大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成21年(あ)191号 判決 2009年10月16日

主文

原判決を破棄する。

本件を広島高等裁判所に差し戻す。

理由

原審弁護人井上明彦,同神原多恵の事件受理申立て理由について

1  原審弁護人らの所論は,上告受理申立理由書「第4」記載のとおりであるところ,その趣旨は,要するに,被告人の検察官調書について,検察官の証拠調べ請求を却下した第1審裁判所の手続は相当であるにもかかわらず,原判決は,これらの調書が強制わいせつ致死,殺人の犯行場所を確定するため取調べの必要性が高く,検察官及び弁護人にその任意性について主張,立証の機会を与えないまま証拠調べ請求を却下したことに訴訟手続の法令違反があるとした点において,法令解釈を誤ったものであるから,その破棄を求めるというものと解される。そこで,検討する。

2  原判決の認定及び記録によれば,本件訴訟の経過等は,次のとおりである。

(1)  検察官は,平成17年12月21日,被告人を強制わいせつ致死,殺人,死体遺棄の罪で起訴したが,強制わいせつ致死,殺人(以下,これらを「本件犯行」という。)の犯行場所(以下「本件犯行場所」ともいう。)については,起訴状記載の公訴事実において,「A荘201号室の被告人方」としていた。なお,検察官作成の平成18年3月10日付け証明予定事実記載書面の「第3 犯行状況等」には,「被告人は,(中略)被害児童をA荘201号室の被告人方に連れ込み,殺害するとともに,わいせつ行為等をした」旨の記載に続いて「上記一連の過程において,同室内にあった毛布(以下「本件毛布」ともいう。)に同児の毛髪が付着した」との記載がされていたが,これを立証する証拠として被告人の供述調書は挙げられていなかった。

(2)  検察官は,平成18年3月10日,被告人の警察官調書1通(乙3),検察官調書10通(乙1,2,4ないし11)の証拠調べを請求したが,乙7ないし11の立証趣旨は,「弁解状況等」であった。弁護人は,第5回公判前整理手続期日(平成18年4月14日)において,これらにつき不同意の意見を述べた。第7回公判前整理手続期日において,争点及び証拠の整理の結果が確認され,検察官は,犯行場所に関し,被告人方室内に被害児童を連れ込んだことは,被告人方室内から領置された毛髪のDNA型が被害児童のそれと同じものであること,被告人方室内にあった毛布に人血が付着していることにより推認できると主張した。第1審裁判所は,被告人の供述調書については,採否留保のまま,公判を開いた。

(3)  被告人は,第1回公判期日の罪状認否において,本件犯行場所に関し,A荘の被告人方室内ではない旨を述べ,顕出された公判前整理手続結果においては,主要な争点の1つとして,本件犯行場所が「被告人方室内」か「A荘1階の階段付近」かが挙げられた。

(4)  検察官は,第1回公判期日の冒頭陳述において,被告人は,A荘前路上を通りかかった被害児童に声を掛けるなどして,同児を被告人方室内に連れ込み,本件犯行に及んだ旨主張するとともに,被告人方室内にあった本件毛布に,被害児童の毛髪や,同児のDNA型と被告人のDNA型とが混在した血液が付着したと主張した。弁護人は,同公判期日の冒頭陳述において,事件現場は,A荘2階の被告人方室内ではなく,A荘北側敷地内,階段下付近であると主張した上で,本件一連の行為が,室内ではなく屋外で行われたことは,被告人が当時正常な精神状態ではなかったことを根拠付けるものである旨主張した。なお,同公判期日で取り調べられた証拠によれば,被告人方4.5畳居間の押入れ天袋内から押収された本件毛布には毛髪が付着していたところ,その毛根のDNA型検査結果により,上記毛髪は,被害児童に由来するものとして矛盾がないこと,本件毛布には人血が付着しており,そのDNA型検査結果により,その人血には同児のDNA型と被告人のDNA型とが混在したものとして矛盾がないことが認められる。

