最高裁判所第二小法廷 平成17年(あ)947号 決定 2008年3月03日
主文
本件上告を棄却する。
理由
第1上告趣意に対する判断
弁護人神宮壽雄ほかの上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は事実誤認,単なる法令違反の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認,単なる法令違反の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
第2職権判断
所論にかんがみ,業務上過失致死罪の成否について,職権で判断する。
1 本件の事実関係
原判決及びその是認する第1審判決の認定によると,本件の事実関係は次のとおりである。
(1) 被告人の地位
被告人は,昭和59年7月16日から昭和61年6月29日までの間,公衆衛生の向上及び増進を図ることなどを任務とする厚生省の薬務局生物製剤課長として,同課所管に係る生物学的製剤の製造業・輸入販売業の許可,製造・輸入の承認,検定及び検査等に関する事務全般を統括していた者であり,血液製剤等の生物学的製剤の安全性を確保し,その使用に伴う公衆に対する危害の発生を未然に防止すべき立場にあった。
(2) 薬務行政に関する法令上の規定
厚生省薬務局における医薬品等に関する行政事務の遂行は,薬務行政と称され,その基本法として薬事法が存在していた。同法については,サリドマイド事件,スモン事件等のいわゆる薬害事件の発生を教訓として,昭和54年10月1日に公布された薬事法の一部を改正する法律(昭和54年法律第56号)により,医薬品の使用による被害発生を未然に防止するとの観点からの改正が行われた。同改正後の薬事法(被告人が生物製剤課長に在任していた当時のもの。以下同じ。)には,医薬品の品質,有効性及び安全性を確保するための諸規定が置かれ,厚生大臣には,同法74条の2第1項の承認取消し等を前提とする同法70条の回収命令の権限,同法69条の2の緊急命令の権限等が与えられていた。
(3) 血友病及び血友病治療用製剤
血友病は,人体の血液凝固因子のうち第Ⅷ因子又は第Ⅸ因子の先天的欠乏又は活性の低下のため,出血が止まりにくい症状を呈する遺伝性疾患であり,第Ⅷ因子の先天的欠乏等によるものを血友病A,第Ⅸ因子の先天的欠乏等によるものを血友病Bという。血友病には根治療法は存在せず,患者に対しその欠乏する血液凝固因子を補充するいわゆる補充療法が行われるところ,その治療用血液製剤として,血液中の血液凝固第Ⅷ因子又は同第Ⅸ因子を抽出精製した濃縮血液凝固因子製剤が開発され,血友病A患者については濃縮血液凝固第Ⅷ因子製剤(以下「第Ⅷ因子製剤」という。)が,血友病B患者については濃縮血液凝固第Ⅸ因子製剤(以下「第Ⅸ因子製剤」という。)がそれぞれ使用されるようになり,我が国の医療施設でも,かねてより厚生大臣の承認を受けて製造又は輸入された米国等の外国での採取に係る人血液の血しょうを原料とする外国由来の非加熱第Ⅷ因子製剤及び非加熱第Ⅸ因子製剤が,血友病患者に投与されていた。また,非加熱第Ⅸ因子製剤は,その承認事項である「効能又は効果」が「血液凝固第Ⅸ因子欠乏症」などとされ,先天性のみならず,後天性の欠乏症にも適応があるとされており,特に,肝機能障害患者については,肝臓で産生される血液凝固因子が減少して出血しやすいことから,手術等に際して同製剤を投与することが広く行われていた。
(4) 被害者の死亡
ミドリ十字株式会社(以下「ミドリ十字」という。)は,米国から輸入した血しょうと国内血しょうとの混合血しょうを原料とした非加熱第Ⅸ因子製剤であるクリスマシンを製造販売していたものであるが,昭和61年1月13日から同年2月10日までの間,商事会社に対して,上記クリスマシン合計160本を販売し,同商事会社は,同年3月27日及び同月29日,大阪医科大学附属病院に対し,これらのうち合計7本を販売した。同病院医師は,同年4月1日から同月3日までの間,同病院において,肝機能障害に伴う食道静脈りゅうの硬化術を受けた患者(以下「被害者」という。)に対し,そのうちの合計3本(合計1200単位)を投与して,そのころ,被害者をヒト免疫不全ウイルス(以下「HIV」という。)に感染させ,その結果,被害者は,平成5年9月ころまでに後天性免疫不全症候群(以下「エイズ」という。)の症状である抗酸菌感染症等を発症して,平成7年12月,同病院において死亡した。
(5) 結果予見可能性及び結果回避可能性に関する事実
ア 昭和57年に米国において予後不良の新たな疾患として定義されたエイズの患者が同国において増加の一途をたどり,血友病患者におけるエイズ発症例も増加するとともに,その後のエイズの本態に関するウイルス学的研究等の進展により,エイズが血液等を媒介とするHIVの感染による疾病であり,血友病患者のエイズり患の原因が従来の血液製剤の投与にあると考えられることなどの知見が医学界に広く受け入れられるようになった。そして,我が国においても,血友病患者中のHIV感染者の割合が相当の高率に及んでいることが知られるようになるとともに,昭和60年3月21日には帝京大学病院の血友病患者からエイズ患者2名が発生した等の新聞報道がされ,厚生省保健医療局感染症対策課が運営するAIDS調査検討委員会においても,昭和60年5月30日には血友病患者3名(うち2名は帝京大学病院の上記患者)が,同年7月10日には血友病患者2名が,それぞれエイズ患者と認定され,うち4名は既に死亡しているという事態が生じていた。
イ 米国立衛生研究所及び米国防疫センターと国連世界保健機関(WHO)とが共同で企画したエイズに関する国際研究会議が,昭和60年4月15日から同月17日まで米国ジョージア州アトランタ市で開催され,日本からは厚生省AIDS調査検討委員会会長塩川優一医師,同省エイズ診断基準小委員会委員長栗村敬医師,国立予防衛生研究所外来性ウイルス室長北村敬医師が出席した。そして,同会議直後の同月19日,WHOは,加盟各国に対し,血友病患者に使用する血液凝固因子製剤に関しては,加熱その他,ウイルスを殺す処置の施された製剤を使用するよう勧告し,同勧告を紹介した上記北村医師執筆に係る報告記事が,「日本医事新報」誌同年6月8日号に掲載された。また,同年11月,当時の厚生省薬務局長は,国会答弁で繰り返し「加熱第Ⅸ因子製剤についても大急ぎで優先審査していること,年内には承認に至ること,そうなれば血友病患者に使用する血液凝固因子製剤はまず安全であること」等の認識にあることを表明していた。さらに,同年12月19日の中央薬事審議会血液製剤特別部会血液製剤調査会(第8回)において,委員の間から,「加熱製剤が承認されたときには,非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきである」旨の意見が出されて,座長の要望により,調査会議事録にその旨の記載がされ,同月26日の血液製剤特別部会(第4回)においても,委員から同旨の意見が出され,厚生省の係官によって,議事録には「血液凝固因子については,加熱処理製剤を優先的に審査し,承認していることから,非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり,また非加熱製剤のみの承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである」旨の意見としてまとめられ,被告人にも,各議事録は供覧されていた。
ウ 被告人は,昭和60年3月下旬ないし同年4月初めころ,生物製剤課長として,HIV不活化効果が報告され,当時臨床試験が行われていた加熱第Ⅷ因子製剤の早期承認を図る方針を示し,その結果,同年7月には製薬会社5社の加熱第Ⅷ因子製剤が承認された。さらに,被告人が,同月,生物製剤課長として,加熱第Ⅸ因子製剤についても,その承認を急ぐ方針を示した結果,同年12月,カッター・ジャパン株式会社(以下「カッター」という。)及びミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤が輸入承認され,昭和61年1月までにはこの2社による同製剤の販売が開始された。加えて,その当時,非加熱第Ⅸ因子製剤中には,HIVが混入していないとされていた我が国の国内で採取された血しょうのみを原料とするもの及びHIV不活化効果が報告されていたエタノール処理がなされたものが存在していた(以下,加熱第Ⅸ因子製剤及びこれら非加熱第Ⅸ因子製剤の3者を総称して「本件加熱製剤等」といい,それ以外の非加熱第Ⅸ因子製剤を「本件非加熱製剤」という。)。したがって,加熱第Ⅸ因子製剤の供給が開始されるようになってからは,血液凝固第Ⅸ因子の補充のためには本件加熱製剤等の投与で対処することが,我が国全体の供給量の面からも可能になっており,また,カッター及びミドリ十字においても,それぞれ従前の非加熱第Ⅸ因子製剤の販売量を上回る量の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能であった。しかも,肝機能障害患者等に対する止血のためには,第Ⅸ因子製剤の投与以外の手段による治療で対処することも可能であった。
2 第1審判決及び原判決が認定した被告人の過失
前記1(5)ア,イのような事情によれば,被告人は,昭和60年末ころまでには,我が国医療施設で使用されてきた本件非加熱製剤の投与を今後もなお継続させることによって,その投与を受けるHIV未感染の患者をしてHIVに感染させた上,エイズを発症させて死亡させるおそれがあることを予見することができ,同ウのような事情は,被告人も現に認識していたか又は容易に認識することが可能なものであった。したがって,被告人には,カッター及びミドリ十字の2社の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能となった時点において,自ら立案し必要があれば厚生省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして,上記2社をして,非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止させるとともに,自社の加熱第Ⅸ因子製剤と置き換える形で出庫済みの未使用非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させ,さらに,第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師をして,本件非加熱製剤の不要不急の投与を控えさせる措置を講ずることにより,本件非加熱製剤の投与によるHIV感染及びこれに起因するエイズ発症・死亡を極力防止すべき業務上の注意義務があった。しかるに,被告人は,この義務を怠り,本件非加熱製剤の取扱いを製薬会社等に任せてその販売・投与等を漫然放任した過失により,前記1(4)のとおり被害者を死亡させた。
3 当裁判所の判断
所論は,要旨,行政指導は,その性質上,任意の措置を促す事実上の措置であって,公務員がこれを義務付けられるものではないこと,薬品による被害の発生の防止は,第一次的にはこれを販売する製薬会社や処方する医師の責任であり,厚生省は,第二次的,後見的な立場にあるものであって,その権限の発動は,法律に定める要件に従って行わなければならず,また,民事的な国の損害賠償責任ではなく,公務員個人の刑事責任を問うためには,法律上の監督権限の発動が許容される場合であるなど,強度の作為義務が認められることが必要なところ,本件においては,そのような要件が充足されていないこと,本件において発動すべき薬事法上の監督権限の行使は生物製剤課の所管に属するものではないことなどを挙げて,被告人には,刑事法上の過失を認めるべき作為義務が存在しないと主張する。
確かに,行政指導自体は任意の措置を促す事実上の措置であって,これを行うことが法的に義務付けられるとはいえず,また,薬害発生の防止は,第一次的には製薬会社や医師の責任であり,国の監督権限は,第二次的,後見的なものであって,その発動については,公権力による介入であることから種々の要素を考慮して行う必要があることなどからすれば,これらの措置に関する不作為が公務員の服務上の責任や国の賠償責任を生じさせる場合があるとしても,これを超えて公務員に個人としての刑事法上の責任を直ちに生じさせるものではないというべきである。
しかしながら,前記事実関係によれば,本件非加熱製剤は,当時広範に使用されていたところ,同製剤中にはHIVに汚染されていたものが相当量含まれており,医学的には未解明の部分があったとしても,これを使用した場合,HIVに感染してエイズを発症する者が現に出現し,かつ,いったんエイズを発症すると,有効な治療の方法がなく,多数の者が高度のがい然性をもって死に至ること自体はほぼ必然的なものとして予測されたこと,当時は同製剤の危険性についての認識が関係者に必ずしも共有されていたとはいえず,かつ,医師及び患者が同製剤を使用する場合,これがHIVに汚染されたものかどうか見分けることも不可能であって,医師や患者においてHIV感染の結果を回避することは期待できなかったこと,同製剤は,国によって承認が与えられていたものであるところ,その危険性にかんがみれば,本来その販売,使用が中止され,又は,少なくとも,医療上やむを得ない場合以外は,使用が控えられるべきものであるにもかかわらず,国が明確な方針を示さなければ,引き続き,安易な,あるいはこれに乗じた販売や使用が行われるおそれがあり,それまでの経緯に照らしても,その取扱いを製薬会社等にゆだねれば,そのおそれが現実化する具体的な危険が存在していたことなどが認められる。
このような状況の下では,薬品による危害発生を防止するため,薬事法69条の2の緊急命令など,厚生大臣が薬事法上付与された各種の強制的な監督権限を行使することが許容される前提となるべき重大な危険の存在が認められ,薬務行政上,その防止のために必要かつ十分な措置を採るべき具体的義務が生じたといえるのみならず,刑事法上も,本件非加熱製剤の製造,使用や安全確保に係る薬務行政を担当する者には,社会生活上,薬品による危害発生の防止の業務に従事する者としての注意義務が生じたものというべきである。
そして,防止措置の中には,必ずしも法律上の強制監督措置だけではなく,任意の措置を促すことで防止の目的を達成することが合理的に期待できるときは,これを行政指導というかどうかはともかく,そのような措置も含まれるというべきであり,本件においては,厚生大臣が監督権限を有する製薬会社等に対する措置であることからすれば,そのような措置も防止措置として合理性を有するものと認められる。
被告人は,エイズとの関連が問題となった本件非加熱製剤が,被告人が課長である生物製剤課の所管に係る血液製剤であることから,厚生省における同製剤に係るエイズ対策に関して中心的な立場にあったものであり,厚生大臣を補佐して,薬品による危害の防止という薬務行政を一体的に遂行すべき立場にあったのであるから,被告人には,必要に応じて他の部局等と協議して所要の措置を採ることを促すことを含め,薬務行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったことも明らかであり,かつ,原判断指摘のような措置を採ることを不可能又は困難とするような重大な法律上又は事実上の支障も認められないのであって,本件被害者の死亡について専ら被告人の責任に帰すべきものでないことはもとよりとしても,被告人においてその責任を免れるものではない。
以上と同旨の原判断は,正当なものとして是認できる。
よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 古田佑紀 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 中川了滋)
弁護人神宮壽雄ほかの上告趣意
第1 基本的視点
1 本件立件の背景
(1) 血友病患者の補充療法にとって不可欠である濃縮凝固第Ⅷ、第Ⅸ因子製剤にエイズ原因ウイルスが混入して、多くの血友病患者等にエイズ原因ウイルスが感染し、血友病患者等が亡くなるに至った事故(以下、「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」という。)の被害者の救済については、被害の実態が判明するに至った平成元年頃から、国、製薬会社を被告として、逐次、民事の損害賠償請求訴訟が提起されるに至った。
平成7年10月には、この民事訴訟事件を扱っていた東京地方裁判所、大阪地方裁判所の各担当部から「所見」が出され、それを基礎に患者側、製薬会社側、国側で和解交渉が行われ、平成8年3月に、裁判上の和解が成立した。
この和解に至るまでの間、マスコミ、ジャーナリストらにより真相究明と称して、多くの論評が出された。
また、当時の菅直人厚生大臣の下、エイズに関する調査プロジェクトチームが結成され、厚生省手持ち資料の開示が行われた。更にそれらを受け、国会でも関係者らに対する参考人招致、証人喚問が行われた。
平成8年3月の和解成立直前には、エイズ原因ウイルスに感染した血友病患者らによる厚生省前での「座り込み」、一部患者の「実名公表」等が行われ、「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」の責任追及についての運動及びそれを巡る報道は、最高潮に達していた。
(2) このような社会的潮流の中、被害者らの民事的救済に止まらず、関係者の刑事責任追及も声高に叫ばれ、製薬会社については、「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」当時のミドリ十字の歴代3社長、医師については、血友病の権威とされ、エイズ研究班の班長であった安部英医師、そして、厚生省関係者としては、被告人がそのターゲットとされ、被告人については、平成8年10月4日に逮捕され、平成8年10月25日、業務上過失致死罪にて起訴されるに至った。
安部医師については、平成6年4月に告発がなされていたものの、実際に立件に至ったのは、この平成8年になってからのことであったし、被告人の立件に至っては、訴因第1の事実については平成8年10月7日、訴因第2の事実については平成8年9月19日になって、検察官から促されて告訴がなされたような実態の中で捜査が行われた。
このように、検察官は、社会運動の潮流に乗る形で、被告人を立件するに至ったものである。本件起訴にかかる案件のうち、訴因(公訴)第1の事実については、第一審、原審でも無罪とされ、それにつき、検察官が上告しなかったことによってもわかるとおり、起訴の対象とされた案件は、いずれも、時流にまかせて、無理に無理を重ねて、政略的観点も視野に入れて立件に至ったものである。
(3) さらに、これら社会的潮流、世論の中で形成された本件事故に関する誤った認識、知識が本件に関与した裁判官に無意識的に影響を与えていると思われる。即ち、この社会的潮流を支えていたおびただしい量に上る論評は、本件事故当時の知見に基づき、本件事故当時何ができたのか、ということを冷静に分析するのではなく、論評をする時点での被害の実態・エイズ原因ウイルスに関する知見を基に、なぜ被害が起こったのか、そして、その責任者は誰かということを主観的に振り返って論じ、そのように仕立て上げた責任者につき、ややもすると「魔女狩り」のように糾弾するというものであった。そして、そこでの論調、エイズ原因ウイルス・非加熱製剤に関する知識がその後の世論の基調となっていった。本件に関与した裁判官もまた、多かれ少なかれ、こうした論調、知識の影響下に置かれていったとしてもなんら不思議ではない。
訴因第2の事実にかかる事故当時、「被告人にとって裁量の余地のないほどに非加熱製剤につきエイズ原因ウイルス感染に対して切迫した危険な状態にあった」ということが、原判決、第一審判決においては既定の事実として大前提とされ、それを基礎として諸種の法律構成がなされている。しかし、証拠を吟味すれば、訴因第2の事実当時、「被告人にとって裁量の余地のないほどに非加熱製剤につきエイズ原因ウイルス感染に対して切迫した危険な状態にあった」という事実の認定はできないものであって、これもまた、責任者に対する責任糾弾の過程で作られた虚構に過ぎない。原判決、第一審判決ともに、意図せずしてかあるいは意図的にこの虚構に依拠して法律構成をしているものである。
昭和36年6月に、小児マヒ患者の急増を背景に、生ポリオワクチンの緊急輸入という超法規的措置がとられたことがある。これは、昭和35年に続き昭和36年にも数千人の単位で小児マヒの患者及びそれによる数百人単位の死者が出て、ウイルス不活ワクチンより効果が高いとされた、日本では未承認の生ポリオワクチンを輸入すべしとの世論が形成され、厚生省に陳情が続き(この陳情たるや、厚生省の担当局長2名を3時間半にわたり缶詰にするといった苛烈なものであった)、最終的に厚生大臣が昭和36年6月に至り、政治的判断をして、ソ連等から生ポリオワクチン1300万人分の緊急輸入措置に踏み切ったというものである(このときの詳しい経緯については、本上告趣意書第9で後述する)。
このときの事情は、本件と異なり、生ポリオワクチンの緊急輸入という一義的な方向で、世論が大きく形成され、専門家の意見も踏まえて、厚生省のトップである厚生大臣が決断をするにいたったというものであった。一方、本件においては、平成8年の血友病患者に関する民事訴訟の和解時点に社会的認識が大きく高まり責任追及の声が高まったものの、被告人の行為が問題となっている昭和60年当時には、厚生省に対し一義的かつ超法規的ともいえる措置をとることが迫られるような事態は現出していなかった。(そもそも、ある一定の時間をかけながら進んでいた行政措置につき、突然、超法規的ともいえる措置を一課長が決断しなければならないなどという事態が現出することは、官庁の組織から考えてありえない。)それにもかかわらず、平成8年の本件起訴当時の社会的関心の高まりを昭和60年当時に重ね合わせて、昭和60年当時から超法規的ともいえる措置がとられなければならないような事態となっていたとの虚構がいつしか形成され、それがそのまま、原判決にも影響しているのである。
上告審における判断に当たっては、必ずしも科学的とはいえない論評及びそれら論評により無意識のうちに形成された観念に惑わされることなく、冷静・慎重・客観的な法的判断がなされることを望むものである。
2 民事訴訟と刑事事件
(1) 四大公害訴訟をはじめとして、多数の被害者が出た業務上の事故、事件についての民事損害賠償請求訴訟に関しては、被害者の救済を至上目的として、過失の要件、因果関係の要件等を大幅に緩和して、損害賠償請求を広く認容していく傾向がみられる。
被害者を救済するべきだとの結論を出そうと考えれば、過失要件等を度外視して、レトロスペクティプ(後視的)な見方、即ち、後知恵で過失を認定し、損害賠償義務を認めようとするのである。本来は、国家補償的な観点からしか認められないような損害填補を、無理矢理、過失責任に置き換えて賠償責任を認めているのが、この種案件についての民事損害賠償責任の実態である。
「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」の民事訴訟における東京地方裁判所、大阪地方裁判所の各民事担当部における「所見」も基本的には、被害者救済を至上命題として上記傾向の延長線上で出されたものである。検察官の起訴も、前記裁判所による「所見」と無関係ではなかったと考えられる。
(2)ア 近年の大規模な過失事故についての民事損害賠償請求訴訟では、被害者救済至上主義に基づき、要件を大幅に緩和して、「過失責任」というよりも国家補償的責任を認める傾向が続いており、そもそも、民法の解釈としても許容できるものではないが、それを措いても、刑事の責任追及は応報の観点から為されるもので、被害者の救済を重視する民事訴訟における損害賠償請求とは異なるものである。従って、刑事判断をするにあたり、民事の過失要件緩和傾向に安易に追随すべきではない。
イ 更に、民事の責任追及と刑事の責任追及ではその手法が異なる。
即ち、民事における損害賠償責任は、個々人ではなく、組織全体としての過失が問題とされ、それが認められれば損害賠償責任は認容される。被告人が属していた官庁の関係でみてみれば、横の関係での各局・各課・各係、上下の関係における大臣・局長・課長・課長補佐・係長・係員、そして、時系列的変動をも視野に入れて前任者・後任者の責任も含め、官庁組織を包括しての過失の有無という観点から、賠償責任の可否が決せられることとなる。
一方、刑事責任においては、組織全体に対する責任が追及されるのではなく、組織を構成する個々人に対する責任の追及という形で行われる。実際、本件においても、厚生省の職員の中で、唯一、被告人のみの責任が追及されている。
上記のような構造であるから、仮に、民事で国(厚生省)に対する損害賠償責任が認容されたとしても、それを構成する個人一人一人の過失が認定されたわけではなく、個人に対する責任追及である刑事事件での責任と直結するものではない。
(3) そもそも、刑事事件に関しては、「刑法の謙抑性」から考えて、業務上過失致死責任を問うにあたっても、厳格な解釈が維持されるべきものである。
被害者の救済という観点から要件緩和傾向にある民事の責任追及と応報刑を求める刑事事件における責任追及は、別異に考えるべきであり、結果的に多くの被害者が出たからといって、この原則をないがしろにして刑事責任を安易に認めて良いということにつながるものではない。
民事責任の追及と刑事責任の追及は、厳格に区別されるべきである。
3 真相解明と刑事事件
(1) 「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」をめぐっては、刑事事件として立件されたことを以って、真相解明のために有意義であったとし、刑事事件とされたことを評価する見解がある。しかし、これと被告人が有罪とされることとは関係ないし、刑事事件化されたことによって、真相解明が進んだといえるかについても甚だ疑問がある。
(2) 「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」のうちの、極一部につき、刑事立件がなされ、それに基づき強制捜査がなされたことによって、製薬会社、厚生省、医学者・医師らのもとにあった関連資料が押収され、また、検察官の取調べの過程で取調べを受けた者らから資料が任意提出され、検察官の許に資料が集積されて、それらの資料のうちの一部が被告人の刑事立件の書証として証拠請求された。通常の任意的手段において今まで公にされることのなかった資料が刑事手続において提出されるに至り、その限りにおいて、新たな事実の発見につながった一面はある。しかし、証拠の強制的収集及び証拠の選択・提出権限が検察官に独占されている現状の刑事訴訟法下においては、検察官が自己の立件のために有利と考えた証拠のみが証拠請求され、法廷に提出されたにすぎない。検察官が自己の立件に都合のよい資料を以って、証拠請求をしてくれば、基本的には、それら資料しか法廷には顕出されない。つまり、検察官の手許に留保されている非開示証拠の中にこそ、真実が眠っている可能性があるのである。
現に、訴因第1の事実については、第一審、原審を通じて、検察官独自の見解による立件であったことがわかったものであり、かつ、その捜査の過程で、検察官による強引な取調べが行われ、真実と異なる供述等が多くなされていたことが、判決により確定している。検察官は、書証についても、これら自己の描いた筋書きどおりのものしか提出していないのである。今回、上告の対象となった訴因第2の事実についても、この無罪が確定された案件と同様の一連の捜査手法がとられていたものであり、検察官によって収集された全ての証拠の開示がなされていない以上、検察官手持ちの資料中に、なお、真実が隠されている可能性が大いにある。第一審段階で、弁護人が証拠開示請求を行ったにもかかわらず、依然、多くの証拠が検察官から開示されないまま、第一審判決、原判決がなされるに至っている。即ち、強制捜査が行われたからといって、直ちに真実が解明される保証はないのである。
従って、現行の刑事訴訟法上の証拠法則及び本件に関する検察官の捜査状況に鑑みると、「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」につき刑事立件されたことにより、民事的手法では果たせなかった真相解明が果たせるに至ったとは言い難い。
4 再発防止と刑事事件
(1) 「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」につき、被告人が有罪とされたことにより、この種案件の再発防止に資しているとして、本件訴因第2の事実の有罪の結果を是とする論評が巷間で見られる。
しかし、これも、正鵠を射てはいない。
(2) 本件の訴因第2の事実は、有機的一体として行為している厚生省の行政官のうち、生物製剤課長であった被告人一人が狙いうちにされて立件され、検察官の主張するところに裁判所が安易に与して有罪判決が下されるに至ったものである。
本件に関係していた当事者が多数存在していた中、この公判を維持するため、被告人のみが注意義務を怠っていたとの虚構が作り上げられて、本件2件は立件され、うち一部は無罪、一部は有罪とされたものである。しかし、その立件過程において、事故が起こるに至る経緯が、被告人一人に責任を帰せしめようとするあまり、矮小化されていて、全体の構図が明らかにされていない。即ち、検察官は、いろいろな事実が連鎖して、結果が惹起された「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」の極一部の事象を、殊更に切り出した上、当時の関係者のうち、被告人1人が「黒」であり、他は「白」であったとして、真実とは異なる供述調書及びそれを一見裏付けるかのような一部取捨選択された証拠を以って立件し、裁判所は、これに拠って、法律要件分析も十分になさぬまま、既定の事実であるかのように有罪との法令の適用をなしているにすぎない。
この検察官による責任追及の仕方及びそれを追認した原判決から導き出されるのは「被告人一人が注意を払ってさえいれば本件は回避できた」とのことであり、この種案件の再発防止策たりえない結論でしかない。このような全体の構図に目をつぶるような責任追及、有罪認定の仕方を以ってしては、むしろ、この種案件は必ず再発するとしかいいようがない。
(3) 本件が立件され、被告人が有罪となってから、行政官による規制権限の行使が神経質に行われるようになり、事態が改善されたとの評価があるかもしれない。しかし、これは、正に本件が矮小化されて立件され、それが追認されたことによって導き出された、誤った再発防止策の発露といわざるをえない。
例えば、日本で異型クロイツフェルトヤコブ病の患者が出たとの報告がなされて間もなくして、厚生労働省、日本赤十字社では、昭和55年~平成8年にかけて、英国、フランスに一日でも滞在した者の献血を受け付けないという、ともすると「ヒステリック」ともとれる方針を打ち出した。この方針の影響を受け、平成17年4月初旬頃には、輸血用血液が関東地方で適正在庫の7割を切り、全国でも8割になったとの報道がなされている。輸血用血液の不足はその供給を受けられない多くの者を死の危険に曝すものである。一方、異型クロイツフェルトヤコブ病の患者から血液を介しての感染の生じる可能性はほとんどありえないとのことである。
結局、上記献血にあたっての方針は、本件で真の意味での再発防止策が示されていないため、単に保身的に規制権限の行使をしさえすれば、目先の刑事立件を免れ、一方、輸血を受けられず死に至る潜在的な危険を減少させなければならないという大局を考慮しなくとも、それを以って良しとするとの「学習」が関係者によってなされたにすぎないことを示すものである。原判決からは、大局的見地からの危機対応、再発防止策を以って行為することの必要性が示唆されていないのである。
即ち、本件訴因第2の事実について、被告人が有罪とされたことにより、この種案件の再発防止に資することとはなっていない。
5 本件でも刑事事件についての諸原則が守られるべきこと
多くの被害者が出た業務上の事故、事件に関しては、その結果の重大性に鑑みてか、真相解明、再発防止等と称して、ややもすると政略的観点も踏まえ、業務上過失致死罪の刑責を広く認めていこうとする傾向が見られる。
しかし、そのような政略的観点からの有罪の緩和的解釈をすることが、真相解明、再発防止とは無縁のものであり、むしろ、それに逆行する効果をもたらすものであること、前述のとおりである。
本件は、そもそも、必ずしも科学的根拠に基づいたとはいえない、社会的潮流に乗る形で検察官が立件をし、裁判所は、うち一件については、冷静な判断をしたものの、なお、残りの1件、即ち、訴因第2の事実については、その社会的潮流からの呪縛をほどききれずに、安易に検察官の申し立てたことを追認してしまったものである。
厳格な刑事事件の認定によってこそ、むしろ、真実は導き出され、そこから真の再発防止策は導き出されるものである。
「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」により、多くの血友病患者らがエイズ原因ウイルスに感染し、生命を落とさなければならなかったということは、誠にいたましい出来事であり、今後、このような事故が少しでも起こらないよう人知を傾けるべきであること、被告人も、弁護人も異論はない。
しかし、「濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入事故」の根本の原因は、エイズ原因ウイルスという未知のウイルスに起因するものであり、その被害を回避することは、人知を超えるものであったものと思われる。それが証拠には、米国、フランス、ドイツ、英国といった国々でも、日本以上の被害が起こっているのである。ウイルスによりもたらされた被害を人の力を以ってして克服することを、当然のこととして、そこから惹起された被害の責任を全て人に帰せしめようというのは、自然の力・科学を軽視した驕った考え方である。多くの開明の人知を以ってしても結果を回避できない事象も存在する筈であるし、例え、結果的にみて回避できる手法があったとしても、その責任の全てを、個人に対する刑事責任を以って論ずるというのも誤った考え方である。人間の限界性、刑法の限界性が考慮されるべきである。それによってこそ、むしろ、真実の解明、再発防止策の構築が図られるものと弁護人は確信している。
6 行政官の不作為の過失責任を安易に認めたものであること
(1) 本件は、裁量的行政行為を行う立場にある行政官の不作為に業務上過失致死罪を認めたリーディングケースであるとされている。しかし、原判決は不作為の作為義務を認定するにあたっても十分な法的検討も加えず、主管課の担当者でもない行政官に、その前提となるべき行政処分について具体的法律の根拠を持たない行政指導をすることという作為義務を課しているものであり、過失犯と不作為犯という二つの「開かれた構成要件」が連接された案件にこのように安易に業務上過失致死罪の刑責を認めることは、今後、この種案件の刑事責任を無限に認めることにつながるものであって、憲法で保障された罪刑法定主義に反するもので許されるものではない。
原判決は、被告人に対し、自ら立案し必要があれば厚生省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていた株式会社ミドリ十字(以下「ミドリ十字」という。)、カッター・ジャパン株式会社(以下「カッター」という。)の2社に対し、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導を行なうとともに、本件非加熱製剤を製造販売していたミドリ十字、カッター、日本臓器株式会社(以下、「日臓」という。)の3社の第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師に向けて、ドクターレター等を発するよう行政指導する旨の作為義務を課しており、被告人はこれを怠ったとして不作為の過失責任が認定されている。
しかし、かかる作為義務の策定は、狙い撃ちした行政官の誰をも有罪とすることができるという、罪刑法定主義をないがしろにした極めて問題のあるものといわざるを得ない。
即ち、上記立論は、
① 権限なき部署の課長に作為義務を認めるもので、法に基づく行政の原則に反するものであること
② 権限なき課の課長に、権限ある課の関係者に働きかけなかったことを以って犯罪とするものであって、無限に処罰の範囲を広げる恐れのあるものであること
③ 行政指導の前提となるべき規制的行政処分について法律の具体的要件の充足性も問題にせずに、規制権限を行使しなかった、それも行政指導をしなかったという責任を問うているものであること
④ 同じ非加熱製剤を販売している会社のうち、2社(カッター、ミドリ十字)に対しては回収を行政指導し、1社(日臓)に対しては回収を前提としない行政指導をするというもので、同じ製剤を製造・販売している製薬会社各社の間で、行政指導の中身を変えるという、公平性を欠く行政指導をすることを、作為義務の内容として策定していること
等、原判決の定立した作為義務は、あまりにも、処罰の範囲を拡大させたものであり、また、場当たり的なものである。このような認定を以って、行政官の不作為に刑事責任を問うたリーディングケースであるとして手放しで評価するには、きわめて問題のある判決といわざるを得ないものである。
(2) また、国家賠償法では、行政官個人の民事賠償責任につき、故意又は重過失によるもの以外、その責任を認めていないところ、仮に原判決の認定した事実によったとしても、かかる事実に基づき被告人に責任を認めることは、行政官の通常の過失行為に刑事責任を認めるもので、法秩序全体の統一性の観点から見ても許されるものではない。
(3) 本件の検察官の公訴事実は、加熱第Ⅸ因子製剤承認後は、非加熱第Ⅸ因子製剤の一律回収を命令せよ、というものであるのに対し、第一審判決、原判決の「罪となる事実」での認定は、加熱第Ⅸ因子製剤の承認が認められた会社の非加熱第Ⅸ因子製剤在庫の「置き換え回収」の行政指導等をせよ、というものである。検察官、裁判官もともに事後的に各種資料を集積して、当時どのように行為すべきだったかを判断した末に、なお、異なる作為義務が導き出されているものであり、このことは、本件当時、十分な情報が集まらない中、一義的な被害の未然防止策を策定することが不可能であったことを如実に示すものといえる。(原判決は、本件訴因第2の事実のころ、裁量の余地無き状態となっていたことを大前提とする。しかしながら、裁量の余地なき状態というからには、正に、如何なる行為をとるかも一義的に定まっていたことを要すると考えられるが、上述したとおり被告人のとるべき措置について事後的に審査した検察官、裁判官の見解ですら食い違っているのであり、裁量の余地なき状態になっていたというのは、言葉の綾にすぎないことがこれによってもわかる。)
なお、原判決の定立した作為義務は、非加熱製剤について不良医薬品であることを前提にしていないものと考えられる。(もし、非加熱製剤一般を「不良医薬品」と認識していたとすれば、日臓の非加熱製剤を回収の対象としないとの措置は考えられないからである。)したがって、薬事法の規制権限行使を背景にした行政指導ではなく、原判決の摘示する行政指導を為したことによって原判決が対象とする2社の非加熱製剤の回収を万全に果たし得て、本件被害を未然に阻止できたかは証明されていない、という非常にずさんな作為義務の認定なのである。 ―――――――いずれにせよ、第一審判決が定立し、原判決が踏襲した作為義務は、一見精緻に見えて実は大きな問題を孕んだものである。
(4) なお、生物製剤課では、加熱第Ⅸ因子製剤承認後、各医療現場での加熱製剤の浸透状況を見極めつつ、非加熱製剤を加熱製剤に切り換えていくよう、製薬会社に助言をしていたもので、原判決の定立した義務を実質的には履行しており、違法性がない旨、原審で主張し、その証拠(甲610の資料、甲272の資料4)を摘示していたにもかかわらず、原判決では、この点何ら顧慮をしておらず、判決に影響を及ぼす重大な審理不尽がある。
7 原判決の訴因第2の事実の有罪認定は判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認に基づくものであること
本件では、非加熱製剤を使用していた者にエイズ原因ウイルス感染の危険が迫っており、それは被告人にとって裁量の余地がまったく無いほどにまで高まっていたものであった、ということを大前提に法律論が組み立てられている。行政は法律に基づいて行われなければならないところ、非加熱製剤使用者に関し、エイズ原因ウイルス感染について切迫した危険な状態にあったのだから、薬事法の具体的規定を度外視してでも、超法規的というに等しい刑法上の作為義務を尽くさねばならなかったというのが原判決の結論である。このような法律構成を導き出すためには、本件当時、実際に非加熱製剤につき「エイズ原因ウイルス感染の切迫した危険な状態」が存在していたという事実認定が不可欠のものである。そこで、是が非でも被告人を有罪としなければならないとの意識の下、本件当時、「非加熱製剤についてのエイズ原因ウイルス感染の切迫した危険な状態」が現出されていたということに関し、原判決では、無理やり「結論先に有りき」の証拠評価を行ったり、エイズ原因ウイルスに関する現在の知識を以って本件当時を評価するという誤った事実認定の手法を用い、誤った事実認定を行っている。
同じく、エイズの危険性及びそれに関連する血液製剤の情報については、生物製剤課が独占しており、その緊急事態に生物製剤課が、動かねば被害の阻止ができなかった、との虚構に基づく事実認定が行われている。
このように、本件における大前提についての事実認定は、重大な事実誤認に基づくものであって、かかる事実認定を基にして、正当な法律構成を構築することは不可能であるし、もとより正当な結論が導き出せるものでもない。この点、原審でも弁護人は同様の指摘を行い、第一審判決の誤った事実認定を見直すよう求めたが、原審はこの点なんら顧慮をすることなく、漫然、第一審判決を踏襲し、最終の事実審としての役割を放擲していたものである。
そこで、弁護人は、上告審において正当な法律上の判断がなされるために最低限必要な事実認定に関する主張を、上告審でも行うものであるが、その主なものは次のとおりである。
(1) 原判決は、昭和60年第8回血液製剤調査会の意見を曲解した上で、それを重視しているが、それが誤りであること
訴因第2の事実をめぐっては、被告人の直接関わった文書等被告人と直接結びつく証拠は極めて限られたものしか提出されていない。その極めて限られたものの1つとして、昭和60年第8回血液製剤調査会、昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録中の「意見」がある。このうち、昭和60年第8回血液製剤調査会の議事録中の記載に「加熱製剤承認後は非加熱製剤を使用させないように」との文言があることに検察官は着目し、これを以って被告人の注意義務を基礎づける重要な証拠としている。しかし、この議事録の記載は、その1週間後に開かれた上級部会である昭和60年第4回血液製剤特別部会での「加熱製剤承認後非加熱製剤は速やかに承認整理すべき」との意見と同じもの、ないしは(仮に違う意見であっても)この特別部会での意見に集約されたものであり、重要視されるべきものではなかった。(後述するように「承認整理」とは、製薬会社による承認の自主的返上を意味するもので、非加熱製剤をただちに使わせないようにすること、あるいは回収を意味するものではない。)
それにもかかわらず、訴因第2の事実の有罪認定にあたって、この昭和60年第8回血液製剤調査会の意見は、非常に都合のよいものであるため、原判決、第一審判決ともに、昭和60年第8回血液製剤調査会の意見を、当時の状況とは明らかに異なった意見として解釈した上、昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見についても、同年第8回血液製剤調査会の意見と同様のものと曲解して、非加熱製剤について直ちに回収させるというのが、本件当時の専門家の総意であったとして、被告人の結果回避義務を基礎づけている。
しかしながら、素直に昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録の意見を読めば、加熱製剤承認後、非加熱製剤については承認整理等すべきといっているにすぎず、原判決の認定は明らかに誤っており、また、当時の全般的状況をみれば、原判決の解釈は、これだけ突出していて、ありえようのないものといわざるをえない。まさに、原審として、ことさらに訴因第2の事実当時、非加熱製剤によるエイズ原因ウイルス感染の危険が切迫していたとの結論を導き出したいがために、本来最重要視されるべき、後日開催にかかる上級部会の意見を無視して、下級部会での議事録の文言を恣意的に評価している。
被告人は、最重要視されるべき昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見を参考にして非加熱製剤の承認整理の手続きを遂行したものであって、専門家の集団である厚生省の諮問機関の意見どおりのことを行っていた被告人に責められるべき点は無い。原判決は、専門的事項に関する諮問機関の意見に反する行為をすることを強いるもので正当といえないこと明白である。
この昭和60年第8回血液製剤調査会、同年第4回血液製剤特別部会の「意見」をどのように判断するかは、訴因第2の事実の認定にとって極めて重要な要素であり、判決の判断の帰趨に大きな影響を与えるものである。
(2) 訴因第2の事実当時、非加熱製剤に対するエイズ原因ウイルス感染の危険につき、裁量の余地なき程に至っていたという本件の大前提をなす事実の認定に誤りがあること
本件は、現時点からみて20年以上前に生起した事案である。現在に至るまでにエイズ、エイズ原因ウイルスに関する研究は進展し、その知見は飛躍的に変化している。この種案件につき、現在の知見を以って、事故当時を振り返ることの誤りを、弁護人は度々指摘してきていた。訴因第1の事実については、第一審判決、原判決においてもこの原則が貫かれ、正当な結論が導かれている。
しかし、訴因第2の事実の第一審判決、原判決における有罪認定は、裁判所が科学的客観的事実に基づかず、「結論先にありき」の観念論に拠って、論旨を推し進めたことによるものであることは明らかである。
原判決は、昭和60年5月のアトランタ会議、血友病患者からのエイズ発症の公式認定により、エイズ原因ウイルスの危険性、その関係での非加熱製剤の危険性についての意識が大きく変化していたとする。そして、それを前提として、非加熱製剤を使わせないようにするため加熱製剤の優先審査が行われたものとし、昭和60年7月における加熱第Ⅷ因子製剤の承認時点及び昭和60年12月における加熱第Ⅸ因子製剤の承認時点では、直ちに非加熱製剤につき加熱製剤と置き換えていかなければならない程に事態は切迫していたとして、被告人の有罪を基礎づける。
しかしながら、原判決が関係者の意識が大きく変化したとする昭和60年5月のアトランタ会議、同年5月30日の血友病患者からのエイズ発症の公式認定がなされた後である昭和60年7月に、加熱第Ⅷ因子製剤一斉承認が行われている。
この加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の段階で、非加熱製剤が加熱製剤に直ちにとって替えられなければならないものとの認識が存在し、非加熱第Ⅷ因子製剤を使わせないようにとのことで、加熱第Ⅷ因子製剤の優先審査が行われたのであれば、この加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の際に、未だ、加熱製剤の承認がなされていなかった日臓の非加熱第Ⅷ因子製剤についてどのような扱いをするか、血液製剤調査会の委員から発言があってしかるべきところ、その議事録を通読しても、そのような議論の痕跡は一切ない。因みに、日臓の加熱第Ⅷ因子製剤の承認は、昭和61年3月になってからのことである。
また、この加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の段階で加熱第Ⅸ因子製剤の承認については、その申請すらなされていなかったわけであるから、当然、非加熱製剤が加熱製剤に直ちにとって替えられなければならない程、危険なものであるとの認識が血液製剤調査会の委員の問にあれば、非加熱第Ⅸ因子製剤の扱いについて何らかの指摘がされたはずである。
ましてや、第Ⅸ因子製剤については、原判決の認定によれば、エイズに安全とされた国内血で作られたPPSB、エタノール処理が施された「プロプレックス」という2製品が存在していたわけであるから、加熱第Ⅸ因子製剤承認までの間、これら代替製剤で治療を続けるという選択肢がありえたわけである。しかしながら、血液製剤調査会、同特別部会の委員、その他血液学者らから、かかる代替製剤で急場を凌げといった意見が出された形跡はない。
また、医療においては、現場医師の判断により「療法」が確立し、製剤の選択がなされ、それが徐々に全国に広まるというのが通例である。血友病専門医、現場医師の側において、加熱第Ⅷ因子製剤の承認の時点で、非加熱製剤について、加熱製剤に直ちにとって変わらなければならない程エイズ原因ウイルスに関して危険なものであると認識されており、かつ、その代替製剤があると認識されていれば、昭和60年7月の加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の後、昭和60年12月の加熱第Ⅸ因子製剤承認までの間、加熱第Ⅸ因子製剤の代替製剤たりえたと原判決が認定する、国内血でできたPPSB、エタノール処理の施された「プロプレックス」の需要が急激に伸びた筈である。しかし、後述するとおり、この間、この両製剤の販売量に目立った動きはない。
このことは、とりもなおさず、加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の時点から加熱第Ⅸ因子製剤承認までの時点で、非加熱製剤が加熱製剤にとって変わらなければならぬ程、エイズ原因ウイルス感染に対して危険であるとの意識が、血友病専門医、現場医師らの間で譲成されていなかったこと、及びPPSB、「プロプレックス」のエイズ原因ウイルスに対する安全性認識が存在していなかったことを示すものである。即ち、
① アトランタ会議、血友病患者からのエイズ発症といった事実から結果予見可能性が、訴因第1の事実の時と訴因第2の事実の間に飛躍的に高まったとの認定
② 昭和60年当時、第Ⅸ因子製剤中、国内血でできたPPSB、エタノール処理された「プロプレックス」の2製剤が、加熱製剤と同等のものと評価されていたとの認定
のいずれも、虚構に基づくものであることがわかる。
更に、原判決、第一審判決共に、非加熱第Ⅸ因子製剤のエイズ原因ウイルス感染に対する危険性の認識が加熱第Ⅸ因子製剤承認の後、直ちに変換するという構成をとっており、これは、一見正当なようにもみえる。しかし、本件当時の他の客観的事情と併せ考えると、このような構成には上述したような矛盾が生ずるのである。原判決、第一審判決は共に、訴因第2の事実につき、有罪との結論を導出すべく、加熱第Ⅷ因子製剤承認の時点で、非加熱製剤が加熱製剤にとって替わられなければならない程、エイズ原因ウイルス感染に危険であるとの事実認定をするが、これは単なる「観念論」であって、虚構に拠って立つものとしか考えられない。加熱製剤、非加熱製剤のエイズ原因ウイルスに対する危険認識は、相対的なものにすぎず、「国内血で作られた第Ⅸ因子製剤」「エタノール処理の施された第Ⅸ因子製剤」の安全性の認識も、現時点での知見で当時を振り返って評価しているにすぎない。
弁381号証2頁記載の肝炎の感染症対策を見ればわかるとおり、感染症対策は、一つの対策の導入を以って完了というのではなく、十重二十重に対策を重ねていくというのが常識である。凝固因子製剤に関するエイズ防止対策についても、本件当時、①製剤の加熱、②400ミリリットル採血の導入により感染機会を減少させること、③原料血漿の献血血液による国内自給、といった対策を重ねることにより、感染を極力なくしていくということが想定されていた。エイズ原因ウィルスに関しては、同ウィルスの熱耐性が、存外に、弱かったことにより、①の対策を講じることで、感染をなくすことができた。しかし、これも後年その実績を検証して初めて、そうであったことがわかったものであり、加熱製剤承認当初は、感染防止対策の一つのハードルを越したというものに過ぎなかった。特定の会社の加熱製剤承認と同時に、加熱製剤の効果の検証も済まないうちに、有用性において明らかに劣ることを前提に非加熱製剤の置き換え回収の行政指導を出していくという発想は、当時、感染症対策を行っていた者にあろうはずがなかった。
