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最高裁判所第二小法廷 平成21年(行ヒ)235号 判決 2012年4月20日

主文

1  原判決中上告人の請求を棄却した部分を破棄する。

2  前項の部分につき,本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

3  上告人のその余の上告を却下する。

4  前項に関する上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人井上善雄,同豊島達哉,同西浦克明の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について

1  本件は,大阪府大東市(以下「市」という。)の住民である上告人が,市が非常勤職員の退職の際に要綱に基づいて退職慰労金を支給していることは給与条例主義を定めた地方自治法204条の2等の規定に違反し違法であるとして,市の執行機関である被上告人を相手に,同法242条の2第1項4号に基づき,平成19年4月及び同年8月に市が非常勤職員に対して支出した退職慰労金相当額及びその遅延損害金につき,その支出当時における市長であったAに対する損害賠償請求並びに担当職員であったB,C及びD(以下,これら4名を「Aら」と総称する。)に対する賠償命令をすることを求めるとともに,同項1号に基づき,非常勤職員に対する退職慰労金としての公金の支出の差止めを求める住民訴訟である。

2  原審の確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1)  市は,長期勤続又は在職中の功績・功労に報いるため,「大東市非常勤職員の報酬等に関する要綱」(平成11年4月1日大東市要綱第40号。以下「本件要綱」という。)において,退職した非常勤職員に退職慰労金を支給する旨及びその額についての具体的な基準を定めていた。なお,市が平成10年度から同18年度までの間に本件要綱に基づいて非常勤職員に対して支給した退職慰労金の総額は計4342万7777円であった(以下,市の本件要綱に基づく非常勤職員に対する退職慰労金を「本件退職慰労金」という。)。

(2)  市は,平成19年3月31日付けで退職する非常勤職員1名に対し,総務部長であったBが支出負担行為を,人事課長であったCが支出命令をそれぞれ専決によって行った上,同年4月2日付けで本件退職慰労金238万1650円を支給し,同年7月31日付けで退職する非常勤職員1名に対し,人事課長であったDが支出負担行為及び支出命令をそれぞれ専決によって行った上,同年8月1日付けで本件退職慰労金31万2800円を支給した。

(3)  上告人は,平成19年10月23日,本件退職慰労金の支給は条例上の根拠を欠いているから地方自治法204条の2等の規定に違反するなどと主張して,既に支出された本件退職慰労金相当額の返還等を求める住民監査請求をしたが,市監査委員から同年12月11日付けで同監査請求を棄却する旨の通知を受けたため,同月18日に本件訴えを提起した。

(4)  第1審判決は,行政内部の規範にすぎない本件要綱に基づく本件退職慰労金の支給は地方自治法204条3項,204条の2等の定める給与条例主義に違反するもので違法であり,市は本件退職慰労金支給相当額の損害を被ったとした上,Aは故意又は過失があるから損害賠償責任を負い,B,C及びDは故意又は重大な過失があるから同法243条の2第1項所定の賠償責任を負うとして,上告人の請求を一部認容した。

なお,市は,第1審口頭弁論終結前である平成20年3月31日,本件要綱及びこれに基づく非常勤職員に対する退職慰労金制度を廃止した。

(5)  被上告人が第1審判決を不服として控訴したところ,市議会は,原審口頭弁論終結前である平成20年12月22日,4名の市議会議員から,第1審判決がその成立を認めた本件退職慰労金に係る市のAらに対する損害賠償請求権につき地方自治法96条1項10号の規定に基づいて権利の放棄を行う旨の議案の提出を受け,同日,これを可決する議決をした(以下,この議決を「本件議決」という。)。

3  原審は,上記事実関係等の下において,本件退職慰労金の支給に係る違法性の有無やAらの故意又は過失の有無などについて判断することなく,要旨,次のとおり判断し,市がAらに対して平成19年度に非常勤職員らに支給された本件退職慰労金相当額の損害賠償請求権を取得していたとしても,当該請求権は本件議決によって消滅したとして,Aらに対する損害賠償請求及び賠償命令を求める上告人の請求を棄却すべきものとした。

