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最高裁判所第二小法廷 平成11年(受)553号 判決 2000年1月31日

上告人

秋山徳道

右訴訟代理人弁護士

小見山繁

河合怜

片井輝夫

仲田哲

竹之内明

被上告人

正福寺

右代表者代表役員

國井位道

右訴訟代理人弁護士

井上治典

中村詩朗

尾崎高司

大島真人

主文

原判決を破棄する。

被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人小見山繁、同河合怜、同片井輝夫、同仲田哲、同竹之内明の上告受理申立て理由第三の二、第四及び第五について

一  本件は、被上告人によって土地及び建物の占有を侵奪されたとする上告人が被上告人に対して民法二〇〇条に基づきその返還を求めている事件である。原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は、宗教法人日蓮正宗の被包括宗教法人であるところ、被上告人の宗教法人正福寺規則では、「代表役員は、日蓮正宗の規程によってこの寺院の住職の職にある者をもって充てる。」と規定している(同規則八条一項)。

2  上告人は、昭和四一年八月一六日、当時の日蓮正宗の管長細井日達から被上告人の住職に任命され、同時に前記規則により被上告人の代表役員となって、被上告人所有に係る第一審判決別紙物件目録記載の土地建物(以下「旧寺院」という。)に対する管理、所持を開始した。

3  上告人は、昭和五五年一〇月に被上告人が三重県松阪市下村町西之庄八三八番地三に新寺院を建立したことに伴い、それまで居住していた旧寺院建物から新寺院建物に転居したが、その後も、月に一、二度旧寺院に赴いて風通しのために窓を開閉したり、年二回敷地の草刈りを行ったり、旧寺院の近隣住民に何かあったら連絡するよう依頼するなどして、旧寺院を空き家のまま管理していた。

4  日蓮正宗の管長阿部日顕は、昭和五七年二月五日、上告人が教義上の異説を唱えたとして上告人を僧籍はく奪処分である擯斥処分に付するとともに、上告人の後任として八木勝道を被上告人の住職に任命し、さらに昭和六〇年九月二六日、その後任住職に國井位道を任命した。

5  被上告人は、上告人が擯斥処分を受けて日蓮正宗の僧籍を失うと同時に被上告人の住職及び代表役員の地位を失い、新寺院建物を占有する権原を喪失したとの理由により、上告人に対して新寺院建物の明渡しを求める訴訟を提起し、これに対して上告人は、擯斥処分が無効であるとして、上告人が被上告人の代表役員・責任役員の地位にあることの確認を求める訴訟を提起し、両事件は併合して審理された(以下、両事件を併せて「別件訴訟」という。)。なお、被上告人は、当時上告人が新寺院建物に居住していたため、別件訴訟においては、新寺院建物についてのみ明渡しを求め、旧寺院を明渡請求の対象とはしていなかった。

別件訴訟については、平成二年三月八日、双方の訴えをいずれも法律上の争訟に当たらないことを理由に不適法として却下する旨の第一審判決が言い渡された。上告人と被上告人は、右第一審判決に対してそれぞれ控訴、上告を提起したが、いずれも棄却されて、平成五年七月二〇日に右第一判決が確定した。

6  上告人は、旧寺院の管理のため、昭和六〇年春ころ、壇徒である新田正道を旧寺院建物に居住させ、昭和六二年五月に同人が転居したため、壇徒である笠江篤を旧寺院建物に居住させたが、平成二年一二月に同人が転居した後、平成四年ころ、壇徒である湯谷勝夫を旧寺院建物に居住させていた。ところが、湯谷が平成五年暮れに荷物を残したまま不在となったため、これに気付いた上告人は、旧寺院の見回りを行うとともに、門扉が開かないよう施錠するなどしていた。

そして、上告人は、湯谷が平成七年四月ころに残していた荷物を持ち出して旧寺院建物から退去した後も、門扉の扉が開かないように施錠したり、施錠の代わりに針金でくくったりし、建物の窓を内側から施錠して雨戸を閉め、玄関等に施錠するなどしていたほか、年二回程度敷地の草刈りと除草剤散布を行っていた。なお、上告人が、平成八年一二月初めに旧寺院を見回った際には、建物の雨戸はすべて閉められ、玄関等もすべて施錠されていた。

