添っていた、というものに過ぎない。

ところが、被上告人はデモ指揮の仕方が悪かった組合(動労千葉)の指導責任を問うにつき、「制止線を突き破るなどしてあえて制止に応ぜず」と、事実をあえて曲解したうえで(但し、千葉局当局は、弁明・弁護の経過の中ではこのようには言っていなかったことは後述のとおりである)、誰が現場における最高責任者であったかを誤認したまま、上告人を本件四・一五事件だけでも懲戒免職に相当するとして処分したものである。

2 本件訴訟は、果たしてこのような当局の二重の誤認処分が許されるかが争点であったはずであった。しかしながら、第一審、原審とも、その構成を違えて被上告人の懲戒免職という処分結果を救済しようとしたのである。これは、動労千葉に対する予断と偏見に基づくものとしてしか考えられない。裁判所は第一審判決に対して次のような評釈・解説が出されているのをご存知だろうか。

『(1)……しかし、その判例内容には、いくつかの論点が存することは否定できないようである。

(2)……四・一五事件をもって、懲戒免職処分の事由となしうるかは、大いに論議の対象となりうるところと思われる。……そもそも処分時の国鉄当局の認識に誤認があり、それが右処分に影響したといえないかの論点もありうるように思われる。判決として、いま少し冷静で、キメ細かな検討が欲しかったところである。

(3)……少なくとも、従来の判例においては、具体的役割の程度いかんを具体的に認定し、それに基づき権利濫用の有無を判断していたと評価できるのであって、その結論はともかくとして、判旨展開には問題が残るように思われる。

(4)近時、千葉動労の事件にかかわって、権利濫用の判断部分にアラさを感じさせる判例がみられる(千葉動労事件千葉地判昭62・3・13労判四九五)。判決が実践的価値判断行為であることは事実であるとしても、また、結論はともかくとしても、裁判官の先入観がキメの細かさを欠く原因となってはいないか、危惧されるところである。』

(以上は労働判例四九六号六二頁より引用)

二 処分の前提事実たる非違行為に対する判断の流れについて

1 被上告人の処分時における判断

被上告人が上告人を懲戒免職処分に付するにつき、本件四・一五事件及び八〇春闘に対して次のとおり判断していたことは訴訟の経過から明らかである。

<1> 上告人は本件四・一五事件の最高責任者であり、「制止したにもかかわらず制止線を突き破るなどしてあえて制止に応ぜず、ために職場秩序を著しく混乱させた」(処分事由書)から、本件事件だけでも懲戒免職処分相当である。但し、千葉局当局者は弁明・弁護の経過の中では「結果としてそれ(制止ライン)が無視された」(甲第六号証)、「デモ隊はゆっくりしたペースですから、ボーンとぶつかったようなものでないことは事実だと思う」(甲第九号証三六丁)ばかりでなく、「ピケ隊がなかったらああいうトラブルはおきなかった」(甲第九号証三六丁)とまで言い、処分事由としては、被控訴人本社とは全く異なる認識を述べていたものである。

<2> 八〇春闘処分は八〇春闘の指導責任を問うものであるが、単なる付け足しである。

2 第一審判決の判断

<1> 八〇春闘において、上告人は「国鉄職員の身分を有する動労千葉組合員の中で最も枢要な地位を占め、最も指導的な役割を果たした者」である。

<2> 本件四・一五事件においては上告人が「当日の最高責任者であったとの被告(=被上告人)の主張は事実に反する」が、「最高責任者の吉岡正明に準ずる指導的立場」にあった。

<3> 「本件の接触・衝突・乱闘騒ぎの発生を招いたことにつき、重大な落度があ」った。

<4> 八〇春闘においては、国労・動労の闘争との「各競合部分の程度、割合等を詳らかにし得る資料はないが、それにしても動労千葉の闘争による列車運行への影響は、決して少なくないと推認される」。

