最高裁判所第二小法廷 平成5年(あ)4号 決定 1996年2月01日
本籍
東京都豊島区西巣鴨一丁目一九番
住居
同所同番一七号
医師
山口明志
昭和九年一月一日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年一一月一六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人高田治ほか二名の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であり、同寺尾正二の上告趣意のうち、違憲をいう点は、原審において主張判断を経ていない事項に関する違憲の主張であり、その余は、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)
平成五年(あ)第四号
○ 上告趣意書
所得税法違反 被告人 山口明志
右の者に対する頭書被告事件につき、平成四年一一月一六日東京高等裁判所第一刑事部が言い渡した判決に対し、被告人から申し立てた上告の理由は左記のとおりである。
平成五年四月二八日
主任弁護人 高田治
弁護人 神宮壽雄
弁護人 島村芳見
最高裁判所第二小法廷 御中
記
第一点 原判決には、憲法第三一条、同第三二条の違反があり、原判決は破棄されなければならない。
一 被告人は控訴趣意書第一点(訴訟手続の法令違反等の主張)にあるとおり、第一審の判決はその量刑の理由中において、被告人の脱税の元となった株式取引による利益のうち、仕手筋の人物との取引による分は、被告人が仕手筋による株扱いに便乗あるいは協力して得たもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり、健全なものとはいえない旨説示して、これを重要視したが、右説示は、本件と並行して審理していた小谷光浩に対する証券取引法違反等被告事件や稲村利幸に対する所得税法違反被告事件の証拠から得た心証をいきなり本件に持ち込んだものであって、右措置は、著しく被告人の防禦権を奪い、ひいては裁判を受ける権利を侵し、憲法第三一条、同第三二条、刑事訴訟法第三一七条に違反するものであり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨主張した。
これに対し、原判決は被告人の主観的認識としても、「被告人は少くともことの実質において、小谷が、多額の資金を投入して特定の株式を集中的かつ大量に買集めるなどの方法により利益の獲得を狙っている人物であることは知っており、かつ、同人が購入を勧めたり、市場で大量に買えば利益を乗せて引き取ると申し出ている株が、同人が買集めている株であって、今後の値上りが期待できるものであること、同人の依頼により、国際航業株を市場で大量に購入することが同人による同社株の買集めへの協力となることなどの事情についても、十分承知していたものと認められる。してみると、本件記録上も、原判決の指摘するような事実は優にこれを肯認することができるのであって、これをもって別件で得た心証に基づく説示であるとする所論は、既にその前提において誤りである。原判決に所論訴訟手続の法令違反等はなく、論旨は理由がない。」旨説示してこれを排斥している。
二 しかしながら、現実には被告人は、主観的にも客観的にも、小谷から病院改善のために株式取引を勧められたものであり、同人の株の取引に便乗ないし協力を求められてはいないのである。例えば、小谷は平成二年一一月一四日付検察官調書(第六項)においても、「昭和六一年秋ごろだったと思いますが、私(小谷)が山口医師と株について話をしている機会に、山口医師から病院の建物が古くなって手狭なので建て替えたいと思っているが、資金的に大変であるなどと言われたので、私は山口医師にはいろいろ世話になっていたことから病院を建て替える際の資金調達の役に立てばと思い、儲かるかどうか分かりませんが、株をやってみませんかと誘ってみました。これに対し、山口医師は稲村先生とも相談してみます、などと言い、稲村代議士と相談してコーリン産業と株取引をする方向で考えてみたいという意向を示したのです。」と述べており、また、同調書(第一六項)においても「昭和六二年二月二五日に契約した飛島建設一〇〇万株の相対取引について申し上げます。この取引は、昭和六二年一月二二日に契約書を取り交わし、同月二七日に受渡しを行った飛島建設一〇〇万株をコーリン産業が山口医師及び稲村代議士から買い戻したものです。既に申し上げたとおり、山口医師及び稲村代議士に飛島建設株を売却した時点では、高値で買い戻すという約束までしておらず、単に山口医師や稲村代議士が望めば時期を見てコーリン産業が買い戻してもいいという程度の話をしてあっただけなのです。その後飛島建設株が値上がりしたので、確か私から山口医師に対して前に売った飛島建設株はそろそろ売ったらどうですか。よかったら私の方で買ってもいいですよ、といっておいたところ、同年二月下旬ごろ、山口医師から稲村先生とも相談しましたが、飛島建設株を小谷さんの方で買って下さい。という話があったのです。」と述べているとおり、特に小谷が被告人に対し同人の株の取引に便乗ないし協力を求めたとは窺えない。また、同調書(第一七項)では、これは昭和六二年八月二六日に契約した国際航業株一〇〇万株の相対取引についてではあるが、「確か昭和六二年八月初めころ、私から山口医師に対し、国際航業株をやってみませんか。私の方で買い取る値段は、五〇〇〇円位を予定しているので、それまで買った株は持っていてほしい。どれくらいやれますかなどと持ち掛けたところ、山口医師は例によって稲村先生と相談して返事します。と言って即答しませんでした。その後これまでの場合とは違い、この取引については山口医師からではなく、稲村代議士から私に電話があり、この前の株の件だが、山口医師と相談した結果五〇、五〇でお願いしたい。と言ってきました。」とあるとおり、これとて、小谷において被告人に対し積極的に株の取引に便乗、協力を求めたとは窺えないのである。
三 なお原判決は、客観的にみて、稲村は、昭和六一年一二月上旬ごろ、小谷から「市場で飛島建設株を買ってくれたら、引き取るから、どんどん買ってくれ、必ず値上がりするから」と言われた。また、稲村は昭和六二年二月、小谷から飛島建設株の買取方を依頼された際、同人から「飛島建設株は、まだ上がる。私の持っている株を一旦引き取ってくれ。値が上がったところで買い戻す。二人で一〇〇万株引き受けて欲しい」と言われた。また、稲村は、同年七月、小谷から国際航業株の購入を勧められれた際、同人から「国際航業株を手掛けている。今勝負をかけている。出来る限り買ってくれ。一月くらいしたら一株五、〇〇〇円以上で引き取る。山口先生と合わせて一〇〇万株は買ってくれ。」と市場での買い付けを依頼された。そしてまた、右取引について「これは、小谷氏が買占めをやるのに手伝うことで大儲けするという恥ずべき取引でした。」と述べていることなどを挙げている。しかし、これらは稲村の供述であり、被告人が述べたものではないことに注意すべきである。小谷も述べているように、稲村は可成り以前から株の取引に精通していたものであるが、被告人はこれに反し、殆ど無知の状態で、稲村の意のままに行動していたことが窺われるのである。この両名の知識、行動の差異は、右小谷の調書にも随所にあらわれて来ているものである。すなわち、被告人は株の取引については、稲村に利用され、順次取引額が多額になったのが実情である。
四 したがって、被告人については、小谷が多額の資金を投入して特定の株式を集中的かつ大量に買い集めるなどの方法により利益の獲得を狙っていたとか、小谷の依頼により、国際航業株を市場で大量に購入することが同人による同社株の買い集めへの協力になることなどを知っていたことについて確たる証拠はない。したがって、本件記録上も、前記第一審判決のいう「小谷(仕手筋)の株扱いに便乗して多額の利益に預かったもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり、健全なものとはいえない」などの事実を肯認できる証拠もないのである。
五 ところで、小谷に対する所謂株買い占め事件に関しては、当時東京地裁の同じ裁判官によって本件に並行して、稲村利幸等に対する所得税法違反事件、小谷光浩に対する証券取引法違反、恐喝等が審理されていたのであり、前記第一審判決は、本件について確たる証拠もないのに、これらの別件で得た心証に基づいて判決をしたと推測され、原判決もまた、証拠もなくこれを肯認したものであるといわざるを得ない。
さらに、このように他の裁判所が審理する事件の内容は、所謂裁判所に顕著な事実とも言い難い。何となれば、事件の内容は、それぞれ裁判所が独立して認定すべき事物に属するものであるからである。
現在においては、実務及び学説においても、裁判所に顕著な事実は証明を要するとする説がほぼ通説であるのである(裁判所書記官研修教材「刑事訴訟講義案(改訂版)」二五〇頁、鈴木義男「量刑の審査(公判法体系Ⅳ上訴)」一五一頁、団藤重光「刑事訴訟法綱要(七訂版)」二五〇頁)。
六 してみると、原判決は、前記事実につき、証拠による証明もなく、いきなり「小谷(仕手筋)の株扱いに便乗して多額の利益に預かったもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり」とか、「健全なものとはいえない」等と断定した第一審判決を肯認したもので、著しく被告人の防禦権を奪い、ひいては裁判を受ける権利を侵し、憲法第三一条、同第三二条、刑事訴訟法第三一七条に違反するといわざるを得ない。
