最高裁判所第二小法廷 平成23年(受)392号 判決 2012年12月21日
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人中村直人,同倉橋雄作の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 本件は,上告人を再生債務者とする再生手続において,被上告人が届出をした再生債権につき,その額を0円と査定する旨の決定がされたことから,これを不服とする被上告人がその変更を求める異議の訴えである。被上告人は,上告人が提出し,公衆の縦覧に供された臨時報告書及び有価証券報告書に金融商品取引法(以下「金商法」という。)21条の2第1項にいう虚偽記載等があったため,上告人の株式を取引所市場で取得した被上告人が損害を被ったと主張して,同条に基づく損害賠償債権等につき,再生債権として届出をしている。
2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) 上告人は,不動産に関するコンサルティング業務等を目的とする株式会社であり,その株式(以下「Y株」という。)は,平成14年から平成20年9月までの間,東京証券取引所市場第一部に上場されていた。
(2) 上告人は,その事業資金を金融機関からの借入金で調達していたが,平成19年末頃から,不動産投資市場の冷え込み等により金融機関の不動産業界に対する融資姿勢が厳格化したため,新たな借入れや借換えが困難となった。上告人は,平成20年2月末から同年7月末までの5箇月間に約570億円の借入金を返済せざるを得ない状況にあったが,同年3月には,上告人が反社会的勢力と関わりがあるとの風評が広まって信用が低下し,その資金調達は一層困難となった。上告人は,同年6月末までに約200億円の借入金や約123億円の法人税等を支払う必要があったが,同月4日には,格付機関によって,上告人の社債の格付けが投機的水準とされる「BB+」に引き下げられるなどして,金融機関や市場からの資金調達はますます困難となっていった。こうした状況の下,上告人は,同年5月末頃から再生手続開始の申立て等について検討するようになった。
(3) 他方で,上告人は,平成20年6月初めから,米国の大手投資銀行であるAないしそのグループ企業(以下「A」という。)との間で業務・資本提携の交渉を開始し,その結果,同月中には,上告人が保有する物件等の売却により約169億円の資金を調達することに成功し,これを債務の返済に充てた。また,Aが同年8月にも上告人に対する株式の公開買付け(以下「TOB」という。)を実施することが見込まれるようになり,上告人は,同年6月19日,再生手続開始の申立ての検討を一旦中止した。同年7月には,Aから,上告人に対し,TOBを実施する意向が書面で伝えられた。
(4) 上告人は,更に資金調達を図るため,Aとの交渉と並行して,B(以下「B」という。)に発行総額を300億円とする転換社債型新株予約権付社債(以下「本件CB」という。)を発行することとし,平成20年6月26日に取締役会においてその旨の決議をした上で,同年7月11日,本件CBを発行し,Bから払込金の支払を受けた。
(5) 併せて,上告人は,平成20年6月26日及び同年7月8日,Bとの間で,要旨,①上告人が,同月11日,Bに対し,当初支払金として300億円を支払い,②Bが,同年6月27日から平成22年7月7日までの間を計算期間として,上告人に対し,Y株の平均市場価格に応じて計算された金額を変動支払金として支払うなどという内容の契約(以下,併せて「本件スワップ契約」という。)を締結した。
本件CBの発行に併せて本件スワップ契約が締結されたことにより,本件CBの発行によって上告人がBから受領した上記払込金が,本件スワップ契約に基づき,即座にBに当初支払金として支払われることとなったのに対し,その後上告人が得る変動支払金は,Y株の市場価格によって変動し,その市場価格が一定額を下回って推移した場合には,上記変動支払金が支払われない可能性もあった。
(6) ところが,上告人が平成20年6月26日に関東財務局長に提出し,公衆の縦覧に供された本件CB発行に係る臨時報告書(以下「本件臨時報告書」という。)には,本件CBの「手取金の使途」として,「本件取引により調達する資金につきましては,財務基盤の安定性確保に向けた短期借入金を始めとする債務の返済に使用する予定です。」とのみ記載されており,本件CBの発行による払込金が本件スワップ契約における当初支払金に充てられることはもちろんのこと,本件スワップ契約の存在そのものについても何ら記載されていなかった。また,上告人が同月30日に関東財務局長に提出し,公衆の縦覧に供された有価証券報告書(以下「本件有価証券報告書」という。)にも,本件CBの発行の「資金の使途」として,「債務の返済」とのみ記載されており,本件スワップ契約については何ら記載されていなかった(以下,本件臨時報告書及び本件有価証券報告書における上記の内容の記載等を「本件虚偽記載等」という。)。本件虚偽記載等は,金商法21条の2第1項にいう虚偽記載等に当たる。
(7) Aは,平成20年8月6日,上告人に対し,TOBの実施を見送る旨通知した。
(8) 上告人は,平成20年8月13日,関東財務局長に対し,本件臨時報告書の訂正報告書を提出した上,本件虚偽記載等の事実を公表するとともに,本件スワップ契約により58億円の営業外損失が発生したことを公表した(以下,上告人が本件虚偽記載等の事実を公表した日を「本件公表日」という。)。併せて,上告人は,同日,東京地方裁判所に再生手続開始の申立てをして(以下「本件再生申立て」という。),その旨を公表し,同月18日,再生手続開始の決定を受けた。
(9) Y株は,本件公表日の平成20年8月13日には,その市場価格が62円(終値)であったが,翌日以降大幅に値下がりし,同年9月14日,上場廃止となった。
(10) 被上告人は,Y株に投資していた個人投資家であり,取引所市場において,平成20年8月12日に3200株を22万0800円で,同月13日に100株を6800円で購入し,本件公表日後の同月15日,上記3300株を2万9700円で売却した。
(11) 被上告人は,平成20年9月10日,上告人の再生手続において,本件虚偽記載等を理由とする金商法21条の2に基づく損害賠償債権及びその不履行による損害金債権につき,再生債権として,その額を41万0850円及びこれに対する同年8月18日から支払済みまで年5分の割合による金員とする届出をしたところ(以下,この届出に係る債権を「本件債権」と総称する。),上告人は,その全額を認めなかった。そこで,被上告人が査定の申立てをしたところ,東京地方裁判所は,本件債権につき,その額を0円と査定する旨の決定をしたため,被上告人は,これを不服として本件訴えを提起した(なお,被上告人は,本件債権の額を15万8320円及びこれに対する同月18日から支払済みまで年5分の割合による金員と査定した第1審判決に対し,その額を19万7900円及びこれに対する同日から支払済みまで年5分の割合による金員とすることを求める限度で附帯控訴をしている。)。
3 原審は,上記事実関係の下において,本件虚偽記載等により被上告人に生じた損害の額につき,金商法21条の2第2項の規定により算定した上,同条4項又は5項の規定による減額の可否につき,次のとおり判断して,本件債権の額を19万7900円及びこれに対する平成20年8月18日から支払済みまで年5分の割合による金員と査定すべきものとした。
上告人の経営は,平成20年6月末には破綻状態にあり,そのことが市場にも明らかであったことからすると,Y株の値下がりは,本件虚偽記載等の事実が公表されたことで,上告人の信用が喪失し,今後の上告人の資金調達の見込みが失われたことにその原因があったと認めることができる。上告人は,同月末の時点で,資金調達の見込みがなければ,再生手続開始の申立てをしなければならない状況にあり,本件再生申立ては,本件虚偽記載等の事実の公表に伴って必然的に採らなければならない対応であったから,Y株の値下がりが本件再生申立てによって生じたものと認めることはできない。したがって,Y株の値下がりは,全て本件虚偽記載等の事実の公表により生じたものと認められ,それ以外の事情により生じたとは認められないから,金商法21条の2第4項又は5項の規定による減額をすることはできない。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 金商法21条の2第4項又は5項の規定による減額の可否について
ア 金商法21条の2第4項及び5項にいう「虚偽記載等によつて生ずべき当該有価証券の値下り」とは,当該虚偽記載等と相当因果関係のある値下がりをいうものと解するのが相当である(最高裁平成22年(受)第755号ないし第759号同24年3月13日第三小法廷判決・民集66巻5号1957頁参照)。
イ これをまず本件公表日後1箇月間のY株の値動きについてみると,本件公表日においては,本件虚偽記載等の事実とともに,本件再生申立ての事実についても公表されていることに照らすと,本件公表日後のY株の値下がりは,上記両事実があいまって生じたものとみるのが相当である。
そして,本件再生申立てによる値下がりが本件虚偽記載等と相当因果関係のある値下がりと評価することができるか否かについて検討すると,次のとおりである。上告人が本件再生申立てに至ったのは,前記事実関係のとおり,平成19年末頃から継続していた金融機関の融資姿勢の厳格化等に伴う資金繰りの悪化によるものである。本件虚偽記載等の事実の公表によって上告人の信用が低下した面があることは否定できないとしても,本件虚偽記載等や,その事実の公表に起因して,上記の資金繰りの悪化がもたらされたわけではない。また,前記事実関係によれば,Y株の市場価格次第では,本件スワップ契約による資金調達が見込めないわけではなかったのみならず,仮に本件CBないし本件スワップ契約による資金調達が実現しなかったとしても,上告人は,平成20年6月初めからAとの間で業務・資本提携の交渉を開始しており,実際にも多額の資金を調達することに成功して,これを債務の返済に充てていたほか,AによるTOBが同年8月に実施されることも見込まれ,同年6月19日には上告人が再生手続開始の申立ての検討を一旦は中止していたというのであって,本件虚偽記載等がされなかった場合に,こうしたAとの提携交渉までもが頓挫したことが確実であることをうかがわせる事情は見当たらない。そうすると,本件虚偽記載等がされた当時,上告人が倒産する可能性があったことは否定できないものの,上告人が既に倒産状態又は近々倒産することが確実な状態であったということはできず,本件虚偽記載等によってそのことが隠蔽されていたということもできない。そして,ほかに本件再生申立てによるY株の値下がりが本件虚偽記載等と相当因果関係のある値下がりであると評価すべき事情は見当たらない。
以上によれば,本件公表日後1箇月間に生じたY株の値下がりは,本件虚偽記載等の事実と本件再生申立ての事実があいまって生じたものであり,かつ,本件再生申立てによる値下がりが本件虚偽記載等と相当因果関係のある値下がりということはできないから,本件再生申立てによる値下がりについては,本件虚偽記載等と相当因果関係のある値下がり以外の事情により生じたものとして,金商法21条の2第4項又は5項の規定によって減額すべきものである。
ウ また,本件公表日前1箇月間のY株の値動きについてみると,記録によれば,Y株は,本件臨時報告書の提出よりも1箇月以上前の平成20年5月14日にその市場価格が716円(終値)となった以降,本件公表日に至るまで,ほぼ一貫して値下がりを続けていたことがうかがわれる。前記事実関係によれば,上告人は,当時,資金調達に困難を来すなど,その経営が危ぶまれる状態にあったのであって,上記値下がりには,上告人の経営状態など本件虚偽記載等とは無関係な要因により生じた分が含まれていることは否定できない。
なお,本件スワップ契約締結後の値下がりについては,Bが新株予約権を行使するなどして得たY株を市場で売却したことによって生じた分が含まれている可能性は否定できないが,仮にそうだとしても,上記のとおり,本件スワップ契約締結以前からY株がほぼ一貫して値下がり傾向にあったことなどに照らすと,本件公表日前の値下がりに本件虚偽記載等とは無関係な要因により生じた分が含まれていることは否定できないというべきである。
したがって,本件公表日前1箇月間のY株の値下がりには,本件虚偽記載等と相当因果関係のある値下がり以外の事情により生じた分が含まれているのであるから,この分についても金商法21条の2第4項又は5項の規定によって減額すべきものである。
エ 以上によれば,Y株の値下がりによって被上告人が受けた損害の一部には,本件虚偽記載等と相当因果関係のある値下がり以外の事情により生じたものが含まれているというべきであるのに,これを否定して,被上告人が受けた損害の全部が本件虚偽記載等により生じたものであるとして,金商法21条の2第4項又は5項の規定による減額を否定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由がある。
(2) 金商法21条の2第2項の適用について
ア 金商法21条の2第2項は,「公表日前1月間の当該有価証券の市場価額…の平均額から当該公表日後1月間の当該有価証券の市場価額の平均額を控除した額」を虚偽記載等により生じた損害の額とすることができると規定しているが,同項にいう「公表日前」及び「公表日後」に「公表日」を含まないことは,その文言上明らかである。したがって,同項にいう「公表日」が平成20年8月13日である本件においては,「公表日前」1箇月間とは同年7月13日から同年8月12日までを指すものである(ただし,同年7月13日は日曜日であって,市場取引が行われていないから,同月14日から同年8月12日までの市場価額の平均額を算出すべきこととなる。)。
しかるに,原審は,本件公表日である平成20年8月13日を「公表日前」1箇月間に含め,同年7月14日から同年8月13日までの市場価額(終値)の平均額をもって金商法21条の2第2項所定の損害の額を算定する基礎としているのであるから,原審の判断中この部分にも判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
イ また,金商法21条の2第2項を適用して損害の額を算定するためには,投資者が「公表がされた日…前1年以内」に当該有価証券を取得していることが必要であり,公表日に取得した有価証券について,同項を適用することが許されないことは,その文言上明らかである。
しかるに,原審は,本件公表日である平成20年8月13日に被上告人が取得したY株100株についても,金商法21条の2第2項を適用して損害の額を算定しているのであるから,原審の判断中この部分にも判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
(3) 結論
以上の次第であるから,原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は破棄を免れない。そして,被上告人に対する損害賠償の額について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官須藤正彦の補足意見がある。
裁判官須藤正彦の補足意見は,次のとおりである。
私は法廷意見に賛同するものであるが,所論に鑑み,Y株の本件再生申立てによる市場価額の値下がりと本件虚偽記載等との関係につき,なお少しく敷えんしておきたい。
1 法廷意見のとおり,上告人は,本件臨時報告書,本件有価証券報告書提出の頃,経営が危ぶまれる状態(以下「経営難」という。)にあったが破綻状態にあったわけではない。破綻状態とは,当該企業が単に格付機関による格付けが「BB+」に引き下げられたことや多額の負債を抱えているなどの状態にあるだけでなく,支払不能,債務超過又は事業の継続に著しい支障を来すことなく債務を弁済することができないといった状態に陥っていることを指すといえる(破産法16条,民事再生法21条,会社更生法17条参照)。一般に企業の経営難は,組織再編や事業上あるいは財務上の対応策が講ぜられることによって事業の継続がなされ打開され得る。この意味で,経営難の状態とはいわばそのような対応策が求められている状態であり,破綻状態とはいわばそれらの対応策が尽きて事業の継続が著しく困難になった状態であるということも可能である。本件臨時報告書,本件有価証券報告書提出の頃も,上告人は,法廷意見のとおり,経営難に陥ってはいたが,Aとの業務・資本提携などの対応策が実行の途次にあり,かつ,この後にその一部の実行をみたもので,その意味で事業の継続に著しい支障を来すという状態にあったというわけではないから,破綻状態に至っていたということはできないのであって,本件公表日の直近に至り,それらの対応策が結局奏功しないなどにより資金繰りが行き詰まり破綻状態に陥ったというものである。
2 次に,本件虚偽記載等は,経営難にある上告人が講じている財務上の対応策の内容につきその重要な一部に関して虚偽記載等を行っているというものであって,資本市場(株式市場)の信頼を甚だしく損ない,その健全な成長を妨げるものではあるとしても,破綻状態にあることを隠蔽した記載等を行っているとはいえない。もっとも,本件臨時報告書等において,本件CB発行に際してのスワップ契約などの仕組みについても過不足なく開示されたならば,上告人の資金調達について何らかの疑念を招き得,上告人にとって好ましくない風評も市場に流れるであろうことは容易に予想され,その結果,一時的な混乱は避け難いであろうが,だからといって上記の業務・資本提携などの対応策が頓挫しあるいは破綻状態に至ることが確実であることをうかがわせる事情は見当たらない。むしろ,このような一時的混乱は適宜の対応措置が講ぜられれば早晩解消され得るともいえるから,虚偽記載等が行われないのであれば確実に破綻状態となり再生申立てを行うに至るとまではいえないというべきである。
3 上告人は,虚偽記載等の公表日当日に本件再生申立てをも行ったものである。それは資金繰りが行き詰まって破綻状態となったからであるが,そのような事態は,本件虚偽記載等及びその公表という事実によるものではなく,前記のとおり,本件公表日の直近時に前記の業務・資本提携策などの打開策が功を奏さなかったからである。更には,本件虚偽記載等の公表自体が上告人を必然的に破綻状態にさせ,再生申立てに至らしめるという性質を有することをうかがわせる事情は見当たらず,したがって,本件虚偽記載等と本件再生申立てとを一体視することもできない。
4 結局,本件虚偽記載等は,本件臨時報告書等の提出及びその公表のいずれの段階においても上告人の破綻状態とは有意の結びつきは認められず,本件再生申立てによるY株の値下がりは本件虚偽記載等と相当因果関係ある値下がりとは評価され得ない。再生申立て後の当該株式の市場価額の暴落は経験則上明らかで,このことは原審も認めるところ,それは虚偽記載等と相当因果関係ある値下がり以外の事情によるものとして上告人により主張立証されることで,金商法21条の2第2項によって推定される金額から同条4,5項により減額されるべきものである。
(裁判長裁判官 竹内行夫 裁判官 須藤正彦 裁判官 千葉勝美 裁判官 小貫芳信)