最高裁判所第二小法廷 平成6年(行ツ)185号 判決 1995年1月20日
神奈川県厚木市上古沢一三六九番地
上告人
株式会社興研
右代表者代表取締役
松本袈裟文
右訴訟代理人弁護士
小柴文男
井坂光明
同弁理士
千葉太一
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被上告人
特許庁長官 高島章
右当事者間の東京高等裁判所平成三年(行ケ)第二九二号審決取消請求事件について、同裁判所が平成六年六月八日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人小柴文男、同井坂光明、同千葉太一の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 中島敏次郎 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治)
(平成六年(行ツ)第一八五号 上告人 株式会社興研)
上告代理人小柴文男、同井坂光明、同千葉太一の上告理由
第一点 原判決の実体法上の法令(判例)解釈適用の誤り
一 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな特許法二九条二項の解釈適用の誤り(本件特許発明の進歩性についての判断の誤り)又は経験則違反の違法、及び理由不備の違法がある。また、原判決には、大審院の判例(昭和一二年三月三日判決・審決公報(大審院判決)一七号五七頁)に違反した違法がある。
二 原判決は、まず判決理由の最初の部分において、水の抵抗値が温度と電解質濃度で定まるということを周知の事項ないし自明の事項であるとして(判決書二二頁四行目から一〇行目)、これをその後の判決理由で引用している。
しかし、原判決が周知事項と言っているもの(水の抵抗値が温度と電解質濃度で定まること)は、実は電気的原理ないし自然法則である。本願発明の進歩性の判断に当っては、この電気的原理ないし自然法則を適用した具体的構成に想到することの困難性が問題になるのである。
しかるに原判決はこの電気的原理ないし自然法則を周知事項ないし自明の事項であるとして、本願発明において、「少なくとも水中アーク放電を生じない導電率に恒定制御」するために、「適宜手段により水中電解質を・・・排除して所定高純度に調節設定するのと並行して」、「適宜冷却手段にて水温を所定の温度に恒温制御」するということ自体は、この単なる適用ないし応用に過ぎないとした(判決書二二頁一〇行目以下)。
ところで、そもそも発明は自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいうのであるから、すべての発明は自然法則の適用ないし応用なのである。そして、原判決のように高電圧の状況下で適用されることや、水中電解質を積極的に排除するといった発明における具体的構成を捨象して抽象的なレベルで自然法則と対比することになれば、結局いかなる発明も自然法則の単なる適用ないし応用に過ぎないということになり、こうした理由によって進歩性を否定されることになれば、およそ発明の特許性は否定されることになる。
原判決は、こうした誤った認識に基づいてその後の立論をすすめ、結局本願発明の進歩性を否定するに至るのである。
三 原判決は、引用例1、2との対比の判断において、水の抵抗値の制御の問題は高電圧、低電圧で異ることがないとして、高電圧、低電圧の区別を捨象した極めて抽象的で不当な判断を行っている。
1 すなわち、引用例1との対比において、「液体抵抗器において、負荷として必要とされる所要の抵抗値を得るために、電解液の液温を所定の温度に制御することは、液体抵抗器が高電圧用であると低電圧用であるとにかかわらず必要なこと・・・」(判決書二四頁下から四行目以下)、「液体抵抗器の基本的構造は、前示のとおり、液体内に電極を対立させ、電極間の距離または極板の対向面積を変えることによって、抵抗値を連続的に変えるものであって、この液体を抵抗体として用いることにおいて、高電圧用と低電圧用とに変わるところがないことが明らかである。」(同二六頁一〇行目から一五行目)、「電解液の液温を所定の温度に制御することは、液体抵抗器が高電圧用であると低電圧用であるとにかかわらず必要なことであるから・・・」(同二八頁下から九行目以下)といっている。
また、引用例2との対比において、「仮に原告主張のように本願発明が高電圧用であり、引用例2の考案が低電圧用であるため、その各水中電解質濃度の恒定制御の具体的手段に差異があるとしても、いずれも、各液体抵抗器に要求される抵抗値を得るために必要とされる濃度に水中電解質を保持するためであり、その技術的思想において、何らの差異がないことが明らかである。」(同三〇頁一一行目から一六行目)としている。
