最高裁判所第二小法廷 平成20年(行ヒ)35号 判決 2009年4月17日
主文
1 原判決中,上告人X1の取消請求に関する部分を破棄し,同部分につき第1審判決を取り消し,同請求に係る訴えを却下する。
2 上告人X1のその余の上告並びに上告人X2及び上告人X3の上告を棄却する。
3 訴訟の総費用は上告人らの負担とする。
理由
第1事案の概要
1 本件は,上告人X3(以下「上告人父」という。)が世田谷区長(以下「区長」という。)に対し,上告人父と上告人X2(以下「上告人母」といい,上告人父と併せて「上告人父母」という。)との間の子である上告人X1(以下「上告人子」という。)につき住民票の記載を求める申出をしたところ,これをしない旨の応答を受け,その後も上告人母と共に同様の申入れをしたものの住民票の記載がされなかったことから,上告人らにおいて,被上告人に対し,上記応答及び住民票の記載をしない不作為が違法であると主張して,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償等を求めるとともに,上記応答が行政処分であることを前提にその取消しを求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1) 上告人父母は,平成11年以降,東京都世田谷区内で事実上の夫婦として共同生活をしている。上告人父母の間には,同17年3月▲日,上告人子が出生し,上告人父は,これに先立つ同年2月24日,我孫子市長に上告人子に係る胎児認知届を提出して受理された。
(2) 上告人父は,区長に対し,同年4月11日,自らを届出人として上告人子に係る出生届(以下「本件出生届」という。)を提出したが,非嫡出子という用語を差別用語と考えていたことから,届書中,嫡出子又は嫡出でない子(以下「非嫡出子」という。)の別を記載する欄(戸籍法49条2項1号参照)を空欄のままとした。このため,本件出生届には,上記の欄が空欄になっており,かつ,同法52条2項所定の届出義務者である上告人母ではなく,上告人父が届出人として記載されているという不備が認められた。区長は,上告人父に対し,これらの不備の補正を求めたが,拒否され,前者の不備については,届書の記載が上記のままでも,区長において届書のその余の記載事項から出生証明書の本人と届書の本人との同一性が確認されれば,その認定事項(例えば,父母との続柄を「嫡出でない子・女」と認める等)を記載した付せんを届書に貼付するという内部処理(以下「付せん処理」という。)をして受理する方法を提案したものの,この提案も拒絶された。そこで,区長は,同日,本件出生届を受理しないこととした(以下,これを「本件不受理処分」という。)。
(3) 上告人父は,区長に対し,同年5月19日,上告人子につき住民票の記載を求める申出をしたが,区長は,本件出生届が受理されていないことを理由に,上記記載をしない旨の応答(以下「本件応答」という。)をした。
(4) 上告人父母は,その後も区長に対し上告人子に係る住民票の記載を求める申入れをしたが,区長はこれに応じていない。
(5) 上告人父は,本件不受理処分を不服として,区長に本件出生届の受理を命ずることを求める家事審判の申立てをしたが,東京家庭裁判所は,同年12月2日,本件不受理処分に違法はないとして,同申立てを却下する決定をした。上告人父はこれを不服として抗告したが,東京高等裁判所は同18年1月30日,これを棄却する決定をし,これに対する特別抗告も同年9月8日の最高裁判所の決定により棄却された。上告人母は,その後も,現在に至るまで,上告人子に係る適法な出生届を提出していない。
(6) 上告人父母は,現在,世田谷区内で上告人子を監護養育している。なお,本件の第1審判決は,同19年5月31日,区長に上告人子に係る住民票の作成を命ずる判決を言い渡したが,被上告人は,原審の口頭弁論終結時(同年9月12日)までの間,本件出生届の提出後に上告人子の居住実態や通名(上告人子は出生届が受理されていないので戸籍上の名はない。)に変更を生じたなどの具体的な主張をしていない。
(7) なお,行政実務上,戸籍の記載と住民票の記載との連動を前提とした事務処理システムが全国的に構築されており,被上告人においても同様のシステムが導入されている。また,住民票は,行政実務上,選挙人名簿への登録のほか,就学,転出証明,国民健康保険,年金,自動車運転免許証の取得,都営住宅への入居等に係る事務処理の基礎とされているが,これらのうち,選挙人名簿への登録に関しては,上告人子が事実審の口頭弁論終結時において2歳であり,住民票の記載がされないことに伴う不利益が現実化しているものではない。その余の事務に関しても,被上告人は,住民基本台帳に記録されていない住民に対し,手続的に煩さな点はあり得るとしても,多くの場合,それに記録されている住民に対するのと同様の行政上のサービスを提供している。
第2職権による検討
原審は,本件応答が抗告訴訟の対象となる行政処分に当たり,その取消しを求める上告人子の訴えが適法な取消訴訟であることを前提として,同訴えに係る請求を棄却した。