(1)  地方自治法96条1項10号が権利の放棄を普通地方公共団体の議会の議決事項としたことは,住民の意思をその代表者を通じて直接反映させる趣旨を含むと解されるから,権利の放棄の議決は,その長の執行行為を経ることなく,その効力を生ずるものと解される。

(2)  地方自治法96条1項10号は,法律,政令又は条例に特別の定めがある場合を除いて,広く一般的に普通地方公共団体の権利の放棄について議会の議決によるべきものと定めているところ,退職慰労金の支給の違法を原因とする損害賠償請求権の放棄について,法律,政令又は条例に何ら特別の定めは存しない。したがって,その放棄の可否は,住民の代表である議会がその発生原因,放棄による影響,効果等を総合考慮して行う合理的判断に委ねられており,本件議決は適法である。

4  しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)  地方自治法96条1項10号が普通地方公共団体の議会の議決事項として権利の放棄を規定している趣旨は,その議会による慎重な審議を経ることにより執行機関による専断を排除することにあるものと解されるところ,普通地方公共団体による債権の放棄は,条例による場合を除いては,同法149条6号所定の財産の処分としてその長の担任事務に含まれるとともに,債権者の一方的な行為のみによって債権を消滅させるという点において債務の免除の法的性質を有するものと解される。したがって,普通地方公共団体による債権の放棄は,条例による場合を除き,その議会が債権の放棄の議決をしただけでは放棄の効力は生ぜず,その効力が生ずるには,その長による執行行為としての放棄の意思表示を要するものというべきである。

なお,普通地方公共団体がその長に対して有する債権について,これを放棄する旨の議会の議決を経て,その長が当該普通地方公共団体を代表してその放棄の意思表示をする場合であっても,議会はその長による放棄の意思表示についても承認しているとみることができる以上,議会の意思に沿って本人である当該普通地方公共団体にその法律効果が帰属するものというべきである(最高裁平成12年(行ヒ)第96号,第97号同16年7月13日第三小法廷判決・民集58巻5号1368頁参照)。

(2)  地方自治法96条1項10号は,普通地方公共団体の議会の議決事項として,「法律若しくはこれに基づく政令又は条例に特別の定めがある場合を除くほか,権利を放棄すること」を定め,この「特別の定め」の例としては,普通地方公共団体の長はその債権に係る債務者が無資力又はこれに近い状態等にあるときはその議会の議決を経ることなくその債権の放棄としての債務の免除をすることができる旨の同法240条3項,地方自治法施行令171条の7の規定等がある。他方,普通地方公共団体の議会の議決を経た上でその長が債権の放棄をする場合におけるその放棄の実体的要件については,同法その他の法令においてこれを制限する規定は存しない。

したがって,地方自治法においては,普通地方公共団体がその債権の放棄をするに当たって,その議会の議決及び長の執行行為(条例による場合には,その公布)という手続的要件を満たしている限り,その適否の実体的判断については,住民による直接の選挙を通じて選出された議員により構成される普通地方公共団体の議決機関である議会の裁量権に基本的に委ねられているものというべきである。もっとも,同法において,普通地方公共団体の執行機関又は職員による公金の支出等の財務会計行為又は怠る事実に係る違法事由の有無及びその是正の要否等につき住民の関与する裁判手続による審査等を目的として住民訴訟制度が設けられているところ,住民訴訟の対象とされている損害賠償請求権又は不当利得返還請求権を放棄する旨の議決がされた場合についてみると,このような請求権が認められる場合は様々であり,個々の事案ごとに,当該請求権の発生原因である財務会計行為等の性質,内容,原因,経緯及び影響,当該議決の趣旨及び経緯,当該請求権の放棄又は行使の影響,住民訴訟の係属の有無及び経緯,事後の状況その他の諸般の事情を総合考慮して,これを放棄することが普通地方公共団体の民主的かつ実効的な行政運営の確保を旨とする同法の趣旨等に照らして不合理であって上記の裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たると認められるときは,その議決は違法となり,当該放棄は無効となるものと解するのが相当である。そして,当該公金の支出等の財務会計行為等の性質,内容等については,その違法事由の性格や当該職員又は当該支出等を受けた者の帰責性等が考慮の対象とされるべきものと解される。