加熱製剤という、より良い製剤ができればその製品毎に、その副作用を見極めつつ、その切り換えをなしていくというのが、本件当時の血友病専門医、現場医師らの認識であったのである。
本件当時、血液製剤特別部会長を務めていた藤巻道男医師(以下、「藤巻医師」という。なお、同医師は、エイズ調査検討委員会の委員にも選任されており、エイズ、エイズ原因ウィルスについての、当時の先端の知識も有していた。)の属していた東京医大付属病院において、加熱第Ⅸ因子製剤が承認された4、5カ月後にも、非加熱第Ⅸ因子製剤がなお使用されていたと事実もまさにこの流れの中で説明がつくのである。
特定の会社の加熱製剤が承認された後、直ちに非加熱製剤を回収する行政指導をすべきといった対策は、凝固因子製剤の「加熱」がエイズ対策について決定的であったことの検証がなされた後、初めて、後視的に振り返って、法律家的観点から導かれた方策にすぎない。現在の法律家的視点から振り返って見てみると、上記作為義務は一見違和感のないものに見える。しかし、これは、感染症対策に携わっていた者の視点とは明らかに乖離する虚構に基づいたものといえる。原判決は、被告人に対し、本件当時、血友病専門医、現場医師にも認識されていなかった「療法」を強いるものであり、正当ではない。
この点、訴因第2の事実に対する原判決の判断は、「クリオ転換」につき、現場でそのような要請はなかったとして検察官の主張を斥けた、訴因第1の事実における第一審判決、原判決の判断と大きく矛盾するものであり、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認ないしは法令の違反があるものであって、破棄されるべきである。
(3) 訴因第2の事実当時、エイズ、血液製剤に関する情報が厚生省内で唯一生物製剤課にて独占されていたとの本件の大前提をなす事実の認定に誤りがあること
エイズに関する危険情報、血液製剤に関する情報に関しては、厚生省内でひとり生物製剤課が独占しており、生物製剤課が率先して動かなければならなかったとして、原判決は、生物製剤課に、エイズ・血液製剤に関する排他的地位を認め、不真正不作為犯における作為義務があったことを殊更に基礎づけようとしている。しかし、かかる認定には、重大な事実誤認がある。本上告趣意書第13で詳述するとおり、エイズ及びこれに関連する血液製剤についての情報は、厚生省の関連各課で共有されており、生物製剤課のみが情報を独占していたというのは、明らかな虚構である。因みに、原判決が被告人の作為義務の関係で重視する、①アトランタ会議での報告、②血友病患者からエイズ発症者が出たとの公式認定、③加熱第Ⅸ因子製剤が優先審査により昭和60年12月に、先行2社(カッター、ミドリ十字)に認められた、といった情報はいずれも、厚生省内で情報が共通にされていた。即ち、①のアトランタ会議については、感染症対策課所管のエイズ調査検討委員会の委員であった塩川医師、北村医師がアトランタ会議に出席し、その内容についてはエイズ調査検討委員会で報告され、感染症対策課で把握していた。また、北村医師はこれを日本医事新報で発表しており、医師一般に知れることとなっていた。
②の血友病患者からのエイズ発症の公式認定は、エイズ調査検討委員会でなされたもので、所管課である感染症対策課は、当然、把握していた。また、一般紙にも報道され、省内はおろか、国民全般に知られることとなっていた。
③の加熱第Ⅸ因子製剤の優先審査による承認につき、承認関連文書の合議先は、安全課、経済課とされ、それら諸課はこの事実を認識すると共に、プレスリリースされているので、この事実は、汎く、厚生省内の誰もが知るようになっていた。
このように作為義務を策定するに十分な重要情報は、本件当時、厚生省の関連部課の知るところとなっており、本件関連情報について、生物製剤課のみが、握っていたというのは、虚構でしかない。
結局、原判決は、「作為義務」を殊更に導き出すべく、生物製剤課には、重要な情報が集まると共に、同課がそれを独占し、他課にはそれが伝わっていなかったとして、いわば、生物製剤課ひいてはその課長である被告人が、排他的地位を有していたとの、大前提において虚構に基づく認定を行っているのである。
以上のように、原判決には、憲法判断・法令解釈をする大前提たる事実に重大な事実の誤認がある。
8 結び
上告審にあっては、訴因第2の事実について、有罪認定をすることこそが社会の要請に答え、真相究明・再発防止に資する、といった先入観を抱くことなく、また、従前の本件の論評により形成された誤った観念に呪縛されることなく、一般の刑事事件と同様の厳格な解釈の原則の下、被告人の刑責が無罪と判断されることを強く望むものである。
第2〔上告理由第1点〕原判決は、被告人に対し、所掌事務の範囲外の事項に関する作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
(1) 処罰範囲限定の必要性
本件では、不作為による過失犯の成否が問題になっているところ、不真正不作為犯における不作為とは、「一定の期待された作為をしないこと」という不確定概念によっていることから、不真正不作為犯には、処罰範囲が不当に広がりかねないという大きな問題点が存する。刑罰法規の適用範囲が広範に失する場合には、憲法上の原則である罪刑法定主義(憲法31条)に抵触することとなる。
そこで、処罰範囲の不当な拡張や罪刑法定主義への抵触を回避して、処罰範囲の適正さを保つためには、結果を回避しうるすべての者に不作為犯の構成要件該当性を肯定するのではなく、不作為者と被害法益との特別な関係から、結果の発生の防止を保障すべき地位(保障人的地位)にある者の不作為のみを問題とすることが必要不可欠である。
また、行政官に対する関係では、法に基づいた行政の執行と言う観点からの作為義務の策定が必要となる。
(2) 保障人的地位の必要性
本件のように「過失不真正不作為犯」の成否が問題となる事案においても、その罪責を問うためには、保障人的地位を基礎付けるという作業が必要不可欠である(山口厚「問題探求刑法総論」有斐閣・平成10年・179頁、大塚裕文史「薬害エイズ厚生省ルート第一審判決について」現代刑事法72頁参照)
最高裁調査官・原田國男「判例解説」『最高裁判所判例解説〔刑事篇〕平成2年度』247頁以下においても、不作為による過失犯の成否の検討にあたって、保障人的地位の有無が重要なメルクマールとなることが当然の前提とされており、この点が議論の出発点といえる。
特に、第一審判決については、被告人自身の一種の管理責任を認めたものと評されているところ(常岡孝好「行政の不作為による刑事責任一行政法学からの一考察」ジュリス卜1216号24頁)、管理・監督責任には、過失責任の及ぶ人的、時間的範囲が広がりすぎるという大きな問題点が指摘されている。
かかる問題に対しては、①作為義務が生じる保障人的地位にあるかどうかの点で義務主体を絞り込むこと、②期待される作為がなされれば、結果回避が確実である不作為に限定すべきこと、③信頼の原則の適用を検討すべきことなどの限定が課されるべきとされている(原田國男・前掲・266頁参照)。
そしてその際、被告人が属していた組織の責任と、被告人の個人責任とが混同されてはならない。被告人が、個人として過失責任を問われるべき主体であったといえるのか、被告人に保障人的地位があったかどうかを慎重に検討する必要がある。
(3) 保障人的地位発生の根拠
刑法上の作為義務を基礎付ける保障人的地位の有無については、学説上様々な見解が存在しているが、法令、契約や事務管理等の法律行為の存在、条理や慣習の存在等の事情を含め、不作為が問題とされる時点における諸般の事情を実質的に総合考慮して法的な作為義務の有無を確定すべきとするのが多数説とされる。
具体的には、
① 法令や契約等に基づく、行為者と被害者との関係
② 既に発生している危険にどの程度関与し、その危険を除去し得る地位にあるのか(危険の引き受け行為をしたような場合)
③ 結果発生の危険にどの程度の原因を与えたか(先行行為が問題となる場合)
④ 他に結果防止可能な者がどれだけ存在し、その者が被害法益とそれぞれどのような関係があるのか(排他的支配の有無・程度)
⑤ 結果防止のための一定の作為がなければ結果が現実に発生するという切迫した危険のあること(作為と同程度の結果惹起の可能性があること)
⑥ 期待された作為によって結果の防止がほとんど確実に可能であること
⑦ 結果発生防止のための作為が一般人にも容易であること
などの事情が作為義務の有無を検討するにあたっての前提事実となると解される(司法研修所教官・村瀬均「不作為犯」佐藤文哉他編『新実例刑法〔総論〕』青林書院・平成13年・42頁以下)。
以上の中でも、刑法上の作為義務の有無を判断するにあたって、とりわけ重要なのが、他に結果防止可能な者がどれだけ存在し、その者が被害法益とどのような関係があるのかという点(排他的支配の有無・程度)である。
村瀬均・前掲論文も、先行行為だけを理由として常に作為義務を認めることや、規範的要素のみで作為義務を認めることに否定的な見解を示しており、行為者が、結果発生に至る事態を排他的に支配していることを極めて重視している。
また、林幹人「国家公務員の作為義務」(『現代刑事法』41号24頁)も、「現在の到達点を最大公約数的に示せば、「排他的支配」の有無が基準となる」と明言している(なお、林幹人・前掲論文によると、「排他的」というのは、行為者以外の他の人間が法益を救おうとしても、それができない状況を意味し、「支配」というのは、そのような状況において、行為者は法益の命運を握っていることを意味するとされている。)。被告人の刑法上の作為義務が認められるためには、被告人が、結果発生に至る事態を排他的に支配していたといいうるか否かが最も重要となる。本件においても、被告人に刑法上の作為義務が認められるか否か、このような観点から慎重な検討が加えられなければならない。
(4) 行政官の作為義務において留意すべき点
行政は法に基づいて執行されなければならない。それによって、恣意的な行政を排除することができるからである。したがって行政官に課せられる作為義務の内容は、法律の具体的根拠を持ったものでなければならない。例外的に作為義務の内容につき、薬事法等における具体的な法律規定の根拠がないにもかかわらず、刑法から直接被告人に対する作為義務が導かれる場合があるとすれば、それは具体的な立法の欠缺があり、もはや、既存の具体的法律規定に従っていては、被害を回避することができないという極めて切迫した事情が背景にあり、いわば、超法規的というに等しい措置をとらざるを得ないという状況にあったということが必要である。この点、原判決は、本件において、裁量の余地無き切迫した事情が存在していたということを当然の前提としているが、その吟味の仕方は不十分であり、十分な検討をすれば、本上告趣意書第9で述べるとおり、そのような事態の切迫性を認定できなかったはずである。
行政官の作為義務を認定するためには、当該作為義務の内容が、刑法以外の薬事法等具体的な法規定から導かれうるものであるか、その作為義務の履行方法が法に適合しているかの十分な検証が必要であるという点において、私人の場合とは異なる特殊な留意点があることを見落としてはならない。
2 被告人の所掌事務についての事実誤認
(1) 被告人の所掌事務・権限検証の必要性
被告人が、被害者に対して、刑法上の作為義務を基礎付ける保障人的地位を有していたかどうかについては、まず、被告人が所属していた生物製剤課の所掌事務の内容を検討することを要する。また、法に基づく行政ということを担保した作為義務といえるためにも、作為義務が課せられた部署に権限があったかどうかの検証が必要である。即ち、行政官にあっては、原則として、要求される作為の行使にあたって、権限のあることが、保障人的地位の前提とされるべきである(行政手続法第32条1項参照)。
この点、原判決は、被告人に対し、自ら立案し必要があれば厚生省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていたミドリ十字等2社に対し、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導を行なうとともに、本件非加熱製剤を製造販売していた製薬会社3社に対し、第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師に向けてドクターレター等を発するよう行政指導する旨の作為義務を課している。
しかし、生物製剤課の所掌事務には、製薬会社に対して薬剤を回収するよう行政指導することや、製薬会社に対し、ドクターレター等を発するよう行政指導することは含まれていなかったのであり、原判決には明らかに事実の誤認がある。
また、原判決は、生物製剤課の所掌事務に、製薬会社に対して薬剤を回収するよう行政指導することや、製薬会社に対し、ドクターレター等を発するよう行政指導することが含まれていたことを前提に、被告人に対し、上記のとおりの業務上の注意義務を課した上で、被告人にはかかる業務上の注意義務を怠った過失があるとして業務上過失致死罪の成立を認めており、法令の解釈適用を誤った違法がある。
(2) 被告人の所掌事務~安全課との関係について~
ア 原判決の問題点
厚生省組織令上「医薬品の効能、効果、性能及び安全性に関する調査を行うこと」は、生物学的製剤を含めて薬務局安全課の所管とされている。それにもかかわらず、第一審判決は、ⅰ安全課は医薬品の副作用の調査に関する事務を担当していた、ⅱ当時の厚生省においては、「副作用」とは当該医薬品の本来の薬理作用に基づく有害な反応であり、その原料へのウイルス混入等に起因する危害の発生はこれに該当しないとの解釈がとられていた、ⅲ医薬品に起因する健康被害の原因が、病原性ウイルスの混入など当該医薬品の本来の薬理作用に起因しないものである場合には、当該医薬品の原料採取や製造工程等のチェックを通じて、病原性ウイルス混入防止策を講ずることなどの対策が必要となるため、その原因調査、対策の検討等については、当該医薬品の生産に関する技術上の指導監督、基準、承認等の事務を所管する課がこれを担当する必要があると考えられていた、ⅳ安全課では、医薬品の再評価に関する事務も所管していたが、これも、医薬品の本来の薬理作用について、その有効性、安全性等を評価するものであり、病原性ウイルス混入など当該医薬品の本来の薬理作用に起因しないものについては再評価の対象とはなっていなかった(第一審判決34乃至37頁)との理由により、厚生省組織令の規定に反して安全課の職務権限を狭めた上で、生物製剤課の職務権限を殊更に拡大する判断を行った。それらの点について、弁護人は原審弁論要旨において詳細な反論を行ったが、原判決は、これらの点に関する第一審判決の当否について、何らの判断も行わなかった。
さらに、原判決は、「緊急安全性情報としてのドクターレターを製薬会社に指示して全国の医療機関あて発出するよう指導する権限が所論のいうように所管課を異にするとはいえ」(原判決25頁)と述べて、ドクターレターの発出についての所管課に関する第一審判決の誤りについて訂正したにもかかわらず、結局、被告人に「関係部局への権限行使を促す義務」があったなどとして作為義務が存在したものと認定している。更に、原判決は、第一審判決と同様、被告人に「関係部局への権限行使を促す義務」がどのような法的根拠に基づいて発生するのか、そして、それがなぜ業務上過失致死罪の作為義務となるのか全く示していない。
イ 原判決の重大なる事実誤認
第一審判決は、「副作用」について、「広義の副作用(ウイルス等の病原体の混入を除くとの限定をしない)」と「狭義の副作用(本来の薬理作用に基づくものに限定する)」とに使い分けた上で、「本件当時の厚生省内部の事務分掌において、安全課が担当するのは上記の『狭義の副作用』であり、血液製剤の原料へのウイルス混入の問題が生物製剤課の所管であるとする解釈が確立されていたことは動かし難いというべきである」(第一審判決36頁)とした上で、「医薬品に起因する健康被害の原因が、病原性ウイルスの混入など当該医薬品の本来の薬理作用に起因しないものである場合には、当該医薬品の原料採取や製造工程等のチェックを通じて、病原性ウイルス混入防止策を講ずることなどの対策が必要となるため、その原因調査、対策の検討等については、当該医薬品の生産に関する技術上の指導監督、基準、承認等の事務を所管する課がこれを担当する必要があると考えられていた」として、非加熱濃縮製剤の安全対策が生物製剤課の所管であると結論付けた。しかしながら、血液製剤であるフィブリノゲン製剤の原料へのウイルス混入事故の発生報告が厚生省組織令の規定どおり安全課に報告がもたらされていたこと及び同課において対応策の検討がなされていたこと(「フィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス感染に関する調査報告書」(原審弁2))からも明らかなとおり、上記の第一審判決の事実認定は誤りである。当時の技術水準では、非加熱濃縮製剤へのエイズ原因ウイルス混入の検査は不可能であった為、原料採取や製造工程等のチェックを通じての防止策だけでは解決しないものであり、そのような問題点のある医薬品について、安全性をどのように評価していくかということは、まさに安全課の所管に関わる問題である。したがって、同製剤の「安全性に関する調査」は、厚生省組織令上も実態上も安全課の所掌事務にほかならないのであったから、これを生物製剤課の所掌事務とした第一審判決には重大なる事実誤認があり、また、この誤りを正さなかった原判決にも重大なる事実誤認がある。
本件当時、非加熱第Ⅸ因子製剤は、再評価の対象となっていた。再評価制度の趣旨は、医薬品の有効性、安全性の評価が、その時代の医学、薬学を始めとする諸学問を基礎として行われ、また、医薬品としての使用価値(有用性)に対する評価も、その時代における他の医薬品、治療手段との兼ね合いを一つの要素として行われているなど、医薬品の評価自体がその時代のレベルを反映しているためであり、ある時点において妥当な評価を受けた医薬品であったとしても、その後の医学、薬学等の進歩、有効性、安全性の面でより優れた医薬品の出現などを考慮すれば、当然、見直す必要のあるものが出てくるためである。」(昭和57年8月25日発行の「逐条解説薬事法」(原審弁19の229頁))。訴因第2の事実の当時、非加熱第Ⅸ因子製剤は、再評価の対象となり、安全性及び有効性について、安全課の所管のもと血液製剤再評価調査会にて調査がなされていたものである。そのため、加熱第Ⅸ因子製剤の承認時に、承認を受けた各製薬会社は、「乾燥人血液凝固第Ⅸ因子複合体については、現在同一成分が医薬品再評価中であることに鑑み、同一成分の再評価の今後の進行状況に伴い、厚生省薬務局安全課の指示に従う事を誓約致します。」という念書を同課宛差し入れてもいる(弁186、弁188)。同製剤が再評価の対象とされていた点について、当時の安全課課長であった渡邉証人の証言に依拠して、「医薬品の本来の薬理作用について、その有効性、安全性等を評価するものであり、病原性ウイルス混入など当該医薬品の本来の薬理作用に起因しないものについては再評価の対象とはなっていなかった」と認定した第一審判決には重大なる事実誤認があり、また、この誤りを正さなかった原判決にも重大なる事実誤認がある。
原判決は、第一審判決同様、被告人に「関係部局への権限行使を促す義務」がどのような法的根拠に基づいて発生するのか、そして、それがなぜ業務上過失致死罪の作為義務となるのか全く示していない。厚生省組織令に基づく安全課の所掌事務において生物学的製剤を含めて安全性の調査を行うこととされており、再評価制度の適用により非加熱第Ⅸ因子製剤の安全性及び有効性について血液製剤再評価調査会にて調査がなされていたこと、そして、非加熱製剤の問題点について生物製剤課と安全課において情報の質・量ともに特段の差異がなかった状況において、職務権限上、生物製剤課長であった被告人には、安全課に対してドクターレター発出を促すべき法的義務は存在しなかった。したがって、「関係部局への権限行使を促す義務」があるとの第一審判決の認定には理由不備による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、また、この誤りを正さなかった原判決にも重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがある。
(3) 被告人の所掌事務~監視指導課との関係について~
ア 原判決の問題点
第一審判決は、厚生省組織令第58条によって、「不良医薬品の取締り」については、生物学的製剤等を含めて、薬務局監視指導課が所管するものとされていたとしながら、他方において、「一般にある医薬品が不良医薬品に該当するか否かが問題となった場合には、当該医薬品に関する基準や承認事項に照らして不良医薬品該当性の判断がなされることから、その判断は、医薬品の基準や承認に関する事務を所管する部局が行っているのが実態であった」等の事情があったことに照らして、厚生省組織令の規定上、生物学的製剤等の「不良医薬品の取締りに関すること」が監視指導課の所掌事務とされていたことをもって、被告人に本件過失責任成立の余地がないなどということはできない(第一審判決37頁)などとして、厚生省組織令の規定に反して監視指導課の職務権限を狭めた上で、生物製剤課の職務権限を殊更に拡大する判断を行った。これらの点について、弁護人は原審弁論要旨において詳細な反論を行ったが、原判決は、これらの点に関する第一審判決の当否について、何らの判断も行わなかった。
原判決は、非加熱第Ⅸ因子製剤につき、販売中止及び置き換え回収の行政指導をすべきであったと述べているが、販売中止、置き換え回収の行政指導を行うための前提として、非加熱第Ⅸ因子製剤が不良医薬品であると認定できるような状況になければならない。しかしながら、後述するとおり、本件当時、非加熱第Ⅸ因子製剤が不良医薬品であると認定しうる状況にはなかった。
この点を措くとしても、不良医薬品等の回収については、その所管課は監視指導課であり、置き換え回収の行政指導も本来的には監視指導課の所掌事務というべきものであり、生物製剤課長である被告人に対して、置き換え回収の行政指導を行うべきとの法的義務を課すことはできない。
イ 原判決の重大なる事実誤認
非加熱第Ⅸ因子製剤について販売中止、置き換え回収の行政指導を行うためには、前提としてそれらが不良医薬品であると認定できるような状況になければならない。
ところで、本件当時、非加熱第Ⅸ因子製剤が「不良医薬品」であると断定することができず、かつ、非加熱第Ⅸ因子製剤の置き換え回収の行政指導をすべき法的義務はなかった。しかし、仮にそのような法的義務があったとすればどの課が担当すべきであったかについて第一審判決及び原判決には誤りがある。
第一審判決は、「もとより行政は法律によって付与された権限の裏付けをもって行われるべきものであるから、こうした権限を離れて無限定に作為義務を課すことは相当ではないが、以上のような行政措置を裏付けるべき厚生大臣の権限には、薬事法第74条の2第1項の承認取消し等を前提とする同法第70条を根拠とする回収命令、同法第69条の2を根拠とする緊急命令、医師法第24条の2を根拠とする医師に対する指示等が存在した。現実には、こうした法律に直接の根拠を有する措置をとるまでもなく、当局による行政指導に製薬会社が従って、いわゆる自主回収や、副作用情報のドクターレターの発出などが行われて目的を達していたため、上記諸規定に基づく命令等が発動されるような例はほとんどなかったが、このような実態が行政指導を行う根拠を失わせるものでないことはいうまでもない。そして、このような当時の実情に照らせば、本件においても、生物製剤課が上記各製薬会社に対し、上記のような回収等を行うよう求める等の行政指導を行うことに特段の支障はなかったというべきであり、こうした指示・指導を行っていれば、各製薬会社がこれに従っていたであろうことも、優に推認される。」(第一審判決358頁)と判示し、生物製剤課が製薬会社に対し、回収等を行うよう求める等の行政指導を行うべき義務があったと認定した。
しかしながら、第一審判決は、非加熱第Ⅸ因子製剤が薬事法第74条の2第1項の承認取消事由に該当するものであるか否か、薬事法第70条1項所定の措置をとるための要件に該当するものであるか否かについて何ら判断していないうえ、厚生大臣に与えられたこれらの権限規定が何故に生物製剤課長であった被告人の作為義務の根拠となるのかという点について何ら言及していない。「行政は法律によって付与された権限の裏付けをもって行われるべき」との前提を掲げながら、法律上の権限行使の要件に該当するか否かの検討を怠り、かつ、厚生大臣の権限規定から何故に被告人の作為義務を導き出せるのかの検討を何ら行っていない。加熱第Ⅸ因子製剤が承認された当時、非加熱第Ⅸ因子製剤について、薬事法第74条の2第1項、70条1項の要件に該当したとの事実もそのような見解も存在しなかったうえ、これらの規定は生物製剤課の職務権限を規定したものではないから、これらの規定を根拠として、被告人に対して、行政指導の作為義務を課すことは誤りである。この点、原判決は、「原判決(=第一審判決)は、被告人に対し、薬事法70条等を直接の根拠として注意義務の前提としての作為義務を認定しているものではないところ、原判決(=第一審判決)認定の事実関係のもとにおいては、薬事法の目的、同法の規定する医薬品の品質、有効性及び安全性を確保するための所論のいう回収命令等の諸権限、厚生省組織令の規定する生物製剤課の所掌事務等に徴すると、その権限行使は裁量の余地のない状況に至っており、このような場合にはその権限行使は法的義務となる」と述べているが、原判決の論理は、「行政は法律によって付与された権限の裏付けをもって行われるべき」との大前提を明らかに逸脱するものである。
第一審判決及び原判決は、厚生省組織令上、生物製剤課の職務権限に属さない権限規定を根拠として被告人に対して作為義務を課した点について重大なる事実誤認がある。更に、原判決は、この誤りに加えて、「法律によって付与された権限の裏付け」を無視して作為義務を課した点について重大なる事実誤認がある。
仮に薬事法第74条の2第1項、同法第70条1項、2項の要件に該当する事態が発生した場合においても、これらの規定を根拠に、厚生大臣の指示に基づいて実際に販売中止及び回収についての行政指導にあたるのは、監視指導課であって、生物製剤課ではない。「不良医薬品の取締」(薬事法第70条1項、2項)は、厚生省組織令第58条1号により、監視指導課の所掌事務であり、生物製剤課の所掌事務ではなかった。
この点に関して、第一審判決は、「厚生省内部の所掌事務の関係から、上記回収命令の際には薬務局監視指導課が関与することになったと認められ、上記医師に対する指示の際には健康政策局医事課が関与するほか、この指示をするに当たっては、あらかじめ医道審議会の意見を聴かなければならなかったと認められるが、これらの事情は、生物製剤課が上記のような行政指導をすることが可能であったとの認定を妨げるものではない。」(第一審判決358頁)と認定している。しかし、これによれば、行政指導のレベルにとどまる限り、厚生省組織令上他の部局、他課の所掌事務とされている事務についても権限行使が可能であり、かつ、他の部局、他課の所掌事務とされている事務に関して「行政指導」を行わないことが不作為による犯罪とされてしまうおそれがあることとなるが、それは「法律によって付与された権限の裏付けのない行政」であり、(いわゆる確認立法ゆえ、訴因第2の事実当時においてもその趣旨が妥当すると解される)行政手続法第32条1項の趣旨に反すると同時に、作為義務の発生根拠についての予測可能性を失わせるものである。
さらに、第一審判決は、「仮に生物製剤課の行政指導に製薬会社が従わない等の理由から、上記命令等が必要となった場合には、被告人としては、関係部局に対してその権限行使を促すための協議を求めるべきであった」(第一審判決358頁)と述べているが、「関係部局に対してその権限行使を促すための協議を求める」との作為義務が何を根拠として発生するのかについて、全く説明もなければ、証拠上の裏付けもない。
第一審判決は厚生大臣、他の部局あるいは他課の所掌事務として規定されている事務を、被告人が「行政指導」により行うべきであったとの作為義務を認定しているが、生物製剤課長である被告人に対し、何らの根拠なくそのような作為義務を課している点につき理由不備による重大なる事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、また、この誤りを正さなかった原判決にも重大な事実誤認および法令解釈の誤りがある。
(4) 実際の所掌事務との関係
ア 原判決の問題点
第一審判決は、「生物製剤課の所掌事務として、『生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の基準並びに検査及び検定に関すること』(厚生省組織令第59条③号)と規定されており、『検定』は、流通段階に入る前において未然に不良医薬品等の発生を防止する目的で実施されていたもの、『検査』は、主として流通段階に入った後(販売等の目的で貯蔵・陳列されるに至った後)において不良医薬品等を発見する目的で実施されていたものであり、検査の結果、当該医薬品の品質等が『基準』等に合致せず不良医薬品に該当すると認められた場合には、その回収・廃棄等の措置が講じられていた」と判示し(第一審判決29頁)、「昭和58年ないし昭和60年当時の生物製剤課内の事務分掌を定めた書面には、同課の検定検査係の所掌事務として、『医薬品(生物学的製剤及び抗菌性物質製剤)の事故の調査に関すること』が挙げられており(甲145資料2、甲149資料5及び6)、生物製剤課の発行にかかる『血液事業の現状 昭和59年』においても、『血液製剤で副作用等の事故が発生した場合は、都道府県は詳細な調査を行い、厚生省に報告することになっている。なお、発生の当初においては、直ちに電話等によりその概要を生物製剤課長に速報し、あとで文書をもって詳細を報告するよう指導している。』とされていた(甲481、558資料5)」と判示し(第一審判決33頁)、さらに「昭和58年ないし昭和60年において、数回にわたり、米国における原料血漿供血者が供血後にエイズを発症したことなどから当該原料血漿の混入したおそれのある我が国に輸入された非加熱製剤の回収等が問題となった際には、関係製薬会社から生物製剤課に対して報告があり、同課が対応策を検討し、その在庫調査や回収等について、関係製薬会社に対する行政指導を行うなどして対応していた」旨判示した上で、これらの事実から生物製剤課の所掌事務及び被告人の作為義務を導きだした。
イ 被告人の実際の所掌事務
しかしながら、生物製剤課の所掌事務は、厚生省組織令第59条に規定されているとおり、
① 生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の生産に関する技術上の指導監督を行うこと
② 生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の製造業及び輸入販売業の許可並びに製造及び輸入の承認を行うこと
③ 生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の基準並びに検査及び検定に関すること
④ 生物学的製剤及び抗菌性物質製剤に関する輸出検査法の施行に関すること
⑤ 生物学的製剤の配給に関すること
⑥ 採血及び供血のあっせん業取締法の施行に関すること
とされていたのであり、生物製剤課長であった被告人の職務権限及び作為義務は、同条各号によって導き出されるのであって、それ以外の資料やメモ書等によって導き出されるものではない。
生物製剤課の所掌事務のひとつである生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の「検査」、「検定」は、実務上は国立予防衛生研究所において行われており、同研究所における「検査」、「検定」の結果、「不良医薬品」が発見された場合には、同課において製薬会社に対して知らせるとともに、監視指導課に情報を伝えていたものであって、当時、生物製剤課において非加熱第Ⅸ因子製剤の「検査」依頼を同研究所に対して行うことを怠っていたという事実もなければ、同製剤について同研究所から「不良医薬品」であるとの指摘を受けたとの事実もなく、かつ、当時、同製剤について「不良医薬品」であるとの見解もなかった(被告人も「不良医薬品」には該当しないと判断していた)のであるから、厚生省組織令第59条3号に関して、被告人に作為義務違反は存在しない。
また、米国における原料血漿供血者が供血後にエイズを発症したことなどから当該原料血漿の混入したおそれがあるとして、非加熱濃縮製剤の自主回収が行われ、そのことが生物製剤課に報告がなされたという事実があったことはそのとおりであるが、このことは、当該原料血漿を用いて作られた同じロットの非加熱濃縮製剤にエイズ原因ウイルスが混入している可能性があるということを意味するにすぎず、他のロットの非加熱濃縮製剤が「不良医薬品」であるとの根拠となるものでないことはもちろんのこと、生物製剤課の所掌事務の範囲が厚生省組織令第59条各号を超えて広がるものでもない。
生物製剤課において、「検査」、「検定」の事務を怠り、その結果、不良医薬品の発見がなされなかったとか、国立予防衛生研究所から「不良医薬品」との指摘を受けたにもかかわらず放置したとか、加熱濃縮製剤の承認事務をことさらに遅滞した等、法令上規定されている生物製剤課の所掌事務についての任務懈怠があったのであれば作為義務違反を理由に非難されることもあり得よう。しかしながら、法令上の定められた所掌事務に属さない「行政指導」を行わなかったことを理由に作為義務違反として刑事責任を追及されることは不当に処罰の範囲を拡大し、犯罪成立の予測可能性を失わしめるもので、かかる作為義務の策定による刑罰適用は罪刑法定主義(憲法第31条)に違反する。
以上のとおり、生物製剤課の所掌事務について規定された厚生省組織令第59条各号に規定された事務を被告人が怠ったという事実は存在しないのであるから、第一審判決及び原判決が被告人について作為義務違反を認めたことは重大なる事実誤認があり、結論において罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
ウ 厚生省全体で取り組んでいた問題であったこと――被告人に排他的支配があったといえないこと
第一審判決は、「関係法令上の規定と所掌事務の実態に照らすと、本件で問題となっている血液製剤の原料血漿へのエイズ原因ウイルス混入によるエイズ発症・死亡を防止する措置を、厚生省内において率先して検討すべき部署があったとすれば、それは安全課や監視指導課ではなく、生物製剤課であったというべきである」(第一審判決351頁)と事実認定し、原判決は第一審判決と同様に「生物製剤課が生物学的製剤の安全性を確保し、その使用に伴う公衆に対する危害の発生を未然に防止すべき立場にある」(原判決25頁)と事実認定している。
当時、生物製剤課は、法令上定められた所掌事務の範囲において最大限の努力を払って、血液製剤の原料血漿へのエイズ原因ウイルス混入によるエイズ発症・死亡を防止する措置を検討し、加熱濃縮製剤の承認について優先審査を実施したものであるが、そのことの故に生物製剤課の所掌事務の範囲が拡大するものでなければ、被告人の作為義務が拡大するものでもなく、また、「厚生省内において率先して検討すべき部署」となるものでもない。
非加熱濃縮製剤によるエイズ原因ウイルス感染の問題については、生物製剤課のみが問題意識をもっていたというものではなく、薬務局長も含めて薬務局全体で共通の問題意識をもっていたものであり、ことに、「医薬品…の安全性に関する調査を行うこと」を所掌事務としていた安全課の所管する再評価委員会において検討がなされていた。また、国立予防衛生研究所は、感染症その他の特定疾病及び食品衛生に関し、「病原及び病因の検索並びに予防治療方法の研究及び講習を行うこと」等を所掌事務としており(厚生省組織令第99条)、当然のことながらエイズ原因ウイルス感染の問題についても研究を行っていた。(エイズ原因ウイルス感染の問題について、厚生省内で情報が共有されていたことは、本上告趣意書第13で述べるとおりである。)
このように厚生省においては、関係各課がそれぞれの立場において、血液製剤の原料血漿へのエイズ原因ウイルス混入の問題について検討がなされていたものであり、不良医薬品の回収の主管課である監視指導課、ドクターレター発出の主管課である安全課と生物製剤課の有していた情報に質的差異はなかったもので、「血液製剤の原料血漿へのエイズ原因ウイルス混入によるエイズ発症・死亡を防止する措置を、厚生省内において率先して検討すべき部署があったとすれば、それは安全課や監視指導課ではなく、生物製剤課であったというべきである」(第一審判決351頁)とするのは重大なる事実誤認である。即ち、血友病患者へのエイズ原因ウイルス混入事故について、被告人が排他的支配をしていたということはない。
エ 原判決の前提認識の誤り
また、原判決の考え方の基底には、
① エイズ原因ウイルス感染の切迫した事態が発生したのであるから、所掌事務の範囲を度外視してでも被告人が当該業務を遂行しなければならなかったという意識が存在しているようであるが、本件当時、そのような切迫した事態が発生していたというのが虚構であること、本上告趣意書第9で述べるとおりである。
② エイズ、血液製剤に関する情報を生物製剤課が独占していたとして、いわば、生物製剤課に保障人的地位を基礎づけるところの排他的支配を認め、生物製剤課には、所管事務の範囲を度外視しても、当該業務を遂行しなければならない義務があると結論づけているようである。しかし、本件当時、エイズ、エイズ原因ウイルスに関する情報について、厚生省内の関連部署で共有していたものであり、生物製剤課のみが同情報を独占していたというのが虚構であることは、本上告趣意書第13で述べるとおりであり、被告人がかかる観点から保障人的地位にあったなどということはできない。
生物製剤課は、加熱濃縮製剤の優先審査等エイズ対策に最大限の努力を払っていたものであるが、第一審判決の考え方(所掌規定を無視して、「所掌事務の実態」という曖昧な概念で責任を問おうとする考え方)は、法に基づく行政という考え方を否定するものであるばかりか、職務を熱心に行ったことをもって作為義務の範囲が無限定に拡大し、思いもかけないかたちで刑事責任を問われてしまうという危険な論理構成であって、行政官の職務遂行に対する萎縮効果をもたらすものである。このような考え方を是認した原判決が、処罰範囲の無限定な拡張を許容するものとして罪刑法定主義(憲法第31条)に違反していることは明らかである。
3 まとめ
本件当時、安全課はその所掌事務の遂行として、昭和54年に法改正された薬事法の再評価の制度に則って、血液製剤について専門家集団によって非加熱第Ⅸ因子製剤の安全性等の検討を行う役割を担っていた。
他方、生物製剤課は、優先審査によって速やかに加熱第Ⅸ因子製剤の承認手続を行うとともに、血液製剤調査会及び血液製剤特別部会で出された一部委員の意見に従って(必ずしもこれらの意見に従わなければならないという義務は存しないが)、加熱濃縮製剤の承認を得た製薬会社に対して、非加熱濃縮製剤の承認を返上するよう承認整理の指導を行い、さらには、加熱製剤の承認を取得したミドリ十字を含む各製薬会社に対して、医療現場での副作用に対する懸念の払拭、効果に対する評価を踏まえて、非加熱濃縮製剤を加熱濃縮製剤に切り換えるべく「切り換え回収」の助言を行い、「切り換え回収」によって回収された非加熱濃縮製剤についてはアメリカ合衆国へ再輸出できるよう手配する等していた。
原判決は、被告人に対し、所掌事務の範囲外の事項に関する作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第3 〔上告理由第2点〕原判決は、行政指導の特殊性を無視して、本件の事実関係の下、被告人に行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
以下に述べるとおり、行政指導の高度の裁量性及び行政指導が相手方の任意の協力を求めるものであることに鑑みれば、行政指導を行なわなかったという不作為が、刑法上の作為義務違反を構成することはない。そうであるにもかかわらず、原判決は、被告人に対し、行政指導をすべき業務上の注意義務を課した上で、被告人にはかかる業務上の注意義務を怠った過失があるとして業務上過失致死罪の成立を認めており、理由不備、経験則違反の欠陥による法令の解釈適用を誤った違法があり、原判決は著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
2 行政指導と作為義務
(1) はじめに
第一審判決の認める作為義務が、薬事法第70条に定める回収命令による回収義務ではなく、行政指導としての「回収させる措置」等を講じる義務である点に関連し、かかる刑法上の作為義務が肯定される余地があるか否かが問題となる。
(2) 行政指導の位置付け
ア 行政手続法
平成6年10月1日施行の行政手続法によれば、行政指導とは、「行政機関がその任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実現するため特定の者に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に該当しないもの」であり(第2条第6号)、一方、処分とは「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」とされている(第2条第2号)。加えて、同法は「第4章 行政指導」において行政指導に関する明文規定を置いている。すなわち、「行政指導にあたっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。」(第32条第1項)、「行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。」(同条第2項)、「許認可等をする権限又は許認可等に基づく処分をする権限を有する行政機関が、当該権限を行使することができない場合又は行使する意思がない場合においてする行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、当該権限を行使し得る旨を殊更に示すことにより相手方に当該行政指導に従うことを余儀なくさせるようなことをしてはならない。」(第34条)、「行政指導に携わる者は、その相手方に対して、当該行政指導の趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならない。」(第35条第1項)、「行政指導が口頭でされた場合において、その相手方から前項に規定する事項を記載した書面の交付を求められたときは、当該行政指導に携わる者は、行政上特別の支障がない限り、これを交付しなければならない。」(同条第2項)、「同一の行政目的を実現するため一定の条件に該当する複数の者に対し行政指導をしようとするときは、行政機関は、あらかじめ、事案に応じ、これらの行政指導に共通してその内容となるべき事項を定め、かつ、行政上特別の支障がない限り、これを公表しなければならない。」(第36条)等が定められている。
イ 行政手続法は確認立法であること
ところで、行政手続法は、「処分、行政指導及び届出に関する手続に関し、共通する事項を定めることによって、行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について、その内容及び過程が国民にとって明らかなものであることをいう。…)の向上を図り、もって国民の保護に資することを目的」(第1条)としているものであるが、その中で「行政指導」につき上述のような定めがなされるに至った趣旨は、「行政指導は、行政需要への機敏な対応、行政の弾力性の確保、行政目的の円滑な達成などの点からその意義を否定することはできないが、一方では、その濫用が法治主義の空洞化をもたらすおそれがあること、行政の透明性を阻害することなどの批判があり、特に急速な国際化の進展の中で我が国の行政手続に対する批判がこの点に集中している観がある。このような批判に応えるため、また、行政指導が我が国の行政の中で大きな比重を占めていることに鑑み、行政指導を行う場合に遵守すべき一定の規定を設けることとした。」(総務庁行政管理局編、株式会社ぎょうせい刊「逐条解説行政手続法」5版32頁)、「行政指導を法的に認知し、かえって行政指導の濫用を招く危険があるとする意見もあるものの、現に行政指導が行われている実情において、これを放任しておくより、行政指導を行う場合の適正なルールを定めて、行政指導に一定の枠をはめることが望ましいとの考え方に基づき、行政指導を行う場合の一般的な原理、原則を確認する規定を設け、行政指導のあるべき姿を明示することとしたものである。このうち、第32条から第35条第1項に規定する事項については、これまでの裁判例においても広く認められている考え方を踏まえて法文化したものである。」(同書202頁及び203頁)、「4章は、行政指導について五つの条文を置いている。32条から34条までは実体的規律であり、法律による行政の原理からは当然ともいえることが書かれているが、行政の実態においては、必ずしもこの原理が貫徹していない現実に鑑み、行政指導の限界を確認したものである。」(宇賀克也著、学陽書房刊「行政手続法の解説」第4次改訂版148頁)とされている。
このように、行政手続法は、いわゆる確認立法として立法されたものであり、従って、行政指導に関して行政手続法で定められている内容又はその趣旨は、同法施行前の行政指導につき、問題としている原判決及び第一審判決の検討に際しても、十分に妥当するものである。
ウ 行政指導の意義とその多様性
(ア) 行政手続法においても明らかにされているとおり、行政指導は、その内容の実現にあたっては「相手方の任意の協力」を前提とするものであり、「公権力の行使に当たる行為」であってはならない。
(イ) 行政指導は多様であり、「行政指導は機能別に、規制的行政指導、助成的行政指導、調整的行政指導に分かつことができる。① 規制的行政指導とは、行政指導の相手方たる私企業等の活動を規制する目的で行うものである。…② 助成的行政指導とは、私人に対して情報を提供し、もって私人の活動を助成しようとするものである。…③ 調整的行政指導とは、私人間の紛争の解決のための手法として用いられるものである。…以上の三分類は必ずしも相互に排斥的ではない。たとえば、建築の行政指導は概ね建築主に対しては規制的行政指導であり、その関係者前提からすると調整的行政指導である」(塩野宏著「行政法Ⅰ・行政法総論第4版」有斐閣184頁及び185頁)が、「行政指導の特色はその非形式性にあるわけであって、正式の侵害処分の前段階としてよりマイルドな形での行政指導により警告がなされる、というのがまさにその典型である。」とされている(塩野・前掲書191頁)。
(3) 原判決の摘示
第一審判決は、
「当時において日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤を使用している医療施設に他社の本件加熱製剤等を供給することは、各製薬会社の販売努力や販路の確保等の事情にもかかるところであり、生物製剤課長の職責の性質にかんがみても、それ自体が被告人に課せられた義務であったとみることには無理がある。そして、本件加熱製剤等の供給の手当てがないのに、本件非加熱製剤につき一律に販売中止・回収の措置をとることは、第Ⅸ因子製剤が全く存在しないという事態を招来することになりかねないから、相当でなかったといわざるを得ない(本件非加熱製剤といえども、血友病B患者の出血の治療に関しては、第Ⅸ因子製剤以外の治療に比すればなお有用性が存在する場合があったことは否定できない)。この意味において、加熱第Ⅸ因子製剤の供給が開始された時点において直ちに、本件非加熱製剤を無条件に一律かつ全面的に回収することが被告人に課せられた作為義務であったとする検察官の主張(公訴事実第2)は、そのまま採用することはできないというべきである。しかしながら、他方、昭和60年12月に加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けたカッター及びミドリ十字の2社については、自社の非加熱第Ⅸ因子製剤を医療現場において使用させないことは当該医療現場に自社の加熱第Ⅸ因子製剤を供給することと表裏関係にあったといえる上、両者ともに自社の非加熱第Ⅸ因子製剤の従来の販売量を超える量の加熱第Ⅸ因子製剤を供給することは現実に可能であったのであり、生物製剤課においても、現に認識していたか又は容易に認識し得たものと認められる。」(第一審判決355頁)、
「生物製剤課には、カッター及びミドリ十字の2社の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能となった時点において、上記2社をして、非加熱第Ⅸ因子製剤のこれ以上の販売を直ちに中止させるとともに、自社の非加熱第Ⅸ因子製剤と置き換える形で出庫済みの非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させる措置を講ずることが求められたというべきである。」(第一審判決356頁)、「また、上記のような措置は日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤に関しては、直接に効果が生ずるものではなく、カッター及びミドリ十字の非加熱第Ⅸ因子製剤の医療現場からの回収にも一定の時間を要し、そうした間にエイズに関する危険性の認識の乏しい医師等により本件非加熱製剤が不用意に使用されてしまうことも想定されるところであった。したがって、新たなHIV感染を極力防止するという観点からは、生物製剤課において、第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師をして、本件非加熱製剤の不要不急の投与を控えさせる措置(最も容易で実効性のあるものとしては、本件非加熱製剤を製造・販売していた製薬会社3社に対し、本件非加熱製剤にエイズに関する危険性があること、代替製剤としては本件加熱製剤等が存在し、加熱第Ⅸ因子製剤についても既に輸入が承認されて順次供給されつつあること等の、合理的な医師であれば、本件非加熱製剤の不要不急の投与を控えるであろうと考えられるような情報を内容とするいわゆるドクターレターないしそれに類似の通知を、本件非加熱製剤の供給先の医療施設に対して発するよう指導することが考えられる。)を講ずることも、求められたというべきである。」(第一審判決357頁)と述べた上、
「被告人には、上記2社の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能となった時点において、自ら立案し必要があれば同省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして、上記2社をして、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止させるとともに、自社の加熱第Ⅸ因子製剤と置き換える形で出庫済みの未使用非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させ、更に、第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師をして、本件加熱第Ⅸ因子製剤の不要不急の投与を控えさせる措置を講ずることにより、本件非加熱製剤の投与によるHIV感染及びこれに起因するエイズ発症・死亡を極力防止すべき業務上の注意義務があった。」(第一審判決372頁)と判示している。
かかる第一審判決につき、原判決は、「原判決(=第一審判決)は、被告人に対し、薬事法70条等を直接の根拠として注意義務の前提としての作為義務を認定しているものではないところ、原判決(=第一審判決)認定の事実関係のもとにおいては、薬事法(…)の目的、同法の規定する医薬品の品質、有効性及び安全性を確保するための所論の言う回収命令等の諸権限…に徴すると、その権限行使は裁量の余地のない状況に至っており、その権限行使は法的義務となると判示していると解される…」(原審25頁)
と述べている。
すなわち、原判決は結果的に、被告人に作為義務を認めた第一審判決を支持しているが、第一審判決で認められた被告人の作為義務は、
① カッター及びミドリ十字の2社に対する「非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止させるとともに、自社の加熱第Ⅸ因子製剤と置き換える形で出庫済みの未使用非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させ」る行政指導(以下「2社に対する中止・回収の行政指導」ともいう。)