<5> 右八〇春闘の指導責任と本件四・一五事件の指導的立場を合わせれば、「国鉄就業規則六六条一七号、日鉄法三一条一項の懲戒事由に該当するものという外ない」。

3 原判決の判断

<1> 本件四・一五事件につき、上告人は「右示威行進を率先指揮して本件事件の直接の原因を作ったものというべきである。」

<2> 「そもそも控訴人(=上告人)には本件(四・一五)事件のみでも十分な免職事由があったといわざるを得ず、被控訴人(=被上告人)がこれだけを理由にして本件免職処分を発令したとしても何ら不当でな」い。

三 審理不尽について――その一 責任の内容について

1 前記二の判断の流れから原判決(前記二3)を見ると、次のことが明らかである。

(一) 処分に至る判断の過程については、前記二2の第一審判決の構造を覆えして、同1の処分権者の判断そのものに立ち返っている。

(二) ただ、同1が上告人をして本件四・一五事件の最高責任者としていたのに対し、同2の<2>の判断を一応考慮してか、あるいは懲戒処分権行使における個人責任の原則を考えてか、最高責任者としてではなく「右示威行進を率先指揮して」本件事件の「直接の原因を作った」、として、評価的表現である「最高責任者」を避けている。

(三) しかし、「右示威行進を率先指揮して本件事件の直接の原因をつくった」とする原判決の認定は、とんでもない誤りである。

第一に、上告人は動労千葉のデモ隊を指揮しておらず、指揮の系列は最高責任者吉岡正明とそれに指示を受けた吉岡一、及び田中康宏であって、上告人は単にデモに付き添っていたに過ぎず、

第二に、上告人の付き添っていた位置からは上告人がデモ隊を制御しようにも事実上不可能だったのである。

いずれにしても、デモを指揮していた吉岡一に適確な指示をし、あるいは現場で吉岡一とともに制止線前でUターンするなどの適確な行動をとらなければならなかったのは、最高責任者でかつデモ指揮者吉岡一のすぐそばにいた吉岡正明であって、上告人ではなかったのである。それを、原判決は、恰も上告人が率先指揮してデモ隊を当局の制止に突っ込ませたかのように判断しているのである。第一審判決が言っている指導責任の内容は、「本件の接触、・衝突・乱闘騒ぎの発生を招いたことにつき重大な落ち度があり」というものであったにも拘らず、である。

原審は、何ら証拠調べ期日も経ることなく弁論を終結してしまったのであるが、このように指導責任の内容を全く入れ替えたうえで、前記二3のように「本件四・一五事件のみでも十分な免職事由があった」とするのであるが、これでは果たして、何故第一審判決のような事実認定となったのかをまともに検討したのかどうかさえ、全く疑問という外はないのである。

なお、原判決がこのように認定替えせざるを得なくなったのは、第一審の事実認定のままでは懲戒処分相当とまでは言えなかったためである。それは第一に、八〇春闘における上告人の地位、役割が不明確なばかりでなく、そもそも動労千葉のなした闘争の影響が確定できないし(なお、当局者は弁明・弁護の過程で、本件四・一五事件だけで処分事由として十分なので、八〇春闘については競合組合間の影響については区分していないと明言している――甲第六・九号証)、第二に、指導責任とはいえ、その内容が過失責任では、就業規則にいう「著しく不都合な行為」に該当するか自体疑わしく、特に処分として免職を選択する場合には全く疑問だからである。

2 原審が、右のように第一審の判決とは全く異なって、処分者たる被上告人の判断に回帰した意図は、第一審判決が第一審の訴訟進行から大きくはずれて不意打ち的に八〇春闘を突如浮上させたうえで、被上告人の処分の結果のみを救済したため、その結論を維持しようとするのであれば、八〇春闘の闘争規模、就中動労千葉の実施したストライキの影響の確定と上告人の右春闘時における地位についてどうしても証拠調べを要するところ、それを回避しようとしたところにあるのである。

