最高裁判所第二小法廷 平成5年(あ)88号 決定 1993年3月16日
本店所在地
東京都武蔵野市中町一丁目二三番一号
株式会社
伊勢屋
右代表者代表取締役
園部伸子
本籍
東京都武蔵野市西久保二丁目二六番地一一
住居
同所西久保二丁目五番一二号
会社役員
園部一豊
昭和一九年三月二日生
右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、平成四年一二月一六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
弁護人土屋東一の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告の理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平)
平成五年(あ)第八八号
○ 上告趣意書
被告人 株式会社伊勢屋
右同 園部一豊
右の者らに対する法人税法違反被告事件についての上告の趣意は、左記のとおりである。
平成五年三月一日
弁護人弁護士 土屋東一
最高裁判所第二小法廷 御中
記
上告の趣旨
原判決は、被告人株式会社伊勢屋を罰金四、〇〇〇万円に、被告人園部一豊を懲役一年六月に処し、右懲役刑につき執行猶予を付さなかったのであるが、この刑の量定は甚だ不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑訴法四一一条二号により原判決を破棄して頂きたい。
理由
一 はじめに
最高裁判所は、かって、現在の加算税等の前身である追徴税と国税のほ脱犯との関係につき、
「ほ脱犯に対する刑罰が『詐欺その他不正の行為により云々』の文字からも窺われるように、脱税者の不正行為の反社会性ないし反道徳性に着目し、これに対する制裁として科せられるものであるのに反し、……追徴税は、……過少申告・不申告による納税義務違反の発生を防止し、以って納税の実を挙げんとする行政上の措置であると解すべきである。……追徴税のかような性質にかんがみれば、憲法三九条の規定は刑罰たる罰金と追徴税とを併科することを禁止する趣旨を含むものではないと解するのが相当である。」
旨判示された(最高裁昭和三三年四月三〇日大法廷判決・民集一二巻六号九三八頁)、この民事判決は、その後、刑事事件にも援用されている(最高裁昭和三六年五月二日第三小法廷判決・刑集一五巻五号七四五頁、同年七月六日第一小法廷判決刑集一五巻七号一〇五四頁)。
その趣旨は、要するに、追徴税ないし加算税を課しながら、なお刑罰を科しても、二重処罰にならないということであるが、その論旨を正当化するには、徴税の論理と科刑の論理とは別であり、刑罰は、「反社会性ないし反道徳性」の強いほ脱、換言すれば、ほ脱が特に高度の違法性を有し、あえて刑事制裁を行使しなければならないような悪質なものについてだけ科すべきものとの思想が根底にあったと理解せざるを得ない(板倉宏「行政刑法の課題」ジュリスト増刊・現代の法理論一一〇ページ)
しかるに、本件における被告人による税のほ脱行為に対しては、懲役刑はやむを得ないとしても、刑務所に収容し、隔離矯正しなければならないような「反社会性、反道徳性」を発現する悪質なものでは絶対にない。それは、いわゆる実刑と執行猶予とのボーダーライン上に位置するものではなく、明らかに実刑事件とは目し得ないものである。
したがって、弁護人は、原審において、被告人につきぜひとも執行猶予の裁判を下されるべきことを、多くの理由を挙げて縷々詳述した。
元来、租税法規はすぐれて政策的・技術的なものであり、立法の選択の如何や節税対策の巧拙によって、合法と違法、有利と不利を端的にわかつ性質があるのであるから、この点を活眼をもって洞察し、一様に脱税とされているものについても、真に厳刑に処すべきものと然らざるものとの選別が肝要である。
しかるに、原判決は、税法その他の法の解釈適用をただ形式的に行い、一、二審を通じて弁護人においてなした各主張を一顧だにすることなく、被告人に対し不当にきびしい量刑に出られたやに推察され、すこぶる納得できないものがある。以下、原判決の説示に対し反論を試み、最高裁判所貴法廷の適確なご判断の資料としたい。
二 弁護人の主張と原判決の説示、これに対する反論