(3)ア  しかるところ,原審は,本件議決に係る権利の放棄に関し,上記(1)のとおりその効力が生ずるのに必要な市長による執行行為としての放棄の意思表示の有無について何ら審理判断していない。

イ  また,原審は,本件訴訟の係属中にその請求に係る市のAらに対する損害賠償請求権を放棄する旨の本件議決がされたという事実関係の下において,上記(2)の諸般の事情の総合考慮による判断枠組みを採ることなく,上記諸般の事情のうち,本件議決の存在について認定判断するのみで,本件退職慰労金の支給に係る違法事由の有無及び性格やAらの故意又は過失等の帰責性の有無及び程度を始め,本件退職慰労金の支給の性質,内容,原因,経緯及び影響,本件議決の趣旨及び経緯,当該請求権の放棄又は行使の影響,本件訴訟の経緯,事後の状況などの考慮されるべき事情について何ら検討をしていない。したがって,これらの考慮されるべき事情について審理を尽くすことなく,原審摘示の事情のみを理由に直ちにAらに対する損害賠償請求権の放棄に係る本件議決が適法であるとした原審の判断には,審理不尽の結果,法令の解釈適用を誤った違法がある。

5  以上のとおり,原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決中上告人の請求を棄却した部分は破棄を免れない。そして,市長による放棄の意思表示の有無並びに上記4(2)及び(3)イにおいて説示した考慮されるべき事情について審理を尽くさせるため,上記の部分について本件を原審に差し戻すこととする。

なお,上告人は,原判決のうち非常勤職員に対する本件退職慰労金の支出の差止めを求める訴えを却下した部分に関する上告については,上告受理申立ての理由を記載した書面を提出しないから,この部分に関する上告は却下することとする。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官千葉勝美の補足意見がある。

裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。

私は,地方自治法242条の2第1項4号に基づく住民訴訟の対象とされている損害賠償請求権又は不当利得返還請求権を普通地方公共団体の議会が放棄する旨の議決がされた場合の裁量権の逸脱・濫用の有無の判断枠組み等について,次の点を補足しておきたい。

1  住民訴訟制度は,普通地方公共団体の財務会計行為の適正さを確保するために住民の関与を認めた制度であるが,地方公共団体の長などの執行機関に対しては,その故意又は過失により行われた違法な財務会計行為と相当因果関係のある地方公共団体の損害につき,個人責任を負わせることとし,そのことにより財務会計行為の適正さを確保しようとするものである。国家賠償法においては,個人責任を負わせる範囲について,同法第1条2項が公権力の行使に当たる公務員が故意又は重大な過失のあった場合に限定しているのと比べ,住民訴訟においては,個人責任を負う範囲を狭めてはおらず,その点が制度の特質となっている。