第二点 原判決には、「昭和六一年分所得税(本件株式売買益・所得)のほ脱」につき、憲法第三一条の違反があり、原判決は破棄されなければならない。
一 所得税法第二三八条は、「偽りその他不正の行為」により「納税義務を免れた」場合に刑事責任を問うものであり、故意犯であるから、「納税義務」の存在は本質的構成要件要素であり、その「納税義務」の存在を認識しないときは、ほ脱の故意を欠くものとして所得税法第二三八条を適用することはできないものである(東京高判昭五四・三・一九高刑三二・一・四四、東京地判昭五五・二・二九判タ四二六・二〇九、東京地判昭五五・一一・一〇判時九九一・一二七・一二八)。
これを本件についてみれば、本件株式売買当時、株式売買による所得に対しては、原則的に非課税とされ、例外的に一定の場合に課税対象とされていた(所得税法第九条第一項第一一号、同法施行令第二六条、同特別措置法第三七条の一〇、同令第二五条の八)のであるから、納税義務の存在を認識していたというためには、単に、「株式売買益・所得」の認識があったのみでは足りず、本件では、その取引が「年五〇回以上、かつ、二〇万株以上」であり、その売買益・所得が課税対象となることの認識を必要とするものである。換言すれば、被告人は、本件株式取引が非課税限度を超えて右課税要件に該当し、具体的に納税義務が存在していることを認識していることが必要なのである。
二 しかるに、原判決は、被告人が右課税要件該当の認識を欠き納税義務の存在を認識していなかった(後記三参照)にもかかわらず、被告人に対して所得税法第二三八条のほ脱罪の成立を認定している。これは、ほ脱犯が納税義務違反を処罰する故意犯であるにもかかわらず、納税義務の存在の認識を欠き故意犯としての実体を備えていないものを故意犯として処罰するものであり、憲法第三一条に含まれる罪刑法定主義の理念に反するものである。
三 被告人は、昭和六一年分所得税確定申告の法定申告期限後である昭和六三年二月相沢代議士の株式ほ脱事件の報道記事を読み、高野公認会計士に相談し、同会計士により課税要件に該当し納税義務のあることを知らされるまでは、本件株式取引の所得につき納税義務のあることの認識がなかったものである(第一審第五回公判廷の被告人供述・記録一一四丁~一一六丁)。
この点につき、原判決は、被告人の控訴趣意書第二点の「昭和六一年分の所得税確定申告については、被告人には当時の株式売買益・所得の課税要件の認識を欠き納税義務の認識がなく、ひいては、所得税法第二三八条のほ脱犯の故意を欠き、これを処罰するのは刑法の責任主義及び罪刑法定主義の理念を定める憲法第三一条に違反することとなる」旨の主張に対して、「原審記録上認められる以下のような証拠及び事実関係に照らせば、被告人は、遅くとも昭和六一年分の所得税の確定申告をした同六二年三月一四日までには、株式売買益に対する課税要件の内容及び自己の納税義務の存在を認識していたことは明らかである」として、被告人のほ脱の故意を認定している。
原判決のいう、「原審記録上認められる以下のような証拠及び事実関係」につき、果たしてほ脱の故意が認定できるか否か、検討すれば次のとおりである。
1 原判決は先ず、被告人は、捜査段階において、検察官に対し、右の点について一貫して詳細な自白をしていることを挙示する。
しかしながら、その自白が真実であるか否かが問題なのであり、原判決の挙示する証拠を検討すれば、その信用性は極めて疑問である。
(一) 平成二年一二月一四日付検面調書には「私は、昭和六一年八月中旬ころまでには、課税要件を知っていた」旨、また、「他人名義を使用したのは、その株取引が私の株取引であることを隠すことができるからです」旨の供述がある(記録二〇八八丁、二〇九五、二〇九六丁)。しかし、昭和六一年八月中旬ころには課税要件を何故知っていたのかにつき、合理的説明は全くないし、これを裏付ける客観的事実もない。却って、昭和六一年七月ころ小谷から株式取引を勧められるまでの間は、被告人の病院に薬を売込みにきていた斎藤邦紀の勧めにより、菱光証券阿佐ケ谷支店で同店担当者の勧める若干の銘柄の株式及び債券につき妻山口節子を介して被告人名義、山口京子名義で取引をおこなっていたのみであり、もとより右課税要件には全く該当しない範囲のものであり、かつ、被告人本人は同店担当者と会って直接取引をおこなうこともなかったのである(平成元・三・二付大蔵事務官作成「株式売買調査書」一丁、山口節子の平成二・九・二〇付検面調書記録一二四二~一二四四丁、第一審第四回公判廷の被告人供述・記録六五、六六丁、第一審第五回公判廷の被告人供述・記録一一〇、一一一丁)。かかる、株式取引の規模、取引形態に照らせば、この時点では課税要件の認識のなかったことは争いの余地のないところである。
また、小谷が株式取引を被告人に勧めた際、課税要件につき説明ないし教示した形跡もなく(小谷の平成二・一一・二九付、同平成二・一一・二六付各検面調書記録一〇八五丁以下、第一審第五回公判廷の被告人供述・記録一二〇丁)、稲村代議士からも課税要件の説明ないし教示はなかったのである(第一審第五回公判廷の被告人供述・記録一二〇丁)。
さればこそ、原判決も、被告人の課税要件認識の時期を昭和六一年八月中旬ころとは認定できなかったのである。
(二) 平成二年一二月二一日付検面調書(本文一二枚綴りのもの)には、「昔、整備事件というのがあって、株の利益に税金がかかるということは知っていた」旨、「昭和六一年八月から本格的に株式取引をすることにしたので、当然、税金のことが頭に浮かんだので、株に関係する本を読んで課税要件を知りました」旨、「証券会社のパンフレットなどでその課税要件を読んだ記憶もあります」旨の各供述がある(記録一七四四~一七四六丁)。
しかしながら、被告人は前述のとおり昭和五九年一〇月ころから同六一年七月ころまでは、病院に薬の売込みにきていた者の勧めにより、菱光証券阿佐ケ谷支店で同店担当者の推奨する若干の銘柄の株式及び債券を妻節子を介して取引をしていたにすぎず、勿論課税要件該当性の問題の全くない規模のものであった。したがって、この程度の株式取引しかしていない被告人が整備事件の内容に関心をもったとは考えられず、被告人が第一審公判廷で述べたように整備事件がどんな内容の事件か知らなかったと言うのが真実となるべきである(第一審第五回公判廷の被告人供述・記録一一三、一一四丁、一二一丁)。したがって、整備事件(昭和五六年三月起訴、昭和六〇年三月第一審判決、平成二年四月控訴審判決により、被告人自身のほ脱所得税につき無罪とされた事件)により被告人が昭和六一年八月ころ乃至昭和六二年三月の確定申告期限までに課税要件を知ったとは到底考えられないところである。
また、被告人は、昭和六一年八月から本格的に株式取引を始めるので、株に関する本を読んだとか、証券会社のパンフレットなどでその課税要件を読んだ記憶もある旨供述しているが、何時、何処で、何と言う本か、また、何時、何と言う証券会社か、どんなパンフレットか全く具体性がなく、極めて抽象的であり検察官の作文ないし検察官の取調べに迎合したものであるといわざるを得ない。すなわち、被告人が第一審第五回公判廷でパンフレットは見ていない旨供述しているのが真実と見るべきである(記録一一三、一一四丁)。かつ、昭和六二年三月の確定申告時迄に被告人に大きな株式取引を勧めた小谷あるいは共に株式取引した稲村代議士からも、また、証券会社担当者からも課税要件の説明ないし教示を受けたこともないのである(この点原審の小谷、稲村、関係証券会社担当者らのいずれの検面調書にも教示した旨の供述は全くない。)。
してみれば、被告人が、昭和六一年八月ころは無論のこと、同六二年三月の確定申告期限までに課税要件を認識したとは到底考えられない。
(三) 平成二年一二月五日付検面調書には、昭和六一年一二月二四日ころ、小谷のコーリン産業に稲村代議士が飛島建設株三五万株を譲渡した際、「稲村先生が名義を分散するのは、同一銘柄を二〇万株以上譲渡した場合その所得に課税されますので、そのような課税をされないようにするためだと理解しておりました」旨の被告人の供述がある(記録一八四八丁)。
しかしながら、この取引は小谷と稲村が事実上取り決め、被告人はこの取り決めに漫然応じたに過ぎない(真実は、五万株の上乗せの事実は知らされず、譲渡代金も一〇万株相当分の小切手を国会内の銀行で稲村代議士から交付されただけであった)のであり(第一審第四回公判廷の被告人供述・記録七四丁裏~七六丁裏)、前記(一)(二)のとおり、被告人は同一銘柄二〇万株以上の取引に課税されることは知らなかったと見るべきである。
なお、原判決は被告人は、前記検面調書の他の箇所や前記以外の検面調書中においても随所で課税要件の存在を知っていたことを自供している旨指摘するが、それらの供述の信用性が問題なのであって、その量、回数の問題ではなく質の問題なのである。
(四) 平成二年一二月二三日付検面調書には、被告人の「昭和六一年分所得税確定申告において、株式売買益につき課税要件に該当し納税義務のあることを認識していたが、所得税ほ脱の意思で、これを除外して税理士に確定申告書を作成させて、税務署に提出した」旨の供述がある(記録二二一七~二二二一丁)。
しかしながら、右確定申告書時までに課税要件を具体的に認識したと認めるべき客観的事実がない以上、直ちにこれを信用することはできない。すなわち、被告人の課税要件認識に関する前記各供述は直ちに信用し難いものであり、被告人は、「課税要件該当を回避するため他人名義を借用した」旨の供述もしているが、名義借用した斎藤事務長も株式取引をしていることを知りながら、斎藤事務長の取引回数、株数も自己の取引回数、株数についても全く関心を示していない事実(第五回公判廷の被告人供述・記録一二二丁、一三〇丁、一三一丁)に照らすと、直ちには信用できないものである。
(五) 原判決は、第一審冒頭手続においても公訴事実を認めて争わなかったという。しかし、同審審理の中では昭和六一年分の課税要件の認識ひいては納税義務の存在につき、被告人の認識は捜査段階の供述とは異なることが表れてきたため、第一審弁論においても、この点につき問題であることを提起しているところである(第一審「弁論要旨」第二点・記録三二、三三丁)。
2 原判決は、次に被告人の右自供を裏ずける行動をしている旨説示するので、これを検討する。
(一) 被告人は、昭和五九年九月から菱光証券阿佐ケ谷支店に自己名義の取引口座を持っていたのに、昭和六一年中に、他の証券会社三社に妻節子、長男佳志及び次男政志名義の各取引口座を開設し、自らの株式取引に利用するようになった。原判決は、このような事実は課税要件回避工作につながるという。
確かに、このような借名口座の開設が取引名義の分散による課税要件の回避につながるとは言える。しかし、当然に課税要件回避ひいては課税要件の認識の存在を示すものとは言い難い。すなわち、被告人は、地域医療に熱心な、かつ、学究的な開業医であり、右小谷の勧めがあるまでは、株式取引は妻節子を介して極く僅か(勿論、課税要件の問題を生じない範囲のもの)行っていたにすぎないのである。そのため、課税問題の意識を欠いたまま、世間一般に例がある家族名義の預、貯金と同程度の気持ちで、漫然と証券会社担当者の示唆ないし勧めるまま取引口座を開設することがあっても必ずしも異とするには当たらない。前記(四)記載のとおり被告人は自己の取引口座についても借名口座についても、その株式取引回数及び株式数に全く関心を示していない事実がこれを物語っている。
(二) 原判決は、被告人が、昭和六一年分の所得税確定申告前である昭和六二年一月二二日ころ、コーリン商事から相対で飛島建設株五〇万株購入に際し、自らの判断に基づき、自己名義(一九万株)、妻節子名義(一四万株)、次男政志名義(一七万株)に分散して買い付け、同年二月二五日ころ、右各名義及び株数のまま計五〇万株をコーリン産業に譲渡したとして、これは明らかに課税要件回避工作を買い付け段階から行ったものであるという。
しかし、この名義分散、資金手当ともすべて稲村と証券会社担当者(光世証券沢田部長)が行い、被告人はそのセッティングされたまま相対取引契約書に署名したにすぎないものである(第一審第四回公判廷の被告人供述・記録七七、七八丁、第五回公判廷の被告人供述・記録一一一、一一二丁、一三七、一三八丁)。したがって、この取引事実から直ちに課税要件を認識していたとすることは相当でない。
(三) 原判決は、株式売買益の課税要件のような実務的知識は、株式取引を重ねる過程で様々な情報源からもたらされる性質のものであるから、課税要件を知った日時、場所、情報源など具体的に特定することは本来無理というべきであるという。そして、本件被告人の昭和六一年八月下旬以降の小谷推奨株、証券会社推奨株を含め、多数回、大量の取引を積極的に勧めていた(同六二年一月からは、信用取引にまで手を伸ばしている。)事実に、右に指摘した被告人の自白や前記行動を子細に吟味すれば、遅くとも昭和六一年分所得税確定申告前には課税要件の認識があったと認定、判断している。
しかし、課税要件事実の認識はほ脱犯の重要な構成要件要素であり、厳格な証明により厳格に認定、判断されるべきものである。ただ、取引回数が多数回とか、量が大量であるとかで判断すべきではない。取引形態、被告人の職業、社会的地位等諸般の事情から、個別具体的に判断すべきものである。この見地からみれば、次のとおりである。
(1) 被告人の本件株式取引は、記録を詳細検討すれば、右小谷あるいは稲村代議士もしくは証券会社担当者の勧めないし手配に従って全く受動的に行われたものであり、これを被告人自身が自主的ないし積極的に行ったとみるのは、取引実態を誤認ないし評価を誤っていると言わざるを得ない。
(2) 多数回、大量となったのは、一つには右小谷が行っていた仕手戦に、また、稲村代議士の取引隠蔽に利用された側面のあること、また、証券会社の営業実績向上、手数料稼ぎに利用された側面のあることを見逃すことはできない(なお、同六二年一月の信用取引の開設は、被告人が資金がなく取引を断ったところ、信用取引の方法があるとして前記沢田部長が開設手続を事実上おこなったものである。第一審第四回公判廷の被告人供述・記録八五丁)。
(3) 本件課税要件は、先ず、所得税法自体ではなく、所得税法施行令第二六条、租税特別措置法第三七条の一〇、同令第二五条の八に規定されていたものであり、その取引が「年五〇回以上、かつ、二〇万株以上」該当の解釈、判断基準については、通達(所得税基本通達九-一五、一六、一七等)で行政解釈が示されていたものである。一方、被告人は地域医療に熱心に取り組むかたわら学究的に臨床的研究にも手を染めていたし、病院の診療にも多忙極めていたものである。かかる医師が患者から急に大きな株式取引を勧められ、かつ、誰からも右課税要件の教示を受けなかったのであるから、かかる課税要件を専門家から教示されるまで知らなくても無理はないのである。
(4) そうとすれば、被告人が課税要件すなわち納税義務の存在を知ったのは、被告人が相沢代議士の株式脱税事件の新聞記事を読んで高野公認会計士を尋ねて、納税を教示された時であるとする被告人の第一審第五回公判廷の供述(記録一一四、一一五丁)を真実とみることができる。この点につき、原判決は、被告人の右公判廷のこの供述を信用できないとしているが、前記証拠及び事実の評価を誤った結果によるものであると言わざるを得ない。
四 以上みたとおり、原判決は、被告人には右課税要件の認識を欠き納税義務の認識がなく、所得税法第二三八条のほ脱の故意がないのに同条違反のほ脱罪の成立を認めた点で憲法第三一条の罪刑法定主義の理念、刑法の責任主義に違反した違法があるものである。
五 仮に、納税義務の存在の認識が法の不知、誤解に基づくときは、法律の錯誤に過ぎないとしても、その認識を欠いたこと、すなわち、その錯誤に「相当の理由」のあるときは、故意犯としての責任を問えないと解すべきである(改正刑法草案第二一条第二項。なお、最判昭六二・七・一六刑集四一・五・二三七は、当該事案につき、違法性の認識を欠くことにつき「相当の理由」のないことを認定しているが、それは、「相当の理由」があれば故意責任を問えないとの前提に立っていることを示すものと解される)。
「相当の理由」の有無は、被告人の生活環境、知識経験、職業関係、社会的地位等諸般の事情に従い社会通念によって個別具体的に判断されるべきことである。
これを本件についてみれば、先ず、租税法規は政策的、技術的かつ難解であり、通達行政の最たるものである。本件課税要件についても、「取引回数」をどのような基準で数えるかは全く明確でなく、通達(所得税法基本通達九-一五、一六、一七等)で行政解釈が示されているところであり、この解釈は必ずしも普遍化してはいないし、「五〇回以上、かつ、二〇万株以上」を課税対象とするのも政策的なものにすぎないのである。しかも、その課税要件自体は所得税法ではなく、所得税法施行令に規定されるという技術的なものである。
次に、被告人は開業医であり、従来、株式取引を殆ど行っていなかったものであり、隅々、小谷あるいは稲村代議士という株式取引の精通者の勧めにより、また、半ばそれらに利用される形で受動的に株式取引を行ったにすぎず、かつ、小谷、稲村あるいは証券会社担当者らからの右課税要件の教示もなかったのである。
してみれば、被告人が右課税要件の認識を欠いたことには「相当の理由」があるというべきである。
六 以上により、いずれにしても、被告人には所得税法第二三八条のほ脱の故意がないのであるから、被告人に対して同法のほ脱罪の成立を是認した原判決は、罪刑法定主義の理念を定めている憲法第三一条に違反しているものである。
第三点 仮に、第二点(憲法第三一条違反)につき理由がないとしても、原判決には、昭和六一年分所得税(本件株式売買益・所得)のほ脱の故意につき、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
原判決は、被告人は本件株式取引の売買益・所得につき、それが課税要件に該当し納税義務があることを遅くとも昭和六二年三月の所得税確定申告期限までには認識していたと認定している。
しかし、前記第二点三1、2で詳述したとおり、原判決の認定は、その認定の根拠となるべき証拠及び諸事実の評価、判断を誤ったものであり、その結果、昭和六一年分の所得税ほ脱の故意を認定する過ちを犯すに至ったものということができる。
この事実認定の誤りは、ほ脱犯の本質的構成要件要素である納税義務の存在の認識がないのに、所得税法第二三八条違反として処罰することとなり、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認である。
よって、原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反するものとして刑事訴訟法第四一一条三号により、破棄されるべきである。
第四点 原判決の量刑は、被告人を実刑に処した点において、甚だしく不当であって、原判決を破棄しなければ、著しく正義に反する。
原判決は、弁護人の量刑不当の主張を一部認めて、第一審の被告人に対する懲役二年及び罰金二億三〇〇〇万円の判決を破棄して、被告人に対し、懲役一年八月及び罰金二億円(換刑処分は、一日金六〇万円換算)の判決を言い渡した。
原判決は、被告人の懲役刑及び罰金刑を軽減したとはいえ、被告人を実刑に処したのは、以下の諸情状に照らし量刑甚だしく重きに失し不当であって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと確信する。
一 情状に関する原判決の認定について
1 原判決が不利に判断した諸情状について
(一) 本件逋脱税額は、二年分合わせて八億二七九〇万一五〇〇円という高額であること
(二) 逋脱率も、源泉徴収税額の還付請求までしているため、昭和六一年分が約八八パーセント、同六二年分が約九九パーセントという高率に達していること
をあげ、
(三) また、逋脱の動機については、「遊興飲食などの享楽的な支出に当てるというものではなく、自己の経営する病院の改築や設備拡充資金の蓄積というにあり、その結果として、地域医療への寄与という副次的効果を期待し得るとはいえ、原判決も指摘するように、そのことは、所詮は、被告人の個人的利益の追求に資するものといわざるを得ず、そうだとすれば、私益をもって納税義務の履行という公益に優先させたものとの非難は免れないのであって、特に斟酌すべき情状とは考え難い」とし、
(四) 次に、弁護人の、「被告人が、申告から除外したのは、株式売買による雑所得のみであって、本業である病院経営にかかる事業所得に関しては、何らの所得秘匿工作を行っていない点を評価すべき」であるとの主張に対し、原判決は、「しかし、被告人が正直に申告した事業所得が二年分合計三七七〇万〇九五六円に過ぎないのに対し、除外した雑所得が同じく一三億六七四一万〇三二二円に達することを考慮すれば、彼我の軽重はおのずと明らかである」とし、
(五) また、弁護人が、「株式売買等による雑所得が高額化したのは、小谷との相対取引による株式数が大量であったことによるものであって、高額化したこと自体をもって強く非難するには当たらない」と主張したのに対し、原判決は、「なるほど、被告人が多額の所得を得たこと自体は、特段の非難の対象とはなり得ない。しかし、事情の如何を問わず、多額の所得を得た者が、これを納税申告に当たって除外することが、強い社会的非難に値することも、また、論を俟たないところである。」とし、
(六) 更に、第一審判決が、「被告人が株式売買益を取得した方法を問題とし、仕手筋の人物との取引による分は、同人の株扱いに便乗したもので、健全なものとはいえない」と判示している点について、原判決は、「思うに、所得取得の手段方法は、行為者の人格態度の反映であるという意味では一般的な情状のうちに含まれるけれども、租税債権に対する侵害の態様、程度に直接的な影響を及ぼすものとはいえないから、租税逋脱犯の量刑上これを過度に重視することは相当でない。また、原判決は、被告人が、昭和六二年分の所得税の申告に際し、公認会計士から真実の申告をするよう勧告されたにもかかわらず、これを実践しなかった理由として、『親交のあった代議士が対処してくれるものと期待し』たことを挙げているが、これ以上に、被告人が正直に申告すれば、同じ仕手筋の人物との取引などを通じ、被告人より遙るかに巨額の株式売買益を得ていた右代議士の逋脱行為も発覚する虞があったため、同代議士から正しい申告を思い止まるよう要請されたことによるものと認められるのである。このように、原判決の量刑理由についての説示のうち、全面的には首肯し難い部分を減殺して考察しても、被告人の刑責にはなお重大なものといわなければならない。」こと、
などをあげている。
2 原判決が有利に判断した諸情状について
他方、原判決は、被告人に有利な情状として
(一) <1>昭和六三年八月に査察調査が開始された後は、素直に脱税の事実を認めて修正申告に及び、手持ちの株式の売却、預金の解約、金融機関からの借入などにより納税に努力し、翌年一〇月までに所得税本税及び附帯税並びに地方税合計一四億円余を完納していること
(二) <2>捜査段階及び公判審理を通じ、真摯な反省の態度を示し、かつ、母校である大学の理事や医師会の理事など、一切の公的役職を辞し、ひたすら謹慎していること
(三) <3>医師として、高血圧症の研究等で相当の業績を上げているほか、救急医療に尽力し、校医を務めるなど、地域医療にも貢献しており、人望も高いこと
(四) <4>納税のための借入や病院経営上の出費のため、銀行に一九億八〇〇〇万円の負債があり、月々の利子一五〇〇万円も滞っていること
(五) <5>査察調査を受けた当時、心筋梗塞で倒れ、冠状動脈のバイパス手術を受けたが、特殊血液体質のため一時は危篤状態に陥り、術後現在に至るも狭心症が不安定な状態にあるほか、高血圧症、慢性肝炎、胆嚢ポリープなどの疾患を抱え、健康状態は甚だしく不良であること
などをあげている。
二 情状に関する原判決の認定についての反論等
1 右に認定された情状のうち、前記1(一)(二)のほ脱額が高額であり、ほ脱率も高率であるとの点は遺憾に思うところであるが、その他の情状の点については第一審及び原審においても弁護人が主張したとおり原判決の評価とは異り、むしろ、被告人のために酌むべき有利な情状として評価されるべきものと確信するところであり、これと原判決の認定した被告人にとって有利な右の情状を併せ考慮すれば第一審判決より軽減したとはいえ、被告人を実刑に処した原判決の量刑は余りにも重く、被告人にとって有利な個別、具体的な事情について実質的には余り考慮しておらず、前記1(一)(二)の数額及び比率とを特段に重視して形式的画一的に評価し判断の資料とし、これのみを重視した極めて不当な量刑と言わざるを得ない。
2 ほ脱額が高額であるとの点について
原判決がほ脱額が高額であるとする点についてみると、なるほど高額であるとはいえ、このように高額になったのは、たとえば国際航業株を市場で買うにあたり、小谷から全財産を使って買ってもよいなどと言われたり、小谷との相対取引の株式数が多量であったことなどによるものであり、高額化した経緯内容にはそれなりに酌むべき事情が存するのであり、高額である点だけをとらえて強く非難するのはあたらない。
また、ほ脱税率が昭和六一年分が約八八パーセント、同六二年分が約九九パーセントと高率であるとの点は、被告人には病院の事業所得その他の面で不正は全くないことに加え、本件が株式取引にかかる雑所得に関するものであるだけに、ほ脱率が高いことをもって被告人を強く非難するのは妥当ではないと思われる。
3 動機について
原判決は、本件犯行の動機について前記のとおり認定した上、特に斟酌すべき情状とは考え難い、とする。
しかし、脱税の動機としては、本人の私財を蓄積するためや、本人及びその家族の贅沢な生活をするためや、情婦の生活費や、海外旅行費用捻出のためや、本人の借金返済資金捻出のためなど、私利私欲が動機となっている事犯が多く見られることは確かであり、そうであれば、原判決のいうように情状として特に斟酌すべき情状ではないとして一蹴されても已むを得ないところであるが、本件被告人の動機は右のような事案とは格段の相違が存するのである。
原判決も認めているとおり、本件被告人の動機は、「自己の経営する病院の改築や設備拡充資金の蓄積」にあり、現に、そのように使用しているのであって、この点は地域医療に貢献しているものということができる。もとよりこのような動機が脱税を正当化するものではないとはいえ、これは単に私利私欲に出たものとは異なるのであるから、原判決のように、「所詮は被告人の個人的利益の追求に資するもの」として、同列にみるのは妥当ではない。そして、原判決の理由からすれば、すべての所得税法違反事件においては、「個人的利益の追求」のため脱税したことに帰するから、その動機は量刑上斟酌する余地がないことになってしまうのではなかろうか。
このような原判決の判断は、被告人の動機を無視したもので到底承服し難い。
4 被告人は、事業所得に関して脱税をしていないことについて原判決は、弁護人が、被告人の脱税したのは株式売買による雑所得のみであり、本業である病院経営にかかる事業所得に関しては、何ら脱税をしていない点を被告人に有利な事情として評価すべきであると主張したのに対し、被告人の申告事業所得が二年分合計で三七七〇万余円に過ぎないのに、除外した雑所得が一三億六七四一万余円に達することを考慮すると彼我の軽重はおのずと明らかである、とし、かつ、「事情の如何を問わず、強い社会的非難に値する」と判示する。
すなわち、原判決は、「事情の如何を問わず」としているところからも明らかなように、ここでも脱税した数額だけを比較して、ほ脱所得の内容、動機、経緯等は量刑上は問わないとしているようである。脱税が非難さるべきは当然としても非難の程度に差異があるのではなかろうか。同じ一三億円のほ脱所得であっても、それが事業所得の場合と株式売買による雑所得の場合では一般的にも個別的にも非難の程度に差異があるのではなかろうか。それは市況に左右される株式売買益の偶然性等の特殊性、当時五〇回かつ二〇万株との課税の技術性、それから来るところの捕捉の困難性、更には、各年分の株式売買につき譲渡益が出た年分だけ課税され、損失が生じた年分について、課税上何ら考慮されないこと及びこれらから生じる株式譲渡益課税の不公平性等の問題があることはつとに指摘されていたところであり、これらの点を考慮して、現に二〇億円以上の株式売買による雑所得をほ脱した事案につき執行猶予に付している事例が存するところであるし、同じ脱税額においても、事業所得の事案は実刑に、他方、株式取引にかかる雑所得の事案は執行猶予となっている事案がみられるのである。
右のような税制に対する批判を前提にしてなされた最近における株式売買にかかる所得に対する税法の改正を見るまでもなく、改正前のこれら株式取引に対する課税の特殊性を全く考慮せず、単に数額だけを比較して、被告人が強い社会的非難に値するという原判決には到底納得し難い。
5 被告人が納税申告をしなかったことについて
原判決は、被告人が昭和六二年分の所得税の申告に際し、公認会計士から真実を申告するよう勧告されたのにこれを実践しなかった理由につき、被告人が正直に申告すれば稲村代議士の脱税行為も発覚するおそれがあったため、同代議士から正しく申告を思い止どまるよう要請されたことによるものであると認められると判示し、第一審判決が親交のあった代議士が対応してくれるものと期待した、との判断と異る判断をしたことは誠に正当である。しかし、原判決の「この点を減殺して考慮しても被告人の刑責はなお重大である」との判示には承服し難い。
稲村代議士から被告人に申告を思い止まるように言われたためであることの意味は極めて重大である。申告納税制度であり申告義務は被告人にあるとはいえ単に親しいだけでなく、代議士から止めるように言われていたのであるから、それに従うのが一般人なのではあるまいか。
してみれば、被告人が昭和六二年分を申告しなかったことを強く非難することは妥当ではないとともに、昭和六一年分について、被告人には申告義務があることすら認識していなかったことが明らかである。
6 原判決が被告人の責任が思いと指摘する点について
原判決が被告人の責任が重いと指摘する点は、右のように必ずしも妥当ではない上、原判決は被告人に酌むべき事情についてはそれなりに列挙しているものの、実質的にはこれら酌むべき事情を量刑の結果に余り反映させていないのではないかと思われるので、以下において量刑上重視さるべき諸点について検討する。
(一) 仕手筋に便乗協力したものではない
原判決は、第一審判決が「仕手筋の人物との取引による分は、名は株式取引とはいえ、実質は同人の株扱いに便乗して多額の利益に預かったもので、中には株買い占めへの協力の見返り的性格のものもあり、健全なものとはいえない」と判示した(第一審判決四丁裏、五丁表)点について、弁護人のこれは別件で得た心証に基づく説示であるとの主張を排斥しているが、この量刑事情判示の点に訴訟手続に重大な違反があるか、著しい事実誤認があることについては、前記第一点において既に明らかにしたところである。
しかも、この点が量刑判断にあたって重要な要素となっていると思われるのでこの点について再論したい。
原判決の仕手筋とは小谷を指していることは明らかであるが、小谷及び稲村代議士らの捜査段階における供述及び被告人の供述を検討してみても、小谷が仕手筋と認められる証拠は存在せず、まして、被告人が小谷を仕手筋と認識していた証拠はもとより、被告人が仕手筋である小谷に協力した、あるいは便乗したとか、更には小谷の株買い占めに協力した見返り的性格と認められる証拠は全く存しない。第一審裁判所は稲村元代議士に対する所得税法違反事件の判決中に同人に対し実刑を科した理由中において「仕手筋の人物との相対取引で、正に労せず巨額の利益を得ていた」とか、「仕手筋の人物との取引にあたっては他人の名義を使うなどして」等と指摘している部分がある(判時一四一四号一二六頁以下)。また、同裁判所は元国際航業役員浜口博光らに対する所得税法違反事件の判決の理由中において「仕手筋に協力した株売買は不公正で背信的」と判示しているようである(平成四・四・三朝日新聞夕刊等)。これら同じ裁判所で判決された小谷がらみの事件について、裁判所は一様に仕手筋に協力したかどうかなどを含め仕手筋の小谷との取引を量刑の判断の重要な要素にしているとみられる。
しかし、小谷が客観的に所謂仕手筋であり、株の買い占めをしていた者であるにせよ、各事件の証拠は異なっており、少なくとも被告人の本件所得税法違反事件においては前記のとおり、被告人が小谷を仕手筋と認識していたとか、あるいは、これに協力したとかその買い占めに便乗した見返りと認めうる証拠は存しない。第一審裁判所には小谷がらみの事件が何件も係属していたので、小谷と取引した各被告人について、一様に仕手筋に協力したとか買い占めに便乗して利益を得たとの判示になったものと思われるが、被告人には妥当しないことは証拠上明らかであるし、これを是認した原判決も到底納得しうるものではない。
そして、重要なことは、被告人は仕手筋の小谷に便乗ないし協力したというよりは、小谷や稲村代議士らに利用された面があると評価するのがむしろ妥当であるということである。
すなわち、小谷がらみの取引について見ると、なるほど小谷は被告人にも株で儲けさせてやろうとの気持から、被告人に株式の売買を勧めたものであるが、他方、小谷について、被告人は当時全く認識していなかったとはいえ、客観的には所謂仕手筋であり会社株買い占めを意図し、被告人らに国際航業株を市場で多量に買って貰ってこれらを引き取ることができればその目的を遂げやすいことを考慮に入れて、被告人に全財産を使って買ってもよいなどと言ったのではないか、あるいは、飛島建設株についても高値形成のためであったとしても、被告人はこれに利用されたもの、と認められるのである。
他方、稲村代議士は、小谷が仕手筋であることを十分知悉していた上、同人が治療を受けて感謝している被告人に対して教える株情報を利用し、これに便乗して取引をして、自ら多額の利益を得たいと考え、株式取引には素人で、小谷が仕手筋であることすら知らない被告人に対し、「一人でやると大火傷をするから株をやるときは、自分に云うように」と話して注意しておきながら、これを信頼した被告人から小谷の株情報を常時提供させて取引していたのである。
被告人自身も稲村代議士と一緒に取引することの安心感が生じていたとはいえ、他方、被告人が稲村代議士に送ったお祝いの一件にしても、同代議士自身は被告人に話さずに小谷から独自に得た情報により多量に株式を取得していながら、被告人に秘匿していたことを見ると、同代議士も小谷の被告人に寄せている信頼を積極的に利用して株式取引により多額の利益を得ていたと思われるのである。これら両者に利用されていた点について、被告人は前記のとおり本件当時全く意識していなかったとはいえ、関係証拠によれば、純真で株式取引の世界を知らない医師が他人を信頼し、その親切心と思いそのアドバイスや指示に感謝しながら実は彼らに逆に利用されている一面が現れていると認められるのである。
右事情により、被告人の本件責任を他に転嫁するものではないが、右両名に利用されたことにより被告人の株式取引量が飛躍的に拡大して行き、その結果事件のほ脱額が多額になったことは否めないのである。
そして、被告人が仕手筋に便乗ないし協力したのではなく、むしろ彼らに利用された側面こそ被告人の量刑判断において重視さるべきであるのに、原判決もまたこの点を看過しており、到底承服し難い。
(二) 動機は個人的利害に基づくものではない
第一審における被告人質問のほか各情状証人の証言によって、平素から至極真面目な学者であり、誠実な医師で、遊びも知らず、およそ賭事等は全くの無縁であった被告人が何故急に本件のような株式取引をするように至ったかについては略明らかになったと思われる。即ち、被告人の患者に対する真摯な治療態度、並びに医療技術に心をうたれた小谷が、病院設備改善のため株式取引を勧めたことに端を発するが、当初は全く株式取引の世界には無知で関心もなかった被告人にとって、小谷の勧めにも心を動かさなかったのであるが、やがて、自分の蓄財からではなく地域の患者のため、病院の設備改善に心が動いたのである。このことは、被告人が原審法廷で述べている言葉をもっていえば、「これからの医療を考えると、これからの病院は、官公立病院のように大きくなり、町の小さい病院は次第に取り残されるようになり、かくては、大切な地域医療を果たせなくなる。将来は病院を大きくして地域医療に尽くしたいと思った。」ということである。かように、被告人は単なる収益、蓄財を目的としたのではなく、自分の追究する理想的な地域医療の実現のため、小谷の勧めに心が動いたものである。
実際にも、被告人は、本件株式取引の収益から遊興費に使ったことはなく、逐次ではあるが、レントゲン機械等の購入のため約三〇〇〇万円、病院の改装費に約一〇〇〇万円、その他の医療器具機械に約五〇〇万円ないし六〇〇万円、病院用地の購入に約七〇〇〇万円、その他病院の経費に約三〇〇〇万円ないし四〇〇〇万円を支出している。これは、本件の収益からすれば少額ではあるが、本件の場合、被告人が株の取引を始めてから極めて短期間の中に、告発されたことにもよると思われる。
そこで、以上の事情を考慮すれば、地域医療に貢献していることは否定できず、「個人的利益の追及に資するものといわざるを得ず……、特に斟酌すべき情状とは考え難い」とする原判決の指摘は妥当ではない。
なお、被告人の実質的な所得、使途、留保状況等について述べると次のとおりである。
(1) 被告人は、本件ほ脱所得につき、その一部を病院施設、備品等に使用したことは前記のとおりであり、他は、預金・株式等で留保していた。預金については王子信用金庫巣鴨支店、第一勧業銀行大塚支店他二〇機関に、定期預金、普通預金ほか数種の預貯金を被告人名義の他病院、家族名義のものが多数あるが、ほ脱所得(株式取引)に係わるものは、王子信用金庫巣鴨支店、第一勧業銀行大塚支店他数行であり、その他は、口座開設日・種類・名義人・金額とその変動状況等からみて病院関係ないし家事関連のものであることが明らかである。このことは、被告人がほ脱所得の分散・隠蔽を積極的に意図していたものではないことを示すものである。
(2) また、留保株式についてみると、次のとおり実質的には含み損を抱えているものがある。すなわち、被告人の昭和六二年分の株式売買によるほ脱所得は一二億三三八五万円余となっている。しかし、被告人が同年中に買い付けた日立化成工業株六五万一〇〇〇株は一株平均単価二二六二円余であったが、取得後値下がりをしており、既に同年末の株価は一五〇〇円となっているのであって、同年中に被告人が日立化成工業株を全株売却していたとすると、約五億円の損が発生している計算となる。被告人は同年中に右株式を実際には売却していないため実損は発生していないが、右五億円は含み損となっていたのである。
被告人は右日立化成工業株式のうち三〇万株を平成二年に単価一四五〇円の安値で売却処分したことにより、右含み損が現実のものとなった。しかし、被告人は右株の残り三五万株余を現在も所持しているものの、平成元年五月二二日現在、同株価は一二八〇円となっており、大巾に値下がりしたまま処分するに処分できない状況に置かれている。
なお、平成五年四月一五日現在、右株価は一〇三〇円である。このような最近の株価の下落状況を考慮すると、最早右株の単価が短期間に回復しないことは明らかであり、早晩残余の株の売却をせざるを得ずこれによる損が現実化することは明らかである。
以上の次第で被告人は株式取引に明るくないため、昭和六二年中に右株を売却しなかったとはいえ、同年末の時点で既に含み損約五億円を抱えていたのであるから、同年中の被告人の株式売買による実質的な所得は、前記一二億円余の所得から右五億円の含み損が減算したものとみられるのである。
このほか昭和六二年中に銀行から勧められて買い付けた第一勧業株式五〇〇〇株も同年中に売却しなかったとはいえ、平成二年一〇月に半値以下で売却処分しているのである。このように昭和六二年中に売却しなかったため損が実現しなかったとはいえ含み損が生じており、昭和六二年中の実質所得を形成していないことを量刑上考慮されて然るべきである。
(三) 昭和六一年分については被告人に違法性の認識がない
この点は前記第二点で詳述したとおりである。
すなわち、昭和六一年分における法律の認識については、昭和六二年二月に至って、始めて当時の斎藤事務長から名前を借りる際、株の取引については枠があることに気付いたという程度のものであったのが真実である。してみると、昭和六一年中における法律の認識はなかったと言わざるを得ない。それ故にこれらは被告人が、昭和六三年二月、所謂相沢代議士による株式取引ほ脱事件の報道記事を読んでも直ちにその意味するところが理解出来ず、上野の高野公認会計士方に赴いて、始めて知るに至った情況に符合するものである。
(四) 犯行(株式取引)の態様について
(1) 被告人は昭和五九年度から知人の斎藤邦紀の勧めにより菱光証券を通じて若干の株式取引を行うようになったが、被告人は同証券会社の担当者に会ったことすらなく、それも被告人の妻が発注する程度であった。
被告人が株式取引を頻繁にしかも多量の取引をするようになったのは、前記のとおり小谷を知り同人から昭和六一年七月巴組鉄工所株式の売買を勧められたのがきっかけである。
しかも、小谷の推奨する銘柄については稲村代議士から一人でやると大火傷をするから、株をやるときは同代議士に話してやるようにいわれたため、同代議士に相談の上売買したものである。
(2) 被告人は、昭和六一年七月以降光世証券東京支店、三洋証券本店、日産証券本店、勧業角丸証券駒込支店等と取引をするようになったが、光世証券及び日産証券は稲村代議士の紹介によるものであり、また、三洋証券は小谷が頼んでくれたものであり、勧業角丸証券は第一勧業株を買うよう銀行から勧められたことにより生じた一回限りの取引である。しかし、これら証券会社数社を使ったとはいえ、右のように稲村代議士や小谷から紹介されるなどしたことによるものであり、しかも三洋証券は、小谷自ら発注したものであり、被告人自身として多くの証券会社を使用することによって頻繁に取引を行い、あるいはこれにより本件の発覚を防止しようとするなどの意図は全くなかったのである。
(3) また、被告人は菱光証券、光世証券、三洋証券等における株式取引にあたり、妻をはじめ家族名義の口座の開設及び使用については証券会社の担当者から取引に枠があるから他の名義を使用するように言われたため、開設した上それらの名義で取引したものである。株式取引にあたり他人名義を使用すること自体仮装隠蔽として非難されるのは已むを得ないとしても、被告人は株の取引に関し全く素人であったため専門家である証券会社の担当者のアドバイス、示唆に従ったものであって、自ら積極的に行った場合と異なり同情の余地があるものである。
(4) 次に、被告人の株式取引は大部分が小谷、安田や証券会社の勧めによって取引したものであり、株式売買の発注は国際航業等の所謂小谷銘柄については小谷の指示どおりの価格等で発注し、その際の使用名義は証券会社に任せていたのが実情であるし、証券会社に勧められた銘柄の売買についても殆ど証券会社に使用名義を含め一任していたのが実情である。
だからこそ昭和六二年中の取引についてみると、斎藤龍彦名義の取引自体課税要件の五〇回以上の範囲を超え、八〇回以上の取引となっていたのに被告人も気付かなかったのであるし、妻節子名義の取引についてすら同様五〇回を超えていたのに全く気付いていないのである。しかも右斎藤名義については、斎藤自身も別に同人の名義の取引をしているのに、被告人もまた名義を貸した斎藤もその両者使用の回数を全く考慮に入れずに取引していたのである。この点から見ても、被告人が証券会社に名義分散を勧められて他人名義を使用したとはいえ、これに被告人が積極的に指示ないし関与しておらず、名義分散を殆ど意識しないで取引していたことが明らかであり、犯情軽微である。
(5) 被告人は小谷のコーリン産業との相対取引においても他人名義を使用しているものがあるが、これについても単に家族名義によるか、または証券会社を通じて買ったときに使用された名義により相対取引で売却したというようなものであって、確かに他人名義の使用そのものはよくなかったとはいえ、この点においても右同様犯情は軽微である。
(6) ところで、株の素人である被告人が昭和六一年と同六二年に多数回にわたり多量に株式取引をして利益を得て、これが所得を申告しなかったこと自体非難さるべきであるとはいえ、前記のとおり被告人が小谷、稲村代議士らに利用された面があったことも否定できず、犯情として考慮されて然るべきである。
(五) 税金は、修正申告のうえ完納しており、社会的制裁も受けている
(1) 被告人は、査察調査着手後、本件後関与することになった税理士にも調査に協力してもらう一方、国税局の調査により、本件に関するほ脱所得、ほ脱税額が確定した段階の平成元年三月一〇日、昭和六一年分及び同六二年分の二年分について、国税局の調査結果に基づいて積極的に修正申告を行った。
そして、これらの納税関係を見ると、本税については平成元年五月一〇日までに二年分合計八億三〇五〇万七九〇〇円全額を納付ずみであり、また、重加算税、延滞税及び地方税についても全力を尽くして順次納付し、平成元年一〇月三一日をもって本件に関する国税、地方税全額を納付している。
このようにして納付した国税の合計額は一一億九一三一万四〇〇〇円であり、地方税の合計額は二億二一七三万五三〇〇円であり、これらの合計額は一四億一三〇四万九三〇〇円にのぼっている。
この合計金額は、本件当時の最高税率が七〇パーセントで極めて高率であったことなどから、被告人が起訴されている二年分のほ脱所得の合計額を遙かに超えるものとなっているのである。
被告人が、このように本件に関し積極的に修正申告をし、多額の借入金までして納税に務めたのは、強い反省の態度と自覚の現れであり、その誠意と努力を量刑上充分考慮されて然るべきである。
そして、このように納税してきたことにより、本件ほ脱による国家課税権侵害による被害は既に回復している上、右のとおりほ脱所得を遙かに超える納税をせざるを得なかったことによる経済的負担自体が強い社会的制裁を受けたということが出来る。
(2) 被告人は今般かような大罪を犯したことに深く悔悟し、その社会的責任をとる意味において、昭和六三年八月昭和大学理事を辞任したことを始めとして、平成元年一月豊島区医師会理事、同学校保健医監事、都立文京高等学校、放送大学等の校医を辞任している。また、この事件を前後に新聞、テレビ、ラジオの報道によって、被告人の社会的地位等に対する非難は、誠に厳しいものであった。これも大きな社会的制裁である。
(六) 被告人は人望もあり、公共に貢献した
(1) 先ず大学に対する貢献については、被告人は、昭和三五年三月昭和大学医学部卒業後医師国家試験に合格、昭和四〇年三月同大学医学部大学院内科学を卒業して、医学博士を授与され、その後、学内においては、昭和四三年三月同大学医学部成人病科専任講師(昭和四四年四月日本内科学会内科専門医指導医)、昭和四六年四月同大学医学部成人病科教授代行に就任したが、当時の大学紛争等のため退職し、昭和四八年四月から山口内科、昭和五五年一二月から山口医院を開設した。しかし、再び昭和五〇年一〇月には同大学評議員、昭和六二年八月同大学理事に就任して、学内の刷新に努力する一方昭和五六年三月からは(財)昭和大学医学振興財団評議員、昭和五八年四月から同財団理事に就任して同大学の医学振興に努めている。
(2) 他方、医学研究上の業績については、先ず抗癌剤の研究を始めとして、高血圧の本態について、血圧は中枢、即ち脳の支配で血圧が変動するので、その中枢機構の研究を行い内科学会総会において発表し、大いに学会で認められたことが特に有名であり、これには、同大学医学振興財団からも秦学術賞を授与されている。
また、同大学における成人病学を確立させた功績も大きく、更に、その後法医学の渡辺富雄教授と共同でポックリ病を研究するなど医学上の功績は誠に著しいものがある。
(3) また、開業後の治療についても、被告人は、自ら山口病院において、所謂I・C・U(集中救命救急治療室)五室設け、テレビモニターのほか、心電図、血圧値、脈拍数等が全部ナースセンターに直結されて患者の救命救急を行っているほか、全身のC・Tスキャンもあり、また、癌研病院からは末期癌の患者も引き受け所謂ホスピス同様の治療を行っており、また、消防署からは、救急指名医を依頼されて引き受け、昼夜を分かたず救急医療に盡力し、そのため幾多の感謝状も授与されている。
(4) 更に地域社会においても開業後、昭和五九年四月ごろから豊島区医師会理事、同医師会学校医部理事、同区学校保健医会理事(その後監事)、また、学校医としては都立文京高等学校校医、放送大学学校医として、地域住民の医療、健康増進、公衆衛生にわたり、幅広く活動し、地域社会に貢献したことは原審において工藤証人も証言したところである。
このほか、昭和五五年から同五七年まで、戦後における青少年の国際平和貢献を目指した人間形成を目的として設立された財団法人国際平和協会の理事及び同六三年五月から平成三年三月までの間、私立学校法人巣鴨学園の理事を勤めるなどして、国際平和に貢献するとともに私立学校の発展に寄与した。
(七) 被告人は現在大病を患っており、将来の生活設計も危うい状態にある
(1) すなわち、被告人にとっては、これも今回の制裁として受止めているが、次のような大病を患った。
被告人は、昭和六三年八月東京国税局査察部の取調を受けた際、心筋こうそくの発作に襲われて日本大学附属病院に入院し、同年一一月一日同病院で冠状動脈バイパスの手術をうけた(弁第五号証)。この手術は、被告人も供述するとおり、心臓を一時外に出して凍結させて手術するものであるが、これに加えて被告人は特殊血液体質のため手術後血液が容易に凝固しなかったため、予想外の大手術で、一時は生命も危惧された程であった。そのため、診断書及び原審における被告人の供述のとおり、現在においても未だに狭心症は不安定な状態にあり、精神的ストレス等により血圧上昇(約二〇〇mmHg)や頻脈を伴い、発作が頻発しており、ニトログリセリン舌下にて急をしのいでいる状態にある。
従って、健康面においても医師として将来の生活設計は誠に危うい状態にある。
(2) 被告人の家庭の状況については、妻節子のほか、長男佳志は独協医大六年生、次男の政志は松本歯科大四年生(但し、昭和六三年九月脳腫瘍の手術を受けた)であってすべて勉学中であり、長女享子は東京医大を本年三月卒業したとはいえ、現在、生計は専ら被告人に依存している状態にあるが、被告人にとっても、妻節子が第一審で証言しているとおり、本件の納税のため、金融機関からは約一四億円を借金したほか、自宅の土地、建物、病院の事務所、看護婦寮等を売却して返済したが、現在借入金は一九億八〇〇〇万円あり、毎月金利だけでも約一五〇〇万円を必要とし、仮に現在残っている病院の土地、建物、駐車場を売却して返済したとしても、約四ないし五億円の借金が残るという状態にあり、また、被告人の右健康状態に加え、将来、医道審議会による医療業務停止等を考慮すると、被告人に対してはこの面においても十分に社会的な制裁が科せられているというべきである。
(八) 改悛の情について
本件については第一審判決及び原判決も指摘するとおり、被告人は当初から十分反省し、捜査当局の調べに対しては、終始協力し、特に関係者の行動についても、捜査当局の未だ知り得ないところまで積極的に供述したことは記録上からも明らかに認められるところである。検察官もかような被告人の真摯な姿勢を認め、また、前記身体の疾患も考慮した結果、被告人については所謂在宅起訴と相成ったものである。
しかも、被告人は、株は「もうこりごりです」と公判廷で述べており、また、和食公認会計士、高橋税理士による病院、家事関連等の会計処理体制を整えているのであり、今後再び本件の如き事件を起こすことはない。
(九) 小谷がらみの事件の判決における量刑との比較
被告人は、二年分合計のほ脱税額が八億二七九〇万円余であるところ、検察官の懲役二年六月及び罰金二億五〇〇〇万円の求刑に対し、一審判決において懲役二年及び罰金二億三〇〇〇万円としたが、原判決は弁護人の量刑不当の主張を一部認めて、被告人につき懲役一年八月及び罰金二億円とした。
他方、被告人と同じ第一審裁判所で判決のあった稲村代議士については、三年間合計で一七億二八七万円余りのほ脱額であり、ほぼ被告人の二倍のほ脱税額であったが、求刑が懲役三年六月及び罰金五億円に対し、懲役三年四月の実刑に処したものの、罰金を科さなかった。この稲村元代議士に対する判決の当否はともかく、この事件の判決と比較すると、被告人に対する判決は明らかに著しく重きに失し不当と言わざるを得ない。すなわち、被告人は罰金二億円を併科されており、その換刑処分は一日当り六〇万円である。従って、罰金を支払えないときは三三四日(端数一日換算)労役場に留置されることになるが、そうならば、被告人は懲役刑と合わせて二年七カ月間受刑及び労役執行されることになって、三年間で被告人の二倍以上を脱税した稲村元代議士(現在控訴審に係続中)との量刑が未だ近似しており、被告人の量刑が著しく重くなってということができる。
各事件には、それぞれ異なる事情があるとはいえ同じ株式取引で脱税した事案であり、量刑は公平になされるべきである。そして、被告人につき右のような重い罰金を併科するのであれば、懲役刑につき執行猶予に付して罰金を納付させるのが妥当である。すなわち、若し実刑とするのであれば右稲村と同様被告人に罰金を科さないのが公平な量刑というべきであろう。被告人は本件について本税及び附帯税、地方税を完納しているのに対し、第一審判決時、稲村代議士は本税等の多額の未納分があるとのことである。被告人は多額の借金を背負いながら本税等を完納したのである。この上多額の罰金を併科されるのに、他方、本税等多額の未納の者に対し、財産がないから罰金を併科せずとするのは著しく公平を欠き量刑の均衡を失しているというべきである。従って、被告人に重い罰金刑を併科するのであれば、刑の均衡上懲役刑については執行猶予に付すべきである。
(一〇) 患者等関係者から嘆願がなされていること
被告人はもとより前科前歴はないが、第一審及び原審において被告人の懲役刑につき実刑判決があったことは、ひとり被告人のみならず、その家族、親族を始め患者等関係者に至るまで大きな衝撃を与えた。殊に患者としてその生命を全幅の信頼を被告人に委ねている多くの者にとって、被告人の実刑判決は他人事ではなく誠に深刻であり、その動揺には大なるものがあり、この点は看過できない。
(一一) 社会的貢献等について
被告人は、原判決も述べているとおり、個人で豊島区西巣鴨に所在する山口病院の他、池袋のサンシャインビル内に山口クリニックを経営しているが、特に右サンシャインについては、別添(株)サンシャインシティ特別顧問菅野重吉氏の嘆願書にあるように、同所敷地は元東京拘置所の敷地であったものであるが、国からの要請により同地域を池袋副都心として発展させるため、国のためには東京拘置所の移転、建設のほか、旭川刑務所、黒羽刑務所、川越少年刑務所、岡山刑務所等を建設増改築して国に引渡し、右元東京拘置所の跡地にはサンシャインシティを建設したものである。
その際、被告人もまた地域住民からの要望に応え、右池袋副都心計画に賛同、協力してサンシャインビル内にクリニックを開設して、地域医療に献身し、右菅野氏ほか数多の住民の治療にあたり地域住民にも、しばし感動を与えたのである(末尾添付の菅野重吉の最高裁判所宛嘆願書参照)。
そして、多くの患者等から引続き被告人が医師としての治療を続けられるよう、是非とも執行猶予に付して頂きたいとの真摯な嘆願が多数なされている。
被告人の本件犯行を見るとき、ほ脱額が高額であり、ほ脱率が高率である点を除いては、被告人に不利益な事情は全くなく、他は被告人に有利な事情ばかりである。
以上、諸事情を考慮すると、かかる病弱な医師である被告人については、刑事施設に送るよりは初犯でもあるので、今回に限り、社会内処遇を選択し、社会内において更生の機会を与えるとともに、社会公共のため被告人の治療を希求する右患者らに対する医療等に従事させる方が、被告人の健康状態等からしても所謂刑事政策上の社会内処遇に適合し、その効果も十分期待し得るところであるのに対し、被告人を実刑に処することは、被告人が多くの患者から信頼の厚い医師であるだけにその社会的損失は計り知れないものがあるばかりでなく、被告人が医業の世界から完全に葬り去られることも必至である。原判決は、一般予防を重視しすぎるものであって、刑政の理念に悖るのみならず、これが影響するところ極めて重大である。被告人に対する懲役刑については執行猶予に付するのがあらゆる観点から妥当であり、これを付さなかった原判決は著しく重きに失し不当であることは明らかであるとともに、罰金の併科についてもその金額を含め著しく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと確信する。
<省略>
嘆願書
私は、横浜市に住む一市民です。先ごろ東京髙等裁判所において山口明志医師(58才・東京都豊島区西巣鴨1の19の17在住)に関し、所得税法違反の判決が下りましたが、このことにつきまして永年の公私にわたる友人として一言所感を申し述べたく筆をとりました。
既に新聞等でも報道されていることですが、山口氏は豊島区医師会の有力なメンバーであり、その学識と卓越した医療技術は、当地だけでなく日本の医学界においても髙く評価されております。また温厚な人柄のため、多くの患者から慕われて、氏の経営する山口病院は今や地域医療の要として、当地にとっては欠くことのできない存在になっています。こうしたことは当局においても十分ご理解頂いているものと思いますので、今更私が申し上げるまでもないのですが、氏の日常の人となりを知る者として、此の度の不祥事はまさに晴天の霹靂にも等しく、しばらくは信じられない思いをしたものでした。
私が氏と知りあったのは、今から約二十年ほど前の昭和47.8年頃のことでした。この当時私は、株式会社新都市開発センター(現・株式会社サンシャインシティ:東京都豊島区東池袋三丁目1番1号所在)の業務部長(池袋副都心再開発事業建設事務所長を兼務)を勤めており、専らサンシャインシティ(豊島区東池袋三丁目1番にある建物群をいいます。)の建設業務に携わっておりました。
ご案内の通りサンシャインシティのような大型施設を建設する場合は、工事を円滑に進捗させるために、付近住民からの事業協力を取りつけることが何より肝心です。とりわけ付近住民から医療施設の新設につき強く要望され、これを満たすことが重要かつ、なによりも効果のあることとなっていました。しかし医療施設を新設する場合には、地区の医師会の同意を得ることが必要不可欠であります。幸い私は、地元の大塚地区で開業していた鶴見秀夫医師(内科医:故人)と懇意にしておりましたので、鶴見医師を通じて山口氏にお会いし、協力をお願いしたのですが、思えばこれが山口氏を知己に得たきっかけでした。
病院の開設については、医師としての人格・技術はもとより、設備・看護婦を整えるなど経済的に莫大な負担が必要で、容易なことではありません。それで私は救急病院である山口病院を親病院とすることができ、かつ地元医師会との調整を図ることができる山口氏に何度も会って、医療施設の必要性を説き、建設への協力をお願いしました。そして更に、サンシャイン60ビルができた暁には、その中心的な医療機関として是非入居してくれるよう併せてお願いしたのです。
若干の経緯はあったものの、氏は私のこうした要望を殆ど受け入れてくれました。現在サンシャイン60ビルの7、8階は全部がクリニック階になっていますが、この7階には山口病院の分院(山口クリニック)があります。これにはこんないきさつがあったのです。
この時にもし氏のご協力がなかったならば、サンシャイン60ビルクリニック階の建設は出来なかったかも知れませんし、そのために工事も多分遅れたことでしょう。また私にとってもこの当時から病気を抱える身だったので、工事が円滑に進んだこともさることながら、医師としての氏を知って非常に心づよく思ったものでした。
ともかくこうしてサンシャインシティは、予定通り昭和53年3月末に完成することができたのです。
ところでサンシャインシティを昭和53年3月末までに完成させるということは、実は会社(株式会社新都市開発センター)にとっては、企業の存亡にかかわる大問題でした。何故かと言うと、サンシャインシティが建設された土地が、以前は東京拘置所の所在地だったからです。
これだけでは何のことかお分かり頂けないと思いますので、このあたりの事情を少し詳しく説明しますと、東京拘置所は今は葛飾区小菅に所在していますが、昭和46年3月までは豊島区東池袋三丁目、つまり現在サンシャインシティがある場所に所在していました。しかし池袋に東京拘置所があったのでは、池袋は何時まで立っても発展できません。そこで東京拘置所を余所に移転し、その跡に副都心をつくることになったのです。
東京拘置所の跡地と言えば国有地です。従って国が跡地を処分しようとする場合には、種々の制約があります。またそれを取得する側にも幾つかの厳しい条件が課せられ、その条件を満たさなければ取得出来ませんでした。そうした条件の中で最も難しかったのが、東京拘置所の移転先を確保することと、跡地に池袋副都心を建設すること(「指定用途」といいます。)で、しかも建設の期限は昭和53年3月末日までと指定されていた(「指定用途に供すべき始期」といいます。)のです。ですからもし会社が、昭和53年3月までに池袋副都心(つまりサンシャインシティ)を完成させなければ、国有地売り払い条件の不履行になり、国から契約を解除させられる可能性があったのです。
東京拘置所は結果的には会社が用意した施設(小菅にある現在の東京拘置所)に移転しました。この移転に際して国が採用した方法が、建築等価交換方式と言われるものです。簡単に言うと、国が必要とする施設(東京拘置所の代替施設)を会社に作らせて東京拘置所の跡地と交換する。すると交換を実行した結果として移転が実現するという寸法です。因みにこの時東京拘置所の跡地と交換された施設は全国6ヶ所に渡っており、具体的には次の通りです。
<1> 旭川刑務所
<2> 下野刑務所(現黒羽刑務所)
<3> 東京拘置所(旧小菅刑務所)
<4> 浦和拘置支所
<5> 川越少年刑務所
<6> 岡山刑務所
(これらの施設は全て会社が建設あるいは増改築して国へ引き渡したものです。)
交換はかって国がしばしば用いた方法でした。が、特殊な方法だけに国としては交換が出来ただけでは駄目でした。すなわち東京拘置所が単に小菅に移転出来ただけでは国有財産の処分としては十分でなく、会社に対して東京拘置所跡地を期限内に、副都心として再開発させねばならなかったのです(前述した用途指定と用途指定に供すべき始期のことです。)。それを会社側で出来なかった時は、契約解除を含めた措置が必要でした。そして更に、国会で取り上げられて政治問題化する恐れさえあったのです。こうしたことから、サンシャインシティが予定どうりオープンできたということは、会社は勿論ですが国にとっても非常に意義があったのです。
私はサンシャインシティが完成した後も引き続き会社に勤務し、昭和53年6月には常務取締役になりました。そして平成2年6月に代表取締役専務に就任し、平成4年6月に特別顧問になって現在に至っています。この間、昭和54年6月には山口氏の勧めにより、順天堂大学病院に入院、足の手術をうけたのですが、この時の主治医の話では、もう少し遅れれば大事になるところだったとのことで、本当に危ういところを助けられたのでした。そして昭和58年6月には、法務行政に対する長年の協力が認められて、時の法務大臣秦野章氏より感謝状を戴だくことになったのです。
思えば私がかかる栄誉に浴すことができたのは、健康を取り戻したからこそであって、これも山口氏のお陰であると言ってもいいでしょう。
さて私がこのようなことを申し述べますのは、もとより自分の経歴を自慢したいためではありません。周囲の人々や先輩から、適切なご指導やご協力があれば、私のような浅学非才の者でもそれなりの道を歩むことが出来、世間からも認めて貰えるのに、山口氏のような有能の士が、あたら人生を棒に振ってしまったその原因をお考えいただきたいからに他なりません。
山口氏は温厚でかつ真摯な人物です。が、今までの順調だった経歴が逆にあだとなって、人を疑うことを知らない専門バカと言っても過言ではありません。評判のいい医者であれば人は競ってその元に治療を受けにきます。そして耳に快く響く話ばかりするものです。そうして良医として知られれば知られる人ほど世事に疎くなり、やがて常識の外に立つようになっても自分では全く気付かなくなってしまいます。ここまではごくありがちな話だと思うのですが、山口氏が不運だったのは、周りを取り巻く人の中に、金銭的な利益を図る目的だけで氏に近づいた者がいたことです。私がもしそのことを気づいていたならば、諫めることも出来たのにと思い、今でも悔やまれてなりません。
僅かの労力で大きな成果をあげるような話には、普通の者でしたら警戒して立ちいらないものです。が、山口氏にはその警戒心も欠如していたと言わざるを得ません。しかし氏の生い立ちや境遇を見れば、人から感謝されこそすれ、このような下心の元に利用された経験はない筈です。ですからこの点を責めては酷というものでしょう。
山口氏の病院は、山口氏が医師として患者に親切に接し、診断も的確で順調に推移していましたので、法を犯してまで利益を追求する必要などさらさら無かった筈です。ですから今回の一連の行為は、人にそそのかされてやったに違いないと私は思っています。
私は平成2年の暮れにも体調を崩し、この時は一箇月の上も山口病院に入院しました。そして病状も徐々に回復した頃、眠れないままに夜更けに病院内を散歩していました。すると院長室にはまだ明かりが点いていたのです。覗いて見ると山口氏が一人で医学書を読んでいました。
山口氏と目があったので私は
「先生、こんな時間にまだお勉強ですか。」と声をかけたところ、
「今は医者でも毎日勉強していないと、置いていかれちゃうのですよ。」
という返事でした。多分その夜は、容体の難しい患者がいたのでしょう。山口氏は自身も心臓に欠陥を持つ身でありながら、徹夜で待機してくれていたものと思います。
山口氏は医者としては実に立派で尊敬に値する人物です。もし氏が「人は先ず疑ってかかれ。」というような痛みの伴う経験を持っていたならば、また幾分でも狷介な気質を有する人であったならば、こうもやすやすと他人に踊らされることもなかったでしょうし、晩年に至ってこのような汚名に泣くこともなかったに違いありせん。それを思うと返すがえすも残念であり、同情の念を禁じ得ないのです。
どうか審議にあたりましては、氏の医者としての経歴や人となり・社会的貢献等をご配慮戴き、何卒一日も早く社会復帰ができますよう、寛大なご裁定を賜りたく、切にお願い申し上げます。