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最高裁判所第二小法廷 平成13年(行ヒ)289号 判決 2006年3月10日

上告人

京都市長

桝本賴兼

同訴訟代理人弁護士

崎間昌一郎

被上告人

Y

主文

原判決を破棄し,第1審判決を取り消す。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人崎間昌一郎の上告受理申立て理由について

1  本件は,被上告人が,京都市個人情報保護条例(平成5年京都市条例第1号。以下「本件条例」という。)所定の実施機関である上告人が管理する被上告人の診療に係る国民健康保険診療報酬明細書に記録された被上告人の個人情報の内容に事実についての誤りがあるとして,上告人に対し,本件条例に基づく訂正の請求をしたところ,上告人がこれを訂正しない旨の処分をしたため,その取消しを求めた事案である。

2  原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1)  本件条例は,「個人に関する情報で,個人が識別され,又は識別され得るもの」を個人情報と定めた上で(2条1号),本件条例所定の実施機関が請求に基づいて個人情報の開示をする旨の決定をしたときは,遅滞なく,開示請求者に対し,当該決定に係る個人情報の開示をしなければならないと規定するとともに(18条1項),同項の規定による開示を受けた自己の個人情報の内容に事実についての誤りがあると認める者は,実施機関に対し,その訂正を請求することができ(21条1項。以下,同項の規定に基づく訂正の請求を「訂正請求」という。),実施機関は,訂正請求があったときは,必要な調査をした上,当該請求があった日の翌日から起算して30日以内に,当該請求に係る個人情報の訂正をする旨又はしない旨の決定をしなければならないと規定している(23条1項)。

(2)  被上告人は,本件条例18条1項の規定により,被上告人が平成5年10月から同8年2月までに受けた歯科診療に係る国民健康保険診療報酬明細書(以下「本件レセプト」という。)の開示を受けたが,本件レセプトに記録された被上告人の受けた診療に関する情報の内容に事実についての誤りがあるとして,同9年4月30日,本件条例21条1項に基づき,上告人に対し,その訂正請求(以下「本件訂正請求」という。)をした。

これに対し,上告人は,同年5月30日付けで,京都市(以下「市」という。)には本件レセプトを訂正する権限がなく,市長である上告人には本件訂正請求につき調査する権限がないことを理由として,これを訂正しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

(3)  本件レセプトは,各保険医療機関が,国民健康保険法その他の関係法令の規定に基づいて,被上告人に対する療養の給付に関する費用を保険者である市に請求するために,診療報酬請求書に添付される明細書として,被上告人に対して行ったとする診療の内容等を記載して作成し,療養の給付に関する費用の請求の審査及び費用の支払に関する事務を市から委託された京都府国民健康保険団体連合会(以下「連合会」という。)に提出したものである。連合会は,本件レセプトについて上記の審査を行った後,これを市に提出し,市は,連合会を通じて上記各保険医療機関に診療報酬を支払った後,本件レセプトが支払われた診療報酬額の明細となることから,歳入歳出の証拠書類としてこれを保管している。

3  原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断し,被上告人の請求を認容すべきものとした。

本件条例による訂正請求は,個人情報の内容に事実についての誤りがある場合に,その部分を明らかにすることを目的とするものであり,本件条例は,当該文書における上記の誤りのある部分を明らかにするような訂正の措置を請求できる権利を創設的に認めたものであって,当該文書そのものの訂正を想定しているのではない。訂正請求を受けた実施機関は,個人情報の内容に事実についての誤りがある場合には,当該文書の訂正権限の有無にかかわらず,当該文書における上記の誤りのある部分を明らかにするために,本件条例に基づいて訂正の措置を執らなければならない。

本件条例は,実施機関に対し,訂正請求に関して必要な調査権限及び調査義務を認めたものと解されるから,上告人は,国民健康保険診療報酬明細書の調査権限及び訂正権限の有無と関係なく,被上告人が求める訂正の是非を判断すべきであり,市にこれらの権限が認められていないというだけの理由で,本件訂正請求に係る個人情報の訂正をしない旨の決定をすることは許されないから,本件処分は違法である。

4  しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)  本件条例の定める訂正請求の制度は,基本的に,本件条例に基づいて開示を受けた自己の個人情報の内容に事実についての誤りがあると認める者に対し,その訂正を請求する権利を保障することにより,市の管理する誤りのある個人情報が利用されることによる個人の権利利益の侵害を防止することを趣旨目的として設けられたものと解される。そして,本件条例は,訂正請求があったときは,実施機関が必要な調査をした上,当該請求に係る個人情報の訂正をする旨又はしない旨の決定をしなければならないとしているものの,実施機関に対してそのために必要な調査権限を付与する特段の規定を置いておらず,実施機関の有する対外的な調査権限におのずから限界があることは明らかである。

(2)  前記事実関係等によれば,① 本件レセプトは,国民健康保険法に基づく療養の給付に関する費用を請求するために,診療報酬請求書に添付される明細書として,保険医療機関が自ら行ったとする診療の内容を記載して作成し,連合会に提出したものであること,② 連合会による審査の後に本件レセプトを取得した市は,これに基づき,連合会を通して保険医療機関に対して診療報酬の支払をしていること,③ 市においては,その支払の明細に係る歳入歳出の証拠書類として本件レセプトを保管しているものであること,が認められる。