7  上告人は、平成六年一月一〇日、國井に対し、上告人が管理している旧寺院建物を取り壊すこととしたので、これに異存があれば文書で申し入れられたい旨記載した申入書を送付した。これに対して、國井は、同月二六日、上告人に対し、旧寺院が被上告人の基本財産に当たり、その処分については正福寺における規則上の手続等が必要であるとして、旧寺院の明渡しを求めるとともに、上告人が勝手に処分することについて承諾しない旨記載した回答書を送付した。

國井は、被上告人の包括宗教法人の宗務院渉外部の阿部郭道から上告人が旧寺院建物の撤去に同意している旨聞いたことや近隣住民からも建物の撤去を求める申入れがあったことから、平成六年一二月一五日、上告人に対し、上告人が被上告人側で旧寺院建物を撤去することに異議がないと聞いたので、被上告人側で撤去する旨記載した通知書を送付した。これに対して上告人は、同月一九日、國井に対し、旧寺院建物の撤去には同意するが、その敷地は従前どおり上告人において占有することを了承されたい旨記載した通知書を送付した。

その後も上告人と國井との間で、代理人を通じて旧寺院建物の撤去につき話合いが持たれたが、上告人が建物撤去後も従前どおり敷地を占有するという条件を譲らなかったため、平成七年初めころに右話合いは物別れに終わり、國井としては、旧寺院建物を撤去して、旧寺院敷地の管理をすることは難しいと考えていた。

8  國井は、旧寺院敷地内の放置物件を除去し、門扉を閉めて旧寺院を管理することとし、平成九年一月一二日に被上告人の信徒である新田らと共に旧寺院敷地内に立ち入ったところ、建物の庫裏玄関左側の雨戸が何者かによって開けられており、その内側のガラス戸が施錠されていなかったため、國井らは、管理状況を確認するために建物内に立ち入ったが、建物内部も相当朽廃が進んでいる状態であった。そこで、國井は、旧寺院の門扉に新たに南京錠を取り付けるとともに、建物の庫裏玄関及び庫裏台所勝手口の錠前を付け替え、庫裏玄関のアルミドアに「無断で立ち入ることを禁ずる。平成九年一月一二日、宗教法人正福寺代表役員國井位道」と記載した張り紙を掲示するなどして、旧寺院の管理を開始した。その後も、國井は、月一回程度旧寺院を見回り、年二回程度敷地の除草を行うなどして、旧寺院を管理し、上告人の返還請求を拒否している。なお、上告人は、旧寺院の近隣に居住する知人からの通報を受けて、平成九年一月一五日、旧寺院を見回ったところ、國井が旧寺院の管理を開始したことを知った。

二  原審は、右事実関係の下において、(一) 上告人は当初被上告人の代表役員として旧寺院を占有していたところ、その後に受けた擯斥処分が有効であるとすれば、上告人は、被上告人の代表役員としての地位を喪失し、個人のために旧寺院を占有していることになり、擯斥処分が無効であるとすれば、上告人が引き続き被上告人の代表役員として旧寺院を占有していることになるが、この場合に、上告人において法人の機関として物を所持するにとどまらず、個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情があるときは、個人としての占有をも有していることになる、(二) 上告人は、新寺院に転居するまで家族と共に旧寺院に居住しており、その間の旧寺院の占有については、右特別の事情があったといえるが、右転居後の旧寺院の占有については、上告人が被上告人の代表者であるとされる場合において、上告人が被上告人の機関として旧寺院を占有しているにすぎず、右特別の事情は認められない、(三) そうすると、上告人の個人としての占有を認めるためには、上告人に対する擯斥処分が有効であることを確定する必要があるが、右の点を判断するには、宗教上の教義ないし信仰の内容に深く立ち入らざるを得ないから、結局、上告人の本件訴えは、法律上の争訟に該当しないと判断し、これを不適法として却下すべきものとした。

