最高裁判所第二小法廷 平成2年(あ)1314号 決定 1994年4月13日
本籍
新潟県新井市小出雲三丁目三四八一番地
住居
東京都渋谷区大山町二三番一号
会社員
木元隆
昭和九年九月一九日生
右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成二年一一月一四日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人鍋谷博敏、同伊藤廣保、同武田聿弘の上告趣意は、違憲をいう点を含め、その実質は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 木崎良平 裁判官 中島敏次郎 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治)
平成二年(あ)第一三一四号
○ 上告趣意書
被告人 木元隆
右の者に対する法人税法違反被告事件について、上告の趣意は左記のとおりである。
平成三年三月二七日
右主任弁護人 鍋谷博敏
弁護人 伊藤廣保
同 武田聿弘
最高裁判所第二小法廷 御中
第一 憲法違反
原判決には、憲法の違反がある。
一 本件の審理経過
1 控訴理由及び事実取調請求
(一) 第一審における本件の弁護活動は、罪体について全く争うことなく専ら情状論に終始した。それは、争うべき罪体及び犯情についてもこれを認めることによって改悛の意思を際立たせ、執行猶予判決を期待する弁護方針によったものと考えられる。
そのため、第一審における本件の審理は、当然のことながら一般情状に関する事項に限定され、罪体及び犯情については全く争点とならなかった。
(二) 原審においては、新たに選任された弁護人らにおいて罪体及び犯情について再検討した結果、そのいずれに関しても第一審判決に事実誤認の存在することが明らかとなり、原審記録に編綴の控訴趣意書及び同補充書のとおりの控訴趣意を提出し、新たに右誤認の点に関する証拠書類及び証拠物たる書面多数の取調請求ならびに、証人六名についても取調請求をした。
右各証拠方法はいずれも、控訴趣意において述べた罪体及び犯情の事実認定に欠くことのできないものであって、その取調べなくしては第一審判決の事実誤認を解明することは著しく困難であり、したがって、これらに関する事実取調請求を却下することは、刑訴法が目的とする実体的真実発見に背を向けることとなる。
2 原審における審理状況
(一) 原審においては、本件控訴趣意のうち、罪体及び犯情に関する事実を立証趣旨とする全証拠(事実取調請求書添付の証拠書類一覧表の証拠の標目1ないし14の各証拠書類又は証拠物及び六名の証人)の取調請求を却下した。その理由は、右各証拠方法が刑訴法三八二条の二の一項の「やむを得ない事由」に該らないとするものである。
(二) そこで弁護人らは、さらに右各証拠について、原審に対し刑訴法三九三条一項本文による事実の取調べがされるよう申出をしたが、遺憾ながらこれも容れられなかった。
(三) そして、専ら一般情状に関する事実及び第一審判決後の情状事実についての証拠調べをしたのみで判決をしたものである。
二 憲法違反
1 憲法三一条、三七条二項
(一) 憲法三一条は、刑罰を科すにあたっては、「法律の定める手続」によらなければならないと規定し、人身の自由に対する最も強い侵害である刑罰に関し、厳しい手続的保障を与えた。
「法律の定める手続」とは、形式的に法律で定めれば足りるものではなく、その内容においても、公正、妥当なものでなければならず、さらに定められた法律の解釈、適用を誤った結果によっては、「法律の定める手続」によるものといえない場合もありうる。かかる場合は、単に法令の違反にとどまらず、同条の違反にもなりうるものというべきである。
(二) また、憲法三七条二項は、刑事被告人に対する証人審問の権利を定め、直接審理の原則、伝聞証拠禁止の原則を保障する。
すなわち、刑事訴訟手続においては、被告人、弁護人の立会いのもとで証人に対する「充分な」尋問の機会が与えられなければならず、これを定める訴訟法規に適合したとしても、実質的に「充分な」「審問」の機会を与えなかったときには同条項の違反となる。
2 原判決の憲法違反
(一) 原審においては、既に述べたとおり、弁護人らの控訴趣意第一点(事実誤認)に関する事実取調請求を全部却下し、これらを取調べることなく審理を打切り判決した。
その結果、右控訴趣意において指摘した各事実については、真実が解明されることなく埋没したまま放置され、かかる状況下で原判決に至ったものである。
(二) 原審における右手続は、刑訴法三八二条の二の一項の解釈にあたって、いわゆる「物理的不能説」の立場を採り、また三九三条一項本文による裁量につき事実取調べを抑制する態度にでた結果であろう。
しかしながら、原審の右手続は、なすべき審理を尽さないばかりでなく、後に述べるとおり、憲法三一条に定める「法律の定める手続」によったものといえず、また、同三七条二項の証人尋問権の保障に違反するものである。
(三) 刑事控訴審の構造に関しては(原則として事後審とする限りでは一致しながら)、多様な議論のあるところである。
原判決は、右の点に関して最も厳格に事後審性を貫く立場に立った原審による所産であろうが、右の立場は、ときとして著しい審理不尽を招きかねず、控訴審における一審の誤判チェック及び是正の機能を失わしめることとなる。
(四) 控訴審における事実取調に関して御庁(一小)昭和五九年九月二〇日決定は、「………「やむを得ない事由」の疎明の有無は、控訴裁判所が同法三九三条一項但書により新たな証拠の取調を義務づけられるか否かにかかわる問題であり、同項本文は、第一審判決以前に存在した事実に関する限り、第一審で取調ないし取調請求されていない新たな証拠につき、右「やむを得ない事由」の疎明がないなど同項但書の要件を欠く場合であっても、控訴裁判所が第一審判決の当否を判断するにつき必要と認めるときは裁量によってその取調をすることができる旨定めていると解すべきである………」と判示され、新たな証拠の取調べにつき緩やかな立場を採用された。
そして、右決定の谷口判事の補足意見は、「………もし、わが国の控訴審が唯単に訴訟記録及び第一審裁判所が取り調べた事実にのみ依拠して第一審裁判所の事実認定についてその心証形成の過程を追試し、第一審判決の事実認定、量刑の当否を判定する判断に終始するものであれば、経験則違背等極めて例外の場合を除いて第一審判決を維持するという結果に終るであろう。第一審判決における弁護側の防禦活動に十全を期し難い現在の訴訟運営の実態を考える場合、刑訴法の理念とする実体的真実発見を逸するおそれがあるばかりか、その結果は被告人の不利益に帰することともなりかねない。………」として、控訴審における防禦に温情的理解を示された。
(五) また、刑事控訴審における審理のあり方に関し、「………控訴審は事後審とはいえ最後の事実審として、万が一にも無辜を罰することのないよう、原判決の当否の事後審査のための慎重な事実の取調を怠ってはならないことはいうまでもなかろう。特に、最近の再審の状況(比較的最近の事件についての再審無罪)からみて、控訴審段階で救済すべき者を救済し得なかったことはないかを自戒し、今後とも再審になる前に控訴審で救済する努力をすることが、事実審たる事後審としての刑事控訴審の重要な使命であることを強調しておきたい。………」「………控訴審は最後の事実審として、たとえ厳格な事後審説の立場から事実の取調が多すぎるとの批判は甘受しても、事後審の性格に反しない限り、裁判の具体的妥当性ないし被告人の救済に運用上十全の配慮をなすべきであり、いやしくも最高裁にいたって法四一一条による被告人のための破棄や、再審無罪を招く余地を残すようなことのないよう最大の努力をすべきである。………」(野間禮二・判タ七〇二・四)との元高裁判事の指摘もある。
(六) 以上検討した点に照らすと、原審の前記手続は、刑訴法違反にとどまらず、憲法三一条及び三七条二項に違反するものといわなければならない。
したがって、原判決は破棄を免れない。
第二 法令違反
原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
一 原審における審理経過
本件の第一審及び原審における審理の経過については、第一の一において述べたとおりである。
二 法令の違反
1 原審における審理上の問題点についても、第一において述べたとおりであり、仮にこれが前記憲法の各条項に違反しないとしても、以下に述べるとおり刑訴法三八二条の二、三九三条一項に違反するものである。
2 原審は、既述のとおり、罪体及び犯情に関する証拠については、刑訴法三九三条一項但書によって必要的に取調べるべきものではないとし、その理由として、右各証拠が同法三八二条の二の一項の「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった証拠」に該当しないとする。
原審は、右「やむを得ない事由」に関し、物理的不能説に立つもののようであるが、これは右証拠の範囲を不当に限定するものであって首肯しえない。右の点に関しては、物理的不能の場合に限らず、心理的に不能の場合についても、これに含まれるものと解すべきである。そのように解することが、刑事第一審公判手続の現状(とくに投機的防禦を含む弁護活動の実情)を前提とする諸問題を有効に解決するゆえんである。
