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最高裁判所第二小法廷 平成3年(行ツ)16号 判決 1991年5月10日

東京都千代田区丸の内二丁目六番一号

上告人

古河電気工業株式会社

右代表者代表取締役

友松建吾

右訴訟代理人弁護士

小坂志磨夫

同弁理士

若林広志

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 植松敏

右当事者間の東京高等裁判所昭和六三年(行ケ)第一九五号審決取消請求事件について、同裁判所が平成二年一〇月二三日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小坂志磨夫、同若林広志の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)

(平成三年(行ツ)第一六号 古河電気工業株式会社)

上告代理人小坂志磨夫、同若林広志の上告理由

原判決は、左記二点の判断につき経験則違反、理由不備、採証法則違反の法令違背を免れず、当該法令違背はいずれも判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであるから、破毀されるべきである。

第一点 本願発明と引用例との技術的思想(目的)の異同

第二点 本願発明の溝山比構成の容易想到性

以下、右二点につき、上告理由を明らかにするが、先ずその前提たる技術事項ならびに、原審判決の認定ならびに認定経過を説明する。

一.前提たる技術事項

1.本願発明の特許請求の範囲

「a 金属管内面に複数条の溝部を設け、

b 該溝部を

ピッチが〇・三~一・五mm、溝深さが〇・二~〇・五mmで、かつ平均溝幅W1と平均山幅W2とがW1>W2なる関係を満たすように形成してなる、

c 小型空調機熱交換器用内面溝付伝熱管。」

明細書

第2図

<省略>

第3図

<省略>

P:ピッチ

d:溝深さ

W1:平均溝幅

W2:平均山幅

2.本願明細書の詳細な説明と図面

(一) 発明の目的と構成ならびに発明の作用効果

原審原告準備書面(第一回)一~六頁参照。

なお「ベアー管」、「インナーフィン管」、「内面溝付管」、「伝熱性能」、「管内熱伝達率」、「熱伝導率」、「毛細管現象」、「冷媒吸着容量」等については、本書末尾添付の技術用語説明書および原審における昭和六三年一一月一日付技術説明書を参照されたい。

以下、数点を念のため掲げておく。

(ア) 本件の技術分野すなわち小型の空調機用熱交換器(以下単に小型機という)の分野において、本願出願時採用されていた伝熱管は「ベアー管」(溝なし管)に限られており、「内面溝付管」は、その構想が公知(引用例即ち甲第六号証のほか乙第一~四号証)であったに止まり、未だ実用には至っていなかった。

(イ) 大型の空調機用熱交換器(以下単に大型機という)における大径の伝熱管にはインナーフィン管が採用されていたことは勿論であるが、その構成は、引用例の添付第1図(左記)の如く、十分な高さをもったインナーフィンが形成され、小径の小型機用伝熱管としては冷媒の流通抵抗の増大を来たして使用に堪え難かった。

第1図

<省略>

(ウ) かかる技術水準の下において、引用例は右(イ)の大径のインナーフィン管を改良して、小径のインナーフィン管(内面溝付管に相当)を提供することを考案の目的、課題としていた。甲第六号証明細書の一枚目下から三行~二枚目九行を参照されたい。(そこでは、前掲第1図に示されるような公知のインナーフィン管が、熱交換面積の増大に伴う熱伝達率の増加を来す反面、流通抵抗の増加による欠陥を来すことに触れ、引用例の考案は、この欠陥すなわち流通抵抗の増加を改良するためインナーフィンの高さ、幅、間隙を同一寸法とする事とした旨が記載されている。)

(エ) これに対し本願明細書は、「(小型機において)従来止むを得ず使用されてきたベアー管の伝熱性能の実用的限界」(甲第四号証二欄六行以下参照)の打破という技術的課題を明確に掲げ、特許請求の範囲記載の如き技術的構成を提案している(同証三欄一~一二行)。

換言するならば、引用例は、公知のインナーフィン管が専ら管内熱伝達率の増加を求めてインナーフィンを設けた(管内表面積を大きくした)ため、流通抵抗に無関心であり、大型機用としての実用化には適していても小型機用には堪え得なかったことを承けて、インナーフィン管の流通抵抗の改善に着目しているのに対し、本願発明は、小型機に採用されてきたベアー管の管内熱伝達率の向上に着目して、内面溝付伝熱管を小型機に採用するに当たって如何なる溝形状を採用すべきかという課題解決をなし遂げたものに外ならない。

(オ) 本願発明は右の如き着想のもとに、専ら実験の上に立って「溝山比と管内熱伝達率比」との間に、明確な相関関係を見出したものである。甲第四号証(本件明細書)第5図(左記)はその成果である。

第5図

<省略>

右図において、ベアー管は、溝山比ゼロの場合であり、その管内熱伝達率比(h/h0)は一・〇に止まる。これに対して溝と山の比が一・〇の場合すなわち引用例の内面溝付管の熱伝達率比はほぼ一・三を以て示され、溝山比が一・〇を越えると、管内熱伝達率比のカーブは急激に上昇し、溝山比一・五ないし二・〇において二・〇を越す。

本願発明は、第5図に示される「実験結果」という科学的根拠に基づき溝と山の比(W1/W2)が一・〇を越えた内面溝付管を小型機用に採用することによって、管内熱伝達率を最も良好に保ち得るという新規な技術を提供しえたのである。(引用例は大型機で実用化されていたインナーフィン管を、小型機に適用するためにはインナーフィンの高さすなわち管内表面積を小さくして流通抵抗を小さくするべきであるという着想の下に、溝深さ、溝幅、山幅を等しくするという単純な構想を提供したに止まり、甲第六号証に示されるとおり、そこには管内熱伝達率と冷媒流通抵抗の相対関係における最適条件を導き出すという本願発明の技術思想は全く示唆されるところがない。

(カ) 右第5図について付言する。

同図のグラフは溝山比二・七程度までしか示されておらず、管内熱伝達率は、溝山比一・五~二における二・三程度をピークとして以後は下降を示している。そして、本願発明は溝山比を一・〇以上とすることのみを以て特許請求の範囲の必須条件としており、その上限を明示するところはない。後に述べるように、原判決はこの点を説示することによって、本願発明の進歩性否定の一つの理由であるかに言う。しかしながら、上限の確定がないことを以て本件出願に瑕疵ありというのであれば、それは、特許法第三六条の問題であって、原判決のいうような進歩性の問題ではない。本願発明が引用例に比し格段の作用効果を有することは、第5図が示す管内熱伝達率比のカーブに明らかであり、その進歩性を疑う余地は全くない。しかも溝山比の上限が画されることは第5図の記載からも自ずから明らかなのである。

二. 原判決の認定ならびに認定経過

原判決の理由は、「本願発明の概要」と、「取消事由に対する判断」からなり、「取消事由に対する判断」の項は、

本願発明と引用例との対比につき当業者間に争いのない事項(一四丁裏 九行~一五丁表七行)

本願発明の進歩性(一五丁表八行~二四丁裏九行)

結論(二四丁裏一〇行~二五丁四行)

からなる。以下主として、本願発明の進歩性に関する原判決の認定経過につき、その要旨を掲げる。

1.本願発明と引用例との技術思想(目的)の同一性(一五丁表九行~一七丁表一行)

原判決は、この項において、両者が共に管内熱伝達率(管内面と冷媒間の熱の伝わり易さ)の向上及び、冷媒の流通抵抗(冷媒の流れ難さ)の抑制の両面から共通の分野である熱交換器用伝熱管の伝熱性能の向上を目的としたものであると、それぞれの記載を引用して認定している。

なお上告人(原告)が、引用例は主として冷媒の流通抵抗に着目してインナーフィン管の伝熱性向上を目指したのに対し、本願発明は主として管内熱伝達率に着目してベアー管の伝熱性能の向上を目指し、両者は技術思想を異にする旨主張したのに対して、両者は共通技術に属し、構成においても審決認定の相違点を除いて同一であることを理由に加えて、これを排斥した。

右認定判断が当業者の技術的経験則を無視したものであることは、後に上告理由第一点で述べる。

2.本願発明の溝山比構成の容易想到性(一七丁~二五丁)

(一) 原判決は結論として、本願発明の要旨が溝幅W1と山幅W2の比をW1>W2とする点は容易想到性ある構成であるというのであり、先ず、その前提として、

「管内面溝による伝熱性の向上の効果が内表面の拡大の外に毛細管作用による内壁への冷媒吸着性の向上によるという知見」自体は周知であったことを積極的に認定のうえ(二一丁裏七~一一行)、これらの「原理自体は各種伝熱管に共通するものであって、独り小型空調機用伝熱管に関するものとは認められない」(二二丁九~一一行)と判断した。

(二) 原判決は右の前提に基づき、進んで、

「伝熱管の伝熱性能を向上させるという課題の下において、管内壁面への冷媒の吸着容量が大きくなれば、それだけ伝熱性能が向上すること、溝の深さとピッチが規定される場合には、平均溝幅を平均山幅より大きくすることにより、溝底部、溝側部で囲まれる溝部空間の容積が大きくなり、管内壁面への冷媒の吸着容量を大きくすることができることは、いずれも当業者の容易に知り得ることがらであると解するのが相当である。」(二二丁裏三~九行)

との結論を示している。

(三) なお原判決は本願明細書第5図(判決添付)を引用し、本願発明の効果は一見引用例のそれより優れている如くであるとしながら、同図において溝山比が更に大きくなれば熱伝達率比が引用例の場合(溝山比一)に比し、低下することが明らかであると断定する(二三丁表七行~同裏九行)。

原判決のこの説示は、本願発明の溝山比が一を越えることのみを要件とし、その上限を画していないことに着目し、本願発明は引用例に比し常に熱伝達率比が大きいとは限らない(優れた効果を示すとは限らない)との結論を導き出すためのものである(二四丁表一~七行)。

原判決はこの点をも、本願発明の進歩性否定の一つの理由としたが、その誤りは既に述べたとおりである。

以上(一)~(三)の認定判断が経験則違反のものであることは、後に上告理由第二点で述べる。

3.以上の認定判断に基づいて、原判決は、

「引用例記載の考案における引用例の溝山比構成に代えて、本願発明の溝山比構成を採用し、本願発明の構成とすることは、当業者の容易に想到し得ることがらであり、引用例記載の考案に対する本願発明の進歩性は否定されるべきものと思料する(二四丁表九行~同裏一行)」

と判示し、これと結論を同じくした審決には、原告主張の取消事由が認められないとして、原告の請求を棄却した。

三、上告理由第一点

「原判決が、本願発明と引用例記載の考案の技術思想を同一であると認定したのは、技術的経験法則を無視したものであって、法令違背を免れない。原判決はかかる違法な認定を前提として、両考案の構成の相違点を評価し、原審決の認定に誤りはないとの結論に達したものであるから、前記法令違背が判決に影響あることは明らかである。」

1、発明は、自然法則を利用した技術思想であり、それは、発明の目的ないしは解決すべき課題とは竣別されなければならない。技術思想とは客観性をもった技術上の手段として顕現されなければならないのである。

原判決、一五~一六丁における両考案(本願と引用例)の技術思想の同一性に関する説示は、技術思想の何たるかを解さず、専ら両考案の主観的目的そのものの同一性を検討対比したものに帰する。

もっとも原判決は、一五丁九行において、以下一六丁までの説示の主題を「本願発明と引用例との技術思想(目的)の同一性」と表示している。従て原判決は右かっこ内の発明(考案)の目的を以て技術思想と混同しているとみるべきなのかもしれない。そうであるならば、原判決の右説示は、名実ともに両考案の目的の同一性のみを認定したものと言うべきこととなり、技術思想の同一については検討を欠いたことに帰する。

2、 原判決が引用するとおり、本願明細書には伝熱性能の向上が、また引用例には冷房能力(熱交換量)の増加がそれぞれ掲げられている。そしてこの両者の意味するところが「小型空調機熱交換機(小型機)用内面溝付伝熱管」における解決すべき課題、換言すれば、発明の目的そのものであることは明白である。

両者は、その発明の課題、目的において異るところがないということができるであろう。しかし同一の課題解決のため多数、別異の発明がなされうることは、改めて言うまでもない。

3、 そして、両者は、右発明の目的の把握の仕方に於て基本的な相違があり、従て目的達成(課題解決)の技術手段の設定もまた基本的に異ることとなったのである。

この点については、既に本書一、(前提たる技術事項)の2の〔一〕項で述べたところであるが要点のみを掲げてみる。

〔一〕 本願発明は、小型機用伝熱管の伝熱性能向上という目的の把握に当って、従前使用されてきたベアー管に代え、溝付管を採用することによって抜本的改良を目途した。従って課題解決の技術手段の設定に当っては、ベアー管の伝熱性向上の限界打破という大所からの着眼を基礎に置くこととなったのである。

本願発明は、溝付管の溝形状全体に着目し、現実の小型機の採用すべき伝熱管のサイズにおいて「溝山比」と「管内伝達率」との相互関係を、実験によって掌握し、そこに見出された法則性を基礎として新規な課題解決の技術手段を提供しようとした。

これが本願発明の技術思想である。

〔二〕 これに対して引用例考案は、既に大型機等に採用されて来たインナーフィン付管を小型機に採用し、熱交換量の増加をはかることに目的達成の解決手段を設定した。従て大型機用の溝付管の欠陥改善という一点に着眼しており、既成の溝付管(甲第六号証第一図参照)において、流通抵抗を増加せしめていたインナーフィンを極力小型化するという単純な解決手段のみが具体的な技術事項として捉えられることとなった。

引用例考案の技術思想はここにある。

〔三〕 この様に、両者は、その目的ないし技術課題における一致は認められても、目的達成ないし課題解決への技術的アプローチに於て基本的な相違があり当然のこととして、技術手段採用における着眼も手法も全く異なるのである。

4、 原判決は、発明における技術思想と目的ないし技術課題との区別にすら充分な配慮をなさず、右に述べた両者の基本的な技術思想の相違を見落している。

そして両者間のこの様な相違の把握は、当業者の技術常識からみて余りにも明白であり、両者の技術思想の相違を見落した原判決には、甚だしい論理的、技術的な経験法則違反がある。

四、 上告理由第二点

「原判決の本願発明の溝山比構成は、引用例から容易に想到する程度のものであるとの認定には、経験法則の違反と共に、採証法則の違反と理由不備を免れない。そして右判断そのものが判決の直接の結論であって、判決に影響を及ぼすことは明白である。」

以下理由を要約して述べる。

1、 この点に関する原判決の認定ならびに認定経過(原判決一七~二五丁)については、既に本書二の2項で明らかにした。

重ねて要約すれば次の如くとなる。

(A) 本願発明と引用例考案はその技術思想を同一にし、発明の構成中溝山比を除いては同一である。

(B) 管内面溝による伝熱性の向上は、「内表面の拡大」と、「毛細管作用による内壁への冷媒吸着性の向上」の効果であるということ自体は、出願前当業者に周知であり(二〇丁表七行~二一丁裏末行)、このことは大型機小型機用を問わぬ各種伝熱管に共通している(二二丁表九~一一行)。

(C) (B)が周知であるならば引用例記載の考案において、定められた範囲の溝の深さとピッチを前提としたまま、溝部内への冷媒の吸着容量を増加させるため毛細管作用を低下させない範囲内で可能な限り平均溝巾を平均山幅より大きくすることを当業者が想到することにさしたる困難性はなかったものというべきである(二二丁裏九行~二三丁表二行)。

原判決は右(A)(B)から、引用例と本願発明との唯一の相違点である「溝山比を増大させて伝熱性を向上せしめること」は、当業者にとって、容易に知りうるところである(C)から、そこに進歩性を見出すことはできないとの結論を導き出した。

2、 経験則違反

〔一〕 原判決の認定(A)について

原判決のいう(A)の認定中、本願発明と引用例考案の構成中、溝山比を除いてほぼ同一であることは、当事者間に争いがない。但し、両者の構成中、ピッチや溝深さなどが、両者の共通の技術対象たる小型伝熱管においては、共通の数値巾を持つことはむしろ当然であるから、このことは何ら異とするに足りない。

そして、両者は小型の伝熱管においてその伝熱性能(熱交換量)の向上を目的とする点では相違がないが、その解決手段たる両者の技術思想には基本的相違がある。

そもそも伝熱管の伝熱性能を左右するものは

<1>管内の熱伝達率

管内面と冷媒との熱の伝達度(伝わり易さ)

<2>冷媒の流通抵抗

管内を冷媒が流通することに対する難易度

<3>管の熱伝導度

<4>管外への熱伝達率

以上<1>~<4>の四点であるところ、<3>は主とし管の素材に、また<4>は主として管外に設けられるフィンの形状等に左右されるから、ここで問題となるのは、<1>、<2>の二点に尽きる。そしてこのことは、当業者にとり、いわば周知自明なイロハに属する原理ともいうべき知識に外ならない。従て伝熱管の性能向上という課題解決に当り、この両点に触れることは余りにも当然の事理であり、本願並びに引用例が多かれ少なかれ、この両者を挙げていることはこれまた何ら異とするに足りない。但しここに留意すべきことは、右にいう<1>、<2>の間にどの様な相関関係があるか、それが大型管と小型管とではどの様に異なるか、あるいは、特定の管において、どの様な相対関係により最適の伝熱性能を発揮しうるか、等については、何らの原理も知られておらず「専ら実験に俟たざるをえなかった」ということである。上告理由第一点で述べたとおり、原判決はこの点に思い至らず、かかる当業者自明の経験法則を無視した。

(注)一般原理が知られることと、具体的発明に当該自然法則を如何に適用利用するかとは次元を異にするものであり、特許法第二条は、「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう旨を規定している。

〔二〕 原判決の認定(B)について

管内面溝による伝熱性の向上に当って、前記<1><2>を調整すべきことは周知の原理であるが、原判決の認定(B)にいう「内表面の拡大」と「冷媒吸着性の向上」は共に右<1>すなわち管内の熱伝達率向上の手段として、当業者に知られていた。(技術用語説明書8の〔1〕参照、なお乙第一~第四号証もこれを当然の前提としている。)

認定(B)は、これらの原理を理解することなく「内表面の拡大」と「冷媒吸着性の向上」を、直ちに伝熱性の向上に結びつけている点で経験法則への違背を免れない。

(注)公知公用のインナーフィン管は、専ら内表面の拡大によって、右<1>の管内熱伝達率向上を図った(甲第六号証一図)。その結果右<2>(冷媒の流通抵抗)の増大を来したこと勿論であるが、大型管に関する限り<2>のマイナス効果は、<1>のプラス効果を阻害しなかった。しかしながら小型管に内溝をつける場合内表面の拡大には限界があり、冷媒の流通抵抗の増大によって、管全体の伝熱性の減少を来すため実用に適しなかった。引用例はこのことに着目して、溝の高さを削ること(すなわち冷媒の流通抵抗の増大の削減によって)で、管全体の伝熱性(冷房能力)を向上せしめたと主張する(しかも、その溝高さは、溝巾、山巾と同一にするという極めて安直な試みを提案したに止まる)のである。

他方乙第一~四号証が示すように、管内熱伝達率の向上は、内表面の拡大のみの効果ではなく、冷媒の管壁への吸着(へばり付き)にもよることが知られていたが、その理由は明確でなく毛細管現象によるという点も推測にすぎなかった(例えば、乙第一号証二頁右下欄参照)。

結局小型伝熱管における伝熱性能の向上を求めるに当っては、第一に前記<1>と<2>との調整点が見出されねばならず、第二に<1>の向上のため、内表面の拡大と冷媒吸収能力の増加という両面の調整点が探られねばならなかったこととなるが、てれらの複合作用の調整解決による最適条件の設定原理は、見出されていなかった。

本願発明は、所望の小型伝熱管において、溝山比と管内熱伝達率との関係を実験によって解明し、その最適条件の範囲を見出したものであって、引用例とは本質的に異る新規性、進歩性、高度性を評価しうるものに外ならない。

〔三〕 原判決認定Cについて

〔1〕 認定Bの誤りは既に述べたとおりであり、正しくは、「伝熱性向上の重要な手段である管内熱伝達率の向上は内表面の拡大と毛細管作用による内壁への冷媒吸着性の向上の効果であることが知られている」と訂正されるべきであった。

認定Cは、認定Bを前提とし引用例から、本願発明の如く溝山比を増大することに当業者が想到するのは容易であるというのである。認定Cの認定判断は、経験則に違反した認定A、Bを基礎とするものであって、その経験則違背は明白である。

〔2〕 しからば、認定Bを前記の如く訂正した場合、果して認定Cが成り立つであろうか。否である。

以下念のためこの点に触れる。

〔ア〕 引用例は、インナーフィン管の内表面を削減し、冷媒抵抗の減少を意図したものであった。

そこでは、改良の名のもとに機械的な溝深さの削減がみられるのみで、その効果に見るべきものはなく、真実有効な改良の範囲を示唆するところは全くない。いわんや、そこには冷媒吸着性の向上が、内表面の拡大と共に管内熱伝達率に影響することを含めて、これらの原理の調整によって最良の伝熱性向上の範囲を見出そうという技術思想は寸毫も見出しえないのである。

しかも引用例を更に改良して、より管内熱伝達率の向上を意図する者にとって、認定Cのいうが如く、溝山比を増大すべきであることとの因果関係は、まだ何人にも知られていなかったのである。

伝熱性向上の最適条件の範囲を見出すためには、本願発明の実験をまたなければならなかったのである。

〔イ〕 しかも要約Cは、内壁への冷媒吸着差は毛細管作用によるといい、公知の文献もその様に推定している。

毛細管現象とは、液体に細い管を立てた場合、管内に液体が吸い上げられる現象であるが、管の内径が小さいほど吸い上げ高さが大となる。

溝付管において、溝巾は正に毛細管の内径に相当することは言うまでもないから、右の技術常識(経験則)によるならば、溝巾が狭いほど毛細管作用により溝内に冷媒が吸着しやすくならねばならない筈である。現に乙第一号証〔2〕頁左下欄末行~右下欄一五行には、溝幅Wを〇・九mm、〇・五mm、〇・二五mmと変えた場合、溝幅Wが小さいほど、毛細管作用による管内壁面への冷媒の吸着性が向上し、高い熱伝達率が得られると説明されている。

引用例の溝巾は〇・二~〇・八mm、ピッチは〇・四~一・六mmであり、これを原判決は「溝の深さとピッチが規定されている場合」というのであるから、要約Bからすれば、これ以上、溝巾を広くすることは、毛細管作用を損い、吸着量が少なくなり伝熱性が悪くなるとの結論が導かれなければならない。

要約Cのいう毛細管作用云々の知見からするならば、引用例の考案において、平均溝巾を平均山巾より大きくすることに想到するがごときことはありえないのである。要約Cは、それ自体に矛盾撞着が明らかと言うべきである。「訂正された要約B」を前提として、要約Cを善解しようとしてもこのように、その経験則違背はいよいよ明白であると共に、理由不備、採証法則違反の法令違背もまた明らかとなるであろう。

(注)要約Cに至る間に、原判決は次の如く説示している。「(要約Bが周知技術であるとするならば)、伝熱管の伝熱性能を向上させるという課題の下において、管内壁面への冷媒の吸着容量が大きければそれだけ伝熱性能が向上すること、溝の深さとピッチが規定される場合には平均溝巾を平均山幅より大きくすることにより溝底部、溝側部で囲まれる溝部空間の容積が大きくなり管内壁面への冷媒の吸着容量を大きくすることができることは、いずれも当業者の容易に知り得ることがらである。」(二二丁裏一~九行)

原判決が周知の原理を全く理解していないことについては、改めて触れないが、そもそも溝部空間の拡大の最たるものは、大型伝熱管に採用された溝(引用例第一図参照)に外ならず、その結果は「内部の熱交換面積が増加すると共に熱伝達率も増加して熱交換量が増加するわけであるが、管内の流通抵抗が増加して……冷房能力が常に増加するとは限らず、逆に低下する等の欠陥があった」(甲第六号証三枚目下から三行~四枚目三行)のである。

原判決は、本願発明の無理解はもとよりのこと、引用例の技術をすら理解し得なかったのではないかとの疑問を拂拭できない。

〔ウ〕 原判決の認定Cは、結局のところ、当業者は、引用例の考案から、溝内部への冷媒吸着容量を増加させるため、本願発明と同様平均溝巾を平均山巾より大きくすることを容易に想到するというのである。

しかしながら、再三述べたように、引用例も、本願発明も、その目的とするところは均しく小径管における伝熱性能の増加であって、溝内部への冷媒吸着容量の増加ではない。

そして、伝熱性能増加のためには、縷述の如く、管内熱伝達率と冷媒抵抗との調整点が発見されねばならず、また管内熱伝達率の向上のためには、溝内部への冷媒吸着容量の増加と、内表面の拡大との相対関係が適正でなければならない。しかもこれらの最適条件決定に資する原理原則の指針は与えられていない。これが、本願出願前周知の技術常識であった。

出願前の当業者が、引用例の技術を知得した場合、本願発明の如く、溝巾を山巾より更に大にすることに想到する根拠は全くないというべきであり、仮りに原判決の認定した前掲Bの如く、「毛細管作用による吸着云々」の原理にこだわるならば、溝巾の減少を試みる余地はあっても、溝巾の拡大に想い至る余地のないことは、前項で触れたとおりである。

3、本願発明の進歩性(非容易性)

〔一〕 本願発明は、明細書(甲第四、五号証の公報による)一、二欄記載の如くに出願前の公知技術を捉えているが、今や、これに乙第一~第四号証並びに引用例を併せて、公知の技術を捉えるべきであろう。

〔二〕 本願発明の技術思想は、上告理由第一点で述べたとおりであり、その解決手段としては、特許請求の範囲記載の如き発明の構成を提案した。

また右発明の作用については、明細書三欄二四行以下で次の五点を挙げている。

第一、溝部の形成による内表面積の拡大。

第二、所定のピッチの数値で溝部の形状を規定することによる毛細管作用の促進。

第三、右の如き溝形状による毛細管作用を著しく低下しない十分な溝断面積と、溝部内への冷媒吸着容量の増加が得られる。

第四、溝部深さの規定による圧力損失の低下と、これに伴う冷媒の効率的循環

第五、溝部の形状による目詰りの防止

本願発明の伝熱管はこれらの作用の複合によって優れた伝熱性能を発揮できる(三欄四〇、四一行)とされるのである。

いま周知の伝熱性向上の原理に則して右各作用をみると、

<1> 管内熱伝達率の向上(右第一~第三、及び第五)

<2> 冷媒の流通抵抗の減少(第四)

に分類され、更に<1>に寄与するものは、

・内表面積の拡大(右第一)

・冷媒吸着量の増大(第二、第三)

・目詰り防止(第五)

などの諸原理に分類することができる。しかも本願明細書はこれらの諸原理が、調整され、相乗されるように働く効果的な溝形状の選択が、数値を以て示されていることが分る。

そして第五図は、かかる最適条件を選定し得るに至った実験の成果を示したものに外ならない(本書一の2、〔オ〕参照)。

本願発明は、周知とされる右の<1><2>の相反する原理を如何にして具体的な小型小径の内面溝付伝熱管に即して具体化するかを、実験の成果によってなし遂げたものに外ならずその進歩性は顕著である。

〔三〕 引用例の発明(考案)は、大型のインナーフィン管の流通抵抗が過大で、小型伝熱管への使用に適さないことの改良を試み、その溝高さを削減することを提案したというに過ぎず、かかる試みによる伝熱性能の向上には、未だみるべきものがないことは既に明らかにした。そうであれば、引用例と本願発明とには、その技術思想はもとより、解決手段の密度、なかんずく、自然法則利用の基本においても著しい懸隔が認められる。

なる程、引用例の溝形と本願発明のそれとを対比すると、前者が溝巾と山巾が同一(溝山比一)であるのに対し、後者の溝山比は一を越える点を除き他の数値は同等である。しかしながら、その相違点の発見に、決定的な技術思想と発明の構成の差が存することは既に再三述べたところであり、このことは本願明細書第五図に作用効果の差として如実に示されている(真実伝熱性の向上という効果をもたらす分野を見出したのは、本願発明である)。この点については、原審原告第四回準備書面一~七頁、第五回準備書面に詳細示されているので参照されたい。

〔四〕 本願発明と引用例とは発明として全く別異のものであり、両者の溝山比構成を対比のうえ、引用例発明から、本願発明を容易に想到すると認定判断した原判決には、経験法則違反と共に、採証法則の違反と理由不備の法令違背を免れないのである。

以上

技術用語説明書

<省略>

1.熱伝達:流体から固体(又はその逆)への熱の移動

2.熱伝導:固体内での熱の移動

3.管内熱伝達率:管内の流体から管(又はその逆)への熱の移動のし易さ

4.管内熱伝達率比:内面溝付管やインナーフィン管の管内熱伝達率をベアー管の管内熱伝達率で割った値

5.管内沸騰熱伝達率比:管内の流体が沸騰状態にあるときの管内熱伝達率比

6.管壁の熱伝導率:管内面から管外面まで(又はその逆)の熱の移動のし易さ

7.管外熱伝達率:管外の流体から管(又はその逆)への熱の移動のし易さ

8.伝熱性能:管の中の流体から管の外の流体(又はその逆)への熱の移動のし易さ(本願明細書でいう「熱通過率」、引用例でいう「冷房能力」又は「冷凍能力」はこれと同じ意味)。これは次の(1)~(4)の4要素で決まる。

(1) 管内熱伝達率 これは次のような要素で決まる。

<1> 管内面の表面積(引用例でいう熱交換面積も同じ意味)

<2> 冷媒の吸着性

<3> 冷凍機油の目詰まり

(2) 冷媒の流通抵抗(本願明細書でいう「圧力損失」も同じ意味)これは次のような要素で決まる。

<1> 管内面の山(フィン)の高さ(溝の深さと同じ)

(3) 管壁の熱伝導率(管の材料により決まる。(1)や(4)に比べ影響が小さいので問題にしない)

(4) 管外熱伝達率(外的条件により異なるので問題にしない)

9.ベアー管:管内面にフィンや溝のないもの。

10.インナーフィン管:管内面に多数のフィンを形成して管内表面積を増加させ、管内熱伝達率を高めたもの。

11.内面溝付管:管内面に多数の溝を形成して、管内表面積を増加させると共に冷媒の吸着量を増加させ、管内熱伝達率を高めたもの。

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