最高裁判所第二小法廷 平成2年(あ)891号 決定 1991年4月05日
本籍
福岡県山門郡大和町大字豊原七六三番地
住居
同 大川市大字一木一〇五八番地の七
会社役員
高口多吉
昭和一三年一一月八日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年七月一九日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人村井正昭、同永尾廣久の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)
平成二年(あ)第八九一号
被告人 高口多吉
○ 上告趣意書
右の者に対する所得税法違反被告事件について、弁護人は左記のとおり上告の趣意を申述する。
一九九〇年一〇月二二日
右弁護人 村井正昭
右弁護人 永尾廣久
最高裁判所第二小法廷 御中
原判決には以下に述べる如く、刑訴法四一一条一、二、三号に該当する法令適用の誤り、重大な事実誤認、著しい量刑不当がある。
第一、原判決には法令の適用に誤りがある。
一、違法かつ不当な本件捜索・押収の実態
1、一九八八年一月二六日朝八時頃、福岡国税局所属の査察官が被告人自宅に突然訪れた。この時、被告人は前夜から伊勢参りに参加すべく自宅を留守にしていた。
右査察官らが、被告人宅を捜索にやって来た時、丁度、被告人の営む「高口家具工芸」では毎朝定例の朝礼の最中であった。被告人の妻静代(以下、単に「妻静代」という)は、事務所に人影を発見したので、お客の来訪と思い事務所内に入っていったところ、男らは入口のドア付近で身分証明書らしきものをチラリと示して「国税局から家宅捜索に来た」と告げた。妻静代は、その身分証明書を読み取ることも出来なかった。
妻静代は、税務署が来たことを事務員に連絡すべく、階段をおりかけたところ、氏名不詳(平野某と思われる)の査察官が「どこへ逃げるのか」「何してるのか、お前」などと怒号して、妻静代の襟首を背後からつかまえ、引っ張った。妻静代は、いきなり首が強く締められた感じで、一瞬息も出来ないほどであった。同時に、首が強く引っ張られたため、妻静代は右階段の手すり部分に腎部を強打し、同部分に赤いあざが出来てしまった。
まったく罪人扱いされ暴行た妻静代は、怒りを抑えて、ようやく平静心を取り戻し、その査察官に対して「今日は、主人がいません。私は許可できません」と言ったところ、「どこへ行っているのか」という質問が返ってきた。「昨夜から、三社参りに出かけています。今頃は船の中です」と妻静代が答えると、右査察官は、静代に対して相変わらず「今から連絡とる。どこか教えろ」という強圧的な対応であった。
妻静代がこのように拒否したにもかかわらず、被告人の事務所内の捜索が開始された。このとき、令状は妻静代には示されていない。
2、被告人の居宅は、事務所の上の階(三階)にあり、ここでも査察官らの立入り捜索が始まったが、これまた令状を示さないままであった。しかも、素手の男手でタンスの内部を引っ掻き回したため、妻静代の和服類は手垢で汚れ、衣類は乱れて皺がよってしまった。この点については、途中でそれに気付いた妻静代の抗議によって、それ以後、査察官らは白手袋を着用しての捜索に改めた。
妻静代は、まったく罪人扱いのまま、令状も示されず、査察官らの強引な振舞いをただ唖然として見守るほかはなかった。
査察官らは、この日夜一〇時過ぎにようやく被告人宅を引上げていったが、その際、妻静代に対して差押品を一つ一つ確認することもなかった。茫然自失、気も動転したままだった妻静代は、まったく何が差押えられ持ち去られたのかもわからないままであった。
二、違法収集証拠は排除されねばならない。
1、本件捜索・押収の際に、このように査察官による暴行が加えられたということはきわめて重大なことである。たとえ捜索・押収令状が発布されていたとしても、現場の立会人に対してこのような暴行を加えて、その威迫のもとに捜索・押収された証拠物は当該捜査から排除されるべきものと考えられる。
2、しかも、本件では、被告人自宅についての捜索・押収については、暴行を加えられた被害者である妻静代のみが立会ってなされたものであり、その押収品目録も確認されていないというのである。
3、税務調査の行き過ぎを認めて、国家賠償が認められた次のような事例も存在するのである。
すなわち、税務署員が、税務調査(任意)の際に無断で納税者の店舗内に立ち入った事件について、最高裁は「国税調査官が税務調査のため本件店舗に臨場し、被上告人の不在を確認する目的で、被上告人の意志に反して同店舗内の内扉の止め金を外して第一審判決物資図面<6>地点の辺りまで立入った行為は、所得税法二三四条一項に基づく質問検査権の範囲内の正当な行為とはいえず(最高裁昭和四五年(あ)第二三三九号同四八年七月一〇日第三小法廷・刑集二七巻七号一二〇五頁参照)、国家賠償法一条一項に該当するとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない」(最高裁第三小法廷昭和六三年一二月二〇日判決『税務新報』三三三号)とした。
このような違法行為を伴った捜査の場合には、その捜査自体が無効とされるべきである。
4、結局、被告人自宅から押収された書類当はすべて違法収集証拠として排除されるべきである。にもかかわらず、原判決はこれらをすべて不問に付してしまっているのであるから、ここには法令の適用の誤りがあるというべきでなる。
第二、原判決には重大な事実誤認があり、破棄を免れない。
一、被告人の供述調書には信用性に欠けるところがある。
1、被告人は、同年一月二六日朝、苅田港からサンシャイン号に乗船しているところを突然呼び戻されて、大川税務署に「任意同行」という名目で強制連行された。
被告人は、その後連日にわたる取調べに対しては誠心誠意これに応じて協力したのであるが、なにしろ全ての書類が国税局に押収されていて、時折帳簿を示されることはあるものの、ほとんどまったく記憶のみに頼って答弁せざるをえなかったため、被告人の供述調書には不正確なところが多々ある。
2、しかも、本件の早期決着を願う気持ちから、被告人はかなり取調官に迎合した面があり、その意味からも被告人の供述調書には真実に相反する部分が少なくない。
二、具体的事実誤認
1、(有)大卓からの架空仕入れについて
(一) 被告人は、昭和五九年度(有)大卓からの水増し仕入れ額を確定的に免れようと意図したわげではなく、当年度の申告の際の意図としては先仕入れと思慮していた。
しかし、(有)大卓の閉鎖、記帳ミスにより、結果的に水増し仕入れを計上したことになったものである。
(二) (有)大卓と高口家具との取引については、(有)大卓の売上帳と高口家具の仕入帳が同一であったことから、その実態を知ることができる。
前記水増し仕入分は、高口家具の売掛金と相殺されたわけであるが、高口家具の売掛金と原材料代金である。
(有)大卓の取引先が高口家具一社であり、同一代表者のもとで経営されていたことを考えるならば、二、〇〇〇万円余に上る原材料代金の支払いが残ることは通常ありえない。
このことは、検四〇号被告人検面調書添付資料<12>から明らかである。
即ち、(有)大卓の高口家具に対する売上は、昭和五九年一年間で四五、一九五、二一五円に過ぎないのである。
従って、水増し仕入れとの相殺対象となった売掛金自体も架空である、との被告人の主張が認められる。
(三) これに対し、原判決は具体的な事実誤認の主張がないとして、何らの理由も述べず排斥しているが、弁護人の主張を全く理解しないものである。
即ち、被告人の主張は、昭和六〇年度の被告人の課税所得を算出する際に、売上金について二〇、一〇八、二〇〇円を認定額から差し引くべきであるということであり、具体的な事実誤認を指摘している。
右金額を差し引かないことにより、脱税金額の認定も誤ったものとなっている。
2、アルバイト費用について
(一) 現に、アルバイトを雇用し、給与を支払いながら、現金出納帳に記載がなかったり、領収証が存在しないことは、被告人が営む程度の個人企業では不自然なことではない。
即ち、高口家具の場合、雇用するアルバイトは募集公告により、いわば飛び込みで来る者が多く、就労期間も短期間であることが多い。
このような場合、給与の支払が随時行われるため、領収証を貰わなかったりすることはよくあることである。
また、店主あるいは店主妻が立替払いすることも個人企業では珍しいことではなく、それが、その都度清算されず、ある時期に一括して行われることもある。
現に、被告人の記憶によれば、古賀キヨ子の他数人については、現実に稼働していたことが確実である。検察官は、その分として六〇万円余を復活して認めた旨弁明しているが、事実と合致しない。
(二) アルバイト給与が売上との対比で不自然なことは、既に、控訴趣意書で主張済みである。
この点について、検四六号五丁裏によると、(有)大卓の廃業が理由として挙げられ、説明されている。
しかし、この説明は全く事実に反するもので、訴追機関側が(有)大卓と高口家具とを、全く同一視していたことの現われである。