即ち第一に、前者につき第一審判決は自ら「右各競合部分の程度、割合等を詳らかにし得る資料はない」としているが、国鉄内最大規模の労働組合である国労や、動労千葉の組織規模をはるかに上回る動労本部の闘争と競合していること、しかも動労千葉は、千葉局(当時)管内に限定された地方組合であるのに対し、国労や動労は全国組織として首都圏全般にまたがっていること、又、動労千葉の八〇春闘の対象となった線区はいずれも東京三局と連動していること、処分の内訳を見ても、国労・動労に最高一二月までの処分が多数出ている(千葉局に限っても、国労では停職六月三名、停職二月三名と出ている)のに対し、動労千葉については西森副委員長(当時)の停職三月一名に止まっていること(但し、本件四・一五事件がなければ上告人及び吉岡正明が停職の処分になった可能性はあるが、それにしても三名である)、等からして、競合した闘争の各組合による影響度に大きなバラつきがあることを考えれば、どうしても八〇春闘自体についての証拠調べは必要だったことにある。

第二に、後者につき、第一審裁判所は上告人をして「国鉄職員の身分を有する動労千葉組合員の中で最も枢要な地位を占め」と、国鉄現職の副委員長西森がいることを知りながら敢えて事実誤認をし(同副委員長はその後の闘争で公労法により解雇され、その裁判が千葉地裁に継続中である)、しかも、何らの証拠調べも経ることなく「最も指導的な役割を果たした者」と全く勝手に認定してしまっていたからである。

なお、原審において被上告人は証人藤田好一の証人申請を行なったが、これは結局、第一審においては本件四・一五事件があくまで処分の全体であり、それが懲戒免職にあたるか否かという争点が原被告間の共通の前提であったために、八〇春闘自体については殆んど証拠調べをやることなく(被上告人の立場からはやる必要もなく)経過してきたことを踏まえてのものだったのである。

3 原判決は八〇春闘における上告人の責任の程度については明確に触れていないが、国鉄職員の身分のある動労千葉組合員の中で最も枢要の地位を占めていることの明らかな副委員長(当事)西森巌が停職三月であることからすれば、上告人の責任を最大限見たとしても、停職三月を超えることはあり得ないところである。

従って原判決によれば本件懲戒免職処分は全て本件四・一五事件によるものと考えて何ら差し支えないことになる。

4 そうすると、第一審判決が本件四・一五事件につき詳細になした証拠調べの結果に踏まえて、八〇春闘抜きに本件四・一五事件だけでは懲戒免職処分には相当しないとした判断を、根底から覆えしたことになる。

第一審の証拠調べの結果からは原判決が言うような「率先指揮して直接の原因をつくった」などとは到底言えないことは明らかであるから、原審はこの点につき、全く審理を尽くすことなく第一審の本件四・一五事件に対する認定評価を覆してしまったことになる。

被上告人が弁明・弁護の経過や交渉の中で述べていた懲戒免職処分の前提事実としては、処分事由書の記載や訴訟上の主張とは大きく異なって、第一審判決の認定するのに近く、動労千葉のデモ指揮が悪かった(制止若しくはUターンさせられなかった)その指導責任を問う、換言すれば最高責任者に組合の過失責任を問う、というものであったのであるから、上告人の責任の態様は原判決のいう「率先指揮して直接の原因をつくった」との非違行為の実行者の故意責任では全くなく、「組織責任としての指導行為」(甲第六号証)であり、しかも、デモ指揮が未熟なための過失責任だったのである。

これらの点は、第一審の記録を精査すれば直ちに判明することであるし、被上告人から申請のあった当時の千葉局総務部長・証人藤田好一氏や、上告人申請予定であった当時の人事課長丸山氏(甲第六・七・九号証参照)などを、少しでも尋問すれば更に明確になったことである。にも拘らず、これらを全て怠り、第一審判決の指導責任の所在についての認定ばかりでなく、その内容に関する認定をも否定してしまったのである。

5 以上のとおり、原審において第一審の記録を精査し、少なくとも被上告人の申請していた証人藤田好一氏を取り調べていれば、八〇春闘や本件四・一五事件における上告人の責任の程度も明らかになり、到底原判決のような結果にはなりようがなかったのである。それは、第一審判決の中から八〇春闘における副委員長西森巌(当時)の停職三月以上には八〇春闘の責任がないことになれば、上告人に対する懲戒免職処分の不当性は直ちに明らかになるからである。