このような引用例1、2と本願発明との不当な抽象的対比が結局本願発明の進歩性を否定する原判決の結論に至らせるのである。
2 ところが、高電圧の状況下では、水中アーク放電の発生に代表されるように低電圧では問題とならない高電圧特有の現象が重大な問題として生じてくることからも明らかであるように、高電圧用液体抵抗器と低電圧用のそれとは技術内容又は技術分野を全く異にするのであって、原判決のように高電圧、低電圧の区別を捨象した判断を行うことが誤りであることは明らかである。
3 ところで、特許法二九条二項で規定する「技術分野」に関する判断を示した判例として、東京高等裁判所昭和四七年七月二八日(審決取消訴訟判決集昭和四七年度一四五頁以下)があり、この判例は、「引用の金属薄板製容器の蓋体の脱出防止は本願発明と力学的原理を同一にするものと認めるが、その蓋体をはずす方向に作用する力がそれ程大きなものではなく、本願発明が解決の狙いとしたような過大な荷重力が加わる場合のあることを予測して、その脱出防止を企図したものでないことは明らかであり、本願発明とは利用される技術分野を全く異にするものといわざるをえない。」としている(同一五一頁左欄三行目から一二行目)。
前述のように、本願発明と引用例1、2とは、利用する電気的原理ないし自然法則は同一であるけれども、上告人が原審において詳細に主張立証しているように(特に甲第一六号証参照)、また、原判決も認めている通り、引用例1、2が高電圧の状況下で適用されることを予測したものでないこと、そして、適用される電圧が高電圧か低電圧かによって配慮すべき事項が異なってくる等相違が生じるものであることは明らかであり、右判例の理論によっても、引用例1、2と本願発明とは技術分野を全く異にするものである。
4 このように、原判決は高電圧には特有の問題があるということに言及しはするが(判決書二六頁二行目から九行目)、この事実の重大性を全く考慮せず、結局高電圧も低電圧も違いはないという論法によってこの問題を無視し、もって特許法二九条二項の規定する技術分野に関する解釈適用の誤り又は経験則違反(電気技術の分野における高電圧と低電圧の区別に関する経験則)又は前記東京高裁判例違反をおかしたものであって、これが原判決に影響を及ぼすことは明らかである。
四 仮に原判決が前提とするように引用例1、2と本願発明との技術分野の相違の問題をおくとしても、原判決には、以下で述べるような進歩性に関する法令の解釈適用を誤った違法及び理由不備の違法がある。
1 本願発明は、高電圧の状況下において、水中アーク放電防止のため、水温を冷却して低く保ち、且つ、電解質を積極的に排除して高純度に保つという特有の構成をとったものである。
水中アーク放電の防止は、原判決が誤解しているように単に抵抗値を一定にするというような問題ではなく、この抵抗値をいかに低く保ってアーク放電の発生を抑えるかの問題なのである。
そのためには、上記のような構成をとることが必須であることが判明し、その結果本願発明がなされたものである。
そして、水抵抗器における水中アーク放電の問題が従来全く解決されていなかったところ、本願発明が水中アーク放電の発生を防止することに成功するという顕著な効果を奏するものであることは、本願発明の進歩性を如実に示す何よりの証左である。
2 原判決は、前述のように引用例1、2と本願発明との対比を極めて抽象的レベルで行った上で、最後に引用例1と2を組み合わせることについての困難性について何等の理由を附すことなく(この点で原判決には理由不備の違法がある)、これが格別の発明力を要しないことは明らかであるとしている(判決書三一頁七行目から一三行目)。
しかしながら、もし、引用例1と2に基いて格別の発明力を要せずに本願発明をすることができるものであるならば、なぜゆえに従来、高電圧用水抵抗器において水中アーク放電という危険極まりない現象が生じていた(甲第一五号証他)に拘らず本願発明のような解決法が採用されていなかったのであろうか。
それにもかかわらず原判決は、本願発明は引用例1と2に基づき、これに当業者にとって自明な手段を採用したものであって、本願発明の構成をとることに格別の発明力を要しないと認定した。
