大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成21年(受)1539号 判決 2010年7月09日

主文

原判決中,上告人敗訴部分を破棄する。

前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人須藤耕二の上告受理申立て理由について

1  本件は,被上告人らが,X1(以下「X1」という。)の経理事務を担当していた上告人による横領等があったと主張して,上告人に対して不法行為に基づく損害賠償等を請求する本訴を提起したが,被上告人らの請求をいずれも棄却する第1審判決を受けたため,これを不服として控訴をしたところ,上告人が,原審において,被上告人らによる本訴の提起が不法行為に当たるとして,損害賠償を請求する反訴を提起した事案である。

被上告人らは,本訴の請求原因事実として,上告人による約70件の横領行為等(以下「本件横領行為等」という。)を主張し,X1は約2721万円,X2(以下「X2」という。)は約693万円,X3(以下「X3」という。)は約126万円,X4(以下「X4」という。)は約403万円の損害賠償をそれぞれ請求した。

被上告人らが主張する本件横領行為等の行為態様は,上告人が,①X1の業務に係る支払に充てるなどの名目で小切手(2件については約束手形)を無断で作成し,又は偽造して,これを現金化した上,同小切手金等を領得したというもの,②被上告人らの預貯金を無断で払い戻したり,解約したりして,払戻し等に係る金員を領得したというものであった。

2  原審は,X1の経理処理態勢等について,X1における小切手等の振出しは,上告人が所要事項を記入した小切手用紙にX2がX1の銀行届出印を押捺して行われていたこと,X2は同印章を外出時に妻などに預けるほか常に携帯していたこと,X2は,X1の振り出す小切手等の控えを入念に点検していたほか,会計事務所の担当者が毎月行う会計帳簿等の点検の際も立ち会っていたが,上記点検によっても使途不明金が発見されるなどの問題が生ずることはなかったことなどを認定した上,本件横領行為等を認めるに足りないとするにとどまらず,被上告人らが上告人において無断で作成し,又は偽造したと主張する小切手等の振出しや預貯金の払戻し等については,そのほとんどを,X2が自らこれを上告人に指示したもので,上告人において小切手等を現金化し,又は預貯金の払戻し等を受けた現金は,その多くをX2が上告人から受領し,その他についてもX1の業務に係る支払等に充てられたことを積極的に認め,本訴請求についてはこれを棄却すべきものとしたが,反訴請求については,本訴の請求原因事実である本件横領行為等を全体的にみれば,X2が自己の主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものであることを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて本訴を提起したなど,本訴の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものとまでは認めることができないとして,これを棄却した。

3  しかしながら,反訴請求を棄却した原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)  訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和60年(オ)第122号同63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁,最高裁平成7年(オ)第160号同11年4月22日第一小法廷判決・裁判集民事193号85頁参照)。

(2)  原審の認定するところによれば,被上告人らが主張する本件横領行為等に係る小切手等の振出しや預貯金の払戻し等のほとんどについて,X2が自らこれを指示しており,小切手金や払戻し等に係る金員の多くを,X2自身が受領しているというのである。

そうであれば,本訴請求は,そのほとんどにつき,事実的根拠を欠くものといわざるを得ないだけでなく,X2は,自らが行った上記事実と相反する事実に基づいて上告人の横領行為等を主張したことになるのであって,X2において記憶違いや通常人にもあり得る思い違いをしていたことなどの事情がない限り,X2は,本訴で主張した権利が事実的根拠を欠くものであることを知っていたか,又は通常人であれば容易に知り得る状況にあった蓋然性が高く,本訴の提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められる可能性があるというべきである。加えて,原審は,X1が本訴の提起に先立ち上告人により5億円程度の小切手が無断で振り出されたとして告訴をしたが,上告人は小切手金約34万円の業務上横領の嫌疑で逮捕勾留されたものの勾留期間満了前に釈放されたことを認定していることや,その後に提起された本訴の請求金額が合計約3900万円に達することなどをも考慮すると,なおさらである。以上によれば,X1及びX2の本訴の提起は,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとみる余地が大きい。また,X3及びX4についても,X2の子であって,X2の主張に依拠して本訴を追行していることがうかがわれることからすれば,これと同様に解することができる。

しかるに,原審は,請求原因事実と相反することとなるX2自らが行った事実を積極的に認定しながら,記憶違い等の上記の事情について何ら認定説示することなく,被上告人らにおいて本訴で主張する権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものであることを知りながら,又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて本訴を提起したとはいえないなどとして,被上告人らの上告人に対する本訴提起に係る不法行為の成立を否定しているのであるから,この原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は上記の趣旨をいうものとして理由があり,原判決中,上告人敗訴部分は破棄を免れない。

そして,不法行為の成否について更に審理を尽くさせるため,本件事案の内容及び審理の経過等にかんがみ,同部分につき,本件を原審に差し戻すこととする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 須藤正彦 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫 裁判官 千葉勝美)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例