② 医師に対する「本件加熱第Ⅸ因子製剤の不要不急の投与を控えさせる」行政指導であり、その内容は、「本件非加熱製剤を製造・販売していた製薬会社3社」、すなわち、カッター、ミドリ十字及び日臓の3社に対し、「本件非加熱製剤にエイズに関する危険性があること、代替製剤としては本件加熱製剤等が存在し、加熱第Ⅸ因子製剤についても既に輸入が承認されて順次供給されつつあること等の、合理的な医師であれば、本件非加熱製剤の不要不急の投与を控えるであろうと考えられるような情報を内容とするいわゆるドクターレターないしそれに類似の通知を、本件非加熱製剤の供給先の医療施設に対して発」せさせる行政指導(以下「3社に対する医療施設への通知発信の行政指導」ともいう。)
という2つの行政指導のいずれをも行う義務である。
(4) 行政指導の性質に照らし、行政指導をなすべき義務なるものが、刑法上の作為義務となることはない
ア 行政指導の特殊性
(ア) 行政裁量の存在
行政指導を含む行政の執行には、その性質上、しばしば複雑な利害状況を踏まえた上で、一定の政策判断を行い、推進することが要求されるため、そのような場合においては、行政主体には裁量権が認められる。
この点、第一審判決が「行政措置を裏付けるべき厚生大臣の権限」の一つとして掲げる回収命令について定めている薬事法第70条第1項は「厚生大臣…は、医薬品を…業務上取り扱う者に対して、・・・・第56条・・・・に規定する医薬品について、廃棄、回収その他公衆衛生上の危険の発生を防止するに足りる措置を採るべきことを命ずることができる。」と定め、行政に対し、一定の要件が存在した場合にも当然に回収を命じなければならないとは規定していない。
第一審判決及び原判決も被告人の不作為の刑事責任の有無を検討するに際し、この行政裁量の存在を前提にしているものと思料される。
(イ) 公務員の不作為に関する国家賠償法の議論
a 薬務行政に関し、昭和54年改正前の薬事法下における厚生大臣の不作為による国家賠償法に基づく国の損害賠償責任が問題とされたクロロキン訴訟最高裁判決(最高裁第二小法廷平成7年6月23日判決)は、「厚生大臣の薬事法上の権限の行使についての右のような性質ないし特質を考慮すると、医薬品の副作用による被害が発生した場合であっても、厚生大臣が当該医薬品の副作用による被害の発生を防止するために前記の各権限を行使しなかったことが直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるものではなく、副作用を含めた当該医薬品に関するその時点における医学的、薬学的知見の下において、…薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質等に照らし、右権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使は、副作用による被害を受けた者との関係において同項の適用上違法となるものと解するのが相当である。これを本件についてみると、…クロロキン製剤について、厚生大臣が日本薬局方からの削除や製造の承認の取消しの措置を採らなかった事が著しく合理性を欠くものとはいえない。…厚生大臣が前記一7記載の各措置以外に薬事法上の権限を行使してクロロキン網膜症の発生を防止するための措置を採らなかったことが、薬事法の目的及び厚生大臣に付与された権限の性質に照らし、その許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くとまでは認められず、国家賠償法1条1項の適用上違法ということはできない。」と判示して、国の損害賠償責任を否定した。
b 上記クロロキン訴訟最高裁判決に関する最高裁判例解説においては、規制権限の不行使と国家賠償法上の違法に関し、「…規制権限の不行使という不作為が国賠法上違法であるというためには、当該行政官が規制権限を有し、規制権限の行使によって受ける国民の利益が国賠法上保護されるべき利益である(反射的利益ではない)ことに加えて、右権限不行使によって損害を受けたと主張する特定の国民との関係において、当該行政官に規制権限を行使すべき義務(作為義務)が認められ、右作為義務に違反することが必要である。規制権限行使の要件が法定され、右要件を満たす場合に権限を行使しなければならないとされているときは、右要件を満たすときに作為義務が認められることになると考えられる。これに対し、権限行使の要件は定められているものの、権限を行使するか否かにつき裁量が認められている場合や、権限行使の要件が具体的に定められていない場合には、規制権限の存在から直ちに作為義務が認められることにはならない。…」(山下郁夫著「平成7年最高裁判例解説民事編」597頁及び598頁)と明言されている。
c また行政官の不作為に関する損害賠償責任について、最高裁昭和59年3月23日第二小法定判決に関する最高裁判例解説においては、「不作為賠償責任の根拠及び成立要件をめぐる判例、学説を、三つに類型化して概観することにする。(一)まず、第1類型は、行政官の作為義務が法令の明文をもって規定されているか、あるいは法令の解釈によって一義的に定まるような場合である。…(二)第二類型とは、法令によって行政官に権限が与えられているが、その権限行使が行政官の裁量に委ねられている場合である。…(三)第三類型とは、行政官の作為権限が、法令によって具体的に規定されていない場合である。…」(塩崎勤著「昭和59年最高裁判例解説民事編」107頁以下)と3類型に分類している。
d このように、国家賠償法上の行政官の作為義務の有無の判断においても、当該行政官がなすべきとされる作為義務が明文の根拠を有するか否か、有する場合にもそこから具体的な作為義務が一義的に導かれるか否か、行政裁量が認められるか否か等の検討を要することが示唆されており、且つクロロキン訴訟最高裁判決は、薬務行政における厚生大臣の権限行使に関し、行政裁量を認め、原則として作為義務が生じないことを前提として、「(行政)権限の不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるとき」に限り、例外的に、国家賠償法上の作為義務が生じると述べている。
(ウ) 行政指導の特殊性
更に、上述のとおり、行政指導は、行政の弾力的な運用等の目的で、特定の者に対し、指導、勧告、助言等をする行為であるため、その性質上、行政指導の具体的内容は、当該具体的な状況に応じて相当に広汎である。特に、当該行政指導の前提となる行政処分につき具体的な法令の根拠がない場合には(そもそも当該行政指導が、当該行政機関の「任務又は所掌事務の範囲内」のものとして適法な行政指導と言えるか否かが問題となるが、適法な行政指導についても)、行政指導をするかどうか、するとした場合いかなる時期に、いかなる方法で、いかなる内容を盛り込んで行うかの選択肢は、極めて多数存在することとなる。
従って、行政裁量という観点から見れば、行政指導においては、それ自体でも裁量権が認められる行政処分と比べても、なお一層その裁量の幅が広いと言わざるを得ない。
加えて、そもそも行政指導が、上述のとおりその性質上「公権力の行使」すなわち、規制権限の行使に至るものであってはならず、「相手方の任意の協力」を求めるものであることに照らせば、規制権限の不行使、すなわち行政処分の不作為と異なり、果たして例外的にも行政指導をしなかった、つまり特定の者に協力を求めなかったことが、国家賠償法上の作為義務違反を構成すると言えるか、甚だ疑問である。
なお、この点、クロロキン訴訟最高裁判決においても、厚生大臣の権限として「当該医薬品を日本薬局方から削除し、又はその製造の承認を取り消すことができる。…当該医薬品製造業者等に対して必要な報告を命じ…公衆衛生上の危険の発生を防止するに足りる措置を命ずる等の権限を有し、また、薬事法上の諸権限を前提とし若しくは薬務行政に関する一般的責務に基づいて、医薬品製造業者等に対して指導勧告等の行政指導を行うことができる」、「…前記のような権限を行使し、あるいは行政指導を行うことができるが…」と判示しているものの、「これを本件についてみると、…クロロキン製剤について、厚生大臣が日本薬局方からの削除や製造の承認の取消しの措置を採らなかったことが著しく合理性を欠くものとはいえない。」と述べ、当該事案においてその不作為が違法かを問題としている具体的な措置としては、「日本薬局方からの削除と製造の承認の取消」という処分のみを掲げており、「薬事法上の諸権限を前提とし若しくは薬務行政に関する一般的責務」に基づいた個別具体的な行政指導について、その内容を確定し、当該不作為の作為義務を検討しているものではない。
以上のとおり、行政指導のもつ裁量権の高さ及び行政指導が相手方の任意の協力を求めるものであることから、基本的に、行政指導をしなかったことをもって、行政上の作為義務違反とすることはできない。
原判決は、非加熱第Ⅸ因子製剤回収等の行政指導を万能なものと考え、それをしさえすれば本件被害の阻止ができたこと及びそれをしなかったことが作為義務違反であるとするが、法的根拠の充足性が要求されず、高度の裁量性を持ち、相手方の任意の協力を求めるにすぎない「行政指導」をなすべきことを行政上、刑事上の作為義務とすることは、クロロキン訴訟最高裁判決の趣旨に反するものであり、かつ、処罰の範囲を予測不可能に拡大させるもので、罪刑法定主義(憲法第31条)に反するものである。
イ 行政指導をなすべき法的義務が生じる場合があるとしても、原判決の定立した要件では、その場合にあたらないこと、及び行政上の作為義務が直ちに刑法上の作為義務となるものではないこと
(ア) 限定的な要件定立の必要性
クロロキン訴訟最高裁判決が「医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止については、当該医薬品を製造、販売する者が第一次的な義務を負うものであり、また、当該医薬品を使用する医師の適切な配慮により副作用による被害の防止が図られること」と明言していることからも明らかなとおり、薬からもたらされる被害について第一次的に責任を負うのは、現場で薬を販売する製薬会社や、薬を投与する医師である。厚生省はこれに対し、二次的、後見的な立場において責任を負うこととなっている。従って、行政指導をなすべきことは、その高度の裁量性に加え、そもそもの厚生省の後見的立場からみて、基本的には行政上の作為義務とはならないが、事態の切迫性等により、裁量の幅がなくなり、後見的責任を発露せざるをえないときには、例外的に行政上の作為義務を負う場合がありうる。原判決は、本件訴因第2の事実の当時、その後見的責任を発露すべき場合に立ち至っていたとするが、その認定には重大な誤りがある。また、仮に、行政上の作為義務が発生したとしても、それが被告人の刑法上の作為義務となるわけではない。
(イ) 原判決の判示内容
第一審判決及びこれを是認した原判決は、①本件において問題となったのは、血液製剤へのエイズ原因ウイルスの混入のおそれという深刻な事態であり、製薬会社や医師の対応如何によっては、本件非加熱製剤の販売・投与から、同ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡という重大な結果へとつながるおそれが全国的なレベルで生じていたこと、②一般の医師が非加熱第Ⅸ因子製剤の危険性等を的確に認識することには困難が伴うこと、③本件非加熱製剤は国によって承認を与えられていた薬剤であり、このため、本来販売・投与を差し控えるべきであるにもかかわらず、国による承認を信頼し、販売・投与が行われてしまうおそれが存在したこと等を理由に、被告人に対し作為義務を認める旨の判断を行っている。
(ウ) 前提とする事実認定の誤り
原判決は、製薬会社の後見的立場にある厚生省が行政指導をする作為義務を課せられる事態に至る要件として上記3要件を揚げているものと思われるが、本件当時かかる3要件が充足されていたとの認定そのものに誤りがある。
a ①の要件について
原判決は、本件当時、本件非加熱製剤の販売・投与から、エイズ原因ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡という重大な結果へとつながるおそれが全国的なレベルで生じていたとする。
しかしながら、昭和60年5月に、血液製剤の投与を受けていた血友病患者からのエイズ発症者が出た旨の公式認定が出された後も、非加熱製剤を直ちに回収せよという意見が専門家から出されることはなく、むしろ、「承認整理」を以って対処せよとの対応であったこと、加熱第Ⅸ因子製剤承認前に、原判決が同製剤の代替製剤と認定する「PPSB-ニチヤク」(以下、単に「PPSB」という。)、「プロプレックス」の売れ行きが伸びたようなことはないこと、加熱第Ⅸ因子製剤承認後においても、血液製剤特別部会長、エイズ調査検討委員会の委員であった藤巻医師の属する東京医大付属病院でなお非加熱第Ⅸ因子製剤を購入し、使用していたこと等、本件当時、非加熱製剤におけるエイズ原因ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡に対する危険意識は、非加熱製剤の有用性と相まって相対的なものであった(この点については、本上告趣意書第9、同第10に述べるとおりである。)。
従って、本件当時、本件非加熱製剤の販売・投与から、重大な結果へとつながるおそれが全国的なレベルで生じていたとの認識は、血液製剤の専門家の間で形成されてはいなかった。
b ②の要件について
原判決は一般の医師が非加熱第Ⅸ因子製剤の危険性等を的確に認識することには困難が伴っていたとする。
しかしながら、血液製剤の専門家の間においてすら、非加熱第Ⅸ因子製剤について、直ちに回収されなければならない程、エイズ原因ウイルスに対する関係で危険であるとの認識が形成されていなかったことは(ア)に述べたとおりである。
現に、血液製剤特別部会の部会長を務めており、エイズ調査検討委員会の委員をも務め、当時のエイズの事情に精通していた藤巻医師の属していた病院(東京医大付属病院)においては、昭和60年12月の加熱第Ⅸ因子製剤承認後、昭和61年4月に至ってもなお非加熱第Ⅸ因子製剤が使用されていたという事実が厳に存在している。
更に、原判決が肯認した第一審判決は、「当時において日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤を使用している医療施設に他社の本件加熱製剤等を供給することは、各製薬会社の販売努力や販路の確保等の事情にもかかるところであり、生物製剤課課長の職責の性質にかんがみても、それ自体(=本件非加熱製剤の一律かつ全面回収)が被告人に課せられた義務であったと見ることには無理がある。そして、本件加熱製剤等の供給の手当てがないのに、本件非加熱製剤につき一律に販売中止・回収の措置をとることは、第Ⅸ因子製剤が全く存在しないという事態を招来することになりかねないから、相当でなかったといわざるを得ない(本件非加熱製剤といえども、血友病B患者の出血の治療に関しては、第Ⅸ因子製剤以外の治療に比すればなお有用性が存在することがあったことは否定できない。)。この意味において、加熱第Ⅸ因子製剤の供給が開始された時点において直ちに、本件非加熱製剤を無条件に一律かつ全面的に回収することが被告人に課せられた作為義務であったとする検察官の主張は、そのまま採用することができないというべきである。」と明言している(第一審判決355頁)。
つまり、原判決が肯認した第一審判決は、本件の事実関係の下では、訴因第2の事実の時点においても、本件非加熱製剤につき一律に販売中止・回収の措置をとることができない状況にあり、一方、非加熱第Ⅸ因子製剤の一定の有用性を肯認しているのである。
これは、当時の状況が、直ちに本件非加熱製剤を回収しなければらないというようなものではなかったことを明らかに示している。
従って、一般の医師はおろか、エイズ原因ウイルスの知識を有した血液製剤の専門家であった医師においても、本件当時、非加熱第Ⅸ因子製剤について直ちに回収されねばならぬほどエイズ原因ウイルスに対し危険であるとの認識はなかったものである。当然、厚生省から諮問を受ける医師らにおいてもそうであったのであるから、厚生省においてもそのような認識を抱くことは不可能であった。従って、一般医師と厚生省・専門の医師の間においても非加熱製剤の扱いについて、意識の乖離はなく、②の要件の充足性を認めることはできない。
c ③の要件について
原判決は、本件非加熱製剤は、国により承認が与えられたものであり、国による承認を信頼して、販売・投与が行われるおそれがあったことを以って、被告人に作為義務を基礎づける一要素としている。
この点、まず、およそ国が承認した薬であるから、その販売・投与につき国が責任を負うべきであるというのは、正論であるかにみえて、実は乱暴な議論である。
各医療現場で薬を販売し、投与するのは、製薬会社、医師であって、医療現場毎に、製薬会社、医師が、専門家の立場として、適宜、製薬を販売し、投与するのである。
即ち、厚生省は、専門家の立場を尊重し、個別の医療行為に容喙しないのを原則とする。
それにもかかわらず、およそ国が承認した薬であるからとして、その販売、投与につき、厚生省に責任を負わせるのは、上記原則に反する。
製薬会社は民間企業であるから、利益追求のため、どのようなことをするかわからないということであれば、それを未然に防止するため、全ての薬の販売現場に厚生省の監視指導員を張りつかせなければならないという結論が導き出されるのであり、我が国が社会主義国家ではないこと、また、予算、人的資源の制約からみても、このような体制をとることは、現実離れした立論である。
クロロキン訴訟最高裁判決からも明らかなとおり、このような点を背景に、薬の販売・投与による被害防止についての第一次的義務は、製薬会社、現場の医師が負うのであり、厚生省は、二次的にその後見的役割を担う立場にあるに過ぎない。
結局、厚生省に対しては、薬の販売、投与につき、その一次的責任を負う製薬会社、現場の医師に任せておけず、その後見的役割を発露せざるをえない、一定の場合に、はじめて、行政上の「作為義務」が課せられることになる。
その場合の「作為義務」も基本的には、法に基づく行政ということからみて、行政指導の背後にある行政処分につき薬事法等の具体的根拠規定の要件充足性が前提となるものである。そして、それらも要せず、厚生省に作為義務が課せられるのは、事態が切迫していて、個々の根拠規定に依拠する暇もない極めて例外的な事態が現出しているときであると考えられる。
このように考えると、原判決の定立した①、②の要件は、厚生省が、自ら承認した薬について、後見的役割を果たすことが義務づけられる要件を設定したものと考えられる。即ち、端的に言えば、①重大な事態が国家レベルで発生していて、②一般医師らが広汎にその事態を認識していないのであれば、③最終的に薬を承認した厚生省が後見的な役割を発露すべし、との論法である。しかし、前述の①、②の要件の項で検討したとおり、本件当時、非加熱製剤の回収につき直ちにそれをしなければ国家的レベルで重大な結果を惹起するとの事態が招来されているとの意識は存在しておらず、一方、厚生省が諮問をしている専門家と一般医師の間に意識の乖離は生じていなかった。従って、厚生省が製薬会社、医師を超えて後見的立場を発露しなければならぬ事態は、誰しもが認識しておらず、上記2要件充足による「作為義務」の認定はできない。
上記のような状況であるから、行政指導の背後に控える行政処分についての薬事法等の具体的根拠規定も存在しない中、超法規的ともいえる措置となる行政指導が作為義務とされる極めて例外的な事態となっていたものではないことは明らかである。
以上のとおりであり、本件では規制的行政指導をなすことが法的義務となる事態にも至っていなかったのであり、原判決の認定は、著しく正義に反すると認められる程の法令解釈の誤りをしている。
なお、ここでの作為義務は、国=厚生省としての行政上の「作為義務」であり、仮に、この「作為義務」が認められたとしても、被告人個人の「作為義務」が認定されるわけではない。被告人個人の「作為義務」の認定のためには、保障人的地位の充足性の吟味が必要である。
この点については、大塚裕史・前掲論文72頁は、「問題は、このような行政上の義務が刑法上の作為義務にまで高められるか否かにある。」として、行政上の義務と刑法上の義務を峻別すべきことを強調している。
ウ 刑法上の作為義務発生の根拠とされる諸事情の検討
仮に、行政指導についてもその「不行使がその許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるとき」場合には、行政上の作為義務違反を構成することになるという結論を前提としても、一般に、当該作為義務が直ちに刑法上の作為義務となるものではない。
これまで行政の不作為に関する責任追及は、国家賠償法上の責任が認められるかどうかという局面で問題とされていたが、国家賠償法においては、あくまで国の賠償責任の有無という観点から作為義務の有無が検討、判断されるものである。すなわち、私人間の不法行為に基づく賠償責任と同一の責任を問うものであり、その意味で、行政行為に対する民事的な責任の問題である。
しかしながら、一般に、同一の行為につき、民事上の不法行為責任が肯定されるか否かと刑法上の作為義務違反を構成し、刑事責任が肯定されるか否かは別問題である。刑事責任の重大性と刑法の謙抑性の観点からは、刑事責任を問いうる行為は、民事責任を問いうる行為と比べ、より違法性の強い行為、つまり可罰的違法性のある行為でなくてはならない。仮に、国家賠償法上、例外的に行政機関(行政官)に行政指導をなすべき作為義務が認められたとしても、行政官に当然に刑法上の作為義務が課されるものではなく、刑法上の作為義務の範囲は、より限定的に解釈されるべきである。
また、行政指導には、すでに規制権限行使としての行政処分の法律的要件を充足している場合において、当該行政処分の前段としてなされるもので、規制という観点から見たときに相当程度にその効果が望めるものから、必ずしも当該行政指導を担保する行政処分の根拠規定がなかったり、あってもその要件を充足しておらず、「お願い」ペースで出すものまで様々なものが存在しており、とりわけ、必ずしも効果が望めない行政指導をしなかったことが、刑法上の責任を問われる作為義務にまで昇華されるのかははなはだ疑問である。
よって、本件のように、行政官の不作為に業務上過失致死罪が成立するか否かの検討に際しては、行政上の作為義務を認めるための要件が安易に流用されてはならないのであって、その刑法上の作為義務の認定においては、当該行政官に刑法上の作為義務を画する保障人的地位があったといえるかどうかが慎重に検討されなければならない。
(ア) 法令や契約等に基づく、行為者と被害者との関係
本上告趣意書第2で述べたとおり、製薬会社に回収命令を発するのは薬務局監視指導課の所掌事務であり、製薬会社に対してドクターレターを発することは薬務局安全課の所掌事務であった。薬務局生物製剤課課長であった被告人が、法令上、本件被害者に対して作為義務を負うべき関係になかった。
また、後述する行政の公正性の見地からして、被告人が、ミドリ十字及びカッターという2社に対する関係でのみ中止・回収の行政指導を行うことなど到底できなかった。
しかも、本上告趣意書第7で述べる国家賠償法の趣旨に鑑みれば、上述のとおり、重大な過失があったまでとはいえない被告人に、刑法上の作為義務違反を認めることができないことも明らかである。
したがって、法令の規定上、被告人は、本件被害者との関係で刑法上の作為義務を負っていたなどということは到底出来ない。
(イ) 既に発生している危険にどの程度関与し、その危険を除去し得る地位にあるのか(危険の引き受け行為をしたといえるか)
本上告趣意書第2で述べたとおり、製薬会社に回収命令を発するのは薬務局監視指導課の所掌事務であり、製薬会社に対してドクターレターを発することは薬務局安全課の所掌事務であったのであるから、薬務局生物製剤課課長への就任をもって、危険の引き受けがあったなどということができないことは明らかである。
(ウ) 結果発生の危険にどの程度の原因を与えたか(先行行為性が認められるか)
被告人個人が、非加熱製剤の承認を行なったものではないから、被告人個人が、既に発生している危険に原因を与えた、すなわち、被告人に先行行為があったなどということができないことも明らかである。
本件においては、組織体自体の責任ではなく、あくまでも個人責任が問われていることを忘れてはならない。
(エ) 他に結果防止可能なものがどれだけ存在し、その者が被害法益とそれぞれのような関係があるのか(排他的支配の有無・程度)
薬事法上、「医薬品の安全性を確保すること」が目的に掲げられているが(薬事法第1条)、医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止については、当該医薬品を製造、販売する者が第一次的な義務を負い、また、当該医薬品を使用する医師の適切な配慮により副作用による被害の防止が図られるべきことは最高裁の判例が認めるところであり(クロロキン最高裁判決参照)、国のこの点における役割は後見的、補充的なものに過ぎない(クロロキン訴訟・東京高裁昭和63年3月11日判決・判例時報1271号3頁)。
このように、薬事法上、医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止の第一次的な義務は、製薬会社に課されており、医薬品の使用に伴う危険についても、医師の適切な配慮により安全性が図られることになっており、医薬品が国民にもたらす危険性については、当該医薬品を製造する製薬会社ないし当該医薬品を使用する医師に、被害結果に対する排他的支配が認められる。
また、本件においては、本上告趣意書第13で述べるとおり、本件の事実関係の下では、薬務局監視指導課や薬務局安全課としても、非加熱製剤について、十分な情報を取得しており、被告人からの働きかけを待つまでもなく、必要があれば、独自の判断で、非加熱製剤回収の行政指導や、ドクターレターの発出の行政指導を行なうことが十分に可能であったのであり、厚生省内部の問題としても、被告人に結果に対する排他的支配があったということはできない。
(オ) 結果防止のための一定の作為がなければ結果が現実に発生するという切迫した危険が生じていたといえるか(作為と同程度の結果惹起の可能性があるか)
第一審判決が、「被告人の過失行為が具体的な結果に結びつくケースが実際上限られていた」(第一審判決378頁)と認定しているように、本件で問題となっている各行政指導をしなかったことをもって、直ちに被害結果が現実に発生するといえるほどの危険が醸成されていたわけではなかった。
また、本件当時切迫した危険が存在していたと認定できない状況であったことは、本上告趣意書第9に記述するとおりである。
(カ) 期待された作為によって結果の防止がほとんど確実に可能であるか
本件では、ミドリ十字が、クリスマシンは国内血漿のみを原料として製造されているからエイズに対して安全である旨の虚偽宣伝を行なって非加熱第Ⅸ因子製剤を販売していた事実がある。本件で問題となっている作為は、あくまでも相手方の任意の協力が前提となる行政指導に過ぎず、厚生省が容認するはずがない虚偽宣伝を積極的に行なって非加熱製剤を販売していたミドリ十字が、厚生省の行政指導に従っていたという保証は全くない(町野朔ほか「〔座談会〕薬害エイズ事件をめぐって」法学教室258号39頁参照。)。
第一審判決も、本件の証拠関係に照らすと「生物製剤課からの販売中止・回収の指示・指導の対象が、『輸入血漿を使用した非加熱第Ⅸ因子製剤』という抽象的なものであったとすれば、ミドリ十字において、非加熱クリスマシンがこれに当たると判断して販売中止・回収を行ったかという点について疑義が生じないではない。」「『既に非加熱クリスマシンは国内血漿のみから製造していると宣伝して販売を続けているのだから、そのままいくしかない』と考えて、その販売中止・回収を行わなかった可能性が否定できないのではないかとも考えられる。」(第一審判決367頁)と認定している。
そもそも、原判決が踏襲する第一審判決では、行政指導はそれを下しさえすれば、およそ企業がそれに従うものとの前提で、裁判所の定立した作為義務を履行すれば、本件被害を阻止できたとの判断がなされている。
しかし、行政指導といっても、強制力を背景に行政処分の前段としてなされるものから、特段の要件規定が無いにもかかわらず、「お願い」ベースでなされるものまで、その内容は千差万別である。それを一括りにしておよそ行政指導であれば、企業はそれにしたがったはずであるとの原判決の論旨は非常に乱暴なものである。
原判決の定立した、加熱第Ⅸ因子製剤の承認後、その承認を受けたミドリ十字、カッターの非加熱第Ⅸ因子製剤の置き換え回収をなす行政指導をなすべきとの作為義務は、非加熱第Ⅸ因子製剤につき、必ずしも不良医薬品であることを前提にしないものと考えられるところ、そのような強制力を背景としない行政指導にミドリ十字が従ったかは証明ができていない。現に、同一性状の日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤が市場に出回っている以上、先行して加熱製剤を開発したミドリ十字が損失をこうむるような事態を、上記のように虚偽宣伝までして販売をしていたミドリ十字があえて選択したとは考えられないからである。
なお、ミドリ十字に対しては生物製剤課の安倍補佐が、昭和61年3月4日頃、非加熱第Ⅷ、第Ⅸ因子製剤について近く承認整理、回収の指示を出すとして、「安全性を考慮して優先審査して加熱製剤を承認したのであるから非加熱製剤とできるだけ早く切り換えたい」と非加熱製剤の切り換え回収をなす旨の意向を示していた(甲610の資料3)。また、東京医大付属病院の昭和61年3月10日付けの内部文書(甲272の資料4)でも、第Ⅸ因子製剤に関し「加熱処理した製剤が発売になり、厚生省はすみやかに各医療施設できりかえるよう指導している。」との記載が見られ、厚生省が非加熱製剤の切り換え回収の助言をしていることにつき、製薬会社から情報が寄せられていたものと判断される。このような状況にありながら、昭和61年4月時点で、ミドリ十字は、非加熱第Ⅸ因子製剤「クリスマシン」を東京医大付属病院に納入している事実が認定されている(第一審判決352頁、甲272)。また、このような指導を認識していながら、当該医療機関(=東京医大付属病院)では、その後も非加熱第Ⅸ因子製剤の購入をしているのである。
生物製剤課で行っていた、この切り換えの助言は、非加熱第Ⅸ因子製剤が不良医薬品であることを前提としたものではなく、各医療機関で加熱第Ⅸ因子製剤につき、その有用性の判断ができ、了解が得られれば、非加熱第Ⅸ因子製剤から加熱第Ⅸ因子製剤に切り換えていくよう助言をしていたものである。
一方、原判決の定立した「置き換え回収」という作為義務もまた、必ずしも、非加熱第Ⅸ因子製剤を不良医薬品とは断ぜず、一定の有用性を認めていたものであって、本質的には、当時、生物製剤課の行っていた切り換え回収の助言と異なるものではなく、被告人は事実上、原判決の定立した作為義務と同様のことを履行していたものである(原審で弁護人は、甲272の資料4及び甲610の資料3といった証拠を引用し、上記事実の指摘をしていたが、原判決は一切この事実に言及しておらず、明らかな審理不尽である。原審にて、この点、十分考慮していれば、判決の結論に変更があったはずである。)。
このように、当時、被告人は、原判決の定立した作為義務と同様のことを履行していたものであるが、そうであるにもかかわらず、ミドリ十字は、非加熱製剤の販売を中止しなかったのである。
本件の事実関係においては、原判決が定立した作為義務の履行によって、結果の防止がほとんど確実に可能であったなどということなど到底できないのである。
(キ) 結果発生防止のための作為が一般人(通常の行政官)にも容易であるか
本上告趣意書第9、同第10で詳述するとおり、昭和60年5月に、血液製剤の投与を受けていた血友病患者からのエイズ発症者が出た旨の公式認定が出された後も、専門家の意見は、非加熱製剤を直ちに回収せよというものではなく、むしろ「承認整理」を以って対処せよとの対応であった。また、加熱第Ⅸ因子製剤承認後においても、血液製剤特別部会長、エイズ調査検討委員会の委員であった藤巻医師の属する東京医大付属病院でなお非加熱第Ⅸ因子製剤を購入し、使用していた。
このように、本件当時、非加熱製剤におけるエイズ原因ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡に対する危険意識は、原判決が肯認した第一審判決が、本件の事実関係の下では、訴因第2の事実の時点においても、本件非加熱製剤につき一律に販売中止・回収の措置をとることができない状況にあったとして非加熱第Ⅸ因子製剤の一定の有用性を肯認していることからも明らかなとおり、非加熱製剤の有用性と相まって、極めて相対的なものであった。
もちろん、被告人に対して、原判決が指摘するような作為を行なうことを求めてきた者やその旨の助言をしてきた者は皆無であった(第一審判決378頁参照)。
また、少なくとも、訴因第2の事実の当時、製薬会社に対して本件非加熱製剤を回収するよう行政指導することや、製薬会社に対し、本件非加熱製剤に関するドクターレター等を発するよう行政指導することが、生物製剤課の所掌事務であるとの認識は、誰も有していなかった。
したがって、通常の行政官が本件当時の被告人の立場に置かれたとしても、結果発生防止のための作為をなすこと、すなわち、製薬会社に対して本件非加熱製剤を回収するよう行政指導することや、製薬会社に対し、本件非加熱製剤に関するドクターレター等を発するよう行政指導することは全くもって不可能であった。
(ク) 小括
以上のとおり、作為義務を発生させる諸事情を検討すれば、本件の事実関係においては、被告人に被害結果を防止すべき保障人的地位があったということができないことは明らかであり、被告人には刑法上の作為義務があったということはできない。
(ケ) 正犯性の不存在
なお、「過失犯については、作為犯にせよ不作為犯にせよ、もともと遡及禁止は妥当しない。それゆえ、故意作為とは異なり、同一の結果惹起について、過失行為が競合することはありうるし、また、とくに本件のように一種の監督過失が問題となっている場合には、過失行為者に対する指示により、あるいは独立して、結果を回避することがまさに作為義務の内容をなしているのであり、このような場合には排他的支配は問題となりえない」(山口厚・前掲論文18頁)とする見解がある。
かかる見解は、問題となっている過失不作為犯の可罰性については、当該不作為者に、正犯性が認められるか否かで振り分けを行なうようである(周知のとおり、過失の共犯は不可罰である。)。
そして、不作為による従犯を認めるべき場合と不作為による正犯を認めるべき場合との振り分けについては、学説は、「不作為者が、(a)法益保護義務(結果発生を直接回避すべき保証人的義務)を負う場合になり、たとえば、自分の幼児が第三者に殺されそうになっているのに、これを阻止しなかった父親については、父親には幼児を救助すべき義務があり、これは正犯を基礎づける保証人的義務というべきであるから、この父親に対しては、不作為の正犯が成立するが、(b)犯罪防止義務(結果回避以前の保証人的義務)を負うにとどまる場合には、従犯になるのであり、たとえば、自分の監護下にある未成年の子が第三者を殺害しようとするのを知りながらこれを制止しない父親がいたとしても、この父親には、第三者の生命を保護すべき直接の義務はなく、未成年の子に対する監護義務との関係でその犯行を防止する義務があるにすぎないから、このような義務違反は子の殺人の犯行を容易ならしめる機能をもつに止まり、従犯を基礎づける保証人的義務であって、この父親に対しては不作為による殺人幇助が成立する、とする二分説的見解が有力に唱えられている。」「しかし、これに対しては、(a)の類型の場合も従犯であるとする見解の方が多数説を形成しているといってよいであろう。」「思うに、(a)の類型の場合と(b)の類型の場合とで、不作為に出た者の当罰性に格段の差があるとはいえないのであり、正犯性については、作為犯とパラレルとなるように事案に応じた実質的判断をすべきであり、原則的には、(a)の類型の場合も、不作為者の主観面及び第三者の犯行状況からして、当該犯罪は第三者の犯罪であり、不作為者はこれに片面的に加功したものと見るのが相当であろう。」としている(「大コンメンタール刑法〔第2版〕5巻」554頁以下〔堀内信明=安廣文夫執筆〕参照。)。以上を前提に、本件において被告人に正犯性が認められるかを検討するに、上述のクロロキン訴訟最高裁判決によれば、「医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止については、当該医薬品を製造、販売する者が第一次的な義務を負うものであり、また、当該医薬品を使用する医師の適切な配慮により副作用による被害の防止が図られる」べきなのである。
つまり、患者の生命の保護という視点から第一次的な責任を負うのは医療機関ないし製薬会社なのであり、厚生省は第二次的責任を負うに過ぎない。当然のことながら、厚生省の一行政官に過ぎない被告人の責任も、二次的責任以下のものでしかない。
本件において被告人に法益保護義務(結果発生を直接回避すべき保証人的義務)がないのはクロロキン訴訟最高裁判決の趣旨からして明らかであり、あってもせいぜい製薬会社を監督すべき厚生省の一行政官としての製薬会社への指導を通じての犯罪防止義務(結果回避以前の保証人的義務)に過ぎない。これは、上記不作為による従犯を認めるべき場合と不作為による正犯を認めるべき場合との振り分けに関する有力説の基準を前提にしても、被告人には正犯性が認められない。
本件で「正犯」として刑事責任が追及されるべきは、本件非加熱製剤の危険性を熟知しながら、あえて虚偽宣伝まで行なって本件非加熱製剤の販売を継続したミドリ十字の役員達である。訴因第2の事実の被害者の「死」という結果に対する被告人の関与の程度は、限りなくゼロに近く、仮に関与があったと言ってみたとしても、せいぜい幇助的な形態に過ぎないことは明らかである。
したがって、過失不作為の可罰性を、正犯性の有無で振り分ける見解からしても、被告人に可罰性を肯定することができないことは明らかである。
(コ) 行政官の作為義務の特性
行政は法に基づいて行なわなければならない。そこで、行政官について保障人的地位を考察するにあたっては、従来、学説でいわれているものの他に、要求される作為が、法に基づく行政の原則から是認できるものであるか否かを慎重に検討しなければならない。
既述のとおり、医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止については、当該医薬品を製造、販売する者が第一次的な義務を負うものであり、また、当該医薬品を使用する医師の適切な配慮により副作用による被害の防止が図られることが法律上予定されている(クロロキン訴訟最高裁判決参照)。
そして、本件においては、本件非加熱製剤を不良医薬品と認定することはできなかったのであるから(現に認定されていないのであるから)、被告人としても、これを担保する具体的な規制権限が充足されていないにもかかわらず、いわば超法規的ともいえる措置として(法に基づく行政の原則をひとまず度外視して)、本件非加熱製剤の回収という(製薬会社の営業の自由を侵害する)規制的行政指導を行うべきか否かという選択を迫られることになる。しかも、本件で問題となっているのは、行政官個人としての刑事責任である。後見的地位しか有しない行政官一個人が、法に基づく行政の原則を度外視して(製薬会社の営業の自由を侵害する)規制的行政指導を行なわないことが、「犯罪」ということができるかどうかが問われているのである。
しかし、行政官一個人が、法に基づく行政の原則を度外視して(製薬会社の営業の自由を侵害する)規制的行政指導を行なわなかったという不作為が、「犯罪」を構成するというためには、ポリオワクチンの緊急輸入の場合における如き、極めて例外的な事態の切迫性が要求されるべきである。
ところが、本件においては、本上告趣意書第9、同第10で述べるとおり、ポリオワクチンの緊急輸入の場合における如き、極めて例外的な事態の切迫性は生じていなかった。したがって、行政官である被告人が、例外的に刑法上の作為義務を負担すべき事案であったなどということは到底できないのである。
3 まとめ
以上のとおり、本件の事実関係の下においては、被告人に刑法上の作為義務があったということなど到底できない。
そうであるにもかかわらず、原判決は、行政指導の特殊性を無視して、本件の事実関係の下、被告人に行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第4 〔上告理由第3点〕原判決は、法に基づく行政の原則を無視し、薬事法の回収命令の要件充足性を検討することなく、被告人に対し、2社に対して出庫済の非加熱第Ⅸ因子製剤を速やかに回収するよう行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
以下に述べるとおり、2社に対する中止・回収の行政指導をなす作為義務が認められるためには、少なくとも、薬事法第70条に定める回収命令の要件充足性が必要であるところ、原判決は、法に基づく行政の原則を無視し、薬事法の回収命令の要件充足性検討をすることなく、被告人に対し、2社に対して出庫済の非加熱第Ⅸ因子製剤を速やかに回収するするよう行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
2 原判決の摘示
被告人の作為義務の有無の判断に際し、第一審判決は、
(1) 「(作為義務は)もとより刑法上の評価として判断されるものであるが、その検討に当たっては、厚生省、薬務局、さらには生物製剤課の職責ないし権限に関する法令上の規定が重要な手掛かりになると考えられる。また、本件においては…このような事実関係において、薬務行政担当者である被告人の不作為に過失犯の実行行為性を認めることが相当であるかという問題が存在することにも留意する必要がある。」(第一審判決25頁)
(2) 「もとより行政は法律によって付与された権限の裏づけをもって行われるべきであるから、こうした権限を離れて無限定に作為義務を課すことは相当でないが、以上のような行政措置を裏付けるべき厚生大臣の権限には、薬事法74条の2第1項の承認取消し等を前提とする同法第70条を根拠とする回収命令、同法69条の2を根拠とする緊急命令、医師法24条の2を根拠とする医師に対する指示等が存在した。現実には、こうした法律に直接根拠を有する措置をとるまでもなく、当局による行政指導に製薬会社が従って、いわゆる自主回収や、副作用情報のドクターレター発出などが行われて目的を達していたため、上記諸規定に基づく命令等が発動されるような例はほとんどなかったが、このような実態が行政指導を行う根拠を失わせるものではないことはいうまでもない。そして、このような当時の実情に照らせば、本件においても、生物製剤課が上記各製薬会社に対し、上記のような回収等を行うよう求める等の行政指導を行うことに特段の支障はなかったというべきであり、こうした指示・指導を行っていれば、各製薬会社がこれに従っていたであろうことも、優に推認される。」(第一審判決358頁)
として、2社に対する中止・回収の行政指導をなす作為義務を肯定している。かかる第一審判決につき、原判決は、
「原判決は、被告人に対し、薬事法70条等を直接の根拠として注意義務の前提としての作為義務を認定しているものではないところ、原判決認定の事実関係のもとにおいては、薬事法(…)の目的、同法の規定する医薬品の品質、有効性及び安全性を確保するための所論の言う回収命令等の諸権限…に徴すると、その権限行使は裁量の余地のない状況に至っており、その権限行使は法的義務となると判示していると解される…」(原判決25頁)
と述べている。
3 薬事法上の回収命令についての要件充足の必要性
第一審判決が、上述のとおり、業務上過失致死罪を基礎づける刑法上の作為義務の認定に際しては、行政法上の根拠規定が重要な手掛かりになるとし、上述2(2)のとおり、当該根拠規定として薬事法第70条に定める回収命令を掲げている点は、(その結論は別にして)、その思考過程としては、妥当と考える。
しかしながら、2社に対する中止・回収の行政指導をなす作為義務が認められるためには、刑法の謙抑性、法に基づく行政の観点から、少なくとも、本件具体的状況に照らして、薬事法第70条に定める回収命令を発することができる要件充足性が認められなければならない。
何故ならば、(当該薬事法上の義務の主体が厚生省という組織において具体的に誰であるかという点については、さておくとしても)薬事法上明文で定められている回収義務すら存在しない場合に、それでもなお同一内容の刑法上の回収義務を課すことは、当該薬事法上の義務に比べてより広範に刑法上の作為義務を課し、その処罰範囲を拡大することを意味する点で、明らかに刑法の謙抑性に反するからである。また薬事法上、回収義務が存在しない事項につき、刑法上の回収義務を課すということは、薬事行政上、薬事法に基づき製剤の回収を行うべき立場にある行政に対し、法律に基づかない回収の実行を要求し、その不作為が犯罪であるとする点で、法に基づく行政の要請、行政に関する法秩序全体の統一性と相容れないことが明白だからである。
なお、第3の2(4)にて述べたとおり、クロロキン訴訟最高裁判決に関する最高裁判例解説においては、「規制権限行使の要件が法定され、右要件を満たす場合に権限を行使しなければならないとされているときは、右要件を満たすときに作為義務が認められることになると考えられる。これに対し、権限行使の要件は定められているものの、権限を行使するか否かにつき裁量が認められている場合や、権限行使の要件が具体的に定められていない場合には、規制権限の存在から直ちに作為義務が認められることにはならない。」(山下郁夫著「平成7年最高裁判例解説民事編」597頁及び598頁)と述べられており、国家賠償法上の公務員の作為義務の有無についてではあるが、明文上、規制権限行使の要件を満たす場合に権限を行使しなければならないと規定されている場合ですら、公務員の作為義務を肯定するに際し、当該要件の充足を当然の前提としている。
このように、薬事法第70条の回収命令が権限行使につき裁量を認めているにもかかわらず、その要件の充足すら検討することなく、作為義務を肯定することは、薬事法に基づき行われるべき薬事行政における不作為の違法行為の有無の判断においてはとり得ない解釈である。
従って、仮に、第一審判決のとおり刑法上の回収義務を肯定するのであれば、本件具体的状況において薬事法第70条の回収命令を発すべき要件が充足されていたか否かの検討がなされ、かかる要件が肯定されることが必要不可欠である。
4 回収命令の要件充足性の検討の欠落
しかしながら、現実には、第一審判決は、かかる薬事法第70条の回収命令の要件充足性を検討することなく、被告人に2社に対する中止・回収の行政指導をなす作為義務を肯定し、その刑事上の責任を肯定しているのであって、かかる判断は、明らかに刑法第211条に違反すると共に、審理不尽である。
また、原判決も、上述のとおり、「原判決(=第一審判決)は、被告人に対し、薬事法70条等を直接の根拠として注意義務の前提としての作為義務を認定しているものではないところ、原判決(=第一審判決)認定の事実関係のもとにおいては、薬事法(…)の目的、同法の規定する医薬品の品質、有効性及び安全性を確保するための所論の言う回収命令等の諸権限…に徴すると、その権限行使は裁量の余地のない状況に至っており、その権限行使は法的義務となると判示していると解される…」と判示するのみであり、第一審判決が、薬事法第70条の回収命令の要件充足性の検討をしていない点を等閑視している。
よって、原判決には、明白な審理不尽があり、刑事訴訟法第411条第1号に定める「判決に影響を及ぼすべき法令の違反」が存在する。
5 回収命令の要件を満たしていないこと
(1) 当時の具体的状況に照らして、薬事法第70条の回収命令の要件は充足されておらず、行政には「(カッター及びミドリ十字の2社をして、非加熱第Ⅸ因子製剤を)回収させる措置を講ずる」義務は存在しなかった点につき、主張する。
(2) 薬事法第70条第1項によれば、「厚生大臣…は、…医薬品を…業務上取り扱う者に対して、…第56条…に規定する医薬品…第74条の2第1項の規定により製造又は輸入の承認を取り消された医薬について、廃棄、回収その他公衆衛生上の危険の発生を防止するに足りる措置を採るべきことを命ずることができる。」と規定され、同法第56条によれば、「次の各号のいずれかに該当する医薬品は、販売し、授与し、又は販売若しくは授与の目的で製造し、輸入し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。…(第6号)病原微生物により汚染され、又は汚染されているおそれがある医薬品」と規定されている。また同法74条の2第1項は、「厚生大臣は…第14条の規定による承認を与えた医薬品…が同条第2項各号のいずれかに該当するに至ったと認めるときは、その承認を取消さなければならない。」、同法第14条第2項は、「前項の承認は、…次の各号のいずれかに該当するときは、その承認は、与えない。…(第3)…医薬品に不適当なものとして厚生省令で定める場合に該当するとき。」と規定している。更に、同法施行規則第18条の2は、「法第14条第3項…の規定する医薬品等として不適当な場合は、申請に係る医薬品…の性状又は品質が保健衛生上著しく不適当な場合とする。」と規定している。
(3) しかしながら、カッター及びミドリ十字の2社の製品に限らず、当時我が国において製造又は輸入が承認され、市場に流通していた非加熱第Ⅸ因子製剤全般は、薬事法上の回収命令の対象とされる同法第56条第7号に定める「病原微生物により汚染され、又は汚染されているおそれがある医薬品」にも該当せず、且つ、同法第74条第1項に定める「承認取消」の要件も充足していないため、製造又は輸入承認を取り消された医薬品でもなかった。従って、当時、厚生省として、非加熱第Ⅸ因子製剤について、回収命令を発することはできなかった。
よって、被告人に当該措置に裏付けられた行政指導をすべき作為義務を認めることはできない。
(4) これを具体的にみると次のとおりである。
訴因第2の事実において、患者に投与されたとされる非加熱第Ⅸ因子製剤であるクリスマシン3本中及びこの3本と同一ロットにエイズ原因ウイルスが混入していたという事実及び供血者中にエイズ発症者が出たといった事実も立証されておらず、且つ、昭和60年12月当時、そのような情報は厚生省にもたらされていなかった。
従って、当時、当該個別のクリスマシンを「病原微生物により汚染され、又は汚染されているおそれがある医薬品」と認定しなかった、又は、認定し得なかったことは当然である。
加えて、当時は非加熱製剤に対する抗体検査もできず、且つ、当時のエイズ発症の患者数に照らしても外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤全てがほぼ確実に
エイズ原因ウイルスに汚染されているといった事実もなく、また当時既に肝炎ウイルスが相当高頻度で非加熱第Ⅸ因子製剤に混入している可能性が指摘されていたにもかかわらず、それ故回収命令を発するべきだとの認識は誰も有していなかった。さらに、エイズ発症率等の知見に照らし、エイズ原因ウイルスの混入のリスクが肝炎ウイルスの混入のリスクと質が違うものとは認識されていなかった。そもそも非加熱第Ⅸ因子製剤の承認が一斉ではなく五月雨式になされることが予定されていたこと自体、治験医や血液製剤調査会等の委員である専門家においても非加熱第Ⅸ因子製剤と加熱第Ⅸ因子製剤の並存が不可との認識を有していなかったことを示すものである。
従って、当時の知見の下、我が国に存在する外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤全般を「病原微生物により汚染され、又は汚染されているおそれがある医薬品」と認定しなかった、又は、認定し得なかったことは当然である。
なお、このような状況は、昭和63年4月における政府(内閣法制局)の見解にも沿ったものである。
(5) 上述のとおり、承認取消事由は、承認の審査の際の承認拒絶事由と同一であるところ(薬事法第74条の2第1項による同法第14条第2項の準用)、薬事法上、薬剤の承認に際しては「名称、成分、分量、構造、用法、用量、使用方法、効能、効果、性能、副作用等」が審査の対象とされているが(第14条第2項)、そもそも、血液濃縮製剤一般の承認審査において、当該製剤の原料血漿が外国由来であるか否かということは、審査の対象とされていない。