しかし,上告人子につき住民票の記載をすることを求める上告人父の申出は,住民基本台帳法(以下「法」という。)の規定による届出があった場合に市町村(特別区を含む。以下同じ。)の長にこれに対する応答義務が課されている(住民基本台帳法施行令(以下「令」という。)11条参照)のとは異なり,申出に対する応答義務が課されておらず,住民票の記載に係る職権の発動を促す法14条2項所定の申出とみるほかないものである。したがって,本件応答は,法令に根拠のない事実上の応答にすぎず,これにより上告人子又は上告人父の権利義務ないし法律上の地位に直接影響を及ぼすものではないから,抗告訴訟の対象となる行政処分に該当しないと解される(最高裁昭和43年(行ツ)第3号同47年11月16日第一小法廷判決・民集26巻9号1573頁,最高裁平成2年(行ツ)第202号同3年3月19日第三小法廷判決・裁判集民事162号211頁参照)。そうすると,本件応答の取消しを求める上告人子の訴えは不適法として却下すべきである。
第3上告人らの上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 原審は,前記事実関係等の下において,次のとおり判示して,上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものと判断した。
法8条及び令12条2項によれば,市町村長は,戸籍に関する届書を受理したとき等,同項1号所定の場合に,職権で出生した子に係る住民票の記載をすべきものとされており,法はそれ以外の場合に,出生した子に係る住民票の職権記載をすることを予定していないというべきである。仮に市町村長が無戸籍の子につき職権で住民票の記載をすべき場合があるとしても,それは極めて例外的な場合に限られ,せいぜい,出生届をすることによって届出義務者や子が重大な不利益を被る場合で,かつ,戸籍法によって義務付けられた出生届の提出を届出義務者に求めることを社会通念上期待することができないような事情がある場合に限定されると解すべきである。
本件において上記のような事情があると認めることはできないから,本件応答及び区長がその後も上告人子につき住民票の記載をしなかったことを違法ということはできない。
2(1) 法は,市町村において,住民の居住関係の公証,選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り,併せて住民に関する記録の適正な管理を図り,もって住民の利便を増進するとともに,国及び地方公共団体の行政の合理化に資するため,住民基本台帳の制度を定めている(法1条)。住民基本台帳は,個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して作成する台帳であり(法6条),住民票には,住民の氏名,出生の年月日,男女の別,世帯主との続柄,戸籍の表示等を記載するところ,本籍のない者及び本籍の明らかでない者については,その旨を記載すべきものとされている(法7条)。また,市町村長は,新たに市町村の区域内に住所を定めた者その他新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者があるときは,その者につき住民票の作成又は記載をしなければならず(法8条,令7条),住民基本台帳に脱漏等があったときは,当該事実を確認して,職権で住民票の記載等をしなければならないものとされている(法8条,令12条3項)。そして,市町村長は,常に,住民基本台帳を整備し,住民に関する正確な記録が行われるように努めなければならないものとされている(法3条)。
これらの規定によれば,法及び令は,当該市町村に住所を有する者すべてについて住民票の記載をして,住民に関する事務処理の基礎とすることを制度の基本としていることが明らかである。このことは,出生届が受理されず,戸籍の記載がされていない子についても変わりはない。
(2) ところで,法及び令は,子が出生した場合,世帯主等に,転入届,世帯変更届等の届出義務を課することなく(法22条1項括弧書参照),出生届の受理等又はこれに関する関係市町村長からの通知に基づき,職権で住民票の記載をすべきものとしている(令12条2項1号,法9条2項)。そして,当該子につき出生届が提出されなかった場合において,当該子に係る住民票の記載をするための手続として,出生届の届出義務者に対し届出の催告等をし,出生届の提出を待って,戸籍の記載に基づき,職権で住民票の記載をする方法(法14条1項参照。以下「届出の催告等による方法」という。)と,職権調査を行って当該子の身分関係等を把握し,その結果に基づき,職権で住民票の記載をする方法(法34条参照。以下「職権調査による方法」という。)の2種類の手続を設けている。
