最高裁判所第三小法廷 昭和63年(オ)1735号 判決 1993年3月30日
上告人
富士興産株式会社
右代表者代表取締役
西口清美
右訴訟代理人弁護士
池上徹
被上告人
興亜火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
笹哲三
右訴訟代理人弁護士
西昭
寺﨑健作
被上告人
日動火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
江頭郁生
右訴訟代理人弁護士
安藤猪平次
内橋一郎
主文
原判決中、被上告人興亜火災海上保険株式会社に関する部分を破棄し、右部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
上告人の被上告人日動火災海上保険株式会社に対する上告を棄却する。
前項に関する上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人池上徹の上告理由について
第一被上告人興亜火災海上保険株式会社(以下「被上告人興亜火災」という。)関係
一原審が確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 訴外波田正夫は、建築中の本件建物を所有していたところ、昭和五四年一一月一二日、被上告人興亜火災との間で、本件建物につき、保険金を三五〇〇万円とし、保険期間を同日から昭和五五年一一月一二日までとする住宅火災保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結し、約定保険料二万八〇〇〇円を支払った。なお、波田は、本件保険契約の締結に先立って、昭和五四年八月三一日、訴外源治正勝から二〇〇〇万円を借り入れ、この債務を担保するため本件建物及びその敷地に譲渡担保権を設定していたが、本件保険契約締結当時、右譲渡担保権は実行されていなかった。
2 上告人は、昭和五五年四月一〇日、波田から本件建物及びその敷地を買い受け、翌一一日、本件建物及びその敷地につき、上告人を所有者とする所有権移転登記がされた。
3 本件建物は、昭和五五年四月一二日に類焼被災した(以下この事故を「本件火災」という。)。
4 本件保険契約においては、被上告人興亜火災作成の普通保険約款(以下「本件約款」という。)によるべきこととされているところ、本件約款八条は、一項において「保険契約締結後、次の事実が発生した場合には、保険契約者または被保険者は、事実の発生がその責めに帰すべき事由によるときはあらかじめ、責めに帰すことのできない事由によるときはその発生を知った後、遅滞なく、その旨を当会社に申し出て、保険証券に承認の裏書を請求しなければなりません。ただし、その事実がやんだ後は、この限りでありません。(1) 保険の目的を譲渡すること。(2) 保険の目的である建物または保険の目的を収容する建物の構造または用途を変更すること。(3) 保険の目的を他の場所に移転すること。ただし、第一条第一項の事故を避けるために、他に搬出した場合の五日間については、この限りでありません。」と定めている。そして、同条二項は「前項の手続を怠った場合において、その事実が発生した時または保険契約者もしくは被保険者がその発生を知った時から当会社が承認裏書請求書を受領するまでの間に損害が生じたときは、当会社は、保険金を支払いません。」と、同条三項は「第一項の事実がある場合には、当会社は、その事実について承認裏書請求書を受領したと否とを問わず、保険契約を解除することができます。」と定めている。
5 波田も上告人も、被上告人興亜火災に対し、本件火災前に、本件建物の譲渡につき、本件約款八条一項に基づく承認裏書請求をしなかった。
二原審は、右事実関係の下において、次のとおり判断した。
1 波田は、本件保険契約締結時において、源治に対して本件建物につき譲渡担保権を設定していたが、譲渡担保の実行手続の完結前であり、本件建物につき所有者としての被保険利益を有していたから、本件保険契約は有効に成立した。
2 上告人は、波田から本件建物を買い受けたが、被保険者が保険の目的を譲渡したときは同時に保険契約によって生じた権利を譲渡したものと推定する旨を規定する商法六五〇条一項により、上告人は、波田から、本件保険契約上の権利をも譲り受けたものとみるべきである。なお、同条二項は、保険の目的の譲渡が著しく危険を変更又は増加したときは保険契約はその効力を失う旨を規定するところ、波田から上告人に対する本件建物の譲渡が著しく危険を変更又は増加したとの主張立証はない。また、上告人が、被上告人興亜火災に対し、本件保険契約上の権利の譲受を主張するためには、民法四六七条に規定する対抗要件を具備することが必要である。
3 本件約款八条は、三つの限定列挙された事実について保険契約者又は被保険者に通知義務を課し(一項)、これを怠った者に対しては保険者を免責するという効果を定め(二項)、通知の受領後における保険者の契約解除の自由を留保することを定める(三項)ものであるところ、保険の目的が譲渡された場合に危険の著しい変更又は増加があるときは契約が当然に失効する旨の商法六五〇条二項の規定の適用を排除するとともに、危険の著しい変更又は増加がないときを含めて、保険契約上の権利移転の対抗要件に関する民法四六七条の規定を包摂・代替しようとするものでもあるが、合理的なものであり、有効である。
4 波田の上告人に対する本件建物の譲渡は、本件約款八条一項の「その責めに帰すべき事由によるとき」に当たるから、波田又は上告人は、同項により、あらかじめ本件建物譲渡の事実を被上告人興亜火災に通知して本件保険証券への承認裏書請求の手続を採るべきであった。それにもかかわらず、波田も上告人も、右手続を怠ったから、被上告人興亜火災は、上告人に対し、本件火災によって上告人が被った損害をてん補する責任を負わない。
三原審の判断のうち、二の1及び2は、いずれも正当というべきであるが、本件約款八条二項による被上告人興亜火災の免責を肯定した原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 火災保険は、保険事故発生の危険率に従って保険料が定められ、運営される制度であるところ、保険の目的の譲渡は、火災の危険を変更又は増加する可能性を有する事実であるから、保険者には、保険の目的が譲渡された場合に、譲渡が危険を変更又は増加したか否か、変更又は増加したときはその程度を調査の上、当該保険契約につき、従前の内容で継続することとするか、追加保険料を請求して継続することとするか、保険料のうち残存期間相当部分を返還して解除することとするか、の検討の機会を留保する正当な利益があるものというべきである。したがって、保険の目的が譲渡された場合に、保険契約者又は被保険者にその事実の通知義務を課した本件約款八条一項及び保険者による契約解除権の留保を定める同条三項の各条項は、有効なものというべきである。
2 そして、右のように、保険契約者又は被保険者に保険の目的譲渡の事実の通知義務を課した主要な目的が、保険者において契約解除の機会を留保することにあることからすれば、右通知義務が履行されないうちに保険事故が発生した場合には保険者は損害てん補の責めを免れるという効果を伴って初めてその目的を達することができるものというべく、右通知義務の不履行に対して保険者を免責するという効果を定める本件約款八条二項が不合理なもので効力を有しないものということはできない。これは、保険の目的の譲渡によって危険の著しい変更又は増加がある場合であるか否かとかかわりがない。また、同条一項によって保険契約者又は被保険者に課される書面による承認裏書請求という手続が不当に煩わしく過大なものということもできない。
3 しかし、保険の目的である建物が譲渡された場合において、本件約款八条一項は、保険契約者又は被保険者に対して譲渡後遅滞なく右譲渡の事実を通知すべき義務を課したものと解するのが相当であり、したがって、同条二項は、保険契約者又は被保険者が保険者に対して譲渡後遅滞なく右通知義務を履行しないでいる間に保険事故が発生した場合に保険者が免責されることを定めているものと解するのが相当である。けだし、保険の目的の譲渡とは保険の目的である建物の所有権の移転をいうものと解すべきところ、一般に、売買等の契約によって建物の所有権が移転する場合においては、所有権の移転が売買代金の完済や所有権移転登記手続の完了等の時点まで留保される結果、代金の完済等がされないため約定の期日に所有権移転の効果が発生しないこともまれではなく、所有権の移転につきあらかじめ通知することを要求するのは保険契約者又は被保険者に対して困難を強いる結果となるので、本件約款八条一項が、保険の目的の譲渡として、建物所有権の移転の効果が発生する前にあらかじめ通知することを要求するものと解するのは相当でないからである。
これを本件についてみるのに、本件火災が発生したのは、波田から上告人に対する本件建物譲渡の二日後のことであり、本件建物の所有権が移転した後であるとしても、波田又は上告人が被上告人興亜火災に対して遅滞なく右通知義務を履行しなかったということはできないことが明らかであり、本件約款八条二項を適用する場合ではないものというべきである。
4 そうすると、更に進んで、上告人において本件保険契約上の権利の譲受について民法四六七条に規定する対抗要件を具備しているか否か、上告人が本件火災によって被った損害の額などについて審理すべきものであり、本件約款八条二項を適用して被上告人興亜火災の免責を肯定した原審の判断には、同項の解釈を誤った違法があり、この違法が判決に影響することは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
第二被上告人日動火災海上保険株式会社(以下「被上告人日動火災」という。)関係
訴外武広勲が被上告人日動火災との間で本件建物につき締結した保険契約は、本件建物の所有者でない者が締結した住宅火災保険契約であるから、右契約が建設工事保険契約であることを前提とする上告人の被上告人日動火災に対する請求は理由がない旨の原審の認定判断は、正当として是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分についてその違法をいうに帰し、採用することはできない。
第三結論
以上の次第で、原判決中、被上告人興亜火災に関する部分は、破棄し、第一の三の4記載の諸点を審理させるために右部分につき本件を原審に差し戻すこととし、被上告人日動火災に対する上告は棄却することとする。
よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤庄市郎 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄)
上告代理人池上徹の上告理由
一、原判決は、火災保険約款八条の規定と商法六五〇条の規定とを種々に対比検討した上で同約款八条の規定の一部の適用を排除するような限定解釈は採るべきでない旨を述べる。とともに例外として「特段の事情」があれば右限定解釈も許されるとするものであるが、「本件では前示したところから明らかなように、かかる特段の事情も窺えない」と判示する(原審判決理由一、6)。
しかしながら、本件が右例外として限定解釈をなすべき特段の事情を有するケースであるといえるかどうかの点について、原判決は右の判文にもかかわらず、相当の審理を懈怠しており、審理不尽、理由不備の違法を免れない。
すなわち、原判決が右判断の前提とした認定事実は、保険目的物(本件建物)の譲渡(売買)が行われた昭和五五年四月一〇日、一一日ごろまでの経過であるが(原審判決理由一、2、(一)〜(七))、それまでにとどまる。しからば、その後目的物譲渡に伴って保険債権の移転をめぐり、どのような事情があったかの点については、上告人のこの点における原審での主張等につき全く判断をしていない。しかしまさに右時点以降の事情が重要なのである。右時点以降の事情こそ、原判決が認定した事実経過の時点まででは窺うことができずしかも、それは、右約款の文言の形式的適用に対して強い疑いを持たざるを得ない特段の事情なのである。すなわち、原審判決が、特段の事情としての審理を原審において懈怠した上告人の主張は次の点に係るものである。
1、約款八条の通知義務の内容であるが、保険の目的物の売買に際して、決済に先立ちあらかじめその事実を保険会社に通知するべきものとすることはできない。一般に事前の通知が行われることはなく、譲渡後に遅滞なく通知手続がされているのが通例である。もっとも所有権移転登記手続だけは売買取引の決済に接着するのが通例である。
2、本件では、売買が行われたのが昭和五五年四月一〇日(木曜日)である。そして二日後である一二日(土曜日、保険会社は休日である)に火災事故が発生した。売買決済の後遅滞なく通知手続を採ったとしても、上告人側に手続可能な日は一一日(金曜日)の一日だけであるが、同日中に保険会社へ通知文書を郵送したとしても通例一四日(月曜日)以前には保険会社はそれを受領することはできない。
3、上告人は一四日(月曜日)に本件建物の火災事故を知り、被上告人会社も同日同事故を知り現場の確認と事故調査を開始し、この時点から、上告人と被上告人会社との間で実質上保険金請求についての協議が始まった。
(一) 上告人においては代理人(武田俊男ほか)や上告人会社代表者(西口清美)において被上告人会社を訪ね、あるいは事故の現地で保険金支払について協議した。そのような経過の延長の上で五月上旬には承認裏書請求の文書も保険会社に提出したが、上告人の保険金請求の意思は事故直後より被上告人会社には明らかであって、保険金受領者の確定その他について上告人を看過するような不慮の危険を生ずるような事態はなかった。
(二) 被上告人両会社においては訴外東京海上とともに事故直後から、本件保険金受領に関する関係者(上告人のほか、波田、武広、源治)との接触をはかって話合った。そのかたわら、登記上の権利関係の把握、事故原因の調査、幹事保険会社の決定等を行い、上告人や波田らの保険金の請求に対応している。
4、被上告人会社は、火災後何週間もたってから上告人が突如として唐突に保険金受領者としてたちあらわれ保険金請求に及んだかのような主張をするが全く事実に相違する。被上告人(興亜火災)提出の<書証番号略>においてさえ、五月九日の神戸支店の田添課長からの電話として、先週富士興産の西口氏が来店して保険金請求について申入れていった旨の記載が明らかである。そしてそのころに保険会社の関心は、建物の所有者利益の帰属をめぐる保険契約の有効性等にあった。本件のような目的物の譲渡直後の火災で、すぐに当事者らが現場にかけつけて保険金支払をめぐる検討が生じたようなケースでは、当初から保険会社は通知義務の問題などを重視していなかった(なお訴外東京海上は最後まで問題にしていない)。右<書証番号略>の興亜火災のメモには、五月一二日の箇所に同社が契約の有効性(所有者利益が有効要件)を問題にしている旨、五月一三日の箇所に、三社が話合いを持ち東京海上と日動火災は支払やむなしとの見解を示してていることが示されている。これは、通知義務の運用の実態に関わる事情であり、少なくとも原判決のいうような、「(本件建物の譲渡が)『その責に帰すべき事由によるとき』に該るので……あらかじめ右譲渡の事実を保険会社に通知し……手段をとるべきところ」などという形式的な約款適用はそもそも排斥されるべきケースであったことを示すものである。
右の1乃至4の例示は原判決が約款の例外的な限定解釈の適用の可否について言及し判断するのであるならば、必ず検討の対象とするべき売買及びこれに引続く火災後の事情である。それにもかかわらずこの関係において原判決は、本件建物に係る着工(昭和五三年)や附保(昭和五四年)の時期から本件建物を上告人が買受けるに至るまでの時点(昭和五五年四月一〇日)までの事実経過等のみを認定したにとどまる。(右時点以降については吟味を閑却しつつ)右認定事実のみから「前示したところから明らかなようにかかる特段の事情も窺えない」と原審が結論したのは明らかに失当である。右審理不尽には判決に影響を及ぼすべき違法があるといわざるを得ない。
二、次いで、原判決のように約款八条が限定解釈になじまないものとすることは法令の解釈を誤ったものである。約款八条は、一般的に限定解釈を甘受すべき場合があり、これにつき原判決が消極的判断をなしたのは違法である。
約款八条は、保険の目的物が譲渡された場合には、危険の増加の有無を問わず、保険契約者または被保険者から遅滞なく譲渡の事実を保険者に申し出て保険証券に承認の裏書請求をしなければならないとされ、その手続を怠ったときには、保険者は一切填補責任を負わないとする。危険の著増著変がないにもかかわらずこのような失権効を認めるかどうかには保険者において被保険者の交替を知る利益や画一的、大量処理の要請等の問題がからむとしても、約款八条二項の「前項の手続を怠ったとき」というのは、遅滞なく通知することを要する、という、いわば、アローワンスを経過した場合に失権の効果を生ずることになると解するべきである。右のアローワンスであるが、学者・損害保険業界の専門家で構成する保険法制研究会が昭和四八年に発表した損害保険契約法改正試案六五〇条も、遅滞なき書面通知を義務づける一方において右書面通知がなされなかったときでも、保険者は譲渡の日から一五日以内に発生した保険事故については免責されない旨を規定し、失権効回避のための猶予期間を設けることとしている(吉川栄一『火災保険の目的物の譲渡』新損害保険双書1、文眞堂二六七乃至二七七頁)。このような改正規定が持込まれていない現時においても、右約款の「前項の手続を怠ったときは」の意義は相当期間(一五日程度)以内に保険目的物の譲渡を通知しなかったときに限定して解釈すべきである。少なくとも手続の懈怠を判断するにあたり「遅滞なき通知」に係る遅滞の猶予期間の長さ等について一顧だにしない原判決は、商法六五〇条、約款八条の解釈適用を誤ったものであり判決に影響を及ぼすべき違法であるものと信ずる。