ところで,住民訴訟制度が設けられた当時は,財務会計行為及び会計法規は,その適法・違法が容易にかつ明確に判断し得るものであると想定されていたが,その状況は,今日一変しており,地方公共団体の財政規模,行政活動の規模が急速に拡大し,それに伴い,複雑多様な財務会計行為が錯綜し,それを規制する会計法規も多岐にわたり,それらの適法性の判断が容易でない場合も多くなってきている。そのような状況の中で,地方公共団体の長が自己又は職員のミスや法令解釈の誤りにより結果的に膨大な個人責任を追及されるという結果も多く生じてきており(最近の下級裁判所の裁判例においては,損害賠償請求についての認容額が数千万円に至るものも多く散見され,更には数億円ないし数十億円に及ぶものも見られる。),また,個人責任を負わせることが,柔軟な職務遂行を萎縮させるといった指摘も見られるところである。地方公共団体の長が,故意等により個人的な利得を得るような犯罪行為ないしそれに類する行為を行った場合の責任追及であれば別であるが,錯綜する事務処理の過程で,一度ミスや法令解釈の誤りがあると,相当因果関係が認められる限り,長の給与や退職金をはるかに凌駕する損害賠償義務を負わせることとしているこの制度の意義についての説明は,通常の個人の責任論の考えからは困難であり,それとは異なる次元のものといわざるを得ない。国家賠償法の考え方に倣えば,長に個人責任を負わせる方法としては,損害賠償を負う場合やその範囲を限定する方法もあり得るところである。(例えば,損害全額について個人責任を負わせる場合を,故意により個人的な利得を得るために違法な財務会計行為を行った場合や,当該地方公共団体に重大な損害を与えることをおよそ顧慮しないという無視(英米法でいう一種の reckless disregard のようなもの)に基づく行為を行った場合等に限ることとし,それ以外の過失の場合には,裁判所が違法宣言をし,当該地方公共団体において一定の懲戒処分等を行うことを義務付けることで対処する等の方法・仕組みも考えられるところである。)しかし,現行の住民訴訟は,不法行為法の法理を前提にして,違法行為と相当因果関係がある損害の全てを個人に賠償させることにしている。そのことが心理的に大きな威嚇となり,地方公共団体の財務の適正化が図られるという点で成果が上がることが期待される一方,場合によっては,前記のとおり,個人が処理できる範囲を超えた過大で過酷な負担を負わせる等の場面が生じているところである。

2  普通地方公共団体の議会が,住民訴訟制度のこのような点を考慮し,事案の内容等を踏まえ,事後に個人責任を追及する方法・限度等について必要な範囲にとどめるため,個人に対して地方公共団体が有する権利(損害賠償請求権等)の放棄等の議決がされることが近時多く見られるのも,このような住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なのであろう。そして,このような議決がされるに当たっては,その当否はもちろん,適否の実体的判断についても,法廷意見の述べるとおり,住民による直接の選挙を通じて選出された議員により構成される普通地方公共団体の議決機関である議会の裁量に基本的に委ねられているものである。そして,このような議会の議決の裁量権の範囲,適否については,対象となる権利・請求権が住民訴訟の対象となっている,あるいは,対象となる可能性があるという場合と,そうでない場合とで異なることはないというべきである。

しかし,権利の放棄の議決が,主として住民訴訟制度における地方公共団体の財務会計行為の適否等の審査を回避し,制度の機能を否定する目的でされたと認められるような例外的な場合(例えば,長の損害賠償責任を認める裁判所の判断自体が法的に誤りであることを議会として宣言することを議決の理由としたり,そもそも一部の住民が選挙で選ばれた長の個人責任を追及すること自体が不当であるとして議決をしたような場合が考えられる。)には,そのような議会の裁量権の行使は,住民訴訟制度の趣旨を没却するものであり,そのことだけで裁量権の逸脱・濫用となり,放棄等の議決は違法となるものといえよう。

法廷意見は,このような例外的な場合は別にして,一般に権利放棄の議決がされる場合,議会の裁量権行使に際して考慮すべき事情あるいは考慮することができる事情を示し,議会の裁量権の逸脱・濫用の有無に関しての司法判断の枠組みの全体像を示したものであり,議会としては,基本的にはその裁量事項であっても,単なる政治的・党派的判断ないし温情的判断のみで処理することなく,その逸脱・濫用とならないように,本件の法廷意見が指摘した司法判断の枠組みにおいて考慮されるべき諸事情を十分に踏まえ,事案に即した慎重な対応が求められることを肝に銘じておくべきである。

(裁判長裁判官 千葉勝美 裁判官 古田佑紀 裁判官 竹内行夫 裁判官 須藤正彦)

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