右のように解するならば、前記各証拠については、第一審の防禦方針との関係から取調請求することが心理的に不可能な証拠というべきであるから、刑訴法三九三条一項但書によって必要的に取調べるべきものである。
したがって原判決には、この点に訴訟手続の法令違反があるといわなければならない。
3 また、仮に右各証拠が、右同項但書の必要的取調の対象にならないものと解するとしても、これを取調べることなく審理を打切り判決するは、同項本文に定める証拠取調に関する裁量権を逸脱するものであるといわなければならない。
右各証拠は、いずれも第一審判決の事実認定(犯情事実を含め)を覆し、別異の事実に到達させる重要な証拠であるから、原審としてはこれらを取調べるべきであって、これに反することは裁量の限界を超えるものである。
4 以上のとおり、原審が取調義務を負いながらこれを怠った各証拠は、本件犯罪の成否又は重要な犯情事実に関するものであって、これを取調べたならば、第一審判決の事実認定を容易に覆しうるものであるから、これを放置することは著しく正義に反するものといわなければならない。
したがって、この点からも原判決は破棄されるべきである。
第三 事実誤認
原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなけれは著しく正義に反する。
一 原判決は、ベルウッド商会が山平に支払った五〇〇〇万円につき、その実質を山平に対する資金援助であるとして、これを全額「寄附金」に計上した第一審判決の事実認定を是認しうると判示する。
しかしながら、右事実認定に関する判示は、以下に述べるとおり誤りである。
1 原判決は、右事実認定が是認できることの根拠として、被告人の昭和六二年一〇月一二日付検面調書、税理士岩元憲雄の同月二日付検面調書、及び新井旭の同年九月二八日付、同月三〇日付の各検面調書、ならびに被告人が第一審公判段階において、この点を争わなかったことを挙げる。
確かに、原判決の挙示する各証拠には、右認定事実に副う内容が含まれていることは否定しえないが、以下のとおり、右認定には重大な誤りがある。
2 新井旭の昭和六二年九月一八日付検面調書によると、同人は被告人から、ベルウッド商会が宅地建物取引業の資格を有しなかったことなどから、「万一の場合は頼む」と言われ、さらに、ベルウッド商会のことでアドバイスをしてくれと言われた気もすると供述している(一一丁)。新井は右調書の末尾で、右供述の趣旨が、宅地建物取引業法が規定する名義貸しの禁止に抵触することになることから、結局前記供述を翻しているが、この部分は、同人が宅地建物取引業法の禁止する名義貸しに抵触することに配慮した苦悩の供述であって、表面上の趣旨に惑わされることなく、同人の真意を汲まなければならないところである。
被告人は、ベルウッド商会において宅地建物取引業免許取得を企図していたが、既に、昭和六一年七月期には、ベルウッド商会の不動産売買扱い件数が一〇件にも達し取引高も多額になったことから、右不動産売買が宅地建物取引業法の無免許営業に該当するのではと危惧し、この対策に苦慮していたもである。
3 宅地建物取引業法は、宅地建物取引業について「宅地若しくは建物の売買若しくは交換又は宅地若しくは建物の売買、交換若しくは貸借の代理若しくは媒介をする行為で業として行うもの」と定め(二条二号)、ここに「業として行う」とは、売買、交換、代理又は媒介行為を反覆し又は継続して行い、それを社会通念上事業の遂行とみることができる程度に行っている状態をいう、と解されている(住宅新報社・新宅地建物取引業法の解説二九頁)。
被告人は青山赤坂地区から推薦され、社団法人東京都宅地建物取引業協会の理事であった(岡村栄一の第一審第五回公判の供述)ことから、ベルウッド商会の前記多数回にわたる不動産売買が宅地建物取引業法の無免許営業に抵触することについての危惧をいっそう強く抱いていたのであり、万一の場合には山平の協力を得ようとしたのである。
しかし、法により禁止されている名義貸を内容とする契約を締結することもできず、やむなく実態とは内容を異にするが、昭和六〇年八月一日付で、ベルウッド商会「所有の、又は購入予定の不動産の有効利用事業に関するコンサルタント業務」についての委託に関する契約(不動産業務委託契約書)を締結し、ベルウッド商会は山平の受託業務執行に基づく助言に従って不動産の売買を行った旨の形式をとったものである。
4 新井は、前記検面調書において、昭和六一年四、五月ごろ、被告人から仲介手数料を支払ってやると言われており、同年七月二〇日ごろ木元不動産の事務所によばれ、被告人からベルウッド商会の取扱高を記載した取引一覧表を示されたこと、その取引高が一七~一八億位であったため、支払ってもらえる三%の仲介手数料に思いをはせたが、被告人から「オマケしろ」と言われ、手数料額を五〇〇〇万円丁度に減額、決定したと供述している(二二~二三丁)。なお、ベルウッド商会の昭和六一年七月期法人税確定申告書によれば、取引高の合計額は約一七億円である。
右五〇〇〇万円が、仮にベルウッド商会の利益隠しのために、形式上業務委託契約名下の委託手数料とし、実質上は山平に対する資金援助として支払われたのであれば、単に同額の資金援助のための支出を税務上仮装するための業務委託契約書を締結すれば足りるのに、わざわざ取扱高に基づき委託手数料を算出し、五〇〇〇万円丁度に減額するという煩雑な形をとっているのである。
右の事実から、被告人及び新井の共通の意識としては、五〇〇〇万円は実質上山平がベルウッド商会に対し宅地建物取引業の免許を利用させる対価であるが、前記の理由から形式上業務委託契約に基づく委託手数料としたものであることが明らかである。
また、右の点については、被告人が岩元税理士に対し、山平に対するコンサルタント料を「ベルウッドは宅建業の免許がないので山平さんに五、六件扱ってもらったが手数料を払わなければならない」と説明すると共に、コンサルタント料の対価性に疑問を持った岩元税理士に対し、その対価性を強調していること(岩元憲雄の一〇月二日付検面調書)、「委託手数料の件につきましては一応社内で相談しまして経費で認められる範囲での委託料ということで出した」(被告人の第一審第九回公判における供述)と供述していることからも明らかである。
5 右五〇〇〇万円は、前記のとおり宅地建物取引業の免許利用の対価の実質を有するものであるが、この対価の支払いが結果において山平の累積赤字を消去することとなった。しかし、この結果から五〇〇〇万円支払の趣旨が資金援助であると短絡的に認定することは誤りである。
被告人は、新井がエムエフ住宅協同組合を整理する際事務局長として協力してくれた苦労に従前から報いたいと思っていたこと(被告人の一〇月一二日付検面調書二五丁、新井の九月二八日付検面調書一〇丁)、山平が累積赤字で苦慮していたこと、及び山平を木元不動産グループの一社として迎え入れ結び付きを強めたいと企図していたこと(新井の九月三〇日付検面調書)などから、宅地建物取引業の免許利用の相手を山平と選定したのである。
従って右五〇〇〇万円を山平に支払ったことが、結果的に山平の累積赤字解消に貢献したとしても、その実質は免許利用の対価であるから、これを資金援助として寄付金認定をなした第一審判決を是認する原判決には重大な事実の誤認がある。
6 原判決は、被告人の昭和六二年一〇月一二日付検面調書中の供述の中から、右五〇〇〇万円の決算書への計上に関し、山平に対するコンサルタント料としては「通らないんじゃないか」とする岩元税理士の難色を敢えて押し切って計上させたとの点、右コンサルタント料を対価とするサービスを受けたことのないことを明確に認めているとして指摘し、これと一致する岩元の検面調書による供述及び新井の供述(九月二八日付、同月三〇日付検面調書)を挙げる。
しかし、前述のとおり、右五〇〇〇万円を業務委託契約に基づくコンサルタント料としたのは、宅地建物取引業違反に関しての形式上の装いであって、むしろ、業務委託の実体が存在するものでないことを前提として主張しているのである。
右の点に関して原判決は、新井の九月二八日付検面調書の末尾に、「万一の場合は頼む」と供述した第三項の当該部分を訂正する趣旨の供述の存在することを指摘している。この供述訂正は、新井が一旦供述した真実部分が検察官の立証計画の妨げとなることから、その追及を受けて何ら合理的説明のないままに訂正され、変遷を遂げているのである。原審は、右供述の価値判断を誤り(原審において新井を証人として取調べをすれば容易に防ぎ得た)、右のような判示をしたものである。
7 以上のとおり、原判決には、右の点に関し重大な事実誤認がある。
二 また、原判決は、木元不動産が銀座不動産から受取った合計七三一九万円を「雑収入」に計上した第一審判決の事実認定を是認しうると判示する。
しかしながら、右事実認定に関する判示は、以下に述べるとおり誤りである。
1 原判決は、右事実認定是認の根拠として、泉谷吉成の昭和六二年九月二五日付、同年一〇月九日付(二通)各検面調書、及び被告人の同年一〇月四、五日付、同月八日付の各供述調書、ならびに、被告人が第一審公判段階において、この点を争わなかったことを挙げる。
確かに、原判決の挙示する各証拠には、右認定事実に副う内容が含まれていることは否定しえないが、以下のとおり、右認定には重大な誤りがある。
2 右七三一九万円は、銀座不動産が「港区白金」及び「新宿区三栄町」の物件につき忠峰商事及びモーゼ商会名義の架空領収証を使用した簿外資金であり、この簿外資金を木元不動産において銀座不動産のため預り保管していたものである。