加えて、生物学的製剤については薬事法の規定を受けて生物学的製剤基準が定められているが、当該基準に違反していない非加熱第Ⅸ因子製剤につき、外国由来という理由だけで検察官の主張する如く「性状又は品質が保健衛生上著しく不適当」であると認定することはできない。
従って、当時、我が国に存在する外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤につき承認取消を前提とする回収命令を発することはできなかった。
(6) 更に、当時、他社製品と比較して、カッター及びミドリ十字の2社の製品についてのみ回収命令を命ずべき要件を満たしていたという事実も存在しなかった。にもかかわらず、同じく外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤である日臓製品は回収命令の対象としないという対応は、明らかに論理的整合性を欠いている。
6 まとめ
このように、原判決は、法に基づく行政の原則を無視し、薬事法の回収命令の要件充足性検討をすることなく、被告人に対し、2社に対して出庫済の非加熱第Ⅸ因子製剤を速やかに回収するよう行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第5 〔上告理由第4点〕原判決は、およそ行政行為には公平性が求められることを等閑視して、被告人に、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていた製薬会社2社に対して、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
原判決は、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を取得していなかった日臓に対して非加熱製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するように行政指導することはできないという前提のもと、被告人には、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていた製薬会社2社(=ミドリ十字、カッター)に対しては、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導を行なう業務上の注意業務があったとしている。しかしながら、行政指導も含めた行政行為に一般的に要求される公平性の原則からすれば、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認の取得していた製薬会社に対してのみ非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導を行なうということなど許されるものではない。そうであるにもかかわらず、原判決は、およそ行政行為には公平性が求められることを等閑視して、被告人に、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていた製薬会社2社に対して、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
2 行政指導の公平性との関係
(1) 本上告趣意書第3で述べたとおり、行政手続法第35条及び第36条にその趣旨が具体化されているように、一般に、行政指導を行うに際しては、その内容が明確であることが求められると共に、その透明性、公平性が要求される。
かかる行政指導の公平性という観点からすれば、そもそも原判決が作為義務の前提として是認した中止・回収の行政指導は、著しく不適切で法治行政の枠を逸脱するものであり、刑法上の作為義務の対象とはなり得ない。
(2) 原判決の是認する第一審判決は、「当時存在した各種の第Ⅸ因子製剤を比較すると、本件加熱製剤等が、本件非加熱製剤よりもエイズに対する安全性の点において格段に優り…有意な差が認められる」(第一審判決348頁)、「前記のような代替医薬品との間における有意な差の存在は、十分に行政権限発動の契機となり得るものであった」(第一審判決353頁)と判示した上、被告人に対し、外国由来の血漿から製造された非加熱第Ⅸ因子製剤である本件非加熱製剤(第一審判決は、「国内血漿のみから製造されたもの及びエタノール処理がなされたものを除く非加熱第Ⅸ因子製剤」を「本件非加熱製剤」と定義しており(第一審判決341頁)、本件非加熱製剤に該当する外国由来の血漿から製造された非加熱第Ⅸ因子製剤は、カッター、ミドリ十字、日臓の3社の製品が存在していた。)を製造する3社のうち、日臓を除く2社に対する中止・回収の行政指導をなすべき作為義務を肯定した。
(3) しかしながら、上述のとおり、第一審判決が「2社に対する中止・回収の行政指導の作為義務」を認めた根拠は、本件加熱製剤等に比べて、本件非加熱製剤がエイズに対する安全性において格段に劣っていた点にあり、同時に第一審判決は、3社の本件非加熱製剤におけるエイズに対する安全性については行政権限発動の契機となる有意の差を認めていない。
従って、(当該事実認定の是非はさておき)第一審の判決を前提とすれば、本来、医師による本件非加熱製剤の使用に基づく患者の死亡という結果を回避するために、行政としては、3社の本件非加熱製剤全ての中止・回収を実現すべきであったことになる。
にもかかわらず、第一審判決は、「供給面での困難等の問題」(第一審判決348頁)を理由に、3社全ての本件非加熱製剤の回収義務を否定する反面、2社に対する中止・回収の行政指導をなすべき作為義務を業務過失致死罪の作為義務として肯定しているのである。
(4) しかしながら、第一審判決を前提とすれば、薬務行政の観点からは、本件非加熱製剤について、外国由来の血漿から製造されたという同一の理由に基づいて、エイズの安全性につき同程度の懸念が認められるというのであるから、本件非加熱製剤については、それがどの製薬会社により製造又は輸入されたかということは、行政による対応の必要性においては全く考慮してはならないことになるはずである。
この点、上述の薬事法第70条第1項の回収命令との関連で言えば、(本上告趣意書第4で述べたとおり真実は異なるが)仮に、カッター及びミドリ十字の非加熱第Ⅸ因子製剤につき、回収命令を発動すべき薬事法上の要件が充足されていたとすれば、外国由来の血漿から製造されたという点で全く同一の状況にある日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤も同様に回収命令の対象となり得たものである。それにもかからず、当時加熱製剤の承認申請すらしておらず、自社で加熱製剤を販売していない製薬会社には、回収命令を発動せず、積極的に加熱製剤の承認を申請し、エイズに対する安全性に配慮した製薬会社についてのみ回収命令を発動するなどということは、エイズに対する安全対策というそもそもの目的に照らせば、著しく不公正かつ不完全な行政対応であることは明白であり、このことは回収命令を根拠とする行政指導についても何ら変わるところはない。
他方、本件非加熱製剤が薬事法上の回収命令発動の要件を備えていない場合においても、本来、法治行政の観点から薬事法に基づく回収命令を発動できないにもかかわらず、「医薬品の安全性の確保及び副作用による被害の防止については、当該医薬品を製造、販売する者が第一義的な義務を負うものであり」とされる(クロロキン訴訟最高裁判決)製薬会社に対し、薬事法に基づく薬務行政の観点から後見的に薬の製造、販売等に関与する役割を担う行政が、結果的にエイズへの対応に遅れた製薬会社には自社製品の回収を求めず、より積極的にエイズの安全性に配慮した製薬会社にのみ自社製品を回収するよう行政指導することは、これまた明らかに著しく不公正かつ不完全な行政対応である。
なお、根本的に言えば、本件当時、エタノール処理された「プロプレックス」、国内血を原料血漿とする「PPSB」についてはもとよりエイズ原因ウイルスに対する安全性も証明されたものではなく(詳しくは、本上告趣意書第11に記載のとおり)、それらと外国由来の原料血漿由来の2社の非加熱製剤を区別して、2社の非加熱製剤のみの置き換え回収の行政指導するということは、行政の公平性という観点から見てもありえない立論であるといえる。
3 法に基づく行政という観点の欠落
この問題は、単に、製薬会社が行政指導に従ったかどうかという結果回避の実現可能性の問題ばかりではなく、法に基づく行政の観点から、当時の客観的事情に照らし、そもそも著しく不当で違法な行政の権限行使又は介入となるような行政指導の作為を業務上過失致死罪の作為義務として認定すること自体が、業務上過失致死罪の解釈として失当であるということに他ならない。
被告人に対し、政策判断を必要とする薬務行政に携わる行政官としての立場における不作為につき刑事責任を問う以上、少なくとも行政のあり方として当然に求められる適法且つ明確性、公平性を備えた行政権限の発動ないし職務の遂行という枠内において、業務上過失致死罪の作為義務の成否を検討すべきである。仮に、第一審の判示した2社に対する中止・回収の行政指導をなす作為義務を前提とすれば、被告人が、当該作為義務を果たしていたとしても、仮に訴因第2の事実と同時期に日臓の本件非加熱製剤を投与されて死亡した血友病B患者がいる場合、被告人には当該患者に対する業務上過失致死罪は成立しないこととなろう。
しかしながら、一般に、血友病B患者の治療として本件非加熱製剤の投与がなされていた状況に照らし、且つその投与を控えさせることが薬務行政の役割であったとすれば、たまたま患者が投与された製剤がどの製薬会社により製造又は輸入されたものであるかによって、刑事責任が肯定されたり否定されたりすることは不合理であろう。
にもかかわらず、敢えて3社全ての本件非加熱製剤の回収義務を否定する反面、2社に対する中止・回収の行政指導をなすべき作為義務を業務過失致死罪の作為義務として肯定した第一審は、明らかに業務上過失致死罪の解釈を誤ったものであり、「本件はミドリ十字の製剤による結果発生の事案であって、この結果発生との因果関係を前提とする注意義務としては同社に対する措置をもって必要かつ十分であったと考えられる」(原判決27頁)としてこれを是認する原判決の誤りは明白である。
4 まとめ
このように、原判決は、およそ行政行為には公平性が求められることを等閑視して、被告人に、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていた製薬会社2社に対して、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導をなすべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第6 〔上告理由書第5点〕原判決は、被告人の所掌事務の範囲や行政組織のあり方を無視して、被告人に厚生省内の他の関係部局に働きかけるべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
原判決は、被告人に対し、自ら立案し必要があれば厚生省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして、加熱第Ⅸ因子製剤の輸入承認を受けていたミドリ十字等2社に対し、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止するとともに出庫済みのものを速やかに回収するよう行政指導を行なうとともに、本件非加熱製剤を製造販売していた製薬会社3社に対し、第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師に向けてドクターレター等を発するよう行政指導する旨の注意義務を課しているが、製薬会社に回収命令を発するのは薬務局監視指導課の所掌事務であり、製薬会社に対してドクターレターを発することは薬務局安全課の所掌事務であった。
しかも、本件の事実関係の下では、薬務局監視指導課や薬務局安全管理課としても、非加熱製剤について、十分な情報を取得しており、被告人からの働きかけを待つまでもなく、必要があれば、独自の判断で、非加熱製剤回収の行政指導や、ドクターレターの発出の行政指導を行なうことが可能であった。
そうであるにもかかわらず、原判決は、被告人に対し、上記のとおり、薬務局監視指導課や薬務局安全課に対して権限行使を促す義務を課した上で、被告人には、かかる業務上の注意義務を怠った過失があるとして業務上過失致死罪の成立を認めており、法令の解釈適用を誤った違法があり、結論において処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
2 被告人の所掌事務から見て他課に働きかけるべき刑法上の義務は発生しないこと
原判決が是認した第一審判決は、「仮に生物製剤課の行政指導に製薬会社が従わない等の理由から、上記命令等が必要になった場合には、被告人としては、関係部局に対してその権限行使を促すための協議を求めるべきであった」(第一審判決358頁)などとして、被告人に、厚生省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促す」等の義務を認めている。
これは、被告人に対して、一種の進言義務を認めたものと解されるが、ある者が意見具申、進言をしなかったことを過失と認めるためには、その者が結果を防止する注意義務を負っていることが必要になる(出田孝一「最高裁判所判例解説刑事篇・平成3年度201頁」。
しかし、本上告趣意書第2で述べたとおり、生物製剤課の所掌事務は、厚生省組織令第59条に規定されている①生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の生産に関する技術上の指導監督を行うこと、②生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の製造業及び輸入販売業の許可並びに製造及び輸入の承認を行うこと、③生物学的製剤及び抗菌性物質製剤の基準並びに検査及び検定に関すること、④生物学的製剤及び抗菌性物質製剤に関する輸出検査法の施行に関すること、⑤生物学的製剤の配給に関すること、⑥採血及び供血のあっせん業取締法の施行に関すること、とされていたのであり、製薬会社に回収命令を発するのは薬務局監視指導課の所掌事務であり、製薬会社に対してドクターレターを発することは薬務局安全課の所掌事務であった。
3 情報が十分に共有されていたこと
しかも、本上告趣意書第13で述べるとおり、薬務局監視指導課や薬務局安全課としても、非加熱製剤について、十分な情報を取得しており、被告人からの働きかけを待つまでもなく、必要があれば、独自の判断で、非加熱製剤回収の行政指導や、ドクターレターの発出の行政指導を行なうことが可能であった。
したがって、本件においては、被告人が、わざわざ薬務局監視指導課や薬務局安全課に対して権限行使を促す必要などなかったのである。
4 行政組織法上、被告人が直接他課に働きかけることなどできなかったこと
特定の課の課長としては、政策目的の実現のため、上司をして他課に働きかけてもらうよう上申することがあるのは別段、自身が直接に他課に働きかけを行なって政策目的を実現するなどということは、行政組織上、不可能な事柄である。即ち、同一局内の他課に働きかける場合は、両課を統括する局長を通じて他課に、局を異にする他課に働きかける場合は、局長から両局長の上司である次官を通じて他局の他課に働きかけるという形をとるのが行政組織の常であり、課長が直接他の課長に働きかけるという作為義務自体、現実的ではない。
原判決は、可能性のない作為義務を課していることになる。
5 権限と責任の所在が不明確であったこと
(1) そもそも、行政組織における事案処理は、「組織による処理」ともいうべき形を取ることが多く、実際上、当該行政庁の職員が、行政庁に代わって、行政庁に属するはずの事案処理権限の一部または全部をみずから行使するという事態が常態化しているといわれているところ(小早川光郎「行政組織法と行政手続法」公法研究50号170頁以下)、行政組織における事案処理の責任が問題となった際には、それぞれの事案についての責任が、確実に、かつ、担当者自身にとってもそれ以外の者にとっても明瞭な形で配分されていることが必要である(小早川光郎・前掲論文168頁)。
ところが、本件で問題となっている行政官の職責は、「加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能となった時点において、自ら立案し必要があれば同省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止させるとともに、自社の加熱第Ⅸ因子製剤と置き換える形で出庫済みの未使用非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させ、さらに、第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師をして、本件非加熱製剤の不要不急の投与を控えさせる措置を講ずることにより、本件非加熱製剤の投与によるエイズ原因ウイルス感染及びこれに起因するエイズ発症・死亡を極力防止する」という、極めて複雑な行政指導であるが、本件当時、このような厚生省内の他の関係部局等と協議を遂げて権限行使を促すなどの権限或いは責任が、生物製剤課の課長に与えられているとの点について、被告人はもとより関係部局の者に対してそのような権限あるいは責任が存在しているということが明確にされてはいなかった。
本件当時、明確にされていなかった権限・責任に基づき、被告人の処罰の根拠とすることは、罪刑決定主義に違反するものであるし、また、このような形での処罰は、処罰の予測可能性を失わしめ、犯罪の範囲を無限に広げるもので罪刑法定主義に反する。
6 まとめ
原判決は、被告人の所掌事務の範囲や行政組織のあり方を無視して、被告人には、厚生省内の他の関係部局に働きかけるべき作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第7 〔上告理由第6点〕原判決は、法秩序の全体の統一性の見地を無視し、国家賠償法の趣旨を全く省みずに、本件の事実関係において、被告人に刑法上の作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しており、明らかな法令解釈有用の誤りを犯しており、これを破棄しなければ、著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
国家賠償法の解釈上、判例・通説は、公務員の直接賠償責任を認めておらず、また、同法第1条第2項は、公務員に故意又は重大な過失があった場合に限って、国又は公共団体は、公務員に対して求償権を有するとしている。かかる国家賠償法との権衡・法秩序の統一性の見地からすれば、本件の事実関係の下で、公務員である被告人に過失があるとして業務上過失致死罪の成立を認めた原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、また、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しているから、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
2 国家賠償法の趣旨を斟酌する必要性
第一審判決及びこれを是認した原判決は、被告人の注意義務(刑法上の作為義務の有無)を検討するにあたって、「厚生省、薬務局、さらには生物薬剤課の職責ないし権限に関する法令上の規定が重要な手がかりになると考えられる。」などとして、「法令の規定」として薬事法等の法令のみを検討するという不当な解釈を行っている。
しかし、本件では、公務員である被告人が、国の公権力を行使するに当たっての個人責任(刑事責任)が問われているのであるから、その作為義務の判断に当たっては、当然に国家賠償法1条の趣旨をも勘案しなければならない。
そして、公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行った場合に、故意又は過失により他人に損害が生じたとしても、当該公務員の個人責任については、これを一貫して否定するのが判例・通説である。すなわち、最高裁昭和53年10月20日第一小法廷判決・民集第32巻第7号1367頁は、「公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最三小判昭和30.4.19民集9巻5号534頁、最三小判昭47.3.21裁判集民事105号309頁等)。」と明言しているところであり、公務員が個人として賠償責任を負うことがないことは、強固な判例理論として確立している。判例によれば、公務員個人を被告として、民法に基づく損害賠償請求訴訟が提起されたとしても、当該請求は棄却される。
3 少なくとも重過失が要求されること
また、国家賠償法第1条第2項は、公務員に故意又は重大な過失があった場合にのみ、国又は公共団体は、当該公務員に対して求償権を有するとしている。
したがって、民事上、公務員が、職務を行なうに当たって、他人に損害を与えたとしても、少なくとも重大な過失が存しなければ、個人としての賠償責任を負わされることはない。
4 公務員の個人責任を制限する必要性
公務員に個人としての賠償責任を厳しく制限する理由としては、様々な事情が存在するといわれているが、もっとも重要なのは、公務員の直接的個人責任を認めると公務員が萎縮し円滑な公務執行が阻害されるというものである(常岡孝好「行政の不作為による刑事責任-行政法学からの一考察」ジュリスト1216号26頁。なお、宇賀克也「国家補償法」95頁も公務員に直接個人責任を認めることが、公務員を危険嫌忌的(risk-averse)にし、公務の適正果敢な運営を阻害し、ひいては、公的部門の人材確保を困難にするおそれがある、公務員個人責任のかかるデメリットは看過しえず、メリットとデメリットを比較衡量した場合、公務員個人責任を否定することには、相当の根拠があると考える、と指摘している。ちなみに、行政法上、被害者の報復感情の満足や違法行為の抑止については、刑事訴追や懲戒、求償等により、その目的を達することもできるといわれることが多いが、これらは公務員の故意行為や職権濫用または私利私欲を図る行為など悪性の強いものを念頭においた議論であり、本件のように不作為による過失行為の有無が問題になっているに過ぎない事例において、積極的に刑事訴追を行うべきことまで要求する主張ではない(常岡孝好・前掲論文26頁・注41))。
このように、公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行った場合に、故意又は過失により他人に損害が生じたとしても、少なくとも当該公務員に故意又は重大な過失がないかぎり、個人として賠償責任を負う余地はないのであり、それにより、公務員による円滑な公務執行が保障されているという関係が成り立っている。
5 本件事実関係において被告人には重過失があったとはいえないこと
そして、本件においては、「被告人の行動は、国の血液行政を担当する者として、大局においては適切であり、行政として重要な国家レベルの施策の方向性という点では、その職責を果たしていたものということができる。」、「第Ⅸ因子製剤が非加熱のものから加熱のものへと切り替わるという大きな流れ自体については問題がなかったと考えられるが、切替えの過渡期においては、一定のきめ細かい配慮に欠ければ、本来使用されずに終わるべき非加熱製剤が不用意に使用されてしまうおそれが存在することは、みやすいところであった。判示にかかる被告人の過失行為は、こうした過渡期の経過措置ともいうべき側面で生じた落ち度である」とされている(第一審判決377頁)。
本件で被告人が問われているのは、国の血液行政を担当する者としての、被告人の職務に関する不作為の過失責任であるが、被告人は、第一審判決によれば、「大局においては適切であり、行政として重要な国家レベルの施策の方向性という点では、その職責を果たしていた」のであるから、第一審判決及びこれを是認した原判決の事実認定を前提に、仮に被告人に過失が存在したとしても、重過失ではありえない。したがって、本件において、重過失があったとまではいえない被告人が、民事上の賠償責任を負うことはない。
6 法秩序統一の必要性
かかる民事上の規律を無視して、重過失があったなどとは到底いえない被告人に対して刑事責任を認めることは、刑法の謙抑性・法秩序の統一性の見地からして、明らかに不当である(塩見淳「瑕疵ある製造物を回収する義務について」刑法雑誌42巻3号参照)。
なお、本件で問題となっているのは、製薬会社に規制的行政指導を行なわなかったという公務員の不作為による過失行為に対する責任追及である。このような行政指導を行なわなかったという公務員の不作為に対し、刑事責任を認めることは、国民の自由を制約することになる規制的行政指導を、刑法上の責任追及を背景に、積極的に促進する帰結を導くことになるが、このような帰結は、公務員による専ら保身を旨とする規制的行政指導の乱発をもたらしかねず、妥当でないことは明らかである。
7 まとめ
以上のとおり、国家賠償法の趣旨に鑑みれば、規制的行政指導をしなかったという不作為につき、重大とまでいえない過失行為が問題とされているに過ぎない被告人に、刑法上の作為義務を認めるべきではないことは疑いようもないところである。
原判決は、法秩序の全体の統一性の見地を無視し、国家賠償法の趣旨を全く省みずに、本件の事実関係において、被告人に刑法上の作為義務を認めて、業務上過失致死罪の成立を肯定しており、明らかな法令解釈の誤りを犯しており、これを破棄しなければ著しく正義に反するのみならず、結論において、処罰範囲の無限定な拡張を是認しており、罪刑法定主義(憲法第31条)に違反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第8 〔上告理由第7点〕原判決は、不作為の因果関係に関する最高裁判例及び第三者が関与して結果が発生した場合の因果関係に関する最高裁判例に違反するとともに、理由不備、経験則違反の欠陥による重大な事実誤認があり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
そもそも、不作為の者に対し、刑事責任を追及できる一つの根拠は、保障人的地位を有する被告人が「期待された行為をしていれば結果は発生しなかった」という関係が存在しているからである。つまり、期待された行為をしていれば「間違いなく」結果を回避し得たにもかかわらず、これを怠ることに本質がある。期待された行為が存在していても、結果が回避し得ないのであれば、これを被告人の刑事責任とすることはできない。最高裁は、不作為犯の因果関係の判断において、期待された行為が為されたら十中八九結果を回避し得たという関係を要求することによって、不作為の刑事責任が不当に拡大することを抑止している。しかしながら、第一審判決及び原判決は、2で述べるとおり、最高裁が要求する不作為犯の因果関係の判断基準を用いることなく因果関係を肯定しており、最高裁判例に正面から違反している。
また、ある結果に対し複数の者が関与していると思われる事案においては、それぞれの行為者の結果に対する危険性または寄与度を吟味し、結果に対し決定的な危険性を持つ行為をしている者のみが刑事責任を負担するのであって、その余の行為者については因果関係の欠如を理由に、刑事責任を否定するのが一般的である。最高裁も、いわゆる米兵ひき逃げ事件において、結果に対し決定的な危険性を持つ行為を行った者に対してのみその刑事責任を認め、その余の被告人の因果関係を否定している。3で述べるとおり、本件では訴因第2の事実の被害者の死の結果につき、ミドリ十字及び同被害者の手術担当医師の行為に決定的な危険性を見出すことができるので、被告人に刑事責任を問うことはできないと言うべきである。
2 不作為犯と因果関係
(1) 最高裁判例(最決平成元年12月15日刑集43巻13号879頁)における不作為の因果関係の判断基準(結果回避可能性の程度)
ア 第一審判決から継続して主張してきたとおり、不真正不作為犯の因果関係の判断においては、期待された行為がなされたら、十中八九結果を回避し得たという関係が必要である(最決平成元年12月15日刑集43巻13号879頁)。
この点、第一審判決は、「生物製剤課が製薬会社に対し、非加熱第Ⅸ因子製剤について、販売中止・回収を指導し、また医師に対するドクターレターのような警告ないし注意喚起措置を講ずるよう指導するに当たっては、具体的製剤名を明示すべきものであり、かつ、従前の事例に照らしても、具体的製剤名を明示したはずであることが認められるところであり、非加熱クリスマシンを特定して指導がなされた場合には、ミドリ十字もこれに従ったものと考えられるから、上記の疑義は、本件の結論に影響を及ぼすものではない。」として、ミドリ十字が行った虚偽宣伝の事実が、被告人の刑事責任に影響を及ぼさない旨を認定している(第一審判決367頁)。更に、原判決は、不作為犯の因果関係につき全く配慮することなく、安易に因果関係を判断している。
しかしながら、かかる判断方法は最高裁判例の判断基準に真っ向から反するものであり、原判決は破棄されるべきである。上記事件における最高裁判例解説によれば「これまで、過失犯の中心であり、講学上も主に想定されていた交通事故の場合には、結果回避が可能か不能かの二者選択的な認定で大概は事足りていたが、大規模火災事故や土木事故のように複雑なプロセスを有するものや医療事故のように究明の可能性について医学上必ずしも明確な判断を下すのが難しいものについては、結果回避の可能性の程度が問題となるから、因果関係としての結果回避可能性の問題(言い換えれば、前記合理的な疑いの実質的内容の問題)を解決する必要が大きいのである。」と解説している。ところが、第一審判決及び原判決は本件が事案の究明につき慎重さが要求される薬害事件であったにもかかわらず、過失を認定するための結果回避可能性と因果関係を認定するための結果回避可能性の程度を混同し、結果回避の可能性の程度を問題とすることなく、因果関係を認定する安易な結論の導き方をしている。弁護人は、そもそも結果回避可能性がなかったことを主張するものであるが、仮に第一審判決及び原判決の認定したとおり、結果回避可能性を肯定するとしても、本件が通常の交通事故と異なり、多数の者が関与し、しかも、複雑な行政的・医学的判断を要する事件であることからすれば、因果関係としての結果回避可能性の程度は必ず検討しなければならないプロセスであったことは明白である。かかる判断プロセスを省略した第一審判決及び原判決は、最高裁判例と相反する判断をしたものであり、刑訴法405条3号に該当する。
イ まず、そもそも、第一審判決及び原判決は、既に指摘した通り、本件が不作為犯であるにもかかわらず、判例上、不作為犯において要求される因果関係の判断基準を適用することなく、本件の因果関係を判断してしまっている。原判決において弁護人が不作為犯の因果関係において判断要素として掲げた以下の事項につき、原判決は何ら判断を下していないし、第一審判決もどの程度結果を回避し得たかという視点をもって判断をしていない。
① 厚生省内の認識が共通であったこと
② 医療現場の認識
③ ミドリ十字による違法行為の関与
④ 加熱製剤の供給可能性
つまり、①厚生省内の認識が被告人と共通である状況下で、被告人が他課に働きかけたとして、検察官が想定するような行政指導を他課が行う可能性は確かだったのか、②仮に①が確かであると仮定しても、医療現場が厚生省の発する行政指導を医学的に支持することは確かだったのか、③仮に①及び②が確かであると仮定しても、ミドリ十字が行政指導に従うことが確実だったのか、④仮に①、②、及び③が確かであると仮定して、加熱製剤の供給量の問題で、本件被害者に加熱製剤が供給されることが確かだったのか、といった結果回避可能性の程度(確かさ)を検討せずして、因果関係を肯定した第一審判決及び原判決は明らかに理由不備なのである。
弁護人が、第一審で既に主張した上記事実に関して、第一審判決は、ミドリ十字についての事情に関してのみ、「不作為犯における因果関係の判断」としてではなく、「第三者が関与した場合の因果関係の判断」としてのみ、その判断を示した。更に、原判決は、「結果回避義務の存否」の項で因果関係の判断らしきことを述べているが、別項を設けていないこと自体、原判決が、不作為犯における因果関係の判断が「結果回避義務の存否」ではなく「結果回避可能性の程度」の問題であることを理解していないことを表している。これらの判断が最高裁判例の基準を見落としており、極めて杜撰なものであることは言うまでもない。
(2) 具体的検討
ア 厚生省内の意見統一
まず、厚生省内の認識が被告人と共通である状況下で、被告人が他課に働きかけたとして、検察官が想定するような行政指導を他課が行う可能性はどの程度確かだったのかを検討する。
既に述べた通り、当時の厚生省の意思形成に決定的な立場にあった血液製剤調査会及び血液製剤特別部会は、加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いについては「承認整理」という判断を下していたのであって、被告人が他課に働きかけたとしても、厚生省内の他課は両部会の判断を尊重し、非加熱製剤については承認整理という方針を変えなかったと考えるのが合理的である。現に加熱製剤の副作用が懸念されていた当時の医学的知見から、被告人に専門家集団が下した「承認整理」という結論を覆すだけの医学的根拠はなかった。もし、厚生省の行政官である被告人が「承認整理」にあえて反するような行為をとれば、むしろ、それは独断専行との謗りを免れない性質のものである。ましてや厚生省内の一課長に過ぎなかった被告人が薬務局長を飛び越え、他課に働きかけることは実務上極めて困難であったと言わざるを得ず、職務権限上の考察からしても、被告人独りの力で、「承認整理」という方針を覆すことはできなかったと言うべきである。
この点ばかりでなく、エイズと血液製剤の関係について、厚生省内の関係各課で情報を共通にしていたのは、本上告趣意書第13記載のとおりである。
イ 医療現場の対応
仮に、被告人が他課に働きかけることにより他課が非加熱製剤の回収に動き出すことが十中八九確実であったと仮定しても、次に、医療現場が厚生省の発する行政指導を医学的に支持することは確かだったのかを検討しなければならない。
既に述べた通り、i当時の血液製剤調査会の非加熱製剤と加熱製剤における安全性に対する認識は絶対的なものではなく相対的なものに過ぎなかったこと(弁第132号証1985年5月発行「京英会全報」2頁、弁第315号証1986年4月28日開催の血液製剤調査会の審議メモ50頁、弁477号証長尾大1985年12月発行「小児科と内科にまたがる疾患血液血友病-AIDSの問題を中心に」121頁右段、第49回公判公判調書77丁裏における小室勝利氏の証言、弁第312号証1986年発行Immunohaeology誌第8巻第2号小室勝利著血液製剤によるAIDSの感染-その対策」177頁左段のⅤウイルス不活化の部分、弁125号証1988年発行Annual Review誌「抗血友病製剤の進歩と問題点」158頁前段等)、ⅱ加熱製剤については副作用の危険があり、現実にDIC症状の副作用が生じた例が存在していたこと(甲第318号証添付資料5「会議メモ」5丁目下段参照、甲第315号証添付資料②の1)、血液製剤特別部会長を務め、エイズ調査検討委員会の委員でもあった藤巻医師の属する東京医大病院では、厚生省で非加熱第Ⅸ因子製剤の切り換えの指導をしていることを認識しながらも(甲272の資料4)、尚、加熱第Ⅸ因子製剤承認後の昭和61年4月になっても非加熱第Ⅸ因子製剤を購入し、使用していたこと(第一審判決352頁頁)等からすれば、置き換え回収のかかる行政指導に対し、素直に従ったとは考えられない。
ウ 加熱製剤の供給可能性
第一審判決は、「加熱第Ⅸ因子製剤の供給が開始されるようになってからは、血液凝固第Ⅸ因子の補充のためにはこれら本件加熱製剤等の投与で対処することが、我が国全体の供給量の面からも可能になっており、また、カッター及びミドリ十字においても、それぞれ従前の非加熱第Ⅸ因子製剤の販売量を上回る量の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能であった」と認定している。弁護人はかかる事実認定自体が誤りであることを、本上告趣意書第11で指摘しているが、事実認定の視点自体も誤っていることを重ねて主張する。すなわち、加熱第Ⅸ因子製剤の供給が本件被害者にまで、あまねく普及したことが十中八九確実であったか否かという検討は全く為されていないのである。すなわち、当時必要とされていた第Ⅸ因子製剤の供給を確保するために、外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤が補充的に使用された可能性は否めず、仮に、被告人が第一審判決が認定したような措置を講じたとしても、本件被害者に外国由来の非加熱製剤が投与された可能性は十分認められるのである。
エ ミドリ十字の対応
更に、厚生省が非加熱製剤の回収を行政指導により命じたと仮定した場合、ミドリ十字がどのような対応をしていたか。十中八九とられていたであろうミドリ十字の対応はどの程度のものだったのかを検証しなければならない。
すなわち、仮に厚生省が販売中止・回収を指導し、医師に対するドクターレターを発するなどの措置を講じた場合に、ミドリ十字が、上記措置を受けた後、どの程度の期間・内容で、かかる措置に従ったか第一審判決及び原審判決では何ら具体的に明示されていないのである。
通常、企業においては、監督官庁から指導があれば、直ちにこれに従うというものではなく、実態調査を行い、企業内での打合せ、そして、かかる指導に異議があるのであれば、監督官庁と打合せをした上で、なお、監督官庁の指導に合理的理由があれば、これに従うという対応が一般的なのであり、監督官庁から指導を受けて、すぐさまこれに従うというケースは、明らかに企業が違法行為を犯しているような場合でなければあり得ないことである。現に、運輸省(現国土交通省)が行政指導を行ったにもかかわらず、三菱自動車はいわゆるリコール隠し事件以降も、対外的に「欠陥隠しは一切ない」としながら、乗用車部品の欠陥を隠し、リコール(回収、無償交換)の届け出を怠ってきたのである。このことは、国の行政指導によっても確実に企業がその指導に従うとは言えず、確実に危険が回避されるとは限らないことを意味している。本件のように、非加熱製剤と加熱製剤に対する安全性の評価が相対的であった時代に、非加熱製剤に対する上記措置については、ミドリ十字が薬事法に違反する行為はないと判断して、かかる措置に応じない可能性は十分にあったと言える。
つまり、仮に厚生省で監督措置を講じたとしても、ミドリ十字においては、以下のような事項を検討したはずである。
① 自社製品以外の一般的な非加熱製剤の安全性の再確認
② 自社非加熱製剤の安全性の再確認
③ 自社非加熱製剤が国内血漿のみから製造されているかの再確認
④ 自社非加熱製剤が国内血漿のみからなる安全な製品であると広告してしまっている事実についての釈明の準備
⑤ 他社及び医療現場の対応
⑥ 加熱製剤置換へ向けた試算・準備
⑦ 厚生省の指導に対する異議申立の検討(薬事法違反の可能性の吟味)
このような検討の結果、ミドリ十字が厚生省の上記措置に応じることは確かであったとは言えないはずであるし、最終的に上記措置に応じるとの結論が出されるとしても、かかる対応が、厚生省の指導から2ヶ月や3ヶ月程度で済むとは到底考えられない。
第一審判決は、厚生省の指導がいかに効果的であったかという点につき、「「仮にクリスマシンHT承認時に、生物製剤課から、輸入血漿を使用した非加熱第Ⅸ因子製剤について、エイズ感染の危険があるので、販売を中止して、市場在庫を全面回収するようにといった指示や指導があったとしたら、ミドリ十字では、どう対応したか。」という検察官の質問に対しては、「監督官庁の指示を守って、指示どおりにしたと思う。」と答え、「ミドリ十字では、クリスマシンは、国内血漿を原料としている旨の宣伝をしていたのだから、仮に生物製剤課のそのような指示指導があっても、クリスマシンは回収の対象に当たらないとして、同じ宣伝を続けて、クリスマシンを販売し続けたのではないか。」との検察官の質問に対しては、「指示指導があれば、もう一度その事実関係を社内で調べ、そうすれば、そのときに輸入血漿が使われていたことは分かる。したがって、得意先に対しては非常に言い訳しにくいが、その事実関係をはっきり申し上げて、回収を行ったと思う。」旨を答えた。」という小林証言をあげる(原判決366頁)。また、原判決は「行政指導を受けた場合には会社としてこれに従うのが通例と考えられるところ、ミドリ十字において行政指導を拒否するような事情は窺えない。」などとしている。
しかし、企業が常に行政指導に従うとの前提が実務に基づく経験則を全く無視したものであることは既に述べた通りである。原判決が踏襲する第一審判決では、行政指導はそれを下しさえすれば、およそ企業がそれに従うものとの前提で判断がなされている。しかし、行政指導といっても、強制力を背景に行政処分の前段としてなされるものから、特段の要件規定が無いにもかかわらず、「お願い」ベースでなされるものまで、その内容は千差万別である。それを一括りにしておよそ行政指導であれば、企業はそれにしたがったはずであるとの原判決の論旨は非常に乱暴なものである。原判決の定立した、加熱第Ⅸ因子製剤の承認後、その承認を受けたミドリ十字、カッターの非加熱第Ⅸ因子製剤の置き換え回収をなす行政指導をなすべきとの作為義務は、非加熱第Ⅸ因子製剤につき、必ずしも不良医薬品であることを前提にしないものと考えられるところ、そのような強制力を背景としない行政指導にミドリ十字が従ったかは証明ができていない。現に、同一性状の日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤が市場に出回っている以上、先行して加熱製剤を開発したミドリ十字が損失をこうむるような事態を、上記のように虚偽宣伝までして販売をしていたミドリ十字があえて選択したとは考えられないからである。なお、ミドリ十字に対しては生物製剤課の安倍補佐が、昭和61年3月4日頃、非加熱第Ⅷ、第Ⅸ因子製剤について「安全性を考慮して優先審査して加熱製剤を承認したのであるから非加熱製剤とできるだけ早く切り換えたい」と非加熱製剤の切り換え回収をなす旨の意向が示されていた(甲610の資料3)。また、東京医大病院の昭和61年3月10日付けの内部文書(甲272の資料4)でも、第Ⅸ因子製剤に関し「加熱処理した製剤が発売になり、厚生省はすみやかに各医療施設できりかえるよう指導している。」との記載が見られ、厚生省が非加熱製剤の切り換え回収の助言をしていることつき、製剤会社から情報が寄せられていたものと判断される。このような状況にありながら、昭和61年4月時点で、ミドリ十字は、非加熱第Ⅸ因子製剤「クリスマシン」を東京医大付属病院に納入している事実が認定されており(第一審判決352頁、甲272)、かかる事実を見ても、原判決の定立した作為義務でもって、ミドリ十字が非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を中止したであろうと及び医療機関が非加熱第Ⅸ因子製剤の使用を中止したであろうと認定したことはいずれも明白な誤りである。
また、仮に行政指導に従うとしても、その対応には時間をかけて、相当慎重に為されたはずである。現に同証言によれば「非常に言い訳しにくいが」と、ミドリ十字がすぐさま明確な対応をすることにつき、留保する可能性も示唆しているのである。大阪地方裁判所によれば、「川野は、そのころ、製造本部の部下から、営業本部において非加熱クリスマシンが国内血漿のみで製造されているとの宣伝をしていると知らされたことから、同本部営業企画部に対し、その宣伝内容は誤りであり、非加熱クリスマシンには輸入血漿が混じっている旨指摘した。その後、連絡を受けた後藤が川野を訪ねて対応を協議したが、営業はこれで動いているとして、後藤は譲らず、両名は、松下(社長)のもとに集まり、須山(副社長兼研究本部長)をも交えて善後策を協議した。この席上、松下は、後藤から営業本部としては既に非加熱クリスマシンは国内血漿だけで製造されているという宣伝をしているとの説明を受けたことから、これを訂正すれば虚偽の宣伝をしていたことを公にすることになるとして、そのままの宣伝を継続することを決断し、『既にそういうやり方で販売しているのなら、そのままいくしかない。』と発言して国内血漿のみを原料としているとの虚偽の宣伝を継続して非加熱クリスマシンを販売することを容認し、須山、川野もこれを了承した。」と認定しており(原判決364頁)、当時のミドリ十字にとって、自社の非加熱製剤が安全であると虚構することがいかに重要なことであったかが十分推測されるのである。
オ まとめ
以上より、原判決の判断は、不作為犯における因果関係の判断に関し、判例上要求される基準、すなわち、期待された行為をしていれば十中八九結果を回避し得た関係が必要であるという、不作為犯特有の判断基準を用いることなく、因果関係を肯定し、最高裁判例に違反している(刑訴法第405条2号)。また、因果関係の判断に関し、詳細な検討を行うことなく、ミドリ十字関係者の仮定的且つ抽象的な供述に基づいてのみ、因果関係を判断している点で、因果関係に関する重大な事実誤認をしていると言わざるを得ない。本件において、検察官が問題としている過失行為は昭和61年1月頃、本件クリスマシンが第2被害者に投与されたのは同年4月1日及び同月3日で、その間僅か3ヶ月である。仮に、カッター及びミドリ十字が加熱製剤の供給が可能となった昭和61年1月頃に、被告人が他課に働きかけるなどして上記措置を講じるとしても、医学界における非加熱製剤と加熱製剤の安全性に対する評価の確定、厚生省内の協議、(上記措置が発せられた場合の)ミドリ十字の方針決定、同社による現実の回収活動が僅か3ヶ月間という期間で解決するはずがない。従って、被告人が検察官の主張する作為義務を果たしていたとしても、十中八九、本件訴因第2の事実の被害者の死の結果を回避できたかは、極めて疑問であるといわざるを得ないのであり、因果関係は認められないから、被告人が無罪であることは明らかである。
3 他者の行為の介在と因果関係
(1) 最高裁判例(最決昭和42年10月2日刑集21巻8号16頁)における基準
弁護人らは、第三者が関与した場合における因果関係の判断に関し、いわゆる米兵ひき逃げ事件における最高裁の決定(最決昭和42年10月2日刑集21巻8号16頁)を引用した。同決定は、同事件における被告人が、普通乗用自動車を運転中、過失により、被害者を自車に衝突させ、被害者を自車の屋根にはね上げて意識を喪失させたが、これに気づかず、そのまま運転をつづけたという事案において、「同乗者が進行中の自動車の屋根の上から被害者をさかさまに引きずり降ろし、アスファルト舗装道路上に転落させるというがごときは、経験上、普通予想しえられるところではなく、ことに、本件においては、被害者の死因となった頭部の傷害が最初の被告人の自動車との衝突の際に生じたものか、同乗者が被害者を自動車の屋根から引きずり降ろし路上に転落させた際に生じたものか確定しがたいというのであって、このような場合に被告人の前記過失行為から被害者の前記死の結果の発生することが、われわれの経験則上当然予想しえられるところであるとは到底いえない。したがって、原判決が右のような判断のもとに被告人の業務上過失致死の罪責を肯定したのは、刑法上の因果関係の判断をあやまった結果、法令の適用をあやまったものというべきである。」との判断を示している。そして、弁護人らは、第一審及び原審において、「第三者の行為が経験上、普通予想しえられる行為」であるかを検討しなければならないと主張した。
(2) 第一審判決の認定
これに対し、第一審判決は、「ミドリ十字の虚偽宣伝が異常な事態であったことは弁護人指摘のとおりであるが、それは、被告人が容認していた本件非加熱製剤の販売継続に際し、製薬会社が納入先に対して行った製品の説明内容というレベルで問題があったにすぎない。本件非加熱製剤の販売が継続されるという大枠のレベルでは、被告人にとって予想外の事態は生じていないことに留意すべきである。」とし、第Ⅸ因子製剤が血友病B患者以外(肝機能障害患者ら)に使用されることについても、普通予想し得られる行為であったとしている(原判決370頁)。原判決に至っては、この点について判断すらしていない。
(3) 第一審判決及び原判決に対する反論
そこで、弁護人は、原審における主張を本件上告趣意書にて再度主張する。なお、米兵ひき逃げ事件の最高裁判例解説は、第三者の行為が介在し、因果関係に疑義が生じる場合、①被告人の行為そのものが結果に対する危険性を持っているか否か、②第三者の行為が予見可能か、③第三者の行為が有意的か否か、危険を防止又は増大するために向けられたものか否かがポイントになると解説している。以下に整理するとおり、本件は、因果関係が肯定された桜木町事件ではなく、これが否定された米兵ひき逃げ事件に類似するものであり、第一審及び原審は最高裁判例と相反する判断をし(刑訴法第405条第2号)、重大な事実誤認をしていると言わざるを得ない。
ア 生物製剤課の行為と結果との関係
第一に、生物製剤課の行為は、ミドリ十字の非加熱第Ⅸ因子製剤の承認整理を促すと共に、現場での加熱第Ⅸ因子製剤からの副作用が出ていないかとか、効果が上がっているかといった、加熱第Ⅸ因子製剤への信頼性を顧慮しながら、納得のいった医療現場において順次、加熱製剤を非加熱製剤と切り換える形で回収していくことを助言し、ミドリ十字がかかる切り換え回収を実行していくことを信頼していたというものであって、かかる行為自体は本件第2被害者との関係では直接的な危険を持つものではない。むしろ、加熱・非加熱を問わず血液製剤を医療現場に供給し続けなければならない必要性と(安全性に対する評価が相対的であったとは言え)安全であるかもしれない加熱製剤を非加熱製剤に代えて市場に供給していく必要性を調整した政策であり、ミドリ十字が切り換え回収を行っていれば本件第2被害者の死は防ぎ得た可能性が高いのであって、生物製剤課の行為は本件第2被害者の死の結果に対し決定的な危険をもつものであったとは言えない。
イ 第三者の関与に対する被告人の予見可能性
(ア)ミドリ十字の虚偽宣伝販売(非加熱第Ⅷ因子製剤については、厚生省に置き換え回収を報告しながら、非加熱第Ⅸ因子製剤を販売し続けたこと)
血液凝固因子製剤については、加熱第Ⅸ因子製剤の承認に先立って、加熱第Ⅷ因子製剤の承認が行われている。この加熱第Ⅷ因子製剤の際の非加熱第Ⅷ因子製剤の扱いにつき、ミドリ十字は、昭和60年9月27日には、「非加熱再生で検討中」として(甲599)、加熱製剤を非加熱製剤とスイッチ回収を行っていることを報告しており、非加熱製剤については、8割方、回収が済んでいるとの報告があった。
厚生省としては、1985年12月の時点で、同省から加熱製剤の承認を取得した製薬会社に対し、非加熱第Ⅸ因子製剤についても、第Ⅷ因子製剤と同様の方針であると告げており(このようになされていたことは、甲272の資料4、甲610の資料3からわかる。)、ミドリ十字の第Ⅷ因子製剤の際の実績をみて、同省が、ミドリ十字が現場での浸透状況を見極めつつ、非加熱第Ⅸ因子製剤を加熱第Ⅸ因子製剤と切り換えていくことを信頼することは相当であって、ミドリ十字が同省からの指示を無視して、加熱製剤と置き換えをすることなく、虚偽、宣伝をしてまで非加熱製剤を売却し続けていくことは、到底予見不可能である。
即ち、前述のとおり、当時の生物製剤課は、製薬会社との打ち合わせで、製薬会社が順次、非加熱製剤と加熱製剤との切り換えを進めていくという共通認識を有していたのであり、加熱製剤が供給できる場合にも、敢えて非加熱製剤を積極的に市場に売り出していくということについては、全く予想だにしていない事態だったのである。