3 これは、大審院昭和一二年三月三日判決(審決公報(大審院判決)一七号五七頁以下)が、「原審認定の如く本件特許の方法が当業者の極めて容易に想到し得べき所にして敢て発明思想を要せざるものなりとせば特別の事情なき限り当業者は「バイパス」管による方法(注:従前の方法)を採ることなく初めより本件特許の如き方法を採るべかりしものと云わざるべからず随て「本件特許の出願前に当業者が本件によるよりも劣る方法を採っていたとすれば、特別の事情がない限り、本件特許の方法は当業者の極めて容易に想到できるところで敢て発明思想を必要としないものであるとはいえない」旨(同五八頁右欄第二段落)を判示しているのに相反するものである。
なお、右判例のいう特別の事情というのは、例えば、本願が効果とともに重大な欠点をも有し、本願を実施することが従前の方法よりも有利であるとは一概に云えない場合や、本願が技術的には優れているがその実施には多額の費用がかかり経済性に乏しい場合等が考えられるであろうが、本願特許発明について原判決がそうした事情を認定していないこと、また実際にもそうした事情がないことは明かである。
4 結局、原判決には特許法二九条二項の解釈適用の誤り又は経験則違反(従来、水中アーク放電という危険な現象が生じていたにかかわらず本願発明のような構成が採用されなかったという事実があるのに本願発明の構成をとることに格別の発明力を要しないとした点)があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。また、右述のように理由不備の違法もある。
五 原判決が本願発明の進歩性を否定した点において、特許法二九条二項の解釈適用の誤り又は経験則違反の違法があり、しかもこれが判決に影響を及ぼすことは明らかである。また、右述のように理由不備の違法もある。さらに、大審院判例に違反した違法がある。
以上により、原判決は破棄されるべきである。
第二点 原判決の手続法上の法令(判例)解釈適用の誤り
一 原判決は、審決が低圧用の水抵抗器の引用例を高圧用のそれであると錯誤したまま進歩性否定の結論を導いているにもかかわらず、縷々議論を展開して、結局、審決は正しい判断をしたとの結論を下しているものである。
しかし、審決は引用例を高圧用の水抵抗器に関する技術を開示しているものとしてそのことを前提に本願発明に対する進歩性如何の判断を行っているだけであって、引用例が低圧用の水抵抗器であるとの認識に立って本願発明に対する進歩性の判断を行っているわけではない。すなわち、審決は低圧用の水抵抗器としての引用例と本願発明との関係についてはこれを何ら審理判断していない。そうとすれば、引用例が低圧用の水抵抗器であることを認める限り、特許庁において改めて引用例と本願発明との関係について審理判断させるべきものではなかったろうか。なるほど、引用例に関する錯誤や誤解が明らかに瑣末な事柄であって、そのような誤りは取るに足りないどうでもいいことであると評価できるようなときは、特許庁においてその誤りを是正した引用例又は内容で改めて審理判断させる必要性はないと言えよう。しかし、審決の錯誤が一見して明らかに瑣末な事柄であると言うことができないのにもかかわらず、特許庁の判断を改めて仰ぐ必要はないと言うことはできない。
しかるに、原判決は引用例と本願発明とは真の意味あるところで共通する云々という議論を展開して、特許庁の判断を改めて仰ぐ必要はないと断じたものである。右議論の展開において、原判決は審決手続では全く議論に出てこなかった乙一及び乙二記載の周知の事項ないしは技術常識を持ち出し、これと本願発明との関係を議論し、本願発明はかかる周知の事項の単なる適用ないしは応用にすぎないとした。つまり、原判決によれば、本願発明は何ら進歩性など見られない発明で、いわば特許発明の名に全く値しないものであるかの如くである。
しかし、かような原判決の議論は、審判手続において現に争われ審理判断された事項とは全く別個の新たな資料を持ち出して判断の材料にしたものである。それは唐突な議論であると言ってもよい。そうとすれば、原判決は訴訟構造上裁判の対象にできない事項を審理判断して判決を下してしまったものではないのだろうか、原判決は特許庁の判断を待てば異なる争点が形成されたであろうということが自然にかつ当然に考えられる事項を特許庁を差し置いて判断をしてしまったのではないだろうか。かかる疑問に基づく主張が上告理由の第二点である。以下、詳細に検討する。
二 本願発明の要旨は、本願明細書の「特許請求の範囲」の記載より、「循環途上でフィルターや純水器等の適宜手段により水中電解質を積極的に濾過排除や分離排除して所定高純度に調節設定するのと並行して、風冷式ラジエター、風水冷式ラジエター、熱交換器等の適宜冷却手段にて水温を所定の温度に恒温制御し、少なくとも水中アーク放電を生じない導電率に恒定制御した還流水を消費電力が一定に保つよう高電圧の状況下で適用する抵抗器の抵抗体に循環水を用いる方法」というものである。