(3)  上記の事情を踏まえると,保険医療機関が自ら行った診療として本件レセプトに記載した内容が実際のものと異なることを理由として,実施機関が本件レセプトに記録された被上告人の診療に関する情報を誤りのある個人情報であるとして訂正することは,保険医療機関が請求した療養の給付に関する費用の内容等を明らかにするという本件レセプトの文書としての性格に適さないものというべきである。

また,市において,実施機関の収集した個人情報が,当該実施機関内で個人情報を取り扱う事務の目的を達成するために必要な範囲内で利用されるものとして管理されることは,本件条例8条1項の規定に照らして明らかであるところ,本件レセプトについての上記保管目的からすると,本件レセプトに記録された被上告人の診療に関する情報は,本件訂正請求がされた当時,市において被上告人の実際に受けた診療内容を直接明らかにするために管理されていたものとは認められず,被上告人の権利利益に直接係るものということは困難であると考えられる。そして,実施機関が有する個人情報の訂正を行うための対外的な調査権限の内容にもかんがみれば,本件条例は,このような場合にまで,被上告人の実際に受けた診療内容について必要な調査を遂げた上で本件レセプトにおける被上告人の診療に関する情報を訂正することを要請しているとはいい難いと考えられる。

(4) 以上の諸点に照らすと,本件レセプトの被上告人の診療に関する記載を訂正することは,本件条例の定める訂正請求の制度において予定されていないものということができるから,上告人が本件処分をしたことが違法であるということはできない。

5  以上によれば,本件処分が違法であるとしてこれを取り消すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,前記説示によれば,被上告人の請求は理由がないから,第1審判決を取り消し,被上告人の請求を棄却することとする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官滝井繁男の補足意見がある。

裁判官滝井繁男の補足意見は,次のとおりである。

本件レセプトは,保険医療機関が診療報酬請求のため,健康保険法その他関係法令に基づいて自ら診療した治療内容を示すものとして作成し,診療費請求の審査及び費用支払に関する事務を委託された連合会に提出した請求書に添付されたものであって,連合会の審査を経てこれを受領した市は,保険者として保険医療機関に診療報酬を支払った後,報酬額の明細を明らかにするものとして保管しているものである。

本件レセプトの持つ情報の直接的な意味は保険医療機関が記載どおりの医療行為をしたことを理由にして診療報酬の請求をしたという事実であり,診療内容の存否及びその内容を証するものではないのであって,その意味において本件レセプトの記載内容に誤りはないということができるのである。

しかしながら,この情報にはレセプトに記載された個人がそこに記載された内容の医療行為を受けたとの強い推測を生むものがあり,その面では誤った情報となりうる一面をもっており,被上告人が訂正を求めるのもその点にある。

本件条例によれば,このような情報も個人に関する情報を含むものであって,個人が識別されるものであるため,同条例にいう個人情報というべきものである。そして,本件条例は,個人情報に誤りがあると認める者は,実施機関に対しその訂正を請求することができると定めているところ,同条例はこの訂正の意味について格別の規定を置いていないが,その情報に追加し又はこれを削除することを含め当該情報を正確なものに改めることを意味するものと考えられる。

ところで,記録によれば,本件レセプトは保険者から審査等の委託を受けた国民健康保険団体連合会において所要の確認を行いこれを点検し,記載漏れや誤記を発見したときは審査委員会の確認を経て返戻及び増減点通知書に所要事項を記入した後,当該保険医療機関に送付するものとされているにとどまり,保険者は連合会に再度の考案を求め得るものの,その診療内容の記載自体に誤りがあることを理由に当該記載に追加若しくは削除することを予定されていないものである。

また,このようなレセプトの性格に照らせば,その文書に記載された情報に個人について誤った事実を推認させることとなるものが記載されていることを理由に,本件条例が実施機関において文書自体の当該部分を訂正することができることを窺わせる根拠を見いだすことはできないのである。

もっとも,ある文書に個人に関する誤った情報が記載されている場合に,これに付記をするなどその部分を文書自体の訂正をすることなく,それ以外の方法で補正することも考えられないではない。しかしながら,本件文書のように,その記載自体誤りがあるとはいえない文書について,それに含まれている個人情報に誤りを含んでいることを理由に実施機関にその補正を求めるには格別の根拠を要すると解すべきところ,本件条例にはこれができることを窺わせる根拠も見いだし得ないのである。

したがって,本件レセプトに記載された被上告人の診療に関する記載を訂正することを本件条例によって請求することはできず,上告人が本件処分をしたことは違法ということはできない。

しかしながら,前記のとおり,被上告人がレセプトに記載された医療行為を受けていないとすれば,実施機関は個人に関し誤った事実を強く推認させる情報を保有していることになる。そのような個人に関する情報が存在し,またそれが利用される可能性がないとはいえない以上,個人の権利利益の保護及び市政の公平かつ適正な運営という観点からも実施機関はそのことがもたらす弊害をできるだけ除去すべきものである。したがって,実施機関は,個人情報の保護に関し必要な措置を講じる責務を負っている(本件条例3条1項)ことに照らせば,このような情報について被上告人の診療に関する部分の情報の誤りがあることを理由にその訂正を求める請求のあったときは,そのことを当該保有個人情報が記録されている文書に注記するなどしてその後においてその情報が利用されることがあるときには,そのことが分かるように適切な措置をとるなどの運用がなされることが求められるものと考える。

(裁判長裁判官・津野修,裁判官・滝井繁男,裁判官・今井功,裁判官・中川了滋,裁判官・古田佑紀)

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