また、当時の加熱製剤に対する有用性の評価は既に述べた通り、決して高いものでなかったとは言え、製薬会社に対しては、各医療現場での浸透状況を見極めつつ、承認を受けた加熱製剤を非加熱製剤に代えていくよう、生物製剤課では助言をしていたのである。原判決は、ミドリ十字の虚偽宣伝を「本件非加熱製剤の販売継続に際し、製薬会社が納入先に対して行った製品の説明内容というレベルで問題があったにすぎない。」とするが(原判決370頁)、かかる判断は被告人の認識を曲解しているものである。被告人は、加熱製剤が供給可能な場合に、本件非加熱製剤につき、虚偽宣言をしてまで積極的に市場に供給されていくことは、認識していなかったのである。現に、昭和61年3月に作成されたミドリ十字の社内資料「血液製剤の加熱処理問題について」と題する書面(甲610の資料3)を見ると、安倍補佐から「安全性を考慮して優先審査して加熱製剤を承認したのであるから非加熱製剤とできるだけ早く切り換えたい。」と切り換え回収の助言があったことが明らかとなっている。加熱第Ⅸ因子製剤が非加熱第Ⅸ因子製剤と切り換え可能な状態になっていた際に、第Ⅷ因子製剤の場合には、順次スイッチ回収を行っていたとの実績があり、かつ、第Ⅸ因子製剤に関し、そのときとは異なる異常な売り方をしていたことの端緒が生物製剤課にもたらされていなかった中(ミドリ十字が虚偽宣伝をしてまで非加熱第Ⅸ因子製剤を販売していたことは、検察官による強制捜査によって初めて判明したものである。)、ミドリ十字が非加第Ⅸ因子熱製剤を積極的に供給していくことは被告人には予見不可能なことだったのである。ミドリ十字は非加熱第Ⅷ因子製剤のスイッチ回収を、滞りなく行っており、生物製剤課において非加熱第Ⅸ因子製剤についても切り換えによる自主的な回収を実行するものと信じることは当然であったと言える。なお、かかる結論はいわゆる信頼の原則によっても、被告人の刑事責任が否定されることからして妥当であると言える。なお、信頼の原則からの考察は、本上告趣意書第12にて述べている。
(イ) 医師の治療行為の介在(本件被害者の手術にクリスマシンを用いることは医学上不適切であったこと)
更に、本件第2被害者に対し、医学上例外的な処置が施されることも到底予見不可能なことである。すなわち、本件では、被害者に対する食道静脈瘤の硬化術においてクリスマシンを用いるという不適切な第三者の治療行為が介在しているが、同治療に際しては、ミドリ十字が「エイズフリー」であると称して納品したクリスマシンが用いられている(第一審第16回公判における三好博文の証言66丁参照、甲第550添付資料3枚目「4)」の部分参照)。クリスマシンを用いる必要がないにも関わらず本件被害者に同製剤を用いるという医師の不適切な行動も、被告人にとって普通予見し得る事態であるとするならば、被告人は例外的な対処を含めて全ての医療行為を予見すべき義務を負担することになりかねないが、これは被告人に不可能を強いるものと言うほかない。現に、第一審判決も、「上記のとおり、本件第2被害者に対する投与に限っていえば、そもそもHIV感染の危険性のある非加熱クリスマシンには、客観的に見れば、他の止血剤の投与等の代替治療と比較した場合の有用性が認められなかったことは明らかであって、カッターやミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤の供給開始を待つまでもなく、そうした投与はなされるべきではなかったとも考えられる。」として、大阪医大病院における医師の治療行為の不適切性を認めているのである(第一審判決368頁)。
ところで、厚生省は、個別の医療行為に容喙しないのが原則である。また本件被害者に対する食道静脈瘤の硬化術のためのクリスマシンの投与というのは、通常では行われない療法である大学病院という独立した組織の中でパイオニア的医療行為として本件におけるクリスマシンの投与が行なわれたにすぎず、かかる、医療行為が行われていること及び、そこから、被害が発生することにつき、もとより、被告人はそれを予見することはできないし、そこでの行為、結果は、大学病院の中で自己完結的に行われた行為、及びそこから導かれた結果にすぎず、被告人の行為とこの結果との間に相当因果関係はない。
ウ 第三者の行為の重要性
更に、本件では、第三者たるミドリ十字の結果に対する危険度を看過することはできない。既に述べた通り、厚生省の切り換え回収の方針は、もしミドリ十字が非加熱製剤を加熱製剤に切り換えていれば、本件第2被害者の死の結果を防ぐ形で作用する行為である。これに対し、ミドリ十字の行った行為は厚生省からの助言に反し、虚偽の宣伝を行い非加熱製剤の供給を続けたというものであって、本件第2被害者の死の結果に対し決定的に危険な行為になっている。
他方、他の止血剤の投与等の代替治療と比較した場合、非加熱製剤の有用性が認められなかったことは明らかであったのに、医師がそうした投与を行い本件第2被害者の結果に対する危険性を増大させたことも看過することはできない。
本件は、ミドリ十字及び医師の行為は本件第2被害者の死の結果の危険性を増大するどころか、これに対し決定的に危険な行為であると言え、第三者の行為が介在したケースとしては、その行為が結果に対し決定的であったという意味で、米兵ひき逃げ事件と本質的な差異はないと言うべきである。
(4) 小括
第一審判決及び原判決は、他者の行為が介在した場合における因果関係について、最高裁判例に違反し(刑訴法第405条第2号)、且つ、事実誤認・法令適用の誤りを犯している。本件では、生物製剤課の切り換え回収の助言どおりミドリ十字が非加熱製剤を加熱製剤に切り換えていれば結果を回避し得たと言え、被告人の行為は被害者の死の結果に対し何ら危険を増大させる関係にはない。他方、ミドリ十字が生物製剤課の助言に反してまで虚偽宣伝を行って非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を継続したことが被害者の死の結果に対し決定的な関係を持っている点を見逃してはならない。ミドリ十字の決定的な違法行為に加え、医師の不適切な医療行為が関係してくる点も重要である。生物製剤課課長であった被告人にとって、第Ⅷ因子製剤によってスイッチ回収を実現したミドリ十字が生物製剤課の助言に反し、虚偽宣伝をしてまで非加熱第Ⅸ因子製剤を販売しようとしたことや医師の不適切な治療行為まで予見することは到底不可能であるから、被告人の行為と本件被害者との死の結果の間には因果関係がないと言うべきである。
4 まとめ
以上より、原判決は、不作為の因果関係に関する最高裁判例及び第三者が関与して結果が発生した場合の因果関係に関する最高裁判例に違反するとともに、理由不備、経験則違反の欠陥による事実誤認があり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
第9 〔上告理由第8点〕原判決は、訴因第2の事実当時、被告人の権限行使が、裁量の余地無き状況に至っていたとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである
1 訴因第2の事実の頃の結果予見可能性(訴因第1の事実の頃とで大きな相違がなかったこと)
(1) はじめに
原判決及び第一審判決は共に、結果予見可能性につき、訴因第2の事実の時点については、訴因第1の事実の時点と較べて、飛躍的に高まり、それは、被告人にも、非加熱第Ⅸ因子製剤の回収をするにあたり裁量の余地のない程に高まっていたと認定する。自然科学の常として、日を追って科学の知見が高まっていくこと自体は否定されるものではない。しかし、訴因第1の事実の当時と訴因第2の事実の当時とで、結果予見可能性が飛躍的に高まり、それは、非加熱第Ⅸ因子製剤の回収につき裁量の余地のない程のものであったとの認定は、訴因第2の事実を有罪とするための意図的な虚構であり、原判決の大前提には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がある。
(2) 原判決の摘示
原判決は、
ア 濃縮凝固因子製剤による血友病患者に対するエイズ伝播が懸念されていた中で、昭和60年5月30日に開催されたAIDS調査検討委員会において、帝京大1号症例・2号症例及び福島県立医大症例の血友病患者3名並びに男性同性愛者2名の合計5症例がエイズと認定され、同年7月10日に開催された委員会では、新たに血友病患者2名(血友病A患者及び血友病B患者。うち1名死亡)が、その後の昭和61年1月31日には、新たに血友病患者2名(血友病A患者及び血友病B患者。いずれも死亡)が、それぞれエイズ患者と認定されたこと、
イ 米国立衛生研究所(NIH)、米国防疫センター(CDC)と国連世界保健機関(WHO)が共同で企画した国際研究会議が、昭和60年4月15日から17日まで米国ジョージア州アトランタ市で開催され(アトランタ会議)、日本からはAIDS調査検討委員会会長塩川優一医師、エイズ診断基準小委員会委員長栗村医師、国立予防衛生研究所外来性ウイルス室長北村敬医師が出席したこと、
ウ 「日本医事新報」誌同年6月8日号には、同会議に出席した北村医師執筆にかかる報告、すなわちエイズの場合、抗体陽性は感染性ウイルス陽性として対処しなくてはならないとの見解で一致した旨、並びに抗体陽性者の転帰、エイズウイルスの熱やエチルアルコール等による不活化に関する報告事例等が同会議における成果として掲載されていること、
エ また、同様、加盟各国のとるべき処置として、「血友病患者に使用する凝固因子製剤に関しては、加熱その他、ウイルスを殺す処置の施された製剤の使用を勧告する。」とされたとの記事も掲載されていること、
オ 我が国においては、同年12月9日、カッターの加熱製剤である「コーナインHT」が、同月17日、ミドリ十字の同じく「クリスマシンHT」がそれぞれ輸入承認され、同月23日からコーナインHTの、昭和61年1月13日からクリスマシンHTの販売がそれぞれ開始されたこと、
カ 昭和60年12月19日に開催された第8回血液製剤調査会の議事録ともいうべき同調査会記録には「◎加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきであるとの意見がだされた。」との記載がなされていたこと
といった、第一審認定事実及び、
当時の薬務局長が昭和60年11月の国会答弁で繰り返し「加熱第Ⅸ因子製剤についても大急ぎで優先審査していること、年内には承認に至ること、そうなれば血友病患者に使用する血液凝固因子製剤はまず安全であること」等の認識にあることを表明していたこと
といった事実認定をして、「昭和60年12月下旬ころには厚生省の非加熱製剤に対する危険認識は第1訴因当時とは異なり相当程度高まっていた」と結論づける。
(3) 原判決の認定の誤り
しかしながら、原判決の事実認定には以下のとおり重大な事実誤認がある。
ア 原判決が関係者の意識が大きく変化したとする昭和60年5月のアトランタ会議、同年同月30日の血友病患者からのエイズ発症の公式認定がなされた後である昭和60年7月に、加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認が行われている。
もし、アトランタ会議、昭和60年5月30日の血友病患者からのエイズ発症の公式認定をきっかけに、結果予見可能性に大きな変化が生じていたとすれば、その後の事実となる加熱第Ⅷ因子製剤の承認にあたり、関係者に、結果予見可能性の大きな変化を踏まえた動きがみられたはずであるが、そのような動きはみられない。即ち、加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の段階で、結果予見可能性が格段に高まり、非加熱製剤が加熱製剤に直ちにとって替えられなければならない程の危険なものであるとの認識が存在したのであれば、この加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の際に、未だ、加熱製剤の承認がなされていなかった日臓の非加熱第Ⅷ因子製剤についてどのような扱いをするか、血液製剤調査会の委員から発言があってしかるべきところ、その議事録を通読しても、そのような議論がなされた痕跡は一切ない。日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤については、そのまま、販売が継続されている。
また、この加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の段階で加熱第Ⅸ因子製剤の承認については、その申請すらなされていなかったわけであるから、当然、非加熱製剤が加熱製剤に直ちにとって替えられなければならない程、エイズ原因ウイルスに対して危険なものであるとの認識が血液製剤調査会の委員の間にあれば、非加熱第Ⅸ因子製剤の扱いについて何らかの指摘がされたはずである。
ましてや、第Ⅸ因子製剤については、原判決の認定によれば、エイズに安全とされた国内血で作られたPPSB、エタノール処理が施された「プロプレックス」という2製品が存在していたわけで、加熱第Ⅸ因子製剤承認までの間、これら代替製剤で治療を続けるという選択肢がありえたわけであるから、加熱第Ⅸ因子製剤の承認までの間、PPSB、プロプレックスを代替製剤として用いるような提言があってしかるべきである。しかしながら、血液製剤調査会、同特別部会の委員、その他血液学者らから、かかる代替製剤で急場を凌げといった意見が出された形跡はない。
更に、血友病専門医、現場医師の側において、加熱第Ⅷ因子製剤の承認の時点で、非加熱製剤について、加熱製剤に直ちにとって変わらなければならない程エイズ原因ウイルスに関して危険なものであると認識されており、かつ、その代替製剤があると認識されていれば、昭和60年7月の加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の後、昭和60年12月の加熱第Ⅸ因子製剤承認までの間、加熱第Ⅸ因子製剤の代替製剤たりえたと原判決が認定する、国内血でできたPPSB、エタノール処理の施された「プロプレックス」の需要が急激に伸びた筈である。しかし、後述するとおり、この間、この両製剤の販売量に目立った動きはない。
このことは、とりもなおさず、加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認の時点から加熱第Ⅸ因子製剤承認までの時点で非加熱製剤が加熱製剤にとって変わらなければならぬ程、エイズ原因ウイルス感染に対して危険であるとの意識が、血友病専門医、現場医師らの間で譲成されていなかったこと、及びPPSB、「プロプレックス」のエイズ原因ウイルスに対する安全性認識が存在していなかったことを示すものであり、原判決の拠って立つ訴因第1の事実の頃と訴因第2の事実の頃とで予見可能性に大きな変化が生じたとの前提が虚構にすぎないものであったことはこれによってもわかる。
イ 昭和60年第4回血液製剤特別部会は、アトランタ会議、血友病患者からのエイズ発症の公式認定が行われて半年以上経過してから開催された会議であるが、前述したとおり、ここでの意見は、加熱製剤承認後の非加熱製剤は「承認整理」をするようにとの提言であり、直ちに非加熱製剤を加熱製剤と交換して、非加熱製剤を使わせないようにせよとのものでなかったものである。
なお、昭和60年第4回血液製剤特別部会の前に開催され、かつ、同部会より下位部会である昭和60年第8会血液製剤調査会の「加熱製剤承認後は、非加熱製剤を使用させないよう」にとの意見を重視し、ここから訴因第2の事実の頃の予見可能性を導き出すことが、議事録の文言解釈及び当時の血液製剤調査会の委員の当時の動きからみて不可能であること前述したとおりであり、かつ、この文言から予見可能性の変化を論ずるのは本末転倒の議論であるといわざるをえない。
ウ 上記血液製剤特別部会の部会長であった藤巻医師は、エイズ調査検討委員会の委員でもあり、血友病治療ばかりではなく、当時のエイズ・エイズ原因ウイルスについて先端の知識を有する医師であったものである。いわば、血液製剤についてのエイズ対策について厚生省を指導すべき立場にあった医師といえる。しかるに、同医師の属していた東京医大付属病院では、加熱第Ⅸ因子製剤承認後、昭和61年4月の時点においても、なお、非加熱第Ⅸ因子製剤の使用を行っていた(第一審判決351頁、甲272)。エイズ調査検討委員会の委員でエイズにつき最新知識を有し、血液製剤、血友病治療の権威でもあった同医師の属していた病院でも、なお、このような非加熱製剤の使い方がなされていたということは、まさに、非加熱第Ⅸ因子製剤の使用に関する医療水準がこのレベルで形成されていたことを示すものである。加熱製剤承認後、非加熱製剤を直ちに回収してしまわなければならないほどに、エイズ原因ウイルスに対する切迫した危機意識が形成されてはいなかったことが、これによってもわかる。
エ アトランタ会議について
(ア) 第一審判決は、アトランタ会議に関する報告である甲203につき、「この報告は、第1訴因当時より後に発表されたものであるが、その内容は、これまでに取り上げてきた各種論文等に比較しても、エイズ及びその原因ウイルスに関する多岐にわたる知見について、その当時の世界最先端の情報を広範に集約したと評価し得るものであった」(第一審判決144頁)と評価し、原判決もこの認定を是認している。
しかしながら、アトランタ会議後も、アトランタ会議出席者である北村医師・塩川医師・栗村医師らの間では未だ日本人の感染者の発症率については楽観的な見解を有しており、その発言内容も本件訴訟において述べられてきたような、格段の危機意識の高まりを表明するものでは到底なかった(詳細は、第一審弁論要旨279、280頁に記載のとおりである)。
(イ) アトランタ会議の報告がなされたとする昭和60年5月30日のAIDS調査検討委員会の議事録(甲659資料2、3)の中で、非加熱製剤につき危険性を指摘したものはなく、加熱製剤発売後の非加熱製剤の取扱いについて言及がなされた痕跡は一切ない。北村医師自身も第一審公判廷において同委員会会議において「特に血液製剤について発言したことはございません。」と述べている(北村敬 第一審 第6回公判の証言72丁)。従って、同委員会におけるアトランタ会議の内容報告が、厚生省の非加熱製剤に対する危険認識を高める要因となったものとはいうことはできない。
オ 薬務局長による昭和60年11月における国会答弁
原判決は、本件当時の薬務局長が昭和60年11月の国会答弁で繰り返し「加熱第Ⅸ因子製剤についても大急ぎで優先審査していること、年内には承認に至ること、そうなれば血友病患者に使用する血液凝固因子製剤はまず安全であること」等の認識にあることを表明していたことをもって、非加熱製剤の危険性認識を相当程度高めた要因となった旨述べる。しかしながら、同国会答弁そのものにおいては、加熱第Ⅸ因子製剤が年内に承認されるに至るであろうことは述べられながらも、加熱第Ⅷ因子製剤は発売後の非加熱第Ⅷ因子製剤の取り扱いについては一切言及されていない。
また、同答弁よりかなり前でありかつ前述のアトランタ会議よりも前である昭和60年3月26日の国会答弁(甲624資料1の3枚目)においても同小林薬務局長は同趣旨の答弁をしており、その後の昭和60年5月28日の国会答弁(甲624資料2の3枚目)昭和60年6月7日の国会答弁(甲624資料3の3枚目)も、同趣旨の答弁が同薬務局長からなされており、アトランタ会議及び加熱製剤承認前である昭和60年3月当時と、同年11月当時では特段薬務局長の答弁内容に変化はなかった。
従って、昭和60年11月における薬務局長の国会答弁が非加熱製剤の危険性認識を相当程度高めた要因となったと認定することは、まさに事実誤認というほかない。
カ 米国での動向を参照していないことについて
非加熱製剤に対する危険性の認識を検討するに当たって、非加熱製剤の最大の輸入先でありエイズに対して最新の知識を有していた米国での非加熱製剤の取り扱いがその検討対象に加わってしかるべきであったにもかかわらず、第一審判決や原判決は、米国における非加熱製剤の取り扱いにつき全く検討を加えていない。これは重大な判断の脱漏である。
2 訴因第2の事実当時、裁量の余地なき状況に至ったり、超法規的措置に等しい行為がとられなければならないような客観的状況に無かったこと
(1) はじめに
原判決は、本件訴因第2の事実当時、事態は切迫していて、被告人にとって、その権限行使は、裁量の余地が無い状態になっており、被告人の権限行使は、法的義務にまで高められていたと認定する。その上で、必ずしも、具体的規定に依拠しない権限行使、即ち超法規的措置をとることを法的義務としているのであるが、そのような超法規的措置を厚生省がとらねばならないという客観的状況には無かったものである。
(2) 「本件非加熱製剤の販売・投与から、エイズ原因ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡という重大な結果へとつながるおそれが全国的なレベルで生じていた」という事情はなかったこと
原判決は、本件当時、本件非加熱製剤の販売・投与から、エイズ原因ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡という重大な結果へとつながるおそれが全国的なレベルで生じていたとする。
しかしながら、昭和60年5月に、血液製剤の投与を受けていた血友病患者からのエイズ発症者が出た旨の公式認定が出された後も、非加熱製剤を直ちに回収せよという意見が専門家から出されることはなく、むしろ、「承認整理」を以って対処せよとの対応であったこと、加熱第Ⅸ因子製剤承認前に、原判決が同製剤の代替製剤と認定するPPSB、プロプレックスの売れ行きが伸びたようなことはないこと、加熱第Ⅸ因子製剤承認後においても、血液製剤特別部会長、エイズ調査検討委員会の委員であった藤巻医師の属する東京医大付属病院でなお非加熱第Ⅸ因子製剤を購入し、使用していたこと等、本件当時、非加熱製剤におけるエイズ原因ウイルスの感染ひいてはエイズの発症・死亡に対する危険意識は、非加熱製剤の有用性と相まって相対的なものであった。
従って、本件当時、本件非加熱製剤の販売・投与から、重大な結果へとつながるおそれが全国的なレベルで生じていたとの認識は、血液製剤の専門家の間で形成されてはいなかった。
(3) 超法規的ともいえる措置が要請される程、切迫した事態ではなかったこと――生ポリオワクチンの緊急輸入の場合と比較して
薬事法等による規制権限行使の根拠条項の要件充足性もないのにもかかわらず、刑法上、非加熱製剤回収の作為義務を課すというのは、被告人に超法規的ともいえる措置を採ることを強制するものに他ならない。
行政は、法に基づいて執行されなければならないものであるから、超法規的な措置を強制されるような事態というのは、法に基づく行政を排除する極めて例外的な事態と考えなければならない。
かつて、昭和36年頃、日本で認可されていない生ポリオワクチンを緊急輸入するという措置がとられたことがあり、これを以って、検察官もまた、超法規的措置がとられた実例として捉えている(尚、以下の記述のうち、事実にかかる部分は、弁護人同意済みの甲98の検察官の報告に基づくものであり、立証済みのものである。)。
しかし、この超法規的措置がとられた背景は、全く本件の場合と背景を異にしていた。この生ポリオワクチンの緊急輸入の際は、何千人という人数の小児マヒ患者が現出し、その予防のためには、生ポリオワクチンの緊急輸入しかないとの大きな世論の中、最終的に厚生大臣の政治的決断の下、緊急輸入が敢行されたのである。
昭和36年当時、日本では、小児マヒの予防法としては、小児マヒの原因ウイルスであるポリオウイルスを不活化させた「ソークワクチン」の接種が行われていた。但し、ソークワクチンによる小児マヒの予防は万全ではなく、ソ連等では、ポリオウイルスを弱毒化した生ワクチンの経口投与が行われており、それが効果を上げていた。日本でも生ワクチンの臨床試験が行われていたが、未だその承認はなされていなかった。
そのような中、小児マヒの患者が昭和30年には1314人程度であったが、昭和35年には5606名の患者をみるに至っており、昭和36年4月29日現在の週報で全国の発生数512名、死亡者57名の報告がなされており(患者5606名の昭和36年の同時期による週報によると、患者は526名、死亡数43名であった)、死者については、前年度比30%増という状況であった。
このような中、生ポリオワクチンの緊急輸入を求めて昭和36年3月20日付で国会に請願がなされ、また、厚生省に対しても度々陳情が行われ、昭和36年6月19日の集団陳情は、公衆衛生局長、薬務局長の2人を3時間半も缶詰にするというほど激烈なものであり、連日、新聞でも報道されていた。
そして、昭和36年6月21日に至り、厚生大臣が緊急非常措置を実施する決意のもとに流行の被害を最小限に阻止するための非常手段として、急遽、カナダ、ソ連から計1300万人分の生ワクチンを緊急輸入し、最小限の安全性に関する検定を行った後、全国一斉に集団投与の実施がされることになったのである。
このように生ポリオワクチンの緊急輸入の際は、多数の小児マヒ発症者、同発症による死亡者の拡大を背景に、生ポリオワクチンの緊急輸入という世論の要請が高まり、厚生大臣が主導権を以って、超法規的措置である緊急輸入が決定されるに至ったのである。
本件においては、このような切迫した事態になっておらず、専門家の間ですら意見形成ができていなかった。それにもかかわらず、一課長にすぎない被告人に「超法規的措置」を迫るものであり、行政法的観点からも赦されるものでもない。
(4) 原判決の定立した作為義務には幅があり一義的でなく、かかる事実からみても、裁量の余地なき状況とはいえないこと
検察官による公訴事実によると、被告人の作為義務は、ミドリ十字、カッタ一、日臓の3社の非加熱第Ⅸ因子製剤の回収命令をすることとしていたものであったが、原判決の認定による作為義務は、ミドリ十字、カッターの2社の非加熱第Ⅸ因子製剤の置き換え回収の行政指導をするというものであった。資料を十分に有し、事後的に審査した検察官、裁判所においてすら被告人に要求する作為義務は異なるものであり、被告人の作為義務は一義的に確定できるものではなかった。従って、訴因第2の事実の当時、事態が切迫していてなすべき行為に裁量の余地が無かったとの原判決の認定はこの一事をもってしても、覆るものである。
3 まとめ
原判決は、訴因第2の事実当時、被告人の権限行使が、裁量の余地無き状況に至っていたとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、経験則違反の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第10 〔上告理由第9点〕原判決は、結果回避義務に関し、結果回避を契機づける機会があったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、原判決の重視する昭和60年第8回血液製剤調査会及び昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見が「非加熱製剤の使用中止」検討の契機とはならず、理由不備、経験則違反の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
原判決は、昭和60年第8回血液製剤調査会の1週間後に開かれた昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録中の「血液凝固因子については、加熱処理製剤を優先的に審査し、承認していることから、非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり、また、非加熱製剤のみの承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するべきであるとの意見があった。」との文言につき、「この記載のみに徴しても非加熱製剤の危険性を十分意識した上での対処を求めていると解される。」として、この議事録中の文言をもって非加熱製剤の即時置き換え回収の根拠たりうる意見であるとしている。
しかし、この文言から、非加熱製剤の「即時回収」の意見があったと読み込むことは、到底、できない。ここでは、非加熱製剤については、「承認整理」等の措置をとるようにとしか言っていないのである。その上で、被告人は、その後、この昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見を参考にして行為し、かつ、生物製剤課としては、それ以上の切り換え回収の助言をしていたものであり、この点、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認ないし法令適用の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反する。
この議事録中の文言は、訴因第2の事実のうち、ほとんど唯一、被告人に、直接、具体的に指示が出されたものとして原判決が引用するもので、本件における結果回避義務判断において重要な要素を占めるものであって、慎重な判断を要するところ、原判決は、十分な吟味をすることなく、「結論先にありき」の安易な判断をしている。確かに、非加熱製剤の回収を被告人に契機づけようとするとき、昭和60年第8回血液製剤調査会の議事録の文字面だけを見ると、最適な文言のように読め、正に検察官は、それを利用して、本件を起訴に持ち込んだものであり、第一審、原判決も安易にそれに従ったものである。しかし、その1週間後に開かれた昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録、その他当時の全体的状況を勘案すると、検察官、原判決の判断は、むしろ、本件当時の状況とは異なる突出した解釈に基づくものであり、採用されるべきではない。
(なお、原判決は、弁護人の意見(即ち所論)を特別部会の意見と血液製剤調査会の意見とが明らかに異なるものとして、引用しているが、弁護人は、控訴審当初の弁論ではそのように述べていたが、控訴審終結の段階では、控訴審での則松証言を踏まえ、「調査会意見と特別部会意見とは同一意見であり、より正確には特別部会の意見の線に集約されたもの」と主張しているものである。この点、原判決は、弁護人の弁論すら十分に検討せずに結論を出しているとしか考えようがなく、明らかに審理不尽である。)
2 原判決の摘示
(1) 加熱第Ⅸ因子製剤の承認手続に際して、昭和60年12月19日開催の血液製剤調査会の議事録には、「加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきである。」との記載がなされていた(甲603資料1、甲269等)。
更に、上記調査会の1週間後に開催された同月26日の第4回血液製剤特別部会における議事録には「血液凝固因子については、加熱処理製剤を優先的に審査し、承認していることから、非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり、また非加熱製剤のみの承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである」旨の記載がある(甲603資料2等)。
(2) これら、昭和60年第8回血液製剤調査会、昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録の記載について、原判決は次のように判示する。
「調査会の1週間後に開かれた所論特別部会の議事録中の所論指摘の『承認整理』の前後の記載は『血液凝固因子については、加熱処理製剤を優先的に審査し、承認していることから、非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり、また、非加熱製剤のみの承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきであるとの意見があった。』となっているのであって、この記載のみに徴しても非加熱製剤の危険性を十分意識した上での対処を求めていると解されるのである。所論のいうように調査会意見と明らかに異なるものとは到底解することはできない。そうしてみると、生物製剤課として調査会の議事内容のほか特別部会の議事内容も併せて非加熱製剤の使用中止の検討の契機となったことは疑いを入れる余地のないことと認められる。のみならず、原判決は『承認整理』という用語は委員の臨床医らにとっては必ずしも馴染みのないものであり、厚生省の係官が上記記載のようにまとめたものであると解されるとしているところ、その特別部会に係官として出席した当審証人則松正之は『承認整理』という用語は意見開陳委員から出ていたわけではなく、むしろ、同委員は調査会における議事録と同内容の非加熱製剤を使用させないよう厚生省は指導すべきであるとの意見であったとすら述べているのである。もっとも同証人はその点を被告人に報告していないと証言するが、同証人自身前回の調査会においてそのような意見が出ること自体異例であるとも述べていることに徴するとともに職務上出席していることをも併せ考慮すればその証言は直ちには信用し難いと思われる。」(原判決24頁)
3 原判決の誤り
加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いについての昭和60年第8回血液製剤調査会と同年第4回血液製剤特別部会の各意見とは、同じもので(仮に、そうではないとしても、後日開かれた上位部会の意見に意見は収斂されたもので)、加熱製剤承認後は、非加熱製剤を「承認整理等」することを以って対処せよ、というものであった。それにもかかわらず、原判決は、「承認整理」という用語が意見開陳委員から出されたものではなく、則松証人の証言によると、「非加熱製剤を使用させないよう」との意見を「承認整理」とのことでとりまとめたものとし、この「承認整理」の用語を重要視せず、特別部会議事録での記載のみに徹しても、非加熱製剤の危険性を十分意識した上での対処であったとする。しかし、特別部会での意見は、承認整理のことに続き、「非加熱製剤の承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである。」と記載している。即ち、加熱製剤の承認を有していない企業の非加熱製剤については、承認がとれるまで非加熱製剤の流通を容認するというもので、非加熱製剤全般の「回収」ではなく、個別の非加熱製剤の「承認整理」を当然の前提とするものである。
ましてや、「承認整理」とのことでまとめられたのは、後日開催にかかる上級部会での結論であって、この文言を忠実に解釈しようとしていない原判決の判断は、「結論先にありき」の観点からなされた独断に基づくものとしか考えられない。
当時、厚生省としては、昭和60年第8回血液製剤調査会、同年第4回血液製剤特別部会の意見を参考とした行動をしていたものであり、昭和60年第8回血液製剤調査会、同年第4回血液製剤特別部会の意見が、非加熱製剤の使用中止検討の機会になり得たとの原判決の指摘は正当ではない。
(1) 血液製剤特別部会と血液製剤調査会について
血液製剤特別部会と血液製剤調査会は、共に、中央薬事審議会の下部組織である(原審弁19の123頁)。
中央薬事審議会には、特別の事項を調査審議させるための必要があるときは、特別部会を置くことができるとされ、血液製剤特別部会もこのようにして置かれた「特別部会」の一つである。部会には、調査会を設けることができるとされており、血液製剤特別部会の下に設けられた部会が血液製剤調査会であり、この血液製剤調査会は、血液製剤特別部会の下部組織に位置づけられている(以上、原審弁19の「昭和57年度版:逐条解説薬事法」の第3条の部分)。
(2) 昭和60年第8回血液製剤調査会議事録及び同第4回血液製剤特別部会議事録の各記載の文言について
ア 議事録の文言
(ア) 加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いにつき、
a 昭和60年12月19日開催の昭和60年第8回血液製剤調査会の議事録(甲603の資料1)(議事録起案日:昭和61年1月16日)においては、「◎加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきであるとの意見がだされた。なお、松橋委員より(弁護人注:この「松橋委員より」は、――線により削除されている。)非加熱製剤の在庫品については、一旦回収して加熱し再製すればよいのではないかと意見がだされた。」との記載があり、
b 昭和60年12月26日開催の昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録(甲603の資料2)(議事録起案日:昭和61年1月7日)においては、「血液凝固因子については、加熱製剤を優先的に審査し、承認していることから非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり、また、非加熱製剤のみの承認しかない業者には、早急に加熱処理製剤を開発するべきであるとの意見があった。」
との記載がある。
―――「承認整理」とは、製剤の承認を製薬会社の側から自主的に返上することであるところ(原審第3回公判被告人供述26頁)、昭和60年第8回血液製剤調査会での「非加熱製剤は使用させないよう」との意見と同第4回血液製剤特別部会での「非加熱製剤の承認整理等を速やかに行うべきであり」は、文言を、そのまま、見たときには、文言間で相違があるようにも見える。
しかし、関係各証拠に徴すと、昭和60年第8回血液製剤調査会の意見と昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見は同じであり、より正確には、昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見が、当時の中央薬事審議会での一つの意見であったとみるべきである。
即ち、前述したとおり、中央薬事審議会において血液製剤特別部会は、血液製剤調査会の上級組織に該当する。
昭和60年第8回血液製剤調査会での意見が、昭和60年第4回血液製剤特別部会でまとめられたものであり、このそれぞれの文言は、一見異なるかにみえるが、昭和60年第8回血液製剤調査会に出席していた委員(おそらく委員長である山中委員)から、このように要約して報告がなされたもので(原審第2回公判則松証言調書12頁乃至19頁)、結局、加熱製剤承認後の非加熱製剤については、「承認整理等を速やかに行うべきである」との意見が、昭和60年第8回血液製剤調査会での意見を踏まえ、同年第4回血液製剤特別部会で報告されたものである。文言解釈からみても、あえて昭和60年第8回血液製剤調査会の意見を、ことさらに重視する原判決及び第一審判決に合理性はない。
(イ) その理由は、次のとおりである。
a 2つの一見異なる議事録が存在し、その片方、即ち、昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録の意見が、後日開催された、かつ、上位の部会のものであれば、その意見の方を重視するのが当然である。
b 昭和60年第8回血液製剤調査会と同年第4回血液製剤特別部会の双方の会合に出席した厚生省側担当者として、生物製剤課の審査係係長則松正之がいる。同人は、昭和60年第8回血液製剤調査会の記録(=甲603の資料1)作成者であり、双方の会合に最初から最後まで出席していたものであり、両会合の表現振りの違いについて一番良く知る立場にあった者である。
同証人は、原審において証言したものであるが、同証人は、次のとおり証言している。
(昭和60年第8回血液製剤調査会に関して)
① 「加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきである。」との意見は、昭和60年12月19日の同年第8回血液製剤調査会の正式な審議が開始される前、座長の山中学医師が、記録の中にとどめるよう言って、それを書きとったものであること(原審則松正之証言13頁乃至14頁)。
② 「加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤を使用させないように」との意見について、則松証人は、加熱製剤が承認されれば、非加熱製剤は「承認整理」というような形ですれば良いものと考えたこと(同証言14頁乃至15頁)。
③ 則松証人は、「承認整理」とは、製薬会社が承認を返すということ、即ち、製薬会社による承認の自主返上であると理解していたこと(同証言15頁乃至16頁)。
(昭和60年第8回血液製剤調査会の意見と昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見の表現ぶりの違いについて)
④ 昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見を田中係員が、この議事録のとおりの形でまとめたことにつき、供覧に供された際、当日、同特別部会に出席していた伊藤補佐から、まとめ方が違うといってクレームがつけられたことはなかったこと(同証言25頁)。
これら証言より、昭和60年第8回血液製剤調査会での意見と、昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見は、同じものであり、加熱製剤承認後は、速やかに非加熱製剤を承認整理せよとの意見が、中央薬事審議会の血液製剤特別部会及び血液製剤調査会で出されていたことがわかる。
c もし、この昭和60年第8回血液製剤調査会で、非加熱製剤の「承認整理」以上の使用中止措置が論じられていたのであるとすれば、凝固因子製剤の欠品は血友病患者の生命に直接かかわるものであるから、加熱製剤の在庫はあるか、非加熱製剤でも加熱製剤の代替製品たりうるものがあったかが当然議論されたはずである。しかし、則松証言、安倍証言をみても、血液製剤調査会の議事録をみても、それらのことが議論された形跡はない。
d ましてや、原判決のいうように、加熱製剤の承認のなされた製剤会社以外の非加熱製剤を使わせないようにという趣旨の意見であれば、その使用できなくなる会社の権利侵害とならないかといった議論もなされたはずであるが、そのような議論がなされた形跡もない。
e 昭和60年第8回の血液製剤調査会の議事録は、非加熱製剤、加熱製剤という形で製剤種類の特定している。即ち、第Ⅸ因子製剤のみならず第Ⅷ因子製剤の措置を含めて、述べている。加熱第Ⅷ因子製剤は、昭和60年7月に一括承認されており、承認後5か月を経過してからの意見であり、緊急性をもっての意見とは言い難い。
一方、第Ⅸ因子製剤に関しては、加熱製剤が承認されたばかりであり、未だ市場にも流通されず、そのユーザーからの評価の定まっていない中、いきなり非加熱第Ⅸ因子製剤の回収が議論されることは、常識的にみても考えられないし、また、第Ⅷ因子製剤については緊急性を以って語られているのではないことと対比しても、ここで、即時の回収の意見が出されたとは考え難い。
f 血液製剤特別部会、血液製剤調査会ともに中央薬事審議会の下部組織であり、その議事録については、次回の会合の際、前回議事録の確認ということで、そのチェックがなされていた(原審第3回公判被告人供述9頁乃至12頁)。
各議事録中でも、そのようなチェックがなされていたことは次のとおりわかる。
弁314の37頁の昭和60年第1回血液製剤調査会記録に「1.前回議事録の確認」との、
弁314の30頁の昭和60年第2回血液製剤調査会記録の要旨の部分に、「前回記録了承」との、
弁314の22頁の昭和60年第3回血液製剤調査会記録の議事内容の部分に「前回議事録了承」との項目があり、このことが裏付けられる。
従って、昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録に関しても、次回の特別部会で議事録の内容の確認がなされていた筈である。もし、加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いについて厚生省の担当者が発言者の意思と異なって「承認整理等」とのまとめ方をしたならば、それ以降の部会で問題視された筈である。しかし、そのような形跡は一切ない。
イ(ア) 昭和60年第4回血液製剤特別部会議事録の記載は、非加熱製剤につき「承認整理等を速やかに行うべきであり、」と記載されているに過ぎず、この記載を以って、非加熱製剤の流通・使用の中止まで意見として出されていたと解釈するのには無理がある。
原判決は、この「承認整理」の語につき、意見開陳委員から出されたものではないとし、かつ、第一審判決における「ここでいう「承認整理」は委員の臨床医らにとっては必ずしも馴染みのない用語であり(甲269等)、厚生省の係官が上記記載のようにまとめたものであると解され・・」という判断を支持するようである。
① しかしながら、例えば平成2年度第1回血液用剤審査再評価調査会記録によれば、委員らには例えば「昭和54年薬事法改正以後に再評価に指定された成分に対する再評価(その6)と題する文書が配付されている」(原審弁3)が、その中で「再評価申請後に申請者が承認を整理した項目」との項目が記載されており、それを前提に委員らは議論している。血液用剤再評価調査会の委員には、血液製剤特別部会の委員でもある藤巻道男や山中学、血液製剤調査会の委員でもある風間睦美も含まれていた。これら血液製剤特別部会の委員であった医師らは、単なる臨床医にとどまらず、上述のとおり、血液製剤の承認・再評価をしたりする中央薬事審議会の委員を兼任しており、薬事行政とも深くかかわっていたもので、薬事に関連する専門用語に精通していた(現に、前述のとおり、血液用剤再評価調査会では「承認整理」という言葉が使用されており、この種調査会では従前から、「承認整理」という言葉が使われていたと推認される。)とみるべきである。
② 血液製剤調査会の委員にあらかじめ審議用に送付される製剤の申請書類一式の中に「承認整理」の文言は記載されており、血液製剤調査会に委員も当然その用語を知っていたというべきである。
(イ) 「非加熱製剤の流通・使用の中止」の意見が委員から出されたにもかかわらず、厚生省が勝手に意見を書き換えたという可能性であるが、当時、厚生省は加熱製剤の承認・非加熱製剤の扱いにつき、とりたてて責められるような立場には無く、委員の意見と異なる議事録を作成する必然性は厚生省には何ら存在しなかったものであり、厚生省が意図的に委員の意見を書き換えたということはありえない。
(ウ) 昭和60年第4回血液製剤特別部会に出席していた同特別部会の部会長でもあった(弁315の54頁、甲269、第一審第14回公判藤巻道男証言)藤巻医師は、血友病の先端医療を行っていた東京医大の血友病専門医である。同病院では、ミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤クリスマシンHTが承認され、供給されていた昭和61年4月の段階でも、同社の非加熱第Ⅸ因子製剤クリスマシンを新たに納入していたという事実がある(甲272の5丁表)。もし、同年第4回血液製剤特別部会での意見が非加熱製剤の使用を直ちに中止させるという趣旨のものであったとすれば、特別部会長であった藤巻医師の属していた東京医大においては、この昭和61年4月の段階ではクリスマシンHTがすでに供給されていたのであるから、非加熱製剤であるクリスマシンの投与行為は直ちに中止され、行われなくなっていた筈である。しかし、現に上述のとおり非加熱製剤であるクリスマシンの投与行為が行われていたわけであり、この藤巻医師の属している東京医大での対応を見ても昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見が、非加熱製剤の使用中止を指導するよう求めたものとは考えられない。
ウ 原判決は、昭和60年第8回血液製剤調査会の1週間後に開かれた昭和60年第4回血液製剤特別部会の議事録中の「血液凝固因子については、加熱処理製剤を優先的に審査し、承認していることから、非加熱製剤は承認整理等を速やかに行うべきであり、また、非加熱製剤のみの承認しかない業者には“早急”に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである。との意見があった」との記載をもって、「この記載のみに徴しても非加熱製剤危険性を十分意識した上での対処を求めていると解される」と判示する。しかし、ここでの文言は、「非加熱製剤のみの承認しかない業者には早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである。」とのものであり、加熱製剤の承認のない業者に対する関係では、加熱製剤の承認が認められるまでは、非加熱製剤を併存させて製造・販売することを許すものであり、この文言は、非加熱製剤を直ちに使用させないようにするとのものとは異なり、「非加熱製剤の危険性を十分意識したもの」とはいえないこと、明らかであり、原判決の認定は不当である。
エ 昭和60年第8回血液製剤調査会の「非加熱製剤を使用させないこと」との記載に続く意見の中で、「非加熱製剤の在庫品については、一旦回収して加熱し再製すればよいのではないか」という記載がある。
もし、「非加熱製剤を使用させないこと」との文言が、加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤を回収するとの趣旨であれば、その後段の文言で記したように端的に「回収」という文言を用いれば良かったわけである(尚、後段の「回収」が強制一律回収のようなものでないことは、ニュアンスから読み取れるものであるが)。しかし、この前段の文章で「回収」という文言を用いてないことは、すなわち、そのように強制的一律的回収ではなく、ライセンスの自主的な返上を念頭において、「使用させないよう」との文言を使ったものと考えられる。
(3) 厚生省は昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見を参考とした行動をとったこと
ア 厚生省は、現に、昭和60年第8回血液製剤調査会の意見と同趣旨の昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見を参考にして、それに沿った動きをしたものである。このことは次の事実によりわかる。
即ち、
(ア) この昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見が出される前のミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤クリスマシンHTの承認申請書に添付された昭和60年12月6日付けの「念書」では、非加熱製剤の取り扱いにつき、「現在販売中のクリスマシン(非加熱製剤)は加熱製剤であるクリスマシンHTが市場に出た後には製造を中止する予定であります。」とされていたところ(弁186の承認申請書の表紙カバーを含め18丁目)、昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見が示された後の日臓の加熱第Ⅸ因子製剤ベノビールTIM4の承認申請書に添付された昭和61年4月3日付の「念書」では、非加熱製剤の取り扱いにつき、「この蒸気化処理製剤が承認されましたら、速やかに既承認の非加熱処理製剤「ベノビール」の承認整理及び品目廃止の届出を行います。」との記載となっている(弁188の承認申請書の表紙ハードカバー部分の写しを含め13丁目)。
つまり、第4回血液製剤特別部会の意見の後においては、加熱製剤供給後の非加熱製剤の扱いについて、同特別部会での意見と同様に、「製造中止」から、「承認整理」に変更されている。単なる製造中止から、製造中止を法的にも担保する承認整理に指導のレベルが上がったこととなる。一方、非加熱製剤の使用中止については言及されていない。
(イ) 訴因第1の事実関係で何度か第一審判決でも引用されている日赤関係者の厚生省訪問記録の昭和61年7月15日の部分(弁96の20)を見てみると、「現在、濃縮第Ⅷ因子製剤は、加熱製剤が認められた後、(薬価はゾロなので従来どおり)非加熱のものについては承認整理を行うように指導している。」との厚生省担当者が述べたという記載があり、厚生省の非加熱製剤に対する指導方針が、承認整理であったことがこれによってもわかる。
イ(ア) 仮に、昭和60年第8回血液製剤調査会の意見と昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見とが、違うものであったとしても、厚生省は、中央薬事審議会での二つの意見のうち、基本的には、血液製剤特別部会での意見を参考にした動きをしたものであって、これは、合理的なものである。
即ち、3(1)でも述べたとおり、元々、血液製剤特別部会は、中央薬事審議会で血液製剤調査会の上部組織に位置付けられており、仮に、上級・下級の関係にある組織から、それぞれ異なった意見が出されたとすれば、上級の組織の判断を尊重するのが通常であること、及び、開催日時が昭和60年第8回血液製剤調査会については、昭和60年12月19日であったところ、同年第4回血液製剤特別部会はその後の同月26日であったことから、意見の調整が図られ、同年第4回血液製剤特別部会の意見の線に、意見が収斂され厚生省が尊重すべき意見となったと考えて何ら不合理なところが無いからである。