三 原判決の判断は以下の通りである。
1 原判決はまず本願発明に対して次のような判断を行った。
(一) 乙第一号証によれば、昭和三三年七月一〇日社団法人電気学会発行「特殊機器電気機械工学Ⅵ」(三版)には、液体抵抗器につき、「液体抵抗器は液体内に電極を対立させ、電極間の距離または極板の対向面積を変えることによって、抵抗値を連続的に変えるもので、とくに大容量のものに適する。また強電流の実験に負荷としてよく用いられる。」(同号証三九頁九~一一行)、「溶液としては河水、井水、海水または水に炭酸ソーダ(Na2CO3)、苛性ソーダ(NaOH)、苛性カリ(KOH)、食塩(NaCl)などを溶かして用いる。純粋の水の固有抵抗は、二〇[℃]で大体106[Ωcm]程度であるが、普通の水は(二~一二)×103[Ωcm]程度である。水は温度の上昇に伴って抵抗を減じ、〇~一〇〇[℃]の間の固有抵抗はほぼつぎの式で表すことができる。・・・」(同三九頁一二~一七行)、「溶液の固有抵抗は溶質の種類、溶解度、温度および交直流の別によって広範囲に変化する。」(同三九頁二四~二五行)、「液体の固有抵抗はその濃度が五[%]以下の場合には、濃度に反比例するものである。また、温度係数は温度によって異なり、温度が一〇〇[℃]に近くなると、抵抗減少の割合は少なくなる。」(同四〇頁本文二~四行)、「あまり電流密度を上げると、電極間にアークを生じる虞がある。」(同四〇頁本文八~九行)との記載がある。
(二) 乙第二号証によれば、昭和五五年三月一日同学会発行「電気工学ハンドブック一九七八」(再版)には、「液体抵抗器は、抵抗変化が連続的であり、液体の成分を変えることにより抵抗値を調整することができ、自動制御に適している。液体抵抗器は一般に温度係数が負である。」(同号証九八一頁左欄「液体抵抗器の項)との記載がある。
(三) これらの事項は、液体抵抗器について本願出願前周知の事項であったことが認められる。
(四) これらの周知の事項によれば、液体抵抗器の抵抗体である水の導電率(抵抗率の逆数)は、水の電解質濃度と水温との相関関係において決定されるものであり、したがって、水の導電率をある値にするためには、水の電解質濃度の調節と水温の制御を並行して行うことが必要であることは、本願出願前に当業者にとって自明の事項であったと認められる。本願発明において、「少なくとも水中アーク放電を生じない導電率に恒定制御」するために、「適宜手段により水中電解質を・・・排除して所定高純度に調節設定するのと並行して」、「適宜冷却手段にて水温を所定の温度に恒温制御」するということ自体は、上記周知事項の単なる適用ないしは応用にすぎないことが明らかである。
2 次いで、原判決は本願発明と引用例発明1との関係について次のような判断を行った。
(一) 引用例発明1において、「液槽一の電解液を循環用ポンプ七により冷却作用調整装置八および冷却器九を介して循環させるようにした」のは、電解液の液温を所定の温度に恒温制御し、所要の抵抗値を得るためであることが明らかであり、この引用例発明1の構成は、本願発明において、還流水を「風冷式ラジエター、風水冷式ラジエター、熱交換器等の適宜冷却手段にて水温を所定の温度に恒温制御し」、所要の「導電率に恒定制御」することと異なるところはないと認められる。
(二) 上記認定の事実及び前示周知事実から明らかなように、液体抵抗器において、負荷として必要とされる所要の抵抗値を得るために、電解液の液温を所定の温度に制御することは、液体抵抗器が高電圧用であると低電圧用であるとにかかわらず必要なことである。
(三) 仮に本願発明が高電圧用のものであり、引用例発明1のものが低電圧用のものであるとしても、引用例1に開示されている還流水を用いた水温制御の技術を、本願発明の「適宜冷却手段にて水温を所定の温度に恒温制御」した還流水を用いる技術に対する公知技術として引用することに、何等の誤りはない。
(四) 引用例発明1において、「電解液を沸騰前の所要温度に調整保持させる」(甲第六号証「特許請求の範囲」の項)とあるのは、負荷として必要とされる抵抗値を保持するためであることは明らかであり、この意味で、本願発明において、水中アーク放電が生じない導電率に恒定制御する手段の一つとして、水温を「所定の温度」に恒温制御するのと、その技術的意義に異なるところはない。
(五) 本願発明と引用例発明1とは何ら異なるところはない。
3 さらに、原判決は本願発明と引用例2の考案との関係について次のように判断した。