(5)  検察官は,第4回公判期日における被告人質問の際,「被告人の平成17年12月18日付け検察官調書には,『本件犯行当日,被告人は,本件毛布を被告人方から外へは出しておらず,部屋の中に置いていた』旨の供述が記載されているが,取調べ検察官に対し,そう話したのではないか」との趣旨の質問をした。これに対する被告人の答えは,「はっきりとそういうことを言ったことはない」というものであった。また,被告人は,第3回,第4回公判期日の被告人質問において,「本件犯行当日の午後0時半ころ,本件毛布を洗濯しようと考え,A荘1階に置いてある洗濯機の所まで本件毛布を持って行ったものの,その洗濯機が小さかったので,無理に本件毛布を洗うと洗濯機が壊れるかもしれないと思い,本件毛布を折り畳んだ状態で,その洗濯機の左側に置いた。被害児童が死亡した後,本件毛布を広げ,同児を抱き上げてその上に置き,本件毛布で同児を覆った。同児の死体を遺棄した後,本件毛布を自室で干した」と供述した。

(6)  第4回公判期日において,弁護人は,被告人の供述調書の任意性を争う旨の意見を述べ,検察官は,主に殺意の存在及び被告人の責任能力を立証するため,被告人の供述調書を取り調べる必要がある旨の意見を述べたところ,第1審裁判所は,任意性を立証してまで取り調べる必要性はないとして,平成17年12月18日付け検察官調書2通(乙8,11。以下「本件検察官調書」ともいう。)を含めて被告人の供述調書の証拠調べ請求を却下した。検察官は,被告人の供述調書が,本件犯行を立証する上で必要不可欠なものであるなどの理由を述べて異議を申し立てたものの,第1審裁判所は,これを棄却した。

(7)  検察官は,第5回公判期日において,本件犯行場所につき,「A荘201号室の被告人方において」から「A荘及びその付近において」へと訴因変更を請求し,第1審裁判所は,これを許可した。

(8)  第6回公判期日において,論告及び弁論が行われた。検察官は,論告において,本件犯行場所に関し,毛布のような大型の寝具が,戸外に持ち出され,通常触れることのない人物の毛髪等を付着させて室内に戻ってくるということは,よほどの事情がない限りはないというべきであって,被告人方室内にあった本件毛布に同児の毛髪等が付着していた事実は,本件殺害行為及びわいせつ行為が被告人方室内で敢行されたことを限りなく指し示す事実とみなければならないと述べるとともに,本件犯行の態様,犯行の時間帯,通行人の存在,A荘階段付近の見通し状況などを指摘して,本件犯行が行われたのは,被告人方室内であったと認めるのが相当である旨主張した。そして,被告人に対して,死刑を求刑した。これに対し,弁護人は,本件犯行場所に関して,事件現場がA荘201号室被告人方室内であることについて合理的疑いを超える証明がされたとは到底いえないとし,本件事件現場はA荘201号室被告人方室内ではなく,A荘前の屋外であり,かような場所で本件事件が起きたことは,動機,殺意,わいせつ目的,被告人の責任能力を判断する上で,非常に重要な事実である旨を主張した。

(9)  第1審裁判所は,第7回公判期日において,被告人に対し無期懲役を宣告し,罪となるべき事実において,本件犯行場所を,変更後の訴因のとおり,「A荘及びその付近」であると認定し,争点に対する判断2(4)イ(ア)において,「被告人が本件殺害行為及び本件わいせつ行為を屋外で行った疑いは払拭できない」と,同2(4)ウ(ア)において,本件犯行は「B方前石段からA荘階段下を含めた敷地内あるいは当時の被告人方室内を含むA荘及びその付近を超えない範囲の場所で行われたものと認めることができるものの,更にそのうちのいずれかを確定することはできないから,その犯行場所については,A荘及びその付近の限度で認定できるにとどまる」と判示した。

(10)  これに対し,検察官は,量刑不当を理由に,被告人は,訴訟手続の法令違反,事実誤認,法令適用の誤り,量刑不当を理由にそれぞれ控訴を申し立てた。

(11)  原審裁判所は,第2回公判期日において,検察官に対し,本件犯行場所に関して,検察官の主張は,第1審判決が認定した「A荘及びその付近において,被害児童に対し第1審判示のとおりの強制わいせつに及び,同児を頚部圧迫による窒息により死亡させて殺害した」という漠然とした犯行場所及び犯行態様等を前提としているのか,それとも,本件検察官調書を含む被告人の検察官調書3通(原審検18ないし20)の証拠調べ請求の理由として検察官が主張している内容からすると,犯行場所や犯行態様等について,第1審判決が認定した事実よりも,もっと具体化された事実が認定できるということを前提としているとも解されるがどうか,と釈明を求めた。

