最高裁判所第二小法廷 平成元年(あ)421号 決定 1989年11月09日
本籍・住居
横浜市南区平楽一三三番地の一一
会社員
南勝郎
昭和一八年一二月一六日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成元年三月二七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人宇野峰雪の上告趣意は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 奥野久之 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一)
○上告趣意書
平成元年(あ)第四二一号
被告人 南勝郎
右被告人に対する所得税法違反被告事件につき、上告の趣意は後記のとおりである。
平成元年六月七日
右弁護人 宇野峰雪
最高裁判所
第二小法廷 御中
記
原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
一 原判決は、昭和五九年末における現金有高を、同年一二月二九日に預金から引出された二、〇〇〇万円と同年一二月三一日に引出された一、〇〇〇万円を含む三、九〇五万円としたことが経験則に反するものではないとして、第一審判決の認定を是認している。
現金有高について、被告人は普段一、〇〇〇万円ぐらいを所持していて多くても二、〇〇〇万円を越えることはないとの供述によって昭和五七、五八、六〇年末における現金有高を確定しているところ、昭和五九年は、右二、〇〇〇万円と、一、〇〇〇万円が他に流用された事実のないことから、この三、〇〇〇万円を所持していたと確定したといわれているのである。
一二月二九日に二、〇〇〇万円を引出しておきながら何ら使用しないまま、さらに一二月三一日に一、〇〇〇万円を引出したということがあり得るだろうか。
原判決は、「余り間を置かずに預金が二度にわたって引出されている場合、先に預金から引出した現金を支払いに充てたものの不足が生じ、あるいはさらに現金を必要とする事情が生じたため、後日また預金を引き下ろすということは当然ありうることであるが」としながら、「必ずしもそのような場合だけに限られるわけではない」として、一審認定が「経験則に反するとはいえない」としているのである。
しかし、年末には給与の支払いをはじめ、さまざまな支払いに充てるためにお金が動くというのは常識であって、一二月一九日に引出された二、〇〇〇万円が支払いに充てられずに被告人が所持したままであり、そのうえ一二月三一日に一、〇〇〇万円を引出したとみるのは、どうしても合理性を欠くと言わざるをえない。
昭和五九年には、昭和五七、五八、六〇年と異なって被告人が三、〇〇〇万円を所持しなければならなかったという特別の事情のない限りは、一二月二九日引出された二、〇〇〇万円は支払い等に充てられたとみるべきであって、経験則に反しないとして二、〇〇〇万円を被告が所持しつづけていたことを是認する原判決は明らかに誤った判断である。
現金有高に差異を生ずれば、所得金額に差異を生じ、したがってほ脱税額に差異をきたすこともまた明らかなところである。
しかも累進税率が適用されることにより、税額の差異も大きいのであって、「昭和五九年、六〇年の両年度を通じれば総体としての現金増減額・所得額にかわりはなく、累進税率の関係上、いずれの年度において費消されたかによって税額上は若干の差は出てくるものの、それほど大きく影響するものではない」とする原判決の態度は大いに疑問である。
ほ脱税額そのものにかわりがないとした場合であっても、ほ脱税額にかかる延滞税からして一年分の差が出てくるのであって、どの年度における税金かの計算は無視されてよいものではない。
二 原判決は、昭和五七年末における林龍沢に対する貸付残高が零となっていたものとしてこれを前提に所得および所得税の計算をした原判決に誤りがあるとは認められないと第一審判決を是認している。
しかし、林龍沢に対する貸付金残高は昭和五六年末に一億五、〇〇〇万円であり、さらに昭和五八年末に一億五、〇〇〇万円、昭和五九年には二億円となっていたのであるから、昭和五七年末において貸付金残高が零となっていたというのはきわめて不自然である。むしろ、昭和五七年末における貸付金残金も一億五、〇〇〇万円であったとみるのが合理的であり、零であることを是認した原判決は明らかに誤っている。
三 右に述べたとおり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実誤認があり、この誤認は所得金額及びほ脱税額に差異をきたし、その結果として刑の量定にも重大な影響を及ぼすところであって原判決を破棄しなければ著しく正義に反するといわなければならない。