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最高裁判所第二小法廷 平成22年(行ヒ)175号 判決 2011年12月02日

主文

原判決を破棄し,第1審判決を取り消す。

被上告人らの請求をいずれも棄却する。

訴訟の総費用は被上告人らの負担とする。

理由

上告代理人倉田嚴圓の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について

1  本件は,三重県いなべ市(以下「市」という。)の住民である被上告人らが,第1審判決別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地」と総称する。)の賃借人として市が締結した賃貸借契約は,工場用地の開発に協力した住民に対して賃料の名目で協力金を支払うことを目的とするものであって違法,無効であるから,上記契約に基づく賃料としての公金の支出も違法であると主張して,市の執行機関である上告人を相手に,地方自治法242条の2第1項1号に基づき,上記契約に基づく賃料としての公金の支出の差止めを求めるとともに,同項4号に基づき,平成17年から同20年までの間にいなべ市長としてその支出命令をしたAに対して支払済みの賃料相当額計4000万円及びこれに対する遅延損害金の損害賠償請求をすることを求める住民訴訟の事案である。

2  原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1)  市内にある大安町(平成15年12月に合併により市の一部となるまでは三重県員弁郡大安町。合併以前の同町を以下「旧大安町」という。)門前(上記合併以前は大字門前)には,明治22年の町村制施行以前から入会集団である門前区が存在していた。門前区は,同町門前に居住する住民によって構成される団体である門前自治会に10年以上会費を納めた者によって構成される。上告補助参加人は,同町門前所在の宗教法人であるが,その意思決定を担う氏子が門前区の構成員と同一であるため,門前区は,その所有する土地について,上告補助参加人を名義人として所有権に係る登記を経由している。

(2)  本件土地及びその東側に隣接する土地上には,門前区が明治時代以前から管理してきた野入溜と称される上池,中池及び下池の三つのため池(以下「本件ため池」という。)があり,特徴ある陸生植物種が植生する湿地環境が存在するとともに,農業用水としても利用されてきた。旧大安町は,平成11年7月,本件土地(上池の全部及び中池の一部が所在する。)を含む本件ため池一帯の土地に係る所有権保存登記手続をした。

(3)  株式会社B(以下「B」という。)は,昭和55年頃から本件土地の近傍で工場を稼働させていたが,平成9年頃,当時旧大安町長であったAに対して上記工場の拡張を申し入れ,旧大安町は,C土地開発公社(以下「公社」という。)に対し,Bの工場用地拡張のための開発を目的として,大安二期工業団地造成事業(以下「本件開発事業」という。)の実施を依頼した。公社が策定した本件開発事業に係る土地利用計画においては,当初から,本件ため池の一部を埋め立てて工場用地とすることが予定されていた。

(4)  旧大安町は,Bから上記申入れを受けた後,本件開発事業の計画区域内にある自治会との間で本件開発事業への協力を得るための交渉を開始した。門前自治会を除く自治会は協力金の支払を条件として本件開発事業に同意したが,門前自治会のみは本件開発事業に反対した上,上記区域内に点在し,門前区が上告補助参加人の名義で所有する約5.7haの土地(以下「本件門前区所有地」という。)の売却も拒否した。しかしながら,旧大安町はその後も門前自治会と交渉を続け,遅くとも平成10年12月頃までには,① 旧大安町が門前区に対しその要求する約10haの本件土地を本件門前区所有地の代替地として提供し,うち約4.3haについては門前区が買い取ること,② 旧大安町が門前区ないし門前自治会に対し本件土地の賃料として今後年1000万円を支払うこと,③ 水利補償や代替水源の確保を行うこと等を合意した。

公社と門前自治会とは,同月頃,公社が本件ため池の水利利用権の補償金から上記約4.3haの土地に係る売買代金相当額を控除した残額12億1206万2500円を門前自治会に支払う旨の補償契約を締結し,公社は,門前自治会に対し同額を支払った。また,公社と門前区とは,平成11年10月,本件門前区所有地と,本件土地のうちこれと同面積の部分とを交換し,本件開発事業の完了時にこれらの引渡しをする旨の交換契約を締結した。さらに,旧大安町は,門前自治会に対し,他の自治会に対すると同様の算定基準に基づく協力金を支払った。

(5)  三重県知事は,平成11年6月11日,公社から提出されていた本件開発事業に関する環境影響評価準備書について,本件ため池には極めて重要な湿地環境が存在しているため,これを可能な限り残存させるよう検討する必要がある等の意見を述べた。なお,上記意見は,本件開発事業に係る開発許可の条件となるものではなかった。