なぜなら、(有)大卓と高口家具の従業員は全く別個の雇用であり、勤務場所も業務も異なっていたのであるから、(有)大卓の廃業によって高口家具の従業員不足が生ずることはないからである。
昭和六一年度のアルバイト費用を基準とすると、昭和六〇年度、同五九年度のアルバイト費用が少額であることは、極めて、不自然である。
第三、原判決は著しく量刑不当である。
一、大川家具の不安定な構造
大川家具業界で倒産が多発していることは世間に有名な事実である。その激しさは一年間で一割の事業者が倒産して姿を消してしまうといわれるほどである。
被告人自身、これまで数限りなく不渡手形をつかまされてきた。昨日まで優良企業として衆目の一致する老舗の家具製造メーカーが、今日は倒産して経営者は行方不明になる、ということが何度あったか知れない。相当の資産が蓄えられていたはずであるのに、たちまちのうちに雲散霧消してしまう現実を幾多となく見てきた。
二、一審検察官は、被告人について犯行の動機について「何ら止むを得ない事情は認められず、単に功利的な利潤追求の目的のために敢行されたもの」として「情状酌量の余地はない」とした。
しかしながら、前記のとおり大川家具業界の実情をふまえるならば、被告人が多数の従業員の生活をかかえる責任ある経営者として節税をしようとしたこと自体は十分理解できるものとして同情の余地が十分認められるべきである。
三、本件査察による渋滞な影響
1、被告人の会社は本件査察後、いわゆる法人成りをとげたが、売上は三割近くも減少している。
2、これは、主として、被告人が査察を受けたことが新聞・テレビ等で大々的に報道されて得意先が被告人の会社との取引を敬遠したこと、あるいは得意先自身が査察官から被告人との取引状況について厳しく追及されたことによって、被告人との取引をさけるようになったことによる。
3、また、納入業者も査察後半減してしまった。
これは、取引先の業者が査察の影響で被告人の会社が経営危機に直面する恐れがあると先走った不安感を抱いたためである。
同様に従業員にも心理的不安を与え、被告人の会社から三人のベテラン技術者が退職してしまった。
四、高額罰金の支払い能力について
1、修正申告の結果、被告人が支払うべき本税、追徴税、加算税の総額は一九六、九四二、四五〇円に上っていた(弁第一号証)が、現在までに支払うことができたのは約一、五〇〇万円であり、未だ、一億八、〇〇〇万円の未払金がある。
右未払金については、未だ、完済するための全体的な支払計画すら立てられずにいる。
2、被告人の資産、収入から未払税の支払いが如何に困難かを詳述する。
(一) 不動産収入について
被告人は、自宅兼工場の外に鉄筋七階建のアパートを所有しているが、同土地・建物には一億五、六一二万八七三円の担保が設定されており、その返済額は毎月七六七、九二〇円である(弁第一四号証)。
これに対し、アパート賃料収入は毎月一三〇万円前後(共益費込み)であり、租税管理費を差し引くと手取り一〇〇万円程度となる。
従って、負債返済後の利益は月二〇万円強である。
(二) 預・貯金・有価証券について
被告人の預・貯金、有価証券の総額は弁第二号証、弁第七ないし一一号証によると
一三〇、九五七、八一七円
である。
これに対し、同書証によると借入金の合計が
一二〇、〇〇〇、〇〇〇円
に上っている。
従って、実質資産は、一、〇〇〇万円ばかりに過ぎない。
なお、借入金の使途であるが、何れも、本業である高口家具工芸あるいは(有)コーグチクラフト工業設備資金、運転資金のために発生したものである。
(三) (有)コーグチクラフト工業の業績について
以上のことから、被告人の収入の大半を占めるのが、(有)コーグチクラフト工業から支払われる役員報酬、妻の専従者給与、地代の三者であり、その合計は年間二、五〇〇万円程度である。
従って、単純に計算しても未払税額を完納するには、八年近くもの期間を必要とすることが分かる。
これも、(有)コーグチクラフト工業の業績が順調に推移して、初めて可能になるわけであるが、前記の如く、売上減少を生じ、一九八八年度決算は赤字となっている(弁第一九号証)。
しかも、長・短期を合わせた借入金の合計が一億三、〇〇〇万円を超えており(前同号証)、将来について楽観はできない。
3、このような経営状況下において、原判決が要求するような五、〇〇〇万円もの罰金は、到底支払えるものではない。
だからと言って、労役場留置という事態に至れば、被告人抜きで会社が成り立つわけはなく、即倒産ということになりかねない。