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最高裁判所第二小法廷 平成8年(あ)267号 決定 2001年11月05日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人赤松幸夫の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。

所論にかんがみ、本件業務上横領罪における被告人の不法領得の意思の存否について、職権で判断する。

1  業務上横領の事実について原判決が認定した事実の概要は、次のとおりである。

被告人は、昭和59年6月から63年5月までの間、A株式会社(以下「A」という。)の取締役経理部長として、B(以下「B」という。)は、昭和60年4月から63年12月までの間、A経理部次長として、いずれも、Aの資金の調達運用、金銭の出納保管等の業務に従事していた。

(1) 被告人は、CがAの株式を買い占めてその経営権をD会長ら一族から奪取しようと画策していたのに対抗し、Bと共謀して、E研究所代表F及びG研究所代表Hの両名(以下「Fら」という。)に対し、Cの取引先金融機関等に融資を行わないよう圧力をかけ、あるいはCらを中傷する文書を頒布してその信用を失墜させ、同人に対する金融機関等の資金支援を妨げて株買占めを妨害し、さらには買占めに係る株式を放出させるなど、Cによる経営権の取得を阻止するための工作を依頼し、その工作資金及び報酬等にAの資金を流用しようと企て、支出権限がないのに、昭和63年2月2日ころから同年4月11日ころまでの間、6回にわたり、業務上保管中のAの現金合計8億9500万円をFらに交付して横領した。

(2) 被告人は、昭和63年5月11日に経理部長の職を解かれた後、Bと共謀し、Fらに対して同様の工作を依頼し、その工作資金及び報酬等にAの資金を流用しようと企て、支出権限がないのに、同年7月13日ころから同年10月18日ころまでの間、3回にわたり、Bが業務上保管中のAの現金合計2億8000万円をFらに交付して横領した。

2  上記事実関係において、被告人の計9回の現金交付(以下「本件交付」という。)の意図が専らAのためにするところにあったとすれば、不法領得の意思を認めることはできず、業務上横領罪の成立は否定される。

そして、第1審判決が被告人は専らAのために本件交付を行ったものと認定したのに対し、原判決は、これを否定して、被告人につき不法領得の意思の存在を認めた。

3  原判決が、被告人の本件交付の意図が専らAのためにするところにあったとは認められないとした理由の要旨は、次のとおりである。

(1) Aにおいて、C側の支配する株式を買い取るとの方針は固まっておらず、I社長も、株式買取りの可能性を探るための工作を了承したにとどまる。また、本件交付にかかる金額の合計は11億7500万円に上るのに、各交付の時点において、それぞれの交付に見合った工作が成功するか否かは全く不明確であった。さらに、被告人は、I社長らに本件交付について報告する機会が度々あったのに、その交付の内容や具体的交付目的等を報告していない。

(2) 他方、被告人は、本件交付を開始する前、昭和62年6月ころから9月ころにかけて、C側と通じ、協力してAの経営権を握ろうと図り、その過程でA株を多数売買して多額の売却益を得たほか、C側から約2億3000万円の売却益の分配を受け取っている。その後、昭和63年1月にC側とAが全面対決するに至り、C側から裏切り者として攻撃され、妻子に危害を加えるなどとの脅迫を度々受けた。被告人がFらに工作を依頼して、最初の3000万円を交付したのは、Cの意を受けた者から最初に脅迫を受けた直後であった。

こうした事情を総合すると、被告人の意図は、専らAのためにするところにあったとはいえず、自己の前記弱みを隠し又は薄める意図と、度重なる交付行為の問題化を避ける意図とが加わっていたと認定するのが相当である。

(3) さらに、本件交付が委託者である会社自体であれば行い得る性質のものであったか否かという観点からも検討する必要がある。すなわち、その行為の目的が違法であるなどの理由から、金員の委託者である会社自体でも行い得ない性質のものである場合には、金員の占有者である被告人がこれを行うことは、専ら委託者である会社のためにする行為ということはできない。

本件交付は、Cによる株買占めに対抗するための工作費用としてされたものであって、最終的にはC側からA株を買い取ることを目的としていた。しかしながら、それは、防戦買いを実施して発行済み株式総数の過半数を制した後に、さらに、Aの資金により、約1700万株という大量の株式を買い取るというもので、商法の自己株式取得の禁止規定に明らかに違反し、委託者本人であるA自体でも行うことができないものである。また、Fらに依頼した工作の具体的な手段は、名誉毀損、信用毀損、業務妨害、脅迫等の罪に触れかねないものであって、A自体においても行うことは許されない。

したがって、この観点からしても、被告人の不法領得の意思を否定することはできない。

4  そこで、被告人の不法領得の意思の有無について検討する。

当時、Aとしては、乗っ取り問題が長期化すると、同社のイメージや信用が低下し、官公庁からの受注が減少したり、社員が流出するなどの損害が懸念されており、被告人らがこうした不利益を回避する意図をも有していたことは、第1審判決が認定し、原判決も否定しないところである。しかし、原判決も認定するように、本件交付は、それ自体高額なものであった上、もしそれによって株式買取りが実現すれば、Fらに支払うべき経費及び報酬の総額は25億5000万円、これを含む買取価格の総額は595億円という高額に上り(当時のAの経常利益は、1事業年度で20億円から30億円程度であった。)、Aにとって重大な経済的負担を伴うものであった。しかも、それは違法行為を目的とするものとされるおそれもあったのであるから、会社のためにこのような金員の交付をする者としては、通常、交付先の素性や背景等を慎重に調査し、各交付に際しても、提案された工作の具体的内容と資金の必要性、成功の見込み等について可能な限り確認し、事後においても、資金の使途やその効果等につき納得し得る報告を求めるはずのものである。しかるに、記録によっても、被告人がそのような調査等をした形跡はほとんどうかがうことができず、また、それをすることができなかったことについての合理的な理由も見いだすことができない。原判決が前記3(1)及び(2)で指摘するところに加えて、上記の事情をも考慮すれば、本件交付における被告人の意図は専らAのためにするところにはなかったと判断して、本件交付につき被告人の不法領得の意思を認めた原判決の結論は、正当として是認することができる。

なお、原判決の上記3の判断のうち、(3)の第1段において述べるところは、是認することができない。当該行為ないしその目的とするところが違法であるなどの理由から委託者たる会社として行い得ないものであることは、行為者の不法領得の意思を推認させる1つの事情とはなり得る。しかし、行為の客観的性質の問題と行為者の主観の問題は、本来、別異のものであって、たとえ商法その他の法令に違反する行為であっても、行為者の主観において、それを専ら会社のためにするとの意識の下に行うことは、あり得ないことではない。したがって、その行為が商法その他の法令に違反するという一事から、直ちに行為者の不法領得の意思を認めることはできないというべきである。しかし、本件において被告人の不法領得の意思の存在が肯認されるべきことは前記のとおりであるから、原判決の上記の判断の誤りは結論に影響しない。

よって、刑訴法414条、386条1項3号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 福田 博 裁判官 北川弘治 裁判官 亀山継夫 裁判官 梶谷 玄)

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