なお、総務部長(当時)藤田氏は、勤労千葉に対しては「布施君や吉岡君やその場にいた指導部の人達は、なんとか停めようとして努力していたんだ。そういう様子は見受けられた」「そんなことは技術の未熟だ」「指導部たるもの、停まれるか停まれないか、判断できなくて結果として停まれなかったといってもそれは泣きごとだ」(甲第九号証二四丁)と言っていたのである。

従って原判決には判決に明らかに影響を及ぼす審理不尽の違法があると言わざるを得ず、原判決は破棄されなければならない。

四 審理不尽――その二 不当労働行為について

1 原判決は、「被控訴人(=被上告人)が本件免職処分当時動労千葉を好ましくない労働組合と見ていたことが容易に窺える」としながらも、不当労働行為を認定しなかった。しかし不当労働行為を認定しなかったことについては、次のとおり、審理を尽くしたとは到底言えないことは明らかである。

2 本件における不当労働行為の認定の重要な要素は、概略次のとおりである。

<1> 原判決も認めるように、被上告人は動労千葉を「好ましくない労働組合として見ていた」という、当局の全般的敵視の状況。

<2> 本件四・一五事件の発端は、津田沼電車区に関係のない動労本部の東京地本が乗り込んできたことにあるにも拘らず、動労千葉に対しては懲戒免職一、停職一二月一の重大処分をかけ、他方の動労本部に対しては停職一月一しか出していないこと。

<3> 千葉局当局者の認識では、第一審判決と同様に、動労千葉のデモ指揮が悪く結果として当局側の制止ラインに触れてしまった、ただその責任は最高責任者である上告人にあると責任の所在につき誤認してしまった、というものである。にも拘らず、被上告人本社は前記一で述べたように事実を曲解して、「上告人は、四・一五事件に際して動労千葉の執行委員として多数の組合員によるデモ隊を指揮し、局対策員が制止線を引くなどして制止したにもかかわらず、制止線を突き破るなどしてあえて制止に応ぜず、ために職場秩序を著しく混乱させた」としたこと。

3 前記2<3>は具体的に不当労働行為の認定をするうえで最も重要な点である。現場管理者の認識を超え、あるいはそれと異なる事実をもって処分しようとすること自体、意図的な不当処分を十分に意味するからである。

第一に、被上告人本社にとっては、まず処分しようという意思があって、本件四・一五事件はその単なる契機に過ぎなかった、と考えられるところである。免職処分は被処分者本人にとって動労千葉の役員であったがための極刑処分であったばかりでなく、組合にとっては犠牲者救済のための財務上の負担があり、又、動労千葉組合員にとっては、組合員でいれば、いつ、どんなことで処分されるかわからないという、威嚇効果をもつものである。これらがいずれも組合の弱体化の危険性をもつことは明らかである。そして、現場当局者の認識を無視して、即ち非違行為を作り上げて処分したとなれば、それ自体だけで不当労働行為となり得るものである。

第二に考えられるのは、被上告人本社が動労本部の圧力に屈して動労千葉のみを重く処分したということである。国鉄分割・民営化の経過を見れば、動労本部と現JR各社当局が手を結び、国鉄内の分割消極派の追い落しと、国労などの組合組織解体攻撃をしてきたことは全く明かである。本件当時、動労本部は動労千葉潰しにやっきになっており、四・一五に津田沼に登場して本件四・一五事件の発端をつくったのもその一環であった。この動労本部は、被上告人に対して動労千葉への重大処分を要求していたのであり、その結果、被上告人本社は動労本部に対しては前記2<2>のとおり停職一月一ですませながら、動労千葉に対しては現場当局者の認識を無視してあえて重大処分をしてきたものである。これは組合間差別の典型と言わざるを得ない。

4 前記3の事実は、弁明・弁護の経過(甲第六号証・甲第九号証)を見、かつ当時の千葉局の幹部であった藤田総務部長や丸山人事課長を取調べていれば直ちに判明したはずであるし、それが判決に影響を及ぼしたであろうことは明らかである。