(一) いずれも、各液体抵抗器に要求される抵抗値を得るために必要とされる濃度に水中電解質濃度を保持するためであり、その技術的思想において、何らの差異がないことが明らかである。
(二) そうとすれば、液体抵抗器の抵抗体に還流水を用い、これを冷却手段により所定の温度に恒温制御する方法が開示されている引用例1と電解質濃度を所望値に保持することが開示されている引用例2に基づき、当業者にとって自明なフィルターによる濾過や純水器による分離等の適宜手段を採用して、本願発明の構成とすることに格別の発明力を要しないことは明らかである。
4 そして、原判決は、「本願発明は、引用例1および引用例2に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたもの」とした審決の判断に誤りはない、と審決の結論を支持した。
四 しかし、右原判決の判断は、形式的にはその結論部分だけを見る限り審判手続において議論となった引用例を問題にして審決の当否の判断を行っているかの如くであるが、実質的又は内容的には本願発明に対して特許庁の判断を経ない資料を持ち出して本願発明に対する進歩性如何の判断を行い、その判断に基づいてこれと結論を同じくする審決を支持するというものであって、この種の審決取消訴訟における審理方法を誤ったものであると言わなければならない。
1 第一に、審決が引用例の内容についてこれを錯誤している限り、審決が正しい引用例の理解によらずにその結論を出したことに間違いはない。まず、このことがここでは問題とされなければならない。
右審決の錯誤は水抵抗器に適用する電圧に関するものである。本願発明が高電圧用に係る水抵抗器に関する発明であるのに対し、引用例は低電圧用に係る発明又は考案である。この両者の相違は水抵抗器の構成、作用又は効果について当然に特徴的な差が生まれてくるものである。この点、原判決は、「水抵抗器は高圧で使用せんとすると、必要な抵抗値を得るのに相当大きな電極間距離が要求され、・・・また水の容体を形成する絶縁物は、高電場においてはその屈曲部あるいは塵付着部などの電界の集中する場所で、絶縁破壊事故が生ずる等の問題があり」(甲第一〇号証一頁右欄二~九行)、このため、液体抵抗器を高電圧で使用する場合には、低電圧で使用する場合とは異なった配慮が必要であるということを認めており、また、本願発明が「所要の高抵抗」を引用例発明1が「所要の低抵抗」を得るものであるということや、本願発明が高電圧用であり引用例2の考案が低電圧用であるためその各水中電解質濃度の恒定制御の具体的手段に差異があるということ、さらには原告の主張する両者の発明の目的が相違し、その目的に応じて抵抗値の設定の問題ひいては液温の設定の問題が生じるということなどを各認めている。
このように、原判決も認めるように、高電圧用の水抵抗器と低電圧用のそれとは水抵抗器としての構成や作用効果に所定の差異をもたらすものであるとすれば、本件の場合、審決が正しい引用例の理解の下で本願発明に対する進歩性の判断をしたならば当然に異なった争点がその審判手続において展開されたと見るのが自然である。換言すれば、審判手続においては高電圧用の水抵抗器としての引用例については審理判断されているが、低電圧用の水抵抗器としての引用例については何ら審理判断されていないものであると言うことができる。にもかかわらず、原判決が審決の錯誤を認めながらもその結論を支持したことはとりもなおさず特許庁の判断を差し置いて本願発明に対する進歩性の判断を行ったことにほかならないし、また、特許庁において審理判断しなかった資料に基づいて本願発明の進歩性を判断したものであるということができる。
思うに、進歩性に関する判断は抽象的相対的な判断を伴うものであって主観的又に恣意的な判断に陥りやすいものである。それゆえに法律の解釈上も引用例の引き方には正確さや慎重さがとくに要請されていると解される。特許・実用新案審査基準(平成五年七月二〇日初版発行)(編集・特許庁/発行社団法人発明協会)が、「2、6先行技術引用上の留意事項として、(4)周知・慣用技術は拒絶理由の根拠となる技術水準の内容を構成する重要な資料であるので、引用するときは、例示するまでもないときを除いて可能な限り文献を例示する」という基準を設けているのも右に述べたような進歩性判断における引用例の重要性を考慮した取扱基準であると言うことができる。要するに、進歩性の判断に当たっては、特許庁は適正かつ客観的な判断をするために正確に引用例を引くべきものであって、不正確な引き方では恣意的な判断であると言われても仕方がないものである。だから、審決取消訴訟における裁判所においては、かような適正な審理判断がなされたかどうかについて合理的な疑いが認められたならば、そのことをもって審決の取消事由に当たるべきものとしてこれを取り消すのが少なくとも原則でなければならないと解される。