両手続の優先関係ないし補充関係に関しては,法及び令に明文の規定は置かれていない。しかし,戸籍法52条1項ないし3項所定の者は,出生の届出をすることを義務付けられており(同法49条参照),その違反に対しては,届出の催告(同法44条)及び過料の制裁(同法135条)が予定されている。そして,法が出生した子に係る転入届等の届出義務を課さなかったのは,その義務を課すると,戸籍法の定める上記の届出義務に加えて二重の届出義務を課することとなるほか,出生届の提出を待って,戸籍の記載に基づき住民票の記載をする方が,戸籍の記載と住民票の記載との不一致を防止し,住民票の記載の正確性を確保するために適切であると判断されたことによるものと解される。また,法は,このような制度趣旨に基づき,住民票の記載を戸籍の記載と合致させるため,関係市町村長間の通知の制度(法9条2項)を設けている。なお,住民は,常に,住民としての地位の変更に関する届出を正確に行うように努めなければならず,住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならないものとされている(法3条3項)。このような法の趣旨等にかんがみれば,法は,上記の両手続のうち,届出の催告等による方法を原則的な方法として定めているものと解するのが相当である。
したがって,市町村長は,父又は母の戸籍に入る子について出生届が提出されない結果,住民票の記載もされていない場合,常に職権調査による方法で住民票の記載をしなければならないものではなく,原則として,出生届の届出義務者にその提出を促し,戸籍の記載に基づき住民票の記載をすれば足りるものというべきである。
(3) もっとも,上記(1)のとおり,住民基本台帳は,出生した子が当該市町村に住所を有する限り,戸籍の記載がされたか否かにかかわらず,最終的には,それらの子につきすべて住民票の記載をすることを制度の基本としており,その記載を基礎として,住民に関する事務処理が行われるのであるから,その記載がされなければ,当該子が行政上のサービスを受ける上で少なからぬ支障が生ずることが予想される。したがって,戸籍に記載のない子については,届出の催告等による方法により住民票の記載をするのが原則的な手続であるとはいえ,その方法によって住民票の記載をすることが社会通念に照らし著しく困難であり又は相当性を欠くなどの特段の事情がある場合にまで,出生届が提出されていないことを理由に住民票の記載をしないことが許されるものではなく,このような場合には,市町村長に職権調査による方法で当該子につき住民票の記載をすべきことが義務付けられることがあるものと解される。
(4) 本件においては,前記事実関係等のとおり,① 上告人父は上告人子に係る胎児認知届を提出して受理された,② 本件出生届は,嫡出子又は非嫡出子の別を記載する欄及び届出人欄の記載を除けば,添付された出生証明書の記載も含めて,不備のない届出であった,③ 上告人子は,現在も世田谷区内の上告人父母の住所で監護養育されており,その居住実態や通名に変更を生じたことはうかがわれないなどというのであるから,住民票に記載すべき上告人子の身分関係等は明らかであったというべきである。したがって,仮に区長において,上告人子につき上告人母の世帯に属する者として住民票の記載をしたとしても,法の趣旨に反する措置ということはできず,むしろ,このような措置を執ることで,上告人子に関する画一的な処理が可能となり,被上告人における行政上の事務処理の便宜に資する面もあるということができる。
それにもかかわらず区長が上記のような措置を講じていないのは,本件において,上告人母が上告人子に係る適式な出生届を提出することに格別の支障がないにもかかわらず,その提出を怠っていることによるものと考えられる。上告人母が上記提出をしていないのは,前記第1の2(2)の事情等からすれば,その信条に基づくものであることがうかがわれるところ,区長は,このような信条にも配慮して,付せん処理の方法による本件出生届の受理を提案したのであり,しかも,区長の本件不受理処分に違法がないことについては司法の最終的判断が確定しているのである。したがって,上告人母が出生届の提出をけ怠していることにやむを得ない合理的な理由があるということはできず,前記の特段の事情があるということもできないから,区長が上記のような措置を講じていないことが,この観点から法の趣旨に反するものということはできない。
(5) また,住民票の記載がされないことによって上告人子に看過し難い不利益が生ずる可能性があるような場合は,たとい上告人母の上記け怠にやむを得ない合理的な理由がないときであっても,前記の特段の事情があるものとして,区長が職権調査による方法で上告人子につき住民票の記載をしなければならないこともあり得ると解されるところではある。しかし,前記事実関係等によれば,上告人子においては,住民票の記載を欠くことに伴う最大の不利益ともいうべき,選挙人名簿への被登録資格を欠くことになるという点に関しては,その年齢からして,いまだその不利益が現実化しているものではなく,また,被上告人は,住民基本台帳に記録されていない住民に対しても,手続的に煩さな点があり得るとはいえ,多くの場合,それに記録されている住民に対するのと同様の行政上のサービスを提供しているというのである。なお,本件記録によっても,上記のような措置が講じられないことにより上告人子に看過し難い不利益が現に生じているような事情はうかがわれない。