三  しかしながら、原審の右二の(二)、(三)の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

法人の代表者が法人の業務として行う物の所持は、法人の機関としてその物を占有しているものであって、法人自体が直接占有を有するというべきであり、代表者個人は、特別の事情がない限り、その物の占有を有しているわけではないから、民法一九八条以下の占有の訴えを提起することはできないと解すべきである(最高昭和二九年(オ)第九二〇号裁同三二年二月一五日第二小法廷判決・民集一一巻二号二七〇頁、最高裁昭和三〇年(オ)第二四一号同三二年二月二二日第二小法廷判決・裁判集民事二五号六〇五頁参照)。しかしながら、代表者が法人の機関として物を所持するにとどまらず、代表者個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情がある場合には、これと異なり、代表者は、その物について個人としての占有をも有することになるから、占有の訴えを提起することができるものと解するのが相当である(最高裁平成六年(オ)第一九九八号同一〇年三月一〇日第三小法廷判決・裁判集民事一八七号二六九頁参照)。

これを本件についてみると、前記の事実関係によれば、上告人は、当初は被上告人の代表者として旧寺院の所持を開始し、旧寺院建物から新寺院建物へ転居した後も旧寺院の管理を継続して、これを所持していたのであり、別件訴訟の係属中及びその終了後においても、新田、笠江及び湯谷を通じ、あるいは自ら直接旧寺院を所持していたところ、その間に日蓮正宗管長から擯斥処分を受けたものの、これに承服せず新寺院への居住を続けていた。そして、上告人は、被上告人から新寺院の占有権原を喪失したとしてその明渡しを求める訴えを提起されたときにも、右擯斥処分の効力を否定し、上告人が被上告人の代表役員等の地位にあることの確認を求める訴えを提起するなどして争っていただけでなく、別件訴訟終了後にされた國井との間での旧寺院建物の撤去についての話合いの際にも、上告人が旧寺院を管理、所持していることを前提として、建物撤去後の敷地の占有継続を主張するなどしていたのである。右によれば、上告人は、平成九年一月一二日当時、上告人自身のためにも旧寺院を所持する意思を有し、現にこれを所持していたということができるのであって、前記特別の事情がある場合に当たると解するのが相当である。そして、本件においては、國井は、平成九年一月一二日、被上告人の代表者として、上告人が管理していた旧寺院に立ち入って、建物の錠前を付け替え、無断立入禁止の張り紙を掲示するなどして旧寺院の管理を行い、上告人の返還請求を拒否しているというのであるから、上告人は、その意思に反して旧寺院の占有を奪われたものというべきであり、旧寺院を占有している被上告人に対し、民法二〇〇条に基づき、その返還を求めることができると解すべきである。

四  以上によれば、本件事実関係の下で上告人の本件占有回収の訴えを却下すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ず、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。右の趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、前記説示に照らせば、上告人の請求を認容すべきものとした第一審判決は正当であるから、被上告人の控訴を棄却すべきである。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官梶谷玄 裁判官河合伸一 裁判官福田博 裁判官北川弘治 裁判官亀山継夫)

上告代理人小見山繁、同河合怜、同片井輝夫、同仲田哲、同竹之内明の上告受理申立て理由

第一、原判決の住職固有の占有権原に関する内部規則(法令)適用の誤り・禁反言法理違反<省略>

第二、採証法則違反<省略>

第三、民法第一八〇条の適用違反および判例違反

一、<省略>

二、さらに法人代表者の地位を争っている者が、当該法人(その地位を争われている登記上の代表者が訴訟遂行する)から引渡請求を受けている場合と占有訴権

仮に、前記「一」の主張が認められないとしても、原判決には、次のとおり法令適用の誤りがある。

占有補助者(占有機関)は、「一定の団体的関係の構成員が物に対し直接的支配をおこなっているにもかかわらず、その団体法的な地位にもとづき、団体外との関係で物に対して独立した所持を有するとは認められない者をいう」とされている(注釈民法七巻一六頁)。このように、占有機関は、あくまでも団体外との関係においてのみ問題となることである。占有機関は、団体外との関係で占有訴権あるいは被告適格を有しないとされているが、これは、当該法人に占有訴権がある以上、占有機関に当該法人と別個に占有訴権を認めなくとも、法人の占有は回復され、また、被告適格を認めなくとも、当該法人に対する債務名義によって占有機関に対する執行が可能であるからである。

しかし、団体内部において、当該法人と当該法人代表者との間で、代表権の存否に関する紛争があり、代表権を失ったとされる者が、当該法人を被告として代表者たる地位の確認請求訴訟を提起し、反対に、地位を争われている登記上の代表者が訴訟遂行する当該法人から、代表者の地位を失ったとされる者に対して物の引渡を求めているというような場合は、全く事情が異なる。

このような訴訟においては、代表権を失ったとされる者が実体的に当該法人の代表機関たる地位を失っているのであれば、その占有は、占有機関としての所持であるとの前提を欠いて無権原者の占有となり、また、反対に、実体的に代表権を失っていないのであれば、その者の占有は、当該法人の占有機関としての所持として保護される関係にある。この種の訴訟においては、占有機関であることについて当事者間に争いがない事例と基本的に異なり、まさに上告人が被上告人の占有機関であるかどうかが争われることになるのである。

このように、代表者の地位を失ったとされる者が所持するものを、当該法人(登記上の代表者)が実力で奪取することを認めれば、訴訟での解決など全く不要となって、相互にそれぞれが占有機関であるとして実力での争奪が行われることになり、社会秩序の維持が不可能となることは明らかである。

したがって、右本権に関する争訟解決がなされるまで、その占有の事実状態は保護される必要があり、まさに、占有訴権はこのために存する制度と言える。登記上の代表者によって代表される当該法人からの一方的な占有侵奪に対する占有訴権について特別な取扱をする理由は全く存在しない。

その意味では、宝光坊事件第一審判決(高松地裁観音寺支部判平成六年一月一四日 判タ八六〇号一八九頁)のいうように「団体内において代表者が法人のために所持する物につき、法人から引渡請求を受け、これを争うに至った場合、社会秩序の維持・自力救済の禁止の趣旨に照らし、……法人と代表者との間においては、代表者は、『自己のためにする意思をもって』物を所持する直接占有者と認め、法人の不当な占有侵奪等に対し、代表者は占有訴権を有すると解する」のが相当である。

そもそも、原判決は、本権訴訟で敗訴して占有の移転を求めることができない者に、実力での占有侵奪という無法行為(自力救済)を認めるものであって、法治国家において到底容認できるものではない。

第四、民法第二〇〇条違反および判例違反

原判決には、民法第二〇〇条の適用の誤りがあり、かつ、最小二判昭和三二年二月一五日(民集一一巻二号二七〇頁)および最小三判平成一〇年三月一〇日(最高裁平成六年(オ)第一九九八号占有回収請求上告事件・判例未搭載。以下、「宝光坊事件最高裁判決」という。)にも違反している。

一、最小二判昭和三二年二月一五日および宝光坊事件最高裁判決の趣旨

右両判決は、代表者が法人の機関として物を所持するに止まらず、代表者個人のためにもこれを所持すると認めるべき特別事情がある場合は、個人としても占有訴権を有するとしている。そして、原判決は、「法人の代表者が法人の業務として行う物の所持は、いわゆる機関占有であって、これによる占有は法人そのものの直接占有というべきであり、代表者個人は、原則として当該物の占有者として訴えられることもなければ、当該物の占有者であることを理由に民法一九八条以下の占有の訴えを提起することもできない。しかしながら、代表者が法人の機関として物を所持するにとどまらず、代表者個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情がある場合には、これと異なり、その物について個人として占有の訴えを提起できるものと解される。」と判示して、右両判決とほぼ同じ立場に立っている(原判決一七頁〜一八頁)。

しかし、これは、代表者の機関占有と、代表者個人の自己のためにする意思での所持すなわち個人としての直接占有が重複して認められる場合には、当該人が当該法人の代表者であるからといって個人としての占有訴権を妨げられることはないという当然の事理を述べたものに過ぎない。

このことは、最小二判昭和三二年二月一五日が、「上告人が本件土地を単に訴外会社の機関として所持するに止まらず上告人個人のためにも所持するものと認めるべき特別の事情があれば、上告人は、直接占有者たる地位をも有する」と判示していることからも伺われる。また、したがって、「個人のために所持すると認められるべき特別事情」とは、まさに直接占有者たる地位をも有すると認められる場合、すなわち自己のためにする占有意思と所持が認められる場合をいうのであって、例外的な意味での特別の事情を必要としているものと解するべきではない。

