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最高裁判所第二小法廷 平成15年(許)48号 決定 2004年2月20日

抗告人

Y県

同代表者知事

甲 山 一 郎

同代理人弁護士

田 中 浩 三

田 中 達 也

相手方

X

同代理人弁護士

岩 橋   健

入 江 教 之

主文

原決定を破棄し,原々決定に対する抗告を棄却する。

抗告手続の総費用は相手方の負担とする。

理由

抗告代理人田中達也,同田中浩三の抗告理由(ただし,排除されたものを除く。)について

1  記録によれば,本件は,相手方(原告)が,抗告人外2名を被告として,Y空港拡張事業及び同周辺整備事業に伴う海面埋立てに関し,相手方がY県知事の許可を受けて操業している瀬戸内海機船船びき網漁業(漁業種類パッチ網漁業・許可番号1595号,1596号。以下「本件許可漁業」という。)に対する補償金等の支払を求める本案訴訟(徳島地方裁判所平成14年(ワ)第22号)において,抗告人が所持する原決定の別紙目録記載の文書(以下「本件文書」という。)につき,民訴法220条3号又は4号に基づき,文書提出命令の申立て(以下「本件申立て」という。)をした事件であり,抗告人は,本件文書は,同条3号に該当せず,また,同条4号ロに該当するなどと主張し,提出義務の存在を争っている。

2  原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1)  抗告人は,国の通達に基づく先行漁業補償制度により,自らが先行補償実施機関となって補償交渉に当たり,前記両事業の実施により影響を受けるA漁業協同組合(以下「A漁協」という。)外2漁業協同組合との間で漁業補償交渉を進め,平成12年12月19日,上記各漁業協同組合との間で,それぞれ漁業補償協定を締結した。

(2)  このうち抗告人とA漁協との間で締結された漁業補償協定(以下「本件漁業補償協定」という。)においては,抗告人がA漁協に対して総額6億0128万円の補償金を支払うことが約され,この補償金の中には相手方の本件許可漁業に対する補償分も含まれていた。なお,相手方は,A漁協の組合員中,瀬戸内海機船船びき網漁業(漁業種類パッチ網漁業)の許可を受けている唯一の者である。

(3)  本件文書は,原決定の別紙目録記載(1),(2)の各補償額算定調書の一部(相手方の本件許可漁業に対する補償額欄の部分)であり,具体的には,A漁協に関する消滅補償額計算表,漁労制限補償額計算表,価値減少補償額計算表及び事業損失(影響補償)額計算表中の本件許可漁業の補償額欄の部分である。

(4)  本件文書は,国と抗告人との間の事前協議において,抗告人から旧運輸省第三港湾建設局に提出されたものであり,また,上記関係漁業協同組合との間で行われた補償交渉において,抗告人側の手持ち資料とされたものである。

(5)  地方自治体における漁業補償の交渉の実務においては,漁業協同組合が権利者である共同漁業権等のみならず,漁業者個人が許可を受けている許可漁業についても漁業協同組合が組合員から委任を受けて交渉主体となり,漁業種別ごとの個別の補償内容を明らかにすることなく,総額で補償契約を締結するのが通例であり,抗告人とA漁協との間の本件漁業補償協定も,そのような漁業補償の実務に従って締結されたものである。また,記録によれば,相手方は,上記交渉におけるA漁協側の交渉委員であり,上記の補償交渉の経緯,本件漁業補償協定の趣旨,内容等については十分認識していたことがうかがわれる。

なお,抗告人は,今後も,各種事業について本件と同様の漁業補償交渉を行うことを予定している。

3  原々審は,本件文書は民訴法220条4号ロに該当し,また,たとえ同条3号に該当する文書であっても,公務員の職務上の秘密が記載されている場合には,同号に基づく提出義務を負わない旨判示して,本件申立てを却下したが,原審は,次のとおり判示して,原々決定を取り消し,本件申立てを認容した。