1 脱税事犯は、いまや、単なる経済的犯罪にとどまるものではなく、反道徳的・反社会的犯罪といわれ、その量刑にあたっては、行為者の悪性・反社会性に注目すべきことが強調されている。そして、その反社会性を捉えるためには、ほ脱額、申告(ほ脱)率のほか、過去の納税成績、ほ脱の動機、所得秘匿の手段方法の態様、罪証隠滅の有無、ほ脱額の使途、再犯のおそれ(経理の改善)、改悛の有無、当該事業ないし人の社会的貢献度ないし公共性等を量刑要素として十分考慮する必要があるとするのが一般であることは、既に原審においても主張してきたところである。にも拘らず原判決は依然としてほ脱額、申告(ほ脱)率のみで、右に挙げた他の量刑要素を無視して量刑をなすという誤りを犯しており、明らかに著しく正義に反するといわなければならない。以下詳述する。
2 本件脱税事件は、ほ脱の動機、手段方法、ほ脱額の使途等のいずれにおいても反社会性の薄いものであること。
被告会社の関係で被告人園部は、架空会社名義の領収書用紙を印刷するなどし、工事費、支払手数料等を架空計上し、圧縮した収入を架空会社名義の貯金口座に入金するなどの手段方法を講じていたものであって、一見すると大胆な手口にみえる。
しかし右手段方法は、実在者を介在させこれと口裏を合わせて罪証隠滅を図るというこの種事犯に多々みられる方法と異なり、仮に査察調査が行われた場合には、必ず反面調査が行われる故に発覚することが明らかな、いわば初歩的な手段方法であり、その意味において反社会性は少ないと言え得る。原判決の慎重な表現ながら「査察開始後の反面調査には到底耐え得ない稚拙な面をも有する」と判示しているにも拘らず、量刑に当たりこの点で反社会性が希薄であることを正しく評価することを怠り、その一方で「犯情極めて不良」と判示する矛盾を示し、被告人園部に対し実刑を言い渡す誤りを犯した。
また動機についても原判決は、「私企業の利益を国民としての納税義務に優先させた」との一面のみをとらえ「酌むべきものも認められ」ないとしている。しかし被告人らは、被告株式会社伊勢屋(以下「被告会社」という。)あるいは株式会社マックホームズ(以下「マックホームズ」という。)の事業資金及びサイパン島における事業資金を確保し、事業の安定と発展を図ろうとしたものであり、そうすることによって、より多くの納税をなし、又は二五〇名に及ぶ従業員らの生活を向上させる等の方法で、社会に貢献することになる(企業の社会性)のであるから、脱税によって個人資産の蓄積を図る等の私的動機とは、その反社会性において峻別すべきなのである。にも拘らず原判決は「私的企業」の故をもって企業の社会性を無視し、個人の蓄財と同視する誤りを犯しており、是正されて然るべきである。
更に、このようにして得た裏金の保管方法も、同種事案にみられるような陰湿な手段を用いて隠匿するというものではなく、収支が明らかになる方法に拠っていて、査察調査を受ければ直ちに全容が明らかになるものであったし、その他の証拠隠滅工作もなかったのであり、加えて着目すべきことは、脱税を個人の遊興その他いかがわしい目的を遂げるための手段にしようとする計画的意図は全くもっておらず、事実、そのような行状もなかったことであって、これらの情状も量刑に正しく反映されなければならない。しかるに原判決はこの点の判断を怠っており、ここにおいても原判決は著しく正義に反するものというべきものである。
3 被告人らは十分に反省悔悟し、その証として全額早期納税等を実行するとともに、既に厳しい社会的制裁を受けており、改めて施設内処遇による矯正の必要はないこと。
被告人らは、本件査察調査の当初段階から、脱税の事実を素直に認めるとともに積極的に調査に協力し事案の全体像を明確にしてきたのであり、この態度は、その後の検察官による捜査及び一審以後の公判の全過程において、一貫して維持されてきた。これは被告人らに特に被告人園部のきわめて素直、率直な人間性の発露というべく、また彼らの改悛の情が顕著であることを物語るものであるが、被告人の言動を時間をかけて子細に観察された一審裁判官がその判決において「当公判廷においても反省の情を披瀝し、二度と違法行為に及ばないことを誓約しており、その誓約に信が措ける」と評価しておられることからしても、被告人らの反省悔悟が、嘘いつわりのないものであること、うわべだけとりつくろったものではないこと、を評価していただけるものと信じている。