したがって,区長が上記のような措置を講じていないことが,この観点から法の趣旨に反するものということもできない。
(6) 他に,区長において上記のような措置を講じていないことを違法とすべき特段の事情は見当たらない。
そうすると,区長において,上告人子につき上告人母の世帯に属する者として住民票の記載をしていないことは,法8条,令12条3項等の規定に違反するものではないというべきであり,もとより国家賠償法上も違法の評価を受けるものではないと解するのが相当である。
したがって,上告人らの損害賠償請求には理由がない。
3 よって,上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものとした原審の判断は是認することができる。論旨は採用することができない。
第4結論
以上のとおり,上告人子の取消請求に関する訴えは不適法であり,同訴えに係る請求につき本案の判断をした原判決は失当であるから,原判決中同請求に関する部分を破棄し,同部分につき第1審判決を取り消し,上記訴えを却下すべきである。そして,上記訴えは,不適法でその不備を補正することができないものであるから,当裁判所は,口頭弁論を経ないで上記の判決をすることとする。また,上告人らの損害賠償請求に関する上告は理由がないから棄却すべきである。
なお,その余の請求に関する上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官今井功の意見がある。
裁判官今井功の意見は,次のとおりである。
私は,上告人らの損害賠償請求を棄却すべきものとする多数意見の結論に同調するものであるが,世田谷区長が上告人子につき住民票の記載をしなかったことが住民基本台帳法(以下「住基法」という。)上違法ということはできないとする多数意見とは見解を異にし,区長が上告人子につき住民票の記載をしなかったことは,住基法による義務に違反すると考える。その理由は,次のとおりである。
1 地方自治法は,市町村(特別区を含む。以下同じ。)の区域内に住所を有する者を当該市町村の住民とし,市町村は,別に法律の定めるところにより,その住民につき,住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならないと定めている(同法10条1項,13条の2)。住基法は,この規定に基づき制定されたものである。
子が出生した場合には,その子は,地方自治法の定めに基づき住所を有する地の市町村の住民となる。この場合の住民票の記載について,住基法は,出生届の提出を待って,戸籍の記載に基づき職権で住民票の記載をする方法(届出の催告等による方法)と,職権調査を行って当該子の身分関係等を把握し,その結果に基づき,職権で住民票の記載をする方法(職権調査による方法)との2種類の手続を設けていること,前者の届出の催告等による方法を原則的な方法として定めていると解すべきこと,したがって,市町村長は,父又は母の戸籍に入る子について,出生届が提出されない結果,住民票の記載もされていない場合,常に職権調査による方法で住民票の記載をしなければならないものではなく,原則として出生届の届出義務者にその提出を促し,戸籍の記載に基づき住民票の記載をすれば足りるものというべきことは,多数意見の述べるとおりである。
2 しかし,届出の催告等による方法を促してもそれがされない場合には,次に述べるような理由から,市町村長は,職権調査による方法で住民票の記載をすべきことが義務付けられると解すべきである。
戸籍は夫婦とその子などの身分関係を公証するための公の登記簿であり,一方,住民基本台帳(個人を単位とする住民票を世帯ごとに編成して作成する台帳)は,住民の居住関係の公証等住民に関する事務の処理の基礎とするために,住民の住所等を記載する公の帳簿であり,両者は本来それぞれ独立の目的を持つ別個の制度である。子が出生した場合には,戸籍と住民票にその旨が記載されることになるが,戸籍法の規定に基づく出生届の提出による戸籍の記載があれば,その旨が住民基本台帳の編成を所掌する市町村長に通知され,市町村長が出生の事実を住民票に記載するという戸籍と住民票との連結の制度が採られている。これは,国民に対して,出生について,戸籍と住民票について,二重の届出義務を課さなくても,両者の所掌官庁間の連絡により住民票の記載ができること,及び,出生届に基づき住民票の記載をすることによって正確な記載ができることの二つの理由による。このことには合理性があり,届出の催告等による方法が原則的な方法で,職権調査による方法は補充的なものであるというのは,この意味であり,正当な解釈として是認できる。