以上のことを踏まえて考慮するならば、ますます強い意味において原審は審決が引用例の意義内容を錯誤していることが明らかになった時点で審決を取り消し特許庁に正しい判断を求めるべきであったと言うべきものである。原審はこのことを無視して恰も自分が特許庁になったかのように本願発明に対する進歩性の判断を行ってしまったものであって、これは訴訟手続の解釈適用を明らかに誤った違法なものであると言わなければならない。
2 第二に、原判決はその判断過程においてまず本願発明に対して本願発明は乙第一号証及び乙第二号証に記載されている周知事項の単なる適用又は応用にすぎないとする技術的評価判断を下しているが、この点も大いに問題である。
審判手続ではかかる本願発明は乙第一号証及び乙第二号証に記載されている周知事項の単なる適用又は応用にすぎないなどという議論は一切なされていないことは言うまでもない。そして、そもそもかかる判断は本願発明に対する進歩性如何の判断そのものである。審決取消訴訟においてかかる判断を許してしまうと特許庁における進歩性に関する審理判断などはおよそ無用なものになってしまう。原判決が行った右本願発明そのものに対する判断は特許庁においてまさに引用例との関係で種々検討論議されるべき事項である。
原判決はこのことから直ちに審決の結論を支持しているわけではないが、このことを前提として本願発明と引用例との関係について検討を行っており、この本願発明と引用例との関係はいわば形式的に触れているだけである。誰が見ても、原判決は実質的又は内容的に本願発明が特許に値しないものであるとの前記周知事項に基づく判断によって既に審決支持の結論を出していたと言うことができる。原判決においては審決が問題とした引用例に係わる争点を逐一吟味検討して審決の判断過程の適否を判断するという本来の審理方法からはほど遠い議論の仕方がそこでは展開されていると言ってよい。
以上要するに、原判決は、審判手続において審理判断されていない資料に基づいて本願発明の進歩性如何の判断を行って審決の結論を支持したものであると言うことができるのであって、明らかに訴訟手続の解釈適用を誤った著しく不当な判決であると言うべきである。また、原判決には特許訴訟において特許庁の判断を経ない資料に基づく判断は許されないとした最高裁昭和五一・三・一〇大法廷判決(民集三〇巻二号七九頁)に違反した違法があると言える。
3 なお、原判決は、以上述べたように、審判の手続に現れていなかった資料(乙第一号証及び乙第二号証)によって本願発明の意義内容そのものを解釈判断しているものであって、単に審判手続に現れていなかった資料によって審判手続で審理判断されていた引用例の発明又は考案のもつ意義を明らかにしたというものではない。この点において、前記最高裁昭和五一・三・一〇大法廷判決の一つの射程距離を示したものと言われている最高裁昭和五五・一・二四小法廷判決(民集三四巻一号八〇頁、判例時報九五五・三八)のケースとは事案を異にするものである。このケースは、上告人が原審ではじめて提出された文献によって引用例の記載内容を解釈したことは違法であるとしてこれを争ったのに対し、最高裁判所は審判手続で審理判断された引用例の意義を明らかにするためのものであれば、審判手続に現れていなかった資料を斟酌しても違法ではないとしたものである。
五 ところで、本願発明は、前記上告理由の第一点において詳述したように、原判決が誤解しているように水の温度及び濃度を制御して単に所定の抵抗値を得るという技術思想を開示しているというものではなく、いかに抵抗値を低く保ってアーク放電の発生を抑えるのかという課題を解決するために、水温を冷却してこれを低く保ち、かつ電解質を積極的に排除して高純度に保つという固有の構成をとったものである。原判決は、既に述べたように、訴訟手続における審理判断方法を誤っただけでなく、かように本願発明の内容をも誤解したものであって、その意味では二重の過ちを犯した判決であると言うことができる。
六 以上述べた通り、原判決には進歩性に関する争点が問題となっている審決取消訴訟の訴訟手続上の法令の解釈適用を誤り、審決を取り消すべき筈のものであったものを取り消すことをしなかった違法がある。また、原判決には前記最高裁判所昭和五一年三月一〇日大法廷判決に違反した違法がある。
以上
(添付書類省略)