(1)  漁業協同組合と地方自治体との間の漁業補償交渉が,総額で行われるとしても,補償の対象とされるのは,個別の漁業に関する権利,利益であり,その権利,利益の帰属主体に対し補償がされるものであることに変わりはなく,前記補償額算定調書は,その適正な補償額を算定するために作成されたものである。A漁協の組合員のうち,瀬戸内海機船船びき網漁業(漁業種類パッチ網漁業)の許可を受けているのは,相手方のみであるから,同漁業に対する補償がされるとすれば,それは,基本的には相手方を対象としてされるべきものである。したがって,相手方の本件許可漁業に対する補償についての補償協定締結に関する限り,A漁協は,相手方の代理人の地位にあるにとどまる。そして,一般に,代理人によって交渉し,契約の締結をする場合において,代理人及び交渉・契約締結の相手が契約内容を本人に対して秘密にすることを正当化する理由は,原則として存在しないというべきである。仮に,相手方による上記の交渉の委任があり,A漁協が相手方の代理人であったとして,相手方の本件許可漁業に対する補償金額を記載した部分を抗告人が相手方に明らかにしないことを,相手方の代理人であるにすぎないA漁協が期待し,信頼したとしても,そのような期待,信頼が正当なものであるということはできない。

したがって,本件文書が提出されることにより,抗告人とA漁協との間の信頼関係が損なわれるということはできないし,抗告人と近隣の漁業協同組合との信頼関係が損なわれるということもできない。

(2)  また,本件文書の提出が今後の類似の漁業補償交渉に悪影響を及ぼすと一概に断定することはできず,何らかの影響が生ずるとしても,公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるとまでいうことはできない。

(3)  そうすると,本件文書は,民訴法220条4号ロに該当するということはできず,同号イ,ハ,ニ,ホに該当するということもできないから,抗告人は,同号に基づき,本件文書を提出すべき義務がある。

4  しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)  前記の事実関係等によれば,次のような事情が存在する。

(ア)  抗告人とA漁協との間の漁業補償交渉は,A漁協に所属する組合員の全員が被る漁業損失の総額を対象として行われたものであり,その際,抗告人側が漁業種別ごとの個別の補償内容を明らかにすることなく,交渉が進められ,その結果,上記の総額について協議が調い,本件漁業補償協定が締結されたものである。

(イ)  上記交渉においては,A漁協が,その所属する個々の組合員の代理人として組合員ごとの補償額についての交渉を個別的に行ったのではないので,個々の組合員の補償額については,本件漁業補償協定の締結により具体的な金額が確定したものとは理解されていない。

(ウ)  本件文書がその一部である前記補償額算定調書は,抗告人が,上記漁業交渉に臨むに当たって,上記の総額を算定するために,種々のデータ等を基に作成した手持ち資料である。

(エ)  記録によれば,本件文書には,平年漁獲金額,純収益率,純収益,年利率,漁場依存率,被害率,制限期間及び前価率等を抗告人が一定の判断を加えて認定した上で,これらの数値に基づいて算定した補償見積額が記載されている。また,本件文書は,その内容が交渉相手であるA漁協に対しても,明らかにされたことはなかった。

(オ)  抗告人は,上記交渉を円滑に進めるためには,前記漁業補償の実務に従い,A漁協との間で上記の総額について交渉をし,総額についての漁業補償協定を締結した上で,個々の組合員に対する補償額の決定,配分は,各組合員の漁業実績等を熟知しているA漁協の自主的な判断にゆだねる方が相当であると判断し,このような交渉方法によったものである。

(カ)  相手方は,上記交渉におけるA漁協側の交渉委員であり,上記の補償交渉の経緯,本件漁業補償協定の趣旨,内容等については十分認識していた。

(キ)  抗告人は,今後も,各種事業について,本件と同様の漁業補償交渉を行うことを予定している。

(2) 上記の諸点に照らして考えれば,本件文書は,抗告人が,A漁協との漁業補償交渉に臨む際の手持ち資料として作成した前記補償額算定調書の一部であり,交渉の対象となる上記の総額を積算する過程における種々のデータを基に算出された本件許可漁業に係る数値(補償見積額)が記載されたものである。したがって,本件文書は,民訴法220条4号ロ所定の「公務員の職務上の秘密に関する文書」に当たるものというべきである。

また,本件文書が提出され,その内容が明らかになった場合には,抗告人が,各組合員に対する補償額の決定,配分についてはA漁協の自主的な判断にゆだねることを前提とし,そのために,上記の交渉の際にも明らかにされなかった上記の総額を算出する過程の数値(個別の補償見積額)の一部が開示されることにより,本件漁業補償協定に係る上記の前提が崩れ,A漁協による各組合員に対する補償額の決定,配分に著しい支障を生ずるおそれがあり,A漁協との間の信頼関係が失われることとなり,今後,抗告人が他の漁業協同組合との間で,本件と同様の漁業補償交渉を円滑に進める際の著しい支障ともなり得ることが明らかである。