ところで,住基法及び住民基本台帳法施行令の関係規定によれば,当該市町村に住所を有する者すべてについて住民票の記載をして,住民の居住関係の公証等住民に関する事務処理の基礎とすることを制度の基本としていることが明らかである。そのため,市町村長は,常に住民基本台帳を整備し,住民に関する正確な記録が行われるように努めなければならないものとされ,住民は,常に住民としての地位の変更に関する届出を正確に行うように努めなければならないものとされている(住基法3条)。すなわち,住基法は,当該市町村の住民すべてについて住民票を作成すべきものとし,住民に関する事務処理は,住民票の記載を基礎として行われることとしているのである。そして,住民に関する事務としては,国民健康保険,介護保険及び国民年金の各被保険者資格,児童手当の受給資格に関する事項等住基法に規定された事項のほか,学齢簿の編成,生活保護,予防接種,印鑑登録証明など多種,多様の事務が存在する。
市町村の住民は,住民であることによって,市町村から多種多様の行政サービスを受けることができる。市町村の区域内に住所を有する住民であるにもかかわらず,住民票に記載がされないことによって,行政上のサービスを受ける住民の側においては,これらのサービスを受けることができなかったり,たとえサービスを受けることができたとしても,住民票の記載がある場合に比較して,煩雑な手続を要するなど多くの不利益を受けることは明らかである。一方,市町村の側においても,住民票の記載がない場合には,その事務を処理する上で少なからぬ支障が生ずる。すなわち,各種の行政上のサービスの提供は,住民票の記載を基礎として行われるのであるが,住民票に記載されていないからといって,その住民に行政サービスを全く拒否することはできず,その住民に行政サービスを提供する場合には,市町村の側においても,その都度,住民票に記載されていないが実際には当該市町村に住所を有する旨の届出をさせたり,その事実の有無の調査が必要となるなど,住民票に記載があれば不要となる余計な手数を要することとなって,住民に関する事務がすべて住民基本台帳に基づいて行われるべきものとする住基法2条の趣旨にも反することになる。
このような住民基本台帳制度の趣旨に照らせば,子が出生した場合に,市町村の区域内に適法に住所を有する子について,届出の催告等による方法により住民票を記載することができないときは,市町村長は,職権調査の方法により住民票の記載をすべき義務があると解すべきである。多数意見も,住民票に記載されないことによって子に看過し難い不利益が生ずる可能性があるような場合には住民票に記載しなければならない場合もあり得るというが,住民の受ける行政サービスは,出生の時から始まるのであって,住民票に記載されないこと自体によって住民の側に重大な不利益が生じ,市町村の側においても少なからぬ支障が生ずることは上記のとおりである。一方,実際に区域内に住所を有することが確認できる住民について住民票の記載を拒否することは,市町村についても何の利点もないし,住民票の記載をしたからといって,市町村に何らの弊害も生じない。現に出生届が提出されない子について住民票の記載を行っている市町村が存在するが,それによって何らかの弊害が生じたという証跡はうかがわれない。
もちろん,出生した子について戸籍法の定めるところにより出生届を提出すべき義務を怠ることは許されることではなく,本件のように適式な出生届を提出しないことを理由とする出生届の不受理処分が違法でない旨の司法判断が確定したにもかかわらず,依然として適式な出生届を提出しないことは許容されない。出生届を提出しさえすれば住民票に記載されるのであるから,住民票に記載されないことについて,上告人母に責任があることは明らかである。しかし,そうであるからといって,市町村長の側で,そのことを理由として住民票の記載を拒否することは,関連が深いとはいえ,別個の制度である戸籍と住民基本台帳とを混同するものであって,先に述べたように,住基法の趣旨に反し,違法というべきである。住民票に記載されないことについて上告人母に責任があることは,国家賠償法による損害賠償責任を考える際に考慮すれば足り,かつそれで十分である。
3 以上のように,本件の住民票の記載を拒否した区長の措置は住基法による義務に違反し,違法であるといわなければならない。しかしながら,住基法上違法であるからといって,それにより国家賠償法上も直ちに違法となるわけではない。すなわち,本件は,上告人母が戸籍法の規定に違反して上告人子の出生届を提出しなかったため,区長が住民票に記載しなかったという事案である。ところで,戸籍に記載のない子については,出生届の提出を待って,戸籍の記載に基づき住民票の記載をするというのが,前記のように法の予定する原則的な方法であるとともに,従来の一般的な行政実務の取扱いであって,区長もこのような一般的な取扱いに従い,職権調査による方法で上告人子につき住民票の記載をする措置を講じなかったということができるのである。そうすると,区長の判断が,公務員が職務上尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然とされたものということはできず,区長の措置について国家賠償法1条1項にいう違法がないというべきである。
(裁判長裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫)