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最高裁判所第二小法廷 平成19年(受)152号 判決 2008年10月10日

主文

原判決中,主文第2項を破棄する。

前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人齋藤雅弘ほかの上告受理申立て理由について

1  本件は,上告人が銀行である被上告人に対して普通預金の払戻しを求めたところ,被上告人が,上告人が払戻しを求める金額に相当する預金は,原因となる法律関係の存在しない振込みによって生じたものであることを理由として,上告人の払戻請求は権利の濫用に当たると主張するとともに,被上告人は上告人が払戻しを求める金額に相当する預金を上記振込みをした者に払い戻したが,この払戻しは債権の準占有者に対する弁済として有効であるなどと主張して,これを争う事案である。

2  原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1)  上告人は,A銀行H支店において,普通預金口座(以下「本件普通預金口座」といい,この口座に係る預金を「本件普通預金」という。)を開設し,また,上告人の夫であるBは,C銀行J支店において,預金元本額を1100万円とする定期預金口座(以下,この口座に係る預金を「夫の定期預金」という。)を開設していた。

(2)  D及び氏名不詳の男性1名(以下「本件窃取者ら」という。)は,平成12年6月6日午前4時ころ,上告人の自宅に侵入し,本件普通預金及び夫の定期預金の各預金通帳及び各銀行届出印を窃取した。

(3)  E,F及びGは,本件窃取者らから依頼を受け,同月7日午後1時50分ころ,C銀行J支店において,夫の定期預金の預金通帳等を提示して夫の定期預金の口座を解約するとともに,解約金1100万7404円(元本1100万円,利息7404円)を本件普通預金口座に振り込むよう依頼し,これに基づいて本件普通預金口座に上記同額の入金がされた(以下,この振込依頼による入金を「本件振込み」という。)。これにより,本件普通預金口座の残高は1100万8255円となった。

(4)  E及びFは,本件窃取者らから依頼を受け,同日午後2時29分ころ,A銀行I支店において,本件普通預金の預金通帳等を提示して,本件普通預金口座から1100万円の払戻しを求めた。同銀行は,この払戻請求に応じて,E及びFに対し,1100万円を交付した(以下「本件払戻し」という。)。

(5)  上告人は,A銀行の権利義務を承継した被上告人に対し,本件振込みに係る預金の一部である1100万円の払戻しを求め,これに対して被上告人は,前記のとおり,上告人の払戻請求は権利の濫用に当たり許されないなどと主張して争っている。

3  原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,上告人の請求を棄却した。

(1)  本件振込みに係る金員は,本件振込みにより,本件普通預金の一部として上告人に帰属したと解するのが相当である。

(2)  本件振込みに係る預金は,上告人において振込みによる利得を保持する法律上の原因を欠き,上告人は,この利得により損失を受けた者へ,当該利得を返還すべきものである。すなわち,上告人としては,本件振込みに係る預金につき自己のために払戻しを請求する固有の利益を有せず,これを振込者(不当利得関係の巻戻し)又は最終損失者へ返還すべきものとして保持し得るにとどまり,その権利行使もこの返還義務の履行に必要な範囲にとどまるものと解すべきである。この権利行使は,特段の事情がない限り,自己への払戻請求ではなく,原状回復のための措置を執る方法によるべきである。

そして,本件振込み後にされたEらに対する本件払戻しにより,これに全く関知しない上告人の利得は消滅したから,上告人には不当利得返還義務の履行のために保持し得る利得も存在しない。このことは,本件払戻しにつきA銀行に過失がある場合でも変わるところがない。

そうすると,上告人の払戻請求は,上告人固有の利益に基づくものではなく,また,不当利得返還義務の履行手段としてのものでもないから,上告人において払戻しを受けるべき正当な利益を欠き,権利の濫用として許されないものと解すべきである。

4  しかしながら,原審の上記3(1)の判断は是認することができるが,同(2)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

振込依頼人から受取人として指定された者(以下「受取人」という。)の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは,振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず,受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し,受取人において銀行に対し上記金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当であり(最高裁平成4年(オ)第413号同8年4月26日第二小法廷判決・民集50巻5号1267頁参照),上記法律関係が存在しないために受取人が振込依頼人に対して不当利得返還義務を負う場合であっても,受取人が上記普通預金債権を有する以上,その行使が不当利得返還義務の履行手段としてのものなどに限定される理由はないというべきである。そうすると,受取人の普通預金口座への振込みを依頼した振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在しない場合において,受取人が当該振込みに係る預金の払戻しを請求することについては,払戻しを受けることが当該振込みに係る金員を不正に取得するための行為であって,詐欺罪等の犯行の一環を成す場合であるなど,これを認めることが著しく正義に反するような特段の事情があるときは,権利の濫用に当たるとしても,受取人が振込依頼人に対して不当利得返還義務を負担しているというだけでは,権利の濫用に当たるということはできないものというべきである。

これを本件についてみると,前記事実関係によれば,本件振込みは,本件窃取者らがEらに依頼して,上告人の自宅から窃取した預金通帳等を用いて夫の定期預金の口座を解約し,その解約金を上告人の本件普通預金口座に振り込んだものであるというのであるから,本件振込みにはその原因となる法律関係が存在しないことは明らかであるが,上記のような本件振込みの経緯に照らせば,上告人が本件振込みに係る預金について払戻しを請求することが権利の濫用となるような特段の事情があることはうかがわれない。被上告人において本件窃取者らから依頼を受けたEらに対して本件振込みに係る預金の一部の払戻しをしたことが上記特段の事情となるものでもない。したがって,上告人が本件普通預金について本件振込みに係る預金の払戻しを請求することが権利の濫用に当たるということはできない。

5  そうすると,以上と異なる見解の下に,上告人の払戻請求が権利の濫用に当たるとした原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があり,この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決中,主文第2項の部分は破棄を免れない。そして,本件払戻しが債権の準占有者に対する弁済として有効であるか等について更に審理を尽くさせるため,同部分につき本件を原審に差し戻すこととする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川了滋 裁判官 津野修 裁判官 今井功 裁判官 古田佑紀)

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