そうすると,本件文書は,同号ロ所定の,その提出により「公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」にも当たるものというべきであるから,結局,本件文書につき,抗告人に対し,同号に基づく提出義務を認めることはできない。

5  また,本件文書が,上記のとおり,公務員の職務上の秘密に関する文書であって,その提出により公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるものに当たると解される以上,民訴法191条,197条1項1号の各規定の趣旨に照らし,抗告人は,本件文書の提出を拒むことができるものというべきであるから,民訴法220条3号に基づく本件申立ても,その理由がないことは明らかである。

6  以上によれば,原審の前記判断には,裁判に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原決定は破棄を免れない。そして,前記説示によれば,相手方の本件申立てを却下した原々決定は正当であるから,これに対する相手方の抗告を棄却することとする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。なお,裁判官滝井繁男の補足意見がある。

裁判官滝井繁男の補足意見は,次のとおりである。

公務員の保管する情報は,本来国民全体の利益のために用いられるべきものであって,実体的真実に基づいて適正な紛争の解決を図るという民事訴訟の目的に照らせば,「公務員の職務上の秘密に関する文書」として提出命令の対象から除外されるのは,当該情報を秘匿することに,上記民事訴訟の目的を犠牲にしてもなお守らなければならない社会的価値がある場合でなければならない。

公共事業に基づく損失の補償に関して作成された文書は,もともと損失補償交渉が適正な損失額についての双方の主張を基にして行わなければならないものであるから,それが公務員の保管する情報であっても,できる限りこれを開示して行われるべきものである。そうすると,当該情報が記載された文書が手持ち資料であるということだけから,当該情報が当然に職務上の秘密となるものではなく,職務上の秘密に当たる情報というためには,それを開示すれば,そのことがその後の公務の民主的能率的な運営を阻害すると考えられる実質的な内容を含むものでなければならないと解すべきである。

ところで,本件補償額算定調書は,損失の補償に関して作成された文書であるが,抗告人がA漁協に所属する組合員全員の被る漁業損失の補償を各個の補償内容を明らかにすることなく,A漁協との間で一括して交渉し,総額で合意した上で,それをA漁協の自主的な判断で組合員に配分する方式の交渉を行うこととなったことから,抗告人がその交渉のために必要なものとして作成したものである。

本件で採られたこのような漁協との間の総額補償交渉は,個々の組合員の被る損失額を算出し,組合員に対する個々の損失補償額を確定し,それを積み上げてその総額を算出して行うのではなく,その積算過程を明らかにしないまま,全体としての損失について一括して合意しようとするものであることから,本件文書に記載された個別の数値には,法廷意見が指摘するとおり,交渉を円滑にさせるために抗告人において合理的と考えた一定の評価,判断が加えられているのである。すなわち,そこに記載された数値は,個々の損失補償額についての抗告人の認識を示したものというよりは,交渉を成立させるために相当と考えた抗告人の一定の評価,判断が加えられたものが含まれているのである。

このように抗告人が一括交渉を成立させるために一定の評価,判断を加えた数値を記載した文書が開示された場合には,後日,漁協において行われる各組合員に対する補償金の配分は,抗告人が一定の評価,判断を加えた数値によってではなく,各組合員の過去の漁獲実績等によって行われるものであることからすると,本件文書に記載された上記数値の評価をめぐって意見の対立が生ずることは見易い道理であって,漁協の補償金の配分作業に著しい支障をもたらすことになるといわなければならない。そうだとすると,このような文書を開示することは,個々の組合員の損失補償額を明らかにしないまま,漁協との間で総額で損失補償額についての合意をした上で,それを漁協が自主的に配分するという,従来,抗告人において採ってきた方式による補償交渉業務を著しく困難にするものといわなければならない。このような補償交渉の方式が関係者にとって合理的なものとして抗告人において広く行っており,今後も行うというのであるから,このような一括損失補償の交渉のために作られた本件文書は,それが開示されれば今後のこの種の補償交渉の能率的運営を阻害することとなることは明らかであって,「公務員の職務上の秘密に関する文書」に該当するものといわなければならない。

(裁判長裁判官 北川弘治、裁判官 福田 博、裁判官 亀山継夫、裁判官・滝井繁男)

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