(イ) まして、各議事録の供覧日からも明らかなとおり、被告人は上級部会である昭和60年第4回血液製剤特別部会の意見を、下級部会である昭和60年第8回血液製剤調査会の意見よりも先に供覧に供せられているのであり(原審第3回公判被告人供述22頁)、加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いについては、「承認整理」でいくとの意見が出されたと理解して、何ら不思議な点はない。そして、後述のとおり、当時の濃縮製剤の評価を取り巻く事情を考慮すると、それは、客観的にみても合理的な理解であったといえる。
なお、この点、原判決は、昭和60年第8回血液製剤調査会での意見は、「非加熱製剤を使用させないよう厚生省は指導すべきである。」との意見であったところ、当日部会に出席していた則松証人がこれを、被告人に報告していなかったとの証言につき、疑義を呈する。しかしながら、「非加熱製剤を使用させないよう厚生省は指導すべきである。」との意見が、承認整理を意味するとすれば、あえて、これを、とりたてて報告していなかったとしても、何ら疑義が呈せられるようなものではない。まして、被告人が決裁官として、客観的に、議事録を閲覧すれば、上位の部会で、非加熱製剤の「承認整理」を云々しているのであり、被告人がそれに従った行為をしたとして何ら問題はなかったはずである。これに反する原判決の認定は不当である。
(ウ) 第一審判決及びこれを踏襲した原判決は、被告人こそ、厚生省を代表して、率先して行為をしなければならなかったものの如き判示をするが、血液製剤の専門家の集団であり、厚生省の諮問機関であった血液製剤特別部会の意見に従うことこそ、被告人のなすべきことであり、それに沿った動きをした被告人に責められるべき点は何らない。
(4) 当時の血液製剤調査会・血液製剤特別部会の加熱製剤・非加熱製剤についての考え方
血液製剤調査会の議事録等を通覧しても、訴因第2の事実の当時の血液製剤調査会の委員、血液学者は、加熱製剤承認の直後においては、加熱製剤の副作用に対する懸念と、当時の血友病患者におけるエイズ原因ウイルス抗体陽性者からのエイズ発症者がなお少数にとどまっていた相関関係から、非加熱製剤を、即回収しなければならないほど危険であるといった考えを持っていなかった。従って、加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いについては、「承認整理」を以って、十分と対応していたものと考えて、何ら不合理な点はない。
即ち、
ア 昭和60年6月24日に開催された血液製剤特別部会ではインヒビター患者用の治療薬であるオートプレックスが承認して差し支えないとされている(弁314の15、17頁)。ところで、このオートプレックスは非加熱血液凝固第Ⅷ因子製剤と同様、非加熱の血液製剤である。このときの特別部会は、まさに加熱第Ⅷ因子製剤の一斉承認が血液製剤調査会で認められた後の特別部会であった。
仮に、加熱製剤が承認された当時、非加熱製剤につき、「使用させないように」との認識が血液製剤調査会・血液製剤特別部会の委員らの間にあれば、その特別部会で非加熱製剤であるオートプレックスの承認が行われることには異議が出されてしかるべきであろうが、そのような意見が出された形跡はなく、オートプレックスは、異議無く「承認して差し支えなし。」とされている。その後の血液製剤特別部会・血液製剤調査会でも特に非加熱のオートプレックスの製造販売に関して委員らから「発売を中止せよ」とか、その使用を懸念する発言は出されていなかった。
その他、当時、血液製剤調査会で非加熱血液製剤でも、承認してさしつかえなし、とされた製品が、いくつかあること、原審における弁護人の弁論要旨A第3の一2(4)で述べたとおりである。
イ 加熱第Ⅷ因子製剤の承認後に承認申請がなされた加熱第Ⅸ因子製剤については、加熱第Ⅷ因子製剤のときに取られた「一括承認」といった措置はとられず、逐次、対応の調ったところから申請を受け、五月雨式に承認をなしていく、という対応がとられており(第一審の被告人陳述書Ⅴ)、第Ⅷ因子製剤におけると同様に、第Ⅸ因子製剤についても厚生省が提示したガイドラインを守る必要があったのはもとより、血液製剤調査会等での検討も通常どおり行われ、承認基準に達しなければ承認を受けることはできない、という扱いであった。従って、先行で加熱製剤の承認を得た製薬会社が加熱製剤を市場に出しても、後行業者の非加熱製剤が並行して出回る、ということは予め想定されていた(弁196添付資料3)。
そのような状況であるから、後行の加熱製剤の承認について、とりたてて、前倒しで承認をするといった措置はとられていない。
現に、カッター、ミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤が承認された後に開催された昭和60年12月19日の血液製剤調査会においては、同じく化血研の加熱第Ⅸ因子製剤であるノバクトFの承認が議題になっていたが、結局継続審議とされ(甲603添付資料1)、承認はなされなかった。
それだけでなく、日臓の加熱第Ⅷ因子製剤であるクリオプリンSTの承認も議題となっていたが、これも継続審議扱いとし、承認を先延ばしにしていた(甲60添付資料1)。
即ち、これらの日時において議題となった加熱凝固因子製剤は、いずれも、承認は先送りとされ、かといって、その間の上記各社の非加熱第Ⅷ因子製剤のユーザーに対するフォローをどのようにするかは議論もしていない(第一審第49回公判小室勝利証言28丁乃至31丁、同第5回公判風間睦美証言84丁)。血液製剤調査会の委員としては、加熱製剤承認後しばらくの間の非加熱製剤そのものの流通や使用を容認していたという他ないのである。
ウ そればかりか、加熱製剤の承認にあたって必要とされる試験には、被験者に非加熱製剤を投与して加熱製剤との比較を行うクロスオーバー試験も含まれていた(弁188資料36頁)。血液製剤調査会・血液製剤特別部会の各委員のいずれからも、昭和61年になってからも「非加熱製剤は危険であるからこのクロスオーバー試験を止めさせるべき」である旨の意見は出されていなかった(弁315資料66頁の昭和61年第1回血液製剤調査会記録)。(詳しくは、原審弁論要旨A第3の一2(四)に記載したとおり)
以上のとおり当時の血液製剤調査会の非加熱製剤と加熱製剤における安全性(危険性)に対する認識は相対的なものであって、非加熱製剤につき直ちに排斥すべきというまでの危険性に対する絶対的な見解は醸成されていなかったのである。
エ 凝固因子製剤の加熱については加熱による蛋白変性による副作用の増加といった観点から専門家より懸念が表明されていたところであるところ、加熱第Ⅸ因子製剤の承認にあたっては治験の終了を待たずに承認をしているもので、血液製剤調査会において何度も副作用についての懸念が示されていたものであって、まともに議論した場合、加熱製剤の承認直後には加熱製剤のみを流通させよといった意見が多数を形成する状況には無かったと考えるのが合理的である。
そのことは、次の事実よりわかる。
(ア) 例えば、血液製剤調査会においても、加熱第Ⅸ因子製剤承認後、加熱製剤の副作用について、フォローアップするよう意見が出されている(昭和61年4月28日の血液製剤調査会の議事録に「加熱第Ⅷ、Ⅸ因子の副作用を調査して欲しいとの要望が出された。蛋白含量が増加しているのではないか」という審議メモ(弁315の47頁)がある)。
(イ) 日薬の加熱第Ⅸ因子製剤PPSB-HTは、血液製剤調査会で、何度にもわたり、継続審査となり、昭和61年9月29日に至り、やっと承認して差し支えないとの結論が出されるに至ったが、同調査会での承認にあたっての条件として、「市販後の副作用を本調査会に報告すること」との指示がなされている(弁315の3頁)。更に、その手書きによる詳細メモ(弁315の13頁)によると、「もし、副作用が出たとき、このデータで許可したことになると問題になる。」「副作用については逐次報告する。→<調>へ報告(弁護人注:この<調>とは血液製剤調査会のことと思われる。)との記載がある。
(ウ) 化血研の加熱第Ⅸ因子製剤である「ノバクトF」は、昭和61年1月23日の血液製剤調査会で「承認して差し支えない。」とのこととなっているが、「なお、臨床試験の最終報告が出た時点で、その結果を本調査会に報告すること」との条件が付されており、副作用に関する懸念が表明されていたものである(弁315の66頁)。血液製剤調査会にて、副作用に対し、強い懸念を抱いていたことがわかる。
(エ) とりわけ、加熱第Ⅸ因子製剤については、試験項目を簡略化したり、臨床試験の途中で承認をしていることもあり、承認当時においても副作用に対する懸念が相当程度あったのである。即ち、加熱第Ⅷ因子製剤のときと比較しても、試験項目は簡略化されていた(甲162の資料1)。
更に、加熱第Ⅸ因子製剤承認時点でも、臨床試験は終了していなかった(甲78の別表2)。
ミドリ十字のクリスマシンHTにおいては、同製剤承認後、長期多回投与試験が行われたのである(甲78の別表2、弁186の申請書類添付の昭和60年12月6日付念書)。
他の製剤の承認のケースと比較して、副作用のことを考えると、必ずしも、完成したとはいえない製品を世に送り出し、実地に使用する医師や患者の選択肢を増したというのが加熱第Ⅸ因子製剤承認直後当時の実情であった。
エ 原判決は、昭和60年第8回血液製剤調査会での意見を以って、非加熱第Ⅸ因子製剤の一律全面回収ではなく、加熱第Ⅸ因子製剤の承認を受けた製薬会社の非加熱製剤について置き換えの回収を行っていくとの意見であったと認定し、同年第4回血液製剤特別部会の意見も同様であったとする。しかしながら、この議事録に書かれた文言から、かかる複雑な対応を指摘したと読み取ることは不可能である。
なお、もし、このような行政指導を促すということであれば、非加熱製剤を不良医薬品と認定することが前提となる。そうであるとすれば、当然、加熱製剤の承認がとれていない製薬会社の非加熱製剤の扱いをどうするかということが議論される筈であるが、そのような議論がなされた気配はなく、むしろ、昭和60年第4回血液製剤特別部会では、非加熱製剤の承認しかない製薬会社には、加熱製剤の開発を促すという表現となっており、これは、とりもなおさず、非加熱製剤を回収を要する不良医薬品と認識していなかったことを示すものであり、原判決の判断は、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認である。
オ 昭和60年第8回血液製剤調査会の「加熱製剤が承認されたときには、非加熱製剤は使用させないよう厚生省は指導すべきである。」との意見が、仮に非加熱製剤の即時使用中止との正式意見で、かつ、その後同年第4回血液製剤特別部会でもそれが追認・維持されていたのだとすれば、厚生省ではこれに従った行動をとったわけではないのであるから、その後の調査会でも再三どうなっているのかとの指摘があってしかるべきである。
しかしながら、そのような指摘はその後一切なされていない。このことは、血液製剤調査会、血液製剤特別部会では、加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いについては、「承認整理」を以って、意思形成がなされていたことを示すものである。
(5) 生物製剤課では、加熱第Ⅸ因子製剤の承認後、非加熱第Ⅸ因子製剤について、血液製剤調査会、血液製剤特別部会で出された意見以上のことを行ったこと
ア 前述したとおり、加熱第Ⅸ因子製剤の承認後の非加熱第Ⅸ因子製剤の扱いについて、昭和60年第8回血液製剤調査会、同年第4回血液製剤特別部会では、すみやかに承認整理をするとの意見が出され、生物製剤課では、これを参考にして、加熱第Ⅸ因子製剤の承認がなされた各社に対し、同製剤の承認整理を促していた。
イ こればかりに止まらず、生物製剤課では、加熱第Ⅸ因子製剤の承認がなされた製剤各社に対し、加熱第Ⅸ因子製剤を納入する際、医療現場での反応(即ち、副作用の懸念がないか、有効性に問題がないかといった点に対する現場での反応)を見極めながら、問題がなければ、非加熱第Ⅸ因子製剤と切り換え回収するよう、助言を行っていた。
かかる助言を行っていたことについては、第一審において安倍補佐が証言し(第一審第30回公判41丁裏~)、また、被告人も供述している(原審第3回公判47、48丁)。
更に、これに関しては、他に客観的な証拠も存在している。
即ち、① 甲272の資料4は、昭和61年3月10日付の東京医大の内部文書であるが、この中に、非加熱第Ⅸ因子製剤について、加熱処理した製剤が発売になり、「厚生省はすみやかに各医療施設で切り替えるよう指導している。」との文言があるところであり、生物製剤課にて、切り換え回収を助言していた事実がわかる。
② 更に、甲610の資料3は、「血液製剤の加熱処理問題について」と題するミドリ十字の社長等幹部宛内部文書であるが、これは、昭和61年3月4日に、ミドリ十字担当者富安一夫、松田俊之が、生物製剤課安倍補佐と面談した際の報告文書である。
この中には、「非加熱の第Ⅷ因子、第Ⅸ因子製剤は近く承認整理・回収の指示を出す。世論の動向もあり、できるだけ早く措置したい。安全性を考慮して優先審査して加熱製剤を承認したのであるから非加熱とできるだけ早く切り換えたい。」との文言が書かれている。
ミドリ十字では、この甲610の資料3記載のとおり、非加熱第Ⅸ因子製剤について昭和61年4月24日には承認整理の手続を了しており(甲559)、この甲610の資料3に記載された内容は、非加熱製剤の回収も含め、ミドリ十字に伝達されていたものと考えられる。ミドリ十字の非加熱第Ⅸ因子製剤について、切り換え回収をした方がよいとの厚生省の意向は、この甲610の資料3をみれば、明確にミドリ十字に伝わっていたことがわかる。
生物製剤課では、加熱第Ⅸ因子製剤の承認の経緯に鑑みて、同製剤承認後の非加熱第Ⅸ因子製剤の扱いについて、血液製剤調査会、血液製剤特別部会での意見以上の対応をとってきていたものである。
ウ ところで、原判決の定立した「置き換え回収」という作為義務もまた、必ずしも、非加熱第Ⅸ因子製剤を不良医薬品とは断ぜず、一定の有用性を認めていたものであって、本質的には、当時、生物製剤課が助言していた切り換え回収と異なるものではなく、被告人は事実上、原判決の定立した作為義務と同一の結果をもたらすはずのことを行っていたものである。原審で弁護人は、甲272の資料4及び甲610の3といった証拠を引用し、上記事実の指摘をしていたが、原判決は一切この事実に言及しておらず、明らかな審理不尽である。原審にて、この点、十分考慮していれば、判決の結論に変更があったはずである。
4 まとめ
原判決は、結果回避義務に関し、結果回避を契機づける機会があったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、原判決の重視する昭和60年第8回血液製剤調査会及び昭和60年第4回血液製剤特別部会での意見が「非加熱製剤の使用中止」検討の契機とはならず、理由不備、経験則違反の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第11 〔上告理由第10点〕原判決は、結果回避可能性があったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、審理不尽の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
第Ⅸ因子製剤は、血友病B患者、その他の後天性凝固因子欠乏症の患者の補充療法製剤として不可欠なものであった。また、同製剤は、インヒビターを惹起した血友病A患者の補充療法製剤としても使用されていた。
従って、加熱第Ⅸ因子製剤の承認後、非加熱第Ⅸ因子製剤を回収するにあたっては、トータルとしての第Ⅸ因子製剤を欠乏させてはならないという問題があった。即ち、加熱第Ⅸ因子製剤承認後、加熱第Ⅸ因子製剤では、十分、供給量を充たすことができないときには、一定量の非加熱第Ⅸ因子製剤の流通も認めなければならなかった。
そこで、加熱第Ⅸ因子製剤承認後、非加熱第Ⅸ因子製剤の回収命令ないしは回収の行政指導をすることができたかを判断するためには、血友病B患者らの治療のための需要を充たすことができる十分量の加熱第Ⅸ因子製剤が確保できたかの検証をなすことが不可欠である。十分量の代替製剤の確保ができないのであれば、結果回避可能性はない。
この点、原判決は、加熱第Ⅸ因子製剤の代替製剤として国内血で製造された日本製薬のPPSB及びエタノール処理されたトラベノールの「プロプレックス」を算入するという誤りを犯すと共に、厳密な供給量確保の検証を行わず、当時、「厚生省として第Ⅸ因子に関する加熱製剤の早期供給体制の確立を目指していると認められるから・・・厚生省としての目標達成を予定しかつ念頭において行政目的実現のための行動を採っていたと解するのが相当である」等の認定をし、代替製剤の供給量確保の検証を怠っているものであって、結果回避可能性という過失犯の認定にあたって重要な要件の判断につき判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認、法令解釈の誤りをしている。
2 訴因第2の事実当時における非加熱製剤と加熱製剤に対する評価の誤り
(1) 原判決の判断の誤りの指摘
ア 原判決は、
昭和60年下旬において、アトランタ会議の際の勧告並びに血液製剤調査会の意見等において明確にそれの使用を推奨していると認められることに徴するとともに、第一審判決も説示するとおりの状況、すなわち、加熱処理によってエイズ原因ウイルス感染に関する安全性が格段に高まるという期待は抱き得たこと、生物製剤課担当者及び血友病専門医らがそのような期待を現に有していたこと、別の専門医も「少なくとも現在は、最もよい方法であろうということを信頼して使っていただきたい。」と述べていること、現実に加熱製剤の承認・供給後は血友病専門医らがこぞってこれに切り替えていたこと等に鑑みると、加熱第Ⅸ因子製剤の安全性に関する第一審判決の認定は正当と考えられる。―――として、加熱第Ⅸ因子製剤の安全性の認定をしている。
イ(ア) 昭和60年末当時における「国内で採取された血漿のみを原料としている非加熱第Ⅸ因子製剤」の他の非加熱第Ⅸ因子製剤と比較しての「有意的有用性」について、原判決は、「第一審判決は、当時国内で採取された血液がエイズウイルスに汚染されていないと認識されていたとの事実を前提に国内血を原料とした非加熱第Ⅸ因子製剤が本件非加熱製剤に比較して危険性が格段に低く、血友病治療の有効性において差がないとして、判断をしているのであって、生物製剤課担当者のみならず、当時の血友病専門医においても容易に抱き得た結論であることは明らかである。」――とする。
(イ) 「エタノール処理がされた外国由来の第Ⅸ因子製剤」についても、原判決は、「エタノール処理がエイズ原因ウイルスの不活化に資することは北村医師のアトランタ会議の報告中にも記述されているのであって、これまた当時の大方の専門医の見解に合致するものと認められる。」―――として、昭和60年末当時、エタノール処理がされた外国由来の第Ⅸ因子製剤の安全性、有効性について本件非加熱製剤と比較して、有意的に有用性が認識されたとする。
しかし、この結論付けは、「国内で採取された血漿のみを原料としていた非加熱第Ⅸ因子製剤」及び「エタノール処理がされた外国由来の第Ⅸ因子製剤」を安全性、有効性のうえで、当然のことのように他の非加熱第Ⅸ因子製剤と比較して、有意的に有用性があったとする、本件事故当時にはなかった考え方に立つものであり、当時の血友病専門医らの認識とは異なる、現在時点の認識で評価した事実誤認の認定を基礎に導かれたものであり、訴因第2の事実に関する原判決の判断には、その基礎となる大前提が、事実誤認に基づいている、という重大な欠陥が存在している。
「国内で採取された血漿のみを原料としていた非加熱第Ⅸ因子製剤」「エタノール処理がされた外国由来の第Ⅸ因子製剤」が「他の非加熱第Ⅸ因子製剤」と比較して有意的に有用性があるという認識は、上述したように当時の医療水準から考えて、被告人をはじめとする厚生省関係者には、もとより存在しなかったものである。仮に、厚生省関係者がそのような認識を以って事にあたったとしても、血友病専門医、血液学者ら実地医療にあたっていた者の認識は異なるものであったのだから、医療現場にて混乱が生じ、原判決の摘示どおりには医療現場にて事が進行せず、原判決のいうような結果回避がなされなかったであろうことは容易に想像がつく。
更に、以上の論議の前提となる加熱製剤の非加熱製剤に対する「有意的有用性」の認識もまた、原判決の判断するところと、当時の中央薬事審議会の委員らの認識とでは、大きく違っていた。
(2) 原判決の加熱製剤一般に対する有用性の評価についての判断の誤り
ア 原判決の加熱製剤一般に対する有用性の認識が、訴因第2の事実当時の中央薬事審議会血液製剤調査会の委員等専門家の認識と異なること
加熱第Ⅸ因子製剤については、元々、多くの異種蛋白質によって組成される血液凝固因子製剤の加熱には懸念があったところ、「臨床試験」の途中で承認をしたという事情も加わって、副作用の懸念が、尚、強かったこと、また、当時のエイズ原因ウイルス抗体陽性の血友病患者からのエイズ発症者が少なかったことも相俟って、加熱製剤承認後の非加熱製剤の扱いにつき、直ちに回収しなければならない程、安全性に問題があるといった意識が、血液学者、とりわけ、中央薬事審議会の血液製剤部門の委員をしていた医師の間には存在していなかった。
なお、弁護人が問題としているのは、単なる加熱製剤と非加熱製剤のエイズ原因ウイルス感染に対する相対的安全性の認識の問題ではない。
昭和60年末当時、加熱製剤につき、即時非加熱製剤と交換して、一切、非加熱製剤を使用させないと命令を出しうる程に、加熱製剤に絶対的信頼性があったか、一方、非加熱製剤につき、一切使用させてはならないという程にエイズ原因ウイルス感染に対する関係で危険性の認識が醸成されていたかである。
イ 加熱第Ⅸ因子製剤の「加熱」による副作用についての懸念
(ア) 血液凝固第Ⅸ因子は、同第Ⅷ因子と共に、ヒト体内に超微量しか存在しない一方、主として蛋白質により組成されており、他の血漿成分と較べても、熱に対しては弱いものとされていた。
更に、第Ⅸ因子製剤には、夾雑蛋白質がおよそ100種類以上も含まれており、エイズ原因ウイルス不活化のため、第Ⅸ因子製剤を加熱すると、第Ⅸ因子が変性し、凝固因子の活性が消滅したり、第Ⅸ因子製剤の効果を無効果にするインヒビターが多発するのではないか、また、夾雑蛋白質が変性して、副作用を増加させるのではないか、といった強い懸念が示されており(第一審弁論要旨87頁乃至98頁「凝固因子製剤加熱に対する懸念」)、とりわけ、加熱第Ⅸ因子製剤の承認は、臨床試験の途中でなされていたため、この懸念は尚一層強かったのである。
この第Ⅸ因子製剤に対する加熱に関する副作用の懸念等については、加熱第Ⅸ因子製剤販売開始後も、尚、根強く存在していた。
このことは、以下の事実においてわかる。
a 血液製剤調査会においても、加熱第Ⅸ因子製剤承認後、加熱製剤の副作用について、フォローアップするよう意見が出されている(例えば、昭和61年4月28日の血液製剤調査会の議事録に「加熱第Ⅷ、Ⅸ因子の副作用を調査して欲しいとの要望が出された。蛋白含量が増加しているのではないか」という審議メモ(弁315の47頁)がある)。
b 日薬の加熱第Ⅸ因子製剤PPSB-HTは、血液製剤調査会で、何度にもわたり、継続審査となり、昭和61年9月29日に至り、やっと、「承認して差し支えない」との結論が出されるに至ったが、同調査会での承認にあたっての条件として、「市販後の副作用を本調査会に報告すること」との指示がなされている(弁315の3頁)。更に、その手書きによる詳細メモ(弁315の13頁)によると、「もし、副作用が出たとき、このデータで許可したことになると問題になる。」「副作用については逐次報告する。→<調>へ報告(弁護人注:この<調>とは血液製剤調査会のことと思われる。)との記載がある。
c 化血研の加熱第Ⅸ因子製剤である「ノバクトF」は、昭和61年1月23日の血液製剤調査会で「承認して差し支えない。」とのこととなっているが、「なお、臨床試験の最終報告が出た時点で、その結果を本調査会に報告すること」との条件が付されており、ここでも、副作用に関する懸念が表明されていたものである(弁315の66頁)。承認する方の側でも、副作用について、懸念を抱いていたのが実情であった。
d 更に、加熱第Ⅸ因子製剤に関しては、その承認時点においても、臨床試験は終了していなかった(甲78の別表2)。
ミドリ十字のクリスマシンHTにおいては、同製剤承認後、長期多回投与試験が行われたのである(甲78の別表2、弁186の申請書類添付の昭和60年12月6日付念書)。
e(a) ミドリ十字では、加熱第Ⅸ因子製剤について、当初期間、米国子会社のアルファ社のプロフィルナインHTを以って充てることとしていたが、承認申請のわずか3ヶ月前である昭和60年8月19日の段階ですら、ミドリ十字の内部資料(甲305の資料11)によると、「FactorⅡ、Ⅱaの含量が異常に高く、ほとんどのLotが活性凝固因子否定試験No Pass-対策検討中」という状況であった。
(b) ミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤承認申請の直前の昭和60年10月22日における、ミドリ十字と厚生省との同製剤の承認申請についての打合せ記録が、証拠として存在しているが(甲305の資料18)、それによると、厚生省からいくつか要望が出されたことが記されると共に、末尾部分に「あとがき」に「問題にされると話がややこしくなると思われた溶解液量を増量変更したこと、力価のこと、組織変化試験のツギハギデータのこと等にほとんど触れられず、終始なごやかな雰囲気の中で行われ、一同安堵した。」との記載がある。このように、製薬会社の側でも、データ等、必ずしも十分ではない中、網渡りのような申請を行ってきたことがうかがえる。
他の製剤の承認のケースと比較して、副作用のことを考えると、必ずしも、完成したとはいえない製品を早期に世に送り出し、あえて、それらを投与する医師・患者の選択肢を増したというのが加熱第Ⅸ因子製剤承認直後当時の実情であった。
(イ) 現に、こうした副作用に対する懸念が、ミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤で現実のものとなっていたことは、第一審弁論要旨でも記したとおりである。
即ち、甲321の資料33において、「アルファ社’86MYP説明会時の日本側市場動向の説明資料の一部」と題するミドリ十字の内部資料によれば、「初度の加熱製剤発売メーカーはGCC(ミドリ十字;弁護人注)とカッターの2社であった。この間に非加熱製剤の市場攻撃をしたかったが、品不足と品質上の問題により自社品の切りかえに終始している。この間3月5日新発売としてノバクトF(化血研-藤沢)が参入した。又他の非加熱製剤も’86上期中には加熱製剤に切りかわることから激戦が予測される。特に品質面において表-9のようにクリスマシン-HTはFⅡ&含量が異常に多く(217.5)DIC症状が数ヶ所で発生しトラブルとなっている。」と記述がなされており、当時、ミドリ十字において品質上の問題からDICの副作用が発生していたことが明らかとなったが、これは、アルファ社が製造方法を改良する以前の製品に、前述の製法上の問題があったことから生じた副作用であることは明らかである。
ウ 加熱第Ⅸ因子製剤の安全性についての懸念
加熱第Ⅸ因子製剤承認直後においては、まだ、海外でも加熱製剤からのエイズ原因ウイルス抗体陽性者の報告事例も出ている状況であった(弁330の134頁)。
血液製剤調査会の委員であり、同調査会の加熱第Ⅸ因子製剤の承認の可否についての審議にも加わった国立予防衛生研究所の小室勝利医師も、承認後半年以上たった昭和61年6月発行にかかる医学誌「イムノヘマトロジー」の論文の中で、「ランセット」の論文を引用しつつ「重症血友病に大量の加熱FⅧ(第Ⅷ因子製剤:弁護人注)を投与した場合、抗体の陽性が見られたという報告もあり、現在のところ最終結論を出すには今後の経験を待つ必要がある。」と記載している(弁312の177頁左段)。
エ 加熱第Ⅸ因子製剤の安全性についての認識も非加熱第Ⅸ因子製剤との関係で相対的であったこと
原判決は、加熱製剤と非加熱製剤の安全性に関しても、第一審を踏襲し、加熱製剤の方が絶対的に勝っている、との評価をしているようである。しかし、当時は、血友病のエイズ原因ウイルス抗体陽性者からのエイズ発症者も多くなかったこと(昭和60年12月の時点で5人)から、加熱製剤と非加熱製剤の安全性における評価も相対的なものにすぎず、加熱製剤承認直後において、非加熱製剤が直ちに回収されたりその使用が中止されなければならないというほど安全性に問題があるものであるとの認識は、当時の血友病患者におけるエイズの発症率が低かったこと、及び加熱製剤から発生するかもしれない副作用との相関関係において、存在していなかった。
このことには、血液製剤調査会における対応等、以下の事実により認定できる。
(ア) オートプレックスは、トラベノール社の非加熱製剤であり(例えば、昭和63年発行の弁125の156頁で、他の製剤は加熱処理とされているところ、オのトプレックスは「加熱処理製剤申請中または治験中」とされている。)、昭和60年6月10日の血液製剤調査会で、特別部会に上程することとされ(弁314の18、20頁)、同年同月24日の特別部会で「承認して差し支えない」こととされた製剤である(弁314の15、17)。この6月10日の血液製剤調査会では、5社の加熱第Ⅷ因子製剤が一括して「承認して差し支えない」こととされ(弁314の18、19頁)たものである。即ち、昭和60年6月10日の段階で、加熱第Ⅷ因子製剤が、血液製剤調査会で承認して差し支えないとされ、その一方で、直後の同調査会の上部の特別部会で、同月24日に、非加熱製剤であるオートプレックスもまた、「承認して差し支えない」こととされている。非加熱製剤でも、なお、このころ、中央薬事審議会の部会で「承認」意見が出されているのであり、非加熱の血液製剤であるからとの一事を以って、直ちに排斥されなければならぬ程危険などといった意識は、血液製剤調査会、特別部会にもなかったのである。
(イ) 凝固因子製剤には、本件で問題となっている第Ⅷ、第Ⅸ因子製剤以外にも、いくつもの製剤が存在していた。
このうち、先天性第ⅩⅢ因子欠損症用の製剤として第ⅩⅢ因子製剤が存在していた(弁37の33頁、36頁)。
この第ⅩⅢ因子製剤としては、ヘキストジャパンの「フィブロガミン」という製剤が存在していた(弁37の33頁)。
このフィブロガミンは、当初非加熱製剤であり、非加熱製剤のまま、輸入承認事項一部変更の申請が出され、昭和60年2月25日の血液製剤調査会で「用法・用量を一部改めたうえで承認して差し支えない。次回特別部会に上程する。」とされ(弁314の32頁)、同年3月11日の特別部会で「承認して差し支えない。」こととされ、常任部会に報告する―――こととされている(弁314の26頁)。
即ち、間もなく、加熱第Ⅷ因子製剤の承認申請が上ろうとする頃、血液製剤調査会で、非加熱製剤のまま、「承認して差し支えない。」との審議がされている。
(ウ) フィブリノゲン製剤についても、加熱製剤の承認がなされたのは、昭和62年4月30日のことであった(原審弁2)。
以上のとおり、血液製剤調査会では、加熱の血漿分画製剤の承認を行うと共に、並行して非加熱の血漿分画製剤の承認も行い、また、加熱の血漿分画製剤についても、各凝固因子でばらばらに承認申請がなされているものの、それに対し、特に懸念を示していない。このことは、血液製剤調査会において、非加熱製剤につき、直ちに加熱製剤にとって替わらなければならない程危険との認識が持たれていなかったことを示すものといえる。
なお、加熱製剤承認の「優先審査」による承認は、非加熱製剤の使用を中止させるためのものであった、という判断が原判決の基底にあるのではないかと思われるが、そのようなことは、これら血液製剤調査会、血友病専門医の、当時の動きをみてもありえない。
即ち、加熱第Ⅷ因子濃縮製剤の承認は「優先審査」の形で行われているが、もし、これが、非加熱第Ⅷ因子製剤の即時使用中止を目的として行われた、ということであれば、それ程までに切迫した非加熱製剤についての対エイズ危機意識が醸成されていたということとなる。そうであるとすれば(原判決の見解によれば、とりわけ、第Ⅸ因子製剤については、「加熱」と同等の安全性を有すると評価される国内血で作られた「PPSB」、エタノール処理され、エイズに安全という「プロプレックス」という、加熱製剤の代替製剤があった、というのであるから)、加熱第Ⅸ因子製剤が承認される前から、非加熱第Ⅸ因子製剤の不要不急の使用中止と並んで「PPSB」「プロプレックス」の使用が推奨され、それらの供給が増えて然るべきである。
しかるに、現実に、そのような動きはみられなかった。
これは、とりも直さず、当時の非加熱製剤が、加熱製剤承認の前後を通じて、直ちに回収・使用中止されねばならぬ、という程には、危機意識が持たれていたものではなかったことを示すと共に、加熱製剤の「優先審査」が、非加熱製剤の使用中止をさせるためになされた、ということではないことを示す、何よりの証左である。
オ 血友病専門医等は非加熱製剤につき直ちに排斥されるべきものと認識していなかったこと
(ア) 昭和61年3月10日付の時点で、血液製剤特別部会長を出していた東京医大病院においてすら、加熱第Ⅸ因子製剤である「コーナインHT」「ノバクトF」について採用が申請されると同時に、トラベノールの非加熱製剤である「オートプレックス」の採用申請がなされていた(甲272の添付資料4;「新薬採用願」)。
これは正に、非加熱製剤であるから、といって直ちに排斥されるべきとの考えが、血友病の先端治療を行っている血友病専門医の意識の中になかったことを示す文書である。(尚、「オートプレックス」はエタノール処理された製剤であるから安全とのことで、採用申請されたのではないことは、同じくエタノール処理がされた製剤である「プロプレックス」については、同一文書中で「旧製品」として整理が検討されていることから明らかである。)
(イ) 加熱第Ⅸ因子製剤については、そもそも、一括ではなく、五月雨式に承認がなされたものであり、昭和60年12月の同年第4回血液製剤特別部会でも、「非加熱製剤しかない業者には、早急に加熱処理製剤を開発するよう指導するべきである」との意見が出されているところであり、中央薬事審議会血液製剤特別部会でも非加熱製剤と加熱製剤の併存は容認されていたものである(詳しくは、原審本弁論要旨A第4の一に記載のとおり)。
以上、加熱製剤の非加熱製剤と比較しての安全性の評価については、相対的なものにすぎず、非加熱製剤を以って、直ちに排斥されるべきもの、との認識は、承認する側、及びそれを使用する血友病専門医らの側にも、存在していなかったことがわかる。
カ 医療現場でも非加熱製剤から加熱製剤に直ちに切り替わったものではないこと
原判決では、「加熱製剤の承認、供給後は血友病専門医らがこぞってこれに切り換えていったものである。」と認定しているが、これも緩やかに切り換えられていったものであり、原判決の認定が、加熱製剤の承認・供給後、直ちに切り換えていった、という趣旨の認定であるとすれば、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認の認定といわざるをえない。
(ア) 第一審で証人として出廷した藤巻医師は、血友病専門医であり、その勤務する東京医大病院にも多くの血友病患者が入通院しており、同人は、血液製剤特別部会長の任にも就いていたが、この東京医大病院においても、加熱第Ⅸ因子製剤承認後直ちに、非加熱第Ⅸ因子製剤が加熱第Ⅸ因子製剤に切り替わっていったのではない。
東京医大付属病院の昭和61年3月10日付の「新薬採用願」(甲272の添付資料4)によると、非加熱製剤である「クリスマシン」、「プロプレックス」、「ベノビール」について、「旧製品の整理を検討」「納入価の再交渉を行うこと」との表記がなされている。加熱第Ⅸ因子製剤承認後、非加熱第Ⅸ因子製剤について、新たな納入についてはさしひかえる方向で検討されたようであるが、これら非加熱の3製品については、納入価の再交渉を行うこと、とされており、在庫品については、そのまま使用することが前提とされていたことがわかる。
また、※2のところに「クリスマシンは、加熱処理品クリスマシンHTが発売後はその製品に変更する。」とされているものの、他の非加熱製剤については、そのような趣旨の記載がされていない。
これからは、加熱第Ⅸ因子製剤承認の時点で、非加熱第Ⅸ因子製剤を直ちに全面的に切り換え回収してまで、放逐しなければならない、という切迫した認識が、血友病の最先端医療をなし、血液製剤特別部会長を出していた東京医大病院にしてすらなかったことがうかがえる。現に東京医大附属病院では、既に、加熱第Ⅸ因子製剤の納入が開始されている昭和61年2月16日に、非加熱第Ⅸ因子製剤クリスマシンの投与が行われ、昭和61年4月3日に非加熱第Ⅸ因子製剤の新たな納入が行われている(甲272の5丁表)。
尚、この新薬採用願の「ノバクトF」の項をみると「血友病B治療に用いる第Ⅸ因子製剤に最近製剤中に混入する可能性のあるウイルスを不活化する目的で加熱処理した製剤が発売になり、厚生省はすみやかに各医療施設で切り替えるよう指導している。」との記載がみられるが、そのような認識をしている病院においてすら、加熱第Ⅸ因子製剤への切り換えは、上述のようだったものである。
(イ) 血液製剤調査会の委員をしていた風間睦美医師も、昭和60年11月17日の段階で、「本年から我が国では第Ⅷ因子濃縮製剤は、加熱のものに置きかえられつつあり・・」と述べており(弁433の論文の2枚目右段)、即時、非加熱第Ⅷ因子製剤が加熱第Ⅷ因子製剤と置き替わっていったものではないということを自認している。
(3) クリスマシンHTの評価についての原判決の判断の誤り
ア 原判決が引用する第一審判決では(第一審判決344頁以下)、ミドリ十字が、「無理のきく」医療機関に対しては、非加熱製剤を販売していたことを以って、ミドリ十字は、加熱製剤の有効性・安全性の総合評価としての有用性を認識していた証左とする。
イ しかしながら、ミドリ十字とて、仮に非加熱製剤からのエイズ原因ウイルス感染の危険をそれなりに高いと位置づけているにもかかわらず非加熱製剤の販売を続ければ、当然、将来的には、損害賠償の問題が起こることが予想されるものであり、「無理のきく」ところであれ、販売したとは到底思われない。非加熱製剤の「安全性(危険性)」と加熱製剤の「安全性(危険性)」は、相対的なものと捉えられており、当時、改良品である加熱製剤の方が、新製品であり、より良い製剤と考えられていたから、旧製品を「無理のきく」医療施設に供給していた、という程度のものであり、むしろ、加熱製剤と比較して回収を要する程に「危険」な製剤とは認識されていなかった事実がこれよりわかる。
(4) 原判決のPPSBの評価についての判断の誤り
ア 原判決は、PPSBは、国内血で作られており、当時、献血を受けた者からのエイズ原因ウイルス抗体陽性者の報告はなかった等の事情から、PPSBは、PPSB、プロプレックスを除く外国血漿由来の非加熱製剤に比較すれば、エイズに関する危険性が格段に低く、血友病治療に関する有効性において差がないこと等から、有効性・安全性の総合考慮の結果としての有用性においても、上記非加熱製剤より格段に優るものであったこと、かつ、PPSBに関するそのような認識は、被告人ら生物製剤課担当者が現に有していたか又は容易に抱き得たものと一方的に認定している。
イ しかし、これは、事後的評価に基づいた、事実誤認である。
(ア) エイズ原因ウイルス感染の可能性がないとは言えないこと
国内の有償採漿(売血)を原料として製造されたPPSBは、訴因第2の事実の時点で、エイズ原因ウイルス感染の可能性がない、とはいえなかった。
日赤においては、昭和60年10月から、献血にあたって男性同性愛者の人の献血をお断りする旨の表示を行っていた(弁335の「血液事業関係資料集平成4年3月」)ことからも分かるとおり、昭和60年11月の時点においては、国内の献血血液であっても、必ずしもエイズ原因ウイルス混在の可能性が否定できないと考えられていた。
有償採漿ではなく、献血による日赤の血液においてすら、昭和61年2月以降、献血の際に、一部地域で部分的にエイズ原因ウイルスの抗体検査を開始したところ、その抗体陽性者が見つかっているところであり(弁62の243頁の6の項、尚、冒頭、1961年とあるのは昭和61年の誤りと思われる。)、これからみても、訴因第2の事実の時点で、国内血漿を原料とする第Ⅸ因子製剤であるから、エイズ原因ウイルスに対し安全など、という保証は何ら存しなかった。
(イ) 日本で最初にカッターの加熱第Ⅸ因子製剤が承認された時期の前後において、米国由来血漿を原料とする非加熱製剤が、エイズ原因ウイルスに対する関係で危険であり、一方、これと較べ、仮にPPSBがエイズ原因ウイルスに対し、「安全」と意識されていれば、当然、最初の加熱第Ⅸ因子製剤が承認される前から、加熱第Ⅸ因子製剤と同等のものが出回っていたわけであるから、他の非加熱製剤からPPSBに切り換える動きが、目に見えてあったはずである。しかし、そのような動きがあったことは認められない。むしろ、加熱第Ⅸ因子製剤承認の頃、PPSBの供給量は、減少しているのであって、本件事故当時、PPSBが、他の非加熱製剤と比較して有意に安全という認識が、血友病専門医をはじめとする医療関係者の中になかったことが、これによりわかる。なお、原判決は、加熱第Ⅸ因子製剤承認後のPPSBの売れ行き低下は、より良い加熱製剤ができた以上、当然のことであるとするようである。しかし、加熱第Ⅸ因子製剤の承認前は、原判決の言によれば、「プロプレックス」と、このPPSBしかなかったわけであり、加熱第Ⅸ因子製剤の承認前に売れ行きが伸びていなかったことについては、原判決は、何ら合理的な説明ができていない。
因みに、昭和60年後半から昭和61年末にかけてのPPSBの供給量は、甲80のようなものであった。
これによると、PPSB(200単位)については、昭和60年7月には、1514本出荷されていたものが、昭和60年12月には1407本、昭和61年1月には1000本、同年2月、3月には0本となっている。また、PPSB(500単位)については、昭和60年10月には、400本出荷されていたものが、昭和60年12月には70本、昭和61年1~8月には0本(但し、5月のみ20本)と出荷が減少している。
日本で最初の加熱第Ⅸ因子製剤が承認される頃、とりわけ、その承認の前の時点で、もし、PPSBに関して、他の非加熱製剤と比較して有意的に有用性があると認識されていれば、加熱第Ⅸ因子は供給されていない一方で、加熱製剤と同等とされるPPSBについては、それなりの在庫は存在したわけであるから、この時点以降、供給が大きく伸びて然るべきである。しかしながら、最初の加熱第Ⅸ因子製剤が承認された時点の前後を通じて、PPSBの供給は、増加に転ずるどころか、むしろ、減少に転じている。
血友病の補充療法製剤の選択は、血友病専門医の判断によって行われていたとみられるところ、それにもかかわらず、PPSBの供給量が増加しないばかりか、減少に転じていることは、訴因第2の事実の当時、PPSBの他の非加熱製剤と比較しての有用性が、血友病専門医らによって、特段、認識されていなかったことを示すものである。
(ウ) PPSBも、加熱製剤に切り換えることとなり、日本製薬では、他の非加熱製剤メーカーと同様、加熱製剤の承認を申請し、その後、「承認」を取得して製造販売するに至っている。このように、新たに加熱製剤の承認を取得しようとしていたメーカーの非加熱製剤を他の非加熱製剤と有意に有用性において優る製剤であるとして、厚生省において、積極的に推奨できなかった、としてもそれは当然のことである。
ウ 以上のとおり、PPSBが、プロプレックスを除く他の非加熱製剤と比して、有意的に有用性があった、との評価は、あくまでも現在の時点ないしは、本件事故後しばらくたってから後においての評価であり、訴因第2の事実の当時、厚生省ましてや被告人において、かかる評価をすることができなかったことは、当然のことであって、この点についての原判決の認定は判決に影響を及ぼすべき事実誤認である。
(5) プロプレックスの評価についての原判決の判断の誤り
ア 原判決は、プロプレックスは、エタノール処理がされており、それによるエイズ原因ウイルス不活化は、アトランタ会議でも推奨されていた等として、プロプレックスを除く米国由来血漿を原料とした非加熱製剤と比較すれば、エイズに関する危険性が格段に低く、血友病治療に関する有効性において差がないこと等から、有効性・安全性の総合考慮の結果としての有用性においても、前記非加熱製剤に優るものであったこと、かつ、プロプレックスに関するそのような認識は、被告人ら生物製剤課担当者が現に有していたか又は容易に抱き得たものであったことが認定できるとしている。
イ しかしながら、この判断も事後的評価に基づいた事実誤認の認定である。
(ア) エイズ原因ウイルス感染の可能性がないとの認識を持ち得なかったこと
検察官は、プロプレックスが製造工程においてエタノール処理されていたので、エイズ原因ウイルスが不活化されており、「エイズ原因ウイルス感染の危険性のない血液凝固第Ⅸ因子製剤」であったと主張し、原判決もこれと同様の認定をしている。
しかし、トラベノールは、米国での供血者にエイズを発症した者がいることを理由に、昭和60年8月、日本で販売したプロプレックスの自主回収を行ったことを厚生省に報告し、かつ、アメリカ合衆国において、同年6月、エイズ原因ウイルス感染の可能性があることを理由として自主回収(市場撤収)の措置を行っているのであり(弁380「市場撤収」と題する昭和60年6月11日付書面)、昭和60年乃至昭和61年当時、プロプレックスについてエタノール処理がなされているからエイズ原因ウイルス感染の可能性がないという考え方が確立されたものではなかった。原判決は、エタノール処理された非加熱製剤の安全性についてアトランタ会議で報告されたとし、北村医師の文献を引用するが、凝固因子製剤については、分画の過程で多かれ少なかれエタノール処理が施されているところ、エタノール処理の程度、それをどこに組み込むかについては、各社製品によって異なっており、エタノール処理されたからといって直ちにエイズ原因ウイルスに対し安全といえるものではなかった。そもそもプロプレックスについて行われていたエタノール処理も、エイズ原因ウイルスを不活化することを目的としてなされたものではないし、それを目的とした治験がなされたということもないのであるから、本件当時、プロプレックスがエイズ原因ウイルス混入の可能性のなかったとのことは全く証明されていない。
(イ)a 日本で最初の加熱第Ⅸ因子製剤の承認がなされた前後の時期において、プロプレックスが、他の非加熱第Ⅸ因子製剤と比較して有意的に安全であるからとのことで、他の非加熱製剤からプロプレックスに切り換えるような動きは特段になかったものである。
即ち、昭和60年後半から昭和61年末にかけてのプロプレックスの供給量は、甲80のようなものであった。
これによると、プロプレックス(400単位)について、昭和60年5月には、2190本の売上げがあったものの、昭和60年8月以降は、同年8月:1514本、9月:1683本、10月:1397本、11月:1397本、12月:1784本、昭和61年1月:1275本、昭和61年2月:785本と推移しており、日本で最初に加熱第Ⅸ因子製剤が承認された時期の前後、とりわけ、加熱第Ⅸ因子製剤の承認前の時点で、有意的に売上本数が増加しているということは、一切ない。そればかりか、昭和60年の年間で18,288本の売上げがあったものの、昭和61年の年間では15,875本であり、むしろ売上げ本数は減少している。日本で最初の加熱第Ⅸ因子製剤が承認される前、加熱第Ⅸ因子製剤は供給されておらず、一方、プロプレックスが加熱第Ⅸ因子製剤と有用性において同等とみなされていれば、プロプレックスとPPSBしか、加熱製剤と同等のものはなかったのであるから、日本で最初の加熱第Ⅸ因子製剤が承認される前後の時点でプロプレックスの供給量は、飛躍的に伸びて然るべきであった筈であるが、そのような動きは一切なかった。このことは、血友病専門医によってすら、プロプレックスが他の非加熱製剤と比較して、有意的に有用である旨認識されていなかったことを示すものである。
b 東京医大病院の昭和61年3月10日付「新薬採用願」(甲272の添付資料4)の「プロプレックス」の項をみると「旧製品の整理を検討」「納入価の再交渉を行うこと」との記載がなされており、プロプレックスにつき、エタノール処理がされているからとのことで、他の非加熱製剤と特段の区別はされておらず、当時、エタノール処理がされているからといって、特別、他の非加熱製剤と比較して、「安全」といった評価が、血友病治療の最先端を行き、エイズに対しても先端的な情報を集めていた東京医大病院においても、されていなかったことがわかる。
(ウ) 平成元年に提訴されたHIV国賠訴訟で、エタノール処理されたプロプレックスのメーカーであったトラベノール(提訴当時の社名:バクスター)も被告の一員とされている。これは、平成元年の段階でもなお、エタノール処理された製剤についてHIVに対し安全であるとの観念が患者側になかったことを示すものであり、まして、それに4年先立つ昭和60年当時、この製剤がHIVに対し安全との観念が患者側になかったことはより明白である。
(エ) プロプレックスも加熱製剤として承認を受けるよう手続きが進行しており、昭和61年4月23日には、加熱製剤であるプロプレックスSTが承認を得て、その後、販売に供されているところであり、このことは、とりもなおさず、当時、プロプレックスに有用性が認められていなかったことを示したものである。このように、いずれ、加熱製剤に切り換える予定の製剤を、厚生省が他の非加熱製剤と有用性において優るものと認識せず、従って、推奨することができなかったとしても、それは、むしろ、当然のことである。
(オ) エタノール処理された製剤についてのエイズ原因ウイルス感染についての安全性の認識については、血友病専門医のトップの立場にあった安部英医師によって、昭和60年10月27日の段階でも懸念が示されていたところである(甲288の資料6)。
即ち、昭和60年10月27日に開かれた、全国血友病友の会理事会に安部英医師が出席し、その席上、理事と思われる中村氏の「アルコールの処理で作った『プロプレックス』と加熱処理剤のエイズに対しての効果の違いは。」との質問を受け、安部医師は、「アルコールの処理条件にもよるが、アルコール処理についてはあまり信用しない方がよい。」と明確に答えている。尚、この席上には、被告人も出席していた(同資料の来賓の欄に被告人の記載があり、更に、安部医師の質疑応答のあとに被告人の質疑応答もある)。
一部論文によって、エタノール処理された製剤についてのエイズ原因ウイルス感染に関する安全性が記されていたようであるが、それは、やっと最先端の医学雑誌で取り上げられる、といった段階で、まだ、血友病専門医らによって受け容れられていなかったことがこれによってもわかる。被告人は、現にそのやりとり(=安部医師により、エタノール処理によるエイズ原因ウイルス不活化について懐疑的態度が示されたこと。)も見ているわけであり、これをもってしても、被告人として、プロプレックスを、特段、有用性ある製剤として他の非加熱製剤に替わるものとして認識していなかったとしても、それは当然のことである。
――原判決は、プロプレックスについて、「本件非加熱製剤に比較すれば、エイズに関する危険性が格段に低く、血友病治療に関する有効性において差がないこと等から、有効性・安全性の総合考慮の結果としての有用性においても、本件非加熱製剤よりも格段に優るものであった」とし、「プロプレックスに関するそのような認識は、被告人ら生物製剤課担当者が現に有していたか又は容易に抱き得たもの」とするが、血友病専門医においてすら、プロプレックスに対し、他の非加熱製剤と較べて有意的に有用との評価は、本件当時なしていなかったのであり、被告人において、プロプレックスの有意的な有用性を当時認識していなかったとしても、それは、当然のことであり、この点、原判決の判断は、明らかな事実誤認である。
(6) まとめ