5 上告人が第一審でこの点の立証を尽くさなかったのは、訴訟の経過からして、争点が本件四・一五事件の最高責任者は上告人か吉岡正明か、責任の内容は、千葉局当局者の認識とは異なって「制止線を突き破るなどしてあえて制止に応じなかった」のかあるいは現場当局者のいうデモ指揮が悪かったのか(第一審判決はこれを「本件の接触・衝突・乱闘騒ぎの発生を招いたことにつき重大な落度がある」としている)、本件四・一五事件自体だけで被上告人の主張していたように懲戒免職相当だったのか否か、にあり、第一審判決のように、本件四・一五事件の責任に八〇春闘の指導責任を加算して責任を加重したうえで免職が相当か否か、とは誰も考えていなかったためである。

前記一で引用した解説がいう「近時、千葉動労の事件にかかわって、権利濫用の判断部分にアサさを感じさせる」とは、第一審判決よりもむしろ原審の、右の点についての審理不尽を先行的に表現したものと考えざるを得ない。

五 理由の齟齬

1 原判決は第一審判決を引用したうえで、更に上告人の本件四・一五事件の責任内容につき、「若干敷衍するに」として述べている。しかし、原判決はいくつかの点で第一審判決の事実認定をかえている。これらの点で次のような理由の齟齬が生じており、結論的には第一審判決が八〇春闘と本件四・一五事件の指導責任を合わせて被上告人の処分の相当性を認定、即ち本件四・一五事件単独では懲戒免職相当を言えなかったものを、原判決では本件四・一五事件単独で懲戒免職相当としてしまったものであり、結論部分においても重大な理由齟齬を来たしているものである。従って、原判決には絶対的上告理由がある。

なお、被上告人も、最高責任者の認定につき誤認せずに吉岡正明としていれば、同人を懲戒免職・上告人を停職一二月の処分に付し、上告人が懲戒免職を免れていたであろうことは十分に予測のつくところである。

2 原判決は「控訴人は、右縦隊の前から二・三人目の列外側にあって、右示威行進を率先指揮して」と上告人の役割を認定するが、原判決がそのまま引用する第一審判決は、「原告は先頭から二・三列後方の右側……付き添うように歩き」「原告も執行委員として隊列の外に位置し、何か事が生じた場合に備えていたのであって、原告がデモ隊列の指導・統率の役割の重要な部分を担ったことは明らかである」としているに過ぎない。第一審判決の言うように、上告人が最高責任者吉岡正明の補佐を十分に果たせなかった場合と、原判決が言うように、上告人が「率先指揮して」デモ隊を動かしていた場合とでは、その指導責任の程度に重大な差が生じてくることは明白である。

要するに、上告人は第一審判決の認定するように、「最高責任者が吉岡正明であることには代わりはなかった。本件のデモ行進を立案したのも同人であるが、……原告(=上告人)は賛成の意を表明した」に過ぎないのである。

3 原判決は「率先指揮して本件事件の直接の原因つくった」とするが、これは二重の意味で、引用された第一審判決と理由が食い違っていることになる。

第一は、責任の内容である。原判決の表現はどう読んでも上告人がデモ隊を制止線に突っ込ませた、ということになる。第一審判決がそうは言っていないことは前記二2<3>・三1(三)や同4で述べたとおりであるが、第一審のいう過失責任と原判決のいう故意責任では、責任の程度に重大な相違があり、処分に軽重の差が生ずることは全く明らかなことである。

第二は、第一次的指導責任の所在の問題である。これについては後記4で述べる。

4 原判決の最大の理由齟齬は、吉岡正明の最高責任者としての地位を否定し、上告人にその地位・役割を押しつけたことにある。原判決の引用する第一審の判決が、本件四・一五事件の最高責任者が吉岡正明であると明言し、上告人は「最高責任者吉岡正明に準ずる指導的立場にあった」に過ぎず、「原告(=上告人)が当日の最高責任者であったとの被告(=被上告人)の主張は事実に反する」としているところ、原判決は他方で「しかしながら前示すのとおり、本件事件に際しての控訴人の立場ないし役割につき、被控訴人には事実誤認がなく」としているのである。