二、ところで、原判決は、「被控訴人が本件新寺院に転居した後は、①被控訴人は、控訴人から日蓮正宗管長から本件譴責(ママ)処分を受けたことに伴い新寺院建物の占有権限を喪失したとしてその明渡しを求める別件訴訟を提起されたときにも、右譴責(ママ)処分の効力を争うとともに、控訴人の代表者として本件新寺院を占有し得る旨主張していたこと、②被控訴人は、平成六年一月一〇日、控訴人の代表者と称する國井位道に対し、『本件旧寺院を被控訴人が占有管理しているところ、本件旧寺院建物を取り壊すことにしたが、これに異存があれば、文書で申し出られたい。』旨を記載した申入書(甲二〇の1)を送付した(同月一二日到達)こと、③被控訴人は、平成六年一二月一九日、控訴人の代表者と称する國井位道に対し、『本件旧寺院建物の撤去には同意するが、本件旧寺院敷地は従前どおり被控訴人において占有することを了承されたい。』旨を記載した通知書(甲二二の1)を送付した(同月二二日到達)こと、④その後、被控訴人と控訴人の代表者と称する國井位道との間で、代理人を通じて、本件旧寺院建物の除却方法及び本件旧寺院敷地の占有について話し合いがもたれたが、平成七年初め頃物別れに終わったこと、⑤被控訴人は、この間、昭和六〇年春ころまでは、月に一、二回程度本件旧寺院に赴き、窓の開け閉めをしたり、敷地の草刈りをし、昭和六〇年春ころからは、控訴人の壇徒である新田に、昭和六二年五月ころからは、控訴人の壇徒である笠江に、平成四年ころからは控訴人の壇徒である湯谷に、それぞれ本件旧寺院に居住してもらうなどして、本件旧寺院の管理をしてきたこと、⑥被控訴人は、湯谷が本件旧寺院からいなくなったことに気付いた平成六年二月ないし三月ころから、本件旧寺院を見回ったり、台風に備えて本件旧寺院の雨戸の補強などしたほか、本件旧寺院門扉の扉を、その上部にリング状の針金をくくるなどして開かないようにし、本堂玄関を、内部から板と杭で押さえて、人が出入りできないようにし、庫裏玄関を施錠し、すべての雨戸を閉めるなどして、本件旧寺院の管理をしていたことなどの諸事情は存する」と認定している(原判決二二頁〜二三頁)。

したがって、原審認定事実をもってしても、優に上告人が個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別事情たる事実があるといえるのに、これをもって特別事情とはいえないとした原判決は、前掲宝光坊事件最高裁判決の判例理論の適用を誤ったものというほかない。

三、本件と宝光坊事件とを対比しても、①本件における被上告人と上告人との間の寺院明渡しに関する紛争は、宝光坊事件と同様、日蓮正宗と創価学会を巡る軋轢に端を発したいわゆる日蓮正宗大量処分事件のひとつであって、両事件とも、処分者側が擯斥処分は有効であるから寺院に対する占有権原を失ったとして、いわば本案事件たる寺院の明渡請求訴訟を提起し、正福寺においても、宝光坊においても、同様の処分経過を経て、その訴訟における主張・立証も共通に行われており、本権訴訟において、被処分者側が勝訴していること、②上告人は、訴外新田・同笠江・同湯谷などの管理人を通じて本件旧寺院を管理し、あるいはこれを直接所持しているなど、宝光坊事件における占有の形態と全く同一であること、③本件も宝光坊事件も、処分者側が、被処分者側の管理が手薄となった時期を選んで、密かに侵入して、自己の管理下に置くなど、占有侵奪の動機、占有侵奪の手口なども同一であること、④本件においては、前記のとおり、上告人が、内容証明郵便による書面で、明確に個人占有している旨を通知している事実があることなど、両事案は、基本的に同一の事案であるといえる。

しかるに、本件についてのみ占有回収の訴えを却下して、「自力救済」を容認することは、宝光坊事件最高裁判決との均衡を著しく欠くばかりでなく、右判決に違反しており、法治国家として絶対認容できるものではない。