(12)  検察官は,第3回公判期日において,要旨,以下のとおり釈明した。「(ア) 検察官主張の犯行場所は,論告にあるとおり,『被告人方』である。検察官が,犯行場所について訴因変更を請求したのは,犯行場所が『被告人方』であることを間接的に証明する証拠でもある被告人の検察官調書の証拠調べ請求が却下され,その裁判所の訴訟指揮などから,裁判所の心証が『実行の着手や実行行為が被告人方外である可能性もあるので,確定できない』としているのではないかと考え,『被告人方』と認定されない場合をおもんぱかって,念のために犯行場所を『A荘及びその付近において』と拡張したのであり,変更後の訴因においても犯行場所に『被告人方』が含まれることから予備的とはしなかったものである。第1審判決は,変更後の訴因のとおり,『A荘及びその付近において』としているが,これは,犯行場所が『被告人方』であることを否定したものではないことから,事実誤認とはいえず,事実誤認の主張はしなかったものである。したがって,検察官の主張は,漠然とした犯行場所を前提としているものではない。(イ) しかし,本件は,被告人が被害児童を殺害してわいせつな行為をしようと企て,同児に襲いかかり,わいせつな行為をして殺害したものであり,犯行場所が『被告人方』と認定されようと,それを含む『A荘及びその付近』であると認定されようと,その犯行の動機,態様,手口及び犯情が極めて悪質であることから,量刑に及ぼす情状に何らの軽重はない。」

(13)  原審裁判所は,第4回公判期日において,検察官主張の量刑不当の主張との関連性及び必要性に乏しいと判断して,検察官請求の原審検18ないし20の事実取調べ請求を却下した。

(14)  原審裁判所は,第5回公判期日に検察官及び弁護人の各弁論を経て弁論を終結し,第6回公判期日において判決を宣告したが,その内容は,第1審判決を破棄し,本件を広島地方裁判所に差し戻すというものであった。

3  原判決の理由の概略は,次のとおりである。

すなわち,「被告人方から押収した本件毛布に被害児童の毛髪及び人血が付着していたと認められることや,被告人質問の際,検察官が,被告人の検察官調書に,本件犯行当日,被告人が本件毛布を被告人方から外へは出しておらず,部屋の中へ置いていた旨の供述が記載されている旨発言していたことにかんがみると,本件犯行の場所を確定するために,本件検察官調書を取り調べる必要性は高く,そのことは,第1審裁判所も認識し得たというべきである。しかるに,検察官の立証趣旨の立て方が,本件検察官調書の内容を全く反映していないものであったという事情があるにせよ,第1審裁判所が,『任意性を立証してまで取り調べる必要性はない』という理由で,弁護人に対し,任意性を争う具体的事由について釈明を求めず,検察官に対し,任意性について立証を行う機会すら与えることなく,本件検察官調書を含む被告人供述調書全部の証拠調べ請求を却下したことは,証拠の必要性についての判断を誤り,合理的な理由なくして不当に証拠調べ請求を却下したといわざるを得ない。この点において第1審は審理を尽くしておらず,訴訟手続に法令の違反があるというべきである。本件が強制わいせつ致死,殺人という重大な事件であること,犯行場所は,いわゆる訴因を構成する重要な要素であること,刑事裁判は,事案の真相を明らかにし,刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現すべき使命を負っていること,本件検察官調書を取り調べれば,本件犯行場所について真相が解明される可能性が多分にあり,そうすれば,被告人が否認しているとはいえ,本件犯行の態様等が相当程度明らかになると思料される。第1審裁判所は,本件検察官調書を取り調べなかったことにより,本件犯行場所について事実を誤認したのではないかと考えざるを得ず,そうすると,上記訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかであるといわざるを得ない。そして,審級の利益も考えて,第1審において,同調書が証拠能力を有するか否か,その証拠調べ請求を却下すべきか否かについての審理を遂げるとともに,その結果に基づいて更に審理を尽くす必要がある。」というものである。

4  しかしながら,原判決は,刑訴法294条,379条,刑訴規則208条の解釈適用を誤ったものであって,刑訴法411条1号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。

(1)  刑事裁判においては,関係者,取り分け被告人の権利保護を全うしつつ,事案の真相を解明することが求められるが,平成16年に刑訴法の一部改正が行われ,刑事裁判の充実・迅速化を図るべく,公判前整理手続等(刑訴法316条の2ないし32),連日的開廷の原則(同法281条の6)が法定され,刑訴規則にも,証拠の厳選(刑訴規則189条の2)が定められて,合理的期間内に充実した審理を終えることもこれまで以上に強く求められている。したがって,審理の在り方としては,合理的な期間内に充実した審理を行って事案の真相を解明することができるよう,具体的な事件ごとに,争点,その解決に必要な事実の認定,そのための証拠の採否を考える必要がある。そして,その際には,重複する証拠その他必要性の乏しい証拠の取調べを避けるべきことは当然であるが,当事者主義(当事者追行主義)を前提とする以上,当事者が争点とし,あるいは主張,立証しようとする内容を踏まえて,事案の真相の解明に必要な立証が的確になされるようにする必要がある。

(2)ア  これを本件における「犯行場所」の認定,そのために原審裁判所が取調べの必要があるとした本件検察官調書,その採否を決するために必要な任意性立証の機会の付与等についてみると,確かに,第1審では犯行場所が被告人方室内か否かが主要な争点の1つとなっていたのであり,このことは,訴因が変更されても実質的に変わるものではない。そうすると,第1審裁判所においては,この点について検察官に対し適宜釈明を求め,更に立証を促すこと,特に,本件検察官調書には,被告人質問における検察官の発問からすると,本件毛布が被告人方室内から持ち出されていない旨の記載があることがうかがえることからすれば,当事者に釈明を求め,検察官に任意性立証の機会を付与するなど,その取調べに必要な措置を採ることも,選択肢としてはあり得たところではある。

イ  しかしながら,前記2でみたとおり,本件検察官調書は,検察官の証明予定事実記載書面において,犯行場所を立証する証拠として挙げられておらず,その立証趣旨も「弁解状況等」であって本件犯行場所の認定にかかわることを掲げるものではなく,第1審第4回公判期日においても,検察官は,本件検察官調書を含む被告人の供述調書が,主に殺意の存在及び被告人の責任能力を立証するため,取調べの必要がある旨の意見を述べたにとどまるものであった。前記(1)で述べたところにかんがみても,このように検察官が立証趣旨としていない事項について,検察官の被告人質問における発問内容にまで着目して検察官調書の内容やその証明力を推測して,先に述べたような釈明をしたり任意性立証の機会を付与したりするなどの措置を採るべき義務が第1審裁判所にあるとまでいうことはできない。そして,証拠の採否は,事実審裁判所の合理的裁量に属する事柄であるところ,本件訴訟の経過に照らせば,被告人の供述調書以外の犯罪事実に関する証拠を取り調べ,被告人質問を実施して一定の心証を形成していた第1審裁判所が,本件検察官調書の上記立証趣旨や検察官の意見を考慮し,任意性に関する証拠調べを行ってまで,本件検察官調書を取り調べることを考慮する必要はないと判断し,その取調べ請求を却下したとしても,直ちにこのような第1審の訴訟手続に違法があったということはできない。

ウ  さらに,原審の手続についてみると,検察官は,量刑不当のみを控訴理由とし,事実誤認を理由には控訴申立てをしておらず,原審における求釈明に対しても,「本件犯行場所が『被告人方室内』と認定されようと,それを含む『A荘及びその付近』であると認定されようと,その犯行の動機,態様,手口及び犯情が極めて悪質であることから,量刑に及ぼす情状に何らの軽重はない」旨釈明し,原審において,検察官はもはやその点を解明する必要があるとはしていないものと解される。

(3) 以上の訴訟経過からすれば,本件検察官調書の取調べに関し,第1審裁判所に釈明義務を認め,検察官に対し,任意性立証の機会を与えなかったことが審理不尽であるとして第1審判決を破棄し,本件を第1審裁判所に差し戻した原判決は,第1次的に第1審裁判所の合理的裁量にゆだねられた証拠の採否について,当事者からの主張もないのに,前記審理不尽の違法を認めた点において,刑訴法294条,379条,刑訴規則208条の解釈適用を誤った違法があり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よって,弁護人のその余の上告趣意に対する判断を省略して,刑訴法411条1号により原判決を破棄し,同法413条本文に従い,本件を原審である広島高等裁判所に差し戻すこととし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

検察官伊丹俊彦,同井上宏 公判出席

(裁判長裁判官 古田佑紀 裁判官 今井功 裁判官 中川了滋 裁判官 竹内行夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例