銀座不動産の代表者泉谷吉成の昭和六二年九月二五日付検面調書によれば、次の事実が認められる。
(一) 港区芝白金物件について
「白金物件」は、昭和五九年一二月三日付でローマイヤ等から銀座不動産が代金五億四八〇〇万円にて買い受けたこと、「白金物件」の情報は、木元不動産の花田常務から泉谷に伝えられたが、泉谷は買手を探していたことがあったこと、売買交渉は花田常務とホシ・プロパティーズの加藤が担当し、三井信託銀行渋谷支店からの資金調達は木元不動産が担当したこと、銀座不動産は木元不動産に対し、仲介手数料として一六四四万円を支払い、木元不動産はこの中から五四八万円をホシ・プロパティーズに支払ったこと、銀座不動産は「白金物件」を、同年一二月二二日鈴木繁男に対し代金六億六〇〇〇万円にて売却したこと、買主の鈴木は日東不動産の塚越の紹介によるもので、交渉は塚越が担当し、泉谷は交渉の経緯を逐一森に報告して被告人からは売却する際にのみ了解を求めたものであること、銀座不動産は仲介手数料として、同年一二月二二日、日東不動産に対して五〇〇万円、東洋都市開発に対して五〇〇万円を、昭和六〇年二月一九日、日東不動産に対して五〇〇万円、東洋都市開発に対して四八〇万円の合計一九八〇万円を支払ったこと、鈴木との売買契約成立の直前、泉谷が森から「白金物件については銀座不動産で買取りをやってこれだけ儲けがでたのでうちの方の関連会社にいくらいくら利益を回してくれ、今回の取引では売り値がこうで、買い値がこうで、金利がこうで、経費がこうだからお宅の利益はこれだけ出ればいいだろう」と言われたこと、泉谷は木元不動産の援助により資金調達ができ転売利益を上げることができたので、共同事業による利益の分配のような意識で支払うつもりになったこと、残金支払日の朝、森から支払先と支払金額の連絡があり、銀座不動産振出の小切手を森に交付し、忠峰商事の昭和六〇年二月一九日付三二〇〇万円及びモーゼ商事の同年二月二一日付五〇万円の領収証を受領したことが認められ、以上の事実から、銀座不動産の「白金物件」に関する収支は次のようになる(泉谷の昭和六二年一〇月九日付検面調書添付の計算書。但し、この計算書では、木元不動産がホシ・プロパティーズに対して支払った仲介手数料が加算されている)。
<省略>
右の計算で得られた転売利益から、泉谷が森に交付した小切手(額面三三五〇万円)を差し引くと、銀座不動産の「白金物件」で得た利益は約三一〇〇万円であった。
(二) 新宿区三栄町物件について
「三栄町物件」の情報は、サカグチ産業の坂口政一から泉谷に伝えられ、泉谷は現地を見たうえで森に話し、森もこの物件の情報を既に坂口からえていたこと、銀座不動産は、昭和五九年一二月二〇日、サカグチ産業から「三栄町物件」を代金四億七一六九万六〇〇〇円(実測精算前の価格四億九二九〇万円)にて買い受けたこと、売買交渉、及び三井信託銀行渋谷支店からの融資手続は全て森が処理したこと、右売買契約が成立した段階で、泉谷は森から「この物件による利益の中からうちの関係会社の忠峰商事にいくらか支払うよ、これだけ支払ってもこの物件は安いから利益が出るよ」と言われ(泉谷の昭和六二年九月二五日付検面調書四五丁)、前記「白金物件」と同様、木元不動産との共同事業の利益配分との認識のもとに、忠峰商事との間の業務委託契約(昭和五九年一二月二〇日付)に基づく委託手数料として二九六九万円の銀座不動産振出の小切手を森に交付し、忠峰商事の同額の領収証を受領した(なお、右業務委託契約によれば売買価額四億九二九〇万円の六%相当額の委託料と記載してあるが、六%相当額は二九五七万四〇〇〇円である)こと、「三栄町物件」については買手がついていたが、被告人からストップをかけられており、昭和六〇年六月ごろ森から「泉谷、実はあれはうちで買い戻すよ、よい物件だし利回りも良さそうだからうちでビルを建てて貸すから」と言われ、同年七月一日付で代金額五億四〇〇〇万円で木元不動産に売却したこと、木元不動産への売却が決ったころ、森から「この物件についての君のところの利益はこれでいいな、今回は仲介者も誰もいらないから、また忠峰商事に一〇〇〇万円程やってくれよ」と言われ、忠峰商事の同年七月一一日付領収証と引換えに右同額の小切手を森に渡したことが認められ、以上の事実から、銀座不動産の「三栄町物件」での収益は次のようになる(泉谷の昭和六二年一〇月九日付検面調書添付の計算書)。
<省略>
右の計算で得られた転売利益から、森に交付した小切手(額面一〇〇〇万円)を差し引くと、銀座不動産が「三栄町物件」で得た利益は約二三七〇万円であった。
(三) 「白金物件」と「三栄町物件」で、木元不動産が架空領収書によって銀座不動産から受領した小切手の額面の合計は七三一九万円(これに木元不動産が「白金物件」で得た仲介手数料の実額一〇九六万円を加えると八四一五万円となる)であり、銀座不動産の右両物件による利益は約四一七〇万円であった。
3 泉谷は、忠峰商事等の領収証と引換えに森に交付した小切手はいずれも木元不動産との共同事業の利益配分と認識していたと供述しているが、もしそうだとすると、交付した小切手額面相当の利益金が木元不動産又はそのグループに流れることを認識していなければならないはずである。
ところで、泉谷は、同人の義父高橋要一が中心となって作った三井不動産の取引業者の団体である弥生会に、昭和四六、七年ごろ被告人が入会したことから被告人と親しくつき合うようになった(泉谷の昭和六二年九月二五日付検面調書一〇丁)。泉谷は被告人との親交のなかで、木元不動産及びそのグループ各社についても知るようになっていた。したがって、泉谷は、森が木元不動産の関連会社と説明した忠峰商事及びモーゼ商事については、領収証を森から受領するまでその存在、関係等につき全く知らなかった。忠峰商事及びモーゼ商事は、二つの取引に立会うこともなく、たまたま居合せた野地を森から紹介されただけで、野地が木元不動産とどのような関係にあるか全く判らなかった(泉谷の前掲検面調書三三~三五丁)ものであり、これ等の供述に照らすと、たとえ森から関連会社に利益をまわしてくれと言われたとしても、泉谷において忠峰商事やモーゼ商事が木元不動産の関連会社であるとは考えなかった筈である。
のみならず、森が小切手の額面など全て泉谷に指示したうえで、用意していた領収証を銀座不動産振出の小切手と引換に泉谷に交付していること、及び法定の仲介手数料のほかに業務委託契約に基づきさらに六%相当額の委託手数料を支払っている事実などから、泉谷は森に交付した小切手が、簿外資金になるとの認識を十分持ちえたものといえる。
4 ところで泉谷は、被告人及び森に対し、二物件に関して銀座不動産のために簿外資金を作るように依頼したこともなければ、被告人及び森から、銀座不動産のために簿外資金を作ると言われたこともないと供述する(泉谷の前掲検面調書五二丁)。
しかし、泉谷は昭和六一年一一月七日麹町税務署の税務調査を受けた際、被告人と何ら事前の打合わせなく、銀座不動産の簿外資金を作るために忠峰商事やモーゼ商事の領収証を利用したと説明した。そして泉谷は、右の説明をした理由として、忠峰商事がいわゆる領収書屋であると噂で聞いたこと、及び木元不動産に迷惑をかけたくなかったことを挙げている(泉谷の昭和六二年一〇月九日付検面調書四~七丁)。
一方、被告人は、同年一一月か一二月ごろの顧問税理士団との打合せの際、銀座不動産の二物件によって得た簿外の資金を銀座不動産のために預っていたと説明し、「預るつもりで持っていたという私の心理として話せば認めてくれるかもしれない」と考えたというのである(被告人の昭和六二年一〇月四、五日付検面調書八、九丁)。
5 被告人が簿外資金を得るために利用した関連会社がほかにもあるのに、銀座不動産の取引に関して得た簿外資金のみを、何故「預るつもりで持っていたという心理」に至ったかについて、以下補足的に若干の解明をする。
本件の前記経緯等によれば、右二取引によって得た木元不動産の利益と銀座不動産の得た利益を比較すると、木元不動産のそれが大きいが、被告人としては、もともとこれらの取引によって銀座不動産の得る利益の半分位を木元不動産において得れば足りると考えており(乙号証番号一三、被告人の昭和六二年一〇月八日付検面調書一一丁によれば、「白金物件」で儲けの半分位バックさせようと思ったとの供述がある)、過大に得ていた利益を銀座不動産に対し将来還元する必要があると考えていたこと、被告人は、銀座不動産の前代表者高橋要一と親交があり、同人の晩年ころから銀座不動産は業績不振に陥っていたことを知っており、三井不動産販売の社員から銀座不動産の面倒をみてやってくれと頼まれていたこと(乙号証番号一三、被告人の前掲検面調書四、五丁)から、木元不動産の得た利益の一部を、将来銀座不動産の経営不振に備えて預っている必要があると判断するに至ったことが認められる。
さらに、浦安市舞浜の土地、建物登記簿謄本によれば、泉谷は昭和六〇年三月二七日付で右土地の売買契約を締結し、右土地上に建物を建築しているが、右土地、建物には同年八月一四日設定にかかる三井信託銀行(渋谷支店)の極度額五〇〇〇万円の根抵当権が登記されており、銀座不動産が五〇〇〇万円を三井信託銀行から借り入れる際、木元不動産が右借り入れにつき連帯保証をなしている(分割貸付契約証書の写)こと、この事実からみれば、将来、銀座不動産の経営が不振となって、三井信託銀行の債務が返済できないときは、木元不動産において代わって弁済をする覚悟であったことが認められ、被告人としては、代位弁済に基づく銀座不動産に対する求償権を、銀座不動産から得た簿外資金の一部で保全しておく必要があると考えていたこと、銀座不動産の経営が順調に推移していけば、銀座不動産から得た簿外資金の一部を銀座不動産商会に還元するつもりであったことが容易に認められる。
6 以上の事実を総合すると、被告人は、「白金物件」と「三栄町物件」で得た簿外資金七三一九万円については銀座不動産の簿外資金として預ったとの意識を有しており、将来、銀座不動産において不測の事態が発生したとき、若しくは土地取得に際し地主に対して交付する裏金等の簿外資金需要が生じたときには、これを銀座不動産に対し返還せんとしていたものである。
従って、右七三一九万円の金額を木元不動産の雑収入とした第一審判決を是認した原判決には事実の誤認がある。
7 原判決は、税務調査に際して泉谷が前記事実に副う内容を供述した点をあたかも偽装工作と決めつけ、その後の同人及び被告人の捜査機関に対して迎合的になした供述のみに依拠して、右事実を首肯しえないとする。
そして、原審において控え目にしてなした「相当部分」との主張をあげつらい、また、木元不動産が危険を冒かしてまでして簿外資産を預かる合理的理由も必要もないと決めつける。
しかし、原判決の右判示は、木元不動産及び被告人と銀座不動産及び泉谷との関係について、きわめて表面的、一面的にのみ観察するものであって、右両者の商取引を超えた人間的、情緒的な面を理解しないか又は故意に目を反らすものであり、到底真実に接近しようとするものとはいえない。
右のような観点をもって右両者の関係を解明しようとすれば(そのためにも、この点に関する事実の取調べが必要であった)、原判決のような判断には到底至らず、事実誤認に陥ることはなかった。
三 原判決は、本件犯行に対する森太良の関与について、これが犯情事実に過ぎないから事実誤認に該たらないと判示する。
右事実が、いわゆる犯情事実に属するもので、犯罪の構成要件事実に該らないことは原判決判示のとおりである。
ところで、刑訴法三八二条にいう「事実」の範囲については議論のあるところであって、右のいわゆる犯情事実がこれに含まれるかについては争いがある。しかし、これは結局のところ量刑に影響を及ぼすものであっても、犯罪の成否に影響を及ぼすものではないので、右の点について実務上議論の価値はない。
そこで、右の点については、第四において述べることとする。
四 結語
以上一及び二において述べた事実誤認の点については、いずれも本件犯行の成否を決する事実に関するものであり、その内容からもその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄することなく放置することは、著しく正義に反するものである。
したがって、刑訴法四一一条三号に基づき、原判決を破棄されるよう求める次第である。
第四 量刑不当
原判決は、刑の量定が甚しく不当であって、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
一 原判決の刑の量定とその理由
本件の第一審判決は、被告人を懲役二年の実刑に処したが、原判決は、これを破棄し懲役一年六月に軽減したものの、執行猶予を付することをしなかった。
原判決は、量刑の理由として、本件の逋脱税額が合計三億五〇〇〇万円を超える巨額であること、その犯行態様がいわゆる「B勘屋」である野地と共謀するなど計画的、巧妙かつ大胆なものであること、その動機も会社の経営基盤安定のため資金蓄積を図るという私的欲求の実現に向けられたものであること等を挙げ、第一審判決に対する量刑不当の控訴趣意をことごとく排斥した。
もっとも、原判決も、被告人が第一審判決を「厳粛に受け止めて一層反省を深め、その現れとして、木元不動産及びベルウッド商会に対する原判決の確定とその罰金の納付を両会社の責任者に働き掛け、その結果、両会社は控訴を取り下げて、各罰金を完納するに至ったこと、借財した上で社会福祉法人中越福祉会など四法人に対し合計一億円の贖罪寄付をしたほか、社会福祉法人恵日会に対しても、これまでに約三〇〇万円の援助をなし今後の援助をも約していて、同法人の理事森隆夫からは被告人に対する寛大な処分を求める旨の上申書が提出されていることなどが認められるので、これら原判決後の情状に原審当時から存した被告人に有利な諸般の情状を併せ考慮して、本件の量刑につき改めて検討してみると、前叙の犯情に鑑み刑の執行を猶予すべきものとまではいえないものの、原判決の量刑をそのまま維持することは明らかに正義に反するものと認められる」とし、第一審判決中被告人に関する部分を破棄し、改めて懲役一年六月に処したものであり、被告人の情状に対し一定の理解を示したといえる。
しかしながら、以下に述べる本件の犯情事実及び一般情状を総合考慮すれば、被告人を実刑に処した原判決は、量刑事情の誤認ないしは評価を誤った違法があり、その結果、刑の量定が甚だしく不当になったものというべくこれを破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。
二 本件の情状
1 犯情事実
(一) 本件脱税行為は森太良が積極的に企画推進したこと
本件犯行の大部分は、木元不動産の業務部長であった森が、野地からのリベート取得という自己の利益を図るために積極的に企画、推進したものである。原判決もこの点の控訴趣意に対し、「関係証拠を検討すると、本件犯行における森の関与と役割について、所論のような状況が窺われない訳ではない」と判示し、森の積極的な企画推進の事実を基本的に肯認している。
しかしながら、更に、原判決は、被告人の会社経営上の責任者の地位からして、「被告人において、森が野地から多額のリベートを受け取っていた実情を知らなかったとしても、「暴走することがある」が「被告人の指示命令に反抗することはない」(被告人の原審第八回公判の供述)人物である森から「領収証屋」の積極的利用を提言された際に、被告人が右利用を禁止したり、同人の行き過ぎを抑制して、同人を経理や資金調達の担当から外すなどした形跡は窺われず、むしろ、被告人は、多額の利益が「領収証屋」の利用によって容易に秘匿できるという誘惑に負け、同人の提言をそのまま受け入れていたものであり、ある意味では、森の積極性を利用していたともみられるのであって、これらの諸点に鑑みれば、所論指摘の森の関与のために被告人が本件犯行の刑責を免れるものでないことはもとより、これをもって被告人の刑責を特に軽減すべきものとも考えられない」と判示し、被告人に厳しい評価を下している。
確かに、経営者のトップとして、森の行為を抑止しなかった被告人の責任が問われるのはやむを得ない、しかし、本件については、野地の供述によれば、「森がやめてから木元不動産の仕事はバッタリこなくなった」(被告人野地一〇月一日付検一九丁)のであり、昭和六一年は三物件位であった(被告人野地九月二五日付検面)というのであって、森の本件脱税行為に対する関与の程度は、被告人の指示を遂行するにとどまらず、野地から謝礼金を得る目的で各手数料計上、売上金除外及び雑収入除外の要否、架空手数料、売上除外及び雑収入除外の額を積極的に決定し、本件脱税行為を積極的に推進したといえるものである。したがって、森の積極性の度合いは極めて大きく、被告人がこれに引きずられる形態で本件脱税行為の深みにはまったものであり、かかる事情は被告人の量刑に当って十分斟酌されて然るべきと考える。
以下、本件において森の果たした役割を詳細にみてみる。
(1) 森太良の六月二〇日付検面によれば、森は昭和四八年三月慶応義塾大学商学部を卒業し、同年四月三井信託銀行に入社、同銀行の渋谷支店に配属された。渋谷支店では当初営業を担当し、同五二年ごろから不動産課に配属された。
同五六年一月千葉支店に勤務となり、千葉支店では融資、法人信託の業務を担当した。
同五八年一〇月末三井信託銀行を退社し、同年一一月七日木元不動産に入社した。
三井信託銀行退職の理由につき森は「主に独立して不動産業をやりたいということにありましたが、女性問題も副次的な理由でした」(四~五丁)と供述しているが、独立して不動産をやりたいと供述しながら木元不動産に入社している事実、木元不動産に入社直後、被告人に対し、離婚に伴う慰謝料が必要であると説明し二〇〇〇万円借り受けている事実、(被告人の第八回公判における供述)、千葉支店の同僚であった原淳子とのちに婚姻している事実等から、退社の主な理由は女性問題であったと思われる。
森は木元不動産の花田昭七に対し入社希望を伝え、被告人と会ったところ、被告人は森の入社希望を快諾した。この経緯につき、森は「本来であれば、銀行を辞めるに至った経緯とか、採用条件とか、木元不動産を選んだ理由等について、今少しゴチャゴチャした話があるのが普通なのでしょうが、いとも簡単に承諾して貰えました。逆に言いますと、木元社長のこうした気味悪いくらいの度胸のあるところが魅力で木元不動産に拾って貰おうと考えたのです」と供述している(一四~一五丁)。
(2) 森が入社した当時、木元不動産は被告人のほか、営業担当として花田昭七、原田俊彦、女性事務員二人がいるだけで組織もなければ役割分担もない小さな会社であった。
しかし、森入社頃から昭和五九年にかけて人的な構成も充実し、組織や役割分担も明確になっていった(森甲号証二六、九月二〇日検面二~三丁)。
木元不動産において森は業務部長に就任したが、その業務は「営業の一切から経理、業務監理、庶務等会社内におけるほとんどの事務作業に関与」するというものであった(森九月二〇日付検面八~九丁)。
特に森が木元不動産において重要な役割を果たしたのは資金調達の面であり、木元不動産が取り扱った案件の殆どに森が関与していた(森甲号証番号二七、九月二〇日付検面七丁)。
木元不動産が物件を買い取り、これを転売するという形態の取引が増加していったのは、森が以前勤務していた三井信託銀行渋谷支店からの融資が、森の力によって円滑に進められていったからである。
さらに森は、経理と資金調達を担当していたことから、木元不動産及び関連会社の取扱不動産について「借入資金の利息迄を含めた原価・経費を把握した上で、実際の儲けがいくらであるか」を「把握する一番の立場」にあった(森甲号証番号二七、九月二〇日付検面八丁)。
さらに税理士岩元憲雄の一〇月二日付検面によれば、従前仮決算を被告人に報告していたが、被告人から経理のことは森や広瀬にまかせてあるから直接報告にこなくともいいと言われ、同五九年九月期決算については森に、同六〇年九月期決算については広瀬に報告するように言われたという。この事実から森が決算についても関与した事実が明らかとなる(但し、広瀬は森退社の同六〇年一一月ころに森に代って入社しているので、同六〇年九月期決算についても森に報告がなされていると思われる。)
木元不動産における森の立場につき、社外の者は次のような印象を持っていた。
双葉社の鈴木孝は、「森は一言でいえば小賢しい感じのする男」「話しを聞いていると頭が良くて色んな情報にも通じていることがうかがわれるのですが、森の態度がいかにも自分は人とは出来が違うと思っている様子に周囲には見えましたので、あまりいい感じがしませんでした。……木元不動産で実力者然としている森のことを軽く扱うわけにはいかない」(鈴木孝九月二二、二三日付検面)と供述している。
野地は、木元不動産内部における森の実力を一番印象深く感じたこととして、森が入社したお陰で木元不動産は金の流れが急に良くなって業績が急速に伸びた、それまでは大した会社ではなかった、だから木元社長は森に頭があがらないと思うのだが、その割には待遇が悪い、と森が話すのを聞いたと供述している(被告人野地九月二五日付検面)。
また、森を指揮監督する立場にあった被告人は、同人を「暴走することがあり、その反発を内外で買う」と評価している(被告人第八回公判における供述)。
以上の事実からみると、森は三井信託銀行渋谷支店からの融資の太いパイプを背景として、木元不動産において被告人に次ぐ実力を有していたことが明らかとなる。
(3) 森は木元不動産入社後、同社から月給四〇万円、半期に賞与二・五~三ケ月分相当額(被告人第八回公判における供述)を得ており(昭和六〇年六月には臨時賞与七〇〇万円を受領している。甲号証番号三二の質問てん末書)、その他、昭和五九年一二月五〇万円、及び一〇〇万円、同六〇年三月三五〇万円、同年六月一〇〇〇万円の金員を受領している。また前述のとおり入社直後二〇〇〇万円を借り入れている。
森は木元不動産からの収入の外、木元不動産の取引に関し、野地から総額七七三万五五〇〇円の謝礼、青山篤経営に係る六合建設及び日本施工の取引に関し、野地から総額四一一万四五〇〇円の謝礼、双葉社から三〇万円、銀座不動産から一〇〇万円の各謝礼を受領している。
(4) 森が前記のような金員を必要としたのは、次のような事情によると思われる。
<1> 昭和五八年一〇月、三井信託銀行を辞任するに至ったのは、同僚の原淳子との間の不貞行為が原因であり、結局、同五九年一〇月一日付で妻葉子との間で協議離婚をなすに至っている事実からみると、協議離婚前に多額の慰謝料の支払いを迫られていたこと。
<2> 原淳子と同六〇年二月七日婚姻(届出二月一三日)し、渋谷区内において同居を開始していること。
<3> 同六〇年七月、シンクタンクファクトリ株式会社を設立している(森九月二九日付検面一一丁)が、この設立に伴って資金が必要となること。
<4> 同六〇年八月末、豊島区にあった日本通商を四〇〇万円で買収し、同年九月一日付で本店を渋谷に移転している(森九月二一日付検面一五~一六丁)が、この買収資金や移転に伴う資金が必要となること。
(5) 被告人の検面及び公判廷における供述、及び森の検面によれば、被告人は、木元不動産及びベルウッド商会の不動産取引に関し、架空仲介手数料の計上、野地が実質上経営する法人等を利用した売上の除外、及び雑収入の除外等の要否及び額につき、森に対し格別の指示を与えていたかのようである。
確かに、森が木元不動産に入社後最初に取り扱った「大田区田園調布」「中央区東日本橋二-三二-一〇」の各物件については、被告人の指示に従って、野地との間で架空仲介手数料の領収証を作成したと思われる。
しかし、森は、野地に対し、木元不動産における同人の立場を強調し、最初に取り扱った右二つの物件の段階から暗に謝礼金支払いを要求し、これに成功した。森が前記のとおり、木元不動産入社直後二〇〇〇万円を借り入れ、これを毎月返済していること等から(毎月の返済額につき、被告人は第八回公判において二〇万円、森の前記質問てん末書によれば三〇万円)、金員に窮し、野地に対し謝礼金を要求し、受領したものと判断される。森にいわゆるリベートを受領する体質があったことは、双葉社及び銀座不動産からの謝礼金受領の事実、青山篤経営に係る六合建設及び日本施工に野地を紹介し、野地と青山との間の架空領収証授受の作成の都度わざわざ立会って、野地から謝礼金を受領していた事実(森甲号証番号三〇、一〇月二日付検面一〇丁)、木元不動産に内密で取引し、利益を他社におとしていること(他社に利益をおとすことで森が他会社からリベートを受領していたものと思われる。)が木元不動産退社の原因となった事実(被告人の第八回公判における供述)、から明らかである。
一方、野地は、昭和四三年一二月一二日野地不動産を設立し、営業を開始してからいわゆるカブリを行うようになった(被告人野地九月二五日検面三、四丁)。野地は同五七年前後ころ、不動産ブローカー光野信政に対し、忠峰商事は不動産取引で収益があがらないことから、いわゆるカブリ屋をやるので、客を紹介してくれるよう依頼していた(光野信政一〇月五日付検面四~六丁)。
野地は、右光野が紹介してくれた木元不動産からエドラスの件で架空仲介手数料作成の謝礼として四〇〇万円を受領した(被告人野地九月二五日付検面九丁)。野地としては、木元不動産は都内でも指折りの業者であり、木元不動産からエドラスの件で四〇〇万円を受領するまでは、いわゆるカブリ屋の謝礼が五万円か一〇万円の小口であったことから(被告人野地九月二五日付検面八、九丁)、木元不動産を顧客として収入を増加させたいと思ったことは容易に推認できる。野地が森の木元不動産における前記地位を認識し、さらに森の前記リベート受領の体質を察知し「森は木元不動産を押えるうえで要の人物であり、森をつかんでおけば木元不動産の仕事をまわしてもらえると思い」(被告人野地一〇月七日付検面二八丁)、謝礼金を森に対し支払った事実や、木元不動産からの依頼が途切れると野地が被告人に対し「今まで出ていた忠峰がばったりおたくの取引に出て来なくなると不自然ですよ」と述べ(被告人一〇月四、五日付検面)、依頼を催促していた事実によっても、野地の前記意図が明らかである。
かくして、森と野地は、木元不動産及びその関連会社の脱税行為を積極的に推進することで利益を得ることができるという共通の立場にあったことが明らかである。
(6) 被告人は、「真面目な人の面倒見のいい太っ腹な、それこそ人の面倒はみても口は出さない男気のあるでかい」(鈴木孝の第二回公判における供述)、「人間的な魅力のある包容力のある」人物(泉谷吉成九月二五日付検面一二丁)、「気味悪いくらい度胸のあるところが魅力」(森九月二一日付検面一四丁)、「口数は少ないが、非常に人を大事にする、非常に懐が深いというか思いやりのある」人物(原田俊彦第二回公判における供述)であったため、森入社後は森を信頼し、全面的に任せたものである(被告人第八回公判における供述)。
そのため森は、野地に対する連絡、架空領収証の額面の指示、及び同領収証の作成指示、売買代金を小切手で受領したときはこの小切手の資金化、野地に対する謝礼金の支払いを担当することになった。
森は具体的案件について、被告人から全て指示を受けて架空領収証、売上除外、及び雑収入の除外の要否及びそれらの額を決定したと供述しているが、例えば、被告人から具体的な指示がなくとも森の方から「この取引に忠峰を使います」、と進言したり、森の進言にゴーサインを出して忠峰の利用がふくらんでいった、森は大胆に裏金作を進言してきた(以上被告人一〇月二日付検面五~六丁)、「ベルウッド商会からモーゼ商事の業務委託契約のプランを森から示され、えらく荒っぽい無茶なことをやるなと感じた」(被告人一〇月一二日付検面二三~二四丁)との被告人の供述にみられるように、森は前記のように融資を担当することによって粗利益の額を一番知りうる立場にあったことから、被告人から全てを任されていたことを奇貨として、野地からの謝礼を得る目的で、本件脱税行為を積極的に企画、推進していったものと推認される。
第一審判決では、不動産取引について法的に認められている仲介手数料の範囲を配慮をしつつ、架空手数料の額を決定したと認定しており、そして森の供述によれば、昭和五九年及び同六〇年九月期の決算において、仲介手数料の範囲に至らない取引があるか否かの調査を被告人から命じられ、調査の上これに対応する架空手数料を計上したとある(森九月二九日付検面一八丁)。しかし、右供述は、既にみたように、森がリベート等による自らの利益を図って、野地の利用を積極的に企画し、推進したとの事実に照らして措信し難たく、さらに昭和六一年一一月一三日の国税局の取調べに対し自らの関与を否定し(質問てん末書問六項~一〇項)、罪責を被告人に負わせようとしている態度からも、措信し難いものである(森は本件脱税行為、六合建設、日本施工の脱税行為、自らの経営する法人の脱税行為に関与しながら起訴を免れている。)。むしろ、森は右利欲的意図に基き、取引の中で仲介手数料の範囲に余裕のあるものを摘出して、被告人に対してその利用方を積極的に提言し、推進していったのである。
ところで、被告人は前記のような性格であり、木元不動産及びベルウッド商会を指揮監督する立場にあった責任を強く自覚し、本件脱税行為全てを自ら企画し、これを森に遂行させていたと供述したものである(被告人の検面を子細に検討すると、被告人が土地買収に伴って売主から要求された裏金捻出のために自ら関与した「渋谷区丸山町」の物件についての供述は具体的であり、その他の物件についての供述は極めて抽象的であることが判る。これは被告人が単に森の提言を受け入れていた立場であった事実を明らかにするものである。)。
(二) 本件脱税行為の動機は、会社の財政基盤の安定化を企図したもので、悪質というべきものでないこと
本件脱税行為の動機として、被告人は、極めて重い土地税制下にあって、現に好況を呈しているとはいえ将来への慮りから会社の財政的基盤を強固なものにする必要を感じ、会社内に裏金として貯え留保する意図を持ったのみであって、個人的遊興のために消費し、又は個人的蓄財を意図したものではないのであるから、動機につき特に「悪質」と評価されるべきものではない。
原判決は、第一審判決が「会社の経営基盤を安定させようとの意図のもとに本件犯行に及んだもので、その動機は悪質」と判示した部分について、「いずれは訪れる不況に備えて両社の経営基盤安定のため資金蓄積を図るという犯行動機も、所詮は私的欲求の実現に向けられたものであって、そのために国民としての義務を潜脱する言訳とはなり得べくもない」とし、さすがに悪質との表現は避けており(なお、弁護人としても国民としての義務を潜脱する言訳として主張する気は毛頭ない)、他方、「犯行が被告人の私利私欲に基づくものではなく、個人的流用もほとんどみられないこと」を被告人の有利な情状として摘示している。
したがって、本件犯行の動機には酌むべき情状があるものとして、量刑に当って被告人に有利に十分斟酌されるべきである。
(三) 本件脱税行為における逋脱率が他の同種事件に比して低いこと
本件の逋脱率をみてみると、原判決認定の事実を前提としても、木元不動産については、三期通算で約三一パーセント、ベルウッド商会については二期通算で約五二・八パーセントである。そして、前記第一の一及び三において指摘した各事実を前提とすれば、右両社の各逋脱率は一層低率となる。
脱税行為における逋脱率は、正当に納付すべき税額のうち、逋脱した額の割合を表わすものであるから、その率が高ければ高いほど納税意識の欠如及び脱税行為の悪質性を徴表するものとして、量刑上重視されていることは公知である。脱税事犯における判決文の量刑理由の中で、逋脱率に触れないものはないといってもよい位であり、逋脱額の多寡とともに、量刑上大きなウエイトを占めている。
従って、相対的に逋脱率の低い脱税事犯においては、他の逋脱率の高いものに比べて、当然、被告人に有利に斟酌されて然るべきであり、この点異論のないところと思われる。近年、経済取引の高額化現象と相まって、逋脱額が多額になる傾向がみられ、特に不動産取引の分野においては、地価の高騰及び土地譲渡益に対する重課税の税制も加わって、この傾向が顕著になったといえる。一件の取引でも多額な取引金額となり、その一部分の逋脱があっただけでも逋脱額が多額になることは免れ難いのである。このような状況下にあっては、逋脱額より、むしろ逋脱率の方を重視することが、刑の量定上妥当と解される。
(1) 本件では、前述のとおり、原判決の認定した事実によってさえ木元不動産関係の逋脱率は約三一パーセントにすぎない。そして、木元不動産の逋脱額は、ベルウッド商会のそれを合わせた全体の逋脱額の約八〇パーセントを占めているが、その部分の逋脱率が約三一パーセントに止まっているのである。また、残りの逋脱額の約二〇パーセントを占めるベルウッド商会の逋脱率も約五二・八パーセントと五〇パーセントを若干超えたにすぎない。
右の原判決認定の逋脱率でさえ、これまで公刊物に登載された法人税法違反及び所得税法違反被告事件における実刑判決例のそれと対比してみると、明らかに低率であり、右の逋脱率程度で実刑に処せられているものは見当たらない。
(2) ここで、若干の判決例を検討してみるに、まず、この種事案で最初の実刑判決例として紹介(判時一〇三一号一三頁)されている東京地裁昭和五五年三月一〇日判決では、約四億八九〇九万円余の法人税を逋脱した特殊浴場経営者を懲役一年六月(ただし、控訴審である東京高裁昭和五七年一月二七日判決では、懲役一年二月に減軽されている。)に処しているが、その逋脱率は約九九・六パーセント(判時九六九号一三頁)である。次に、東京地裁昭和五六年一二月一八日判決では、約三億二四九一万円余の所得税を逋脱した整形外科医(医師法違反で執行猶予付判決を受けていた。)を懲役一年六月に処しているが、その逋脱率は約九九パーセント(判タ四六四号一八〇頁)、京都地裁昭和五八年八月三日判決では、約一四億三〇〇〇万円余の所得税を逋脱したサラ金業者を懲役二年に処しているが、その逋脱率は約九八・五パーセント(判時一一〇四号一五九頁)、福岡高裁昭和六〇年一月三一日判決では、約九億五五〇〇万円余の法人税及び所得税を逋脱した会社経営者を懲役一年に処しているが、その逋脱率はほぼ一〇〇パーセント(判時一一四三号一五七頁)、札幌地裁昭和六〇年九月六日判決では、約七八五〇万円余の法人税を逋脱したパチンコ店経営者を懲役一年に処しているが、その逋脱率は約七三パーセント(判時一一七〇号一六〇頁)、大阪高裁昭和六一年一月二九日判決では、約六億六〇〇〇万円余の所得税を逋脱した医師を懲役一年二月に処しているが、その逋脱率は約八一・三パーセント(判タ五九九号七四頁)、東京地裁昭和六二年一〇月一六日判決は、約三億二六〇〇万円余の法人税を逋脱した調理器具卸販売業者を懲役一年六月に処しているが、その逋脱率は約九九パーセント(判タ六六一号二五八頁)、東京地裁昭和六二年一二月一五日判決では、約五億四二四二万円余の法人税を逋脱した不動産会社経営者を懲役一年八月に処しているが、その逋脱率は約六四パーセント(判タ六六一号二五八頁)、東京地裁昭和六二年一二月二四日判決では、約二億三九三七万円余の法人税を逋脱した特殊浴場経営者を懲役一年二月に処しているが、その逋脱率は八四パーセント(判タ六六一号二五八頁)であり、いずれも本件における逋脱率をはるかに上回っているのである。
右の判決例と対比してみれば、本件では、被告人の逋脱率が他の同種事件に比して低いことが明らかなのである。
(3) 弁護人らの右控訴趣意に対し、原判決も本件の「逋脱率こそさほど高率とはいえない」とし、「懲役実刑に処せられた逋脱事例の中には逋脱率が本件より高いものが多いこと」、「逋脱事犯に対する量刑において、逋脱税額の多寡と共に逋脱率の高低がかなり重要な要素となっていること」を認めている。
したがって、原判決は、以上の本件各逋脱率に関する評価を誤ったものというべきであり、これを前提としてなされた刑の量定は誤りといわなければならない。
(4) なお、本件において逋脱額が多額となった理由として、木元不動産の社員森が野地から謝礼金を得る目的で本件脱税行為を積極的に企画、推進した事情(前記第四の二、1、(一)参照)が存在したほかに、次の事情も考慮されるべきと思料する。
<1> すなわち、木元不動産昭和五八年九月末期の修正損益計算書によれば、給与賞与として一二〇万円、接待交際費として二六〇万円が認定されているのにもかかわらずいずれも損金不算入とされ、同五九年九月末期の修正損益計算書によれば、接待交際費として五六一万五〇一〇円が認定されているのにもかかわらず損金不算入とされ、同六〇年九月末期修正損益計算書によれば、給料賞与として四七〇三万七九九円、接待交際費として九七二万三四〇〇円が認定されているが、いずれも損金不算入とされ、税額が算出されているが、右不算入の結果による逋脱額と、架空領収証を利用する等の方法による逋脱額との間には違法性評価の上で大きな差異があるものと思料する。
<2> さらに、木元不動産同六〇年九月末期の修正損益計算書記載の有価証券売却益も、いわゆる裏金を運用して得た売却益であり、前同様の架空領収証を計上する等の方法による逋脱額との間には同様の差異があるものというべきである。
<3> ベルウッド商会同六〇年七月末期の修正損益計算書によれば、申告欠損金三八七万四〇九四円は同期の税務申告後青色申告の承認が取消された結果、否認されたものであり、前同様架空領収証を計上する等の方法による逋脱額との間とは同様差異があるものというべきである。
2 一般情状
被告人には、次のとおりの有利な一般情状があり、原判決はこれに関する評価を誤ったもので、これを前提としてなされた原判決の刑の量定は誤りといわなければならない。
(一) 被告人の経歴、性行について
被告人は、新潟県で八人兄弟の三男として生まれたが、物心つくころには父が大阪で生命保険会社の代理店をしていたため、新潟の保育園で働いていた母に養育された。被告人一家の当時の家計は厳しく苦しい生活が続いた(木元九月二一日付検面、木元第八回公判の供述)。
被告人は、新潟県新井高校に入学したが、途中一年間は経済的逼迫のため休学し、自ら就労して家計を助けた。被告人は、昭和二九年三月右高校を卒業後、単身裸一貫で上京し、明治大学夜間部に通学する傍ら、三年間太陽堂で働き、その後一年位は日新自動車でセールスの仕事に従事した。その後、被告人は、株式会社山竜で不動産関係の仕事をしたが、歩合給で収入が不安定であったことと、そのころに現在の妻と結婚したこともあって、昭和三五年に固定給のある宮武商事株式会社に移った(木元九月二一日付検面、木元第八回公判の供述)。
被告人は、右のとおり上京後も収入が不安定で生活に苦労し、そのため、かって結核を患ったことのある妻も喫茶店やバーの手伝いをするなどして働いた(木元第八回公判の供述)。
被告人は、宮武商事において人格高潔な社長のもとで不動産の仕事を覚え、昭和四六年三月に同社長が死亡したのち、同社の清算手続をし、同年七月顧客を引き継ぐ形で、独立して個人で不動産業を始めた。被告人は、苦労を重ね骨身を削る思いで仕事をし、次第に業績をあげ、昭和五二年一〇月資本金五〇〇万円で木元不動産を設立(昭和五九年五月に金二〇〇〇万円に増資)し、折からの不動産ブームで順調に利益を伸ばすことができた(木元九月二五日付検面、木元第八回公判の供述)。
右に述べたとおり、被告人は、苦学して学校を卒業したのちも、苦難に耐え、努力して今日を築いてきたのであり、この間、本件までこれといった問題をおこしておらず(昭和三五年の罰金五〇〇〇円は偶発的な酒の上での喧嘩にすぎない。木元九月二一日付検面六丁)、社会的にはその人柄が多くの人たちに信頼され信望を得てきたのである。
被告人木元は、昭和四六年七月に独立して以来、適正な税務申告に努め、昭和五二年一〇月に法人成りしたのちも同様で、数年ごとの定期的な税務調査でも殆ど問題点を指摘されることはなく(経費性の考え方に食い違いがあって少額の修正申告をしたことがある程度)、これまで相当額の税金を真面目に納付してきたのである。一般に脱税事件の量刑において、従前の税務申告が適正になされていたか、それとも脱税行為が反覆的になされていたかは重要なポイントの一つといえるが、本件脱税行為は、前述したとおり、被告人野地の出現と森の積極的大胆さに依存する偶発的なもので、いわば魔がさしたというべきものであり、被告人が反覆的継続的に脱税行為を繰り返してきたということは全くないのであるから、この点、被告人に有利な事情として十分斟酌されるべきである。
(二) 被告人は既に十分な制裁を受けている
(1) 被告人は、昭和六二年九月二一日本件で逮捕され、第一回公判期日後に保釈されるまで二か月余の間身柄を拘束され、身にしみて法の厳しさを痛感している。二か月余の拘束は、被告人にとって決して短いものでなく、実質的には自由刑の執行をうけたに等しいものである。
(2) 被告人らは、本件発覚後、本税、過少申告加算税、重加算税、延滞税を国税、地方税合わせて全額納付しており、その金額は、木元不動産関係で合計金五億四四三八万三九五〇円、ベルウッド商会関係で合計金一億三二七三万〇四三〇円の多額にのぼる(木元第九回公判の供述)。右金額は、原判決認定の逋脱額の一・九一倍となっており、国家課税権の侵害による被害は十分回復されているといえる。また木元不動産及びベルウッド商会は、青色申告の取消しを受けたほか、後述のとおり既に八一〇〇万円という多額の罰金も完納しているのである。
(3) 第一審相被告人不動産は第一審判決で罰金六五〇〇万円、同ベルウッド商会は罰金一六〇〇万円に処せられたところ、両会社は原判決を不服として、平成元年一月一九日それぞれ控訴の申立をしたが、同年五月六日被告人の意向を受けて右控訴をいずれも取下げた。
そして、右各会社は、同年五月一五日業績低下により資金繰の苦しい中を確定した右罰金額を完納した。
右各控訴取下及び罰金完納は、被告人の本件に対する反省改悟の情からなる働き掛けを受けて、右各会社において決断し、実行したものである(原審における弁護人提出の証拠書類一覧表24、25の書証、原審における被告人の供述)。
(4) 被告人は、本件発覚後、その社会的責任を痛感し、自発的に木元不動産の代表取締役及び関連会社の役員の地位をすべて辞任して一線を退いたほか、木元不動産においては三井不動産販売の特約店を辞退し、また、業者間の親睦団体である三井不動産系の彌生会、小田急不動産系の親交会、安田信託系の信和会、三井ホーム系の三栄会のいずれもから自発的に退会した(木元第九回公判の供述)。
右親睦会等に加盟していることは、特別な人脈と信頼関係を重視する不動産業界において取引上極めて有利であり、企業の存立に重大な意味を有するものであるにもかかわらず、あえて今回の責任をとったものであり、被告人の反省が並々ならぬものであることを示している。
右のとおり、被告人が一線を退いて謹慎し、かつ、木元不動産において各親睦会から退会したこと、本件が新聞で大々的に報道され、激しい社会的批判を浴びたことなどが重なり、本件後、木元不動産及びベルウッド商会の業績は落ち込みをみせている(木元第九回公判の供述)。被告人らが厳しい社会的制裁を受けていることは明らかなのである。
なお、木元不動産では、三井不動産販売との特約店契約の締結に伴い、三井不動産販売の未公開株一万株を取得していたのであるが、右特約店の解消に伴い、同社から右株を同社の指定する会社に譲渡することを求められ、原審における弁護人提出の証拠書類一覧表16有価証券譲渡約定書のとおり(ただし、本来の日付は被告人が逮捕された当日の昭和六二年九月二一日となっていたが、三井不動産販売の意向により、譲渡日を被告人の逮捕日より前に遡らせるため、後日において当初の譲渡契約書を破棄し、改めて昭和六二年九月一七日付で書面を作成させられたことを付言しておく。)、一株当り金三九二円で株式会社トナミ不動産に対して譲渡することを余儀なくされたのであった。
三井不動産販売の株は、その後現実に上場されるに至ったものであるが、上場後は一株当り金一万円の値をつけたこともあり、上場後の譲渡に比べ、右のとおり廉価(金一億円弱の損失)で処分せざるを得なかったのである。
(三) 実刑判決を受けた場合の影響について
被告人は、これまで木元不動産及び関連会社の実質的オーナーとして金融機関等から絶大な信頼をえてきたのであり、現在、責任をとって一線の役職から身を引いたとはいえ、仮に本件で実刑に処せられることにでもなれば、被告人の意志にかかわらず、木元不動産及び関連会社が重大な危機に直面し、回復不可能なほどの甚大な打撃を受ける恐れが大である。
(1) すなわち、まず、木元不動産の金融機関からの借入をみてみると、平成一年四月現在、メインの三井信託銀行から約二〇〇億円、商工中金から約三三億円、第一勧業銀行から約四〇億円、三菱銀行から約二二億円、安田信託銀行から約七億円、その他から約二〇億円、ファイナンス系から約一〇億円の残債があり、金利だけでも年間約数十億円の支払いをしている。また、木元不動産が中核となって中小企業協同組合法により設立したケージー都市開発協同組合の関係では、商工中金から約六〇億円の借入をして各組合員に転貸しており、これについては各組合員が相互に連帯保証する形になっている。
ところで被告人が本件で告発を受け(昭和六二年七月)、逮捕され(同年九月二一日)て以降、木元不動産の借入金残高は、三井信託、第一勧銀、商工中金、三菱銀行、安田信託の各主要金融機関からの借入分が確実に減少しているのに対し、ファイナンス系からの迂回融資による借入分がかなり増加している。ちなみに、昭和六一年九月と平成元年四月とを対比してみると、その間の木元不動産の各主要金融機関からの借入金残高の減少は金一三一億六六〇〇万円であるのに対し、ファイナンス系からの借入金残高の増加は金九二億八〇〇〇万円に及んでいる。
右は、右各主要金融機関が本件発覚後、新規融資を全面的に手控えたため、木元不動産がやむをえず融資先をファイナンス系からの迂回融資に頼らざるをえなかったことによるものである。
ところで、原審における弁護人提出の証拠書類一覧表21融資明細書等から明らかなように、ファイナンス系からの借入条件は、商工中金からの借入に比べ、はるかに金利面で不利なものであり、実質年利率はファイナンス系が一六・一パーセント、商工中金が六・二パーセントで、その差は約一〇パーセントに及んでおり、また、六か月で返済した場合の実質負担年利率はファイナンス系が二五・一パーセント、商工中金が七・二パーセントで、この場合実にファイナンス系は商工中金の約三・五倍の高金利になっている。
右のとおり、本件の発覚により既に融資面で甚大な不利益を蒙っているほか、このうえ仮に、被告人の実刑が確定することになれば、各主要金融機関が借入金の弁済期延期の書き替えを拒否し、一括弁済を迫ることも予想され、そうすると、木元不動産グループの倒産の危機が現実化すること必至である。
(2) ケイジー都市開発協同組合員は木元不動産ほか九社であり、役員を含む人員は九四名に達し、家族数を含めれば少なくとも約三〇〇名程度が生活を依存していることになる。したがって、倒産となれば、これらの者が一挙に生活危機に直面し、路頭に迷うことになりかねない。
(3) 木元不動産の金融機関からの借入については、すべて被告人が個人として連帯保証することを求められていた。そして、本件発覚後、木元不動産の代表取締役が佐久間博行に交替してからも、証書の書き替えに際しては、同様被告人が個人として連帯保証人欄に署名捺印することが要求されている。