カッター、ミドリ十字の加熱第Ⅸ因子製剤承認の時点では、もともと存在していた蛋白質の加熱に対する懸念のみならず、治験途上で「承認」が行われていたことから、加熱第Ⅸ因子製剤から生ずる可能性のある「副作用」に対する懸念が強く、一方、訴因第2の事実当時は、未だ血友病のエイズ原因ウイルス抗体陽性者からのエイズ発症率は、依然、低いと捉えられており、非加熱製剤と加熱製剤のエイズ原因ウイルスに対する安全(危険)性の認識は、相対的なものであった。従って、それとの比較の中で、加熱第Ⅸ因子製剤について、非加熱第Ⅸ因子製剤を積極的に回収または、即時、使用中止をしてまで、普及させていくという程に有用性の認識が確立されていた製品ではなかったといえるのである。即ち、重大な副作用が生じる可能性のある加熱第Ⅸ因子製剤を、血友病患者等に絶大な効果を発揮し、さしたる副作用が出ない実績があった非加熱第Ⅸ因子製剤を、直ちに、回収してまで普及させていくことができなかった、というのが、加熱第Ⅸ因子製剤の評価に加わり、その性状を良く知っていた、当時の血友病専門医、血液製剤調査委員会を構成する血液学者らの常識的な考え方であり、それが医療水準であった。
また、その際、エタノール処理が施された非加熱第Ⅸ因子製剤(プロプレックス)と国内血で作られた非加熱第Ⅸ因子製剤(PPSB)について、他の非加熱第Ⅸ因子製剤と比較しての有意的な有用性は、血友病専門医らからも認められていなかった。
加熱第Ⅸ因子製剤承認直後における一時的な非加熱第Ⅸ因子製剤と加熱第Ⅸ因子の併存は認められるというのが血友病専門医、血液製剤調査会委員らの認識であった。
3 原判決の加熱第Ⅸ因子製剤等の供給可能量の誤り
(1) 原判決の摘示
訴因第2の事実の認定にあたっては、昭和60年12月に加熱第Ⅸ因子製剤の承認が認められた頃の時点で、当時供給流通されていた非加熱第Ⅸ因子製剤の供給量に見合う加熱第Ⅸ因子製剤の供給が確保できたかの検証が必要である。
濃縮第Ⅸ因子等凝固製剤である第Ⅸ因子製剤は、血友病Bその他一部肝疾患の患者等の救命治療に不可欠であり、その欠品は、血友病B患者等の死に直結する事態を招来するものであった。加熱第Ⅸ因子製剤承認直後に非加熱第Ⅸ因子製剤の回収を命ずるためには、その時点で血友病B患者等のため、十分量の加熱第Ⅸ因子製剤が確保されていることが大前提であった。即ち、十分量の加熱第Ⅸ因子製剤が確保されていることが本件の結果回避可能性の判断のために不可欠である。しかるに、原判決は「昭和60年12月当時厚生省としては第Ⅸ因子に関する加熱製剤の早期供給体制の確立を目指していたと認められるから、被告人において具体的な数字の把握に至っていなかったとはいえ厚生省としての目標達成を予定しかつ念頭において行政目的実現のための行動を採っていたと解するのが相当であって供給量がおよそ不足しているとの認識に立っているとの見解を前提とする主張は失当というべきである。」との意味不明な判示をし、代替製剤の確保についての判断を放擲している。即ち、原判決は、過失犯認定にあたっての不可欠の要件である結果回避可能性についての判断を怠っているのであり、判決に影響を及ぼす法令解釈の誤り・審理不尽がある。この点、第一審判決は、踏み込んで判断をしているので第一審判決の誤りについて、以下述べる。
第一審判決は、「加熱第Ⅸ因子製剤の供給が開始されるようになってからは、血液凝固第Ⅸ因子の補充のためにはこれら本件加熱製剤等の投与で対処することが、我が国全体の供給量の面からも可能になっており、また、カッター及びミドリ十字においても、それぞれ従前の非加熱第Ⅸ因子製剤の販売量を上回る量の加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能であった」と認定している。しかしながら、有効性及び安全性の面から問題のない加熱第Ⅸ因子製剤の供給単位数は、血友病B患者の補充療法に必要な量及び安定的な供給を確保するための適正在庫量の合計単位数に不足していたことは客観的に明らかであり、供給量の面からみても結果回避可能性がなかった。したがって、本件非加熱製剤を使用しなくとも治療に支障が生じなかったとする第一審判決には事実誤認がある。この量の確保についての原判決の誤りについての詳細は、原審での弁護人の弁論要旨(43頁~96頁)に記したとおりである。以下では、代替製剤の量の確保についての第一審判決の判断の根本的誤りについて述べる。
(2) 第一審判決の判断の根本的誤り
第一審判決では、加熱製剤の各承認を受けた各製薬会社について、加熱製剤と非加熱製剤とを置き換え回収をしていくということによって本件結果を回避することができたとのことで作為義務を策定している。その大前提としては、国内血を原料とするPPSB及びエタノール処理の施されたプロプレックスについては、エイズ原因ウイルス感染に関して安全であるので回収の必要性が無く、したがってこの二製剤については、回収及び回収に伴う代替製剤の量の確保のことを考慮する必要がなかったという命題を立てている。
しかしながら、これは、そもそも、PPSB、プロプレックスがエイズ原因ウイルス感染について安全であるという本件事故当時になかった考え方に基づくものでありその大前提に誤りがある。もし、本件事故当時、加熱製剤の承認が認められた製剤会社の非加熱製剤の置き換え回収を命じれば、それは非加熱製剤全般に対する否定的評価を宣言することになるわけであるから、当時の観念に基づけば、非加熱製剤であるPPSB、プロプレックスについても代替製剤の量の確保を考慮しなければならなくなったはずであり、この点、これら二製剤について代替製剤の確保についての考慮が不要であるという第一審判決の考え方には根本的な誤りがある。なお、原判決は、加熱製剤とこれら二製剤の関係について「より安全性の高い加熱製剤が供給されたという状況下においては上記2種の製剤に関し供給の減若しくは切替えの動きが生じないことは当然の事態と考えられる。」(原判決21頁)とし、加熱製剤承認後は、これら二製剤の供給量が減となること、即ち、これら二製剤から加熱製剤に乗り替える現象が起こることも想定している。また、平成元年の段階で民事提訴されたHIV国賠訴訟でも、エタノール処理された製剤を販売していたトラベノール(提訴時社名:バクスター)も被告の一員に加えられているのであり、このことは、平成元年になっても、なお、エタノール処理の安全性について、患者側から評価されていなかったことを示すものであり、当然、プロプレックスから加熱製剤に乗り替えた動きが出たはずである。そうであれば、原判決の考え方に立ってもこれら製剤の代替製剤の確保量についての吟味が必要になる。原判決、第一審判決はこれを怠っているものであり、原判決、第一審判決ともに、過失犯における重要な要素である結果回避可能性について重大な判断の過誤をしているというべきものである。
(3) 第一審判決のその他の誤り
仮に、第一審判決が認定した供給可能量と必要量をそのまま是認したとしても、単純に量的側面のみによって、非加熱第Ⅸ因子製剤の回収や使用中止の指示が可能であったなどと言うことはできない。本件は過失が問題とされているだけでなく、不作為の違法性が問われている事案であり、結果回避可能性があったというためには、作為が可能でなければならないが、原判決はこの点についての検討が十分になされたとは言い難い。
濃縮第Ⅸ因子製剤は、原判決も認めているとおり代替性のない製剤であり、同製剤が不足するという事態になれば、直ちに血友病B患者の生命に対する重大な危険性を生じることとなったが、非加熱第Ⅸ因子製剤の回収あるいは使用中止がなされた後に、加熱第Ⅸ因子製剤について重大な副作用の問題が発生した場合には血友病B患者にとって致命的な事態をも引き起こしかねない状況にあった。一般に承認された医薬品の有効性及び安全性についての評価は、市販後の使用状況をみたうえで再度判断されなければならないというのが薬務行政の考え方であるが、症例数を極端に少なくして、承認手続の期間も極端に短くするなど通常の承認審査の手続と比較して簡略化が図られた加熱第Ⅸ因子製剤については、特に、市販後の有効性及び安全性の評価に注視しなければならないと考えられていた(実際に危惧したとおり、ミドリ十字のクリスマシンHTについてはDICの副作用が発生していた)。また、事後的に供給量を調査した結果としてならば、昭和60年12月乃至昭和61年4月の間にどれだけの量の加熱第Ⅸ因子製剤が供給されたかは分かるとしても、第一審判決が被告人に作為義務があったとする時期、すなわちカッターとミドリ十字の「加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能となった時点」においては、その後のいつの時点でどれだけの量の加熱第Ⅸ因子製剤が供給されるのか被告人において予見することは不可能であった。
濃縮第Ⅸ因子製剤が不足する事態を避けなければならないというのが当時の至上命題であり、血液製剤の需給が逼迫しているという状況において、加熱濃縮製剤の有効性と安全性の評価も固っておらず、かつ、カッターとミドリ十字の「加熱第Ⅸ因子製剤の供給が可能となった時点」というはっきりとした供給量が予見できない時点において、非加熱濃縮製剤を回収あるいは使用中止させるという作為可能性は全くない。
4 まとめ
原判決は、結果回避可能性があったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備、審理不尽の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第12 〔上告理由第11点〕原判決は、ミドリ十字が非加熱第Ⅸ因子製剤を国内血を原料としているとの虚偽の宣伝を用いて販売活動を行っていたとの事実認定のもと、(信頼の原則の適用により被告人に業務上過失致死罪の成立が認められないにもかかわらず)業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、審理不尽、理由不備の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
監督的立場にある者の過失責任を追及する上で、被害者、被監督者、又は、第三者の不適切な行為まで予見する義務はないとされるのが信頼の原則である。検察官は、生物製剤課による製薬会社への監督が不十分であったために、被害者の死の結果が発生したかの主張をしているが、以下に述べるとおり、被告人は生物製剤課課長として、非加熱第Ⅷ因子製剤と加熱第Ⅷ因子製剤の自主的な切り換え回収が順調に推移したミドリ十字が、第Ⅸ因子製剤についても、第Ⅷ因子製剤同様、非加熱製剤と加熱製剤を切り換え回収していくことを信じたことは相当であって、被告人に結果回避義務はなかったと言うべきであるから、第一審判決及び原判決には重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると言うべきである。
2 信頼の原則
被害者ないし第三者が適切な行動をとることを信頼するのが相当な場合には、たとえそれらの者の不適切な行動により犯罪結果が生じても、それに対して刑責を負わなくてよいとする信頼の原則は、最高裁でも採用され(最判昭和41・12・20刑集20・10・1212、最判昭和42・10・13刑集21・8・1097)、当該原則の適用領域も、交通事故関連に限定されることなく、企業活動や医療活動にまで認められるとされるようになってきている(札幌高判昭和51・3・18高刑集29・1・78)。いわゆる日本アエロジル事件最高裁判決は信頼の原則が企業活動においても適用されることを認めた判決であると言われているが、最高裁判例解説によれば「本判決は、現場の作業担当者を信頼することができる限り、その上位の監督者に監督責任が生じず、現場の作業担当を信頼することができない場合には、これを補うに足りる監督義務を監督者が負うことを明らかにしたものであって、職務上の責任分担のほか、信頼の原則を監督過失を認定するうえでの基準とした点において、注目されるのである。」と解説している。また、同解説は「事業の委任先が従業者でなく、独立の責任主体である場合には、法令、契約その他により監督義務が残る場合のほかは、信頼の原則が広く適用されると言ってよい。」とも解説している。本件に則して言えば、生物製剤課内で非加熱第Ⅷ、第Ⅸ因子製剤の切り換えを製薬会社に直接助言する立場にあった安倍補佐は被告人にとって下位の従業者であった。また、、前掲クロロキン訴訟最高裁判決や下級審判例(東京地裁昭和60年3月27日判決、判例時報1148号3頁参照、いわゆる「山梨筋短縮症訴訟第一審判決」)からして、厚生省は、後見的、二次的な立場にあるにすぎず、同省はミドリ十字の行為を常時監督する立場にはないと言うべきであるから、ミドリ十字は独立の責任主体として、信頼の原則は適用可能な事案であると言える。
3 本件へのあてはめ
そして、前記最高裁判例の趣旨からすれば、被告人には、安倍補佐の職務及び同補佐とミドリ十字の従前の行動から予期し得る適切な行動(生物製剤課の助言どおりに自主的に切り換え回収をすること)を信頼することができる限り、監督責任が生じることはないのである。この点、カッターの河原潔が作成した1985年9月30日付厚生省訪問記録によれば、ミドリ十字・トラベノール・カッター社による非加熱第Ⅷ因子製剤のスイッチ回収(自主回収)は90%完了しているとの報告が厚生省に向けられていることが明らかとなっている(弁第599号証40頁参照)。つまり、非加熱第Ⅷ因子製剤に関しては置き換え回収(スイッチ回収)が順調に推移していたのである。かかる実績を踏まえ、安倍補佐は加熱第Ⅸ因子製剤承認後の非加熱第Ⅸ因子製剤の扱いについても、非加熱第Ⅷ因子製剤と同様とすることを指示している(第一審第30回公判安倍証言41丁裏~、原審第3回公判被告人供述47、48丁)。安倍補佐が、このような指示をしていたことは、「安全性を考慮して優先審査して加熱製剤を承認したのであるから非加熱製剤とできるだけ早く切り替えたい。」との安倍補佐の助言に関するミドリ十字での社内報告が存在していること(前掲の昭和61年3月に作成されたミドリ十字の社内資料「血液製剤の加熱処理問題について」と題する書面(甲610の資料3))からもわかる。また、本件においては安倍補佐の能力や実績について、被告人が上司として特段の注意を要するような事情は存在していなかった。ミドリ十字において安倍補佐からの助言を無視し、虚偽宣伝をしてまで非加熱製剤を売却することを予期させるような情報は、生物製剤課に何らもたらされていなかったのである。また、生物製剤課には、安全課や監視指導課という、ミドリ十字が血液製剤の不正常な販売をしていたらば第一報がもたらされたであろう諸課からも、ミドリ十字が非加熱第Ⅸ因子製剤について、不正常な販売をしているという情報がもたらされていなかった。尚、生物製剤課では、血液製剤の承認の業務の中で、製薬会社の開発担当者と、度々接し、その際、非加熱第Ⅸ因子製剤を優先審査の対象とすることを明言しており、同製剤が優先審査の対象となる背景について、製薬会社の担当者は十分理解していたものであって、各製薬会社が非加熱第Ⅸ因子製剤につき、加熱製剤と切り換え回収していく方針に従っていくということについて信頼する基礎が、同課にはあったというべきである。
従って、第Ⅸ因子製剤に関し、被告人において、第Ⅷ因子製剤において順調に推移した切り換え回収に倣い、安倍補佐が、ミドリ十字に対し、非加熱製剤の切り換え回収を助言したことをもって、非加熱第Ⅸ製剤が加熱第Ⅸ因子製剤に切り替わっていくことを信じることは相当であって、これを超えて検察官が主張するような監督責任を負担する理由はなく、被告人には結果回避義務はないというべきである。
4 まとめ
原判決は、ミドリ十字が非加熱第Ⅸ因子製剤を国内血を原料としているとの虚偽の宣伝を用いて販売活動を行っていたとの事実認定のもと、(信頼の原則の適用により被告人に業務上過失致死罪の成立が認められないにもかかわらず)業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、審理不尽、理由不備の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
第13 〔上告理由第12点〕原判決は、生物製剤課のみに情報が集約されていたとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、経験則違反、審理不尽の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
非加熱製剤に対するエイズ原因ウイルスの混入問題に関して、厚生省内では、生物製剤課以外の関係部局・課も、その関与をしており、生物製剤課にもたらされた情報はそのような関係部局・課に対して提供されていたものであり、被告人及び生物製剤課のみが情報を独占していたという状況にはなかった。本件第一審・控訴審において提出された証拠によると、むしろ以下の事実が認められる。
2 生物製剤課が重要情報を独占していたという事実はなかったこと
訴因第2の事実に関連して重要な情報として原判決が摘示するものとしては、次のようなものが挙げられる。
① アトランタ会議での先端学者から報告
② 血友病患者からエイズ発症者が出たとの公式認定
③ 昭和60年12月の時点で、カッター、ミドリ十字の2社の加熱第Ⅸ因子製剤が優先審査され、承認されたこと
しかし、これらのうち、①のアトランタ会議での情報は、この会議に出席した塩川医師、北村医師がエイズ調査検討委員会の委員であり、このアトランタ会議での情報は、感染症対策課が主管するエイズ調査検討委員会で報告され、感染症対策課が共有すると共に、アトランタ会議で収集された情報は、北村医師が「日本医事新報」誌上で報告している。従って、この情報は、一般医師にもまた伝達されている。
更に、血友病専門医である山田兼雄医師、藤巻医師は、エイズ調査検討委員会のメンバーであり、従って、血友病専門医の枢要な者に、ここでの情報は伝達されている。また、藤巻医師は、血液製剤特別部会の部会長でもあった。従って、血液製剤特別部会でも、ここでの報告が議論の下敷きとなっていたと考えてよい状況であった。
②の血友病患者からエイズ発症者が認定されたとの公式認定は、エイズ調査検討委員会でなされたものであるから、その主管課である感染症対策課で当然把握しているものといえる。
更に、この情報は、新聞報道されているものであるから、厚生省の全省で把握している情報でもあるし、また、一般医師らも知るところとなっていた。
③の加熱第Ⅸ因子製剤の優先審査、承認については、相議先が安全課、経済課とされると共に、プレスリリースもされている(弁163の資料3)ところから、厚生省の全省的認識事項となっている。また、この承認の前段としては、血液製剤調査会血液製剤特別部会での審議を経ているのであるから、これら委員会の委員は、当然、了知している。
なお、この他に、昭和60年第4回血液製剤特別部会の加熱製剤が承認された後承認整理等を速やかに行うべきとの情報は、原判決で、これ以上の行為をすべきであったとの当為を命じているわけであるから、この情報そのものの厚生省内での共有化は必要ないものと考えられるが、なお、甲610の資料3、弁96の20のように厚生省からミドリ十字、日赤といった製薬会社に伝達されていたことがわかる。更に、血液製剤特別部会長であった藤巻医師は、安全課所管の血液製剤再評価委員会のも兼任しており、当時、第Ⅸ因子製剤も再評価の対象であったから上記情報も当然安全課に伝わっていたと考えられるし、また、後述するとおり、課長会議等でも伝達されていたと考えられる。
以上のとおり、その情報を他課でもし知っていれば、当該主管の他課が、原判決の設定した作為義務に基づく作為を行えたであろう、基礎となる重要情報は、上記のとおり、厚生省内の各課で共有していたものである。
その上、なお、以下に記すとおり、エイズ、血液製剤についての上記以上の情報が、厚生省内各課で共有されていた。
3 非加熱製剤に関しては、厚生省内で生物製剤課のみが取り扱っていたわけではなかったこと
(1) この点に関して、まず、医薬品の再評価については、生物学的製剤であるか、その他の薬剤であるかを問わず、安全課の担当とされており、安全課が中央薬事審議会における再評価委員会の審議にかけ、既承認薬について再評価時点での承認拒絶事由の有無確認を行う「再評価」の判断を行なっていた。非加熱第Ⅸ因子製剤についても、再評価中であったことから、生物製剤課で加熱第Ⅸ因子製剤の承認を行なう際にも、安全課が合議先とされており、加熱第Ⅸ因子製剤の承認に関する供覧文書が安全課にも供覧されていた。また加熱第Ⅸ因子製剤の承認に際しては、非加熱第Ⅸ因子製剤が再評価中であることにかんがみその進行状況に伴い安全課の指導に従う趣旨の念書が、加熱製剤承認前に既に非加熱第Ⅸ因子製剤を製造もしくは輸入販売していた製薬会社から、安全課長宛に提出されているが(弁225号頁)、これは、生物製剤課ではなく安全課からの指導に基づくものである(甲599号51頁、52頁)。従って、非加熱第Ⅸ因子製剤の再評価に関連して、非加熱第Ⅸ因子製剤に関する情報が安全課に対して適宜提供されていたものである。
このことは、以下に挙げる証拠から明らかである。
① 加熱第Ⅸ因子製剤に関する厚生省保管の各製薬会社の製造・輸入承認書(弁225のカッター社コーナインHTの輸入承認書)においてその最初に添付されている供覧文書に安全課長及び安全課員の決済印があること、合議先として安全課が記載されていること、第Ⅷ因子製剤と同じくAIDSウイルス感染の可能性を下げるための加熱処理製剤であること及び優先的審査を実施することの記載があること、そして、非加熱第Ⅸ因子製剤が再評価期間中であるとの記載があること。
② カッター社の担当者である田口譲治による昭和60年12月16日付厚生省訪問記録(甲599の51頁、52頁)によれば、同人らが安全課を訪問し、安全課長から非加熱第Ⅸ因子製剤の再評価に絡み、安全課の指導に従う旨の念書の提出と再評価申請の要請がなされていることが明らかである。
そして、仮に、原判決が述べるように、「医師に危険性情報を提供して非加熱製剤の投与を控えさせることが結果回避にとって最後の手段であるとともに重要かつ不可欠の措置」であり、そのための手段としてドクターレターの発出を行なうべきであったとしても、上記事実からするならば、本来の所管であり同課の権限を有していた安全課においては、既に製薬会社担当者及び生物製剤課から情報提供がなされており、被告人が安全課に対し権限行使を促すまでもなく、ドクターレター発出の検討は十分可能な状況であった。
しかも、非加熱第Ⅸ因子製剤(乾燥人血凝固第Ⅸ因子複合体)は、昭和59年6月6日に、非加熱第Ⅷ因子製剤(乾燥濃縮抗血友病人グロブリン)等と共に再評価[再評価とは、薬事法を根拠とする、既に承認されている医薬品につき、改めて再評価時点の知見に基づき承認拒絶事由(承認取消事由も同一)の有無の確認を行う(同法14条の3第2項)という手続である。]にかかる調査対象医薬品の範囲に指定され、安全課から製薬会社に対しては文書で再評価にかかる基礎資料の提出が要求されていた(原審弁1の資料20)。そして、同要求に基づき提出された基礎資料に基づき安全課所管の中央薬事審議会血液用剤再評価調査会で検討の上(原審弁1の資料22。但しフィブリノゲン製剤に関するもので他の血液製剤についてはコピーが省略されている。但し、フィブリノゲン製剤も非加熱第Ⅸ因子製剤も同じ時期に再評価にかかる調査対象医薬品に指定され、その後同じ告示によって再評価対象医薬品に指定されていることから同血液用剤再評価調査会で検討の対象とされたことは疑いようが無い。)、昭和60年10月1日付厚生省告示第156号により薬事法第14条の3第2項に基づく再評価対象とされたのであった(原審弁1の資料24)。そして、そのような告示に基づき、製薬会社は安全課に相談に行っており、加熱第Ⅸ因子製剤の承認に際しても、安全課指示に従う旨念書を提出しているのである。
従ってこのような状況下で、生物製剤課が安全課に対して、加熱製剤承認後の非加熱製剤の取り扱いについてその権限行使を行なわしめるために必要とされる情報の提供を行なっていなかったとは到底いえない。
(2) また、安全課は、副作用モニター制度を構築しその担当とされていた。既述のとおり病原微生物による薬剤の汚染に基づく感染も、副作用の一環として各医療機関から安全課に報告されており、フィプリノゲン製剤を介したC型肝炎の集団発生の件においてもまず副作用情報は安全課にもたらされ、安全課から当該フィプリノゲン製剤の製造元であるミドリ十字社に対して事故調査に関する指導がなされていた。このことは原審弁1より明らかである。
同様に、非加熱第Ⅸ因子製剤に対するエイズ原因ウイルス混入に関する副作用情報も、このモニター制度の利用によって取得することが可能であった。
そして、昭和60年11月7日作成、同月9日供覧の「衆議院議員浦井洋君提出 血液製剤による血友病患者へのエイズ感染の現状と安全確保に関する質問に対する答弁書について」と題する供覧文書は、安全課にも回覧・安全課長以下安全課員の捺印がなされており、この時期国会において非加熱第Ⅸ因子製剤に対するエイズ原因ウイルス混入問題が議論されていたことを安全課としても知っていたし、その答弁案を通じて血液凝固因子製剤の安全確保についての検討に参加していたといえるのである。
(3) 安全課は、医薬品の添付文書の作成についても、生物学的製剤を含め、指導しており、例えば弁96の資料12において見られるとおり、日赤の担当者は日赤が開発した血液製剤である人免疫グロブリンの添付文書の内容につき生物製剤課ではなく安全課の指導を受けていた。また、血液製剤の「使用上の注意」における副作用の記載内容につき、生物製剤課ではなく安全課において変更が行なわれ対応がなされていた。
このことは、日本赤十字社に担当者である神原永子作成の1985年7月2日付け厚生省訪問記録(弁96の資料12)における記述においても明らかである。
「3.人免疫グロブリンの副作用追加
厚生省安全課より出された医薬品副作用情報No.72(昭和60年4月)に乾燥ペプシン処理人免疫グロブリン、人免疫グロブリン、乾燥スルホ化人免疫グロブリンの使用上の注意が改訂されたことが掲載されていた。当社で製造している人免疫グロブリンについては副作用の項にショックが加えられた。これに関して、以下、安全課で聞いたことを記す。
人免疫グロブリンは再評価中であるが、副作用調査会の審議で認められれば途中でも副作用の変更はあり得るそうである。副作用を変更するように、という通知は日薬連を通じて出しているそうである。(日赤は、現在、日薬連、血液製剤協会ともに加盟していない。なお、今回の変更については、生物製剤課の方では、全く知らなかった。)通知が出てから、できれば3か月以内位で、添付文書の改訂を行ってほしい、とのことであった。
今回の通知については、別に、本社技術課豊田氏にもらえるように手配した。
以上安全課 桑原氏」
従って、安全課としても、このような製薬会社の担当者との話を通じて非加熱第Ⅸ因子製剤の副作用であるエイズ原因ウイルス混入に関する情報を取得し、非加熱製剤の使用に関して対策を立てうる状況にあった。
(4) 不良医薬品の輸入を防止するための監視を行なっていたのは監視指導課であった。この監視の対象の中には非加熱第Ⅸ因子製剤を含む血液製剤も含まれていた。
現に、加熱第Ⅷ因子製剤の輸入に関し、カッター社がラベルのないもの(ノーラベル製品)を輸入する際に、円滑に通関が行なわれるよう、同社担当者が、監視指導課の輸入監視係に相談を行なっている。
このことは、カッター社の担当者である田口譲治による6月11日に輸入監視係を訪問した旨及び昭和60年6月12日付厚生省訪問記録(甲599の16頁)に「Koate-HTのNo Label品を輸入する件について
正式な回答として、
昨年3月24日、先任者上出氏よりの回答の通り、薬事法に於いては問題はないが、税関サイドで不可と言っている。
今回は、特別であるので、上司等と話合をしたいので、時間が欲しい。
CJLの方でもWhite labelを用意出来ないかどうか検討して欲しい。」という記載があること、昭和60年6月17日付厚生省訪問記録(甲599の18頁)に6月14日に監視指導課市山係長を訪問したら「Koate-HTのVideoJet輸入の件に付き、原則論はあくまで、KK-5-101の通りであるが、今回は特別に緊急であるとのことで、当面はOKである。
但し、通常業務としない様に、
この回答を得るのに、血協の鬼武氏の側面援助があったことを申し添えます。氏は情報収集のため、たまたま来合せていた。」、昭和60年7月5日付厚生省訪問記録(甲599の26頁)に「監視指導課輸入監視指導係 午後5:10 7月3日 輸入監視係川島氏よりHT-84承認証明書(封印)受け取る」と記載されていることからも、証拠上明らかである。
よって、上記のとおり監視指導課も血液凝固因子製剤の取り扱いに関与していた。
(5) 経済課も、加熱製剤に薬価を設定するという点、加熱製剤承認後の非加熱製剤の再輸出に関して関与があった。とりわけ、非加熱製剤の再輸出については、加熱製剤発売後、非加熱製剤の取り扱いにつき、非加熱製剤を加熱製剤に置き換えることを前提に、非加熱製剤の在庫を輸入先に送り返そうとするものであって、これには通産省(当時)所管の輸出貿易管理令に基づく例外承認の手続きが必要であったが、経済課担当者は生物製剤課担当者と共に、製薬会社に対する指導ないし相談に対応していたのであった。
このことは、甲599添付資料カッター社の担当者による1985年9月27日付の厚生省訪問記録40乃至42頁にて証拠上明らかである。さらに加熱第Ⅸ因子製剤の承認にあたっての供覧文書においては、安全課の他、経済課も合議先として記載され、供覧先として同課担当者の捺印がなされているのであって、経済課にも情報提供はなされていたのであった。
4 重要事項については供覧文書が作成され、同じ事項につき薬務局内で関係する課には回覧がなされ、情報の共有化がはかられていたこと
特に国会において議員から質問がなされた事項については、厚生大臣・事務次官レベルにおいても供覧がなされ、検討がなされていた。
例えば、弁194に見られるとおり、昭和60年11月7日作成、同月9日供覧の「衆議院議員浦井洋君提出血液製剤による血友病患者へのエイズ感染の現状と安全確保に関する質問に対する答弁書について」と題する供覧文書では、浦井議員による血液製剤による血友病患者へのエイズ感染の現状と安全確保に関する質問主意書とこれに対する答弁書案が添付され、閣議にかけてよいかどうかの決済が仰がれている。そして同供覧文書においては安全課・企画課他、薬務局審議官・局長・官房長・事務次官・厚生大臣にまで供覧され捺印がなされている。
5 小林薬務局長には適宜情報が提供されており、被告人と小林薬務局長は認識を共通にしていたこと
特に、小林薬務局長は、第一審法廷において、製薬会社によって非加熱濃縮製剤と加熱濃縮製剤の置き換え回収された非加熱濃縮製剤につき、それらをアメリカ合衆国へ逆輸出すること、同逆輸出にあたって、輸出貿易管理令の特定措置に基づいて輸出の承認の決裁に携わり、薬務局長名により文書を出した旨証言したうえ、さらに、非加熱濃縮製剤を輸出した理由については、日本の場合には血液を外国に出しちゃいけないという大原則があって、それで特別な場合というので一つ特例規定があったんだと思います。その特例規定を適用して、この場合には、この場合にはというのは、要するに非加熱製剤は国内にあってもしょうがないわけですから、それを海外へ出すのはちっともおかしくないですから、それは認めてやってもいいじゃないかと、手続がいるなら通産省に頼んでもいいじゃないかという、非常に単純な素朴な考え方でした。」などと証言した(第一審第32回公判・小林功典の証言18丁)。
これら証言の内容とされている事項は、非加熱濃縮製剤が製薬会社により自主的に、加熱濃縮製剤と置き換えられている事実を前提として認識していなければ決裁に携わることは不可能である。従って、小林局長は、製薬会社が非加熱製剤を置き換えによって自主回収を行っていることや、厚生省としてそれを輸出貿易管理令の面でバックアップしていくことを認識し、かつ、これを了解していたものと認められる(第一審第32回公判・小林功典の証言16乃至20丁、甲599添付資料カッター社の担当者による1985年9月27日の厚生省訪問記録40乃至42頁)。結局加熱製剤承認後の非加熱製剤の取り扱いについて、被告人と小林薬務局長は情報を共通にし、認識を同じくしていた。
6 課長会議及びプレス発表における関係部局のコンセンサス
被告人が生物製剤課長であった当時、薬務局においては原則毎週月曜日の昼に、定期的に課長会議なるものが開催されていた。課長会議の構成員は、局長・審議官・各課の課長(課長が欠席の際にはその課の課長補佐)、薬務局の総括課である企画課の総括課長補佐であった。この課長会議において薬務局所管業務の重要事項については、局長及び各課の課長は情報交換をしていた(第一審の被告人陳述書(四)13、14頁・第一審第54回公判被告人供述17丁)。
また、本件加熱製剤を含め、薬に関しては、その安全性を確保するために承認時の審査だけでなく、製造、販売、流通、さらには市場に出てからの市販後調査など、多くの作業があったが、これらの作業は細分化されて、上記のとおり複数の課により分担されていたため、各課の所掌事務との間で調整を図る必要があった。そのため課長会議の他、課長補佐や係長は各課の担当者と常に情報交換をしており、十分に情報の共有化がはかられていた(第一審の被告人陳述書(四)15、16頁)。
さらに、例えば加熱第Ⅷ因子製剤が承認されたとき、加熱第Ⅸ因子製剤が承認されたときには、弁第160号証に見られるような文書(記者レクペーパー)が、記者クラブ等、マスコミ関係者に配布され、同時に薬務局内で、他の各課、少なくとも局長、審議官、薬務局企画課長といった薬務局三役には生物製剤課から配布されており、生物製剤課における活動内容は、他課にも知りうる状態となっていた(第54回公判被告人供述12、13丁)。
以上は、厚生省薬務局が組織体である以上、いわば当然のことであり、そのような情報の共有化が図られなければ、加熱第Ⅷ、第Ⅸ因子製剤の優先審査は円滑に遂行されなかったであろうし、加熱製剤承認後の非加熱製剤の承認整理も、現実に行われていたほど速やかに行なわれなかったはずである。
7 中央薬事審議会血液製剤調査会・特別部会の専門家委員は、厚生省の他の関連部局や薬務局や関連課所管の委員会等の委員を兼任しており、このような委員を通じて生物製剤課以外の所管課は非加熱製剤に関する情報を入手し対策を講ずる状態にあったこと
(1) 前述したとおり、昭和60年当時、安全課所管の再評価を検討する中央薬事審議会血液用剤再評価調査会の委員としては、同時期に血液製剤調査会委員であった風間睦美医師及び天木医師、血液製剤特別部会部会長であった藤巻道雄医師が委員として参加していた。従って、加熱第Ⅸ因子製剤の承認に関する検討に携わった風間医師・天木医師及び藤巻医師は、血液用剤再評価調査会委員として非加熱第Ⅸ因子製剤を再評価対象とするか検討、及び再評価対象とした後には、その有効性・安全性の検討に携わったものである。
(2) また、藤巻医師は、保健医療局感染症対策課所管のエイズ調査検討委員会の委員でもあった。そして、同委員会の委員として、国内のエイズ患者認定に携わり、血友病患者におけるエイズ患者の認定も検討しており、昭和60年5月30日開催の委員会においては、北村医師によるアトランタ会議の報告も受けていた(甲659)。
(3) さらに、生物製剤課所管の委員会に関しても、藤巻医師は、昭和60年当時、血液事業検討委員会の血漿分画製剤小委員会の委員をしていた。
(4) このように、専門家委員は、生物製剤課以外の関連する他部局の所管する委員会の委員を兼任していたものであり、例えば、安全課などは、そのような委員から非加熱製剤の危険情報を知りえた状況にあった。
尚、仮に、原判決が述べるように、昭和60年12月段階で非加熱製剤についての危険認識が格段に高まっていたような状況になっており、12月19日開催の第8回血液製剤調査会に出席していた風間医師・天木医師、同年12月26日開催の第4回血液製剤特別部会に出席していた藤巻医師が、同各調査会・特別部会において述べられた意見が、加熱製剤承認後の非加熱製剤の使用禁止もしくは回収であったと本当に理解したのであれば、その関係する委員会、特に安全課の所管する血液用剤再評価調査会においても、同様に非加熱製剤の使用禁止もしくは回収の意見が出されたであろうが、そのような痕跡は全く無い。
8 最新情報は製薬会社が有していたこと
他方、非加熱製剤に関する情報は厚生省のみが主体的に有していたわけではない。むしろ、非加熱製剤・加熱製剤を開発・製造・輸入・販売していた製薬会社がその知識・技術をもって医薬品を開発・製造し、その開発にあたっては、他社に後れをとらないよう、またより良い製品、優れた製品を世に送り出すよう、最先端の技術と情報を収集したり、自ら又は子会社をして医学情報誌を刊行したり(甲313の資料1)、また、例えば定期的に厚生省を訪問するなどして行政サイドにおける情報の収集も行っていたのであった(甲344、甲352)。
本件においても、ミドリ十字を含め、非加熱第Ⅸ因子製剤・加熱第Ⅸ因子製剤の製造又は輸入販売を行っていた製薬会社はいずれも、その研究開発のために人材を擁し、また海外情報についても海外に親会社又は子会社を有し情報収集できる体制にあった。また治験等を通じ血友病治療の専門医その他血液に関する専門医と情報交換を行い、医療現場に関しても例えばMR・レップといった営業員をして定期的に訪問させ、医療現場の医師達へ情報提供を行うなどして医療現場における信頼を築き、継続的に自社の製品を購入してもらうよう仕向けていたのであった(甲308、甲313)。
ミドリ十字も、血液製剤のトップメーカとして業界をリードし、物的・人的に十分な研究施設を備えていた上、米国子会社のアルファ社から同国における血友病患者のエイズ発症例等についての、最新情報を入手し得る状況にあったのであり、監督官庁である厚生省からの情報提供を待つまでもなくエイズ原因ウイルス感染の問題についても自ら情報を得、覚知し得たものであった。また、血友病治療としてみても、自らの関係している医療機関に対する加熱製剤の供給量を血友病患者の日常的な使用に支障のない程度にどのように確保できるかの、情報を保持していたのは、ミドリ十字に他ならない。従って、同社においては、厚生省による指示を待つまでもなく、加熱製剤供給開始後の非加熱製剤の取り扱いについて、適切な処置を講ずるべき立場にあった。さらには、製薬会社である企業及びその取締役等は、当然に薬事法はじめ法令遵守義務を負担しており、一般大衆に対しては、安全かつ有効な医薬品の流通という社会的使命を有していたといえる。故に製薬会社は、製造業者又は輸入販売業者として、製品としての安全性の確保についても第一次的かつ最終的な責任を負うべきものであり、一般的にはその責務は製薬会社において遂行されていたのであった。
他方、ミドリ十字他製薬会社の社員は、承認申請のため又は情報収集のため等の目的のもと、厚生省に定期的に来訪していた(甲305)。例えば日赤担当者による訪問記録(甲476)、カッター担当者による訪問記録(甲599)がそれを物語っているが、それによれば、来訪先は生物製剤課に限らず、必要に応じて安全課、監視指導課、経済課も含まれていた(甲599の19頁、26頁、40頁、51頁)(甲476の資料14)。こうすることによって、製薬会社としては厚生省側の情報を得ることができ、厚生省も製薬会社から情報を得ていたのであった。来訪者も被告人の知る限り、「単に開発担当の人々だけが生物製剤課を訪れていたのではなく、各社の社長を始めとする幹部も訪れて来ていてそれぞれのレベルで情報交換をしていたものですから、製薬メーカー内の認識もそれぞれ一致していた」のであって「お互いの情報を交換し、それに基づいて意見を聞き、お互いに理解をした上で仕事を進めていた、といえます。これらの人々は、社会に有用な薬、しかも掛け替えのない、血液製剤を開発し製造し、供給している、という気概に燃えていたように見え」た(第一審被告人陳述書(4))。実際にも、例えばトラベノールにおいて供血者からエイズ発症者が出た際に、同社はいち早く該当ロットから製造された製剤の自主回収を行い、被告人に報告しており(甲172の資料5)、郡司課長の時代にも、トラベノールは同様の対応を行い(甲558の資料14)、カッターも同様の自主回収を行っていた(甲344の資料4)。製剤の安全性確保に対し製薬会社がその責任をもって厚生省の指示を待つまでもなく自主的に対応してきたのであった。原判決はこのような実態を全く省みず、厚生省のみが最先端の情報を得られる状態にあり、それら情報を独占していたごとく認定しているが、それは重大な事実誤認である。
9 医師は、自身で情報収集しえたこと
本件の場合、本件クリスマシンが訴因第2の事実の被害者に投与されたのは大学病院であること、本件クリスマシンの投与を指示した三好博文医師は、本件クリスマシンが非加熱濃縮の第Ⅸ因子製剤であることを了知して処方したものである(第一審第16回公判の三好博文証言、甲548)。当時、三好医師は、ミドリ十字の販売員である上嶋に頼んで、第Ⅸ因子製剤の肝疾患患者に対する適応に関する論文を集めてもらうなどしてミドリ十字から情報収集していた。同医師は、また、大学病院の医師として、先端医療に従事するにあたり、当然、感染症についても、それなりの知識を有していた筈である。弁550添付資料3枚目のカルテの記載及び三好医師の第一審第16回公判廷における証言からするならば、三好医師はまさに、自らの判断のもと、先端医療を行うため、食道静脈瘤硬化術としてはやや異例な製剤である本件クリスマシンを選択して訴因第2の事実の被害者に処方したものに他ならないのであった。
このような三好医師の判断は、十分、その中で知識を集約した大学病院での先端医療における実験的医療を遂行するために行われたともいうべきもので、大学病院内で責任を持つべき範薦の医療行為であって、厚生省からの情報提供を待つまでも無いことである。
10 まとめ
(1) 本件当時、エイズ及びエイズ原因ウイルスに関する情報は必ずしも多くはなく、かつ、被告人の作為義務の策定にあたり原判決が重視する①アトランタ会議での報告、②血友病患者のエイズ発症の公式認定、③優先審査による2社(カッター、ミドリ十字)の加熱第Ⅸ因子製剤の承認といった情報は、厚生省内の関係各課で共有されていた。また、それ以上の非加熱製剤についての情報も厚生省内各課で共有化されていた。更に、生物製剤課が所管する中薬審の血液製剤特別部会長である藤巻医師は、感染症対策課が所管するエイズ調査検討委員会の委員を兼任する等、各課が諮問をしていた専門家が共通のものとなっていた等、各課が所管する専門委員会での重要情報も相互に補完できる体制になっていた。
このように厚生省の関係各課でエイズ及び血液製剤に関する情報は共通となっており、あえて、生物製剤課が持ちかけなくとも、安全課、監視指導課で各所管する事項についてのエイズ対策をなすことができる体制となっていた。従って、生物製剤課がエイズ、血液製剤に関する情報を独占し、開示していなかったため、安全課、監視指導課で、加熱製剤承認後の非加熱製剤に対する対策について、対応ができなかったということはない。
なお、本件当時、監視指導課、安全課が非加熱第Ⅸ因子製剤についての回収、ドクタレター発出の命令、行政指導をなしておらず、また、それら発出につき生物製剤課に合議を申し込んできた形跡はないが、これは、重要な情報が安全課、監視指導課にもたらされていなかったのではなく、各課で情報を共通にする中、それら行政指導の必要性の判断に至らなかったにすぎないのであり、原判決の定立する作為義務が、如何に現実離れしたものであるかがわかる。
(2) 本上告趣意書で、度々、指摘してきたことであるが、本件当時、エイズ、エイズ原因ウイルスに関する研究は、現在におけるほど進んでおらず、また、加熱製剤の非加熱製剤に対する優位性の認識は相対的なものであった。それが証拠には、当時、血液製剤特別部会長を務め、エイズ調査検討委員会の委員でもあった藤巻医師の属する東京医大病院では、加熱第Ⅸ因子製剤が昭和60年12月に承認され、昭和61年3月に、厚生省が非加熱製剤を加熱製剤と切り換えるよう助言しているということを認識しながら、なお、昭和61年4月の時点で非加熱第Ⅸ因子製剤の購入し、使用していたのである。
厚生省の血液製剤に関する諮問機関のトップであり、エイズ調査検討委員会の委員で、当時のエイズの最新事情に通じていた同医師であっても、このような認識状況であったのであり、これが当時の医療水準であった。このような中、生物製剤課のみが、突出した対応策をとらなかったといって刑責を問われる謂れはないというべきである。
原判決は、生物製剤課のみに情報が集約されていたとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、経験則違反、審理不尽の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
第14 〔本上告理由第13点〕原判決は、被告人が原判決の定立した作為義務を尽くさなかったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、実質的には、これと変わらぬ行為をしているもので、この点、審理不尽の欠陥による重大な事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
原判決は、被告人が原判決の定立した作為義務を尽くさなかったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、実質的には、これと変わらぬ行為をしているもので、この点、審理不尽の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
2 生物製剤課が加熱第Ⅷ因子製剤承認後に対し行っていた措置
生物製剤課では、加熱第Ⅸ因子製剤の承認がなされた製剤各社に対し、加熱第Ⅸ因子製剤を納入する際、医療現場での反応(即ち、副作用の懸念がないか、有効性に問題がないかといった点に対する現場での反応)を見極めながら、問題がなければ、非加熱第Ⅸ因子製剤と切り換え回収するよう、助言を行っていた。
かかる助言を行っていたことについては、第一審において安倍補佐が証言し(第一審第30回公判41丁裏~)、また、被告人も供述している(原審第3回公判47、48丁)。
更に、これに関しては、他に客観的な証拠も存在している。
即ち、① 甲272の資料4は、昭和61年3月10日付の東京医大の内部文書であるが、この中に、非加熱第Ⅸ因子製剤について、加熱処理した製剤が発売になり、「厚生省はすみやかに各医療施設できりかえるよう指導している。」との文言があるところであり、生物製剤課にて、切り換え回収を助言していた事実がわかる。
② 更に、甲610の資料3は、「血液製剤の加熱処理問題について」と題するミドリ十字の社長等幹部宛内部文書であるが、これは、昭和61年3月4日に、ミドリ十字担当者富安一夫、松田俊之が、生物製剤課安倍補佐と面談した際の報告文書である。
この中には、「非加熱の第Ⅷ因子、第Ⅸ因子製剤は近く承認整理・回収の指示を出す。世論の動向もあり、できるだけ早く措置したい。安全性を考慮して優先審査して加熱製剤を承認したのであるから非加熱とできるだけ早く切り換えたい。」との文言が書かれている。
ミドリ十字では、この甲610の資料3記載のとおり、非加熱第Ⅸ因子製剤について昭和61年4月24日には承認整理の手続を了しており(甲559)、この甲610の資料3に記載された内容は、非加熱製剤の回収も含め、ミドリ十字に伝達されていたものと考えられる。少なくとも、ミドリ十字の非加熱第Ⅸ因子製剤は切り換え回収との厚生省の意向は、この甲610の資料3をみれば、明確にミドリ十字に伝わっていたことがわかる。
3 生物製剤課は、原判決の定立する作為義務による作為と実質的に同様のことを行っていたこと
生物製剤課で行っていた、この切り換えの助言は、非加熱第Ⅸ因子製剤が不良医薬品であることを前提としたものではなく、各医療機関で加熱第Ⅸ因子製剤につき、その有用性の判断ができ、了解が得られれば、非加熱第Ⅸ因子製剤から加熱第Ⅸ因子製剤に切り換えていくよう助言をしていたものである。
一方、原判決の定立した「置き換え回収」という作為義務もまた、必ずしも、非加熱第Ⅸ因子製剤を不良医薬品とは断ぜず、一定の有用性を認めていたものであって、本質的には、当時、生物製剤課の行っていた切り換え回収の助言と異なるものではなく、被告人は事実上、原判決の定立した作為義務と同様のことを履行していたものである。
原審で弁護人は、甲272の資料4及び甲610の資料3といった証拠を引用し、上記事実の指摘をしていたが、原判決は一切この事実に言及しておらず、明らかな審理不尽である。原審にて、この点、十分考慮していれば、判決の結論に変更があったはずである。
4 まとめ
原判決は、被告人が原判決の定立した作為義務を尽くさなかったとの認定に基づき業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、実質的には、これと変わらぬ行為をしているもので、この点、審理不尽の欠陥による事実誤認及び法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして、直ちに破棄されるべきである。
第15 〔上告理由第14点〕原判決は、被告人の注意義務を「縮小認定」と称して業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
1 はじめに
被告人に課せられていたとされる注意義務について、検察官が訴因第2の事実として主張している内容と第一審判決にて摘示された内容との間に明らかな相違があることから、弁護人は、原審弁論要旨において、被告人に対する不意打ちであって違法であるとの主張を行った(原審弁論要旨237頁)。これに対し、原判決は、「訴因と認定事実とを対比してみても注意義務の基本的態様に実質的な変動はない。のみならず、原判決(=第一審判決)も説示するとおり、これは訴因の一部に認定を絞ったいわゆる縮小認定といえるほか、訴因の記載をより明確にしたものとも解されるのであって、所論の指摘は当たらないというべきである。所論中には回収等の対象製薬会社を訴因記載の全社から2社に限定したのは検察官の主張に比し被告人の刑事責任を広げる方向での認定であって縮小認定とはいえないというが、後にも説示するとおり、本件はミドリ十字の製剤による結果発生の事案であって、この結果発生との因果関係を前提とする注意義務としては同社に対する措置をもって必要かつ十分であったと考えられるから、この点の所論も当たらない。」などと判示した。
2 原判決の問題点
(1) 「縮小認定」との点について
非加熱第Ⅸ因子製剤を製造若しくは販売している製薬会社全社に対する一律の販売中止・回収をさせる措置(検察官が主張する措置)と特定の製薬会社に対して販売中止・回収させる措置(原判決が認定した措置)とを比較した場合、後者のほうがきめ細かい対応を要するものであって、注意義務の内容を全く異にするばかりか、むしろ、後者の方が重い注意義務を課すものである。すなわち、原判決が認定した措置においては、ミドリ十字及びカッターの2社に対してのみ販売中止・回収させる措置をとることの裏腹の問題として、(流通経路の問題から日臓の非加熱第Ⅸ因子製剤を使用していた血友病B患者が治療を受けられずに死に至ることがないようにするため)「日臓に対しては非加熱第Ⅸ因子製剤の販売中止・回収をさせないようにするという注意義務」を課すこととなるはずである。そのような二律背反ともいうべき作為義務を課すことは、検察官が主張する措置を大きく逸脱するものである。
また、検察官は単なる「回収」の措置としているのに対し、原判決は「置き換え回収」の措置としており、製薬会社に対する行政指導の内容も明らかに異なっている。即ち、回収命令ということであれば、その発動を主管課に促すのみで足りるが、原判決で考える置き換え回収は、生物製剤課が中心となって製薬会社2社に加熱製剤を持ち込んで非加熱製剤と置き換えてくるよう、特段の法的根拠もなく、指導をしていくというものであり、その内容はむしろ、加重なものとなっている。
したがって、検察官が主張する措置と原判決が認定した措置との間には、「大は小を兼ねる」の関係にないことは明らかであり、「縮小認定」が許される場合には当たらない。
(2) 「訴因の記載をより明確にしたもの」との点について
原判決は、「訴因の記載をより明確にしたものとも解される」などとも判示している。しかしながら、訴因は「外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を行う医薬品製造会社等をしてその販売中止及び回収をさせる」とされ、検察官の冒頭陳述書は「市場に既に出回っている外国由来の非加熱第Ⅸ因子製剤の販売中止・回収やその使用禁止の措置を早期に講じることが求められていた」とされており、訴因の記載として「ミドリ十字及びカッターの2社に対してのみ販売中止・回収させる措置をとること」との注意義務は全く読み取れない。また、検察官の立証及び弁護人の反証も、上記の検察官主張の措置を攻撃防御の対象として行われていたものである。したがって、「訴因の記載をより明確にしたもの」との原判決の判示は明らかに不当である。
(3) 「ミドリ十字に対する措置をもって必要かつ十分であった」との点について
