最高裁判所第二小法廷 平成7年(あ)394号 決定 1998年12月16日
本籍
大阪市西区本田一丁目八番
住居
兵庫県西宮市西平町一三番二一-三〇一号 エヴィラウエスト
会社員
倉持勝弘
昭和三二年一二月一四日生
右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成七年三月二二日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人滝口克忠の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は、本件とは事案を異にして適切でなく、その余は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 福田博 裁判官 北川弘治)
平成七年(あ)第三九四号
上告趣意書
法人税法違反 倉持勝弘
右の者に対する頭書被告事件につき平成七年三月二二日、大阪高等裁判所第二刑事部が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた上告の趣意は左記のとおりである。
平成七年五月三〇日
右被告人弁護人
弁護士 滝口克忠
最高裁判所第二小法廷 御中
記
原判決は第一審判決中、被告人に関する部分を破棄し、被告人を懲役六月に処したが、原判決は昭和三二年二月六日の最高裁大法廷判決(刑集一一巻二号五〇三頁)と実質上相反する判断をし、右判例によれば、被告人に執行猶予を付し得るのにこれを付さず、実刑判決を言い渡した点、また仮にこれが認められないとしても、原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反する量刑不当の過ちを犯しており、刑事訴訟法第四〇五条二号、四一一条二号に該当するので破棄されるべきである。
以下、その理由を述べる。
第一 最高裁判所の判例と相反する判断をした点について
一 まず、被告人の前科関係として、被告人は(1)平成二年五月二四日神戸地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により懲役一年二月、執行猶予三年に処せられ、右裁判は同年五月八日確定したが、(2)その執行猶予期間中に犯した同法違反の罪により平成三年一月三一日神戸地方裁判所尼崎支部で懲役一〇月に処せられ、右裁判は同年二月一五日確定し、同月二六日右(1)の執行猶予が取り消され、平成三年九月三〇日に右(2)の刑の、引続き平成四年一一月三〇日に右(1)の刑の執行をそれぞれ受け終わったことが認められる。
二 第一審判決は弁護人の「(1)確定判決前の余罪について、前記最高裁判決が刑法二五条一項の『刑に処せられたる』とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付された場合を包含しないものと解すべきとしているところ、被告人の前記一の(1)の確定判決はあくまで執行猶予であり、実刑判決ではないこと、(2)右最高裁判決やそれ以前の確定判決前の余罪についての執行猶予に関する最高裁判決はいわば救済判決であり、その趣旨を本件において生かすべきであること、(3)被告人には前記一の(1)の確定判決後、実刑判決があるが、本件はあくまで確定した執行猶予付き判決の余罪であり、右実刑判決の余罪ではないこと等を理由に本件については前記昭和三二年の最高裁判決の趣旨からして法律上も執行猶予を付し得る。」旨の主張に対し、
三 確かに、確定判決前の余罪については、最判昭和二八年六月一〇日(刑集七巻六号一四〇四頁)が、併合罪関係に立つ数罪が前後して起訴され、後に犯した罪につき刑の執行猶予が言い渡された場合には、前に犯した罪が同時に審判されていたら一括して執行猶予が言い渡されていたであろうときは、前に犯した罪につき執行猶予を言い渡すことができるとし、最判昭和二九年一一月五日(刑集八巻一一号一七二八頁)は同旨の判決をなし、最判昭和三一年五月三〇日(刑集一〇巻五号七六〇頁)は、余罪について刑の執行猶予をすることができるかどうかは刑法二五条一項の定める条件によることとし、また、前記最判昭和三二年二月六日の判決は、刑法二五条一項によって刑の執行を猶予された罪のいわゆる余罪について、さらに、同条項によって執行猶予を言い渡すためには、両罪が法律上併合罪の関係にあれば足り、訴訟手続または犯行時等の関係から、実際上同時に審判することが著しく困難若しくは不可能であるかどうか、または同時に審判されたならば執行猶予を言い渡すことのできる情状があるかどうかは問題とならないことを明らかにした。
そして、前記一のとおり本件各法人税法違反は、前記一の(1)の確定判決前の余罪となり、右確定判決は執行猶予付の判決であるから、弁護人主張のように刑法二五条一項を適用して本件につき執行猶予の判決を言い渡すことが出来ると解せる余地もある。
四 しかしながら、本件事案は前記一のとおり、前記一の(1)の確定判決後、前記一の(2)の実刑の確定判決があり、さらに、右一の(1)の執行猶予の確定判決の執行猶予が取り消され、右(2)及び(1)の確定判決につき刑の執行を受けたという経緯があり、前記最高裁判所の各判決における具体的事案とは異なるものである。
特に、本件においては、前記一の(1)の確定判決後、前記一の(2)の実刑の確定判決があることが問題となる。すなわち、刑法二五条一項の適用を考える場合に、単に確定判決があり、その余罪について判断するだけにとどまらず、右確定判決後に別の実刑の確定判決がある点がこれまでの事案と異なるところである。
ところで、刑法二五条一項一号の「前ニ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコトナキ者」の「前ニ」とは、執行猶予の判決言渡前という意味であり、最裁昭和三一年四月一三日(刑集一〇巻四号五六七頁)は、「現に審判すべき犯罪につき刑の言渡をするその以前に他の罪につき確定判決により禁錮以上の刑に処せられたことのない者を指すのであって既に刑に処せられた罪が現に審判すべき犯罪の前に犯されたと後に犯されたとを問わないことは同号と同条第二号並びに同法第二六条各号就中その第二号とを対照比較することによって明白である」と判示した原審を維持したものである。
弁護人は、前記のとおり最高裁昭和三二年二月六日判決が、刑法二五条一項の「刑に処せられた者」とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないとしていることから、被告人の前記一の(1)の確定判決は執行猶予であり、実刑判決ではないことを一つの根拠とするが、右判決は「後者(裁判の確定した罪)につき執行猶予の言渡が刑法二五条一項によりなされたものであれば、前者(前記の余罪)についても等しく同条項により、その執行猶予の条件が勘案されるべきであり、」と述べた直後に「そして、この場合には同条項の『刑に処せられた者』とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないものと解すべきことは、所論刑法改正の前後によって差異を生ずるものではない。」としている。
右の説明は確定判決があり、その余罪があった場合に右余罪につき刑法二五条一項の要件により執行猶予を付することが出来る根拠として同項の「刑に処せられた者」は実刑を言い渡された場合で執行猶予の付せられた場合を包含しないと解するとしたものであり、本件のように右確定判決後に別の実刑の確定判決がある場合をも考慮しているかについては疑問があり、右の解釈は、余罪についても等しく同条一項により、その執行猶予の条件が勘案されるべきとしたうえで、「刑に処せられた者」とは、実刑を言い渡された場合を指し、執行猶予の付せられた場合を包含しないというのは、同条項の適用要件を前提としており、本件では前記一の(2)の実刑の確定判決が右の実刑判決を言い渡された場合にあたると解せる。
従って、本件では前記一の(2)の実刑の確定判決を受け、さらに、右一の(1)の執行猶予の確定判決の執行猶予が取り消され、右(2)及び(1)の確定判決につき刑の執行を受け、その各執行終了時から五年間を経過していないから、刑法二五条一項一号及び同項二号の要件に合致しない。
また、本件各法人税法違反は、前記一のとおり、前刑の執行猶予中の犯行ではないから同法二項の適用も考えられない。
従って、本件では法律上執行猶予を付することが出来ない場合にあたり、弁護人の前記主張は採用できないとした。
五 そこで、弁護人は控訴し、控訴趣意書において、第一審判決の右判断は我国の刑法で執行猶予の要件を一貫して緩和してきた経緯や前記最高裁判決が何故刑法二五条一項の条文上の文言に反してまで執行猶予を言い渡された確定判決のその前の余罪について、執行猶予を付すことができると解釈してきたか、その理由を考えずなされたもので到底これを是認することができないと次のとおり主張した。
即ち、我国で最初に執行猶予制度が採用されたのは明治三八年で、当初一年以下の禁固刑にのみ執行猶予が許され、また前科のある者が執行猶予を許されるためには受刑後一〇年を経過することを要するといわれていたのがその後、執行猶予を言い渡すことのできる場合を二年以下の懲役、禁固に拡大され、前科による欠格の期間も七年に短縮されたりし、戦後においては三年以下の懲役、禁固まで執行猶予を言い渡すことが出来るようになり、ついでは再度の執行猶予も認められるようになった。
そして、刑法二五条一項によれば、「前に禁錮以上の刑に処せられたることなき者」に執行猶予が適用されるところ、禁錮以上の刑に処せられとは禁錮以上の刑に処する確定判決を受けたことを言い、刑の執行を現に受けたことは必要ではないから執行猶予を言い渡された者であっても禁固以上の刑に処せられたる者に該当すると解釈されていた。
しかし、この解釈によれば、ある罪につき執行猶予を言い渡す有罪判決が確定した後、その確定前に犯した罪について刑を言い渡すべき場合には執行猶予を言い渡すことができないこととなり、前の執行猶予も取り消さなければならないことになっている。
そこで、このような不合理な結果を救済するため、執行猶予制度の趣旨から目的論的に解釈し、これまでの最高裁判決は二五条一項の規定からすれば文理上無理であるにもかかわらず、執行猶予を言い渡された罪の余罪について刑を言い渡す場合には更に執行猶予を言い渡し得るという解釈をし、これは判例として確立した。
そして、前記昭和三二年の最高裁判決は右の場合、法律上併合罪の関係にあることをもって足りるとされた。
第一審判決は本件判決言い渡し前に前記(2)の実刑判決があるので本件において、右最高裁判決は適用されないとした。
確かに、形式論理上はあるいはそうかもしれないが、右最高裁判決自体、前記のとおり刑法二五条一項の明文に反した解釈をしているので前にの意味を本件のような事例に限っては本件前と限定して解釈すればよいと思料される。
やはり、執行猶予制度の趣旨から目的論的に解釈されるべきである。
以上の次第で本件においても、右最高裁判決の解釈は適用されるべきで被告人に対しても刑法二五条一項を適用するのが正しい法令の適用と言うべきである。
従って、第一審判決が本件では法律上執行猶予を付することができない場合であると判断したのは刑法二五条一項の解釈適用を誤ったことに該当し、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかで到底破棄を免れず、被告人に対しては刑法二五条一項を適用し、執行猶予を付した判決がなされるべきである。
六 右主張に対し、原判決は第一審判決に法律の解釈適用の誤りはなく、法律判断も正当であるとし、これに付加し、最高裁昭和三二年二月六日判決は、被告人は、前記(1)の執行猶予付き判決の確定後に犯した覚せい剤取締法違反の罪により、平成三年一月三一日神戸地方裁判所尼崎支部で懲役一〇月に処せられた(同年二月一五日確定)前記(2)の前科があるのであって、この点において、本件は所論の最高裁昭和三二年二月六日判決(刑集一一巻二号五〇三頁)とは明確に事案を異にするのであり、本件のような場合についてまで、執行猶予を付し得るとする法文上の根拠は勿論、合理的理由も見出し難い。
そして、刑法二五条一項一号の「前ニ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコトナキ者」とは、「当該執行猶予の判決言渡し前に、禁錮以上の実刑の確定判決を受けたことがない者」と解される(最高裁昭和三一年四月一三日判決刑集一〇巻四号五六七頁、前記最高裁昭和三二年二月六日判決参照」から、前記(2)の実刑判決があることにより、被告人は、右条項の「前に禁錮以上の刑に処せられたることなき者」の要件に抵触することは明らかである。
加えて、被告人の場合、前記(1)の執行猶予付き確定判決は、後日所論指摘の日に取り消されており、その結果、実刑判決の言渡があった場合と同様の効力を生じ、前記最高裁昭和三二年二月六日判決にいう「実刑判決を言い渡された場合」に該当することになり、この場合も、刑法二五条一項一号の「前に禁錮以上の刑に処せられたることなき者」の要件に抵触することになるものと解される。