被告人らは、本件に係る法人税本税、同付帯税はもちろん地方税に至るすべてを本件による告発次前の段階で修正申告の上納付し、国家財政ないし課税権への侵害はかなり早期において全面的に回復されていた。その金額は約一二億円にのぼる(なお本件との直接のかかわりはないが更生処分を受けた分に係る税額を含めると、二事業年度分で四〇億円余の納税をしている。)が、被告人らはいわゆるバブル崩壊による経済情勢と被告会社等の経営の悪化が顕著になりつつあった過程において、右納税を何よりも優先して行ってきたのである。
国家の課税権にしろ刑罰権にしろ、その行使主体が行政と司法という制度上別個の存在であったとしても、右両権限とも国家という単一の主体に起源することを前提とすれば、課税権に対する被害が回復した以上、バランスとして、あるいは正義、公平の観念に照らして、その対面にある刑罰権の行使は抑制させて然るべきであり、これを本件について言えば、被告人らの全額早期納税の努力は、少なくとも行為者たる被告人園部に対する懲役刑の執行猶予として反映されるべきと考えるのは当弁護人だけではあるまい。
また一審及び原審各判決が認定しているように、被告人らは被告会社の運営及び経理システムを改善し、関与税理士による指導を強化したほか、マックホームズにおいては、被告人園部が代表取締役を退き、主力銀行から財務経理部門を統括するため役員及び実務担当責任者の派遣を求めいわば第三者的監視システムを導入するなどして再犯防止の措置を講じており、これら客観的な立場からしても被告人らにおいていささか再犯の可能性が封じられ、前述の被告人らの主観的側面と相まって、被告人らに再犯の虞は全くないと言っても過言ではない状態にあるのである。したがって被告人園部について改めて矯正の必要などないはずであって、同人に実刑を科すとすれば、応報以外のなにものではなく、刑事政策の目的から著しく逸脱すると言わなければならない。
更に被告人園部は、前述のとおりマックホームズの代表取締役を退いただけでなく、中堅マンションディベロッパーとしての名誉ある地位を放棄するのやむなきに至った。我国における中堅不動産業界の三大団体として社団法人日本住宅宅地経営協会(略称日宅協)、住宅産業協会、日本ハウスビルダー協会が存在するが、そのうち最大の組織であり(東京神奈川で一四九社、全国で六六四社の加盟会社を有する。)三〇年の歴史を有し、住宅建設を促進することによって社会に貢献することをその設立の目的とする右日宅協において、被告人園部は、理事及びその分科会である住宅流通委員会の副委員長の職にあったほか、約二〇社の中堅不動産会社で構成し分譲住宅等を協同事業で安く提供する趣旨で設立された総合住宅共同組合の理事兼共同企画委員長、武蔵野信用金庫の総代等の地位を有していたのであるが、同人は本件による摘発を受けた結果、これらの地位と名誉を放棄せざるを得なかったのである。
またマスコミには査察、告発、起訴とそれぞれの段階においてその都度きびしく報道され、取引先等に同種事犯を累行したかの如く誤解を受けるなど本件による有形無形の影響は枚挙のいとまもない程苛烈であった。このように、被告人は、厳しい社会的制裁を受け、いまや社会的に葬り去られたに等しい状態にあるといってよい打撃をこうむっているのであって、前述のとおり反省悔悟し、これを客観的に示す努力を重ねてきた上、更にかかる厳しい社会的制裁を受けてきた被告人らに対し、特に被告人園部に対し、更に鞭打つが如き実刑を持って臨む必要が何故にあるのか、大いに疑義があり正義公正に反すると言わざるを得ない。
4 被告人園部一豊(以下「被告人」という。)は特に公共性の認められる企業活動を通じて社会的な貢献をしていること、及び社会内処遇によりその実績と経験を生かすべきであること。
被告人は株式会社マックホームズ及び同伊勢屋における勤労者向け第一次取得者用住宅の供給、維持等の企業活動を通じて社会的な貢献をし、かつその実績を有するものであり、またいわゆるバブル崩壊後の地価低下等がみられる今日、右第一次取得者向け住宅の供給にはまたとないチャンスというべく、被告人につき社会内処遇をすることにより、その経験と実績を生かしてより多くの勤労者用住宅の供給に当たらせるのが刑事政策の目的にもかなうというべきであり、最高裁判所貴法廷のご高配にあずかりたいと考えるものである。
すなわち被告人が創設した右マックホームズはマンション分譲を主たる目的として昭和五〇年に設立された会社であって既に一五年の歴史を有し、資本金四億五、〇〇〇万円、関係会社を含め従業員約二五〇名を擁するマンションの中堅ディベロッパーである。
同会社は設立当初から「誰にでも購入し得るマンション」即ち「初めての住宅を購入しようとする三〇~四〇歳代の給与所得者が、従前の家賃相当のローン支払いで取得し得るマンション」の開発分譲を目指しこれを実践して今日に至るものであり、創業以来その総販売戸数五、〇〇〇戸を超える実績を有する。
右会社が分譲するマンションは、賃貸住宅の生活から脱却し、初めて住宅を購入しようとするいわゆる第一次取得者向けのもので、その取得者の平均年収は三〇〇~四〇〇万円に止まるが故に、被告会社のマンション分譲価格は一戸当たり約二、〇〇〇万円前後に止まるが、安いというだけでなく、面積は約二〇坪で第一次取得者層の家族構成等に鑑み通常の需要を満たし、かつ駐車場設備も備わっている上、住宅金融公庫等公的資金の利用が認められる基準に達する建築・仕様・環境を有するものである。
安価で堅牢な住宅をかくも大量に供給し、いわばサラリーマンの夢を実現させ、あるいは赤字経営をあえて覚悟の上で、宅建取引主任者の養成のための学校を営み、同主任者の国家試験で高い合格率をあげるなどしてきた被告会社の、社会への貢献度ないし公共性は極めて高く評価されて然るべきである。
また被告会社伊勢屋についても、右マックホームズと同様地域社会に寄与する事業を営んできた。
右会社は、甲府市などにおいて右マックホームズの場合と同様の理念のもとに勤労者向けの分譲住宅及びマンションの開発、分譲を行ってきたものであり、昭和五六年以降の六事業年度において、戸建分譲住宅等約五〇棟、マンション約二四五戸を供給した実績を有する。また三鷹市及び武蔵野市を中心とする東京多摩地区において、農家を主体とした地主から相談や依頼を受けて、これら地主の所有地に賃貸アパートを建築させ、これによって多くの若いサラリーマンや学生に、都心から近くて安い住居の供給を行ってきたものであって、同社が管理するアパートは三、〇〇〇戸に達する。
このような大手ディベロッパーには到底なし得ない、安くて堅牢なマンション等の住宅を平均的な給与生活者やその予備軍たる学生らに対して大量に分譲することを可能にしたのは、社内外の支援の故はもちろんのことではあるが、被告人園部の、「日本国民の誰にでも買えるマンション」供給という創業理念をかたくななまでに貫こうとする企業人としての信念と、規格化を徹底するなどし通常の半分以下の建設費等へのコストダウンを図ったローコストマンション工法の開発と右工法をこなす施工業者の採用、首都圏の地価高騰による低廉マンションの供給困難化状態下における、他業者による地方での投資用マンションの分譲ラッシュを横に見ながらの、地方都市でのサラリーマン向けファミリーマンションの開発等の企画など、同被告人のひらめきと実行力による以外の何ものでもなく、これは周囲の誰もが確信しているところである。
一般にディベロッパーは、特に大企業であればあるほど、利益の大きい高級マンションや分譲住宅の建設に走りがちであり、被告人園部においても彼の能力からすれば同様になし得たであろう。しかしその欲望を自ら抑制し、平均的勤労者向けの住宅を供給し、サラリーマンとそのファミリー達に喜びを与えることに邁進してきた被告人園部の理念と業績は、国家社会に対する貢献度の高さにおいて評価されるべきであり、それは一審判決において評価を賜ったものの、その程度に止めてはならないと確信する。
このように人並外れた才能と実行力を有する被告人園部につき、長期間獄に繋ぐのは国家的な損失であり、それよりは社会内処遇を考えるべきである。これこそ刑事政策の目的にかなうところであり、社会正義に合致するというべきである。
三 職権破棄を求める-結語
以上、量刑についての原判決の説示の不備、誤謬を指摘した。いささか細部の議論に亘りすぎたかもしれないが、被告人としては、脱税という不名誉な行為を犯したことであってみれば、それ相当の刑に服しなければならないことは覚悟してはいるものの、原判決のこのような見解のもとでは大悟して服役することはできないのである。
弁護人として思うには近時、税法違反事件についての下級審裁判所の量刑は、日増しに重くなりつつあるようにうかがわれる。むしろ、検察官以上のきびしい感覚でのぞんでおられるのではないかとさえ疑われる。特にそれは、実刑と執行猶予の限界の面にあらわれている。このため、いまや、税法違反事件は、脱税額次第では、人身事件よりも、また、破廉恥な財産事件よりも、執行猶予なしの重刑が科せられる傾向があり、かつて、かの業務上過失事件の刑が故意犯のそれよりも重刑であった一時期の異様な捩れ状態の再現ではないかと危惧する在野法曹も少なくない。もちろん、脱税行為は、国家財政の基盤を浸食する経済犯的面だけで捉えるべきではなく、担税力に応じて公平に納税義務を負う国民の共通利益(タックスモラル)を侵害する反社会犯的面こそが重視されねばならなくなっている。したがって、その刑を単なる罰金刑や執行猶予付き体刑だけで足りるとした考え方とは決別しなければならないことはいうまでもない。しかし、それは同時に、適正な量刑というのは、ほ脱税額ばかりでなく(もとより、これが重要であることは当然であるが)、ほ脱行為の態様により反社会性ないし悪性を捉え、過去の納税成績、ほ脱の動機、罪証隠滅の有無、ほ脱額の使途、再犯のおそれ(経理の改善)、改悛の情の有無、社会的貢献度ないし公共性その他、行為者の人格態度を量刑基準の最重要な要素として考慮すべきことが強く要請されていることを意味する(松沢智「租税法の基本原理」二三八ページ)。ちなみに右社会的貢献度ないし公共性を量刑基準の要素として考うべき理由として、例えば個別恩赦の際、その適否判断の最も重要な要素として、社会的貢献度ないし公共性(例えば町内会とかP・T・Aの役員として活動したこと程度でもよい。)が要求され、何らかの形で右要件を満たさない限り門前払いの処理をさせることを参考までに挙げておきたい。
しかるに、本件に関する原判決の態度は、その人格的な反社会性の強弱の面をむしろ軽視し、ほ脱額についても、ほ脱の動機・手段についても、表面的、形式的観察でこと終われりとしている感を否めない。その原因としては、-独断・非礼との批判をおそれず敢えて開陳するならば、-一つには、裁判所が、冒頭に掲記した行政的制裁の論理と刑事的制裁の論理とを十分区別しないことであり、二つには、租税法には政策的・技術的面が多くあって、合法、違法の境界が流動的であるため刑事的制裁をきびしくするにはよほど慎重でなければならないのに、その認識が不足していること、三つには、刑の量定を自覚的に「犯罪の抑制及び犯人の改善更生に役立つことを目的として」(改正刑法草案四八条二項)なすというより、検察官の求刑と量刑相場だけで運用される傾きがなしとしないこと、にあるのではあるまいか。
確かに次々と、いわゆるバブル形成の過程において発生した不動産及び株式取引に係る大掛かりな脱税が摘発されてきた最近の数年間があって、裁判所も、(特に、専門部制をとっている場合には)あとに続く事件のことをも考えて、少しでも甘い量刑をすると、これを先例に擬しての主張が増加し、量刑の弛緩を来すとの懸念をもたれてきたのかもしれない。しかしそのために、十把ひとからげ的な量刑もやむを得ないとの懸念を成り立たせてはいけない。当の被告人にとっては一生一度の大事であるからである。刑事政策理論の進歩の方向として、刑は常に個別的でなければならないといわれるのは、まさに、そこに一つの大きな意義があると思料する。
また当弁護人が一審段階から指摘してきたように、脱税事件の量刑、特に懲役刑についての実刑と執行猶予のボーダーラインをほ脱税額にして三億円台とする下級審の実務の運用は、昭和五五年に脱税事件の実刑判決が初めて言い渡されて以来約一三年を経た今日まで全く変っていない。この間の世界と日本の例えば経済基盤やGNP、給与その他の収入の伸長等と比較したとき、かくも長期間右のボーダーラインに変更がみられないのは奇妙であり、と同時に司法のバリア内の感覚と、一般市民社会ないし経済社会とのそれに甚だしいずれがあるといわざるを得ない。
本件は、すでに詳述したごとく、被告人らの社会貢献度、付帯税を含め全額納税しいわば被害が一〇〇パーセント回復していることなどの諸情状に照らすと脱税事件としては、被告人に、どの面から見ても反社会性の極めて希薄な部類に属する事件であると言い得る。最高裁判所貴法廷におかれては、この際、脱税事件に対する下級審の無差別な厳罰傾向を戒め、その純化をはかるため、本件を例えばモデルとされて、脱税事件の本質を精察された適切な実刑科刑基準を指し示されんことを切望したい。刑訴法四一一条二号の発動は、容易に抜かれることのない伝家の宝刀ではあろうが、本件はそれを適用するについて、ふさわしいケースであろうと思料する。よって職権による原判決の破棄を求める次第である。