原判決は、「本件はミドリ十字の製剤による結果発生の事案であって、この結果発生との因果関係を前提とする注意義務としては同社に対する措置をもって必要かつ十分であったと考えられる」と判示しているが、ここに至っては、薬務行政並びに血液製剤及び血友病に関する理解を欠如した上での判断としか言いようのないものである。ミドリ十字さえ非加熱第Ⅸ因子製剤を販売しなければ、あるいは、販売した同製剤を回収していれば、訴因第2の事実の結果は発生しなかったという極めて単純な図式に基づく考え方である。後視的にはそのように言えたとしても、ミドリ十字1社だけに対して、販売中止・回収させる措置をとらせるべきとの作為義務は、同社の非加熱第Ⅸ因子製剤が不良医薬品であるとの認定ができなかったとの事実関係のもとにおいて、被告人に対し不可能を強いるものである。また、かかる作為義務の定立は、仮に、日臓、カッターの非加熱製剤から被害者が出ても、その被害の惹起に対しては、被告人に責任を問わないということを意味する。即ち、同一性状の3社製品から被害が生じたとしても、その製薬会社によって、片や処罰の対象となり、片や処罰の対象とならないという公平性に反する場当たり的なもので、刑法上の作為義務として到底認容できるものではない。
3 まとめ
以上のとおり、原判決は、被告人の注意義務を「縮小認定」と称して業務上過失致死罪の成立を肯定しているところ、理由不備の欠陥による法令解釈の誤りがあり、原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものとして直ちに破棄されるべきである。
第16 結語
原判決は、以上、上告理由第1点から第14点に記したところから明らかなように、多くの重大な誤りを犯している。
行政官による不作為の過失犯処罰の前提となる作為義務を安易に認定していることは、行政官に対する処罰を無限に拡大するもので、刑罰法定主義(憲法第31条)に違反するものである。
その他、法律判断をするにあたっての重大な大前提につき、最高裁判例違反の上告理由を構成するものである。更に、それ以外の法令違反は判決に影響を及ぼすものであり、また、事実誤認も重大で判決に影響を及ぼすことは明らかである。それらは、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。
本件を以って、行政官の不作為処罰のリーディングケースとすることは、行政官の不作為について処罰を無限に認めるものであって、許されるものではない。最高裁判所におかれては、本件につき、慎重な判断を下され、被告人に無罪判決を賜わることを切に望むものである。
以上
被告人本人の上告趣意
私は、原判決には審理不尽、著しい経験則違反及び理由不備があって、これにより重大な事実誤認ないし法令適用の誤りを作出しており、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと考えます。
最高裁判所に上告したことにより最後に私の意見を陳述する機会が与えられました。私は先に宣告されたふたつの判決の内容をよく読んでみて、判決が多くの点で私の主張を取り入れて判示されたことを評価しますが、それでも、なお、判決内容が当時の実情に合っていない点について、当時を一心に生きたものとして、以下のとおり意見を申し上げます。
これらの点について、私は、過去、2つの裁判所において、弁護人を通じて、既に、縷々、主張してきたものではありますが、下級裁判所において、これらの諸問題は、あたかも、はじめから有罪を確定しておいてそれから逆算して論理のつじつまをあわせるだけともいえるやり方で、ことごとく、検討することをも無視されてきたものです。正義を重んじる最高裁判所におかれましては、これらの諸点に関して、検討され納得できる明確なご判断を下さるようお願いします。
1. 血液事業全体の検討がされなかったこと
判決を読んで、最も残念であったのは、当時、私たちが、わが国においてエイズをいかにして防ごうと努力していたか、という全体像が明らかにされなかったことでした。未曾有な感染症であるエイズの予防は当時はもちろんのこと今でも国民全体の問題であるはずです。
当時、国の各方面から、私たち厚生省に期待されていたのは、全国民をエイズから守ることでした。にもかかわらず、検察官はその視点を意識的に歪め、血友病患者のエイズ感染事故にのみ焦点を当て、視野を狭くしてしまいました。
従って、わが国でこの世界的な奇病と言われたエイズにどのように立ち向かおうとしていたか、またその中で血友病患者を含め国民一人一人をエイズからいかにして守っていこうとしていたかという、当時の国内のエイズ対策については判決においても考察されていません。いうまでもなく、その視点に立たなければ、本当のことは見えてこないのです。
また一方で、当時、国を挙げて議論され、私たち厚生省薬務局に求められていたことは、わが国のゆがんだ血液製剤の供給体勢や使用方法の是正であり、そのなかで基本的な重要事項であったのが血液事業の再構築であり、また輸血や濃縮製剤の使用によって起こる血清肝炎、成人T細胞白血病(ATL)、それにエイズなどに代表される血液を介して伝染する数々の感染症の予防でありました。ですから、当時実際に行われていたことは、血液事業の再構築を通じてこれら輸血にまつわる感染症の予防を果たしていこうということでした。
しかしながらここにおいても、検察官はその視点を意識的に歪めることによって、濃縮製剤による血友病患者のエイズ感染にのみ視界を矮小化してしまったことが挙げられます。
当時はこの広い枠組みの中で、濃縮製剤によるエイズ対策も考えられていたものであり、判決において、裁判所が自らも認めているとおり、その視点からでなければ、本当のことは見えません。
つまり、当時、実際に行なわれていた血友病患者のエイズ対策は、私が公判において縷々陳述しましたように、横糸としては、国民全体のエイズ対策の中に、また縦糸としては血液製剤の需給問題や輸血による感染症の問題の中に織り込まれて、複雑な形で進められていたものであり、これらの縦糸や、横糸を全部外してしまっては、いくら当時のことを分析したかのようにみせても、実は本当のことはなにも見えていないのです。
もし、仮に、このような広い視野から、公平に分析がなされたならば、血友病患者の必要としていた濃縮製剤が、エイズの問題において、全国民が必要としていた血液製剤との対比において、安全性に関するて、取り扱いになんら不自然なところはなかったことがわかると思います。又さらに、これらすべての血液製剤において、当時問題となっていた輸血後の血清肝炎、ATLなどとの対比において、エイズの安全性に関する取り扱いにはなんら遜色がなかったことが分かるのです。
具体的にほんの一例を挙げるならば、本件裁判においては、血友病患者の使う非加熱の濃縮製剤を回収しなかったことだけが問題になっていますが、実は当時、国内で使用されていた1000万単位にも上る血液製剤がこれと同様に非加熱の状態にあったのです。従って、判決の言うように、仮にも非加熱濃縮製剤の使用を止め得たとするならば、それは同時に、当時、国内で使用されていた全ての血液製剤の使用を止めることにもつながったのです。これがどのような意味を持ち、どのような結果をもたらしたかは想像するに余りあります。
残念ながら、検察官の論告、またこれに基づく判決においてもこうした視点からの考察は行なわれていませんでした。ですから、その作成に多大の努力を傾けたと思われる判決書を読んでも、当時を実際に生きた私の心に、生き生きとした共感と感慨を呼び起こすことはありませんでした。
2. 外国、特にエイズ流行が著しかった米国の事情の検討がされなかったこと
エイズの流行およびその結果として起こった血液製剤へのエイズウイルスの混入という不幸な出来事は、わが国においてのみ起こったことではありませんでした。それどころか、米国においては、事故の発生が、大規模かつ深刻であり、問題となっている本件はその余波ともいうべき影響がわが国にも及んだ不幸な出来事でした。したがって、わが国における事故の原因、経過、対策などを後視的にではあれ、分析、検討する場合には、彼の国において、エイズ予防のために、いつ、いかなる努力が払われ、いかに経過したかをあわせて検討し、参考に供すべきでありましょう。
そこで、私は当時米国において責任ある地位にあって、血液製剤によるエイズ予防の責任者であった元米国FDAの生物学的医薬品評価・研究部長であったパークマン氏を証人に要請し、公判廷において、当時の米国におけるエイズの取り組みについて、つぶさに証言をしてもらいました。しかしながら、これら証言は、判決を構成する証拠としてはなんら考慮されませんでした。これでは審理不十分といわれても仕方はないでしょう。
パークマン証人によるとエイズが最初に発生し、研究が最も進んでいたはずの米国においてさえ、後から振り返ってみれば、血液製剤によるエイズ感染に対して時宜に叶った制圧が難しかった事実があり、当時そこにはいろいろな未知であった問題や困難な事情があったことを示しています。
私は、加熱製剤承認後において非加熱製剤の即時回収が行なわれた例は他の国々でも聞いてはおりません。最も対策が進んでいた、とされる米国においても、即時の回収はできませんでした。数年後に、回収の措置が行なわれたとのことでした。
パークマン氏は法廷で、次のように証言しました。
「我々といたしましても、製造業者に対しまして、この加熱製剤、その生産促進といったことでは、ずいぶんと働きかけましたし、製造メーカーのほうでも、非常に最大限の努力をして、加熱製剤の製造に励んでおりました。しかし、あの時点で加熱製剤の量というのが全員を治療するのには全く足りない、完全に不足している、それは明かでありました。(中略)我々といたしましては、血友病の合併症、それによる弊害、そして血友病の合併症によって引き起こされる死亡、それをなんとか食い止めなければならないと、そちらのほうに非常にとらわれていたわけであります。それが非常に大切であると、大切なことであると我々は考えておりました。」
これが、とりもなおさず、当時の、わが国の実情でもあったのです。
さらに、これまでのところ、先進国といわれる国々の中で、実はわが国が、血液製剤によるエイズ感染事故を含めてエイズの惨禍が最も小さかった国であったという事実はどう評価されたのでしょうか。私は、このことから、わが国の国民一人一人が良識的に行動したことと、少なくとも、私たち当時の担当者が、大きな誤りを犯したことはなかったといえる、と信じています。
こうした事実は、時間の経過とともに、すでに明らかになっていることはいうまでもありませんが、検察官が問題を矮小化したがために、公判においては審理不十分であり、したがって、判決の中でもこれらの事情が明らかにならず、判決が結論を誤ってしまったというほかなく、このことは誠に残念でした。
こうして、この裁判そのものおよびその結果の判決が、同じようにエイズの惨禍を経験した外国の人々に、エイズ流行の責任を一人の担当職員に帰するという日本社会の特異な反応として驚きをもたらしたことも、不思議なことではありませんでした。
3. 行政の責任か、被告人個人の責任か、明確にされなかったこと
検察官、および裁判官の基本的な視点が明確ではなかったために本件裁判で生じた混乱に次のこともあげられます。
本件裁判は私の目には、行政機関としての厚生省、または生物製剤課の責任を検討しているのか、組織の長であり自然人たる生物製剤課長の責任を問うているのか、はっきりせぬまま裁判が進行したことが上げられます。
判決の中では、いろいろな視点から責任が厳しく問われていますが、原則的に圧倒的な力(国内においては全能といってもよい)を持つ行政機関の責任と、自然人である私という被告人の責任とが、綯い交ぜになって論じられているため、判決を読んでも、当時の事情と明らかにかけ離れた結論になっており、素直に受け入れることができません。
たとえば本件裁判において、膨大な科学論文、専門家、および製薬メーカーの情報などが提示され、これらの証拠に基づいて私の責任が追及されましたが、全能である行政機関に向けられていたはずの非難が、詳しい検討を経ずに、いつの間にか自然人たる私個人の責任となってしまい、負いきれない責任を背負うことになってしまいました。
後から振り返って示されたこれら膨大な情報を、当時、収集して、理解し、適切に対応すべきであった、といわれても、仮に、全能とされる行政機関としてはその批判を受け止めることはできたとしても、一個人として、それを受け止めることは、あまりに過大な要求であって、不可能なことです。これは単に、当時であったからできなかった、というのではなく、現在でも、このような能力を行政官一個人に求めることは無理でしょう。
現に、私に対する論告を書いた検察官、判決を下した裁判官にあっても、一人の行政官あるいは裁判官として、この瞬間に、やがて後に正しいとわかる世界の最先端の学者の法律学上の学説や事実を、すべて発表されると同時に遅滞無く理解し、評価し、駆使してそれを私に対する論告や判決に反映させることが容易に可能であり、また確実にそれを行ない得るか否か、自問してみればわかると思います。
この点が不明確にされたまま、当時の先端的な科学の世界の情報を基に検討されている私個人の責任ですから、盛んに連発される「危険情報」なる言葉も、いったい誰に対する危険情報であったのかわからぬままに判決が下されてしまいました。論告および判決で示された「危険情報」なるものも、あるものは専門的な世界最先端の科学的知識に関する情報であったり、またあるものは専門的製薬会社の社内の情報であっただけです。さらに言えば、これらは、後視的に正しいものであったということが時間の経過とともに証明されていったに過ぎません。
これら「危険情報なるもの」を厚生省として収集、分析し、適切な行動をとるべきであったとの批判は、先に書いた理由で理論的には可能であっても、能力におのずと限界のある自然人の私がこれらの要求に全てこたえることは無理といわざるを得ません。
法廷で、私はこれらの事情を詳しく説明し、当時私に的確な情報をもたらし、私にとるべき行動を具体的に指示してくれるものがあればともかく、そうしたものはなかった旨を述べました。ところが、判決においては、それこそ私のやるべきことであり、それが欠けていたと厳しく譴責されました。
観念諭的にはその通りかもしれませんが、先に述べたように国の行政機関としてならばともかく、これは一人の人間として考えれば現実には能力を超えた義務であり、神ならぬ身にはとうてい不可能なことでした。
当時、行政官としての私の周りには、検察官からも適切な行動をしたと評価された科学者、専門的医学者、製薬メーカー、患者家族、などがあり、それに何より、私は私を支持する同僚や部下、私を監督する上司など多くの人々と協力して業務を遂行していたものであり、これらの人々と常に知識を交換し、意識を同じくしておりました。その中で、私一人が優劣ともに飛びぬけた存在であった、あるいはあるべきであったという主張は不自然であり、かつそういうことは不可能でした。判決の指摘するような、「被告人自らのイニシアティブで行動を起こすことが求められていたというべき」というが如きは、一個人の能力と一個人の判断だけで動かされた行政の力が社会に与える影響を考えたとき、仮にたまたま正鵠を射れば英雄を生むとしても、誤れば社会に破滅をもたらすものであり、危険極まりないことで、通常の行政にはあり得ないことです。行政ではこうした担当者個人の恣意を排除することにむしろ配慮をしており、判決の指摘するようなことは起こり得ないのです。
従って、当時、私がただ一人、我国の血友病患者のエイズ予防に責任があり、それを行なうことができた、という検察官や裁判官の判断には到底納得できず誤りというほかありません。国民の、生命・健康の保持・増進を、たった一人の人間に託するというようなことは、もとより、わが国では行なわれていません。
いったい私は自然人として断罪されているのでしょうか、又は生物製剤課長として、はたまた厚生省の代わりに断罪されようとしているのでしょうか、この点で大きな疑問を抱かざるを得ません。
4. 学説と政策の隔差を無視して論議がされたこと
また、先の裁判で、検察官、また判決で裁判官が示すいわゆる「危険情報」なるものの多くは当時の科学者、専門家、専門製薬メーカーが発していたひとつの学説や情報に過ぎないものでした。これらの学説は後に時間が経過して正しいものとわかったものでしたが、当時はそれらの学説に混じって、裁判所も認めているとおり、さらに多くの慎重論の学説がありました。こうした種々の学説が混在する時期に、後で正しいとわかる特定の学説に依拠して政策を遂行するということは、理論上、後視的には可能であっても、行政といえどももとより未来は見えないものですし、また、行政がやみくもに誤った歩みを始めた場合の弊害の大きさを考えると、大きな困難と危険を伴います。したがって、通常では、まず、民間有意の人々の先駆的な努力を待って、行政はその至らないところを補完するという、後見的作用が多いとされるゆえんのところです。検査官および裁判官は行政官であった私に、この先駆的で個人的な行動をとる義務があったと考えているようですが、これは行政の活動を理解しない単純で危険な観念論に過ぎず、実際の行政ではありえないことです。
このような学説と政策との隔差については、先の公判で私は実例を挙げて説明しましたが、検察官はもちろん、裁判官の理解を得られなかったことははなはだ残念でした。中でも、裁判官の判断の基礎となった考え方のうち、次にあげるものは、当時の事情とまったく相容れないものであり、したがって、結論を大いに誤ることとなっており、受け入れることはできません。
その第一は加熱製剤が非加熱製剤に比して、決定的に優れていた、という考え方です。この考え方は、当時、ありませんでした。今に残る、慎重論の文献が示す以上に、実際に慎重論が多くあったことは、私が、身を持って体験したところです。
従って、判決において繰り返し述べられている「加熱製剤が承認されたすぐ後の時期において、その有効性が格段に優れていた」、という判断は明らかに事実を誤認しています。非加熱製剤といえども当時は一定の安全対策を施されていると考えられていましたし、なによりも、長い使用実績に基づく信頼感があった一方で、新しい加熱製剤に対しては生体から抽出した壊れ易いたんぱく質を加熱するという未経験な工程が入っていたことと、使用実績がないという、大きな不安感とがあったため、加熱製剤の承認後にはそれと裏腹に非加熱製剤を即時に回収するという強い手段をとる、という考えは血液製剤調査会、同特別部会の委員等多くの専門家の間でもなかったのです。非加熱製剤は回収すべきであったという考えは、後年、エイズの問題が、責任追求という形で再燃した際に言い出された「非加熱製剤さえなかったら感染は起こらなかったはずだ」という幼児的とも言うべき極めて単純な考え方であって、実際に、当時はそのような考え方に立つ意見は上記の専門家は勿論専門医らの間にもありませんでした。
その第二は、判決の言う、国内の血漿を原料とする非加熱製剤、またエタノール処理された非加熱製剤を特に他の非加熱製剤と区分して、安全性を高く評価する、という考え方もありませんでした。
これも、後から振り返って、当時そのような学説、または意見があったというに過ぎず、その後においても国内の血漿を原料とする非加熱製剤が製造され続けたこともなければ、またエタノール処理だけで加熱処理されていない非加熱製剤が医療の現場で広く使用されたという事実もありません。これに関連して、判決は昭和60年11月26日の参議院社会労働委員会の小林局長の「献血をされた血液についてモニタリングしております。今までに大体7200名ぐらいの検査をしておりますけれども、幸いにして今までのところエイズウイルスに侵された血液はまだ皆無でございます。したがいまして、現段階では、まだ全般について抗体検査をやる必要はないんではないかという考え方でおります。」という発言をとらえて国内血が安全であった、と判断しています。これは濃縮製剤のことを述べているのではなく、文字通り1単位ずつ使用される血液製剤について述べているものであり、何より、当時まだ、わが国には、年間1000万単位にも上る血液製剤の一本一本を検査する有効な検査薬も、検査体制もないことを踏まえたうえでの国会答弁であることを考えれば、これのみをもって、国内の血漿から作られる非加熱製剤がエイズウイルスによって全く汚染されていない、と信じるほど関係者は楽観的ではありませんでした。当の製剤を製造していたメーカーの責任者であった日本製薬国行医師からも、私はそのような楽観的な話を聴いたことは一度もありませんでした。彼は血液製剤の専門家でありましたから、その当時、国内の血液がエイズウイルスに汚染されている可能性を否定できなかった一人でした。
このような基本的な認識の誤りの上に理論が構築されていきましたから、結論はいよいよ真実から離れ、見当違いな方向に向かうことになりました。
5. 職務権限に対する詳細な考察がなされなかったこと
この裁判では、自分たちの喚起、誘導した世論に迎合し、何が何でも私を有罪にしなければならないと考えた検察官と、先ず有罪ありきの結論を持って検討した裁判官とによって、第二の事故ではまことに奇妙な結論が導き出されました。
検察官の論告によると、私の前任者はいうに及ばず、私の上司、同僚、更には後任者達は全て正しく行動していたのに、ただ私一人がその義務を怠り、無為・無策であったがゆえに、この事故が発生したとのことですが、当時、私は厚生本省の組織の一員であり、中央省庁の仕事ぶりを考えれば、このようなことはそもそもあり得ません。仮に私が無為無策の行政官だとしたら、行政庁は私を更迭することによって、行政事務は正しく進んでいったはずです。行政組織では、単に一人の職員の能力が劣っているから、との理由によって行政事務が極端に滞るということは、ふつう起こりません。
さらに、この裁判では、私の行政官としての行為が糾弾されています。生物製剤課長であった私が、当時、数々の義務を果たさなかったとされていますが、その義務といわれるものは法文上も明らかに生物製剤課長の権限外、すなわち私が責任を持ってしなければならない私の仕事ではなかったのです。これは当時の厚生省組織令で明らかになっていることであり、いくら無理をしても、この厳然たる事実を超えることはできない、と分かった検察官は、この裁判で、権限のなかった生物製剤課長であった私が、権限のあったところにはたらきかけるべきであり、これをさせなかったのが犯罪だ、と見当違いな非難をしました。
この混乱の原因は、冷静に考えると、血液製剤のウイルス混入のような副作用を、副作用ではないと証言した元安全課長の誤った証言を基にして、理論が構築されたからにほかなりません。
公判で私が説明したように、当時の薬務局では、薬品の副作用によって障害を受けたものに、被害の補償をしておりましたが、肝炎ウイルスの混入は本来頻度が高いので、輸血後肝炎をすべて副作用に含めると、副作用の件数が極端に増えてしまい、補償基金の運営が成り立たないために、この場合の副作用から除外されていただけであって、本件で問題となっているような、本来の副作用をいかに防ぐか、という観点ではもちろん副作用として対応をしていたものであり、その責任の部署は薬務局安全課でありました。しかし、判決では、この正しい理解ができず、副作用被害補償の対象から除いていたということを、誤って拡大解釈し、安全課ではこれら血液製剤のウイルス汚染について対応する責任がなかったと結論付けてしまったのです。そこでウイルス汚染の安全対策に関する活動を生物製剤課の職務と認定したことによって、本来の安全課の職務との関連が断ち切れてしまった結果、新たに安全課を動かすために、生物製剤課、ひいては課長であった被告人である私が安全課に対し、一連の活動をするように動きかける義務、という法令上に全く規定のない奇妙な義務を創設しなければならなくなったのでした。
判決は「自ら立案し必要があれば同省内の関係部局等と協議を遂げその権限行使を促すなどして、上記2社をして、非加熱第Ⅸ因子製剤の販売を直ちに中止させるとともに、自社の加熱第Ⅸ因子製剤と置き換える形で出庫済みの未使用非加熱第Ⅸ因子製剤を可及的速やかに回収させ、さらに第Ⅸ因子製剤を使用しようとする医師をして、本件加熱製剤の不要不急の投与を控えさせる措置を講ずることにより、本件非加熱製剤の投与によるHIV感染およびこれに起因するエイズ発症・死亡を極力防止すべき業務上の注意義務があった。」としております。しかし、これらの義務は、それぞれ、薬務局安全課、および同監視指導課の業務であり、それら他課固有の業務を行わせなかったことが、何故に生物製剤課長の義務違反になる、また如何にしてそれが自然人たる私の義務違反になるのかという分析・解明がなされていないため、私にはまったく理解できず納得もできないのです。
しかも、判決がいうところの私のとるべき行動は、法令に何の基礎もおかない、単なる意見の具申をすべきであったというものであり、もとより行政組織は、それぞれの部署がそれぞれに与えられた権限と責任をもって仕事をしていましたから、なんら権限のない部署の自然人が判決の言うように他の部署にはたらきかけて他課を動かすべきであったという指摘は常識的に考えて不可能なことでした。今でもそうだと思います。これこそ、まさに有罪を予め決めておいて、それから逆算して論理のつじつまをあわせるだけの裁判と受止めざるを得ず、到底納得できません。
そして、本来の仕事でないことをしなかったことが、仮に、道義的に責められることはあったとしても、それによって刑法上の責任を追及されるということはどうしても納得できません。私も、当時の生物製剤課も薬事法に従って誠実に業務を遂行しており、私自身が薬事法違反に問われたことはありません。薬務局安全課、同監視指導課に対して、業務遂行を促すことができたのは、薬務局長であったはずです。
原判決は、これらの点で行政法規の解釈を誤って、私に刑事責任を認めたものとしか思われません。
6. 私の生物製剤課長当時の具体的な行動はほとんど何も明らかにされなかったこと
仮にも、刑法において、犯罪が成立するためには、被告人たる私の実際の行動の詳細な検討を除外することはできないでしょう。いわば急迫状態にある国家の公務としてなした私の行為が、個人として責任を負わされるためには、この点に関して十分なる証明がなされなければならないはずです。さらに言えば、不作為による過失を立証するためには被告人の生物製剤課在任の全期間における、被告人の実際の全行動を、詳細に検討するのでなければ、断定は下しえないはずです。しかし、実際にこの裁判で行われたことは、当時わが国に存在したとされる科学上の文献や情報が断片的に示されただけであり、その情報がいかにして私にもたらされ、またその情報に基づいて私がどのような行動をとったのか、などなど、被告人とされた私の具体的な行動はほとんど何一つあきらかにされませんでした。
さらに、行動の検討が行われなかったのは被告人だけではなく、被告人の部下、問題となった同僚、上司についても、その行動の詳細は検討されていないのです。
行政組織内における人の行動は、相対的関係の中で動くものであり、上司や部下の行動が無視されて、どうして私の行動の意味が判断できるのでしょうか。被告人となった私の行動はもちろんのこと、上司や部下の行動を分析することなく、一人の組織人の犯罪と糾弾することは、行政の何たるかを全く理解しないものの態度というほかないのです。
然るに、この裁判では、こうした個々の人の行動はほとんど検討されることはなく、単に組織であった生物製剤課にもたらされたとする情報、あるいは、世界のどこかにあったとされる情報を基に私が行動を取らなかった、と観念的に私を責めているものとしか思われません。
7. 薬事法違反の行為はなかったこと
今でこそ非加熱製剤は危険極まりないものだったかのように断罪されていますが、先に述べたように、当時は、加熱製剤が承認されつつあったとはいえ、加熱への不安等から非加熱製剤のほうが総合的に見て、信頼性が高かったのでした。ですから、もとより、非加熱製剤は薬事法に認められた正当な薬品として流通していました。したがって、これを直ちに使用を停止して回収することは考えられなかったばかりか、たとえ考えた者があったとしても、合法的にそれを行うことはできませんでした。このような段階において、法律的に認められて存在している薬品を、滅却しなければならなかった、それがお前の犯罪的行為であったといわれても、これはとうてい無理な話でした。
そもそも、公務員は、法令、規則に基づいて仕事をしているわけであり、それらの規範を無視することは責められても、無視しなかったことが責められると云うのはいったいどういうことでしょうか。また、もし無視しなければならないような事態になったとしても、これを公然、明白な意志をもって無視するには、それだけの決断をするシステムが働かなければならないのではないでしょうか。これは別な力であるべきであり、公務員の、しかも一担当者にその力を求めることは無理であり、かつそんな力はないほうがいいと言えるでしょう。
私に下された有罪判決は敢えていえば、私が法律違反をしなかったことが犯罪であるとされているようなもので矛盾であり、なんとしても納得して受け入れることはできません。
8. 因果関係の認定に極端な関連付けがなされたこと
判決は、本件事故に対して、他の多くの人々の関与があったことを認めました。すなわち、虚偽の広告をして販売をした当の製薬メーカー、また、不必要かつ不当な使用方法によって当該薬品を使用した医師の存在、および使用された製剤にたまたまエイズウイルスの混入があったという事実です。こうした一連の人々の行為や事実がなければこの事故は起こらなかった、としながらも、判決では、霞ヶ関で厚生省の組織の一員として事務を取っていた私に直接の責任がある、としました。非加熱製剤さえなければこの事故は起こらなかった、というきわめて小児的ともいうべき単純な考えのもとに、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の立論によって責任を転嫁して犯罪を作り上げるような判決には私はとうてい納得できず、素直に受け入れることはできません。
また判決では加熱製製剤の承認後、非加熱製剤の取り扱いにおいて、配慮に欠けた点があった旨結論付けています。しかし、わが国では加熱製剤の開発から、承認申請および承認とへと速やかに手続きを進めて世に出した加熱濃縮製剤は、その後順調に使用が開始され、この結果、わが国では血友病患者のエイズ感染および発症を頓挫的に遮断することができました。それ以後も、因果関係は別として、濃縮製剤の使用によるエイズ感染とされる例は、裁判となったこの特異例を除いて、一例も発生していません。また、加熱製剤はその後も使用され続けられました。この事実からも、私たちの取り組みが大きく的を外れていたとは考えられませんし、第一審判決も血液製剤に対する業務遂行は大筋では誤りはなかったと判示しております。従って、この例がいかにも特異的であったことが知られます。このような特異例まで職責上排除すべきであった、といわれても、私は困惑するばかりです。
9. 一連の事故の処理で回収の一点に誤りがあった、という極端な判断をしたこと
上記のとおり一審判決では、私ども当時の担当者が行ってきた血液製剤に対する業務遂行は大筋では誤りはなかった、と判示しております。当時、血液製剤に対する対策は、国を挙げて要望の強かった問題でもあり、抜本的な改変が要求されている問題でありました。その中で次々に問題を解決していった手法と経過と結果が大筋では誤りがなかった、というのであれば、判決の示すただ一点だけが誤っていた、というのは、とても不自然であり、常識的に考えれば、判決の結論こそが誤っているとしか考えられません。
10. 十分な証拠が提示されなかったこと
この公判廷には、私の前任者の時代の記録、メモ類などはたくさん提出されたのに、それより以後であった私の時代の記録やメモ類は、私の再三の要求にもかかわらず、ついに提出されませんでした。私は2年間の生物製剤課勤務のうちにおよそロッカーひとつ分ほどの資料を自ら残し、また重要な書類は何冊かのファイルにして身近なところに保管して置きました。これらの資料は何一つとして、公判には提出されず、当時、あちこちに配った私の手書きのメモがただの一枚、別の部署の資料の中から発見されたに過ぎませんでした。これでは十分な資料収集や、分析がされたとはとても思えません。
これについては、私としては、どうしても納得がいかないので、弁護人を通じて、検察官に、再三、押収資料の開示を求めましたが、当時の資料は見当たらない、とのことで開示はされませんでした。
又、当時の厚生省にも弁護人を通じて、問い合わせましたが、検察庁にすべて押収されてしまって、ない、とのことでした。
問題となっている私が生物製剤課に在職した2年間に、私たち当時の担当者が記録やメモを全く作らなかったはずはなく、また、それらを残さなかったはずはありません。当時の資料は役所においてきましたから、これらが見当たらないということであればどこかに隠されていると思わざるを得ません。
また、さらに残念であったのは最も重要な証拠の一部が、実際に隠されていたことが明らかになったことです。
本件裁判においては、エイズウイルスの発見、という事項が検察官の立論の重要な根拠となりました。検察官の立論によると、エイズウイルスが発見されたことにより、全ての予防措置が、即座に、可能になった、とされたからでした。
そのために、ウイルス同定の端緒となった、フランスのモンタニエ、シヌシ、米国のギャロらの論文が検察官の立論の出発点になっています。
もちろん、検察側の証人となった、国内の専門家と云われる人たちも、このエイズウイルスの発見者たちの論文を基にして、得々と、証言を組み立てていました。
検察官はこれら当時の世界の最先端の科学者の文献を証拠として用意する一方で、実際に、これらの科学者を取り調べてもいたのでした。ところが、文献は数多く提出されたものの、これらの科学者を直接に取り調べた検事調書は検察官から証拠としてこの法廷に提出されることはありませんでした。
それどころか、これら世界の第一線の科学者の尋問調書はその存在すら隠されていました。長い検察側の立証が終わり、弁護側の立証がすでにかなり進んだ段階で、第一審の裁判長の指摘で初めてその存在が察知されたのでした。
すなわち、検察官は実際に、これら世界の最先端であった科学者に初めから的を絞って尋問し、その結果、検察官の立論が世界の科学や医学の常識からかけ離れたものであり、検察官が立脚している、これら先賢の文献や論文の類も、実は、検察官の考えているような意味を持たせることはできない、ということをはじめから知っていたのです。つまり、これら世界的権威者たちの尋問調書があっては、私を、有罪とすることは、とうてい、できないとわかっていたので、これらの尋問調書を全て隠してしまったのでした。
このように、一方で、国として、大勢の検察官をわざわざ外国にまで派遣し、大きな努力を払って世界的水準の科学者に直接に尋問を行ないながら、その貴重な情報を隠し、一方で、世論や、検察官の意向におもねた、本当の専門家とはいえなかった、国内の少数の学者の証言を偏重した立論は、検察官が、意識して恣意的に、公正を欠いて作り上げたもので、公訴の名に値しないものといわねばなりません。
もし、これらの情報が検察官の依拠した国内の専門家と言われた人々の証言とともに、最初から、公平に明らかにされて、検察官がその正しさを理解していれば、私が起訴されることもなかったことでしょう。なぜなら、これらの事実は、当時のエイズウイルスの理解、ひいてはエイズに対する認識という検察官の立論の最も重要な基礎となるものであったからです。また仮に、検察官にはその価値が分からなくとも、初めからその存在と内容が明らかにされていれば、もっと、迅速にこの裁判が終局を迎えていただろうと思います。非常に、残念なことでした。
こうした検察官の一連の行動と態度から考えれば、先に述べた私の課長時代の資料が裁判に一切提出されなかったのも、都合の悪い証拠として、検察官が提出をすべて阻止したのではないかと思わざるを得ません。この裁判の最後の段階となった今では、こうした証拠の提出は望むべくもありませんが、裁判が決着して後にも、時の持つ力によって、これらの書類がふたたび日の目を見ることを私は信じて疑いません。
11. 証拠の持つ意味を素直に評価しなかったこと
もとより、本件起訴は、検察官の誤った思い込みに基づいて構築されていましたから、検察官の提出したおびただしい数の証拠類も、そのどれを取っても素直に考えれば私の行動の正しさを示すものばかりでした。それが証拠には、検察官提出の証拠によって私の主張の正しさが証明できた事項は、枚挙に暇がありません。しかしながら、検察官は自分の提出した証拠の意味を、素直に理解することはなく、その意味を曲解したり、また、多くの場合は、証拠の中から検察官の主張に都合のよい片言隻句を抜き出して、あたかもその証拠の全体が検察官の主張を支持しているかのように装ったに過ぎず、それを正すことに私としては大きな努力と多くの時間を要してしまいました。
検察官は、特に、昭和60年の年末に行われた血液製剤特別部会の議事録にあった一部委員の発言の解釈において、強引に牽強付会な解釈を展開し、大きな誤りを犯しました。この議事録には、どこにも非加熱製剤を緊急に回収せよという文字はなく、私を始め、当時の職員のすべてが主張したように、これは文字通り、非加熱製剤の承認整理をしなさい、という文書であったのです。しかしながら、非加熱製剤さえなければこの事故は起こらなかったという幼児的とも言える理論に立脚している検察官は、この承認整理という記載は回収のことであった、と遮二無二こじつけたのでした。そして裁判所も、私の主張に耳を傾けること無く、この検察官のこじつけを採用して判決を下しました。このように実際は「承認整理」と書いてあるのにそれでもなお「回収」と読むんだ、という強引な判決は、まさしく「馬」をさして「鹿」と言いくるめる類であり、冷静で正当な理論とはとても思えません。
もちろん私たち当時の担当者は、この意見のとおり、粛々と事務を進め、承認整理を実行し、当時、この取扱に上記特別部会等の委員のみならず、厚生省の関係者は誰一人として、違和感を持ったものはいなかったのでした。
それから10数年たって、突然、この承認整理という文字は回収を意味するのだ、といわれても、私は納得できず当惑するだけです。その後、私は多くの関係証拠を示し、この検察官の説が、いかに空疎な観念論から発したものであるかを示しましたが、いったん構築された架空の理論を、裁判所も打破する勇気を持たず、今日まで経過していることはまことに残念です。
これこそ、先に述べた職務権限の問題とともに、明白な証拠があるにもかかわらず、その証拠の意味をわざと曲解して、何が何でも私を有罪とするべくこの裁判を進めた検察官、ならびに一・二審の裁判所の大きな誤りではないでしょうか。
12. 時間の経過とともに明らかになったこと
事故発生から十数年の時間が経過して、何が正しく、何が誤りであったかは、すでに明らかになっています。
検察官が誤った構成から導き出し、指摘した、数々の対応策といわれるもの、すなわち、担当者の指示による治験なしの新薬承認、加熱製剤の緊急輸入、クリオ製剤への回帰、中間クリオの開発・使用、加熱製剤の承認と同時の非加熱製剤の回収、医薬品には副作用があってはならないとすること、権限の無いものが、権限のある部署を指揮すること、などは、単に観念的な可能性について述べただけであり、なんら現実に即していませんので、これらのうちで、その後、実行されたもの、あるいは現在行なわれているもの、利用されているものはありません。
たとえば、その後も行政改革が叫ばれていますが、権限の無い部署の担当者が、権限ある部署の担当者を指揮・命令するなどの働きかけをするようになったとも聞いてはいません。
これら、検察官の主張する、当時の私が行なうべきであったとする対応策はみな法令に違反するものばかりであり、当時は、そういうことが無いように厳しく戒められていたものです。今日、検察官の主張は、私が、当時、法令違反の行動をしなかったことが犯罪である、ということになり、法令違反があったと起訴されているはずの私としては、ひるがえって考えても、全く納得できず、混乱するばかりです。
このように見てくると、検察官の説が、牽強付会なものであり、時の持つ真実を明らかにする力の前で、全く無力なものであったことがわかります。
一方、当時、私たちが、その実現に腐心した数々の対応策は今どうなっているでしょうか。
加熱製剤の承認申請後、速やかに承認手続きを進めて世に出した加熱濃縮製剤は順調に使用が開始され、この結果、わが国では血友病患者のエイズ感染を頓挫的に遮断することができました。それ以後、濃縮製剤によるエイズ感染は発生していませんし、加熱製剤は使用され続けています。
濃縮製剤は委託製造を経て、凝固因子製剤の国内自給も達成されたと聞いています。
私たちの時代に新しく導入した200ミリリットルから400ミリリットルへの採血基準などの変更は国民に理解され、支持を受けて、すでに、毎年、数百万人の献血が安全に行なわれています。
こうした努力とともに、肝炎ウイルスの抗体チェックなどにより、あれほど輸血にまつわる苦痛の種であった、輸血後肝炎なども、その危険を著しく低減することができました。
献血時の問診や抗体スクリーニングも順調に行なわれ、エイズのみならず、成人T細胞白血病(ATL)の予防も順調に進んでいます。
この結果、諸外国では血友病患者の場合の2倍程も発生を見た一般患者の輸血によるエイズ感染は、わが国では、全くといっていいほど発生はありませんでした。したがって、私が生物製剤課長として前任者から引き継ぎを受けた時点での目標であった、輸血を受ける人々をエイズ感染から守る、という目標は、辛くも、達成できました。
更に、輸血によるATLの感染が押さえられることにより、他の対策とあいまって、ATLは、やがて、日本の国から根絶されることも期待しうる疾患となりました。
また、当時、エイズ問題と同時進行中であった、肝炎ワクチン、インターフェロンも実用化することができて、輸血後肝炎を含め、肝炎の予防、治療対策の基本的療法として、現在、社会に根付いています。数百万の患者を擁し、結核に次ぐ、第二の国民病と云われた肝炎も、やがては、わが国から姿を消し、肝硬変症、肝がんなどの致命的な疾患もその数を大いに減ずることが期待されています。
更に、時の経過とともに、次ぎのようなこともわかってきました。
わが国において、血友病患者が、濃縮製剤を使用するようになって、不幸にしてエイズに感染したのは、1980年頃からであり、その感染のピークは1983年であり、感染は1985年で終息したと云われています。この事実から見て、私が生物製剤課に着任した時点においては、後になってわかった、不幸にして感染した患者の大半はすでに感染してしまっていたのでした。そして、その後の新たな感染は頓挫的に終熄したのですから、私たちの努力は実を結んだと考えています。従って、わが国における血友病患者のエイズウイルス感染事故のすべての責任が私にあるかのような非難は誤っています。
また一方で、一審の裁判所は、医薬品の副作用は一例でもあってはならない、というきわめて高い義務を設定しましたが、もちろん、最近、肺がん患者に使用されている強力な抗がん剤の例をあげるまでもなく、医療上はたとえ副作用の可能性が高い医薬品や医療行為も、効用と副作用の冷静な判断の上で、あえて使用されたり、行われているのが現実です。
このように、時の経過とともに明らかとなってきた結果や成果を見ると、当時、私たちが努力して実現させた主な方策は、少なくとも、これまでのところ、全て、正しかったと云えるでしょう。
ところで、先に述べたような、私たちが、当時、実現させえた成果を、仮に、私が、今日、自ら、「これらの事務を担当していたのは私であり、薬務局で医師免許を持っていたのは自分だけであったから、これらの成果を上げることが一人で容易に出来た、自分一人の手柄だ」と主張したら、どうでしょうか。
これらの成果は、云うまでもなく、それまでに長い間かかって蓄積した多くの人々の知識と、それを現実の政策として実現した更に多くの人々の努力の結果ですから、事情を知っている人にとってはもちろんのこと、常識ある部外者にとっても、仮にもそのようなことを私が主張したら、まさに「喜劇」であり、「笑止千万」な誤り以外のなにものでもないでしょう。
しかし、実際に、この裁判で行なわれたことは、これと同列のことと言わざるを得ません。すなわち、検察官も、また検察側証人として出廷した、当時の科学者や厚生省関係者らは、「できなかったことがあったのは、医師免許証を持っていた被告人一人が無為・無策であったからだ」と、責めたことでした。そして一・二審の裁判所においても、私一人に責任あり、と判断しました。
13. 誤った判決によってもたらされるもの
今後、このような誤った裁判の経過と判決に基づいて、仮に、いろいろな施策が展開されるとするならば、社会に大きな過ちを招来するばかりではなく、これに類する事故は必ずまた起きます。私はそれを強く懸念し、警告します。
まず、もし検察官の立論のように、血友病は、患者に治療を我慢させれば自然治癒する程度の疾病である、とするならば、現在、わが国で、血友病に対して多大な研究費や医療費を使って研究や治療が行なわれ、公的に特別の施策を講じて、患者の医療の確保が図られているという事実は、どう考えたら良いのでしょうか。今後、血友病の研究は停滞し、患者の医療福祉対策は大きく転換せざるを得なくなるでしょう。本当に、それで良いのでしょうか。
次ぎに、国の血液事業がたった一人の担当者によって、その安全対策が維持、推進されているものであり、この事故が、担当者一人の力不足によって起こったとされる結論からは、単に、一人の普通の能力を持った担当者を備えておくか、または、一人の人間離れした超能力の担当者を選任しておけば、この種の事故は防げることになり、いずれにしても、事故の再発防止のための、組織的、構造的改善にはなんら結びつきません。人は個人で見た場合は誤りも多く、何よりその能力には限りがあります。この種の事故の原因を一個人の能力の欠落に問擬する方法では、事故を防ぐことはできません。必ず再発を招きます。
また、本件は、不幸にして起きた感染症による事故です。こうした事故を予防することはもとより必要ではありますが、完全に予防することは困難です。このような事故が起きたとき、その全責任を行政が負うことも、もとより無理があります。判決によると、行政はこの種の事故を容易に防ぐことができた、とするもので、不可能を可能とする無理な判断です。この論が敷衍されていくと、国民は行政の能力を過信し、事故の予防に自主の気風を失うことになり、ますます本当の問題解決から遠ざかることになります。
更に、私は、当時、組織の一員として、すでに起こってしまっていた事故の処理に努力したのです。事故の処理に携わったが故に、後年、当時の担当者のみが、できなかったことをしなかったことも過失であるとして刑事責任を追及されることが定着するとすれば、事故が起こり、あるいは良くない結果が予測されるような場合、事故処理に挺身するものはその気概を失うでしょう。
わが国では、この不幸な事故の原因追及の過程で、科学的に冷静な分析が行われるのではなくて、検察官によって誤った形で個人の責任追求が始められてしまった結果、当時の関係者の多くが、社会的に、全く沈黙してしまいました。さらに悪いことにはマスコミや、これを利用した検察官によって、およそ科学的ではない原因究明が行われた結果、見当違いの物語が作られてしまったのです。こうして、この国ではこの事故の正しい視点からの科学的な分析が全く行なわれなかったばかりでなく、裁判の経過の中でも、正しく科学的に振り返って分析することが十分にできませんでした。したがって、わが国では、エイズウイルス混入事故の本当の原因はうずもれ、同様な事故の再発防止には役立たなくなってしまいました。
こうした天災さもいうべき事故に対して、科学的な原因究明よりも、まず関係者の刑事責任を追及して罪人を作り上げ、国民の中に渦巻く事故のやり場のない怒りと悲しみを和らげることももとより必要な行政活動ではありましょうが、それだけではあまりにも低い次元の活動というべきでしょう。
私は、この裁判の経過中に、私が生物製剤課長在任当時、数々の意見をもらいながら仕事を進めてきた多くの血友病や血液学の専門家といわれていた人々に、この公判廷で、当時の本当の状況を証言してほしい旨、弁護人などを通じて依頼をしましたが、彼らは、全て、言を左右にして証人となることを断りました。この結果、私の裁判では、当時、血友病の治療や血液学の分野で、何が求められ、彼らが、私たち行政担当者に何を求めていたかは、十分に明らかにすることはできませんでした。
一方、この裁判の経過中に、私は弁護人を通じて、当時は、全く一面識もなかった外国の専門家に証人になってほしい旨を依頼しました。すると彼らは、いささかも逡巡・躊躇することなく、文字通り、千里の道も遠しとせず、進んで証言をしてくれました。彼らは、当時のことを正確にありのままに証言してくれたばかりでなく、裁判で正しく証言することは科学者の使命であるとも述べていました。彼我の国における、科学者のあり方を比べて、残念でなりません。
14. 長い時の経過が起こってしまったこと
外国では「遅れた裁判は裁判ではない」とまでいわれているそうです。証人にしたところで、時間がたつにしたがって、その記憶が薄れてくるのは当然至極のことでしょう。何年もの前の、自分としてはたいして関係のない事実を、微細な点にまでわたって記憶していることは普通の人間ではできないことです。その結果、事実の上に立脚しなければならないはずの裁判も、砂上の楼閣のようになってしまうという危険が絶えず伴っていることなどから、特別に時効という制度があるのでしょう。
私の行為が犯罪であったと認定されているのは、1984年11月からから86年5月にかけてのことです。そして起訴されたのは1996年10月のことでした。ですから行為から約12年たって起訴されたことになるのです。
その結果、実際に裁判の過程においては、当時のことがよく思い出されないことになりました。裁判に喚問された証人にしても10年以上前の些細な出来事、会議の内容等を厳しく質問され、どうしても現在持っている知識をもとに、当時のことを曖昧な記憶のうちに検察官の誘導のままに証言をすることになりました。
さらに問題が科学技術、医学的知識に基づくものであったために、長い時間の経過のうちに、現在分かっていることと、当時、本当に分かっていたこととの区別が難しくなってしまったことがありました。こうして、証言は当時わかっていなかったことも、後から分かったことと混同され、曖昧なものになり、検察官の構築した虚構の中に当てはめられていってしまいました。こうして、正しい裁判を受けるという私の権利は大幅に狭められたままで裁判が進行し、結局、裁判は結論を誤ることになりました。
このような、結果の発生を待って時効を起算開始するという方法では、被害者の恨みを晴らす、また、公憤というやり場のない憤りを散解させることには特段の効果はあっても、加害者と目された被告人にとっては、極めて不利な展開となります。一口に云うと、公正中立であるべき裁判が、圧倒的に被告人不利の条件のもとで行なわれる事になるのです。
被告人にも基本的人権があるわけで、また迅速に、公平な裁判を受ける権利を保証している現行憲法のもとでのこのやり方には大きな疑問がもたれるところです。
さらにまた、一方で、もし、この裁判で、私が有罪となるならば、敷衍して云うと医療行為は多くの場合みな有罪になってしまう恐れがでてくるように思われます。
なぜならば、多くの疾病では、治療により一時的に延命には成功しても、後遺症を残すことがふつうです。やがて何年か、何十年後に、年老いて、この後遺症が原因となって生涯を閉じたような場合には、延命できたという医療の効果は無視されて、何十年も前の医療にその原因を求めることが容易になるからです。
さらに最後に付け加えたいことは、私の記憶が正しければ、控訴審における裁判長は、事件の当初、東京地方検察庁に逮捕された私に対して、勾留状を発した裁判官でした。勾留状にはとても難解な長文の理由が付されてはおりましたが、要するに、裁判長はこの時点ですでに私に十分な嫌疑があると判断していたのです。公平性に問題があるように思います。
以上、私は上告審にあたり、私の正しいと信ずるところを述べてまいりました。これらの点は原判決に審理不尽、行政および行政官等に関する著しい経験則違反ないしは理由不備があるものと言わざるを得ず、これにより重大な事実誤認や法令適用の誤りを作出したものというべきであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと信じます。
そこで、私がこれまでに開陳してきた事実の意味を、是非、正しく理解して欲しいと思います。
そして、最高裁判所におかれまして、冷静に、正義に基づいて、一日も早く、正しい判断を下していただきたいと願っております。
「時が熱狂、偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。(東京裁判 パール判事の判決)」
以上