そして、被告人は、前記二件の確定判決の各刑の執行終了時から五年間を経過していないので、被告人に対して、刑法二五条一項一号及び同二号をいずれも適用できず、執行猶予を付することは、法律上許されないところであると判断した。
七 しかしながら、原判決の右判断は、弁護人が主張する執行猶予制度が順次適用範囲が拡大されてきたこと、右最高裁判決が条文上の文言に反してまで執行猶予を付し得るものの範囲を拡大し、いわば救済判決をしたその趣旨に実質上相反しているたことは否めず、この点について、最高裁判所の判断を仰ぎたく上告した次第である。
第二 刑の量定が著しく不当であること
仮に裁判所において本件については刑法二五条一項の適用ができないとされても、本件は罰金刑に処すべきであります。
一 原判決は弁護人の控訴趣意書第二及び控訴趣意補充書に対し、「本件は、劇場興行等を営む有限会社の業務全般を統括し、その実質的経営者であった被告人が、同会社の代表取締役らと共謀の上、同会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、興行収入を除外するなどの方法により、連続して二事業年度にわたり、その所得の全部を秘匿した上、正規の法人税合計一億四五一四万円余を脱税した事犯であるが、ほ脱額は多額であり、ほ脱率も二期連続して一〇〇パーセントと高率であること、本件の方法による法人税の脱税は、被告人の発案・指示に基づくもので、被告人は責任者の交替の際には、従前の売上除外の方法などにつき、後任者の指導して引き継ぐようにさせ、歴代の営業責任者に虚偽の日計表を作成させるなどしており、しかも、被告人自身は役員に就任することなく、いわば舞台裏から実質的経営者ないしオーナーとしての影響力を行使する形で、本件脱税事犯の一切を画策実行していたもので、又、動機にも格別斟酌すべき事情は認められず、犯情悪質であること、近時この種大口脱税事犯に対する納税者一般の処罰感情には厳しいものがあることなどに徴すると、被告人の刑責は軽視できず、本件は、罰金刑をもって処断すべき事案であるとは認め難い。
他方、被告人は、本件摘発の当初から素直に犯行を認めて捜査に協力し、本件について反省の態度を示していること、本件脱税が発覚したのに伴い修正本税、重加算税、延滞税、修正地方税などの全額合計約四億一七〇〇万円余を納付していること、被告人の家庭事情など、被告人のため有利に斟酌すべき情状も認められる。以上を総合考慮するとき、被告人を懲役九月に処した原判決の量刑は、原判決時を基準とする限り、破棄してこれを是正しなければならないほど重きに失し不当であるとは認められない。」と判断し、更に「しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、被告人は、一段と原判決を厳粛に受け止めて反省の念を深めると共に、手元不如意の中から、平成七年一月一七日発生の阪神淡路大震災の被災者に対する義援金として金一〇〇〇万円を、贖罪の意味を込めて神戸市に寄付し、更に反省の情を明らかにしていることが認められ、これに前記の原審当時から存した被告人のため酌むべき諸情状を併せて考えると、原段階においては、原判決の量刑をそのまま維持することは、酷に失すると認められるので、その刑期を若干減じるのが相当である。」とし、第一審判決の量刑が懲役九月のところ、これを減じ、懲役六月に処した。
二 つまり、逋脱額約一億四五〇〇万円の脱税事件について、原判決は懲役六月としたのであるが、これは逋脱額に比すと異例の量刑である。
とするならば、被告人には前記諸情状があるので今一歩踏み込み、罰金刑を選択する余地も十分にあったのである。
右控訴趣意書第二二で詳論したように、かって勅使河原一の所得税法違反事件で罰金刑のみに処せられた実例があり、この事案と対比して被告人がなぜ罰金刑にならないのかあまりにも不公平であると言わざるを得ないところである。
高名または有名であるかどうかによって量刑上の差別をつけることは許されないことであることは論をまたないところである。
やはり原判決を破棄し、被告人を罰金刑のみに処しなければ著しく正義に反すると言わざるを得ない。