原判決の右に言う「前示のとおり」とは、前記3で触れた箇所しかあり得ず、「被控訴人には事実誤認がなく」とする被上告人の事実認定には、第一審が否定した「原告が当日の最高責任者であった」との被上告人の主張に係わる部分を指すことは明らかである。

最高責任者とそれに準ずるに過ぎない立場とでは、「どちらの責任が重いか」は全くはっきりしているし、「明らかに吉岡の責任の方が重い」と言うべきであることは全くの社会的常識である。原判決は「機械的に計算できるわけではなく」というが、処分した当の被上告人は、機械的に最高責任者=懲戒免職、それに準ずる者=停職一二月と計算しており、ただ、最高責任者の認定を誤った結果として、上告人=懲戒免職、吉岡正明=停職一二月としたに過ぎない。原判決がわざわざ被上告人の誤認処分を第一審判決を否定してまで救済する理由はないはずであるし、第一審判決の事実認定を認定替えをしたのであれば、第一審判決の当該箇所を当然訂正すべきなのであって、訂正抜きにそのまま引用することは許されないはずである。

六 法令違反

1 原判決は、前記一で述べたとおり、上告人を本件四・一五事件の最高責任者とする被上告人の処分に係わる前提事実の誤認を、「率先指揮して原因をつくった」と、全くデタラメに認定替えしたうえで、懲戒免職処分を相当として救済したものである。

2 懲戒処分権者に裁量があるという場合の裁量とは、非違行為の正しい認定を前提としたうえでの処分の量定に係わるものであって、非違行為そのものの事実認定については裁量という観念を入れる余地はあり得ない。非違行為の事実認定さえも裁量の幅があるとすれば、主観主義的な誤った事実認定のもとに労働者はいつでも懲戒処分の危険にさらされてしまうことになり、使用者に労働指揮権をはかるに超える絶対的権力を付与してしまうことになる。このような個別的労使関係を憲法が容認するはずがないことは明白である。

3 原判決が、被上告人の誤認を裁量の範囲に入れて、その誤認処分を救済したのは二点である。

第一点は、最高責任者に対する誤認である。これについては第一審判決が明確に否定しているところである。

第二点は、責任の内容である。被上告人は「……制止したにも拘らず、制止線を突き破るなどしてあえて制止に応ぜず」と、故意に「制止線を突き破」ったとする点であり、この点も第一審判決によって明確に否定されている。

なお、第一点目の、最高責任者か否かということは、処分をする際の重要な情状事実であるだけでなく、本件四・一五事件では、当局側の制止線との衝突を回避するについての注意義務の所在に係わるものであって、非違行為を指導責任として問う場合には、その結果回避の可能性も含めた重要な非違行為事実の一つをなすものであることは明らかである。

4 原判決が被上告人の誤認処分を相当とするにつき、「吉岡の受けた一二月という長期の停職処分も極めて重い処分であるから、処分の内容それ自体から直ちに著しく均衡を失するものということはできない」などと、免職と停職との雲泥の差を全く無視した見解を前提としている。懲戒免職が労働者にとって極刑であり、それ故に「免職処分の選択にあたっては、他の処分の選択に比較し、特に慎重な配慮を要する」旨判示す判決(最高裁第一小法廷昭和四九年二月二八日判決 民集二八・一・六六 国鉄中国支社職員懲戒免職事件)があるにも拘らず、被上告人の非違行為事実に対する明らかな誤認をも漫然と容認してしまったのである。

前記一で引用した解説の指摘するとおり、第一審判決より原判決はさらに「そもそも処分時の国鉄当局者の認識に誤認があり、それが右処分に影響したといえないかの論点もありうるように思われる。判決としては、いま少し冷静でキメ細かな検討」が必要だったのである。

5 右のとおり、原判決は、処分権者の裁量の範囲につき、非違行為事実の誤認をも許容してしまったものであり、裁量権の範囲につき、明らかに判決に影響を及ぼす法令解釈の誤りを犯している。

七 まとめ

以上の次第であるから、いずれにしても原判決が破棄されなければならないことは明らかである。

以上

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