最高裁判所第二小法廷 平成20年(あ)1678号 決定 2009年12月07日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人A及び同Bの弁護人阿部清司ほかの上告趣意のうち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であり,被告人C及び同Dの弁護人谷宜憲の上告趣意のうち,判例違反をいう点は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切でなく,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
なお,原判決の認定するところによれば,本件の事実関係は次のとおりである。すなわち,被告人らは,本件事故現場である人工の砂浜の管理等の業務に従事していたものであるが,同砂浜は,東側及び南側がかぎ形の突堤に接して厚さ約2.5mの砂層を形成しており,全長約157mの東側突堤及び全長約100mの南側突堤は,いずれもコンクリート製のケーソンを並べて築造され,ケーソン間のすき間の目地に取り付けられたゴム製防砂板により,砂層の砂が海中に吸い出されるのを防止する構造になっていた。本件事故は,東側突堤中央付近のケーソン目地部の防砂板が破損して砂が海中に吸い出されることによって砂層内に発生し成長していた深さ約2m,直径約1mの空洞の上を,被害者が小走りに移動中,その重みによる同空洞の崩壊のため生じた陥没孔に転落し,埋没したことにより発生したものである。そして,被告人らは,本件事故以前から,南側突堤沿いの砂浜及び東側突堤沿い南端付近の砂浜において繰り返し発生していた陥没についてはこれを認識し,その原因が防砂板の破損による砂の吸い出しであると考えて,対策を講じていたところ,南側突堤と東側突堤とは,ケーソン目地部に防砂板を設置して砂の吸い出しを防ぐという基本的な構造は同一であり,本来耐用年数が約30年とされていた防砂板がわずか数年で破損していることが判明していたばかりでなく,実際には,本件事故以前から,東側突堤沿いの砂浜の南端付近だけでなく,これより北寄りの場所でも,複数の陥没様の異常な状態が生じていた。
以上の事実関係の下では,被告人らは,本件事故現場を含む東側突堤沿いの砂浜において,防砂板の破損による砂の吸い出しにより陥没が発生する可能性があることを予見することはできたものというべきである。したがって,本件事故発生の予見可能性を認めた原判決は,相当である。
よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官今井功の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
裁判官今井功の反対意見は,次のとおりである。
私は,本件事故について,予見可能性を肯定した原判断は,事実の認定に重大な誤りがあり,これを破棄しなければ著しく正義に反するものと考える。その理由は次のとおりである。
1 本件の最大の問題点は,本件事故発生についての予見可能性の有無である。具体的には,本件事故が発生した砂浜(東側突堤北方中央付近のケーソンの内側の砂浜)付近において,人の生命身体に対する危害がじゃっ起される陥没等が発生することが予見できたか否かである。第1審判決は予見可能性を否定し,被告人らを無罪としたのに対し,原判決はこれを肯定し,第1審判決を破棄して,本件を第1審に差し戻した。
2 本件事故の発生の状況及びその原因は多数意見の述べるとおりである。そして,被告人らは,本件事故発生以前から南側突堤沿いの砂浜及び東側突堤沿い南端付近の砂浜において繰り返し発生していた陥没についてはこれを認識し,その原因が防砂板の破損による砂の吸い出しであると考えて対策を講じていたことも多数意見の述べるとおりである。
その上で,多数意見は,原判決の認定する次の事実関係,すなわち,① 南側突堤と東側突堤とは,ケーソン目地部に防砂板を設置して砂の吸い出しを防ぐという基本的な構造は同一であり,本来耐用年数が約30年とされていた防砂板がわずか数年で破損していることが判明していたこと,② 本件事故以前から,東側突堤沿いの砂浜の南端付近だけでなく,これより北寄りの場所でも,複数の陥没様の異常な状態が生じていたこと,という事実関係の下では,被告人らは,本件事故現場を含む東側突堤沿いの砂浜において,防砂板の破損による砂の吸い出しにより陥没が発生する可能性があることを予見することができたというべきであるとする。
3 そこで,多数意見が前提とする上記の事実関係について考える。
①については,本件の証拠関係から明らかであるし,被告人らも特に争ってはいない。しかし,②については,次に述べるとおり,原判決の認定は維持することができないと考える。