Aは,同年9月,公社の理事長として,三重県知事との間で自然環境保全協定を締結し,本件開発事業の実施に当たって,自然の改変を最小限にとどめるとともに植生の回復その他適切な措置を講ずること,その措置として公園,緩衝緑地,造成森林及び残存緑地計18.3ha余りを確保すること等を約した。公社は,同年11月11日,同知事から本件開発事業に係る開発行為の許可を受けたが,本件土地は,本件開発事業に係る土地利用計画において,旧大安町が門前区から賃借することを前提に,全て残存緑地に含まれていた。

(6)  公社は,平成12年9月に旧大安町から所有権移転登記手続を受けていた本件土地につき,同14年7月2日,上告補助参加人に対する所有権移転登記手続をし,市は,同16年4月1日,賃貸人を門前区(契約書上の名義人は上告補助参加人),賃借人を市として本件土地を借り受ける旨の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結した。本件賃貸借契約においては,① 市は,本件土地を緑地帯として使用し,その環境保全に努めること,② 本件賃貸借契約の存続期間は平成16年4月1日から6年間とするが,期間満了の日前1か月までに賃貸人から何らの申入れもないときは,当該期間満了の日の翌日から更に1年間当該契約を更新したものとみなすこと,③ 当該契約の存続期間中でも,賃貸人から解約の申出があった場合には,市は整地後速やかに解約に応ずるものとすること,④ 賃料は年額1000万円とし,当事者間の協議の上で3年ごとに経済状態に応じて変更することができるが,当初の額は下回らないものとすること,⑤ 本件土地は門前野入管理委員会(その実体は門前区ないし門前自治会)の管理によって維持すること等が約定された。

(7)  市は,門前野入管理委員会に対し,本件土地の具体的な環境保全のための管理について指示はしておらず,調査等のための措置を講じていない。なお,公社は,3年に1回程度,本件開発事業による本件ため池の環境への影響について事後調査を行っている。

(8)  Aは,平成17年から同20年までの毎年,市長として,本件賃貸借契約に基づく門前区に対する賃料としての1000万円の支出命令をし,市は,上記期間内に,これに基づいて門前区に対し計4000万円を支払った。

(9)  上告人は,本件開発事業の結果,本件賃貸借契約に基づく賃料を大きく上回る税収増加が見込まれ,住民の雇用機会も増大したところ,本件土地を代替地として提供しない限り本件門前区所有地を取得して本件開発事業を実施することはできず,また,市が本件土地を本件開発事業に係る土地利用計画における残存緑地として管理する必要もあったから,本件賃貸借契約の締結には合理性がある旨を主張している。なお,記録によれば,本件開発事業によって,市の固定資産税収入は年約4500万円,法人住民税収入は年約5億円それぞれ増加したほか,約700人分の雇用が創出されたことがうかがわれる。

3  原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断して,本件賃貸借契約が私法上無効であり,これに基づく賃料の支払が違法であることを理由に,その賃料としての公金の支出の差止め及びAに対する損害賠償の請求を求める被上告人らの請求を認容すべきものとした。

本件開発事業を行うためには本件門前区所有地の買収が不可欠であったこと,本件賃貸借契約が門前区側の要求を受け入れる形で成立した合意を基礎としていること,市がその賃料に見合うだけの自然環境保護のための措置を講じている形跡が認められないことなどに照らせば,本件賃貸借契約は,自然保護を名目としてはいるものの,真実は本件門前区所有地の買収に応じてもらうことにより本件開発事業を実施することのみを目的に締結されたものと解される。門前区ないし門前自治会は,本件ため池の水利権に対する補償金及び本件開発事業に対する協力金の支払を受け,新たな水源の確保も約束された上,本件門前区所有地の買収についても有利な条件で契約に至ることができたのであるから,これに加えて市が本件賃貸借契約の存続する限り賃料を支払い続けることは門前区ないし門前自治会を不当に優遇するものであるのみならず,今後の経済変動の状況によっては本件開発事業による税収入や雇用の確保も確実であるとはいえない。これらの事情を総合考慮すると,本件賃貸借契約を締結した市の判断には裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があり,本件賃貸借契約は私法上無効である。

4  しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1)  本件において,仮に,本件賃貸借契約を締結した市の判断に裁量権の範囲の著しい逸脱又はその濫用があり,かつ,これを無効としなければ地方自治法2条14項,地方財政法4条1項の趣旨を没却する結果となる特段の事情が認められるという場合には,本件賃貸借契約は私法上無効になり,上告人は,これに基づく賃料としての公金の支出をしてはならないという財務会計法規上の義務を負うことになるものというべきである(最高裁平成17年(行ヒ)第304号同20年1月18日第二小法廷判決・民集62巻1号1頁参照)。そして,上告人は,本件賃貸借契約の締結は本件開発事業の実施や本件土地の環境保全のために必要不可欠であったとの趣旨をいうところ,本件開発事業によって得られる税収入や雇用の増加といったいわゆる開発利益を実現したり,本件開発事業によって影響を受ける自然環境を保全したりするためにどの程度の公費を支出するか,これらの相対立する利益をいかに調整するかといった事柄に関する判断に当たっては,住民の福祉の増進を図ることを基本として地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う地方公共団体(地方自治法1条の2第1項)である市に,政策的ないし技術的な見地からの裁量が認められるものというべきである。したがって,本件賃貸借契約を締結した市の判断については,それがこれらの見地から上記のような事柄に係る諸般の事情を総合的に勘案した裁量権の行使として合理性を有するか否かを検討するのが相当である。

(2)  前記事実関係等によれば,旧大安町が本件開発事業の実施を確保するために本件門前区所有地を任意に取得しようとしたところ,当初これに反対し売却を拒否していた門前区は,その後の交渉の結果,代替地として本件土地を要求したものであり,旧大安町がその要求に応じなければ本件開発事業は実施することができない状況にあったものといえるし,旧大安町が上記要求に応じ,門前区が本件土地を取得するに至った経緯に照らし,門前区による本件土地の取得に何らかの無効原因が存在したことをうかがわせる事情もない。また,これにより実施が可能となった本件開発事業によって,現に相当程度の税収入の増加と雇用の創出が図られたというのである。

そして,前記事実関係等によれば,本件土地は,本件開発事業に係る土地利用計画において残存緑地として組み込まれていたのであり,公社の理事長としてのAが三重県知事との間の自然環境保全協定に基づき本件開発事業の区域内において本件土地を含む緑地を確保すべき責務を負っていたことをも併せ考慮すれば,本件土地の現状を残存緑地として維持し保全することは,本件開発事業の円滑な継続のために必要であるとともに,本件土地上に存在する特徴ある陸生植物種が植生する湿地環境の保全にも資するものということができる。そうすると,上記のとおり本件土地を代替地として門前区に提供せざるを得なかった以上,同区の所有に帰した本件土地の現状をできる限り維持し保全するために本件賃貸借契約を締結しその賃料として公費を支出することには,一定の公益性が認められるというべきである。もっとも,本件賃貸借契約は,存続期間を6年間とし,賃借人である市の側から更新をすることができず,存続期間中であっても賃貸人から解約の申出ができる内容となっており,本件土地の現状を長期にわたり残存緑地として保全する方策としては万全なものとはいい難い点があり,また,賃料の減額も制限されるなど,かなり門前区に有利なものであった。しかしながら,本件賃貸借契約の締結に際して市がこれらの約定に応じたのは,賃借人の側からの更新の約定を設けることに応じない門前区が自ら契約を更新する動機付けとなるに足りる金額の賃料を支払うことによって事実上その永続的な更新を確保する趣旨によるものと解され,本件土地の現状の維持及び保全という観点からは現実的でやむを得ないものであって,次善の策ともいえ,当該契約の目的に照らして不合理であるとはいえない。さらに,その賃料が特に高額であるといった事情があるともいえない。このほか,門前区が本件ため池の管理を明治時代以前から行ってきた経緯に加え,公社が本件開発事業による本件ため池の環境への影響について継続的に事後調査を行っていることをも併せ考慮すると,本件賃貸借契約において本件ため池の管理が門前区ないし門前自治会に委ねられている点も特に不自然であるとまではいえない。

以上によれば,本件土地の現状を残存緑地として維持し保全するために門前区との間で本件賃貸借契約を締結した市の判断には,相応の合理性があるというべきであり,裁量権の範囲の著しい逸脱又はその濫用があるということはできず,本件賃貸借契約が私法上無効になるものとはいえない。

(3)  そして,前記事実関係等に照らせば,門前区ないし門前自治会が本件門前区所有地の存在を奇貨として旧大安町ないし市に対し権利の濫用に当たるような著しく不当な要求をしたなどの事情があるとはいえず,他に,本件賃貸借契約が違法に締結されたものであるとか,それが著しく合理性を欠くためその締結に予算執行の適正確保の見地から看過し得ない瑕疵が存するなどといった,本件賃貸借契約に基づく賃料としての公金の支出が違法なものになることをうかがわせる事情(前記第二小法廷判決参照)も存しない。

(4) したがって,本件賃貸借契約に基づく市の義務の履行として,Aが門前区に対する約定の賃料としての公金の支出命令をしたこと及び上告人が門前区に対する上記賃料としての公金の支出をすることに,財務会計法規上の義務に違反する違法な点はないものというべきである。

5  以上と異なる見解に基づき,前記事実関係等の下において,被上告人らの請求を認容すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上に説示したところによれば,被上告人らの請求は理由がないから,第1審判決を取り消し,被上告人らの請求を棄却すべきである。

よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹内行夫 裁判官 古田佑紀 裁判官 須藤正彦 裁判官 千葉勝美)

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