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最高裁判所第二小法廷 平成7年(行ツ)154号 判決 1995年11月10日

千葉県鎌ケ谷市東鎌ケ谷三-二八-二-一〇七

上告人

島田輝夫

右訴訟代理人弁護士

後藤裕造

滝沢繁夫

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 清川佑二

右当事者間の東京高等裁判所平成六年(行ケ)第一九四号審決取消請求事件について、同裁判所が平成七年四月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人後藤裕造、同滝沢繁夫の上告理由について

記録に照らすと、上告人の本件訴えは不適法であるとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福田博 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)

(平成七年(行ツ)第一五四号 上告人 島田輝夫)

上告代理人後藤裕造、同滝沢繁夫の上告理由

第一、 裁判を受ける権利の侵害について

一、 原判決は特許を受ける権利を共有する場合において、共有者の一部の者のみによってなされた審決取消訴訟は、「共有者全員の有する一個の権利の成否を決めるものであって、審決を取り消すか否かは共有者全員につき合一に確定する必要があるものといわなければならないから、共有者が全員で提起することを要するいわゆる固有必要的共同訴訟と解するのが相当であり」、本件訴えは不適法であるとして却下した。

二、 しかしながら原判決には次の通り憲法違反(裁判を受ける権利の侵害)の要素が含まれており、憲法に即した法令の解釈がなされたのであれば、その結論は原判決の結論と異なるものとなったはずである。

三、 特許法の審決取消訴訟においては、その原告適格については特許法一七八条に定めがあるのみであり、特許権の共有権者が審決取消訴訟を提起するについて、共有権者全員でこれをせねばならない旨の明文の規定はない。

四、 原判決は最高裁平成六年(行ツ)第八三号平成七年三月七日第三小法廷判決を踏襲したもののようであるが、この最高裁判決には、「審決取消訴訟の合一的確定の必要性」という、訴訟手続上の都合ばかりが考慮されており、特許権を有する(共有する)国民の「権利の擁護」「権利の実現」という憲法的視点からの考察がされていないことは誠に遺憾である。

憲法三二条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。」と定める。この規定は、まず何人も自己の権利又は利益が不法に侵害されたと認めるときは、裁判所に対して、その主張の当否を判断し、その損害の救済に必要な措置をとることを求める権利―裁判請求権又は訴権―を有することを意味するのである(宮沢俊義「憲法=」初版四一九頁)。

この裁判を受ける権利については、審査請求前置主義や出訴期間の制限といった技術的な制限を加える場合、それが裁判の拒絶に等しいような不合理な制限でなければ、許容されると解されている(同前四二〇頁)。

ところが、原判決の上告人に対する「共同訴訟提起」の強制とも言うべき判断は、合理的な「裁判を受ける権利」の制限の範囲を超えており、憲法違反である。本件上告人においても、原判決の判断に従えば、他の共有者と共同で審決取消訴訟を提起すれば、訴訟提起は可能なのであるから、「共同訴訟提起」を強制しても、上告人に対しては「裁判を受ける権利」を保障しているように見える。

しかしながら、他方、国民には「訴訟を提起しないで平穏に暮らす権利」も存する。特許権共有者の一人は他の共有者の意向に拘わらず、訴訟提起をしない自由を有する。そして特許権共有者の一人が「訴訟を提起しないで平穏に暮らす権利」を選択し、行使した場合、この権利行使は、他の共有者の「裁判を受ける権利」を侵害する結果となってしまう。しかしこの「訴訟を提起しない」という選択を他の特許権共有者に対する権利の侵害と目することができるであろうか。否であろう。こうした特許権共有者同士の権利の衝突を調整するような法解釈が望まれるところである。またこの特許権利者(共有者)と裁判制度(裁判を受ける権利)との利益衡量、調整という過程を辿ってこそ、憲法に即した具体的妥当な法解釈が実践されるのである。