一例を挙げれば、原審における弁護人提出の証拠書類一覧表22債務承認弁済契約証書から明らかなとおり、木元不動産が昭和六一年二月二七日に手形貸付の方法で商工中金から借入れた金二億三〇〇〇万円については、被告人が代表取締役であった昭和六二年一二月三一日の書き替えまでは弁済期を六か月毎として被告人が個人保証しており、それ以降の書き替えは弁済期が三か月毎に短縮され、代表取締役の佐久間博行の個人保証のほかに、被告人が同様に個人保証することを求められているのである。
ケイジー都市開発協同組合の借入れについても、同一覧表23金銭消費貸借契約証書、債務承認弁済契約証書から明らかなとおり、昭和六二年四月一日に証書貸付の方法で商工中金から借入れた金五億二〇〇〇万円について、木元不動産のほか、被告人が個人保証しているのであり、平成元年四月二八日の書き替えの際も、既に理事長や代表取締役の地位を退いた被告人の個人保証もやはり要求されているのである。
仮に、被告人が収監される事態となれば、右のような書き替えについての被告人の連帯保証が著しく困難になり、また、商工中金の担当者の言動によれば、被告人が収監された場合には、返済期限の繰延べを拒否し貸付金に一括返済を迫ることが必至であり、そうすると、かかる面からも木元不動産グループの倒産が現実化することが考えられる。
(4) また、商工中金から木元不動産に出向している広瀬太郎、ケージー都市開発協同に出向している安井幸一の両名(両名とも資金繰り等財務に深く関わっている)、を完全に引き上げることが予想され、この面からも、木元不動産等の経営に資金的かつ人的に大打撃を与えることが明白である。
特に広瀬太郎については、木元不動産及び関連企業に関する融資をふくめた財務一切を担当してもらっており、本件事件以降の商工中金以外の他の金融機関及びファイナンス会社の融資は同人の信用に基づき実行されている。
従って同人の担当する業務は余人をもって容易に替え難いものであり、同人が木元不動産及び関連企業の財務を担当しなくなれば、融資の実行は困難となる。
商工中金では、既に第一審判決後、不動産担保の貸付金については返済期限の延期を拒否しているため、当該不動産を売却して返済資金を調達することを余儀なくされているものもあり、原判決の結果、被告人が収監される事態となれば、まず、商工中金が木元不動産から全面的に手を引くことになり、更に他の金融機関もこれに同調することが十分予想されるところからすると、木元不動産及びそのグループ企業の倒産の危機が現実化するということは決して誇大な言い方ではないのである。
(四) 被告人は改悛の情顕著であり、再犯の恐れはない
既に、これまで述べてきたところからも、被告人が深く本件を反省していることは明らかであるが、更に次の点も指摘しておきたい。
(1) 木元不動産及びベルウッド商会は、従来被告人の個人企業的な色彩が強く、同人のワンマン的体質が存在し、このことが今回の不祥事の原因の一つになったと考えられる。そこで、被告人らは、今回の事件を契機としてガラス張りの経営に徹することとし木元不動産及び関連会社の経営の体制等を大幅に刷新した。まず、会社組織については被告人個人のワンマン的体質を改め、取締役会の充実を図り、木元不動産及び関連会社の経営を合議制で進めて行くこととし、経理面においては、一定金額以上の入出金について稟議制を採用し、個人が単独で会社の資金を運用することができないよう監督して行くものとした。さらに、これまで顧問の岩元憲雄税理士に加え、かって国税局査察部等に永年勤務し、会社経理に精通した川島貢税理士にも木元不動産及び関連会社の経理に関与して貰い、会社の経理体制を充実させることにした。加えて、特例法上の監査法人による監査を受ける他、公認会計士による監査も定期的に行ない、会社の経理内容を厳格に監査して行くこととした(木元第九回公判の供述)。
こうした機構面からの改革も二度と今回のような事件を起こすことがないよう被告人自らが主体的、積極的に改めたものである。
(2) 被告人は、既に第一審の段階において、本件における反省心及び罪の償いを形に表わすため、贖罪の寄付として、昭和六三年二月四日財団法人交通遺児育英会に対し金一〇〇万円、同年四月二五日日本国民外交協会に対し金三〇万円、同年六月三日社会福祉法人中越福祉会に対し金一〇〇〇万円、同年八月一〇日法律扶助協会東京支部に対し金一〇〇〇万円、同年八月八日財団法人がん研究振興財団に対し金一〇〇〇万円の合計金三一三〇万円の寄付を実行している。
右寄付金の捻出は、すべて被告人が個人的に工面したものである(木元第九回公判の供述)。
更に、被告人は、本件に対する反省改悟の情から、贖罪の意図により第一審判決後左のとおりの各団体に各金額を各時期に寄付をした。
<1> 財団法人法律扶助協会に対し、平成元年五月一二日金三千万円
<2> 財団法人交通遺児育英会に対し、同日金三千万円
<3> 財団法人がん振興財団に対し、同日金三千万円
<4> 社会福祉法人中越福祉会に対し、同月一一日金一千万円
被告人の贖罪寄付の合計額は金一億三一三〇万円に達しており、右寄付先の団体はいずれも社会公共の利益に資することを目的とするもので周知のとおり一部の団体は国庫からの補助金等の支出を受けてその運営をしている。
従って、被告人の右各寄付は、間接的ながら社会公共の利益に貢献し、かつ国の財政にも寄与することとなっている。
なお、原審段階における金一億の贖罪寄付の金策も、被告人が自宅を担保に借入れしたものであって、決して余剰の金員ではない(原審における被告人の供述)。
(3) 被告人は、前述の贖罪寄付のほか、長崎県北松浦郡福島町所在の社会福祉法人惠日会に原審判決時点までに約三〇〇万円の援助をしたほか、平成三年三月二〇日にも金七〇〇万円の追加援助をしており、更に今後の引き続いての援助も約している。別紙添付の領収証及び上申書が右事実を証するものであるが、特に、右上申書では、被告人に対する執行猶予付の寛大なる判決を願う旨の心情が吐露されていることを御理解願いたい。
三 結語
1 以上、犯情事実及び一般情状で述べた諸点を総合考慮すれば、被告人に対し、執行猶予付の判決を言い渡すべきところ、原判決は実刑をもって臨んだのである。
2 近時、本件のような脱税事犯について、重罰化の傾向が顕著となってきたようである。不公平な税制の下において、脱税行為に対する社会(特に不公平感を強く抱く給与所得者層)の憤りから、反社会的性格を強調して、この種事犯を自然犯としてとらえようとの見解が右の傾向を推進しているもののようである。
しかし、脱税行為が、単に国の課徴税権の侵害のみでなく、申告納税制度を害する反社会的性格を帯有するとしても、そして、この種事犯を抑止しようとの一般予防の必要性がいかに強調されようとも、その科される刑罰は、異なる罪質の他の犯罪との対比を含め、なされた行為との均衡を無視することは許されない。
そして、強調される一般的抑止機能の面からみても、同種事犯に実刑が出現した昭和五五年以降の検察庁における新規受理件数の推移は、右機能の効果を肯定する数値を顕わしていない(犯罪白書・昭和六〇年版及び昭和六三年版)。
また、こうした重罰による犯罪の一般抑止が必ずしも成功しないものであることは、交通事故による業過事件数の推移によっても実証されているといえる。そして、一般抑止機能の強調は、しばしば刑罰の重罰化、形式的基準化を進行させ、刑罰の特別抑止機能を閑にし、刑罰の個別化に反することとなる。
3 被告人に関する犯情及び一般情状については既に指摘したとおりである。
原判決は、被告人の刑の量定について、同種事犯の形式的基準性にのみ依拠して、被告人につき存する個別的諸情状に依拠した個別的検討を実質的に等閑視したものといわざるをえない。
したがって、被告人に対してなした原審の実刑判決は、甚だしく不当であり、著しく正義に反するというべきであるから、是非とも原判決を破棄したうえ、執行猶予付の判決の言い渡しをお願いしたい。
上申書
住所 長崎県北松浦郡福島町端免日浦七八番地
上申者 社会福祉法人「恵日会」理事
軽費老人ホーム「慈光園」施設長 森隆夫
被告人 木元隆
昭和九年九月一九日生
右、木元隆殿には、法人税法違反被告事件につき、東京高等裁判所にて、平成二年十一月十四日、実刑の判決を受けた旨は関知いたしておりますが、同氏は大変慈善心の深き方で、かねてより社会福祉に御理解をいただき、御寄附下さった金員は老人ホーム及び保育園の施設運営の充実に役立たせていただいて居ります。又、引続いての援助を従前、約束をしていただいていました。
しかるところ、今般右事件を惹起したことに対する社会公共に対する贖罪のしるしとして、更に金七百万円也の浄財の御寄附を下され、受寄者たる社会福祉法人としては大いに感謝いたしております。又、同氏は今後とも同氏が健在である限り将来に亘り応分なる継続の寄附を約して下さって居ります。
同氏は従前の経緯により明らかのように、慈善心溢れる公共につくされる方でありますので、同氏が健在で社会人として活躍されることは、その成果を公共・慈善にもつくされることにも結びつくことでもあります。同氏は現在56才でいわば働きざかりの時でもあります。
以上の点を考えますと昨年(平成二年十一月十四日)に言渡された同氏に対する実刑の御判決は同人のその他の諸事情を総合いたしますとき私共としては、同人の社会人としての滅亡を意味するもので、大変悲しいことと受けとめて居ります。つきましては、何卒、裁判所の御慈悲をもって、同人に対し右判決を取消されて執行猶予の御願を賜りますよう、同人の為に伏して上申に及ぶ次第であります。
右拙文ですが、伏して上申致します。
平成三年三月二一日
最高裁判所
裁判官様
<省略>