第五、民法第二〇二条二項・裁判所法三条違反

一、原判決は、「引用にかかる前記争いのない事実及び本件に至る経緯からして、①被控訴人は、当初控訴人の代表者として本件旧寺院を機関占有していたこと、②その後被控訴人は日蓮正宗管長から本件譴責(ママ)を受けたが、仮に右譴責(ママ)処分が有効であるとすると、被控訴人は、控訴人の代表者の地位を喪失し、本件旧寺院を機関占有しているとはいえなくなって、被控訴人が本件旧寺院を個人占有していることになること、③一方、右譴責(ママ)処分が無効であるとすると、控訴人(被控訴人の誤りか? ママ)は、引き続き被控訴人(控訴人の誤りか? ママ)の代表者で、本件旧寺院を機関占有していることになるが、被控訴人において、法人の機関として物を所持するにとどまらず、個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情がある場合には同寺院を個人占有していることにもなること、④右譴責(ママ)処分の当否を判断するには、血脈相承に関する宗教上の概念を解釈すること及び被控訴人の諸説が異説か否かを判断することが避けられず、宗教上の教義ないし信仰の内容に深く立ち入ることなくして判断することができないので、裁判所としては実体判断ができないこと、⑤しかしながら、右の『被控訴人において、法人の機関として物を所持するにとどまらず、個人のためにもこれを所持するものと認めるべき特別の事情』の有無については、必ずしも宗教上の教義ないし信仰の内容に深く立ち入らなくして、審理・判断できるなどといった事情がある。」としている(原判決一八頁〜二〇頁)。

二、原判決の判示①が誤りであることは前記のとおりであって再述しないが、原判決判示②によると、擯斥処分が有効であると、上告人は個人として直接占有しているといえるとされている。したがって、この場合は、上告人に占有訴権があるということになる。次に、原判決判示③によると、本件擯斥処分が無効であると、上告人が被上告人の代表者として本件旧寺院を機関占有していることとなる。したがって、訴外國井位道が被上告人の機関と称して占有を侵奪した行為は違法ということになる。そうだとすれば、擯斥処分の有効無効を問わず、上告人の本件旧寺院についての所持はいずれにしても法的に保護されることになるはずである。しかるに、原判決はこのようには判示していない。この点、明らかに矛盾であるということになるはずである。

また、このように、右②、③によれば、原判決は擯斥処分が有効で上告人が占有権原を喪失していた場合でさえ、占有訴権を有するのに、擯斥処分が無効で上告人が被上告人の正当な機関であるとした場合は、上告人は、占有訴権を有しないと言うのであり、これが極めて不合理な結果をもたらすことは明らかである。

三、占有訴権は、本権の存否にかかわらず、占有の事実状態を保護する目的で設けられたものであり、それ自体が物権的請求権である。また、その要件事実は、極めて単純明快な「占有」と「所持の侵奪」である。そして、「占有」の要件は、「自己のためにする意思」という占有者の占有意思と、「所持」という客観的事実であり、そもそも、その存否判断に、宗教上の教義ないし信仰の内容に立ち入った判断の余地は全く存在しない。

ところが、原判決は、上告人の本件旧寺院に対する占有の存否を判断するにつき、擯斥処分の効力の判断をしなければならず、その擯斥処分の効力を判断するについては、教義・信仰上の判断が避けられないから法令の適用によって解決できないとして、本件訴えを却下した。

上告人が住職の地位にあり、住職固有の占有権原に基づき、あるいは、少なくとも住職固有の占有権原を主張して自己のためにする意思で占有していたことは、上告人に対する擯斥処分の効力の有無を判断するまでもなく認定判断できるのである。しかるに、原判決は、擯斥処分の効力の有無を判断しなければ、上告人の直接占有の占有存否の判断ができないとしているのである。

このように、原判決は、占有意思の存否判断のために、本権の存否判断が必要であるというものであり、その結果、本件訴えが「法律上の争訟」に該当しないとしたのは、民法第二〇二条二項および裁判所法第三条の解釈適用を誤り、ひいては、憲法第三二条の国民の裁判を受ける権利を奪うものであると言わなければならない。

第六、理由不備・理由齟齬<省略>

第七、最後に<省略>

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