特許権の共有者の一人は他の共有者に対して、訴訟提起を強制できないことは、憲法上も法律上も明白であろう。しかしながら、特許権の共有者の一人はその自己の権利・利益を擁護し、実現する権利を「裁判を受ける権利」として有していることも明白なのである。こうした裁判を受ける権利の行使を望む国民と、訴訟提起を避けたいと望む国民のそれぞれの権利を満足させるように裁判制度を理解することが必要である。裁判制度は国民の権利実現のための制度であるという視点が、憲法並びに諸法令を解釈する上で必要不可欠なのである。訴訟結果の合一的確定の必要性という要請は、憲法の権利保障規範よりも下に位置する技術的な規範であり、こうした技術的規範の実現のために、国民の権利が犠牲となるとしたらまさしく本末転倒である。原判決の判断はまさしくこの本末転倒の結果となっている。なぜなら、訴訟結果の合一的確定の要請のために、特許権共有者が訴訟を提起するについては、共同で訴訟提起せねばならないと判断し、訴訟の提起を望む特許権共有者に対し、他の共有者を訴訟の共同原告としなければ、訴訟の実体審理をしないと結論するからである。この結果、訴訟の提起を望む者に対して不当な権利行使の制限をしている結果を惹起している。

本件においては、まず第一に、国民に裁判を受ける権利等の基本的人権があることが考慮されるべきであり、裁判制度はそれを実現することに存在根拠があるという点を銘記すべきである。

五、 本件のような審決取消訴訟においては、特許権共有者の足並みが揃わないことは大いにあり得ることであり、そのような場合に、「固有必要的共同訴訟」理論を持ち出して、共有者の一部の者の訴訟提起を違法視することは、裁判の拒否と同視すべき事態であり、憲法違反である。

第二、 法令違背について

一、 原判決には次に述べる通り判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

二、 すなわち、原判決は本件審決取消訴訟を「固有必要的共同訴訟」と断定しているが、これは誤りであり、いわゆる類似必要的共同訴訟と理解すべきである。

本件訴訟を固有必要的共同訴訟と解すると、前記第一で考察したように、上告人等国民の「裁判を受ける権利」を侵害する結果となってしまう。この「裁判を受ける権利」との調和という観点から本件訴訟の性格を考察するならば、類似必要的共同訴訟と解さざるを得ない。一人の共有者は他の共有者に訴訟提起の強制をなし得ない以上、必然の結論である。このように類似必要的共同訴訟と解した結果、審決取消訴訟の結果についての理論的齟齬が発生しても、それは、実際の不都合を発生させないものであれば、憲法、法律の実現を第一義とする裁判所として、許容すべきである(そうした理論的齟齬が次の時代の新たな理論を生むのである)。またそうした理論的齟齬に基づいて発生するであろう実際上の不都合については例えば行政事件訴訟法三二条一項等を駆使して現実の問題に対処することが要請されるのである。

三、 特許権の共有について、その特許法における様々な特殊の規定により、「合有」であると結論づける説が存する。

しかしながら右特許法の権利共有に関する定めは、行政庁の審査、審決の便宜のために規定されたものであり、これによって特許権の具体的な権利の性格が規定されるものではない。むしろ特許権という現代的な権利に、「合有」という前近代的な法概念をあてはめることは時代錯誤も甚だしいと言わねばならない。近代以後の法は権利の個人性、個人主義を指導理念として概念構成されており、現代的な権利の最たるものである特許権に、「合有」という前者的性格を持った権利概念によって性格を付与するのは誤りである。近代法の理念をもって特許権を考察するならば、特許権(及びその共有)は個人主義的視点から捉えられなければならない。

個人主義的な法解釈の立場から特許権の共有状態における訴訟提起がいかにあるべきかを論ずるならば、それは原則として各共有者が各個別に訴訟提起することが可能となるべきであり、もしそのような法制度にあって、例えば訴訟結果が区々になった場合の不都合については第二次的に処理を行えば良いのである。幸いにもわが国の行政事件訴訟法においては、三二条一項に取消判決の対世効の規定や一四条には出訴期間制限の規定、一三条には関連請求に係る移送の規定があり、このような規定によって、各共有者が各個別に訴訟提起するような事態が発生しても、実際上の不都合は発生することは考えられない。

四、 従って、特許権の共有権者は共有権者としてその保存行為たる訴訟提起を各個別になし得べきであり、これを「固有必要的共同訴訟」であるとして上告人の提訴を不適法とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背があるというべきである。

以上

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