第1審判決の認定によれば,本件事故前には,大規模な空洞が砂層中に発生しているのにその地表に何らの異状が認められないという現象が土木工学上よく知られていた一般的な現象であったとは認められないとするのが土木工学者の見解であるというのであり,原判決もこの認定自体は否定していない上,この認定を否定するに足る証拠はない。そうであるとすれば,本件事故以前に本件事故発生現場付近において陥没が発生していたか否かは,予見可能性を考えるに当たって重要なポイントとなるといわなければならない。そしてここにいう陥没とは,通常人が見て危険と感じる程度の陥没をいうことは当然であり,以下においても陥没というときはそのような意味である。
本件の証拠関係を見ると,本件事故前は,砂浜の陥没は,南側突堤内側の砂浜に集中して発生したことは明らかであって,南側突堤内側の砂浜で陥没が発生したことについては,数多くの証拠が提出されている。そして,この陥没については,本件砂浜を管理する明石市役所や国土交通省近畿地方整備局姫路工事事務所においても何回となく対策を協議し,陥没の修復や,立入禁止の措置を執っていた。すなわち,本件海岸については,市の土木部海岸・治水課の職員が定期的にパトロールして異状があれば市役所の担当部局に報告がされていたほか,市は財団法人明石市緑化公園協会に日常管理業務を委託しており,公園協会は,警備員を配置するなどしており,異状があるとの報告があったときには,その内容を海岸・治水課に報告していたのであるが,海岸・治水課の定期パトロールや公園協会からは,南側突堤の内側砂浜に陥没が発生した旨の報告が何回となく行われ,その都度対策について協議が行われているけれども,東側突堤内側の砂浜については,その南端付近を除いては,そのような異状は報告されていないのである。
これに反して,東側突堤の北方(本件事故発生付近の砂浜)において,本件事故以前に陥没が発生したとの証拠は,意外に乏しい。この点に関して,第1審において,5人の証人が,本件事故発生以前に東側突堤の北方で陥没があったのを見た旨を証言している。第1審判決は,これらの証言は,目撃時から証言時までの間に3年ないし4年という時間的間隔があり,陥没を見た時期や陥没発生の場所があいまいであるなど,これによっては,本件事故発生前の時点で,東側突堤北方で陥没があったことを認定するには十分でないとした。一方,原判決は,これらの証言から,平成12年夏ころから13年10月ころまでに東側突堤北方の砂浜でも複数の陥没様の異常な状態が生じていたことが推認されるとし,これと異なる第1審判決の認定には誤りがあるとする。
このように第1審判決と原判決の認定が異なっているところ,この点は証拠の評価に係る問題であるから,当審において事実審の認定に介入することには慎重でなければならない。しかし,たまたま本件砂浜を訪れた一般市民が発見できる程度の陥没があったのにもかかわらず,常時砂浜を管理していた市や公園協会,工事事務所の職員が,長期にわたってこれを見落としたということは考えにくい。原審は,この点について何らの証拠調べをすることなく,1回の期日で結審をし,第1審の認定を覆しているのであるが,これらの証言によっては本件事故発生以前の時点で東側突堤北方で陥没があったことを認定することはできないとする第1審判決の判断は合理的な認定であって,原判断は維持できないと考える。
4 以上の認定を前提とすると,本件事故発生以前の時期において,東側突堤北方の本件事故発生現場付近の砂浜で陥没があったことが認定できない以上,本件事故発生の予見可能性は認められないとの判断には合理的な根拠があるといわなければならない。
多数意見は,本件陥没は,防砂板の破損によって生じたものであるところ,南側突堤では防砂板の破損を原因として何回も陥没が発生しており,東側突堤も南側突堤と同様の防砂板が使われていたのであるから,南側突堤で陥没が発生した以上,東側突堤でも同様の陥没が発生することは予見可能であったという。しかし,本件事故以前に南側突堤内側では何回も陥没が生じていたのに,東側突堤北方内側ではそれが見られなかったという事実は,その原因が何であるかは必ずしも明らかではないとしても,厳然たる事実として,重く受け止める必要がある。本件砂浜は,南に面しており,波は南側から押し寄せるのであるから,南側と東側では,突堤に当たる波の強さも異なる(南側突堤に当たる波の方が強い。)のであって,南側突堤内側で起きたことが,東側突堤内側でも時をおかずして当然に起こり得るとはいえないというべきである。
5 本件事故は,被害者にとっては思いがけない悲惨な事故であり,本件の突堤及び砂浜という工作物の設置管理の瑕疵があったことは明らかであるけれども,これによる民事責任を問うことを超えて,被告人らに刑事責任を問うに足りる程度の予見可能性があったとすることには無理があるというべきである。
(裁判長裁判官 竹内行夫 裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀)